2018年5月22日

勉強の時間

 アニメ「キテレツ大百科」にこんなエピソードがある。
 商店街に新しく出来た塾が誰でも受けられる力試しの学力テストを実施するというので、キテレツたちは受けることにするが、ブタゴリラに馬鹿にされてむきになったコロ助まで参加すると言い出す。
 コロ助の知能は幼児レベルで、自分の名前を書くのがやっとだ。案の定テストは全く出来ず、名前だけ書いて白紙で提出するが(氏名欄に書き込むフルネームが「木手コロ助」なのが可笑しい。じゃあドラえもんは「野比ドラえもん」なのか)、後日結果発表でなんとコロ助がいちばんの成績となったことが知らされる。
 この作品特有の少し不穏(SF)でミステリアスな展開となるわけだが、先に真相を言うと、コロ助の白紙の答案用紙に解答を書き込んだのは、塾が入っているビルの清掃員のおばさんだった。
 彼女は子どもの頃病気がちで、大人になるまでにあまり勉強ができなかったので、小学生レベルから自分で勉強し直しているという。
 自分の実力を知りたくなり、コロ助が馬鹿にされているのを見て不憫に思ったのもあって、彼の答案用紙を使ったのだ。
 
 アニメの「キテレツ大百科」はこういう、「ドラえもん」には無さそうな社会感みたいなものがある。大人たちに焦点が当てられることが多いのだ。なにか問題を抱えていたり、特殊な状況下にある大人たちと出会うことで、キテレツの発明品が役立ったり、コロ助がひとの心に触れたりする。
 キテレツたちの冒険は、のび太たちのそれのようにファンタジックな場合もあるけれど、大人の世界の一端を知る現実的なものであることが多い。

 アニメの話はこれくらいに。なんの話かと言うと、ぼくは改めて勉強し直したほうがいいかもしれない。
 基礎的な技術がないまま絵を描き続けて壁にぶち当たるのと同じように、基本的な教養がないまま生きているとなにかと辛いことも多い。なにかしっかりしたコアが作れていないような不安な感覚。自己肯定感の不足がそこにあるかどうかはわからないけれど、なにか重要なものが抜け落ちているのではないかという気が、前からあった。

 コロ助が出会った掃除のおばさんもきっと、子ども時代の重要な時期が丸々抜け落ちていて、人並みに勉強ができなかったばかりに失ったもの、与えられなかった機会というのがあるのだろう。おそらく40代くらいのひとだったと思うけど、小学校の教科書からやり直すことで彼女なりに自分の境遇を受け入れ、前に進もうとしているのだ。

 ぼくは病気で学校を休みがちだったわけではない。ちゃんと通っていたにも関わらず、知らないことや覚えていないことがあまりにも多い。
 学校が好きか嫌いで言えば、結局のところ嫌いだ。小学校の6年間は膨大な長さに感じられたし、中学の3年間は普通に体感する6年間くらいに思えた。常にはやく家に帰りたいと思って過ごしていた。
 
 小学校は廃校寸前のようなところで(今もあるので寸前ではなかったわけだが)ぼくの同級生は5人以下、いずれも男子、全校生徒はぼくが通っていた6年間のうち最多で40人前後というところだった。
 だんだん薄れ始めている記憶を探ってみると、なんだか幼稚園みたいな小学校だったような気がする。少人数で先生との距離が近すぎるあまりに緊張感が皆無で、逆に勉強に不向きな環境に感じられた。騒々しかった。
 普通の教科以外のイベントが多すぎたような気もする。ぼくの世代が特定の呼び方をされることと関係しているかどうかはわからないが、やたら身体を動かす時間があったり、土いじりをするだの、近所の老人や同級生の親が授業の真似事をする時間だの、そういうのが多すぎたと思う。
 同じ環境下でしっかり勉強できている子もいたのだから(主に違う学年だが)それは言い訳だ。どの教科も決められた時間だけ授業があったはずだし。自分の無学を世代のせいにするのもよくない。
 
 中学にあがると、環境が大きく変わった。
 クラスメイトの人数が一気に40人になり、教師との距離は12パーセクくらいになった。少人数の牧歌的な小学校から、急に普通の学校に放り込まれて困惑するばかりだった。
 家から遠いのも不安だった。小学校は親が顔を出す機会が少なくなかったし、単純に家が近いからなんとなく安心感があった。それが小さい学校の欠点でもあったのだろうけれど、中学校での心細さと言ったらなかった。

 もちろん授業はついていけなかった。
 小学校のときは目の前に先生がいて、わからないことがあったら聞けたし、先生も全員がわかるまでひとりずつに説明してくれた。40人の教室ではそうはいかない。主張の強いやつが教室の空気を操作するし、先生もそういう子しか相手にしない。少なくとも自分から質問する子しか気にかけない。もちろんそうでなければやっていけない仕事だ。
 ぼくはまずなにを質問すればいいかさえ見当がつかなかった。自分がなにがわからないのかもわからない。教室が小学校のときとは比べ物にならないほど騒がしかったことを言い訳にしたくもなるが、ぼくはあまりに集中力がなかった。大騒ぎをしている子たちが学校とは別に塾に行っていてちゃんと勉強ができているということを知っても、その理不尽な感じを説明する言葉がぼくにはなかった。

