2015/12/31

2015年まとめ


 2015年の主なトピックスと言えば、結婚、仕事、初の海外旅行、そしてスター・ウォーズといったところ。結婚はもちろん大きなイベントだったけれど、今年は仕事の幅もかなり広がったと思う。読書日記の連載も今年からだし、新作映画のレビューや「スター・ウォーズ」や「007」といったビッグタイトルの特集のお手伝いもさせていただいた。特に大好きな「スター・ウォーズ」が仕事に繋がったのは感慨深い(新作公開に合わせて仕事ができたので最高の「SWイヤー」になった)。憧れの長谷川町蔵先生と山崎まどか先生の共著にイラストを描いたことも合わせると、今年はいろいろな夢が叶った一年だったとも言える。初の海外旅行にも行ったし、仕事もプライベートも充実の一年だった。両方の充実さが互いに良い影響を与えているように思う。


 今年一年で仕事で関わったものやつくったものを並べてみる。自分的にはとてもたくさんだ。本当にイラストレーターみたい、なんてことを思ったりするのだけれど、みたいじゃなくて、ぼくは本当にイラストレーターになれたのだ。なったからには来年もどんどん仕事をして、たくさん描いていきたいと思う。今年はイラストだけではなく、合わせて文章を書く機会もいただけたので、今後もイラストコラムの仕事がたくさんできたら良いなと思う。
 そうして、好きなものは好きだとはっきり言っていきたい。興味関心は重要な原動力になると思うし、「好き」が仕事に繋がるというのはとても幸福なことだから。なによりぼくという人間はぼくの好きなもので出来ている。自分というものを大切にして仕事をしていきたいと思う。

12月18日のこと


 とりあえず年が変わってしまう前に「フォースの覚醒」を観に行った際の記念写真を。イラスト感想はもう少しかかりそうなのだけれど、こういった写真もぼくにとって重要な記録になりそう。
 とにかく今作でぼくはグェンドリン・クリスティ演じるキャプテン・ファズマという新キャラクターの注目してきた。関連グッズ解禁の際にはフィギュアを買ったし、映画公開に向けてボール紙とデープを使ってのヘルメット作りにまで取り組んだ。仕事のほうもこの時期は少し慌ただしく、趣味の工作に割ける時間がそれでもあまりない上に、結構試行錯誤を繰り返すことにはなったのだけれど、なんとか12月17日の夜に納得いく形に出来上がった。劇場にこんなかぶり物を持っていったのは生まれて初めてだった。同じようなひとは結構いた。別にぼくひとりだったとしても気にはしなかったけれど。


 記念写真ブースになりそうなスポットはあるだろうかと気になっていたのだけれど(無ければポスターの横にでも立つつもりだった)ちょうどこのような立体巨大ロゴが設置されていたので恰好がついた。キャプテン・ファズマにしては小さいのはもちろん(彼女はブーツのヒールも合わせると2メートルの大きさでこの身長は他のキャラクターだとチューバッカに匹敵する)、ストームトルーパーの平均身長であるところの183センチにも満たないのが残念なところ。


 フィギュアマスコット付きのドリンクカップ(1997年頃のケンタッキーのキャンペーンを思い出したのはぼくだけだろうか)を買っていたら上映開始ギリギリになってしまい(あらゆる列が恐ろしく長かった)少々慌てる場面もあったけれど無事鑑賞。最初はひとりでさらっと観にいくつもりだったけれど、友達や妻と一緒に観てよかったと思う。観たあとで誰かと話さずにはいられない作品だったし。
 なにはともあれ愛すべきサーガの新章の幕開けを目撃できて最高に幸福な日となりましたとさ。
 キャプテン・ファズマよ、永遠なれ!

2015/12/21

「スター・ウォーズ:フォースの覚醒」感想/最初の印象


鑑賞ステータス
回数:1回(12月20日現在)
形態:3D/IMAX/字幕

 果たして幻のエピソードだった「エプソード7」が現実のものとなった。ぼくたちはなんとEP7後の世界に来てしまったのだ。平成生まれのぼくとしては、結末の知れていた前日譚ではなく、全く白紙の上につくられる正真正銘の「続編」をリアルタイムで観られること自体を大変幸福に思っている。この世代にとってそれは叶わぬ夢でしかなかったのだから。
 およそ一年間かけて、新着情報が入るたびにその断片的な情報を自分なりに繋ぎ合わせて稚拙ながら考察を行って来たが、この作業も含めて大変楽しむことができた。公開前からこんなに楽しめる作品もそうそうないのではないだろうか。内容を予想することだけでなく、フィギュアなどの関連グッズをはじめ、やや無理矢理な感じのするタイアップ商品を買ったりして、新作公開前の空気を存分に楽しんだ。決してスクリーンの中だけにおさまらない総合芸術、いやもっと簡単に言えばカーニバルのようなシリーズなのだということを改めて実感した。
 とは言え、最終的に重要なのは映画本編の内容である。盛り上がったテンションと勢いでごまかしてしまうこともできるけれど、それは自分に嘘をつくことになる(SWに対してもだ)。しかし、一年の間に味わった楽しさを最後に台無しにもしたくない。親友や恋人を愛しながらも、相手になにか欠点を見出したとき、それをぼくは指摘することができるだろうか?今作に対する気持ちを言葉にするというのは、そういった葛藤に近いものがある。だが、そもそもこの例えを持ち出した時点で答えは決まっている。なにがあったとしてもぼくがSWに幻滅したり嫌いになったりすることはあり得ないのだ。何にでも長所と短所があり、ぼくは両方を愛したいと思っている。贔屓目でフェアな感想ではないと言われればそれまでだが、当たり前だ、ぼくはSWが大好きなのだから。
 それでも思ったことははっきり書いていきたいと想う。しかし繰り返しになるけれど、ぼくは全体的に満足しているので、細かい疑問やツッコミどころもそこまで不満には思っていない、ということは念のため強調しておきたい(このあと何度か観た後でその印象が変わる可能性は大きい。そういう意味でも初見だけの印象から考えたことを書き留めておきたい)。
 
