2016/09/30

『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』ノート(4)


 ティーザーに初めてクレニックが姿を見せたとき、白い制服ということでスローン大提督の代替キャラだと言う反応が多かったような気もするけれど、白い上着に黒いズボンというのは、やっぱり保安局だよなあ。ちなみにその後ディズニーXDのアニメ・シリーズ『反乱者たち』の新シーズンからスローン大提督そのひとが登場することになり(動いてしゃべるスローンが観られるようになったのはとても感慨深いのだけれど、それはまた別の機会に語るとして)、彼が正史入りを果たしたことから、クレニックが正史におけるスローンの代替であるという説は完全に潰された。
さて、帝国保安局(ISB)だ。彼らの主な任務は市民や軍人たちが皇帝に忠実かどうかを監視すること。諜報機関と秘密警察のような性格を併せ持つISBは各地で活発化していた反乱運動に目を光らせるとともに、身内である高官たちも絶え間なく監視していた。EP4のとき、デス・スターにISBのメンバーがある程度派遣されていたが、その真の目的は超兵器の指揮権を握ったことにより力を持ちすぎてしまったターキン総督の監視だった。ターキンはデス・スターによって皇帝をも凌駕する影響力を持ち始めており、それが君主の疑念を買ったのだ。このように白く冷たい制服に身を包んだISB将校たちは身内を見張ることも多く、敵だけなく、味方からも恐れられる存在だったのだ。実に嫌な仕事だね。
 ISBだけでなく、そのライバル機関である帝国情報部の人間もまた白い制服に黒いズボンを着用している。ISBに比べてこちらは作品内での影がだいぶ薄い。設定上でもライバル関係でありながら保安局のほうが情報部より規模を上回っていたとか。とにかく白服はこれらの機関の制服であるというわけだ。
 かりにクレニックが保安局の司令官だったとして、デス・スターと保安局の関係、その機密の重要性などから建造中の要塞で幅をきかせていても変ではない。劇中でクレニックは失脚、あるいはヒーローたちに殺されるかして、ISBの影響力が一旦薄れたところで、あのウィルハフ・ターキンが要塞における権限を掌握する、という形でEP4に繋がっていくのではないだろうか。
 わりといい線行っていると思ったのだけれど、よせばいいのにウーキーペディアなど見てしまい、そこに「クレニックは先進兵器研究部門の長官」などと書いてあってがっくり。「保安局のものに似た白い制服」とまで書いてあるから辛い。本当だろうか?それじゃこれまでのシリーズにおける白い制服との関連性が無いじゃないか。保安局の白い制服を使ってきたと思ったからこそスピンオフ作品として好印象を抱いたのに……。
 ま、まあ、あと2ヶ月半で真相は明らかになるのだから、ああだこうだ言っても仕方が無い。昨年のEP7考察の際にも書いたように、ぼくの考察が見当はずれだったとしても、あとでその見当はずれの予想を読み返すことが楽しかったりもするだろう。というよりそのためにやっているのだ。全然平気、平気だよ。

2016/09/26

『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』ノート(3)


 まさかこの中にデス・スターの設計図が積まれているということは……ないか。
 たとえば『新たなる希望』でレイア姫は設計図をデータとして「受信」するわけで、すると今作の戦士たちは一体どういう形でそれを「盗んだ」のか気になる。そもそもの設計図がどういう形状だったのかも、今作で初めて明かされるだろう。ぼくらが知っているのは、レイア姫がR2-D2の頭部に差し込むデーターカードのようなものや、ヤヴィンIVの秘密基地でドドンナ将軍がブリーフィングの際にパイロットたちに示す映像(デス・スターのクレーターの位置が実物と違う)、『クローンの攻撃』でドゥークー伯爵がジオノシースから持ち出すホロデータ・パッドくらいのものだ。重要度からしてむやみにネットワーク化されておらず、あえてアナログの形で管理されている可能性もあるし、建造中に参照されるはずの設計図の保管場所をわざわざ定期的に変えていたかもしれない。そうすると、カーゴ・ウォーカーでよいしょよいしょと運んでいても変ではない……なんてことを考えてみたけれど、どうだろうか。
 初代デス・スターの設計図がこれほど重要視されているのに比べて、『ジェダイの帰還』では第二デス・スターの情報はかなりすんなり扱われているよね。あれは皇帝がわざと漏洩させたもので、さらにそれを巡ってボサン・スパイをはじめとする大勢の味方が犠牲になったという言及もあったけれど。さらに昨年の『フォースの覚醒』では設計図とか情報戦とかいうものは一切触れられず、いきなりスターキラー基地の全容がレジスタンスの作戦室に映し出される。一応、グレッグ・グランバーグ演じるスナップ・ウェクスリーが偵察して得た情報を、脱走兵であるフィンが補足するわけだけれど、どうしてあんなに簡単なのか(きっと『ローグ・ワン』を観たあとはより一層スターキラー情報の軽さが際立つだろうな)。
 胴体をちょっとアレンジすることでAT-ATの派生版はいくらでも創作できそう。