 もしこれら諸々の悩みを両親に伝えられたら。伝えたところでなにかが変わったかどうかはわからないけれど、なにかを主張したほうがよかったような気がする。非常に辛く、この現状がとても嫌であることをはっきり、強く訴えるべきだった。
 かりに思っていることや感じていることをちゃんと言葉にして伝えることができたとしても、当時のぼくはそれをためらったことだろう。両親はあの中学に行かないほうがいいと、前もって言っていたのだ。
 どういうことかというと、ぼくの家は学区のいちばんはずれにあり、隣の街の中学のほうが近かった。だからそっちに行けと。
 ぼくにその気があれば両親は学区外に進学できるようになんとかするつもりだった。でも中学校がどんなものかわからず不安でいっぱいの小学生が、知らない子ばかりのところに行きたいと思うだろうか。少なくとも学区内の中学には知っているやつが数人行くのだし、上級生にも知っているひとがいるのだ。
 今思えば同じ小学校のやつなんか全然つるまなくなるのだから、両親の言う通りにしておくべきだった。小学校では明らかに浮いていたのだし、いずれここではないところで話の合うひとたちと一緒になれるはずだ、と思っていたじゃないか。
 そんなわけで、たかだか数人の「知り合い」のためにビフ・タネンが改変した1985年みたいな中学校に進んだのだった。同じ小学校のやつがいるということが、そのあとでなにかプラスに働いたことなんか一度もない。
 こんな学校は嫌だ、どこかよそへ行きたい、と言い出せなかったのはこのためだった。自分でこっちを選んだのだ。
 後に弟は両親の言うことをちゃあんと聞いて、平和な隣町の中学に行くのだった。田舎のひとというのは前例ができると行動しやすくなるらしく、弟の進学で使われた方法を真似て、その後どんどん学区外に進学する子が増えるのであった。

 やや話がそれたが、ぼくはそういうわけで完全に中学の勉強についていけなくなった。もっと悪いことに、勉強するということに興味が抱けなくなり、家に帰ってもインターネットで『スター・ウォーズ』のことばかり調べる日々になってしまった。
 その日々で得られたものもある。それが今の自分の財産になっているのは言うまでもないが、もう少しその時間を自分なりの学習時間にあてられれば、もう少しはましな人間になれたかもしれない。少なくとも奥さんに漢字の読み間違いを呆れられない程度には。
 中学3年間を通して、自分は馬鹿で出来が悪いと強く自覚していくことになる。インターネットで話し相手は得られたけれど、みんな頭がよくて、やっぱり劣等感ばかり強くなるのだった。誰からも馬鹿にされていた。
 
 もちろん自分の問題だろうけれど、だからやっぱりその時期の学習というものが抜け落ちているからこそ、なにか自分に芯のようなもの、土台のようなものが見出せないのではないか。なんとなあく絵が描けるというだけでやってきていて、半端で偏った知識でごまかしごまかしやってきているままでは、いずれ行き詰まる。絵の技術を磨けば、それに関しては壁に当たらないで済むかもしれないけれど、基本的な教養が欠けているままでは、人間として行き詰まるのではないかという不安がある。
 
 例の掃除のおばさんが同じような不安を覚えたのかどうかはわからないけれど、ぼくも今からでも全くダメだった時期の勉強をやり直してもいいのではないか。調べれば世の中には大人向けのそういう復習本があるようだ。学校の教科書以外にも勉強を補助する本がたくさんあるということに、中学生のぼくはもっと注目すべきだった。
 あるとき妻がこんなことを言った。
「あなたは本当は頭がいいはずで、それなりに勉強すれば大学などいくらでも行けた」
 少し無責任な言葉にも聞こえたが、同時にぼくの奥底にあるなにかをかき立てもした。本当は頭がいいと言われて舞い上がったわけでは全然ない。永久に失われたように感じていたものを取り戻せるのだという予感だ。彼女が適当なことを言っていなければ。
 そうなると、年を取ってから大学受験するひとの気持ちもわからないでもない。勉強する機会を取り戻したい、そしてその成果を確かめたいのだ。
 別にぼくは今更大学に行く気はない。妻が大学と言ったのはあくまで基準としてだ。だから学歴にこだわっているわけではなく、ただひたすら中学3年間を中心とした無力感を埋め合わせたい。覚えられなかったことを覚えることで、果たして自信がつくのかどうかはわからないけれど、なにが欠けていたのかをまず知る必要がある。
 そうすることで中学時代の問題と向き合うしかない。不遇を嘆くばかりでなく。
 もちろんちゃんとできれば、そのうちに成果を確かめたくなるかもしれない。掃除のおばさんがコロ助の答案用紙を出来心で使ったように。
 とりあえずは子供の勉強を手伝えるくらいになればいい。