2015/12/31

2015年まとめ


 2015年の主なトピックスと言えば、結婚、仕事、初の海外旅行、そしてスター・ウォーズといったところ。結婚はもちろん大きなイベントだったけれど、今年は仕事の幅もかなり広がったと思う。読書日記の連載も今年からだし、新作映画のレビューや「スター・ウォーズ」や「007」といったビッグタイトルの特集のお手伝いもさせていただいた。特に大好きな「スター・ウォーズ」が仕事に繋がったのは感慨深い(新作公開に合わせて仕事ができたので最高の「SWイヤー」になった)。憧れの長谷川町蔵先生と山崎まどか先生の共著にイラストを描いたことも合わせると、今年はいろいろな夢が叶った一年だったとも言える。初の海外旅行にも行ったし、仕事もプライベートも充実の一年だった。両方の充実さが互いに良い影響を与えているように思う。


 今年一年で仕事で関わったものやつくったものを並べてみる。自分的にはとてもたくさんだ。本当にイラストレーターみたい、なんてことを思ったりするのだけれど、みたいじゃなくて、ぼくは本当にイラストレーターになれたのだ。なったからには来年もどんどん仕事をして、たくさん描いていきたいと思う。今年はイラストだけではなく、合わせて文章を書く機会もいただけたので、今後もイラストコラムの仕事がたくさんできたら良いなと思う。
 そうして、好きなものは好きだとはっきり言っていきたい。興味関心は重要な原動力になると思うし、「好き」が仕事に繋がるというのはとても幸福なことだから。なによりぼくという人間はぼくの好きなもので出来ている。自分というものを大切にして仕事をしていきたいと思う。

12月18日のこと


 とりあえず年が変わってしまう前に「フォースの覚醒」を観に行った際の記念写真を。イラスト感想はもう少しかかりそうなのだけれど、こういった写真もぼくにとって重要な記録になりそう。
 とにかく今作でぼくはグェンドリン・クリスティ演じるキャプテン・ファズマという新キャラクターの注目してきた。関連グッズ解禁の際にはフィギュアを買ったし、映画公開に向けてボール紙とデープを使ってのヘルメット作りにまで取り組んだ。仕事のほうもこの時期は少し慌ただしく、趣味の工作に割ける時間がそれでもあまりない上に、結構試行錯誤を繰り返すことにはなったのだけれど、なんとか12月17日の夜に納得いく形に出来上がった。劇場にこんなかぶり物を持っていったのは生まれて初めてだった。同じようなひとは結構いた。別にぼくひとりだったとしても気にはしなかったけれど。


 記念写真ブースになりそうなスポットはあるだろうかと気になっていたのだけれど(無ければポスターの横にでも立つつもりだった)ちょうどこのような立体巨大ロゴが設置されていたので恰好がついた。キャプテン・ファズマにしては小さいのはもちろん(彼女はブーツのヒールも合わせると2メートルの大きさでこの身長は他のキャラクターだとチューバッカに匹敵する)、ストームトルーパーの平均身長であるところの183センチにも満たないのが残念なところ。


 フィギュアマスコット付きのドリンクカップ(1997年頃のケンタッキーのキャンペーンを思い出したのはぼくだけだろうか)を買っていたら上映開始ギリギリになってしまい(あらゆる列が恐ろしく長かった)少々慌てる場面もあったけれど無事鑑賞。最初はひとりでさらっと観にいくつもりだったけれど、友達や妻と一緒に観てよかったと思う。観たあとで誰かと話さずにはいられない作品だったし。
 なにはともあれ愛すべきサーガの新章の幕開けを目撃できて最高に幸福な日となりましたとさ。
 キャプテン・ファズマよ、永遠なれ!

2015/12/21

「スター・ウォーズ:フォースの覚醒」感想/最初の印象


鑑賞ステータス
回数:1回(12月20日現在)
形態:3D/IMAX/字幕

 果たして幻のエピソードだった「エプソード7」が現実のものとなった。ぼくたちはなんとEP7後の世界に来てしまったのだ。平成生まれのぼくとしては、結末の知れていた前日譚ではなく、全く白紙の上につくられる正真正銘の「続編」をリアルタイムで観られること自体を大変幸福に思っている。この世代にとってそれは叶わぬ夢でしかなかったのだから。
 およそ一年間かけて、新着情報が入るたびにその断片的な情報を自分なりに繋ぎ合わせて稚拙ながら考察を行って来たが、この作業も含めて大変楽しむことができた。公開前からこんなに楽しめる作品もそうそうないのではないだろうか。内容を予想することだけでなく、フィギュアなどの関連グッズをはじめ、やや無理矢理な感じのするタイアップ商品を買ったりして、新作公開前の空気を存分に楽しんだ。決してスクリーンの中だけにおさまらない総合芸術、いやもっと簡単に言えばカーニバルのようなシリーズなのだということを改めて実感した。
 とは言え、最終的に重要なのは映画本編の内容である。盛り上がったテンションと勢いでごまかしてしまうこともできるけれど、それは自分に嘘をつくことになる(SWに対してもだ)。しかし、一年の間に味わった楽しさを最後に台無しにもしたくない。親友や恋人を愛しながらも、相手になにか欠点を見出したとき、それをぼくは指摘することができるだろうか?今作に対する気持ちを言葉にするというのは、そういった葛藤に近いものがある。だが、そもそもこの例えを持ち出した時点で答えは決まっている。なにがあったとしてもぼくがSWに幻滅したり嫌いになったりすることはあり得ないのだ。何にでも長所と短所があり、ぼくは両方を愛したいと思っている。贔屓目でフェアな感想ではないと言われればそれまでだが、当たり前だ、ぼくはSWが大好きなのだから。
 それでも思ったことははっきり書いていきたいと想う。しかし繰り返しになるけれど、ぼくは全体的に満足しているので、細かい疑問やツッコミどころもそこまで不満には思っていない、ということは念のため強調しておきたい(このあと何度か観た後でその印象が変わる可能性は大きい。そういう意味でも初見だけの印象から考えたことを書き留めておきたい)。
 
 ・導入の印象

 どこから書いていいか非常に悩ましいが、とりあえず冒頭のことから。どんな具合になるか非常に気になっていた「最初の宇宙のシーン」が非常に良かった。惑星を隠していくスター・デストロイヤーのシルエット、まるで宇宙空間の暗闇がぐうっと伸びてきて星を隠してしまうようで洒落た絵画のようだった。「新たなる希望」以降スター・デストロイヤー登場がバリエーション化したが、今回は「そう来たか!」と思った(「シスの復讐」もわりと新鮮なほうだったけれど、今回はさらにガツンとやられた)。
 そこからの展開はわりとテンポが良かったような気がする。ストームトルーパ―の強襲、新たなヒーローであるポー・ダメロンとBB-8の脱出劇、焼かれる村・・・。この一連の流れで一番印象的だったのは、冷酷なストームトルーパーによって襲われる村、という図から一転してストームトルーパー側の視点に流れるように切り替わったことだ。今までのSWならレーザーに当って倒れたトルーパーに気を留めることなどなかった。そのほとんど常識と化したような様式を逆手に取ったのだろうか、倒れたトルーパーを気遣う同僚トルーパー。このふたりのトルーパーの間にはどんな交友関係があったのだろうか、と一瞬のうちに想像させられる。友人の死を目の当たりにしたこのストームトルーパーは震え出す。いちトルーパーが主人公になった記念すべき瞬間である。ひとまず出だしで印象的だったのはこのあたり。

 ・新キャラクター
 
 ポー・ダメロンはもっと無鉄砲で皮肉屋な、旧作におけるハン・ソロのようなキャラクターだと予想していたが、実際は正義感に満ちあふれたエース・パイロットで、予想していたのよりもずっと好感を持てる人物だった。レイやフィンに比べるとまだ人物造形があまり克明に描かれていない気がしたが、次回以降に期待したい。ポーとフィンの関係も予想に反して友好的で(初期のルークとハンの関係に似ているのではないかと想像していたのだ)、若い友人同士といったやり取りは胸をすくようで大変清々しいし、熱い。
 そのフィンは、前述の史上初主人公に昇華した元ストームトルーパーだ。予告編などからトルーパーの恰好をすることはわかっていたが、作戦上の変装だろうと思っていたら、これが本当にストームトルーパ―で驚きだった。若く、特になにかに秀でているわけでもなく、ましてやフォースが使えるわけでもない。平凡ないちトルーパーでしかなかった彼のステータスは、登場人物の中でもっともぼくたち観客に近いのではないだろうか。そんな彼が冒険に旅立ち、気転を効かせて危機をかいくぐりながら、到底太刀打ちできそうもない悪に立ち向かう様子はとても力強さを感じる。それはルークやアナキンが運命に導かれて宇宙に旅に出たのとは全然違う。特別でないフィンの冒険は、特別でないぼくたちを勇気づけてくれる。今までSWにいなかった種類のキャラクターだ。
 レイに関しては謎が多く残されたままだが、まず言えることはとにかくタフだということだ。ルークやアナキンのように家族がいる状態では全然無い、完全な孤独のなかで自給自足の生活をしていたことから考えると、前の主人公ふたりよりよっぽど精神的に強いのではないかと思う。この強さがこのあとフォースを学ぶ過程でどう影響してくるかが非常に興味深い。
 悪役カイロ・レンは冷酷だが決して最強の悪役ではないことが多くのひとを驚かせたことだろう。もとよりどういう個性の持ち主かは全く想像できなかったから、期待や予想と違ったという感覚はぼくの場合あまり無かった。それよりは逆に新鮮さのほうが強いだろうか。ダース・ヴェイダーに憧れているが、そのヴェイダーには遠く及ばないのは明らかであり、それは本人も自覚している(認めたくはなさそうだが)。確かに強いのかもしれないが、そういうところにコンプレックスがあるので不安定で、若いので未熟なところもある、というのは、人間味を感じる。これもまた今までのSWにはいなかった悪役なのだろう。
 ハックス将軍もまた有能そうだがかつての銀河内乱を知らない若き司令官である以上、未熟さは残る。カイロ・レンとハックスは、「新たなる希望」におけるヴェイダーとターキンの並びにもイメージが重なるが、あくまで重なるだけ。レンがヴェイダーに遠く及ばないのと同様に、ハックスもターキンほどではない。なにかあるたびにふたりして最高指導者スノークの前に並ぶ様子はどこか先生に呼び出されてる学生というような間の抜けたイメージではあるが、ふたりの若い悪役は同じく若い主人公たちと対応しているのではないだろうか。要するに今度の三部作は若者同士の戦いで、新世代のSWであることが強調されているのだと解釈できる。
 さてその黒幕スノークの正体もすでに議論の的になりそうだ。ぼく自身も彼の正体について考えを巡らせて楽しんでいるところ。意外にも早い段階から姿を見せたのは拍子抜けだった。もう少し引っ張っても良さそうだったのだけれど。「新たなる希望」における皇帝のように、存在だけ示唆される程度でも良かったのではないかと思うが、しかし前述のレンとハックスだけではファースト・オーダー全体が本当に未熟な敵に見えてしまうので、なにやらやばそうな黒幕がいる、ということは最初からわかっていたほうがいいのかも。
 キャプテン・ファズマに関しては、ぼくはあれで良いと思っている。むしろあれが良いのだ。初めてクロームメッキのトルーパーが登場することがわかってからというもの、ずっとこのキャラクターに注目してきた。演じるのがグウェンドリン・クリスティーでつまり女性指揮官なのだとわかってからはもう夢中だった。どことなくボバ・フェットのような雰囲気も感じられたので、あの扱いは予想の範疇だった。外見とアクターで気に入ったからには活躍しようとしまいと、どうなろうとあまり関係ない。SWは画面に映らないところを想像するのが楽しいのだから、ぼくはいろいろなファズマの物語を想像したい。
 しかし、ひとつ言わせてもらうなら、ボバ・フェット的キャラクターというのは狙って再現できるものではないということだ。ボバはもともとあまり活躍させるつもりのなかった本当に噛ませ犬な脇役だったのが、異様な存在感で人気に火がついた、というキャラクターである。ルーカスは「こんなに人気になるならもっと活躍させればよかった」というような発言をしていたが、恐らくそれでは駄目なのだ。異様な存在感なのに活躍せずあっけなく退場という、その扱いも含めてのボバ・フェットなのだから。つまりボバの魅力とは狙わずに生じたものであり、たとえ「滅茶苦茶格好つけたのに活躍せずに退場」というところを真似しても、それを意識している時点でボバの魅力とは違うような気がする。まあそれでもボバをパロディしたキャラ、ということでよしとしよう。
 ちなみにぼくはボール紙とシルバーのガムテープでもってキャプテン・ファズマのヘルメットを自作し、劇場に持参した。ここ数週間ずっと仕事の合間に試行錯誤しながら完成させたのだけれど、これは良い記念になった。こんなふうに映画を楽しめるのは幸せだ。ありがとうキャプテン・ファズマ、そして永遠なれ。

