2016/06/07

『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016)感想


 大きなアントマン目当てに観た。昨年初登場した『アントマン』はどこか仮面ライダー的な印象(ポール・ラッドも劇中で「ライダースーツ」という印象を抱いているし、ベルトに仕掛けがあったりする)だったけれど、今回はシルバーでメタリックな顔と、巨大化するということも手伝ってウルトラマンのようである。アントマンのキャラクターはとても好きなんだけれど、このようにどうしても日本の特撮ヒーローを連想するヴィジュアルなので、もう少し原作に近い要素が欲しかったなあ(原作はタイツにヘルメット、触覚など)。アメキャラ的なクドさというか、禍々しさが足りない。もちろんスクリーンで「ジャイアントマン」が観れたのは良かった。個性や世界観の異なるキャラクターをよくもまあここまで自然に共演させられるよなあ。
 「3人目」(トビー・マグワイア、アンドリュー・ガーフィールドに続き)にしてアベンジャーズ入りしたスパイダーマン。彼がいるとやっぱりマーベル・コミック!という感じが増すよね。子供っぽいところも今までのスパイダーマンで一番フレッシュ。彼らはにぎやかしなので、後半は退場しちゃうんだけれど、そのあとも結構余韻が続いてムードメーカーとしてちょうど良かったと思う。どういう原作をベースにするかは知らないけれど、スパイダーマンのソロ新作ではアントマンを絡ませることができないだろうか。アントマン、ワスプ、スパイダーマンという昆虫合戦、昆虫共闘なんかも観てみたい(蜘蛛は昆虫ではないが)。
 キャプテンだけでなく、アイアンマンの個人的事情にも踏み込んでいく物語なので、トニー・スタークの父親ハワード・スタークにもある程度スポットが当てられる。ドラマの『マッドメン』がわりと好きなので、ジョン・スラッテリーの出番が多いのはうれしい(ふわふわ若白髪にふてくされたようなとがった口が良い)。ハワードはアイアンマンの父でありながら、若い頃(戦時中)にキャプテンに盾を与えるなどしてサポートしている。ふたりの超人にとって父であり友人であるハワードは、ふたりを繋ぎ合せていながら、同時に確執の要因のひとつにもなっているわけだ。そこにウィンターソルジャーことバッキーとの関係なんかも入ってきて、こじれていく。
 不満や怒りが爆発して、最後には拳と拳がぶつかりあう対決になるのだけれど、本来戦うはずじゃなかったふたりの決闘というのは、なぜかスカッとするようなところがある。『スター・ウォーズ:エピソード3 シスの復讐』(2005)でアナキンとオビ=ワンがシリーズ最長のライトセイバー戦を繰り広げるところと似た快感を覚えるのだ。いいぞもっとやれと言いたくなる。この台詞はきっとそういう快感から発せられるんだろうな。別に暴力を求めているわけでも、流血を求めるわけでもない。友達同士だったからこそ、互いの不満が爆発している様が、一種のカタルシスに思えるのだ。

 マーティン・フリーマンの小役人キャラも忘れられない。今年の12月公開の『ドクター・ストレンジ』でベネディクト・カンバーバッチがマーベル界に参戦するが、これでBBCドラマ『SHERLOCK』のコンビがふたりともマーベル入りすることに(立場と世界観はまるで違うが)。なおかつシャーロック・ホームズを演じた役者がふたり揃う。