 ・導入の印象

 どこから書いていいか非常に悩ましいが、とりあえず冒頭のことから。どんな具合になるか非常に気になっていた「最初の宇宙のシーン」が非常に良かった。惑星を隠していくスター・デストロイヤーのシルエット、まるで宇宙空間の暗闇がぐうっと伸びてきて星を隠してしまうようで洒落た絵画のようだった。「新たなる希望」以降スター・デストロイヤー登場がバリエーション化したが、今回は「そう来たか!」と思った(「シスの復讐」もわりと新鮮なほうだったけれど、今回はさらにガツンとやられた)。
 そこからの展開はわりとテンポが良かったような気がする。ストームトルーパ―の強襲、新たなヒーローであるポー・ダメロンとBB-8の脱出劇、焼かれる村・・・。この一連の流れで一番印象的だったのは、冷酷なストームトルーパーによって襲われる村、という図から一転してストームトルーパー側の視点に流れるように切り替わったことだ。今までのSWならレーザーに当って倒れたトルーパーに気を留めることなどなかった。そのほとんど常識と化したような様式を逆手に取ったのだろうか、倒れたトルーパーを気遣う同僚トルーパー。このふたりのトルーパーの間にはどんな交友関係があったのだろうか、と一瞬のうちに想像させられる。友人の死を目の当たりにしたこのストームトルーパーは震え出す。いちトルーパーが主人公になった記念すべき瞬間である。ひとまず出だしで印象的だったのはこのあたり。

 ・新キャラクター
 
 ポー・ダメロンはもっと無鉄砲で皮肉屋な、旧作におけるハン・ソロのようなキャラクターだと予想していたが、実際は正義感に満ちあふれたエース・パイロットで、予想していたのよりもずっと好感を持てる人物だった。レイやフィンに比べるとまだ人物造形があまり克明に描かれていない気がしたが、次回以降に期待したい。ポーとフィンの関係も予想に反して友好的で(初期のルークとハンの関係に似ているのではないかと想像していたのだ)、若い友人同士といったやり取りは胸をすくようで大変清々しいし、熱い。
 そのフィンは、前述の史上初主人公に昇華した元ストームトルーパーだ。予告編などからトルーパーの恰好をすることはわかっていたが、作戦上の変装だろうと思っていたら、これが本当にストームトルーパ―で驚きだった。若く、特になにかに秀でているわけでもなく、ましてやフォースが使えるわけでもない。平凡ないちトルーパーでしかなかった彼のステータスは、登場人物の中でもっともぼくたち観客に近いのではないだろうか。そんな彼が冒険に旅立ち、気転を効かせて危機をかいくぐりながら、到底太刀打ちできそうもない悪に立ち向かう様子はとても力強さを感じる。それはルークやアナキンが運命に導かれて宇宙に旅に出たのとは全然違う。特別でないフィンの冒険は、特別でないぼくたちを勇気づけてくれる。今までSWにいなかった種類のキャラクターだ。
 レイに関しては謎が多く残されたままだが、まず言えることはとにかくタフだということだ。ルークやアナキンのように家族がいる状態では全然無い、完全な孤独のなかで自給自足の生活をしていたことから考えると、前の主人公ふたりよりよっぽど精神的に強いのではないかと思う。この強さがこのあとフォースを学ぶ過程でどう影響してくるかが非常に興味深い。
 悪役カイロ・レンは冷酷だが決して最強の悪役ではないことが多くのひとを驚かせたことだろう。もとよりどういう個性の持ち主かは全く想像できなかったから、期待や予想と違ったという感覚はぼくの場合あまり無かった。それよりは逆に新鮮さのほうが強いだろうか。ダース・ヴェイダーに憧れているが、そのヴェイダーには遠く及ばないのは明らかであり、それは本人も自覚している(認めたくはなさそうだが)。確かに強いのかもしれないが、そういうところにコンプレックスがあるので不安定で、若いので未熟なところもある、というのは、人間味を感じる。これもまた今までのSWにはいなかった悪役なのだろう。
 ハックス将軍もまた有能そうだがかつての銀河内乱を知らない若き司令官である以上、未熟さは残る。カイロ・レンとハックスは、「新たなる希望」におけるヴェイダーとターキンの並びにもイメージが重なるが、あくまで重なるだけ。レンがヴェイダーに遠く及ばないのと同様に、ハックスもターキンほどではない。なにかあるたびにふたりして最高指導者スノークの前に並ぶ様子はどこか先生に呼び出されてる学生というような間の抜けたイメージではあるが、ふたりの若い悪役は同じく若い主人公たちと対応しているのではないだろうか。要するに今度の三部作は若者同士の戦いで、新世代のSWであることが強調されているのだと解釈できる。
 さてその黒幕スノークの正体もすでに議論の的になりそうだ。ぼく自身も彼の正体について考えを巡らせて楽しんでいるところ。意外にも早い段階から姿を見せたのは拍子抜けだった。もう少し引っ張っても良さそうだったのだけれど。「新たなる希望」における皇帝のように、存在だけ示唆される程度でも良かったのではないかと思うが、しかし前述のレンとハックスだけではファースト・オーダー全体が本当に未熟な敵に見えてしまうので、なにやらやばそうな黒幕がいる、ということは最初からわかっていたほうがいいのかも。
 キャプテン・ファズマに関しては、ぼくはあれで良いと思っている。むしろあれが良いのだ。初めてクロームメッキのトルーパーが登場することがわかってからというもの、ずっとこのキャラクターに注目してきた。演じるのがグウェンドリン・クリスティーでつまり女性指揮官なのだとわかってからはもう夢中だった。どことなくボバ・フェットのような雰囲気も感じられたので、あの扱いは予想の範疇だった。外見とアクターで気に入ったからには活躍しようとしまいと、どうなろうとあまり関係ない。SWは画面に映らないところを想像するのが楽しいのだから、ぼくはいろいろなファズマの物語を想像したい。
 しかし、ひとつ言わせてもらうなら、ボバ・フェット的キャラクターというのは狙って再現できるものではないということだ。ボバはもともとあまり活躍させるつもりのなかった本当に噛ませ犬な脇役だったのが、異様な存在感で人気に火がついた、というキャラクターである。ルーカスは「こんなに人気になるならもっと活躍させればよかった」というような発言をしていたが、恐らくそれでは駄目なのだ。異様な存在感なのに活躍せずあっけなく退場という、その扱いも含めてのボバ・フェットなのだから。つまりボバの魅力とは狙わずに生じたものであり、たとえ「滅茶苦茶格好つけたのに活躍せずに退場」というところを真似しても、それを意識している時点でボバの魅力とは違うような気がする。まあそれでもボバをパロディしたキャラ、ということでよしとしよう。
 ちなみにぼくはボール紙とシルバーのガムテープでもってキャプテン・ファズマのヘルメットを自作し、劇場に持参した。ここ数週間ずっと仕事の合間に試行錯誤しながら完成させたのだけれど、これは良い記念になった。こんなふうに映画を楽しめるのは幸せだ。ありがとうキャプテン・ファズマ、そして永遠なれ。