 ・旧キャラクター

 ルーク、ハン、レイアの三人について詳しく書くと本当に物語の核心部分に触れるし(もう十分触れているような気がするが)、この三人についてあえて言うことはあまりないので簡単に。ちゃんと「ジェダイの帰還」から30年分生きてきたルーク、ハン、レイア自身に見えて大変感慨深かった。30年の間に三人はどんなふうに生きてきたのか、どんなことを経験してきたのか想像せずにはいられない。まあ苦労が絶えなかっただろうなあ。
 R2-D2はともかくとして、C-3POの出番はもっと欲しかった。前半の展開には要らないのかもしれないから、難しそうだけれど。しかし3POが画面に現れたときは本当にほっとした。彼はどんな空気も和ませられる(「シスの復讐」は別)。
 チューバッカに関しては、チューバッカだなくらいの感想しか抱けなかった。好きなキャラクターではあるけれど、あまり老けた様子がない。駄々をこねる愛犬のような仕草は一作目の頃と変わっていないので、こいつもしかして全然成長しないのか?と思ってしまった。まあ人間より寿命が長いらしいので時間の流れ方や年の取り方も異なるのかもしれない。というか、チューイのことを想うと辛い(これ以上は言えないが)。

 ・世界観

 全体的にスケールは小さくまとめられているように感じた。プリクエル三部作の世界観が広過ぎたということもあるが、旧三部作は登場する惑星が少ないながらも街や基地、エキストラなどで工夫して世界観の奥行きをつくっていたと思う。今作は第一作目「新たなる希望」と同じようなスケール感を意識したようだが、どこか作り込みがやや不足しているようにも感じられた。登場する惑星に対する既視感は言うまでもなく意図的なもので、砂漠や森林、雪原といった旧三部作でお馴染みのロケーションを勢揃いさせてパロディしている(それぞれ全く別の惑星だが)。これもまた幻想的な風景をたくさん見せてくれたプリクエルの後だとがらりと雰囲気が変わるし、旧三部作オマージュだとしてもやや風景が現実的過ぎて地味な感じがする。しかし、これらの主張の強くないロケーションは、キャラクターを描くことに徹しているためではないかとも思える。新キャラクターたちの個性を説明するため、背景にそこまで意識が向かないようにしているのではないだろうか。SW世界でお馴染みのロケーションの中でキャラクターたちを際立たせて、そこに集中しているように見えた。誰も見たことも無い幻想的で新鮮な風景だと、そこに立つ人物たちが弱くなってしまうことも考えられる。
 惑星ジャクーはタトゥーインのパラレルのような世界観だが、ここはやはり砂漠に埋没している往年のメカの残骸に意識が向いてしまう。気をつけないと見落としてしまいそうなところに、見慣れた戦闘機の部品やヘルメットが転がっている感じが、とても良かった。探すのが楽しくなってしまう。スター・デストロイヤーが墜落している砂漠では一体どんな激戦が繰り広げられ、その勝敗は銀河史にどれだけの影響を与えたのだろうかと、つい想像してしまう。背景について想像を巡らせたくなるのはSWの醍醐味のひとつだと言えるだろう。だからこそ、ジャクー以外のロケーションにも同じような仕掛けが欲しかったと、少し思ってしまう。だがまあ、どんどん物語が展開していくので、いつまでも背景が気になってしまうよりは、あれくらいのほうが本筋に集中できるのではないかなと思えて来る。
 ロケーションのほかにも重要な世界観として、銀河の情勢がある。オープニング・スクロールの時点でわかるようにどうやら共和国の再興は実現し、かつての帝国は敗退しているらしい。パンフレットの簡単な解説によれば新共和国と帝国残党との間で「銀河協定」が結ばれ、戦争は一時終結していたようだ。今回の悪役陣営である「ファースト・オーダー」はその帝国残党から現れた一派であり、「レジスタンス」はその動きを監視するために立ち上がったレイア将軍の私設軍隊ということらしい。ひとつ思ったのは、この情勢は第一作目のときの情勢に似ているということだ。共和国が滅び、帝国が台頭した世界で、共和国残党が反乱軍として帝国に抵抗していた図は、今作における情勢と逆だがそっくりだ。また、元老院が反乱軍を支持していたという設定も、今回で言うところの、新共和国によって支援されているレジスタンスという関係に近い。プリクエル三部作を観ているぼくたちはこの一作目当初の「共和国、帝国、反乱軍」の三者の関係が前日譚を踏まえると若干ズレてくることを知っている。プリクエルでは共和国がそのまま帝国へと姿を変えるし、「シスの復讐」でのことを考えると、皇帝の支配する元老院が反乱軍を支持する隙なんて無さそうに見える。今作での世界観は、プリクエル三部作をほとんど踏まえておらず、あくまで旧三部作の世界観を上書きしているのだ。
 ところで、超兵器スターキラーによって破壊される惑星には銀河首都も含まれており、誰もが最初はコルサントが吹き飛ばされたと思ったことだろう。しかし、実際はあの星はホズ二アン・プライムという新しい首都惑星で、コルサントから遷都したようだ。遷都したからにはそれなりの理由がありそうだが、このあたりの物語も今後スピンオフ小説などで描かれるだろうと思うとわくわくする。
 
 ・音楽

 ジョン・ウィリアムズ作曲の音楽はSWに無くてはならない存在で、一作目以降、必ずそのエピソードを象徴するような印象的な新曲が流れてきた。特にプリクエル三部作では、意図的にエピソードごとのテーマ曲をつくっていた。今作もさぞ壮大で聞けば上映中の想いが蘇ってくるような音楽を聴くことができると思って大変期待した。SWを構成する多くの要素の中で常に無条件で受け入れられるものがあるとすれば、それはウィリアムズの音楽だ。しかし、今回は作曲の趣向が明らかに違った。場面ごとのムードに合った音楽が効果的に使われていたのはもちろんだが、あくまで主に流れるのは旧作からのテーマ曲で、新曲はそれを補う形でしかなかったような印象である。お馴染みの曲を際立たせるためだろうか。しかし、せっかく新キャラクターたちが主体なのだから、彼らを紹介するようなテーマがもう少し流れても良かったように思う。
 けれど「新たなる希望」を意識しているところを考えると、お馴染みのテーマに変化をつけるだけにとどめ、”ひとまず”はニュートラルなSWを提示したかったのかもしれない。

 ・メカニック
 
 公開前から最初にお披露目された今作のメカといえば新型Xウィングだが、このデザインが一作目制作時にラルフ・マクォーリーによって描かれたXウィングの初期デザインによく似ていることが話題となった(今作のデザインは他にもマクォーリーのデザインを彷佛とさせるものがいくつかある)。しかし、実際本編を観てみるとこのXウィング以上にインパクト(?)のあるデザインの宇宙船(及び乗り物)が特に無かったように思う。TIEファイターも見せ場はあったが色と細部がちょっと変わっただけで形状に大きな変化はない(だいたい「ジェダイの帰還」の時点でTIEシリーズはインターセプターまで進化したのに何故また形が退化しているのだろう・・・)。主に活躍する宇宙船は<ミレニアム・ファルコン>なので、主役を張れるくらいかっこいい宇宙船は必要なかったのだろうか。それとも、やはりロケーションと同じくキャラクターに集中するために宇宙船も地味にしたのだろうか。さすがに宇宙船にこだわらないとSWとしての魅力がかなり削がれてしまうのだが。
 個人的にはレジスタンスのトランスポート船(横長で端に操縦席のついたデザイン)が好きかな。パンフレットによればBウィングの部品等を使って造られたらしい。なるほど、確かに似ている。

 ・エイリアン&クリーチャー

 宇宙船同様にSWには欠かせない要素であるエイリアンたち。いろいろな種族が登場すればそれだけ世界観は広がる。今作は特に、プリクエル三部作でCGを多用していたことへの反動(アンチ・ジャー・ジャーというわけだ)なのかエイリアンはとにかく着ぐるみにこだわっている印象だった。しかし、せっかく着ぐるみでやっているわりには旧三部作のような魅力的なデザインの異星人が少なかったような気がする。ぼくの好みで言えばローディアンやビス、デュロスといった、はっきり言って馬鹿っぽい、THE・宇宙人みたいなデザインが好きなのだが、今回はあまりそういう愛嬌のあるエイリアンが見当たらなかった。いろいろなやつらがいて賑やかだったが、全体的にここ10年のSF&ファンタジーでありがちなデザインという気がした。コワモテなのだ。これもまた時代の流行りが反映されているということなのかもしれない。
 しかし、エイリアンでごった返し変な音楽が流れる酒場が出てきたこと自体はとてもうれしいし、アクバー(モン・カラマリ)やニエン・ナン(サラスタン)といった旧作のエイリアンが登場してくれただけでも十分ぼくは幸せである。しかもアクバーは声も演技も旧作と同じティモシー・M・ローズ!
 銀河の動物たち、クリーチャーたちはどうだろうか。ハン・ソロが運んでいた凶暴なラスターは今までのSWにいなかったタイプのモンスターで新鮮だが、これはあまりぼくの好みではないかな。ジャクーにいたクリーチャーは概ね好感が持てた。大きな豚鼻のハッパボアは実物を造っているだけあって質感や重量の具合が良かったし、廃品の装甲に覆われたラガビーストも今までいそうでいなかった上にSW的雰囲気でいっぱいだ。両腕を黄色い重機のようなアームに換えられている”クラッシャー”ルーダウンもおもしろい造形なので好き(どう見てもヒューマノイドだが何故かパンフレットではクリーチャー扱い・・・差別?)。

