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2019/12/24

『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(2019)


 
 ついに終わった。14年前の夏にも「完結」を経験したけれど、『シスの復讐』は最終章というよりは最後のピースがぴったりはまって6部作が「完成」するといった意味合いが強かったし、「本当は9部作の構想だった」という話がなんとなく幻想を見させてくれてはいたので、あまり終わってしまったというような印象は薄かった。しかし、もはやその幻だった9部作さえも完全に終わったのだ。

2019/12/17

SW来日イベント


 ちょうどワールドプレミアをやっていたようだけれど、先週参加させていただいた来日イベントについて。レッドカーペット・イベント自体初めてな上にやってくるのがSWキャストたちとあっては舞い上がらずにはいられない。会場内はもちろん一歩外に出た場外にも見物客がたくさんいて、さすがはSW。最初に入ってきた車から真っ白な衣装に身を包んだデイジー・リドリーが現れたときの興奮と言ったらいちいち説明してなどいられない。だけどあえて書くなら、ああ、やっぱり本当にいたんだなという感じ。いや、いることはわかってる。映画だということは百も承知、キャストにしたって他の出演作を観てはいる。しかし、SWという衣をまとって現れると、途端に現実感が揺らいでしまう。おそらくは今回の『スカイウォーカーの夜明け』での白い衣装をイメージしたようなお召し物だとは思うけれど、ぼくはどこか『新たなる希望』のラスト、英雄たちに金メダルを渡すときのレイア姫を連想した。セレブレートにぴったりな衣装。ただならぬ輝きを放っていた。

 レッドカーペットというのはなんとなく一直線にずっと敷いてあるようなイメージだったけれど(本場ハリウッドでのイベントではそうなのかもしれないが)、今回は会場内でぐるりと回ったコースになっていて、一見大した距離には見えないけれど、それでもメディアのカメラの前に立ち止まっては丁寧にコメントし、一歩歩けばファンの声に応え、また別のメディアにコメントする、というのを繰り返しているとなかなか前には進まず、なるほどレッドカーペットというのは結構時間のかかる道なんだなと知る。アンソニー・ダニエルズ、ジョン・ボイエガ、オスカー・アイザック、と次々キャストがやってくると、もうデイジーが今どこを歩いているのかよく見えなくなる。おそらくあの一際人だかりの大きいところがそうだろう、といった感じ。

 そういうわけで最初にデイジー・リドリーがコースの一番最後にあるマスコミブースにたどり着いたのは結構な時間が経ってからだけれど、不思議と長くは感じなかった。待ち遠しかったことは確かだが、待っている間の一瞬一瞬まで楽しい時間だった。それに長い道のりを歩き終えたスターたちの顔に全然疲れた様子がないのがすごい。さらにそのあとステージにあがって全員揃っての挨拶。ひとりずつでもフォースが強かったが全員並ぶと結構な迫力である。なによりこんな豪華な面々が揃ってやってきてくれたことに感激する。映画でもようやくレイ、フィン、ポーの主人公たちが揃って画面に並んでくれるわけだが、それがぼくの目の前でも実現しているのだ。『フォースの覚醒』公開からまだ4年しか経っていないが、この3人はもう立派なSWのヒーローたちである。

 そして初めてレッドカーペットを見物してわかったのは、柵の中でスターたちを待っているファンも相当タフということ。というかぼくも含め会場内ほとんど全員立ちっぱなしである。最初に書いたように場外から熱い視線を送っている大勢も同じで(途中で雨が降り出しても人が減る様子はなかった)、ああいうパワーを目の当たりにすると、こういうイベントはみんなによって出来ているんだなと思う。カーペットの両側で微動だにせず立ち続けていたトルーパーのひとも本当にお疲れさま。