 ・旧キャラクター

 ルーク、ハン、レイアの三人について詳しく書くと本当に物語の核心部分に触れるし(もう十分触れているような気がするが)、この三人についてあえて言うことはあまりないので簡単に。ちゃんと「ジェダイの帰還」から30年分生きてきたルーク、ハン、レイア自身に見えて大変感慨深かった。30年の間に三人はどんなふうに生きてきたのか、どんなことを経験してきたのか想像せずにはいられない。まあ苦労が絶えなかっただろうなあ。
 R2-D2はともかくとして、C-3POの出番はもっと欲しかった。前半の展開には要らないのかもしれないから、難しそうだけれど。しかし3POが画面に現れたときは本当にほっとした。彼はどんな空気も和ませられる(「シスの復讐」は別)。
 チューバッカに関しては、チューバッカだなくらいの感想しか抱けなかった。好きなキャラクターではあるけれど、あまり老けた様子がない。駄々をこねる愛犬のような仕草は一作目の頃と変わっていないので、こいつもしかして全然成長しないのか?と思ってしまった。まあ人間より寿命が長いらしいので時間の流れ方や年の取り方も異なるのかもしれない。というか、チューイのことを想うと辛い(これ以上は言えないが)。

 ・世界観

 全体的にスケールは小さくまとめられているように感じた。プリクエル三部作の世界観が広過ぎたということもあるが、旧三部作は登場する惑星が少ないながらも街や基地、エキストラなどで工夫して世界観の奥行きをつくっていたと思う。今作は第一作目「新たなる希望」と同じようなスケール感を意識したようだが、どこか作り込みがやや不足しているようにも感じられた。登場する惑星に対する既視感は言うまでもなく意図的なもので、砂漠や森林、雪原といった旧三部作でお馴染みのロケーションを勢揃いさせてパロディしている(それぞれ全く別の惑星だが)。これもまた幻想的な風景をたくさん見せてくれたプリクエルの後だとがらりと雰囲気が変わるし、旧三部作オマージュだとしてもやや風景が現実的過ぎて地味な感じがする。しかし、これらの主張の強くないロケーションは、キャラクターを描くことに徹しているためではないかとも思える。新キャラクターたちの個性を説明するため、背景にそこまで意識が向かないようにしているのではないだろうか。SW世界でお馴染みのロケーションの中でキャラクターたちを際立たせて、そこに集中しているように見えた。誰も見たことも無い幻想的で新鮮な風景だと、そこに立つ人物たちが弱くなってしまうことも考えられる。
 惑星ジャクーはタトゥーインのパラレルのような世界観だが、ここはやはり砂漠に埋没している往年のメカの残骸に意識が向いてしまう。気をつけないと見落としてしまいそうなところに、見慣れた戦闘機の部品やヘルメットが転がっている感じが、とても良かった。探すのが楽しくなってしまう。スター・デストロイヤーが墜落している砂漠では一体どんな激戦が繰り広げられ、その勝敗は銀河史にどれだけの影響を与えたのだろうかと、つい想像してしまう。背景について想像を巡らせたくなるのはSWの醍醐味のひとつだと言えるだろう。だからこそ、ジャクー以外のロケーションにも同じような仕掛けが欲しかったと、少し思ってしまう。だがまあ、どんどん物語が展開していくので、いつまでも背景が気になってしまうよりは、あれくらいのほうが本筋に集中できるのではないかなと思えて来る。