2016/09/24

『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』ノート(2)


 だいぶスローペースでの更新になるけれど、とりあえずメイン・キャラを。マッツ・ミケルセンの役名は「Galen Erso」で、てっきり「ギャレン」かと思われていたが、公式プレスによれば「ゲイリン」だそう(今後表記がブレる可能性もあるけれど)。モン・モスマを加えたのは、彼女がいるだけで途端に旧三部作感とスピンオフ感が増すだけでなく、演じているジュネビーブ・オライリーが、登場シーンは削除されているものの『シスの復讐』(EP3)からの続投だから、特に描いておきたかった。こうして新シリーズがプリクエル三部作の世界観と繋がってくるのは個人的にはうれしいところだ。
 旧三部作からは、最新の予告編においてその後ろ姿だけで多くのファンを興奮させたダース・ヴェイダー(声は旧作同様ジェームズ・アール・ジョーンズ)も登場する上、デス・スターの指揮官となるウィルハフ・ターキンの登場の噂(フルCGによる故ピーター・カッシングの再現?)もある。ただ、オーソン・クレニックの立場と重複する恐れもあるのでそこまで多く登場しないような気もする。
 また、フォレスト・ウィテカー演じるソウ・ゲレラはアニメ・シリーズ『クローン・ウォーズ』にも登場している(フォレスト・ウィテカーとは程遠いヴィジュアルだが)。このキャラクターはスピンオフ作品では大変珍しいことにジョージ・ルーカス本人によって生み出され、チェ・ゲバラをイメージしているとか。今作への登場はそんな特別な誕生背景が影響しているのかもしれない。プリクエルだけでなく、『クローン・ウォーズ』ともリンクするところに、ユニバースの広がりを感じる。
 初めてSWのメイン・キャラクターとなったアジア人として、ドニー・イェンを応援したいところだ。盲目の棒術使いといういかにも東洋的な設定な上、自身にはフォースの素質がないものの、ジェダイとフォースを信仰しているという点は興味深い。ジェダイが登場せず、普通の人々が持てる物だけで戦う今作において、彼らの目にこれまでぼくたちにとって主人公でしかなかったジェダイという存在が、どのように映っているのか。
 こうして描いていて思ったのはヒゲが多いってところ。ちょっとむさい(かっこいいけれど)おじさんたちに囲まれているせいでフェリシティ・ジョーンズがとても際立っちゃうね。


2016/09/16

『ゴーストバスターズ』(2016)