 ・ドロイド

 最も視覚的に話題をさらったのはやはりドロイドのBB-8だろう。新たなSWマスコットの座をR2-D2から受け継いだ彼、仕草が可愛く、ムードメイカーに欠かせない存在となりそうだ。フィンとの掛け合いもSWに再びユーモアを取り戻してくれたと思う。丸いフォルムというのは本当に親しみが沸きやすいのだな改めて思った。
 その丸い形状だが、もう少しあの形状になっている理由をヴィジュアルで見せて欲しかった。機能美というか、「だからこの形なのか!」と納得できるシーンを求めていたのだが、残念。デザインが先行してしまったのだろうか。確かに誰も考えつかないような形状と構造で動いていてこれ以上にないくらい個性的なのだが、ヴィジュアルにおけるアイデアにこだわったせいなのか、機能や設定が追いついていなさそうに感じられた。さらに言えばR2のようにコンピューターにアクセスしたり船を修理したりという役に立つ活躍も見せなかったので、ただただ守ってあげたくなる可愛いやつという印象が拭えなかった(それはそれで良いのだが)。そういう意味では今作のヒロインはこの球体ドロイドかもしれない。
 他にも新登場のドロイドはいくつかいるのだが、今の時点ではまだ気に入ったものはないかも。お馴染みのプロトコル・ドロイドやアストロメク・ドロイドが完成され過ぎていて、匹敵する外見のドロイドはBB-8くらいにならないといないのかもしれない。マズ・カナタの城の前を歩いていた赤いドロイド、HURID-327はこれまでのドロイドとは少し趣向が違うので印象的だった。どこか「スクラッパーズ」的というか、アシュレイ・ウッドの描くロボットにも通じるものがあってわりと好みだった。銀河は広いのだから、いくらでも趣向の違うデザインのドロイドがいていいはずだ。しかし、下手をするとらしくないデザインで世界観を壊すことになるので、それを恐れてかどこか無難におさえた印象がある。

 ・デザイン全般
 
 というわけでデザインに関してはBB-8や新ストームトルーパーは斬新さを覚えたが、それ以外は保守的で慎重な姿勢が垣間見えた。デザインへの積極性はBB-8に集約されたのだろうか(前述のように形状と機能の関係が不明なので諸手を挙げて優れたデザインだと言うことはできないのだが)。SWでメカニックのデザインがつまらないというのは致命的だと思うのだけれど、そこはファルコンとXウィングなどお馴染みのメカをとにかく際立たせたかったということなのかな。オリジナリティーを求めて冒険をしているという意味ではプリクエル三部作のほうが自由度が高かったと思う。もちろんプリクエルはルーカス自身が仕切っていたから自由なのは当然だ。今作をつくった人達はルーカスの影の中で世界観を壊さないように壊さないようにと「慎重にもがいていた」のかもしれない。前述したようにとりあえずはニュートラルなSWにしたかったのだろうとも思うので、次回からはもう少し自由になって欲しい(というかそうなる可能性が高い気がする)。ぼくに言われなくともこんなことは世界トップクラスのセンスと頭脳を持ち合わせたアーティストたちなら十分理解していると思うけれど、今SWをつくっているのは他でもないあなたたちなのだから、自信を持ってつくって欲しいと言いたい。当然ながら、旧作をリスペクトするだけでは新しいSWはつくれないのだから。

 ・3D/IMAXの所感

 初回は3D/IMAXにて鑑賞。夏に「マッドマックス」をこの形態で観て圧倒されたので、SWがどんなふうに体験できるか非常に楽しみだった。
 まだ一回目だが、印象的な迫力があったのはファースト・オーダーのスター・デストロイヤーを正面から映したカットで、あれはスクリーンの手前に向かって巨大戦艦(旧作のインペリアル級の二倍あるらしい)が進んで来ているような錯覚を覚えて、大変感動した。華麗に飛び回る<ミレニアム・ファルコン>も目の前で飛んでいるかのような迫力と、手を伸ばせば届きそうな存在感があった。2012年に3D版「ファントム・メナス」を劇場で観たが、もともと3D向けに撮影していない旧作に後から処理を施したためか、なんとなくの立体感しか感じられなかったので、今回はまさに3Dで観る新しいSWという感じがした。ただ、それを考えるとやはり、新鮮な世界観を少しでもいいから提示して欲しかったと思ってしまう。手を伸ばせば届きそうな感覚があったのに、あまりそうしたいと思う風景が無かったのは確かだ。
 良いことばかりではない。席の位置にもよると思うけれど、スクリーンが巨大過ぎるので全体像が掴みづらい。視界いっぱいに世界が広がっているからこその映画体験ができるのは良いのだが、全体での画が確認できないというか、やはり離れて観たほうがよく見えるのだと思う。世界観のデティールの細かさを見出すことができなかったのも、隅々まで見渡すことができなかったからかもしれない。全体像を掴むために今後は2Dで落ち着いて鑑賞してみたい。
 
 ●まとめ(まとめていいのかわからないがとりあえず)

 あくまで最初の印象を書き留めたまでである。このメモを草稿に、イラスト感想をまとめていきたいと思う。もちろんその間再鑑賞するだろうから、また新たな発見があるかもしれない。
 ここで一度要約しておくなら、「スター・ウォーズに憧れたスター・ウォーズ」という印象がやはり強いように思う。しかし、だからといってパロディの域を出ていないわけでは決してなく、れっきとしたSWのいちエピソードとして受け入れることができる。
 最初に満足していると書いたものの、実際言葉に起こしてみるとどんどん思ったところが沸いて出てきて、特にデザインに関しては気になっていたんだなと改めて思った。デザインの遊びがない理由については恐らく上で書いたようなためではないかと思うので、次回以降で本領を発揮してほしい。目新しい世界を見せて欲しいという気持ちもあるので、そちらも今後に期待したい。シリーズである以上、完結してからじゃないとフェアな評価を下せないというところもあるので、まだまだこれはこういう映画だと断言することはぼくとしては避けたい。個人的には、SWの新作として大いに興奮させてもらったことを考えると多少の不満はチャラにできてしまうかな。もちろん疑問点について考えるのは楽しいし、議論は尽きないだろう。長寿シリーズである以上、その時代ごとに変化があって当たり前だと思うし、作品ごとに雰囲気やスタイルが違っていても良いと思う。だから今作もSWとして受け入れられる。受け入れた上で不満点や疑問点について考えて楽しみたい。これからは「フォースの覚醒」を軸にいろいろなことを考察したいし、イラストレーションも多く描きたいと思う。

2015/12/15

「スター・ウォーズ」を観る順番


 超ビッグな映画シリーズなのに人に勧めづらいことこの上ない、でお馴染みの「スター・ウォーズ」。特にビギナー泣かせなのは公開順と時系列の関係で「一体どれから観ればいいの?」は一番の疑問だと思うので、ここはひとつ絵も交えてできるだけわかりやすく説明してみたいと思い、このような図を考えてみた。これがベストとは思わないし、もっとわかりやすい図案があるかもしれないけれど、ひとつ参考になれば幸いです。
 ファンによっては公開順で観るか時系列順で観るかで意見が分かれるそうなのだけれど、これから観ようという人にとっては大事なファーストコンタクトである。もう二度と初見の気持ちに戻ることができないファンのひとはビギナーに対しいろいろなことを言ってくるかもしれないけれど、まずは余計な知識を入れずに公開順で観るのがいちばんだと思う。社会が実際にSWを観た順番がそれなのだし、それでなんら不都合は生じないからだ。
 と言うのもぼくの知人が初めてのSW体験を時系列順に挑んでしまったのだ。前日譚のプリクエル三部作が後年つくられて、これで綺麗に6部作の時系列が出来上がったから、その見方が物語上綺麗な見方なのではないかと思われるかもしれないが、そうとは限らない。「エピソード1」は第一話にあたるとはいえ、結局は「すでにSWが認知されている世界」でつくられている以上、予備知識がどうしても必要になる。プリクエル三部作というのは「昔はこんなかんじでした」という過去篇なのだから、オリジナル三部作を知った上で観たほうがいいというわけ。
プリクエルから観てしまうことの、なにが一番問題だろうか。件の知人にとってそれは「ハン・ソロ」の存在だった。プリクエルでは銀河共和国とそれを守るジェダイ騎士団側の視点がメインとなり、主人公もその体制の中枢に身を置いていた。また共和国を崩壊させ帝政のはじまりの原因となる銀河規模の全面戦争「クローン大戦」も主な舞台となることから、プリクエルは話のスケールが大きい。そこで旧三部作に移ったところで突如登場する宇宙海賊(体制の外にいる)、ハン・ソロの存在はなんとなくちゅうぶらりんになる(少なくとも件の彼はそう感じたらしい)。ハン・ソロといえば主人公すら食ってしまうSWの「顔」のひとつのはずだが、観る順番が違うだけでこうも印象が違うとは。ぼくも改めてなるほどなと思った。
 プリクエル三部作は体制側の物語で、文化が栄華を誇っていた時代の物語。オリジナル三部作はそれらが滅びさったあとの、言わば「若者たち」の戦いを描いた物語。それはもうそのまま前者が親の時代を、後者が子の時代を描いたものと見ることができるわけだ(アナキンとルーク親子に限らず、広い意味での「親子」)。子(自分)の時代の物語を知っているからこそ、親の時代をあとで知ると興味深いのではないだろうか。もちろんそこには「えー、昔こんなだったのお?」という微妙な気持ちも含まれるのだろうけれど。
そして、今やその「子の時代」すら親の時代になりつつあり、ようやく「孫の時代」を描いた新作がお披露目されるというわけです。
 長くなりましたが、ぼく個人としては、公開順に観ることをおすすめします。

 

営業報告


 ・映画「ひつじ村の兄弟」のフライヤーやパンフレットにイラストコラムを載せていただいております。アイスランドを舞台にしたドライすぎるブラックジョークとひつじとおじいさん満載の映画です。12月19日より新宿武蔵野館にて公開!
http://ramram.espace-sarou.com/


・朝倉かすみさんの新刊「植物たち」(徳間書店)の販促用リーフレットの内容を、イラスト・文章・デザイン込みで作らせていただきました。いくつか短篇をピックアップして、モチーフとなった植物とともに紹介しています。
http://www.amazon.co.jp/dp/4198640599/ref=cm_sw_r_tw_dp_zfbCwb0Y8HTZP


・今月号のasta*「秘密図書館」では、映画「イングロリアス・バスターズ」や「ウォルト・ディズニーの約束」出演でおなじみのコメディアンB・J・ノヴァクの作家デビュー作「愛を返品した男 物語とその他の物語」の感想を書いています。訳は山崎まどか先生。ユーモラスな短篇が詰まった素敵なユーモア・スケッチ集となっています。 

2015/12/08

スター・ウォーズ新作メモ 13


 今日が8日なので、公開まであと10日!公開が近づくほどこういった予想メモは意味がなくなっちゃうかもしれないけれど、ぎりぎりまで更新を続けたいところ。
 今までの予告映像はティーザー(特報)だったけれど、ついに本格的な予告編がお披露目され、「フォースの覚醒」の世界観がより一層鮮明になった。レイは惑星ジャクーの砂漠で墜落した船の中を漁って廃品を集める孤独な日々をおくっており、カイロ・レンはダース・ヴェイダーの後継者を自称して野望に燃えていた・・・。
 ルーク・スカイウォーカーがドロイドたちと出会ったのと同様に、レイもBB-8との出会いによって冒険に導かれるのだろうか。そしてレイは何故打ち捨てられたかつての戦場で独りで暮らしているのだろうか。
 印象的なのはハン・ソロが若者たちに「フォースは実在する」と告げるところ。一作目で老オビ=ワンを相手にフォースなどまやかしだと馬鹿にしていた彼が、ついにフォースについて語り出すというのか。ここで若い主人公たちと観客は同じ目線に立ち、ソロの口から銀河が辿った運命について聞くことになるのだろうか。