 ロケーションのほかにも重要な世界観として、銀河の情勢がある。オープニング・スクロールの時点でわかるようにどうやら共和国の再興は実現し、かつての帝国は敗退しているらしい。パンフレットの簡単な解説によれば新共和国と帝国残党との間で「銀河協定」が結ばれ、戦争は一時終結していたようだ。今回の悪役陣営である「ファースト・オーダー」はその帝国残党から現れた一派であり、「レジスタンス」はその動きを監視するために立ち上がったレイア将軍の私設軍隊ということらしい。ひとつ思ったのは、この情勢は第一作目のときの情勢に似ているということだ。共和国が滅び、帝国が台頭した世界で、共和国残党が反乱軍として帝国に抵抗していた図は、今作における情勢と逆だがそっくりだ。また、元老院が反乱軍を支持していたという設定も、今回で言うところの、新共和国によって支援されているレジスタンスという関係に近い。プリクエル三部作を観ているぼくたちはこの一作目当初の「共和国、帝国、反乱軍」の三者の関係が前日譚を踏まえると若干ズレてくることを知っている。プリクエルでは共和国がそのまま帝国へと姿を変えるし、「シスの復讐」でのことを考えると、皇帝の支配する元老院が反乱軍を支持する隙なんて無さそうに見える。今作での世界観は、プリクエル三部作をほとんど踏まえておらず、あくまで旧三部作の世界観を上書きしているのだ。
 ところで、超兵器スターキラーによって破壊される惑星には銀河首都も含まれており、誰もが最初はコルサントが吹き飛ばされたと思ったことだろう。しかし、実際はあの星はホズ二アン・プライムという新しい首都惑星で、コルサントから遷都したようだ。遷都したからにはそれなりの理由がありそうだが、このあたりの物語も今後スピンオフ小説などで描かれるだろうと思うとわくわくする。
 
 ・音楽

 ジョン・ウィリアムズ作曲の音楽はSWに無くてはならない存在で、一作目以降、必ずそのエピソードを象徴するような印象的な新曲が流れてきた。特にプリクエル三部作では、意図的にエピソードごとのテーマ曲をつくっていた。今作もさぞ壮大で聞けば上映中の想いが蘇ってくるような音楽を聴くことができると思って大変期待した。SWを構成する多くの要素の中で常に無条件で受け入れられるものがあるとすれば、それはウィリアムズの音楽だ。しかし、今回は作曲の趣向が明らかに違った。場面ごとのムードに合った音楽が効果的に使われていたのはもちろんだが、あくまで主に流れるのは旧作からのテーマ曲で、新曲はそれを補う形でしかなかったような印象である。お馴染みの曲を際立たせるためだろうか。しかし、せっかく新キャラクターたちが主体なのだから、彼らを紹介するようなテーマがもう少し流れても良かったように思う。
 けれど「新たなる希望」を意識しているところを考えると、お馴染みのテーマに変化をつけるだけにとどめ、”ひとまず”はニュートラルなSWを提示したかったのかもしれない。

 ・メカニック
 
 公開前から最初にお披露目された今作のメカといえば新型Xウィングだが、このデザインが一作目制作時にラルフ・マクォーリーによって描かれたXウィングの初期デザインによく似ていることが話題となった(今作のデザインは他にもマクォーリーのデザインを彷佛とさせるものがいくつかある)。しかし、実際本編を観てみるとこのXウィング以上にインパクト(?)のあるデザインの宇宙船(及び乗り物)が特に無かったように思う。TIEファイターも見せ場はあったが色と細部がちょっと変わっただけで形状に大きな変化はない(だいたい「ジェダイの帰還」の時点でTIEシリーズはインターセプターまで進化したのに何故また形が退化しているのだろう・・・)。主に活躍する宇宙船は<ミレニアム・ファルコン>なので、主役を張れるくらいかっこいい宇宙船は必要なかったのだろうか。それとも、やはりロケーションと同じくキャラクターに集中するために宇宙船も地味にしたのだろうか。さすがに宇宙船にこだわらないとSWとしての魅力がかなり削がれてしまうのだが。
 個人的にはレジスタンスのトランスポート船(横長で端に操縦席のついたデザイン)が好きかな。パンフレットによればBウィングの部品等を使って造られたらしい。なるほど、確かに似ている。