 続いて翌日の記者会見。印象的だったのはやはりみんな口を揃えて「終わるのがさみしい」ということ。ぼくだってさみしいよ。しかし作っている側のさみしさというのは単にシリーズが終わるというだけではなく、毎日通っていた現場にもう行けないこと、そこで会っていた人々との仕事が終わってしまうということを意味し、それを聞かされるとSWと言えど仕事なんだなあと思った。それからアンソニー・ダニエルズの「あと数日で映画の内容を秘密にしなくていいと思うとほっとする」という発言も、なるほどと思った。そういうプレッシャーももちろんあるのだろう。そしてそれを聞いて、そうか、あと数日なんだと自分でもわくわくした。2年間、いや、『フォースの覚醒』公開の時点、もしかするとシークエル三部作制作発表の2012年からずっと待っていた結末が、あとほんの少しで明らかになるのだ。

 でもそのあとは?オスカー・アイザックの言うように公開されたら本当に終わりが来てしまうのでは?ドラマや次の三部作の話はあるけれど、このシークエル三部作は確かに終わってしまう。しかし、少なくともぼくは完結しただけでは本当には終わらないと思う。今と当時とでは感覚も状況も違うかもしれないが、2005年の夏、『シスの復讐』を観たあとのほうが熱を強く感じていたような気がする。知りたかった物語の全容がわかった上で想像が膨らむという面があった。映画館で観てきたものを頭の中で反芻し、さらに大きくしていた。子どもの頃のような想像の遊びは今ではしづらいかもしれないけれど、それでも大人になってから追い続けたこの三部作のこともずっと思い返し続けるだろうと思う。ぼくにとってSWのシリーズで断絶のようなものはない。全ては糸で繋がって、この先にも続いている。

 出演者や作っている人たちを間近で見て、当たり前のことだけれど生きた人間を実感した。彼らの姿、話していることを見聞きして、改めて自分はシークエルが好きなんだなとわかった。シークエルはとにかくいろいろなことを言われるが、作っている側も大変だろうということは言うまでもない。ぼくの思い込みかもしれないが、監督や社長の顔にはどこか大変な仕事を経験してきた疲れや、それが終わったことによる安堵のようなものがあったような気がする。楽しいことばかりではないだろう。むしろ大変なことばかりだと思う。ハットのように重い責任がのしかかっていることは当人たちが一番よく知っている。共同脚本のクリス・テリオがふと漏らした「喧嘩をしながら脚本を作った」という一言はずっしりと来た。一体どんな「喧嘩」を経て物語が完成したのだろうか?それを目の当たりにするのも、もう今週中のことである。終わるのはさみしい。しかし、これで9部作のサーガがついに完成し、「宿命の環が閉じる」と思うと、ずっと好きでいてよかったなと思える。














 あとは夜明けを待つばかり。

2019/10/26

The Mandalorian


 本国ではいよいよ11月からディズニープラスで配信開始のドラマ「ザ・マンダロリアン」より、ザ・マンダロリアン。アクション・フィギュアの予約に出遅れてしまったのでとりあえず全身描く。描くとそれだけでシェイプが手に伝わってくるような気がするので、欲しいフィギュアがあったらまず描くのがいいと思う。結局こいつの名前は出てなくて、フィギュアなどでもそのままザ・マンダロリアンという名称になっていることから、クリント・イーストウッド扮するバウンティ・ハンターと同じように名無しで通すキャラクターになるらしい。もちろん全然いい。初登場時のボバ・フェットよりも謎に包まれているわけだが、そうなるとやはり素性というか正体が気になってしまう。名前さえ出さないのにはなにか理由があるのではないか。こいつの正体自体が物語の重要なキーなのではないか。いっそカークーンの大穴を生き延びたボバ・フェットなのではないかという見方さえある。言われてみれば演じるペドロ・パスカルが本編中で素顔を見せるとは限らないわけで、普通にボバ・フェットである可能性もなくはない。結局ボバ・フェットかよと思ったりもするが。それにもしボバが正体を隠して活動するのなら、彼の代名詞であるところのマンダロリアンのヘルメットなどかぶったりはしないのではないか、とも思う。