 主人公たちの属すらしいレジスタンスの基地での場面も好き。フィンとポーの関係や距離感も気になるし、なにより背後にいるレジスタンス兵たちの服装が洒落ている。旧三部作の反乱同盟軍の雰囲気が米軍なら、今度のレジスタンスはWW2のヨーロッパ風という具合だろうか。帝国を倒し、共和制復活に近づいたことで旧共和国にあったヨーロッパ的雰囲気が反乱軍にもたらされたと考えることもできる。カーキ色の制服はシックで、可愛らしくすらある。
 「レン騎士団」はファースト・オーダーのより上位の機関だろうか(旧共和国におけるジェダイ騎士団のような?)。彼らはなんの目的で暗躍しているのか。そこでのカイロ・レンの立場とはなんだろうか。彼が率いるからレン騎士団なのか、レン騎士団に属すからカイロ・レンという名なのか。この予告編はまんまと「気になる」を増幅させてくれるとともに映画公開を目前に、新しい世界観がどんなものなのかを垣間見せてくれた。
 尚、TVスポットもかなりたくさん出ているようで、正直追いきれていない。どれも似たようなものなのだが少しずつ変化がありそこでしか観られないシーンなどもある。

2015/12/01

「スペクター」感想


 レア・セドゥがボンドガールをやるということでずっと楽しみだった007最新作「スペクター」。イラストの仕事の関係で試写を観させていただいたので、いちはやく感想をまとめてみた。
 今作は過去作へのオマージュというか、ボンドの伝統をたくさん踏襲している原点回帰。「カジノ・ロワイヤル」ではまだ新任のスパイだったボンドが「慰めの報酬」「スカイフォール」を経てようやく完全な007として完成したところで挑むのが今作なわけで、少し回り道をしてから昔ながらのスタイルの007映画をつくったといった具合。でもその回り道(ダニエル・クレイグ主演の過去三作は今までの作品とは異なり、ボンドの内面を掘り下げるのがテーマのひとつだった)があったからこそ、「スペクター」のボンドには人間的な存在感と説得力があるし、クレイグ版のシリーズを観てきた観客にとってはボンドがめちゃくちゃ成長して洗練されていることがわかる。一連の作品はボンドが007になる物語であったのと同時に、ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドになるための作品だったとも言えるのだ。「カジノ・ロワイヤル」のときは初の金髪ボンドに昔からのファンが難色を示したとかいう話を聞いたけれど、3作もかけて彼がボンドになっていく経緯を丁寧に描いたのは大正解だったと思う。すっかりボンド役が馴染んだところで、さあショーン・コネリー時代の悪役を復活させ、昔ながらの007を描こうというのだから丁寧すぎる。「スカイフォール」でマニーペニーやM、Qなど昔のキャラクターが再び揃った瞬間から、宿敵スペクターの復活も約束されていたのだと思うと、壮大な007復活計画だなあと思う。
 さて大好きなレア・セドゥだけれど、とってもかわいくて綺麗だった。少しエキゾチックな雰囲気も007の世界観にとても合っていたと思う。場面場面で着替える衣装も素敵でどれも似合っているし、着るものによって雰囲気ががらりと変わるのも魅力のひとつ。控えめな顔つきが、ニュートラルな魅力を持っているのかも。
 拳銃を握る姿も画になっていたと思う。ぼくはレア・セドゥという女優を「ミッション・インポッシブル:ゴースト・プロトコル」で知ったわけだけれど、初めて観たのもやはり拳銃を構えた姿だったから(そのときは報酬はダイヤのみという殺し屋だった)、ボンドガールとして再びその姿が観られて大変うれしかった。そういえば彼女、「イングロリアス・バスターズ」に台詞のないちょい役で出ていて、そのときもクリストフ・ヴァルツと共演(同じ画面に映っていた程度だけれど)していたんだね。ちょい役すぎて忘れてた。
 クリストフ・ヴァルツについては・・・悪役がとても似合うなあくらいの感想にしておく。
 今作はMI6の面々にも活躍の場が与えられていて、新任のMであるレイフ・ファインズも、詳しくは書かないけれど新鮮なアクティブさを見せていて良かった。Mやマニーペニーはオフィスで高見の見物をしてなきゃダメ!というファンも当然いるだろうけれど、それはやはり現代的なアレンジとして受け入れてもいいんじゃないかな。Mが指令を出し、マニーペニーとちょっと絡んで、出かけ際にQから新兵器(たまに珍兵器)をもらうのが昔の007のスタイルだったわけだけれど、新時代の007は仲間たちの支えがあってもいいと思う。組織の在り方の変化というのも、今作のテーマになっていると思う。
 そういう意味では007映画そのものが時代とどう付き合っていくかということも自問自答する作品だったと言えるかもしれない。スパイや「殺しのライセンス」といった、007のアイデンティティ自体が冷戦時代の遺物なのかもしれないが、英国が地上にあり続ける限り、これからもジェームズ・ボンド映画は作られ続けるのだと思うし、そう願うばかりだ。

「アントマン」感想


 9月の映画ですが、ようやく感想が描けた。。。
 マーベル・コミックのヒーロー達が活躍し、別々の映画でありながらひとつの宇宙を構築している「マーベル・シネマティック・ユニバース」。そのフェーズ2(第二段階)の最後の作品となる「アントマン」。「アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン」での壮大すぎる戦いのあとで、一体どんな映画がフェーズ2のトリを飾るのかとわくわくしていたら、なんと身長3センチメートルの小さなヒーローの物語だった。愛する娘を守るためにダメダメな親父が蟻サイズに縮んで戦う軽快な作品である。他のマーベル作品への伏線もきちんと張りながらも、全く他のを観ていない人でも楽しめるのではないだろうか。蟻サイズに縮むからこそのトリッキーな戦い方や、ギャグなどもとても楽しめる。一本の映画としてとても良いと思う。
 というわけなので、全体で見れば「エイジ・オブ・ウルトロン」のあとでの、ちょっとした休憩というか、息抜きのような作品なのかもしれない。ずっと深刻で壮絶な戦いばかりだとしんどいしね。ましてや来年は「キャプテン・アメリカ:シビル・ウォー」という、またしてもヒーローたちがグジグジと悩みそうな作品が控えているわけだし・・・。そういう意味でもこの「アントマン」はMCUシリーズ全体にメリハリを与えているし、マーベル・ヒーロー持ち前の「ノリ」も最大限生かせてると思う。
 とにかく楽しい。楽しいからこそ次回作「シビル・ウォー」のことを考えると憂鬱だが(「シビル・ウォー」への伏線も一応ある)。
 今後のアベンジャーズへのアントマン参戦に期待。特に原作やアニメーション作品でもお馴染みとなっているホークアイとのコンボ技、「先端にアントマンがしがみついた矢をホークアイが人が入れない隙間に撃ち込み通り抜けたところでアントマンが中の敵をやっつける」やつが見れるかもしれないと思うとわくわくする。

【営業報告】「Pen」007特集


・本日発売の「Pen」12/15号の「007」特集内にて、ジェームズ・ボンドのイラストを多数描かせていただきました。ボンドファッションについて高橋一史さんと尹勝浩さんが熱く語る対談記事となります。
 先月の美術手帖「スター・ウォーズ」特集に引き続き好きな映画の特集のお手伝いができて大変うれしいです。最新作「スペクター」も試写で観させていただきました。貴重な経験ができました。
http://www.amazon.co.jp/…/B…/ref=cm_sw_r_tw_dp_qEcxwb02A83ZM


2015/11/17

【営業報告】美術手帖「スター・ウォーズ特集」


 美術手帖12月号の「スター・ウォーズ」特集にて、「スカイウォーカー家物語」題してイラストコラムを担当させていただいております。フルカラーのイラストと文章で、スカイウォーカーの血筋の物語を紐解く内容になっています。
SW特集で仕事をさせていただくのは今年の目標のひとつでもあり、こういう仕事をするためにイラストレーターになったと言っても過言ではなかったので、とても感激しています。スター・ウォーズが好きで本当に良かった!これからも好きでい続けよう、もっと好きになろうと思います。
 また、自分のコラムだけでなく、長谷川町蔵先生と山崎まどか先生によってSWのアメリカ性が語られる、出張版「ヤング・アダルトU.S.A.」のページでもカットを描いています。大好きなおふたりがSWを語られていること自体胸が熱くなりますが、そこに自分の描いたイラストが使われているのはとても感慨深いです。「美術手帖」さんでこんなに描かせていただけたことも大変光栄です。
12月18日の最新作公開に向けて、ぜひご覧頂ければ幸いです。ぼくの書いた記事が少しでもSWへの理解を深めるのに役立つことができればこれ以上うれしいことはありません。




2015/11/15

【営業報告】asta*12月号


・ポプラ社asta*12月号(もう12月!)の「秘密図書館」では三浦しをんさんの「あの家に暮らす四人の女」(中央公論新社)の感想を書かせていただいています。
http://www.webasta.jp/asta/


・JET SETさんの卓上カレンダーの現物が届きました。サンプルでは黒い線で描かれていたイラストですが、実際は月ごとにいろいろな色になっています。小さな絵柄がスケジュールのアクセントになればと思います。

2015/11/13

【営業報告】ノベルティ・カレンダー他


・京都に本店(東京店は下北沢)のあるレコードショップ、JET SETさんのノベルティカレンダー(卓上)の絵柄を描かせていただきました。
 珍しく音楽にちなんだ絵になっています。 お取り扱いは11月21日より。店頭では一度に1500円以上のお買い物につき一点、オンラインショップ上では60ポイントで一点と交換できるそうです。
http://www.jetsetrecords.net/news/2015/10/2016.php


・映画「WISH I WAS HERE 僕らのいる場所」(監督/主演ザック・ブラフ)DVDの、タワーレコード購入特典(マグネットステッカー)にイラストを描かせていただいています。クリスマスの発売となります。
 http://tower.jp/item/4081312

 今回はグッズのお知らせとなりました。よろしくお願い致します。

2015/10/19

スター・ウォーズ新作メモ 11-12


 すでに公開まで2ヶ月を切ったので更新ペースを上げたいところ。でも、公開したあともこのスタイルでSW記事制作を続けたいと思っている。ちなみに新たな予告編が近々公開されるそう(明日?)。
 初の女性主人公ということで、デイジー・リドリー演じるレイに注目が集まる。とは言え今までの作品でもレイアやパドメは主人公のひとりとして活躍しているので、そこまで新鮮なことではない。主人公はひとりのようでありながら皆主人公でもあるのがSWの良いところだし、SWは男女ともに楽しめるものだとぼく個人は考えている。
 レイがソロ夫妻の娘である可能性は濃厚となっており、なんとなく設定は想像がつくのだが、フィンに関しては謎な部分が多い。最初のティーザー映像に冒頭から登場して以来新作におけるひとつの顔となっている彼を、同じ黒人というだけでランド・カルリジアンの息子だとする説もあり、それはさすがに安直だろうと思っていたのだが(安直というかやや乱暴のような気もする。ほかにも黒人は大勢いるという可能性を無視しているように見えるし、ランドの顔とフィンの顔は全然似ていないのに黒人というくくりで考えてしまう感じがいただけない)、ここへきてその可能性も捨てられないものとなった。フィンは「帝国の逆襲」で奪われたルーク・スカイウォーカーの青いライトセイバー(元アナキンのライトセイバー)をクラウド・シティまで探しにいくミッションを与えられているのだという情報もあり、そうなると空中都市を介してランド(「帝国の逆襲」では主人公たちがクラウド・シティでランドと出会う)のイメージと重なっていくのだ。フィンはコンセプトアートの段階からアナキン=ルークのライトセイバーを上着のポケットに入れている姿が見られているので、ライトセイバーを巡る冒険では重要な役割を果たすだろう。失われたはずのライトセイバーが取り戻されるということは、アナキン、ルークに続いて次の世代がこの武器を手にとることになり(恐らくはレイ。恐らくはね)、一本のライトセイバーが三世代に渡って受け継がれることになる。熱い。
 ポー・ダメロンはティーザー映像のせいでXウィングを乗り回しながら「フォオオオオオ!!」と叫んでる人、というイメージが強いが、あの様子からもポーのパーソナリティはそれなりに伺うことができる。要は調子に乗りがちなエース・パイロットといったところだろう。ポーはレイに恋心を抱いているが、レイの父ハン・ソロは、ポーにかつての無鉄砲で未熟だった自分の姿を見出しておもしろくないのだというような設定も広まっている。真意は定かではないが自然だし、人物相関図としておもしろい。
 そうしてポーはなにか失敗をするのだと思う。というのも、ティーザー映像ではブルーのXウィングに乗っているが、レゴ・ブロック等のオモチャでも明らかになっているように黒とオレンジのXウィングにも搭乗することになる(ドロイド・ソケットにはBB-8が!)。ブルーの機体に乗っている間めちゃくちゃ調子に乗っているので(「フォオオオオ−———ウ!!」)、黒オレンジの機体はやらかしちゃった後に乗るものではないだろうか。ポーがストームトルーパーに連行される様子も確認されているので、ブルーの機体は墜落ないし拿捕されるのだろう。失敗するヒーローは好きだ。なんといっても主人公の失敗は物語を動かす。