 ・エイリアン&クリーチャー

 宇宙船同様にSWには欠かせない要素であるエイリアンたち。いろいろな種族が登場すればそれだけ世界観は広がる。今作は特に、プリクエル三部作でCGを多用していたことへの反動(アンチ・ジャー・ジャーというわけだ)なのかエイリアンはとにかく着ぐるみにこだわっている印象だった。しかし、せっかく着ぐるみでやっているわりには旧三部作のような魅力的なデザインの異星人が少なかったような気がする。ぼくの好みで言えばローディアンやビス、デュロスといった、はっきり言って馬鹿っぽい、THE・宇宙人みたいなデザインが好きなのだが、今回はあまりそういう愛嬌のあるエイリアンが見当たらなかった。いろいろなやつらがいて賑やかだったが、全体的にここ10年のSF&ファンタジーでありがちなデザインという気がした。コワモテなのだ。これもまた時代の流行りが反映されているということなのかもしれない。
 しかし、エイリアンでごった返し変な音楽が流れる酒場が出てきたこと自体はとてもうれしいし、アクバー(モン・カラマリ)やニエン・ナン(サラスタン)といった旧作のエイリアンが登場してくれただけでも十分ぼくは幸せである。しかもアクバーは声も演技も旧作と同じティモシー・M・ローズ!
 銀河の動物たち、クリーチャーたちはどうだろうか。ハン・ソロが運んでいた凶暴なラスターは今までのSWにいなかったタイプのモンスターで新鮮だが、これはあまりぼくの好みではないかな。ジャクーにいたクリーチャーは概ね好感が持てた。大きな豚鼻のハッパボアは実物を造っているだけあって質感や重量の具合が良かったし、廃品の装甲に覆われたラガビーストも今までいそうでいなかった上にSW的雰囲気でいっぱいだ。両腕を黄色い重機のようなアームに換えられている”クラッシャー”ルーダウンもおもしろい造形なので好き(どう見てもヒューマノイドだが何故かパンフレットではクリーチャー扱い・・・差別?)。

 ・ドロイド

 最も視覚的に話題をさらったのはやはりドロイドのBB-8だろう。新たなSWマスコットの座をR2-D2から受け継いだ彼、仕草が可愛く、ムードメイカーに欠かせない存在となりそうだ。フィンとの掛け合いもSWに再びユーモアを取り戻してくれたと思う。丸いフォルムというのは本当に親しみが沸きやすいのだな改めて思った。
 その丸い形状だが、もう少しあの形状になっている理由をヴィジュアルで見せて欲しかった。機能美というか、「だからこの形なのか!」と納得できるシーンを求めていたのだが、残念。デザインが先行してしまったのだろうか。確かに誰も考えつかないような形状と構造で動いていてこれ以上にないくらい個性的なのだが、ヴィジュアルにおけるアイデアにこだわったせいなのか、機能や設定が追いついていなさそうに感じられた。さらに言えばR2のようにコンピューターにアクセスしたり船を修理したりという役に立つ活躍も見せなかったので、ただただ守ってあげたくなる可愛いやつという印象が拭えなかった(それはそれで良いのだが)。そういう意味では今作のヒロインはこの球体ドロイドかもしれない。
 他にも新登場のドロイドはいくつかいるのだが、今の時点ではまだ気に入ったものはないかも。お馴染みのプロトコル・ドロイドやアストロメク・ドロイドが完成され過ぎていて、匹敵する外見のドロイドはBB-8くらいにならないといないのかもしれない。マズ・カナタの城の前を歩いていた赤いドロイド、HURID-327はこれまでのドロイドとは少し趣向が違うので印象的だった。どこか「スクラッパーズ」的というか、アシュレイ・ウッドの描くロボットにも通じるものがあってわりと好みだった。銀河は広いのだから、いくらでも趣向の違うデザインのドロイドがいていいはずだ。しかし、下手をするとらしくないデザインで世界観を壊すことになるので、それを恐れてかどこか無難におさえた印象がある。

 ・デザイン全般
 
 というわけでデザインに関してはBB-8や新ストームトルーパーは斬新さを覚えたが、それ以外は保守的で慎重な姿勢が垣間見えた。デザインへの積極性はBB-8に集約されたのだろうか(前述のように形状と機能の関係が不明なので諸手を挙げて優れたデザインだと言うことはできないのだが)。SWでメカニックのデザインがつまらないというのは致命的だと思うのだけれど、そこはファルコンとXウィングなどお馴染みのメカをとにかく際立たせたかったということなのかな。オリジナリティーを求めて冒険をしているという意味ではプリクエル三部作のほうが自由度が高かったと思う。もちろんプリクエルはルーカス自身が仕切っていたから自由なのは当然だ。今作をつくった人達はルーカスの影の中で世界観を壊さないように壊さないようにと「慎重にもがいていた」のかもしれない。前述したようにとりあえずはニュートラルなSWにしたかったのだろうとも思うので、次回からはもう少し自由になって欲しい(というかそうなる可能性が高い気がする)。ぼくに言われなくともこんなことは世界トップクラスのセンスと頭脳を持ち合わせたアーティストたちなら十分理解していると思うけれど、今SWをつくっているのは他でもないあなたたちなのだから、自信を持ってつくって欲しいと言いたい。当然ながら、旧作をリスペクトするだけでは新しいSWはつくれないのだから。