 ところで絵に描いてみるとその装備は結構ごちゃ混ぜに見える。特に初めてヴィジュアルが公開されたときから言われているように、右の肩当ては『ローグ・ワン』に登場したショア・トルーパーのものに非常に近いし、左の方はまた別のものだ。腿のパーツも左右バラバラで、ジャンゴ・フェットやボバ・フェットに比べて規格の揃った装備ではない。ジャンゴの鎧が綺麗に揃っていたこともあって、ボバの装備はだいぶカスタマイズされているように見えたものだが、そのボバよりもさらにジャンクな印象。不揃いで左右非対称な感じが、とてもベテランっぽい。さらにヘルメットはクロムメッキでいよいよごちゃ混ぜなのだが、色彩によって整えられているところもあり、ヘルメットがいい具合に際立っていて、他のキャラクターにはない雰囲気がよく出ている。


 おまけで「ホリデー・スペシャル」カラー。先が二股になった槍状の武器は「ホリデー・スペシャル」でボバ・フェットが持っていたものとしてお馴染みだ。鎧にクリーム色が盛り込んであるところもホリスペのボバを意識してそうだけど、どうだろう。そこでショア・トルーパーのパーツが役立ったというのも、どちらも好きな身としてはうれしい。

2019/08/21

『フォースの覚醒』ボトルキャップ


 なにかが足りないと思えば、おそらくはこれだと思う。スター・ウォーズと言えば夏で、ペプシだった。冬興行はクリスマスと合わさるから、それもいいけれど、やはり夏のほうが楽しいと思う。惑星タトゥイーンの灼熱の二重太陽が夏の日差しと結びつき、銀河の映像はコーラの味を思い出させる。そういうわけで、架空のSWペプシキャンペーンを想いながら夏を過ごしている。一度のキャンペーンにしてはキャラが少なすぎるので(恐らく60種以上あったはずだ)もう少し描いてもいいし、『ローグ・ワン』やEP8の分も作りたいな。無いなら作るか描くかすればいい。青いキャップの上にちょこんとキャラクターを載せただけで、あの夏の雰囲気が出るのだからおもしろい。

 当時のラインナップを見返して思ったけれど、とにかく細かいキャラまでカバーしている。あまりにも端役すぎるものはいないが、お馴染みのキャラクターばかりというわけでもない。脇役のジェダイ、議長の補佐官、主人公を乗せただけのリキショー・ドロイド……。でもどれも画面の中で印象的だしなんらかの役割がある。良いラインナップだ。まだ描けていないものを加えて、当時のキャンペーンポスター風のものにしてみてもいいかも。

2019/06/25

SWタイトル問題


 『エピソード5/帝国の逆襲』より。ダース・ヴェイダーが通信中にオゼル提督を見えない手で処刑し、傍らのピエット艦長をその場で昇進させる場面。息を詰まらせたオゼルが苦痛にあえいでいる間も、表情ひとつ変えずに(それでいて内心怯え上がっているはずなのが伝わってくる)ヴェイダーからの指令を聞くピエット艦長がまたいい感じである。後任者はつねに前任者の無残な最期を脳裏に浮かべながら、恐怖を原動力に仕事に取り組むのである。嫌な職場だなあ。

 と、そんな誰でも知っている名場面の説明はいいとして、今回どうしてもいい加減最終的な決定を下したかったのが、作品のタイトルについて。ご存知のように『スター・ウォーズ』シリーズは副題が面倒である。一作目が後付けで『エピソード4』とつけられたり、かと思えば『エピソード7』にあたる『フォースの覚醒』から、そのようなナンバリングがつかなくなったしまった。オリジナル三部作時代のシンプルな副題を意識してのことだろう。確かにすっきりしていてかっこいいが、9部作並べた際に締まりがない。前の6本については全て話数がついているからである。意図的に話数を抜きにして呼称しているケースやひともいるのだが、それも含めて非常に気持ちが悪いのだ。ましてや9部作でひとくくりにするのなら、やはり全てに数字がついていたほうがいい。数字は、しっかり並ばなくてはならない。なんだか数字に病的なこだわりを持つ吸血鬼のキャラクターのようだが、そしてぼくは決して算数が得意なほうではなかったが、しかし数字は並ばなくてはならない。なにより順番がわかる。ただでさえ順番がわかりづらいSWシリーズ、それはとても重要なことだ。そして、こういう文章で言及するときにも数字で呼んだほうが早い。