 さて、ヒーローより魅力的で困るのがヴィランたちである。
 アダム・ドライバー扮するカイロ・レイだが、アダム・ドライバーといえばポー・ダメロン同様の赤いフライトスーツを着ている姿がリークされていた。そこでドライバーが演じるキャラクターはカイロ・レンではないのではないかともいわれたが、すぐあとに黒装束でトルーパーを率いるドライバーの姿が明らかにされた。では、フライトスーツを着ていた黒い長髪の人物は別人だったのだろうか。ここでひとつ立てられる説とは、カイロ・レンはレジスタンスの仲間だったが裏切るというもの。いきなりアナキン・スカイウォーカー・ルートに入ってしまうわけだ。彼がソロ夫妻の息子でレイの兄であるのが本当なら、彼は祖父であるダース・ヴェイダーに執着していることになる(祖父の遺骸を掘り出しにいき、焼け残ったヘルメットを手に入れるほどだ)。
 さらに言えば、Xウィングのパイロットだったカイロ・レンの裏切りが、さきに触れたポー・ダメロンの失敗にも繋がるのではないかとも考えられる。
 ぼくが今のところ新キャラクターの中で一番気に入っていて、その見せ場に期待しているのが、グウェンドリン・クリスティー扮するキャプテン・ファズマだ。クロムメッキのトルーパーの絵がリークされたときから、銀ピカの甲冑のようで気になっていたが、大柄な女性で(ぼくにとってはかなり重要だ)、ボバ・フェットに重なるキャラクターというからには好きにならないわけがない。今のところピカピカのイメージしかないが、薄汚れた姿も見てみたい。
 次世代の若者たちがメイン・キャラクターをかためる本作だが、ハックス将軍(「HUX」の訳がまだ定かではないが、ひとまずこう呼ぶが)もまたこれまでの帝国軍将校役としてはとても若い。だがこれまでの将校キャラに負けない貫禄がある。なんだこの袖を通していないコートは。ズルいではないか。オゼル提督が束になっても適わない有能さを示して欲しいところだ。
 というわけで今回は悪役サイドもちゃんと主人公サイドに対応したパーティ性があり、主人公たちよりも華やかでかっこよく見えてしまう。レジスタンスとファースト・オーダー、あなたならどちらを選ぶだろうか?


スター・ウォーズ新作メモ 10


 「スター・ウォーズ」といえば関連商品の膨大さだ。これはディズニー買収以前からの恒例行事で、新作公開の時期はたくさんの新商品が発売され、それらを通してまだ見ぬ新しい作品に思いを馳せることができる。新作をまったくやっていない時期ですら常にハズブロ社のアクション・フィギュアやレゴ・ブロックのセットなどは出続けているわけで、SWとオモチャは切り離すことができない。特にアクション・フィギュアは第一作目公開時からケナー社がメイン・キャラクターから脇役まで網羅するシリーズを売り出しており、後にハズブロ社に吸収されたあともその遺伝子は今日まで受け継がれている。映画とともに歴史を歩んで来たこの魅力的なプラスチックの人形についても語りたいところではあるが、それはまた今度にしよう。
 やっと発売されたばかりなので、まだまだラインナップは寂しいが、徐々にオモチャとして現れはじめた新キャラクターの姿形からいろいろな想像を膨らませることができる。
「レジスタンス・トルーパー」というこの絶妙にダサい兵士だが、「レジスタンス」という言葉はレゴ・ブロックのセットにも登場している。恐らく主人公サイドの陣営のようだが、だとすれば反乱軍は?そもそもエンドアの戦いから30年、反乱同盟軍は銀河系の天下を取ることができたのだろうか?それは物語の重要なベースとなる点なので常に気になるところではある。ティーザー映像の大破したスター・デストロイヤーなどを見たところ、どうやら反乱軍は帝国を打ち破ることができたんじゃないかと思うのが自然だし、そうなれば体制側として銀河を統治しているはずだが、新たな脅威の登場で再び劣勢に追い込まれることになるのだろうか。序盤でこそ新しい平和な共和国として登場するものの、すぐに「レジスタンス」に格下げされて強大な敵に抵抗を余儀なくされるということか。あるいは、「レジスタンス」というのは従来の反乱軍(現在の体制や名称がどうあれ)からも分離した一派なのかもしれない。いずれにせよ反乱軍のようで反乱軍ではない「レジスタンス」、帝国軍のようで帝国軍ではなさそうな「ファースト・オーダー」の戦いは新世代の戦いになりそうだ。
 同じくハズブロのベーシック・フィギュアに登場した「ズヴィオ」というエイリアン。この円盤型のかぶりもの、なんだか既視感があると思ったら全く同じものを被っているキャラクターがCGアニメシリーズ「クローン・ウォーズ」に登場している。キューゾという種族のエンボという賞金稼ぎだが、彼は円盤型のヘルメット(シールド=ハットというらしい)をかぶっており、ときにこれをフリスビーのように投げて武器にしたり、裏返して両足に敷いて斜面を下ったりといろいろな場面で使いこなしていた。エンボも、ズヴィオと同じように口元を隠しているのだが、その顔つきも似ていなくもない(そっくりではないが)。これは同じ種族か。あるいは第一作目「新たなる希望」の酒場のシーンに登場したエイリアンのデュロスと、「ファントム・メナス」に登場するニモイディアンが親戚のような関係にあるのと同じように、関連性があるのかもしれない。

2015/10/06

【営業報告】SPUR11月号他


・すっかりお知らせするのが遅くなりましたが、「SPUR」11月号にて挿絵を担当した「ヤング・アダルトU.S.A.」の特集ページで、イラストカットを描かせていただきました。フルカラーです。
http://hpplus.jp/spur/magazine/new

・ポプラ社の文芸PR誌「asta*」11月号の読書レビュー連載「秘密図書館 in asta*」では山内マリコさんの「東京23区」を取り上げさせていただいております。
http://www.webasta.jp/asta/

・ぼくのウェブサイトの作品集はTumblrブログを使っているのですが、このTumblrページをTumblr公式の注目イラストレーター枠に加えていただいております。
https://www.tumblr.com/spotlight/illustrators

・さらに同じページを注目の映画系ブログ枠にも入れてもらっています。ひとつのTumblrでふたつのジャンルに加えていただき大変うれしいです。映画イラストを描く人間として認識してもらえるのも大変光栄です。もちろん他にもいろいろ描いていくつもりです。
https://www.tumblr.com/spotlight/film

2015/09/23

台湾というところ


 9月13日から16日までのあいだ台湾旅行に行っていた。生まれて初めて自分の国の外(大した距離ではないのだけれど)に出たわけだけれど、思えば列島本州からも出たことがなかったのに、九州や沖縄をすっ飛ばしていきなり台湾までひとっ飛びとは、自分の中ではすごいことである。
         
(九份のお茶屋)

 まず台湾はとても暑いところだった。日が出ている間はとても活動的になれない蒸し暑さである。ぼくは日本も相当蒸し暑いところだと思っていたのだけれど、そんなことはなかった。台湾からやってきた人が、東京は乾燥していると言っていたので首をかしげたものだけれど、なるほど台北はもっともっと蒸している。それに日差しは東京のそれとは比べ物にならない。日中が暑いせいか、お店は大抵夜遅くまで営業しているらしかった。そして地下鉄の始発は朝6時と少し気持ち遅めだ。そういう他の国の事情というものに直接触れるのも初めてだったので、やけに興奮した。気温だけでなく、匂いや味も新鮮だった。どこもかしこも馴染みの無い匂いでいっぱいだ。食べ物は知らない味がする。今や東京ではいろいろな国の食べ物が口にできるというけれど、やはり現地で食べるのは違う。そこの空気の中で食べるその味は全く馴染みのない、知らないものだった。自分の舌に合うのかどうかもよくわからない未知の感じだった。

(茶館の南街得意)
 
 金銭感覚の鈍りには困ったものだった。海外にきている興奮もあってやたらと使ってしまったように思うが、そんなことは気にするべきではないだろう。それでも物価の感覚が微妙によくわかっておらず、あとでよくよく考えてみるとずいぶん高いところで飲み食いしたものだと思った。我ながらビンボーくさい。しかし、「200元」といった値段を見て頭の中で約4倍して日本円をつけるというような作業もぼくには大変新鮮だった。外国に来ているという感じ。セブンイレブンやファミリーマートといった馴染みのあるコンビニでも、なかなか勝手の違うところがあるのはおもしろい。犬の散歩をしていた人が犬を連れたまま入店しているのもちょっと衝撃的だった。


犬といえば、台湾ではひと昔前の日本のように繋がれていない犬がうろついている。ガイドブックでは確かに紐に繋がずに散歩をすると書いてあったが、これはもう散歩どころの話ではない。要するに以前の日本と同じ感覚で、犬が猫と同じように自由に歩き回っているということ。多少危険もありそうだけれど、これはこれで開放的な画に見えた。この写真の子、野犬同然にうろうろしているくせに尻尾をお洒落にライオン風にカットしてもらってるのがかわいい。
 好きに歩き回る犬を見てわかるように、人々や街そのものもどこか開放的に思えた。マナーはうるさく啓発されておらず、大抵のことはその人自身の自己責任となっているような感じ。だからみんな自由に過ごしているように見えた。もちろん、住んでみたら違うのかもしれないけれどね。東京に比べたらだいぶあけっぴろげに見えたってわけ。


 一番印象に残っているのはスクーターの多さ。自転車に乗っている人を見つけるのが大変なくらいみんな原付に乗っている。ボロボロのものからピカピカなものまで、老若男女問わず、子供や愛犬まで乗せて様々なスクーターが(大型のバイクはあまり見なかった)道路を大挙して走っている。信号を待つ際には車よりも前にあるバイクの停車スペースにみんな集まる。だから信号が変わった途端ものすごい数のバイクがいっぺんにぞろぞろと道路を走り出すわけだ。結構迫力があるし、それらの流れを見ているだけでも楽しかった。
 異様な蒸し暑さと強い日差し、開放的で独特の雰囲気、初めて嗅ぐ匂い、古い建物と新しい建物、綺麗な建物とちょっと汚い建物が同じところに詰まっていて、一言には言い表せない魅力でいっぱいところだった。初めての海外旅行、しっかりイラストで旅行記にしたいと思う。そこにいろいろ詳しく描きたいと思っているので、ここでは詳しい日程や観光したスポットなどは省略しておきます。