 友人から「『ジャングル・ブック』と『ゴーストバスターズ』の新作は旧作の方(『ジャングル・ブック』に関してはアニメ版)を観てからのほうがいいのか」と聞かれてちょっと悩んだ。
 『ジャングル・ブック』はあとから昔のアニメを観て、その映像の違いを楽しむのも有りだろうし、『ゴーストバスターズ』だって予断無しで観ても楽しいかもしれない。ぼくはどちらも観たことがない彼を非常に恵まれていると思った。「初見の特権」があるからだ。別に韻を踏んでるわけじゃあないのだが、予備知識無しで初めて観たときの衝撃や興奮というのは予備知識無しで初めて観たときにしか味わえない。それはとても尊いもので何人たりとも侵せない特権だ。これだけかつての名作の続編やリメイク作が量産されるところまで来てしまった現代において、当の名作がまだ未見であるということがいかに幸運なことか。『スター・ウォーズ』が未見のひとがうらやましいくらいだ(というのは嘘ななんだ。これだけ積み重ねてきた自分とSWの関係はやはり何物にも代えがたいので)。
 件の友人には「オリジナルを未見のままでも楽しめるけれど、余裕があれば旧作を観といてもいい」と伝えたものの、『ゴーストバスターズ』に関してはまだ少し考えてしまうところがあった。オリジナル作のキャストたちによるカメオ出演である。
 正直とてもカメオとは言えないレベルで際立っていた。ひとりひとり丁寧に見せ場があって、特にビル・マーレイはもはや立派な出演者のひとりである(あれは別格だろうけれど)。で、気になったのはこれをオリジナル未見のひとが観たらどう感じるだろうかというところ。いちいち名も無いタクシー運転手のおじさんにカメラが寄って、ほかの観客が喜びの声をあげたりしていたら、困惑するのではないか(さすがに察するだろうけれど)。本来はもっとさりげない、本当にカメオな登場の方が初見のひとも違和感なく観れるし、ファンは見つけてこっそり喜ぶってことができるから、いいんじゃないかなあと思っちゃうわけだ。カメオ出演だと思わなければいいのかな(ここは土曜の夜のコントに現れたゲストのようなものだと思うのが作品のルーツにも合う)。ともかく初見のひとがあれをどう感じるのかなあと、気になったのよ。
 カメオの是非はそれくらいにして、その登場の仕方は全員ベストでしたね。ここぞというところで現れるのが小憎い。個人的にはアニー・ポッツ目当てだったので、まだかまだかとスクリーンに眼を見張らせていた。ダン・エンクロイドもシガニー・ウィーバーもハマっていたし、アニー・ハドソンも良い役どころだった。故ハロルド・ライミスまでいるのがなんとも(ちなみにオリジナル・キャストの中では一番最初に登場する)。引退してしまったリック・モラニスを除いてちゃんと全員揃ってるところがうれしい。ただ、その圧倒的な存在感ゆえに上で書いたようなことが懸念されちゃうんだけれどね。
 ケイト・マッキノン扮するホルツマン博士はオリジナルでライミスが演じたイーゴンのに相当する、バスターズの装備を開発するポジションなのだけれど、そのヴィジュアルがアニメ・シリーズのイーゴンを意識しているところがマニアックだったな。アニメのイーゴンの髪型、これどうなってんの?て思っていたけれど、実写化するとああなるのね。
 そういったところからも、シリーズへの愛に溢れていたし、今日の映像技術によって再解釈もしてくれる作品になっていたと思う。3D環境で鑑賞すると、まるでディズニーランドのホーンテッド・マンションのような、幽霊アトラクション気分が味わえるし(冒頭が幽霊屋敷で始まるのもその感覚にぴったり)、「半透明で発光するゴースト」というのは3D映像との親和性が高い。新しい映画体験ができるとともに、改めて旧作の良さも際立つという感じ。一作目を久しぶりに観たら、やっぱりアニー・ポッツが可愛かった。