 とは言え、副題で呼びたくなるテンションもわかる。数字は便利である反面表情がつきづらく、かえって数字で言われてもどの作品かぴんとこないひともいる。まあそんなひとのことまで配慮してSWに関するテキストを書き連ねる気などないのだが、それでもできるだけわかりやすさは考えたい。たとえばEP5はEP5と呼ぶよりは、『帝国の逆襲』と呼んだほうがわかる。『帝国の逆襲』は『帝国の逆襲』過ぎる。なにを言っているんだと思うかもしれないが、ほかに呼びようがない。単に第5話と呼ぶのは軽過ぎる。5という数字の中に『帝国の逆襲』というワードの強烈さやニュアンスがどうしても含まれない。というのは、まあ、気分的な問題であって好みの話なのかもしれないが、たとえば普通の会話の中で「エピソード5」と言っても恐らく(相手にもよるのだが)「それってどれだっけ」みたいに返ってくるので、副題で呼ぶほうがいい場合もある。逆に副題で呼んだ際に「それって何番目だっけ」と返される場合もあるので頭が痛くなってくるのだが。

 冒頭にもあるように、このブログではとりあえず最初に登場する際に話数と副題をフルで並べた正式なタイトルを書いてから、そのあとは全部数字で略すみたいなことにしているが、テキストはそれでいいとして、イラスト内におけるタイトルがずっと悩みの種だった。

 一体なんでそんなことに延々こだわって悩んでいるのかと思われるかもしれないが、ぼくには重要なのだ。「もうこれで決めよう」とケリがついてすっきりしない限り気持ちが悪くてしょうがないのだ。なにが悩みどころかと言えば、一言で言って絵の締まり方である。テキストでは気にならないことも、絵に書き添えられた書き文字となると、事情が変わってくる。つまり、「エピソード5」まで入れると非常に長ったらしく見えるのだ。さらに言うと、話数を含めることでタイトルに「一本の映画感」がなくなってくるように思える。いや、一本の映画なのには違いないのだが、なんと言えばいいだろうか、第5話、みたいなのがつくことでなんとなく締まりが悪いのだ。ぼくはSWについて書いたり描いたり考えたりすることをそのままライフワークにしているような頭のおかしい人間だが、あくまでSWを映画として取り扱いたい頭もあったりする。だからこそわざわざ公開年を表記している。決してインユニバースに入りすぎない、あくまで一本ごとの映画としての感覚。年号と一緒に監督の名前とか書いてあればよりその雰囲気は出ると思う(さらに締まりが悪くなさそうなのでそれはやらないのだが)。単体として映画ごとの存在感を考えるとき、話数をつけることに抵抗が生まれてくる。もはやそれぞれの作品に話数がついていなかった期間のほうがずっと短くなっているのだが、どこかで副題だけで書いたほうがかっこいい、みたいな気持ちもある。同時に、長々と書いてきているように話数にこだわりたいという気持ちも小さくない。

 前の6部作については、話数込みが正式なタイトルなのだから、そのままそう書けばいい話である。そう、厄介なのは7本目から話数がつかない形が一応の正式タイトルになってしまったことなのだ。一応、と言ったのは、媒体によってはシリーズ全体の整合性を考えて話数をつけて書いている場合があったり、そもそも本編冒頭の宇宙空間を流れる黄色い文字の中にはちゃんと話数がつけられていたりするからだ。

 つまるところ、要点としてはシークエル三部作表記に合わせるのか、6部作のルールにシークエルを合わせるのかというところになる。数字による連続性や順列と、すっきりした副題のどちらを優先するべきか。前者を優先した場合には、シークエルの正式なタイトルを都合よく変えてしまっているという後ろめたさが、後者を優先した場合には、プリクエル三部作世代で話数つきで統一された6部作に慣れ親しんでおきながら、そういうところで気取っちゃうんだ、ははーん、というような声が自分の中で聞こえてくる。そこまで考えたところで思考がもう身動きできない。
 