2015/09/01

ぼくが初めての海外旅行の行き先に選んだのは


 じゃーん、日本国旅券。
 これがあれば国交が正常な国なら世界中どこでも行けるのさ。9月は人生で初めての海外旅行に行く予定である。
 未だ見ぬ外の世界への憧れと同時にやってくる苛立ちについては以前「私が宇宙旅行について思うこと」という散文に織り交ぜて書いた。舞台は近未来、宇宙旅行が誰でも行ける当たり前のものになった世の中で、友人たちが頻繁にそして気軽に宇宙旅行に出かけて行くのを横目に主人公は憧れと苛立ちの入り交じった気持ちでもやもやするという内容。この文章を書いたとき、すでにぼくは人生初となる海外旅行の計画を妻に持ち込み、彼女の賛同を得たところだった。宇宙旅行に想いを馳せる主人公同様、いてもたってもいられなくなったのだ。
 行き先はと言うと、台湾である。かねてから憧れの人達が台北市内を満喫しているのをSNSで見て興味があったし、それほど金額もかからない。とっても近い外国ではあるが、初めての海外旅行には丁度良いと思う。今後少しずつ距離を伸ばしてもっと遠い国にでも行けばいいのだ。最初の一歩には最適な場所だと思うわけ。
 東京で感じている閉塞感を破るきっかけにもなるだろう。最初の一歩が踏み出せればあとはどこにだって行けそうな気がするし、本当に見知らぬ土地で新鮮な気分に浸ってみたい。そうして帰ってきたときに自分の住む場所の良さが改めてわかれば良いと思う。外から見ないと自分がどういうところで暮らしているのかわからないというものだ。

2015/08/31

チューバッカを恐いと感じたとき


 モフモフで頼れる巨漢のチューバッカだが、とんでもない怪力の持ち主で怒らせるとめちゃくちゃ恐いということを改めて思い知るのは「帝国の逆襲」のクライマックスにさしかかるシーン。旧友としてハン・ソロとその一行を迎えて厚遇したランド・カルリジアンは彼らを裏切ってその身柄をダース・ヴェイダーに渡してしまう。結果としてハンは生きたまま冷凍されて連れ去られてしまうが、ランドはランドでヴェイダーの態度や当初の約束と違う展開に不満を露にして反撃を試みる。もちろんチューバッカとレイア姫はカンカンになって彼を責め立てる。その際チューバッカは手錠を外された途端ランドの首につかみかかり唸りながら絞め上げる。初めてこのシーンを観たのは小学五年生だったが、計り知れないチューバッカの力と恐ろしさを単純に恐いと思った。絞められているランドがまたものすごく苦しそうにするのがそれをより際立たせる。チューイが本気になったら人間の首なんてぺしゃんこにねじれちゃうんだろうなあと想像を巡らせたのをよく覚えてる。
 今でも時折巨大な大型犬が散歩しているのを見かけると、あれがその気になったら人間なんてひとたまりもないんだろうなとうっすらと恐くなることがあるが、このシーンのチューバッカを観たときの気持ちと似ている。

ウェス・アンダーソンと犬


 初めて観たウェス・アンダーソン映画は「ムーンライズ・キングダム」(2012年)。雨の日に観たものだから以来雨の日にぴったりの映画に自分の中ではなっている。ボーイ・スカウトがこんなに素敵なものだとは思わなかった。ぼくもボーイ・スカウトに入ってみたかったな(多分現実は違うと思うが)。ボーイ・スカウトの子供たちを使ってミリタリー的な雰囲気を表現するのも上手いと思った。健気だがどこか物騒なんだよね。でも可愛い範囲にうまあくとどまってる。
 犬があっさり、そして無惨に死んじゃうのはどきっとしたな。でもその後で「ザ・ロイヤル・テネンバウムス」(2001年)を観たらやっぱり犬があっけなく死んじゃうシーンがあって、さらに去年「グランド・ブダペスト・ホテル」(2014年)では猫が馬鹿みたいな死に方をしていた。猫はともかくとして、犬があまり好きじゃないのかなと最初は思ってたんだけど、あの扱いはむしろ好きなんじゃないかなとも思う。それに生きてる間の犬はとても可愛らしく撮られているし。犬好き監督として映画に犬をこれでもかと出しまくるティム・バートンとは愛情表現が違うんだな。いずれにせよ犬の死を経験するのは結構きつく、繰り返し映画の中で描きたくなるほどのインパクトが心に刻み込まれるのかもしれない(ほんとのところはわからないですよ。もしかしたらアンダーソンさん、ほんとに犬嫌いかもしれないし。ウェス・アンダーソンについての書物をまだ全然読んでなくてあの人のパーソナルなところをよく知らないから、いろいろ読みたいんだけれどね)。

2015/08/30

スター・ウォーズ新作メモ 8-9


 しばらくさぼっていたのでまたまとめていきたいと思う。
 少しずつ明らかになっていく情報をメモして想像を膨らませようというつもりで始めた記事シリーズだけれど、ここへきていよいよ新作の内容があまりベールに包まれている状態で無くなったというか、情報の流れが早過ぎて自分の中に落とし込む暇もなければ大して想像を巡らす余地もなくなってきたように思う。当然ながら公開日が近づけば近づくだけ「予想」が意味のないものになるだろう。それでもその日まで考察はやめないつもりだけれど。
表紙を飾った新旧の主人公達の関係は当然気になるところだ。今のところデイジー・リドリー演じるレイという女性が主人公であり、彼女はハン・ソロとレイアの娘なのではないかという情報が一応有力となっている(レイの苗字はまだ明かされていない)。ジョン・ボイエガ扮するフィンはそのサイドキック的なキャラだと推測できるがこれがまたどこの誰なんだかわからない。まあ旧作の身内とは関係の無い人なのだろう。
 マスクを被っているときよりもアダム・ドライバーの素顔が露になっているほうがかっこよく見える悪役カイロ・レンも謎でしかない人物だけれど、ぼんやりした噂だとレイとは兄妹なんじゃないかという説も。これはぼくも結構気に入っている予想で、そのほうが話の展開が燃えるというか、カインとアベル的な構図にもなって良いのではないかなと思う。ダークサイドとライトサイドにきっぱり別れてしまった双子(ハンとレイアの子供が双子となれば、古くからのファンにはうれしいんじゃないかな)の対決。もしかすると一方の能力を両親が高く評価したためにもう一方が嫉妬して暗黒面に走ったのかもしれない(あくまで予想)。
 血縁関係にある人物が悪役というのも実にSWらしい。ダース・ヴェイダーはもちろん言うまでもなく、プリクエル(EP1-3)三部作の方でもドゥークー伯爵は主人公の師匠の師匠の師匠だったわけでこれも擬似的な近親者と言えるのではないか。というか、黒幕であるダース・シディアスの正体は主人公たちに近しい人物だったので、身内が悪役という法則はなんとなく一貫していると言える。ということは新作でもそれが生かされる可能性は十分あるってわけ。
 イラストの方にも書いたけれど、新スノートルーパーは本当にラルフ・マクォーリーのコンセプト・アートの影響が強い。新型Xウィングの姿もまた旧作のコンセプトアートを見慣れているファンにとっては見慣れた形だ。だが残念なことにそのコンセプトアートを半端に真似した感が強い。ボツデザインの流用である上その「真似」なので始末が悪い。良いところもあるのだけれど、ぼく個人としては不満が残る。もちろん実際に飛び回って活躍するところを見るまでは断言できない(映画館を出た後のぼくがこのXウィング大好きになってるなんてことも容易に想像できる)。新作は旧作へのリスペクトが高くそれを尊重するあまりかえって斬新さから遠のいてしまったのではないかという不安もあるが、杞憂に終わると良いな。このあたりの旧作コンセプトアートと新作の比較も記事にしてみたいと思います。

 

 ああだこうだ言いつつもやはり新着映像があるととにかく興奮してしまう。今回は予告編ではなかったけれど、十分新作の内容について想像させてくれる映像だったし、憎い演出やBGMで泣かされそうになった。
 ティーザー第二弾で登場した「現在」のハン・ソロに続いて今回は最新のレイア・オーガナの姿が見られた。もはや小顔で細身(あと巨乳)だったお姫様ではなく、かなり貫禄のある女大将といった雰囲気がある。一説によると今は「姫」ではなく「将軍」の地位にいるそうなのだが、実際はどうだろうか。いくつになってもお姫様でもそれはそれで良いと思うんだけどな。ちなみにぼくはレイア姫すごく可愛いと思っています。
 またかねてからカメオ出演の噂があったサイモン・ペッグが登場し、なんらかの役を演じているのがわかった。「スター・トレック」と「スター・ウォーズ」両方に出られるなんて幸せ者め!カメオとは言えどんな役なのか気になるところ(台詞の無い通りすがりの可能性も十分あるけれど)
 エイリアンのマスク制作の様子が映ることで、今回は着ぐるみエイリアンがたくさん出て来ることがわかる。フルCGのキャラクターが多く登場した前回の三部作へのカウンターだろうか。旧三部作の延長線にある世界を意識しているのかもしれない。そして当然ながら着ぐるみの技術が進歩しているので、目を見張るリアルさがある。質感だけでなく仕掛けの方も精巧になっているので着ぐるみなのにぐにゃぐにゃと表情が動いたりと、よりパワーアップしたエイリアン&クリーチャーを見せてもらえそうだ。
 この映像が憎いなあと思うのは、こうした新型エイリアン制作や表情操作のシーンを見せながら旧作の著名なエイリアンであるアクバー提督とニエン・ナンの登場を示唆するところ。この最新の着ぐるみ技術でアクバーが帰って来てくれるのはとてもうれしい。皮膚の質感もものすごく精巧そうに見えた。モン・カラマリの提督がどういう活躍をするのか気になって仕方が無い。


2015/08/23

【営業報告】キネマ旬報9月上旬号他


 ・「キネマ旬報」9月上旬号にて、9月5日公開の映画「天使が消えた街」(マイケル・ウィンターボトム監督、ダニエル・ブリュール主演)のイラスト感想記事を描かせていただいています。キネ旬ムック・フィルムメーカーズのティム・バートン号を読んで育ったと言っても過言ではないので、憧れの雑誌に載せていただけて感無量です。
テーマとなった映画もとてもおもしろく、記事作りも楽しくできました。普段描いている「秘密映画館」シリーズ同様のスタイルで文章込みのものなので、自分でレイアウトするところなども楽しいです。自分の記事で映画を観たくなる気持ちになっていただければ大変うれしいです。

 ・「CDジャーナル」9月号では、今月6日に発売されたばかりの「ヤング・アダルトU.S.A.」の特集記事にて著者の長谷川町蔵先生と山崎まどか先生の似顔絵を使っていただいております。以前、ノートの片隅におふたりの似顔絵を描く動画をインスタグラムにアップしたのですが、その際に描き上がったものをそのまま採用していただきました。大変ラフなものですが、かっこよくレイアウトされていてうれしいです。