 ・3D/IMAXの所感

 初回は3D/IMAXにて鑑賞。夏に「マッドマックス」をこの形態で観て圧倒されたので、SWがどんなふうに体験できるか非常に楽しみだった。
 まだ一回目だが、印象的な迫力があったのはファースト・オーダーのスター・デストロイヤーを正面から映したカットで、あれはスクリーンの手前に向かって巨大戦艦(旧作のインペリアル級の二倍あるらしい)が進んで来ているような錯覚を覚えて、大変感動した。華麗に飛び回る<ミレニアム・ファルコン>も目の前で飛んでいるかのような迫力と、手を伸ばせば届きそうな存在感があった。2012年に3D版「ファントム・メナス」を劇場で観たが、もともと3D向けに撮影していない旧作に後から処理を施したためか、なんとなくの立体感しか感じられなかったので、今回はまさに3Dで観る新しいSWという感じがした。ただ、それを考えるとやはり、新鮮な世界観を少しでもいいから提示して欲しかったと思ってしまう。手を伸ばせば届きそうな感覚があったのに、あまりそうしたいと思う風景が無かったのは確かだ。
 良いことばかりではない。席の位置にもよると思うけれど、スクリーンが巨大過ぎるので全体像が掴みづらい。視界いっぱいに世界が広がっているからこその映画体験ができるのは良いのだが、全体での画が確認できないというか、やはり離れて観たほうがよく見えるのだと思う。世界観のデティールの細かさを見出すことができなかったのも、隅々まで見渡すことができなかったからかもしれない。全体像を掴むために今後は2Dで落ち着いて鑑賞してみたい。
 
 ●まとめ(まとめていいのかわからないがとりあえず)

 あくまで最初の印象を書き留めたまでである。このメモを草稿に、イラスト感想をまとめていきたいと思う。もちろんその間再鑑賞するだろうから、また新たな発見があるかもしれない。
 ここで一度要約しておくなら、「スター・ウォーズに憧れたスター・ウォーズ」という印象がやはり強いように思う。しかし、だからといってパロディの域を出ていないわけでは決してなく、れっきとしたSWのいちエピソードとして受け入れることができる。
 最初に満足していると書いたものの、実際言葉に起こしてみるとどんどん思ったところが沸いて出てきて、特にデザインに関しては気になっていたんだなと改めて思った。デザインの遊びがない理由については恐らく上で書いたようなためではないかと思うので、次回以降で本領を発揮してほしい。目新しい世界を見せて欲しいという気持ちもあるので、そちらも今後に期待したい。シリーズである以上、完結してからじゃないとフェアな評価を下せないというところもあるので、まだまだこれはこういう映画だと断言することはぼくとしては避けたい。個人的には、SWの新作として大いに興奮させてもらったことを考えると多少の不満はチャラにできてしまうかな。もちろん疑問点について考えるのは楽しいし、議論は尽きないだろう。長寿シリーズである以上、その時代ごとに変化があって当たり前だと思うし、作品ごとに雰囲気やスタイルが違っていても良いと思う。だから今作もSWとして受け入れられる。受け入れた上で不満点や疑問点について考えて楽しみたい。これからは「フォースの覚醒」を軸にいろいろなことを考察したいし、イラストレーションも多く描きたいと思う。

2015/12/15

「スター・ウォーズ」を観る順番


 超ビッグな映画シリーズなのに人に勧めづらいことこの上ない、でお馴染みの「スター・ウォーズ」。特にビギナー泣かせなのは公開順と時系列の関係で「一体どれから観ればいいの?」は一番の疑問だと思うので、ここはひとつ絵も交えてできるだけわかりやすく説明してみたいと思い、このような図を考えてみた。これがベストとは思わないし、もっとわかりやすい図案があるかもしれないけれど、ひとつ参考になれば幸いです。
 ファンによっては公開順で観るか時系列順で観るかで意見が分かれるそうなのだけれど、これから観ようという人にとっては大事なファーストコンタクトである。もう二度と初見の気持ちに戻ることができないファンのひとはビギナーに対しいろいろなことを言ってくるかもしれないけれど、まずは余計な知識を入れずに公開順で観るのがいちばんだと思う。社会が実際にSWを観た順番がそれなのだし、それでなんら不都合は生じないからだ。
 と言うのもぼくの知人が初めてのSW体験を時系列順に挑んでしまったのだ。前日譚のプリクエル三部作が後年つくられて、これで綺麗に6部作の時系列が出来上がったから、その見方が物語上綺麗な見方なのではないかと思われるかもしれないが、そうとは限らない。「エピソード1」は第一話にあたるとはいえ、結局は「すでにSWが認知されている世界」でつくられている以上、予備知識がどうしても必要になる。プリクエル三部作というのは「昔はこんなかんじでした」という過去篇なのだから、オリジナル三部作を知った上で観たほうがいいというわけ。
プリクエルから観てしまうことの、なにが一番問題だろうか。件の知人にとってそれは「ハン・ソロ」の存在だった。プリクエルでは銀河共和国とそれを守るジェダイ騎士団側の視点がメインとなり、主人公もその体制の中枢に身を置いていた。また共和国を崩壊させ帝政のはじまりの原因となる銀河規模の全面戦争「クローン大戦」も主な舞台となることから、プリクエルは話のスケールが大きい。そこで旧三部作に移ったところで突如登場する宇宙海賊(体制の外にいる)、ハン・ソロの存在はなんとなくちゅうぶらりんになる(少なくとも件の彼はそう感じたらしい)。ハン・ソロといえば主人公すら食ってしまうSWの「顔」のひとつのはずだが、観る順番が違うだけでこうも印象が違うとは。ぼくも改めてなるほどなと思った。
 プリクエル三部作は体制側の物語で、文化が栄華を誇っていた時代の物語。オリジナル三部作はそれらが滅びさったあとの、言わば「若者たち」の戦いを描いた物語。それはもうそのまま前者が親の時代を、後者が子の時代を描いたものと見ることができるわけだ(アナキンとルーク親子に限らず、広い意味での「親子」)。子(自分)の時代の物語を知っているからこそ、親の時代をあとで知ると興味深いのではないだろうか。もちろんそこには「えー、昔こんなだったのお?」という微妙な気持ちも含まれるのだろうけれど。
そして、今やその「子の時代」すら親の時代になりつつあり、ようやく「孫の時代」を描いた新作がお披露目されるというわけです。
 長くなりましたが、ぼく個人としては、公開順に観ることをおすすめします。