 しかし、そうやって並べて比べてみたところでどちらのほうがより自分がこだわる要素が多いのかが見えてくる。話数つきには数字による一貫性とともに、やはり自分のこれまでのSWへの親しみ方が含まれている。話数付きこそ、自分が慣れ親しんだSWではなかったか。自分が観ていた頃のSWには、話数がついているのが当たり前だった。数字によって作品同士の関係性が際立ち、意識が時系列の上を移動する。そうだ、SWというのはエピソード群なのだ。結局のところ、副題のみの表記というのは、どこかで気取りがある。話数がついていないほうがスマートだが、それはスマートに見せたいという意識がどこかにあるからなのだ。ではシークエル三部作の正式なタイトルは尊重しないのかと言えばそんなことはなく、あくまでその場合は副題に便宜上話数を付け加えるだけである。そもそもぼくが個人的に描いているものはそこまで正式である必要がない。ぼくの文脈で統一して問題がない。というわけでぼくの中ではSWシリーズは話数をつける形を基本とする。すっきりである。

 ただ、EP9で「スカイウォーカー・サーガ」なるものが完結したあとにくる次のサーガ群が、どういうふうに整列していくのかを考えると、またしても頭が重くなってくる。

2019/04/16

スター・ウォーズEP9 ティーザー所感


 タイトルは『The Rise Of Skywalker』。邦題はまだ出ていないけれど、「スカイウォーカーの復活」とかだろうか。プリクエル3部作、オリジナル3部作、今回のシークエル3部作、合わせて9部作をスカイウォーカー・サーガとして区分するというような話もある(ということはスカイウォーカー・サーガではないSWを展開する予定ということだ)。ここで言うスカイウォーカーとは、もはや個人名やいち家族の名前ではなく、「フォース」や「ジェダイ」と並ぶひとつの概念だろう。9部作を通して繰り広げられた伝説全体の象徴、現象としての「スカイウォーカー」みたいな。単にスカイウォーカー姓の人物がRiseするというだけのお話ではないと思う。もちろん、現時点でスカイウォーカーの末裔であるカイロ・レンことベン・ソロは重要な立ち位置だろうけれど。

 とにかくティーザーの中で驚くのは、海の向こうに見える不気味な残骸と、暗転して聞こえてくる笑い声である。残骸はデス・スターのクレーター周りの部分であることがわかるし、笑い声はもちろん銀河皇帝パルパティーンことダース・シディアスのそれである。セレブレーション・シカゴでのパネル中継でティーザーを観たわけだけれど、上映終了後に会場が明るくなると、ステージ上にはなんと皇帝役のイアン・マグダーミドの姿が。これは皇帝が登場ないし絡んでくること確実である。そう来たか。スカイウォーカー伝説は最初から最後までその影にパルパティーンが潜んでいたということだ。それは宿命の関係であり、表裏一体。伝説の最後にこの最強のシス卿が現れることで、今回の3部作もまた前の6部作と接続し、9部作全体に一本の道が出来る。終わらせ方としてはとても綺麗ではないだろうか。

 パネル中継でティーザーを観られてよかった。深夜だったけれど、一緒に観ている友達とLINEでやり取りしながらというのも一興。中継ではイベントのテンションが伝わってくるし、前述のようにイアン・マグダーミド登場という演出など、朝起きてからとっくにアップされた動画をひとりで観るのとは全然違う充実感がある。アメリカでのSWセレブレーション、一度行ってみたいなあ。

2018/12/23

銀河のクルマたち


 ランドスピーダーは至高。基本的にみすぼらしいラーズ農場にあってとてもスマートなフォルム。そこにおなじみの汚れや傷みが施されていて最高にクール。未来カーに見えるのに古びて見える。オリジナル三部作の雰囲気を象徴している。片側のエンジンのカバーが外れているのもとても良い。