2016/09/11

『スーサイド・スクワッド』(2016)感想


 バットマンの敵が魅力的なのは、宇宙からやってきた異星人だとか、チートパワーを持つ超能力者、ミュータント、北欧神話の神様などとは全然関係なく、基本的に(一概に言えないものの)マフィアやギャング、知能犯、殺人鬼、怪盗、科学者、精神異常者などといった普通の生身の人間だっていうところ。ラーズ・アル・グールやベインといった特殊なやつもいるけれど、もっとも有名なメイン・ヴィランの面々を思い浮かべれば、その趣向が超人揃いのマーベル・コミックとは違うことが明白だろう。そもそも、当のバットマンも財力と知能に支えられた、普通の人間というところがいちばんの魅力と言えるだろう。そうして、同時に彼もまた彼の宿敵たちと一歩間違えれば同類だというところがおもしろい。
 ジョーカーとハーレイ・クイン。まあ簡単に言ってしまえばアンパンマンで言うところのバイキンマンとドキンちゃんみたいなものなのだが、この狂気のカップルが実写映画で再現されるのは個人的に感慨深い。カートゥーン・アーティストのブルース・ティムによって生み出され、その完成度によりアニメーション・シリーズから原作のコミックに逆輸入されたという異色のキャラクター。なによりハーレイのキャラクター性、造形が優れているのは、わりと最近創作されたにも関わらず、あたかも昔からバットマン・コミックに登場していたかのような風格があるところだ。60年代のアダム・ウェスト主演のTVドラマ・シリーズに、シーザー・ロメロが演じるジョーカーの傍に彼女の姿がないことが逆に不思議なくらい。それだけゴッサム・シティの世界観にぴったり馴染むキャラクターだったのだ。
 本作でヴィジュアル的にふたりのツーショットが観られたのには満足で、有名なアートワークなどの構図を丁寧に丁寧に作り込んでいた印象。しかし、その分キャラの中身にやや違和感を覚えた。ストーリーや敵はともかく、とにかくジョーカーとハーレイの描き方には、いろいろ思うところが出てきてしまう。好きだからね。ジョーカーに性的なイメージを持ってくるのも、ハーレイが他人を説教するのも、ありかもしれないけれど、ぼくはあまり好きじゃない。そしてなにより、ハーレイがジョーカーに首ったけなのは当然だが、ジョーカーの方もやや気があるのがちょっとね。実際ジョーカーがハーレイのことを本当はどう思っているかはわからないほうがいいと思う。マーク・ハミルが声を当てるアニメやビデオ・ゲームのジョーカーはハーレイに優しくしたり、と思ったら高いところから突き落としたり、厄介者邪魔者扱いしたり、罵倒したり、良い具合に本心がよくわからない。あの関係がとても良いのだ。その方がジョーカーらしい。そもそも、道化王子が本当に愛している唯一の相手はバットマンでは、と考えてしまうのはぼくだけだろうか?
 ハーレイのデザインについては好みでしかないから文句を言ったって仕方がないけれど、ぼくはコミックやゲームにおいて、彼女がどんどん道化の格好から離れて、道化の頭巾を意識した(?)ツインテールヘアで際どい服装をしたお姉ちゃんになっていったのが結構不満だったので(なんか、グレたアヴリル・ラヴィーンって感じ)、その流れの延長にある今回のデザインはどうしてもね。
 それで、ハーレイのかわりに魅力を感じたのはカレン・フクハラ扮する女侍、カタナ。名前がストレートすぎるものの、ジャパナイズ・キャラには珍しくわりとリアルな特攻服風の衣装が好感を持てるし、ぼくはもともとパーティにひとりだけいるアジア人ががんばるというやつが好きなので(ドラマ『ウォーキング・デッド』のグレンとかが記憶に新しい)、応援したくなっちゃう。唯一のアジア人にして、さらに唯一自分から決死隊に志願した、悪党ではない戦士と来れば応援しないわけがない(「全員悪党!」という宣伝文句に物申したい)。
 シンプルな日の丸お面のデザインも斬新だけれど(日の丸のデザイン性に依るところが大きいが)、あの切れ長な目穴によって彼女の瞳が際立っていることに、観ていて気づいた。瞳の動きによっては白目の面積が広くなって、それがお面の穴から覗いているのでまるでコミックのキャラクターの目のように見えるところがなんともかわいい。それも含めて、向こうの人が好きそうな日本性を体現しているんだな。好き。
 なんだか愛憎入り混じってしまったけれど、やっぱりジョーカーが高笑いしながら暴力を見せつけるシーンにはテンションがあがるし、ジョーカーと、まだ精神科医ハーリーン・クインゼル博士だったときのハーレイがカウンセリングを通じて出会うシーンも観られたのはファンとして素直にうれしかった。コミックの映画化において、なにが正解かはわからない。コミックとしての魅力と映画としての完成度を両立させるのは難しいだろうけれど、どちらかが疎かになってしまってもよくない。ひとつだけ確かなのは、原作すら様々な姿形を持っている作品の映画版となれば、それは神話のようにいろいろな異なるスタイルを持って当然ということだ。この映画もまた、ジョーカーとハーレイを描いたひとつの例と言えるのではないだろうか。さらに、また違ったふたりの可能性にも思いを馳せることができる。
 DCはDCの道を行けばいいのだから、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の真似などしなくてもいい!

