2016/08/16

"R2, don't leave me!"


 「お悔やみ申し上げます」とか「ご冥福をお祈りします」とかいう言葉は、ひとが旅立ったときに口にするものだけれど、正直ぼくはこういう特定の事象が起こった際に決まった言葉をオートマティックに口にするということに抵抗がある。きっとそれはぼくに一般常識が備わっていないのと、持ち前の天邪鬼な性格のせいかもしれないのだけれど、こういうオートマ言葉は自動的ゆえに言葉の中身があまり意識できないと思うんだよね。と、まあひねくれた話は置いておいて、「R2-D2だったひと」が亡くなったと聞いて、ぼくは真っ先に「R2, don't leave me!」という、『ジェダイの帰還』('83)でC-3POが発する台詞が思い浮べた。
 ケニー・ベイカーのことを「R2-D2だったひと」と認知してしまっていること自体、彼に対して誠実かどうかわからない。コメディアンとして頭角を出し始め、演技も認められつつあった彼は、若き映画監督に大金を積まれたためにその後の人生をこの金属のドラム缶の中に閉じ込められてしまった。もちろん銀河一優秀なアストロメク・ドロイドは彼のおかげで命を吹き込まれ(低身長なだけでなく、内部からドーム型頭部を動かすことに力が必要だったことも彼の起用の理由)ミッキー・マウスと肩を並べる(文字通り肩を並べている)アイコニックなキャラクターとなった。その中に入ったことに意義はある。けれど、彼の俳優としての人生のことを思うと、複雑である。
 彼の訃報と同時に彼R2-D2だった彼と、C-3POだったアンソニー・ダニエルズが不仲であったことを知った。ファンの間では常識に近いほど有名な話だったらしいが、知らなかった。いや、もしかしたら自分に都合の悪い情報としてシャットアウト、あるいはスルーしていた可能性もあるのだけれど、とりあえず事実として認識したのは訃報の際に友達から聞いてから。ああ、知りたくなかったなあ。最初は「三船敏郎がダース・ヴェイダーをやるはずだった」とかいうのと同じくらい、つまらないガセネタ都市伝説かと思っていたが、いろいろ読む限り本当らしいところが余計ショックで参ってしまった。
 R2は作を追うごとに特撮技術が進んだために、途中からひとが中に入らなくても動かせるようになってしまう(そもそもこのこと自体不憫に思えてならない。自分である必要があったから演じていたのに、その必要がなくなってしまうのだから)。ところが相棒のC-3POは一作目から昨年の最新作まで全作を通してトニー・ダニエルズが動きづらく視界の悪いロボット・スーツを着て演じている。ベイカーからすれば、キャラクターをずっと自分で演じることができているダニエルズが羨ましかっただろうし、ダニエルズからすれば自分のような苦労をしなくともコンビの片割れを演じた俳優として扱われているベイカーが気に入らなかったかもしれない(演じ方がどうであれ、2体のドロイドはワンセットで数えられるのだから)。でもダニエルズからすれば、ベイカー以外の役者との関係だってストレスに感じていたかもしれない。見た目は金色に輝く美術的フォルムであっても内部は劣悪、自分以外は誰もそんな環境で演技していないと思うと、誰だって陽気にはなれない。ダニエルズはベイカーにだけ冷たかったわけではなかったのかも。と、こんなことはぼくが心配するようなことではないのだけれど。実際にどうであったかはわからないのだから、知ったようなことを書くつもりもないしね。
 けれど、やはりこうしたアイコニックなキャラクターの、スーツアクターをやるというのは大変なことだ。俳優でありながら顔を出せない葛藤、一生(あるいは死後も)つきまとってしまうキャラクターの影、共演者たちとの確執‥‥‥。映画は楽しいし、キャラクターは愛らしい。だがその背景を知ると、「R2, don't leave me!」という気持ちは強いものの、R2ではなく、ケニー・ベイカーというひとりの人間として送り出さなければいけないと感じずにはいられない。さようなら、ケニー・ベイカー。