2017/02/05

日記:2017/01/23 - 31

2017/01/23 月

 『ブレード・ランナー』の続編監督の最新作『メッセージ』の試写。おせんべいみたいなシルエットの宇宙船が世界各地に出現して地道に外宇宙の言語を翻訳する物語。とても良かったので原作の短編小説が読みたい。普段『スター・ウォーズ』ばかり吸って生きているぼく、SFというジャンルは本当にいろいろな形が、ほぼ無限の可能性があるんだなあと思い知った。

2017/01/24 火

 日付の上ではクリスマス・イブから一ヶ月しか経ってないのだが、年をまたいでいるせいか遠い昔に感じる。というか、一月がとても長く感じる。ようやく下旬に差し掛かったか。
 もっと文章や創作力を磨きたいということで連日小説っぽいものを書き散らしている。どうも肩に力が入ってしまい、少しは創作をブログやサイトに載せたいのでそれ前提で書こうとすると全くうまくいかない。絵と同じでたくさん落書きをしなきゃだめだよなと思いつく。思えば中学高校の頃は絵の落書きと同様に文章の落書きもしてたよなと。書けた先から当時よくインスタント・メッセンジャーでやり取りをしていた小説家志望の友達に見せたりしてたのだけれど、ああいう、書いた先から見せられる相手がいるっていうのはかなり良い環境だったんだなあ。ふたりともいきなり長編を書き始めようとするので、お互いに長編(になる予定のもの)の冒頭部分ばかり送り合っていた。だから互いの受信フォルダには「プロローグ」とか「第一章」と名付けられたテキスト・ファイルばかり山ほど溜まっていただろうと思う。
 この日記も文章を書く習慣を失わないためにやっているのだけれど、なんでもない話をどんどん書いて練習したい。
 ところで新年に設定した理想の生活、「深夜まで起きない」は全然実現できない。こんなこったろうと思ったよ。いいのいいの、抱負や目標じゃなくて、理想だもん。まあ、だからこそ実現できないのだろうけれど。

2017/01/25 水

 特筆することなし。犬の顔がまた歪んでるように見える。今度は前とは反対側が麻痺しているのかもしれず、耳に力が入っておらず、まぶたの反応がにぶい。だからってまた同じ検査はできないし、たぶんする必要もないだろう。
 
2017/01/26 木

 ツイッターのトレンドの内容など覗くべきじゃなかったんだ。読みたくもない見知らぬ大勢の便所の落書きみたいなものを読んでいる場合じゃないんだ。まったく、本来自分とは絶対に仲良くならなそうなひとの書いたもの読むなんて、この世で最も不毛なことじゃないか。道徳や倫理より株価を大事にするひととか、病的な韓国アレルギーを発症して自家中毒に陥ってひたすら憎悪を増幅しているひととか(前者のほうがマシ)。インターネットは大好きなのだけれど、こういうところには気が滅入る。まあ、車を運転していて事故に遭うようなものだ。

2017/01/27 金
 
 『ラ・ラ・ランド』の記者会見だったので、見聞きしたものをイラスト・レポートにまとめていたが、ライアン・ゴズリングの表情は難しい。まゆげの雰囲気を描くのに何時間もかかって夜中の更新となった。でも、悩みながら時間をかけただけあって、顔の特徴をとらえられている、まゆげが特にいいというようなお褒めの言葉をもらった。伝わってよかった。
 
2017/01/28 土

 犬の体力が有り余っているらしいので、電車でふた駅くらいにある大きい公園に出かける。しかし犬を疲れさせるつもりが帰りにはぼくがへとへとになっていた。
 公園のそばには大きな団地群があったが、八百屋や雑貨店、保育園も揃っているところだった。昔の団地はこれ以上になんでも揃う環境で、完結したところだったと聞いたことがあるけれど、こういうことか。こりゃ外に出る必要がなさそうだ。ぼくの好みではないが。
 そういえばうちのばあばも団地っぽいところに住んでたことがあったな。例の金属の扉はばあばの家って感じ。

2017/01/29 日

 なにがあったか全然覚えてない。サザエさんの内容も覚えてない。

2017/01/30 月

 重要なイベントが翌日に控えていて神経がまいっていた。お腹が痛い。どうしよう。

2017/01/31 火

 『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』のティム・バートン監督来日記者会見だった日。この日に備えて原作も読んでいた(まだ上巻の途中だけれど)。
 子供の頃からの憧れの人物を直に見られたのはうれしかったけれど、この日の会場はずいぶんぴりぴりとしていた。不機嫌なおじさんたちがわざと聞こえるように不平不満を漏らしているかと思ったら怒鳴り声まで上げているおじさんもいた。どうやらテレビ等の映像を撮影するひとたちらしいのだが、撮影は陣取る場所が重要なので、そのことでもめているようだ。主催側の段取りが悪いだの、列に並ばせている意味がないだの、待ち時間が長いだの、席数が足りないだろ馬鹿野郎だのという言葉が、質問内容をまとめているぼくの頭上を飛び越えていく。この時点で緊張と不安でいっぱいだったのでもはやぼくは泣きそうである。どうしてこうも柄が悪いのか。態度が大きいのか。自分たちが撮ってテレビで流さなくてはこういった会見も意味がないと言わんばかりである。バートン監督が来てるんだぜ?頼むからやめてくれよ。
 こんなに緊張したのは去年の結婚式以来だった。もう、本当にあがり症が改善されなくて困る。自分が指されるまでの時間ずっと張り詰めているので、ほかの質問に対するコメントを聞き取るのも難しいくらい。そうして自分の番が来ると、今度は自分がなにをしゃべっているのかだんだんわからなくなってしまう始末。だいたい途中で言うべきことを最初に言ってしまうなど、話す順番が狂ったりして大変いびつな質問になった。よく考えればぼくの日本語は通訳のひとによって翻訳されるので、どれだけつっかえつっかえ、下手くそに話しても監督自身にはそこは伝わらないんだよな。そこまで焦らなくてもよかったのだが、そんなことを考える余裕もなかったってこと、ぼくを知っているひとならわかるよね?「ティム・バートンに向かって質問している」という状況にパンクしちゃってたんだから。
 でもちゃんと丁寧に話してくれてよかったなあ。恐らくは他の個別インタビューで何度も繰り返してきた同じコメントなのだろうけれど、ぼくの質問に答えてくれたことには変わりない。なによりティム・バートンという存在が、ぼくの中でちゃんと生きて実体を持つ人間になったことが大きい。映画のオープニングで流れるテロップの名前や、一生接することのない神様のような存在ではなく、ちゃんとそこにいる人間になったと思う。
 生きていれば、またどこかで同じような機会、あるいはたくさんいる記者のひとりではなく1対1で対面する機会が、あるかもしれない。思い上がっている?でもそう思いながら生きていったほうが楽しいよ。