2018年8月3日

もうここらでいいんじゃないか

 画像系のSNSはまだ感覚的に楽しめるところがあるが、テキスト系はもはや読んでいられなくなった。どうしてかはうまく説明できないが、なんとなく他人の思考が垂れ流しになっている様を見続けるのはぼくのような人間にとって楽しいものではない。

 自分はそういったことは書かない、なんて言えば嘘になるが少なくともぼくは自分が楽しいと思えることしか書かないようにしているし、たまに苛立ちに任せて書き散らしたことがあってもわりとすぐに消してしまう。書き込みを削除することが無責任と思われることもあるらしいが、ぼくはSNSを管理されたブログと同様に見ているところがあり、だからこそついつい体裁を整えようとしてしまう。本来はもっと感覚的なツールなのだろう。SNSは深く考えたらだめだ、というのはうちの妻の言。確かにそうだ。ホームページやブログのように作品的な性質はそこにはないのかもしれない。しかし、あまりにも考えなしに使うひとが多いからこそ、「こんなこと」になってしまったのではないか。「こんなこと」がどんなことかはあえて言うまい。

 端的に言えば、他人の不平不満を読むことに疲れた。世の中の理不尽さに対する不満や問題提起は、なるほどその通りだと思えることは多いが(そもそも大抵のことは同意見の人間しかフォローしていないのだから当たり前だ。そうやって考えを精鋭化してしまうのもSNSの特徴だろう)、同意できるというだけで胸の中には嫌なざわめきが起こるし、残る。なによりまずいのは、こちらがそういう気分でない、そういったものを読む準備ができていないときにも、それは次から次へとこちらに流れ込んでくることだ。受話器を取らなくとも問答無用で不特定多数の不満の声が、こちらの都合などお構い無しに聞こえてくる電話を想像してみるといい。気が狂いそうだ。

 もちろん目を向けなければならないことは山ほどある。人間として無視できないことも多い。しかし、あらゆる不満や問題が可視化された世界にやって来てわかるのは、それらはいち個人が漏れなく関心を持つにはあまりにも膨大すぎるということだ。そこに一貫した考えを持つよう言われても到底無理な話である。

 情報過多で疲れ切ってなにも読みたくなくなっている人間を、まさか無関心だと非難はできないだろう。いや、できてしまうのか。

 とりあえず自分自身の日々を楽しむことに専念したい。