 どうぞよろしくお願いします。

2015/08/22

「日本のいちばん長い日」感想


 クーデターを目論む陸軍将校たちの怒鳴り合いよりも、黙っているだけの役所広司と山崎努の表情の方がずっと迫力がある、くらいにこの二人の重厚さというか渋さというか、かっこいいというような簡単な言葉で表現したくないのだけれど、良い。本木雅弘の昭和天皇もしゃべり方や間の取り方はもちろん物憂げな表情がとても良くて、ラストの玉音放送も再現度が高かったと思う。
 松坂桃李が陸軍部の血気盛んな青年将校役だったが、若干血管がぶち切れないか心配になるほどの怪演だった。降伏に不満を持ち、玉音放送を阻止して戦争継続内閣を樹立させようとクーデターを企むわけだけれど、最初のうちは表情があったのが、事態が深刻化して後戻りできなくなるにつれて無表情となり、「戦争継続」ただそれだけを念頭に完全に作業の目になってしまっているのが恐ろしかった。
 国民全員を特攻させれば勝てるとか、最後のひとりになるまで徹底抗戦するとか、そんなことになったらそもそもの国が滅びるのはわかりきったことなのに、もはや誰もがなんのためにそんなことしているのかわからなくなり思考停止しているような様子が、あの怪演とも言うべき演技から伝わってくるようだった。それだけの狂気を感じさせることができるのはすごいことだと思う。
 特別出演で戸田恵梨香が出ていて、NHK放送局員としてちらっと活躍する。レトロな髪型が似合っていてとても可愛い。他にも松山ケンイチがカメオで出ていた。
 ところで皇居の侍従のひとたちの描き方はあんなんで良いのだろうかと思ってしまったり。けれど深刻な空気の中でのコミック・リリーフ的な役割だと思うし、コチコチになってしまっている軍部強硬派との対比とも言えるんじゃないかな。いずれにせよ玉音盤を一晩守り抜いたのはあのひとたちなので、彼らもまた重要な人々と言える。
 1967年の岡本喜八版も観たくなった。旧作の英語タイトルが直訳で「JAPAN'S LONGEST DAY」であるのに対し今作は「THE EMPEROR IN AUGUST」と、昭和天皇に重点が置かれているところも興味深い。原田監督のインタビューで旧作での天皇の扱いに不満だったことも言及されているので、旧作とは違うところに焦点を置いた作品となっているのだろう。旧作を観て比較してみたいと思う。

「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」感想


 新しい特撮映画として話題だった実写版「進撃の巨人」(前編)。確かに防壁からぬうっと顔を覗かせる巨人の画(原作でも象徴的な構図)は、昭和29年の第一作「ゴジラ」でゴジラが山の向こうから頭を覗かせたときの印象的なシーンに通じるものがある。「ちらっとだけ見えた恐さ」とでも言おうか。結局この大型巨人は全身が映ることがないので、得体の知れなさはゴジラ以上に際立つ。というか出て来る巨人は全部得体が知れないのだが。
 コミックの実写映画化として新たな手本を提示できた作品ではないかとも思う。再現が難しそうなキャラクターを映画独自のものに置き換えたり、舞台設定を原作からかけ離れない程度に、けれどより現実的で実感のある雰囲気にしたりと、いろいろな工夫が随所に見られる(現代兵器が放置されて風化している様子から未来の世界だということがわかるけれど、ああいう仕掛けが個人的にとても好き)。原作への脚色と省略のバランスがうまく取れてこそ、良い映画化作品だとも思う。
 ぼくは原作の調査兵団の制服が体型を選びそうなぴたっとした線で好きじゃなかったのだけれど、実写化するにあたって普通のサイズ感の服になったので良かったなと思った。原作のままだと体型と年齢によって全然似合わないと思うし(日本のコミックやアニメにはありがちなことで個人的にはどうにかして欲しい)。ブーツが魚屋さんみたいなのは変わらないけれど。そして長谷川さんはなんでも似合う。画になる。でかい。かっこいい。
 後編が大変楽しみ。一体どんなふうに終わるのか。件の大型巨人が戦うところがはやく観たい。

2015/08/21

「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」感想


 MCUフェーズ2の総決算「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」。前作「アベンジャーズ」後を描くフェーズ2作品である「アイアンマン3」や「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」などの影響が強く生きているので、この2作を観た上で本作を観るとより楽しめると思う。「アイアンマン3」ではトニー・スタークが宇宙人や超人といった未知の異能者たちへのコンプレックスから、パワードスーツを作り続けるという科学技術による抵抗を試みるが、そんなトニーの心配性が本作のタイトルロールにして悪役である人工知能ウルトロンを生み出すことに繋がる。また、秘密結社ヒドラが世界各地で暗躍し、アベンジャーズの本部である国際機関シールドの崩壊といった舞台設定は「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」から引き継がれている。
 本作はフランケンシュタイン的な作品だと思う。ウルトロンは強い創造主コンプレックスを持っているし、終盤にかけて活躍するもうひとりの「人造人間」であるヴィジョンはソーの雷パワーでエネルギーを得て誕生するなどものすごくフランケンじみている(額の盛り上がりなどもちょっとボリス・カーロフっぽいのでは?)。ウルトロンは人類こそが取り除かれなければならない地球の脅威だとしてその滅亡を目論むが、生命を肯定するヴィジョンはウルトロンを食い止めて人類を救おうとする。これは現代版フランケンシュタインの怪物と言えるのではないだろうか。
 ところでダニー・エルフマンの音楽が素晴らしい。少し大袈裟すぎるくらいのテーマ曲や物悲しいトーンの曲など、彼の音楽とアメコミ映画は非常に相性が良いと思う。ティム・バートン版「バットマン」やサム・ライミ版「スパイダーマン」ですでにDCとマーベル両方のヒーロー映画に名曲をもたらしている彼が、さらに伝説を上書きしたと言える。特に「アベンジャーズ」みたいな作品には大袈裟で壮大な曲が似合う。
 ああ「アントマン」楽しみ。


2015/08/14

デスク周り


 机に一段高い棚板がついているのだけれど、多少の画材が置かれているのを除けば完全に趣味空間になってしまっている。本来こういうスペースは書籍や道具を置いておくためのものではないだろうか、オモチャ類は「多少」飾ってあるのが洒落ているのではないかなど気になるところはあるけれど、思うままに突き動かされて飾ってそれで楽しければ良しとしましょう。ちなみにこの景色を正面に仕事をし、背後には本棚がある。この本棚も半分以上はもちろん本がおさまっているが3分の1くらいはトイが占領している。これでいいのだろうか。けれどそれじゃあどこに飾るんだと言われれば、やはりこれらのコレクションのためにある程度のスペースを割くしかないのだろう。ぼくは好きなものに囲まれて暮らすのが好きなのだ。
小学生の頃、映画における特殊効果(もはやこの言葉が古く感じる)で有名なILM(インダストリアル・ライト&マジック。ルーカスフィルムのいち部門)のメイキング・ドキュメンタリーを観ていたら、そこで働くクリエイターたちが各々のデスクに好きなキャラクターのフィギュアやステッカー、ポスターなどをいやというほど飾っている様子を映し出されていて、それに大変憧れた。クリエイティブな仕事をするからにはデスクをフィギュアで飾り立てないといけないのだなと子供心に思ったものだ。けれどあれはごく自然なことなんだよね。エイリアンやモンスターのデザインをしている人達が壁にそれらのイラストや参考資料を貼付けるのは普通のことだろうし。
 当時はパソコンのモニターがブラウン管で立方体だったから、分厚い枠や側面にステッカーやメモを貼り放題だったらしいが、パソコンは薄いのが当たり前の今日では画面の枠にポストイットやステッカーを貼ることができないのが少し寂しい。もちろんあんな馬鹿でかいパソコンなどご免だけれど、ノートパソコンの蓋表面にステッカーをべたべた貼るのとは少し違う。ある程度面積のある画面の枠にいろいろ貼っているのが魅力的なのだ。
ともかく、あまり見苦しくならない程度にいろいろ飾り続けたいと思う。

2015/08/13

行く手に猫の集会あり


 うちの犬は野良猫に襲われた経験がある。それなのに、未だに懲りていないのか道で野良猫と遭遇すると威勢良く吠えてからもうとする。猫の方は突然吠えられたことに驚きと怒りで背中をアーチ状に盛り上がらせて目を見開く。大抵の場合は犬の方を引っ張って猫がぶち切れて飛びついてこないうちに退散するのだけれど、行く手に猫の集会などあったときにはとてもじゃないが犬だけで通過はさせられないので、図のように抱きかかえて通るわけさ。そういうとき猫はなんだかとても妙なものを見る目で追ってくる。

EWOK KEEPING


 「ジュラシック・ワールド」早く観たい。主人公の恐竜飼育員が、手なずけて調教した恐竜を手で制して言うこと聞かせるシーンのパロディが各国の動物園飼育員のあいだで流行ってる(#prattkeepingでツイッター検索!)ようなので便乗。クリス・プラットは現代におけるハン・ソロ的な雰囲気があると思う。「レゴ・ムービー」や「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」で男の子の心を掴んだと思ったら今度は恐竜ランドのヒーローに。あっという間に少年たちのヒーローになちゃったな。

KEYPERSONS IN WW2


 終戦記念日も近いので、WW2のキーパーソンたち。
 何故か歴史上のこういった人物たちは映画のキャラクターよりある意味描きがいがあるのだけれど、何故だろう。皆特徴的な顔をしていて描き易い。映画や本を通して知る人物も多いせいか、ぼくの中ではキャラ的なのだ。
描くことで勉強にもなった。モントゴメリーさん(一番左下のパットンの上)とかよく知らなかったし。ラストエンペラー愛新覚羅溥儀をプーイーということも知らなかった。描くことで新しいことを覚える感覚はとても心地良い。
 何人描こうかとかはあまり考えていなくて、適当に描いてあとで配置しなおしてまとめようと思っていたのだけれど、描くだけ描いてまとめてみたらちょうど25人で、4人×5列に綺麗におさまってうれしい。
 個人的にはルーズベルトが一番うまく描けたと思う。いろいろ仕事を通して人の顔を描くことに慣れてきたかもしれない。コツがつかめたというか、目描いて鼻描いて。。。
 特にオジサンはうまく描けるのだけれど、若い男性がまだね。。。

HEROES FROM AVENGERS

 
本編の感想よりも先にキャラ絵を描きたくなったので。
 「マッドマックス」の感想のときにわかったけれど、キャラクターをちゃんとその色で塗る必要はないんだな。場合によるけれど、一色で塗るとパリッと鮮やかになってなかなか良い。多用すると飽きそうだけれど、手法としてモノにしたい。
 今作で一番気に入ったキャラクターは新たに登場するヴィジョン(中央)。マントに全身タイツ、おまけにおでこからレーザー出すあたりレトロな感じでとても良い。

2015/08/03

「ヤング・アダルトU.S.A.」(長谷川町蔵・山崎まどか共著/DU BOOKS)にイラストを描かせていただきました




 8月6日木曜日にDU BOOKSより発売となる、長谷川町蔵先生と山崎まどか先生の共著「ヤング・アダルトUSA」にイラストを描かせていただきました。表紙にも使われています。多屋澄礼さんも挿絵を描かれています。
 ブルーとイエローが印象的な本ですが、ぼくが今とても好きな二色なのでうれしいです。ブックデザイナー藤田康平さんの手によって挿絵も元の絵よりずっとかっこよくなっていると思います。感謝しきれません。

 映画、ドラマ、小説など、ポップカルチャーからアメリカのティーンエイジャー文化を紐解き、「アメリカの思春期」について著者のおふたりが語るという内容になっています。
写真左下のブルーの栞がディスクユニオン、その上の「ブレックファスト・クラブ」の絵柄の栞がタワーレコード購入特典、缶バッジはSHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERS限定販売です。
 8月7日金曜日には、ブックファースト新宿店にてイベントが開催されます。
 http://www.book1st.net/event_fair/event/page1.html