 「アナキンのエアスピーダー」という名称になっているが、厳密にはアナキンのものではない。パドメを襲った暗殺者を追うときに駐車場にあった中からアナキンが拝借したものである。とは言えアナキンが乗るメカは基本的に黄色い。EP1のポッドレーサーも黄色い部分が際立っていたし、ナブー・スターファイターはあの通り真っ黄色、EP2で乗るこのスピーダー、EP3では黄色いジェダイ・スターファイターに乗る。さらにアナキンでなくなり、ダース・ヴェイダーとなった途端、緑色の戦闘機に乗り込む。この黄色い乗り物のセオリーは、『アメリカン・グラフィティ』の主役車である黄色いホットロッドを思い起こさせる。特にこのエアスピーダーなんかああいうアメ車の雰囲気がある。EP2はほかにも『アメグラ』っぽいダイナーが登場し、足が車輪になったドロイドのウェイトレスは言うまでもなくローラースケート・ウェイトレスのSW版だ。EP2にはところどころジョージ・ルーカスの個人的な趣味や懐古のようなものが盛り込まれているのがおもしろい。


 不恰好だがそこが良いレイのスピーダーバイク。廃材を組み合わせた自作。スマートではないがそのかわり馬力を感じさせるインパクトがある。ルークのランドスピーダーを横に倒したような形に見えるが、デザインそのものはEP6時のスピーダーバイク案に同じような形のものが残っているのでそこからの引用らしい。初めてスクリーンに登場した際、レイがまたがってエンジンをかけ、動き始めたときに地面の砂がもうもうと巻き上げられるところが良い。レイが集めた廃材を側面のネットに積み込んだりしているときに地面から浮いた状態で完全に固定されているんだけど、荷物を積むときにちょっと沈んだり揺れたりしたら尚良かった。


 実はこの連作はこのハン・ソロのスピーダーを描きたくて始めた。これもやっぱり「ハンのランドスピーダー」という通称らしいんだけど、盗品である。そしてアナキンの乗っていた黄色いのと同様こちらも非常にアメ車的で、プリムスのロードランナーやスターバードの雰囲気。板状のシルエットはのちのミレニアム・ファルコンへの伏線なのか、狭い路地を通り抜けようとして途中で失敗する冒頭のシーンが、あとでケッセル・ランを最速ですり抜けるファルコンの姿へと繋がっていく。ファルコンが船でありながらもどこか「クルマ」的でもあることがわかった。
 このスピーダー、カーブを曲がるときに車体が良い感じに傾いてお尻を振るんだけど、メイキングを見ると実際にタイヤがついていて、普通に走行しているのを撮っていたらしい。だから傾き方とか軋み方がリアルだったんだ。リパルサーリフトの反重力で浮いているはずが、タイヤがついている前提の動きを見せるのがまた可笑しい。

2018/12/16

『最後のジェダイ』から一年

 この一年のあいだにそれなりにいろいろ考えたり思ったりしたけれど、やっぱりぼくは『スター・ウォーズ』と名がついて発表されたものは大前提として受け入れて、受け入れた上でここのこの部分がどうのこうのと考え続けるのが好きなんだな。そもそも作品を受け入れるか受け入れないか、否定するか肯定するかみたいな次元でストップするのは残念過ぎるし、SWオタクが気にするのって作品の正当性とか是非とかよりもその中に出てくる技術とか仕組みとかそういう部分じゃなかったっけと少し思ったりもする。それも、これはおかしいおかしいではなく、おかしくならないように理屈付けるのが醍醐味のような気もする。

 いずれにせよぼく自身はあまり作品そのものに対する批評的な脳は持たないようにしたいし、自分だったらこうする、みたいなのもやめておこうと思う。創作は好きだけれど、それはまた別の話で、そういうのはテレビでスポーツ見ながら俺が監督だったらどうのこうのと文句を言ってるオヤジと変わらなくて(奇しくも監督というところでも同じ)、あんまりかっこうのいいことではない。かっこうの悪いことはあんまりしたくない。そりゃ、自分が思うストーリーとか、観たいものは結構あるし、創作も絵を描くのも好きだから、自分でリイマジネーションしてみたくもなるんだけど、それはそれとして、大前提としてひとさまの作ったものや仕事にケチはつけるべきではないんだよ。

