2019/09/24

好きな音楽について

 好きな音楽について聞かれるとき、ほとんどの場合ごまかしている。あまり聴かないとか、まあいろいろととか、適当に言っている。とは言え別にそれは嘘ではない。あまり熱心に聴く方ではないし、いろいろはいろいろだ。それでも一応好きなものはあると言えばある。ではどうしてはっきりそれを言わないのかと言えば、単純にバカにされそうだからである。我ながらくだらない理由だとは思う。現にぼくはひとからどう思われようが気にせず好きなことに打ち込んでいる方だ。しかし音楽に関してはどこか気恥ずかしいものがある。

 これはひとえに過去に好きな音楽を否定された印象があまりにも強いためだと思うのと、ちょっと周囲に詳しい人間が多すぎるというのがある。そこに比較的耳の肥えている両親やN響でヴァイオリン弾きだった祖母、音感の良い弟という家族構成が関係しているかどうかはわからないが、少なくとも友人には音楽が大好きでひとつ尋ねると20くらい返ってくるような人間が多いのは事実で、そういう中で過ごしているとなかなかおいそれとこういうのが好きで、とは口に出せなくなる。予め牽制されてしまうケースも多い。こんなの聴くやついないよね、みたいなことを先に言われたらもうなにも言えまい。そんな必要が全くないのは頭ではわかっているけれど、彼らが認める水準でなければいけないような気がしてしまい、音楽を楽しむどころではない。

 クラスメイトたちの邦楽の趣味についていけないときに、ひとは彼らの知らない洋楽を聴き始めるのだと思う、大抵は。ぼくもその例に漏れず、最初はそれで誰からもケチをつけられずに気楽だったのだが、だんだんぼくが洋楽を聴くらしいということがどうやってか伝わり、なんだか詳しい人間が寄ってきてしまうと、話は変わってくる。こっちは自転車乗ってるときに気分よくなれればなんでもいいくらいなので、あまり深度のある話を振られても困るのである。また洋楽というのは同時代のものだけでなく、父親世代の渋いものも含まれるので、そっちに行かれるともうついていけない。そういうわけで今度はアニソンを聴くようにしてみる。これも最初は邦楽聴いてるひととも洋楽聴いてるひとともどこか隔絶しているところがあってよかったのだが、折しもアニソンやヴォーカロイドがだんだんメジャー化してテレビでもやるようになった時期、周りで聴く人間が増えると最初の問題に戻ってしまう。映画のサントラももちろん大好きだが、これは映画そのものへの批評とも結びついているのでやはり面倒くさくなってくる。『ラ・ラ・ランド』の挿入歌が好きだなんて言ってみなさいよ。なんであんなに叩かれなきゃいけないのかわからない。なにがそんなにいけないのかも。

 というわけで最後にクラシックに行き着く。よく映画なんかでIQの高い子がイヤホンでクラシックを聴いている描写があるが、なるほどあれはああいうポーズや演出だけでなく、結構理にかなっているものなのだとわかる。歌詞がないので余計な情報に思考が邪魔されることがない。いろいろな曲調はあるが、それでいて安定がある。だがどうもぼくの気に入っているものを貶したがる人間というのは後を絶たないようで、チャイコフスキーが好きだとそのときは珍しく口を滑らせたところ、チャイコ?あれもそんなにうまくないなあ、なんてことを言われて愕然としたものである。チャイコフスキーも駄目ならもうぼくに言えることはないです。うまくないってのはどういうことだ。だがよくよく考えてみればクラシックこそマニアや知識の押し付けの多そうなジャンルではないか。「エスパー魔美」にもそういうやつが出てきたじゃん。しかし、それはどのジャンルでもそうで、嫌なやつはどこにでもいるのだ。そうして、自分に嘘をついてジャンルを逃避先にしたぼくも大変に愚かであった。まあ、それでいろいろなものを聴いたとは思う。

 そんなわけのわかんないひとたちの言うことは気にしないでいいとは、よくわかっているのだが、しかし嫌なことを言われたときの印象、好きなものが否定されたときの印象というのは強い。トラウマというほどではないがそのことが引っかかって動かなくなってしまった部分が頭の中にあるらしい。その証拠に、やはり好きな音楽を聴かれたときに即答できずに逡巡してしまう。ただなあ、そこであれが好きですこれが好きですと言ったところで、じゃあこれこれこういうのも聴いたほうがいいとか、ライブとか行かないの?とか言われるのが目に見えていて、自分の視野も狭いことはわかっているのだが、あんまりそちらの熱量を本位にした物言いをされるとぼくは閉口してしまうんだよな。自転車や地下鉄に乗ってるときに聴く程度、では駄目だろうか? 0か100かの世界にぼくは疲れてしまった。

 しかし、これが音楽でなく、もっと自分が得意な分野だったら、果たしてぼくは今のぼくと同じような気分のひとに、理想的な対応ができるだろうか?マウント取られるかもしれないという恐れるのは、逆の立場だったら自分が取りそうだからではないか。そう思うと、やはりなにも言えなくなる。私も最近スター・ウォーズ観始めたんですよと言われたときにぼくが結構反応薄いのはそのせいで、なにか口をついて出た言葉が水を差すのではないかと恐れている。そういうわけで口数が減る。口が重くなる。

 というようなことを改めて考えたのは、つい最近もちょっと、好きな音楽について言われたからで、具体的に言えば、あんなのただのファッションじゃん、だそうである。だったらなんだと言うのだろうか。はっきり言ってぼくはファッションで聴くよ。自転車乗ってるときに気分がよければいいのだから。そもそも、どうしてぼくはぼくの好きなものを否定するようなひととつるんでいるのだろう。なにかを間違えている気がする。極端なところに迷い込んでいるのだと思う。自分を守るためにすべきは黙りこくることではなく、自分に合った世界観を探すことだと考え始めている。極力ストレスの無い世界観を。

 白状するか。ぼくは主にフォール・アウト・ボーイとコールド・プレイとアニマルズとパラモアとチャイコフスキーとアラン・シルヴェストリとユーリズミックスとELOとメリー・ホプキンスとフランク・シナトラとナンシー・シナトラと椎名林檎とショスタコーヴィチとラヴェルとブロンディが好きである。いずれもぼくにとって内省向きのアンセムをもたらしてくれる。恥ずかしがるのは彼らにとって大変無礼であろう。しかし、単に好きであるという以上の深度は求めないで欲しい。少なくともこれらのアルバムが壁面を埋め尽くしているとかは、全然イメージしないでほしい。というか正直言って全然持っていない。何曲も知らないものも多い。グループに関しては全員の名前も覚えていない。それで好きと言えるのかよと亡霊が言う。その程度でも好きなら好きと言っていいと思うし、言わなければいけないとも思う。