 

営業報告


 ・映画「ひつじ村の兄弟」のフライヤーやパンフレットにイラストコラムを載せていただいております。アイスランドを舞台にしたドライすぎるブラックジョークとひつじとおじいさん満載の映画です。12月19日より新宿武蔵野館にて公開!
http://ramram.espace-sarou.com/


・朝倉かすみさんの新刊「植物たち」(徳間書店)の販促用リーフレットの内容を、イラスト・文章・デザイン込みで作らせていただきました。いくつか短篇をピックアップして、モチーフとなった植物とともに紹介しています。
http://www.amazon.co.jp/dp/4198640599/ref=cm_sw_r_tw_dp_zfbCwb0Y8HTZP


・今月号のasta*「秘密図書館」では、映画「イングロリアス・バスターズ」や「ウォルト・ディズニーの約束」出演でおなじみのコメディアンB・J・ノヴァクの作家デビュー作「愛を返品した男 物語とその他の物語」の感想を書いています。訳は山崎まどか先生。ユーモラスな短篇が詰まった素敵なユーモア・スケッチ集となっています。 

2015/12/08

スター・ウォーズ新作メモ 13


 今日が8日なので、公開まであと10日!公開が近づくほどこういった予想メモは意味がなくなっちゃうかもしれないけれど、ぎりぎりまで更新を続けたいところ。
 今までの予告映像はティーザー(特報)だったけれど、ついに本格的な予告編がお披露目され、「フォースの覚醒」の世界観がより一層鮮明になった。レイは惑星ジャクーの砂漠で墜落した船の中を漁って廃品を集める孤独な日々をおくっており、カイロ・レンはダース・ヴェイダーの後継者を自称して野望に燃えていた・・・。
 ルーク・スカイウォーカーがドロイドたちと出会ったのと同様に、レイもBB-8との出会いによって冒険に導かれるのだろうか。そしてレイは何故打ち捨てられたかつての戦場で独りで暮らしているのだろうか。
 印象的なのはハン・ソロが若者たちに「フォースは実在する」と告げるところ。一作目で老オビ=ワンを相手にフォースなどまやかしだと馬鹿にしていた彼が、ついにフォースについて語り出すというのか。ここで若い主人公たちと観客は同じ目線に立ち、ソロの口から銀河が辿った運命について聞くことになるのだろうか。


 主人公たちの属すらしいレジスタンスの基地での場面も好き。フィンとポーの関係や距離感も気になるし、なにより背後にいるレジスタンス兵たちの服装が洒落ている。旧三部作の反乱同盟軍の雰囲気が米軍なら、今度のレジスタンスはWW2のヨーロッパ風という具合だろうか。帝国を倒し、共和制復活に近づいたことで旧共和国にあったヨーロッパ的雰囲気が反乱軍にもたらされたと考えることもできる。カーキ色の制服はシックで、可愛らしくすらある。
 「レン騎士団」はファースト・オーダーのより上位の機関だろうか(旧共和国におけるジェダイ騎士団のような?)。彼らはなんの目的で暗躍しているのか。そこでのカイロ・レンの立場とはなんだろうか。彼が率いるからレン騎士団なのか、レン騎士団に属すからカイロ・レンという名なのか。この予告編はまんまと「気になる」を増幅させてくれるとともに映画公開を目前に、新しい世界観がどんなものなのかを垣間見せてくれた。
 尚、TVスポットもかなりたくさん出ているようで、正直追いきれていない。どれも似たようなものなのだが少しずつ変化がありそこでしか観られないシーンなどもある。

