2017年9月6日

プレス

 こんなことを書いてまた悲劇的な主人公を気取っているように思われるかもしれないけれど、自分としてはかなり衝撃的かつ新鮮さすら感じたことがあった。
 
 8月が終わろうとしていた昼下がり、横になっていたら妻がふざけてどーん、とのしかかってきた。この様子だけならたわいのない、微笑ましい若い夫婦の日常なのだが、その瞬間、妻の全体重がなんの前触れもなくぼくの胸から腹にかけてかけられた途端に、あるイメージが記憶の奥底から一気に浮かび上がって来た。重しに繋いで沈めていたものが、なにかの拍子で紐(鎖か)が切れて、しゅるしゅるしゅるっと一気に水面まで上昇して来た感じだ。まあ、その記憶自体はそこまで軽々しいものではないが。
 
 21世紀初頭でありながら『マッドマックス』風に荒れ果てた中学校に通っていたぼくは、言うまでもなく身を守り切れずにいた。いや、完璧に安全を確保できていた人間なんてほとんどいなかったんじゃないだろうか。学校を『マッドマックス』風たらしめている当の連中は別として。たとえウォーボーイズ(昔のやつはあんま観てないんだよねえ)の仲間であってもちょっとしたことで失脚して粛清(要するにスクール・カーストの下層レベルに追放されるということ)される恐れがあっただろうから、油断ならなかっただろう。
 
 理不尽な暴力の数々はほとんど前述のように重しに繋いで沈めてしまったのでだんだん細部を忘れ始めているのだけれど、妻に体重をかけられた瞬間に思い出したのは「プレス」という拷問(立場次第では「遊び」)である。同じようなものはよくいじめのニュースで聞いたりするから、知っている人もいるだろう(知ってること自体不幸な気もする)。ひとりが床に横になる。もうひとりがそれにのしかかる。さらにもうひとりのしかかる。さらにもうひとり。という具合にどんどんかわいそうな男子たちを積み上げていって、一番上に当のプレイヤーは腰掛けたり乗っかったり、あるいはクラスで一番重量のあるやつをけしかけたりして、そいつ以外の全員が苦痛にもだえる様子を観て楽しむというわけ。非常にシンプルかつ野蛮で馬鹿で危険なものだ。『20センチュリー・ウーマン』に主人公が友達と失神ゲーム(胸部をぎゅっと抱きしめて一時的に失神させるらしい)をやるシーンがあるんだけど、ああいうのに近いかな。あれは身体の仕組みを利用したものだけれど、プレスはそんな知識とは無縁。もっとタチが悪いのは、仕掛けるやつが一切自分を危険に晒さないところ。そして、ブロックとして使われるやつらは無理やりやらされるというところ。一番上になるやつ以外、全員苦痛を味わうことになるからね。
 
 言うまでもないが、大抵ぼくが一番下、床に寝かされる役だった。毎回必ずではなかったと思う。時折一番下でないことがわかるとほっと安堵したものだ。そのときの最下部の子には悪かったけれど。辛いのは皆が皆保身のためにやりながらも、互いに悪いと思っていただろうということだ。その気のない者に暴力を強制するというのは数々の残虐行為の中でもいちばんタチが悪い部類に入るのではないだろうか。そういったことが、言葉は知らなかったものの感覚的に察していたものだから、プレスのあいだ誰に怒りをぶつけていいかもはっきりわからなかったくらいだ。すぐ上に乗っかってるやつか?その上か?一番上に乗っかった100キロくらいありそうな彼か?けれどその彼でさえも辛そうな顔をしているのはわかった。何度意識が遠くなったか、何度腹や胸が裂けそうな気分になったかわからないけれど、常に感じていたのはなんでこんなことしてんの?という馬鹿らしさである。
 
 そういった苦痛の記憶が、標準に比べればほっそりしたタイプである妻がのしかかっただけのその瞬間に一気に溢れ出して来て、まるで一瞬であの生臭い教室に戻ったかのような気分になって、苦痛も如実に蘇ってきたかのようで吐き気がした。誇張ではなく本当に拒絶反応を示して妻が驚いたくらいだ。12年も経つのに、こんななんでもないことであんなにはっきりと思い出すとは自分でも驚いた。
 
 ぼくは昔あった嫌なことをいつまでも覚えすぎかもしれない。いじめにしたって、いじめらたやつはいつまでも覚えているが、いじめっ子はなんも覚えちゃいないものだ。シャーリーズ・セロンの『ヤング≒アダルト』でもドラマの『ビッグバン・セオリー』でもやっていたが、相手はなんにも覚えちゃいないのだ。その証拠に、世の中いじめられたという経験を語るひとは大勢いるが、いじめたという経験を語るやつは少ない。というかぼくは見かけたことがない。いっぱいいるはずなのにな。
 
 荒野を支配するファシストたちにも怒りは覚えるが、より苛立ちを覚えるのは教師たちだった。ぼくが限界になるそのときまでなにもしないで、それどころか何事もないように振舞っていた公僕たちのことを思い出すと未だにムカつく。俺は注意したからなと言わんばかりの申し訳程度の「おいやめときなさいよお」は何度も聞いた。どうせぼくの性格にも問題があるとかなんとかそんなことを考えていたのだろう。センスのないジャージ姿でだらしない腹を突き出した彼らはいつでも俺だって辛いみたいな顔をしていたっけ。苦しいのはぼくだけでなく、理不尽な暴力は学校中に振りかざされているとかなんとか。皆が我慢しているから我慢しろみたいな感じすらした。ぼくはぼくで我慢ならないことがあると本当に我慢ならないタイプの人間で、他の子たちのように従順さにも欠けたから、半端に抵抗もするし、反乱同盟軍的な精神も当時から少しずつ(その後帝国軍に魅了されちゃうんだけれど)育っていたから、そういう態度でもって余計にやられちゃったんだけれど、ある教師が言うには変に反抗しないほうがいいのだそうだ。自分が職務を全うしていないことは棚に上げて、ぼくの性格をまず直せとよ。今思えば笑ってしまう。
 彼はぼくが「スター・ウォーズ全史」を読んでいたことも馬鹿にしていたな。国語の教師だったからなおさら、ぼくの読解力の問題はこういう本ばかり読んでいるところにあるとかなんとか。そんなぼくが読書レビューでお金をもらえるようになるとは思ってもいなかったろう。
 こういうのを読んでさ、自分だったらここでこういう命令を出したいとか、宇宙船をこう動かしたいとかそういうことばっかり考えてるわけだろ?それじゃだめなんだよなあ。こんなんだからやられっちゃうんだよ。
 これはその教師に限った話ではないけれど、どうも教室の大多数からのウケを狙ってそのクラスで一番立場の弱い、馬鹿にされがちなやつを教師も一緒になって笑うみたいな傾向もあったな。ぼくのクラスで言えばぼくになるんだけれど。あんなんで信頼なんて得られるわけないのにな。 

 田舎でヤンキー・ファシズムが蔓延しやすいのは、ああいう大人のせいでもあるんじゃないかなあ。不良を「やんちゃ」とかいって甘やかす傾向にあるというか。やんちゃなくらいでないとだめだみたいな風潮もあるし。で、ヤンキーはどうせ地元でずっと暮らしていくので、そいつもまたそういう大人になり、同じような子供たちを育て、非常にヒルビリー的な村を維持していくんだろうなあ。
 なんだか結局ぶうぶうと不満と悪口を並べてしまったけれど、かわいい奥さんにのしかかられて暗黒時代を思い出してしまったのでした。