***

 美術学校に通って二年目くらいの頃に渋谷パルコの地下の書店で、「ハイスクールU.S.A.」という本を見かけた。すでに著者である山崎まどか先生と長谷川町蔵先生の存在を知っていたので、著者名から注意を引かれて手に取ったのだけれど、その内容はぼくの憧れていた世界に関しての細かな解説だった。
 ぼく自身が中高生だった頃、とにかく海の向こうの同年代たちに憧れたものだ。それは恐らく、純粋な興味からというよりは、自分が置かれていた閉塞的かつ退屈な環境への反動のためだったと思う。ティム・バートンなどの映画を通して、どうやら向こうの学校生活には黒ずくめの悪趣味な除け者がいるということを知り、そいつらはもしかすると自分と同族なのかもしれない、と心の拠り所にし始めたのがきっかけだと思う。その反面、ディズニー・チャンネルで見るような原色と解放的な雰囲気に彩られた活発な同年代たちにもどこか魅了された。クラスメイトたちが夢中になっていたJポップに全く共感できなかったがためにアヴリル・ラヴィーンを手始めに洋楽に亡命したのも、ある意味ではありきたりな通過儀礼のひとつだったと思う。
 黒ずくめの連中、いわゆるゴス。これはぼくに「ぼくみたいなのはひとりじゃないんだな」という安心をもたらしてくれたのだけれど、やがてジョックスとかブレインとかギークとかナードとかいう用語も知った(今思えばこれらの用語を日本に紹介したのも長谷川先生と山崎先生なので、すでに最初からぼくはふたりの影響下にあったということ)。同じような立ち位置のやつらは日本の中学高校にもいたけれど、はっきりとクラスメイトたちにラベルが貼ってあるのが新鮮だった(もちろんあんな日本よりもきつそうな階級制度のある教室で生き延びる自信なんて無いのだけれど)。そして、「ハイスクールU.S.A.」にはその分類がイラスト付きで詳しく解説してあって驚いた。なんとなく言葉を聞いたことがあったけれど、イラストがついているだけで俄然イメージが具体的になり、ひと目でアメリカの学園生活がわかるような気さえした。
 いつかこういう本にこういう絵を描かせてもらえたらいいなあ、とイラストレーターとしての仕事についてぼんやりとしかイメージしていなかった専門学校生は思ったのだった。
 けれどまさか4年後にそれが実現するとは思わなかった。同じふたりの著者と、さらに前の本よりも一歩先を行ったテーマ。この感動と喜びを言葉にするのは容易ではなく、むしろどんな言葉にもしたくないという気持ちがあるけれど、ただただうれしい。点と点が結ばれていって今に至っているという感覚もとても感慨深い。

 この夏の読書にお手に取っていただければと思います。

2015/07/16

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」感想


 全編カーチェイスのディストピア冒険物語とでも言いましょうか。スピード感が爽快であるとともに、余計な説明が無いというか、すんなりその世界観に引き込まれる。キャラクター造形も重厚でありながらわかりやすい。それでいていろいろと分析の余地がある楽しい映画です。3DIMAXという環境にぴったりの映画でした。またああいう設備で映画を観ると、映画がただ観るものから体験するものに変わりつつあることがわかる。映画体験とはよく言ったもので、この「マッドマックス」も、車と車のぶつかり合いによってはじけ飛ぶ火花や金属の破片みたいなものを無意識に頭を振ってよけたくなる迫力があった。顔をしかめて避けたくなったそのとき、いつの間にか自分が映画の中に入っちゃってることに気付く。
 ディストピアの未来世界というと、ぼくは強くなりすぎた政府が徹底的な管理体制を敷いてる世界を連想するのだけれど、政府なんてものが無くなっちゃって、秩序がすっかり崩壊しちゃった世界もまたディストピアなのだなあと思った。自由すぎる世界もまた危ないんだな。
 キャラももちろんだけれど、いろいろな改造車が出て来るのも楽しい。これまた子供の妄想みたいな車が出てきてヴィジュアルがすごすぎて笑ってしまうくらい。これは確かにレゴ・ブロックで再現してみたくなる。

2015/07/09

「おはなしして子ちゃん」感想


 たとえば「アダムス・ファミリー2」における、キャンプ場でのネイティブ・アメリカンと白人様のお食事会(の劇)をウェンズデーがぶち壊しにした後、ブロンド白人ギャルをこらしめるとどめの一発にマッチを擦って火をつけた瞬間、高らかにアダムスのテーマが流れる。あのときの邪悪な高揚感に似たようなものを、この本を読みながら感じた。ブロンドギャルをこらしめるお話ではないけれど、「善良な人々」を戸惑わせ恐怖させる才能を持った人物が登場したり、今までそれほど注目されたこともなかったような「物」程度の存在だったものが突如怪物に変貌して逆襲してくるところなど、ウェンズデー・アダムスの邪悪な笑みが浮かんで来るようでとても楽しかった。
 ホルマリン漬けの動物はぼくもずいぶん恐いもの見たさで観察したことがある。個人的に動物の姿をしているものよりも、「眼球(牛)」というラベルが貼られたガラス円柱の中で異様に大きくてうつろな灰色の球体が浮かんでいるのが恐かった。あの誰も意識を向けず、誰からも手入れはおろか触れられることすらなく忘れ去られた容器の中に、ぼくがよく知っている世界のものとは別のものが潜んでいるのではないかと不気味に思ったものだ。
 同様の理由で藻に覆われてなにを飼っていたかわからなくなった古い水槽なども恐い。田舎の民家の庭にはだいたいあるもので、中を確認することすらなんだか気味が悪くて放置されがちな古い水槽。けれどときどき分厚い藻のベールの中で金魚なのかなんなのか、なにかがぬうっと動くのが見えるのだ。

2015/07/06

「マーベル・シネマティック・ユニバース」/「アベンジャーズ」以降 - 再集結


 先週末から日本でも公開が始まった「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」。ぼくはまだ観ていないので、とりあえず前回の「アベンジャーズ」以降、「エイジ・オブ・ウルトロン」に続いていく「フェーズ2」シリーズ群のまとめです。
 
「アイアンマン3」は「アベンジャーズ」後のトニー・スタークの苦悩を描き、彼自身のキャラクターを掘り下げている。「アベンジャーズ」で数々の異形や、科学では太刀打ちできない未知の脅威を知ってしまった彼は、アイアンマン・スーツに頼るしかない自分の無力さに苦しみ、取り憑かれたかのようにスーツ作りに励む。「アイアンマン」シリーズのテーマのひとつ「作る」がここに極まる感じ。トニーの精神的な面に焦点を当てているためか悪役や戦いはいまひとつ(一作目のジェフ・ブリッジス同様、ベン・キングスレーという名優の雑な扱い)。まあ、一作目も二作目も個人的にはいまいちだったけれど。アイアンマンがアイアンマンたる所以のようなものを今一度確認できる作品になっている。

「アベンジャーズ」のあとでソーとロキ(特にロキ)がどうなったかを描く「マイティ・ソー/ダーク・ワールド」。地球から故郷に戻ったソーは王位継承者としての仕事に励み、前作の傲慢なドラ息子から優れた次期指導者に大きく成長し、ロキは地下牢で服役中。しかし、宇宙征服を目論むダーク・エルフの出現をうけてふたりは一時共闘することに。同じ頃地球でも宇宙で起こっていることの影響を受けて異変が起き、ジェーン、ダーシー、セルヴィグ博士も奮闘する。前作同様、宇宙サイドの戦いのスケールとのバランスか、地球側のキャラクターがちょっとお間抜けな感じでてんてこまいになる様子が笑える。

「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」は前作「ファースト・アベンジャー」とは打って変わった雰囲気。「アベンジャーズ」後、国のために数々の任務を遂行していたキャプテン・アメリカだったが、アメリカは彼が知っていた戦前戦中のアメリカではなくなっていた。持ち前の愛国心が組織を疑うという発想を彼に抱かせてこなかったが、とうとうキャップは疑問を持ち始める。敵は味方の中にいたのだ・・・。
 「ファースト・アベンジャーズ」では第二次世界大戦を通して無条件でアメリカの戦いを賛美して描いていたけれど、「ウィンター・ソルジャー」では反対にその幻想が通用しない現代のアメリカの暗部を彷佛とさせる。その中で変化になかなか適応できずに苦しむキャプテン・アメリカを描き、彼により強大で複雑な敵を用意している。キャプテン・アメリカの個人的な物語であるとともに、アメリカそのものの変化を描いていると思う。
 
 「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」に関しては個別に感想記事を書いたのでざっくりと。MCUにおいては今のところ「アベンジャーズ」のメンバーと関わりがないけれど、同じ世界観を共有している作品(「アベンジャ―ズ」に少しだけ登場したサノスが登場)。とは言え遠い銀河系の物語なのでなかなかその実感はないけれど。宇宙繋がりで「マイティ・ソー」の世界とリンクがあり、「ダーク・ワールド」のエンドクレジット後には、「ガーディアンズ〜」に登場する宇宙の蒐集家コレクターがソーの手を焼かせたアイテム「エーテル」を預かるシーンがある。MCUシリーズは「インフィニティ・ストーン」という複数のアイテムを巡った戦いが一本の筋になっており、フェーズ1には「コズミック・キューブ」(四次元キューブとも)を巡ってアベンジャーズが戦ったが、この「エーテル」もインフィニティ・ストーンのひとつ。「ガーディアンズ〜」には「オーブ」というインフィニティ・ストーンが登場し、これの争奪戦というのが本筋となる。アイテムによって別々の映画が繋がっていくのもMCUの特徴。

 さて、「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」が公開された今、フェーズ2も残すところあと一本となった。これが「アントマン」というまたユニークなキャラクターの映画であり、アリのサイズに縮小して戦うもっとも小さなヒーローの物語となる。
 大変楽しみだが、どうしてフェーズ2はアベンジャーズで終わらずに、このアントマンの映画で締めくくられるのだろうか。そこにはなにか、アントマンの大きさからは想像できないような大きな展開があるはず!

2015/07/01

「トゥモローランド」感想


 確か「イミテーション・ゲーム」の感想で西尾維新先生の「世界は天才に厳しい」という言葉を引用したと思うのだけれど、この映画もまたそれがあてはまると思う。直接的ではないにせよ。ディストピア未来が主流の近頃だけれど、この映画ではこれでもかと華麗な映像美やデザイン性とともに夢のような未来世界を見せてくれる上、ディズニー的ジョークも連発され大変楽しい。
 しかし驚いたことになにかの才能に秀でた者を選んでトゥモローランドに招待し、大多数の一般人にはその存在を隠したままというのは、選民思想ではないかという否定的感想を持った人が多いらしい。まあ他人の感想にはあまり興味がないのだけれど、頷けるところもある。だが、それも踏まえて思ったのは、トゥモローランドは天才が自分の分野に没頭できて、現実世界をより良くするための技術革新をする場所というだけでなく、天才と呼ばれる人々のためのユートピアとしても考えられるのではないかということだ。実際にトゥモローランド建設に関わった歴史上人物たちは皆天才で、テスラ、エジソン、ヴェルヌ、ディズニー、アインシュタイン・・・明言はされていないがロケット的ガジェットが登場したり、ディズニーランド内のトゥモローランドにも関与しているためヴェルナー・フォン・ブラウン博士などもそこに加わっているはずで、史上に登場する天才的人物はだいたい関わっているのではないか。そしてその目的は、明日を創るための技術を研究するところであるのと同時に、「才能」を現実世界の抑圧から守るためなのではないか。
 そりゃ、才能のある人のための場所だから選民思想的なのは当たり前である。けれど、それを完全に悪いことだとはぼくには思えないのである。その才能故に孤独に生きるしかなく、時代や世界のせいで不遇な運命を辿った人がいるのは、「イミテーション・ゲーム」のアラン・チューリングを見てもわかるはずだ。そう考えれば、大多数の「普通の人々」のほうがずっと選民的と言えないだろうか。才能はときに嫉妬されるし、恐怖すらされるものなのだ。