2015年2月22日

いけてないやつの虚勢

 これはぼくと彼女が地下鉄に乗って家に帰る途中で目撃したことだが、とても印象的というか、コミカルなことだったので書き留めておこうと思う。以下登場する人名は仮名である。
 下校する小学生が乗り込んで来る時刻で、ぼくらの向かいの席には制服を着た小さくて可愛らしい男の子が二人腰掛けており、午前9時から午後15時くらいまでのたかだか6時間くらいの学校に疲れて気だるそうにしていながらも、帰宅後の楽しみへの期待もあってか、少し浮ついた雰囲気で仲良くおしゃべりしていた。二人とも幼い顔に似合わない大きな眼鏡をかけており、片方は痩せていてもう片方は小太りだった。けれど二人とも声が甲高いのは同じだった。二人とも教室の中心に立つ子のようには見えなかったが、それでもこの二人の間にも一応の格差があるようで、太っている子のほうが痩せている子より態度も大きく、痩せている子はそれに比べてずっとおとなしく、太っている子の言うことを聞いているようだった。
「田中と違ってオレ、クラスに子分いるからさ〜。クラスにっていうか、クラス全員子分なんだよねえ〜」
 太っている子がそんなことを言い出したのが始まりだった。
 痩せている子ーー田中君はそれを聞いてただでさえ眼鏡で大きくなっている目をさらに大きくして驚いた。友達に子分がいるだけでなく、その子分がクラスメイト全員だというのだからそりゃあ驚くだろう。クラス全員に田中君が含まれていないことから、田中君が太っている子とは別のクラスだということがわかる。
 向かいで聞いているぼくは驚かない。一体どんな教室がこんなころころした坊やに頭を垂れると言うのだ。いけてないやつが自分よりいけてないやつに見栄を張っているだけであるのは明らかだった。
「えっ、コブン? 森川君、子分がいるの? 子分ってどうやってつくるの?」
 甲高い声で尋ねる田中君は純粋だった。恐らく森川君の言うことを普段から疑ったことがないのだろう。他にもなにを吹き込まれているかわからない。
「ああ、金で雇ってんだよ」
 森川君がそっけなく言った。向かいでそれを聞いていたぼくは俄然興味が沸いてきた。お金でクラスメイトを雇っているガキ大将だなんて聞いただけでかわいそうではないか。
「えっ、お金?お金をあげてるの?」
 田中君はすっかり仰天してしまった。森川君に子分がいる上に、なんとそれが金で雇われた傭兵達だったのだから無理も無い。田中君はきっと森川君との間に今までに感じたこともないような距離を感じたことだろう。「お金って、一体いくらあげてるの?」
「あ?1人100円」
「えっ!1人100円もあげてるの?森川君、大丈夫なの?」
「平気さ、オレ、小遣い月に5,000円もらってるから」
「えっ!5,000円ももらってるの!?」
 これにはぼくも田中君と同じくらい驚いた。月に5,000円!!ぼくは高校のときですら月2,000円だったのに。ぼくは金を持っているガキが憎たらしくて仕方が無いのだ。
 田中君はもうなにがなんだかわからなくて戸惑っている。森川君は月に5,000円ものお小遣いをもらっていて、クラスメイト全員を金で雇って子分にしているのだ!それでも必死に考えを巡らせて森川君ワールドについていこうとしている。
「で、でも、クラスがだいたい40人で1人100円だから・・・4,000円も使っちゃってるよ!森川君、大丈夫?」
 田中君はとても優しい子だった。こんな憎たらしいクソガキ森川君のほら吹き話を素直に聞いているだけでなく、森川君の心配までしている。田中君、ぼくが君に100円をあげよう!
「おう、オレ、お年玉もいっぱいあるからさ。それに子分がいればいろんな情報が手に入るんだぜ。あ、良い働きをしたやつにはさらに10円あげたりしてんだあ」
 森川君の言葉を受けて田中君が頭の中のそろばんを弾いた。
「でも、そんなことしたら森川君のお小遣い990円になっちゃうよ・・・」
 まだ森川君の懐具合を心配している田中君は美しい心の持ち主だった。”良い働き”をした子が1人とは限らないので、月によっては森川君のお小遣いは950円くらいになってしまうこともあるだろう。そもそも森川君のもとに集まって来る情報とやらは一体どんなものだろうか?ぼくの代わりに田中君が森川君にそのことを尋ねると、
「そりゃあ、村岡がテストで55点取ったとかあ、山木が火曜の掃除をさぼったとかあ・・・」
 超くだらねえ情報だったが、小学生中学年の間では重要な情報かもしれない。だが金を出してまで欲しい情報とは思えない。誰が誰のことを好きだとか、色恋沙汰が混じってないあたりがそのくらいの小学生らしい。
 もうその頃になると田中君の興味の持続性が失われつつあった。森川君の誇大妄想に対して先ほどまで可愛らしく驚きを示していた彼だが、もはや「ふうん」程度のリアクションになってしまっていた。むしろ田中君は森川君がクラスの皆に利用されているのではないかと心配しているようにも見えた。そんな田中君の態度の変化などに気付くこともなく、森川君は自分のスパイ網の働きについて得意げに話し続けている。
 そこで森川君の世界を一瞬でぶち壊す出来事が起こった。ぼくと彼女が森川君と田中君のやり取りに笑いをこらえていると、別の車両から森川君達と同じ制服を着た女の子がやってきたのだ。女の子が森川君達の前を通りかかると、すかさず森川君が、
「あ、小野だー」
 と言った。「よう、小野ぉ」と声をかけないところが森川君の身の丈を表していた。声をかけるわけでもなく、どちらかと言えば田中君に向かって小野さんがいるということを知らせているかのようだった。
 しかし小野さんはシートに座っている森川君を一瞥することもなく、そのまま通り過ぎてまた奥の車両に移って行ってしまった。無視である。
「あれ?」
 田中君が小野さんを目で追う。「小野さんって同じクラスだよね?子分じゃないの?」
 子分もなにも完全に視界に入っていないようだったが。ぼくの見ている目の前で森川君はスパイの元締めではなくなってしまった。ただの森川君に戻ってしまったのだった。一体彼がどんな言い訳をするのだろうかと見守っていると、
「え、ああ、小野は、もにょもにょ・・・」
 どんどん声が小さくなってなにを言っているのかわからなくなってしまった。
 そうこうしている内に電車はぼくの家の駅に到着してしまった。愛らしい彼らのやり取りをもっと聞いていたかったが、仕方が無い。ぼくらがホームに降りてエスカレーターに向かって行くと、森川君もホームに降りているのが見えた。このタイミングで電車を降りられたことを有り難く思ったに違いなかった。
 森川君よ、田中君はとても良い奴なのだから、そんな虚勢を張らなくとも仲良くしてくれるから大丈夫だよ。
 けれどひとつ気になるのは、森川君の言っていたことがどこまで本当でどこまで嘘かということだ。全部嘘だったらそれでいいのだけれど、もし実際にクラスメイトにお金を払っていることが本当だとしたら?それで森川君が都合良く「自分には金で雇った子分がいる」と解釈していてそれを田中君に話していたのだとしたら、森川君は決して嘘をついたことにはならない。クラスメイト達が裕福で扱い易い森川君からお金を巻き上げているのかもしれない。クラス全員が子分、というのは話を盛っているとしても、何人かにお金を・・・。そうなると森川君は少しかわいそうな子に思えて来る。
 いや大丈夫、田中君が良い子だから支えてくれることだろう。