2016/09/08

『X-MEN:アポカリプス』(2016)感想


 舞台が1983年という時点ですぐに『ジェダイの帰還』の公開年であると連想しなかったのは、我ながらまったく不覚の至りだった。劇中ではジュビリーやジーンたち、若いミュータントたちが上映中の『スター・ウォーズ』完結篇(まさか33年経っても結局完結していないとは思いもしないだろうな)を観に行くが、鑑賞後にジュビリーが前作『帝国の逆襲』('80)に比べるといまひとつだったと漏らす。それを受けたジーン・グレイの発言はイラスト記事にある通り。ジーンの発言そのものはイウォークもジャバ・ザ・ハットも大好きなぼくにとってはいただけないものの、X-MEN映画の前シリーズ三作目『ファイナル・ディシジョン』('06)に対するブライアン・シンガーなりの皮肉だったり、あるいは本作『アポカリプス』そのものに対する開き直りとも取れる。いずれにせよ、このくだりの時点で観客であるぼくの気分もなんとなくジュビリーたちにシンクロしはじめていた。どうしたって前作『フューチャー&パスト』('14)と同じもの、あるいはそれ以上を期待しちゃうよね。しょうがない。病気みたいなものだ。
 三部作の中間作として『帝国の逆襲』が名作であるように、『フューチャー&パスト』も全体の真ん中に位置したジョイントしての役割を果たし、そのトリッキーな展開にはとても驚かされ、とても楽しかった。だから同じテンションのものを期待しがちなのだが、そこは『ジェダイ〜』に『帝国〜』を期待したジュビリーと同じ「過ち」というやつだ。あくまで「転」は中間に位置する作品の役割であって完結篇の役割ではない。最終章に求められるのはもっとストレートな展開と、大団円だろうと思う。このことを考慮すると、本作は本作なりの色があったなあと思えてくる。ただ、とにかくぼくは『F&P』が好きすぎたんだな。こればかりはしょうがない。
 それから思い描いていたのと少し違ったのは、時代感だろうか。新シリーズではこれまで60年代、70年代と魅力的で同時に不穏な時代を再現してきた。それぞれの時代の色彩、ヒストリカル・イベント(キューバ危機やベトナム戦争は大きな要素だった)が物語を補強していたのだが、今回はそれがちょっと薄い。『ジェダイ〜』と、あとは『パックマン』のゲームくらいだろうか。ジュビリーのファッションもそれっぽいが、彼女はいつの時代もああいう格好のような気もする。ブライアン・シンガーが別に80年代に思い入れがないとか?アポカリプス降臨というストーリー上、史実的事件は特に必要ないのだけれどね。
スタン・リーのシーンは、スタン・リーであることを生かしていてとても良かった。彼のトレードマークであるサングラスがこういうふうに効果的に使われるとは、想像もしなかった。

2016/09/01

『 FRAPBOIS × MIZMARU LIVE PAINTING』


 9月10日(土)に原宿・表参道・青山一帯で開催される『VOGUE JAPAN FASHION'S NIGHT OUT 2016』では、コラボ中のFRAPBOIS青山店にてライブペインティングを行います。お買い上げいただいたお客さまのショップバッグに簡単なドローイングもさせていただきます。ドリンクもサービスしていただけるそうです。ぜひお越しください。 

『 FRAPBOIS × MIZMARU LIVE PAINTING』 
期間:2016年9月10日(土)18:00~21:00 
場所:FRAPBOIS青山店 東京都港区南青山5-3-10 フロムファーストG 
TEL:03-5464-9198