2015/12/01

「スペクター」感想


 レア・セドゥがボンドガールをやるということでずっと楽しみだった007最新作「スペクター」。イラストの仕事の関係で試写を観させていただいたので、いちはやく感想をまとめてみた。
 今作は過去作へのオマージュというか、ボンドの伝統をたくさん踏襲している原点回帰。「カジノ・ロワイヤル」ではまだ新任のスパイだったボンドが「慰めの報酬」「スカイフォール」を経てようやく完全な007として完成したところで挑むのが今作なわけで、少し回り道をしてから昔ながらのスタイルの007映画をつくったといった具合。でもその回り道(ダニエル・クレイグ主演の過去三作は今までの作品とは異なり、ボンドの内面を掘り下げるのがテーマのひとつだった)があったからこそ、「スペクター」のボンドには人間的な存在感と説得力があるし、クレイグ版のシリーズを観てきた観客にとってはボンドがめちゃくちゃ成長して洗練されていることがわかる。一連の作品はボンドが007になる物語であったのと同時に、ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドになるための作品だったとも言えるのだ。「カジノ・ロワイヤル」のときは初の金髪ボンドに昔からのファンが難色を示したとかいう話を聞いたけれど、3作もかけて彼がボンドになっていく経緯を丁寧に描いたのは大正解だったと思う。すっかりボンド役が馴染んだところで、さあショーン・コネリー時代の悪役を復活させ、昔ながらの007を描こうというのだから丁寧すぎる。「スカイフォール」でマニーペニーやM、Qなど昔のキャラクターが再び揃った瞬間から、宿敵スペクターの復活も約束されていたのだと思うと、壮大な007復活計画だなあと思う。
 さて大好きなレア・セドゥだけれど、とってもかわいくて綺麗だった。少しエキゾチックな雰囲気も007の世界観にとても合っていたと思う。場面場面で着替える衣装も素敵でどれも似合っているし、着るものによって雰囲気ががらりと変わるのも魅力のひとつ。控えめな顔つきが、ニュートラルな魅力を持っているのかも。
 拳銃を握る姿も画になっていたと思う。ぼくはレア・セドゥという女優を「ミッション・インポッシブル:ゴースト・プロトコル」で知ったわけだけれど、初めて観たのもやはり拳銃を構えた姿だったから(そのときは報酬はダイヤのみという殺し屋だった)、ボンドガールとして再びその姿が観られて大変うれしかった。そういえば彼女、「イングロリアス・バスターズ」に台詞のないちょい役で出ていて、そのときもクリストフ・ヴァルツと共演(同じ画面に映っていた程度だけれど)していたんだね。ちょい役すぎて忘れてた。
 クリストフ・ヴァルツについては・・・悪役がとても似合うなあくらいの感想にしておく。
 今作はMI6の面々にも活躍の場が与えられていて、新任のMであるレイフ・ファインズも、詳しくは書かないけれど新鮮なアクティブさを見せていて良かった。Mやマニーペニーはオフィスで高見の見物をしてなきゃダメ!というファンも当然いるだろうけれど、それはやはり現代的なアレンジとして受け入れてもいいんじゃないかな。Mが指令を出し、マニーペニーとちょっと絡んで、出かけ際にQから新兵器(たまに珍兵器)をもらうのが昔の007のスタイルだったわけだけれど、新時代の007は仲間たちの支えがあってもいいと思う。組織の在り方の変化というのも、今作のテーマになっていると思う。
 そういう意味では007映画そのものが時代とどう付き合っていくかということも自問自答する作品だったと言えるかもしれない。スパイや「殺しのライセンス」といった、007のアイデンティティ自体が冷戦時代の遺物なのかもしれないが、英国が地上にあり続ける限り、これからもジェームズ・ボンド映画は作られ続けるのだと思うし、そう願うばかりだ。

「アントマン」感想


 9月の映画ですが、ようやく感想が描けた。。。
 マーベル・コミックのヒーロー達が活躍し、別々の映画でありながらひとつの宇宙を構築している「マーベル・シネマティック・ユニバース」。そのフェーズ2(第二段階)の最後の作品となる「アントマン」。「アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン」での壮大すぎる戦いのあとで、一体どんな映画がフェーズ2のトリを飾るのかとわくわくしていたら、なんと身長3センチメートルの小さなヒーローの物語だった。愛する娘を守るためにダメダメな親父が蟻サイズに縮んで戦う軽快な作品である。他のマーベル作品への伏線もきちんと張りながらも、全く他のを観ていない人でも楽しめるのではないだろうか。蟻サイズに縮むからこそのトリッキーな戦い方や、ギャグなどもとても楽しめる。一本の映画としてとても良いと思う。
 というわけなので、全体で見れば「エイジ・オブ・ウルトロン」のあとでの、ちょっとした休憩というか、息抜きのような作品なのかもしれない。ずっと深刻で壮絶な戦いばかりだとしんどいしね。ましてや来年は「キャプテン・アメリカ:シビル・ウォー」という、またしてもヒーローたちがグジグジと悩みそうな作品が控えているわけだし・・・。そういう意味でもこの「アントマン」はMCUシリーズ全体にメリハリを与えているし、マーベル・ヒーロー持ち前の「ノリ」も最大限生かせてると思う。
 とにかく楽しい。楽しいからこそ次回作「シビル・ウォー」のことを考えると憂鬱だが(「シビル・ウォー」への伏線も一応ある)。
 今後のアベンジャーズへのアントマン参戦に期待。特に原作やアニメーション作品でもお馴染みとなっているホークアイとのコンボ技、「先端にアントマンがしがみついた矢をホークアイが人が入れない隙間に撃ち込み通り抜けたところでアントマンが中の敵をやっつける」やつが見れるかもしれないと思うとわくわくする。

【営業報告】「Pen」007特集


・本日発売の「Pen」12/15号の「007」特集内にて、ジェームズ・ボンドのイラストを多数描かせていただきました。ボンドファッションについて高橋一史さんと尹勝浩さんが熱く語る対談記事となります。
 先月の美術手帖「スター・ウォーズ」特集に引き続き好きな映画の特集のお手伝いができて大変うれしいです。最新作「スペクター」も試写で観させていただきました。貴重な経験ができました。
http://www.amazon.co.jp/…/B…/ref=cm_sw_r_tw_dp_qEcxwb02A83ZM