 出されたものは黙って観る。ひとの作品を好き勝手に作り変えるよりは、ひとの作品を受けたあとで、それを尊重しながらそこからなにかを派生させるほうがいいと思う。たとえば今回で言えばローズのバックグラウンドを自分なりに考えてみるとか?ぽっと出てきてさあっと去ってしまったDJの経歴とか?本物のマスター・コードブレイカーの普段の仕事ぶりとか?EP7のラストでは全然違う鳥が飛んでたのに直後のEP8で島にはポーグしかいなかった理由を無理やり考えてみるとか?そういう感じ。そうありたい。あと登場人物や監督の性別、人種のこととかよりもデス・スター論争みたいなものを論じたい。その方がSWだと思う。

2018/11/28

『ハン・ソロ』のひとたち

 『ハン・ソロ』のブルーレイを見返しているうちに好きなキャラがどんどん増えたのでどんどん描く。この感じでほかのエピソードのキャラも描いていったらとても楽しそうだ。SWのキャラばかり描いていていいのか、と自問していたが、描くのが楽しいならそれでいいはず。これに関してはモチーフそのものよりは、線や雰囲気をアピールできればいいと思う。


 ベケット一味のパイロット(兼料理番?)、リオ。4本腕のお猿。声を当てたのはジョン・ファブロー。軽口でいいキャラだったけど、猿キャラをチューバッカに譲るためかいちばん最初に死ぬ。ティーザーポスターとか、レゴなどの玩具ではこの絵のように青い体毛が首回りを覆ったデザインだったけど、映画本編ではこのあたりはすっきりして、もっと毛足が短くて毛色も暗い見た目になっていた。玩具メーカーに前述のデザインが渡されている感じから、おそらく直前で変更になったと見る。理由は知らない。


 帝国軍のズザナ・ラット伍長。ほとんどはっきり映らないキャラで、「その場にいた」くらいのひとだけど、劇場パンフレットではバストアップ写真と名前が載っている。スタイルがいい。オリジナル三部作だと帝国軍のユニフォームはもっとよれよれで着ているひとたちもあんまりスタイルよくないんだけど(あくまで垢抜けない悪役という感じ)、新作の帝国軍はかっちりきっちりしている印象。ズザナ・ラットを演じるのはイギリスの女優兼ダンサー兼モデルのズザ・テハヌ。綺麗。モブキャラは演者の名前を少しいじってキャラ名になることがあるから、いいなあ。上下ともに印象的な名前。なんとなくだけど、イギリスのガチの英語の地名とか苗字て、アメリカの英語とはまるで違う独特さがある。スコットランドの地名とか全く読めない。


 惑星コレリアでハンをはじめ孤児たちを囲っていたギャングの一員、モロック。ボスであるレディ・プロキシマ(こいつもかなりすごい見た目だったので描きたい)に仕えているわけだが、ジャバ・ザ・ハットでいうところのビブ・フォーチュナみたいなものか。ビブと違うのは、逃げ出したハンとキーラを追いかけて自らトラックを運転する行動派なところ。あのトラック・スピーダーの無骨さもよかったな。ちなみにこいつが放つ猟犬クリーチャーは、本物の犬が着ぐるみを着て演じている。EP4のバンサ方式だね。本物の動物が演じるからすごく説得力のある動きをする。ところでモロックはMolochと書くんだけど、これは古代中東の神モロク(モレクとも)と同じスペル。豊作の神にして人身御供の儀式で有名で、牛や山羊などと一緒に人間の赤ちゃんを生きたまま焼いて捧げるらしい。なるほど、だからモロックは孤児たちをこき使っているのかもしれない。杖の持ち手にはおびただしい数の人間が合体したレリーフになっているのも不穏。人間が優位に立つ帝国の支配下で、こういう杖を持って(なんならこの杖で宇宙港にいたストームトルーパーを威圧する。コレリアでかなり影響力のあるギャング団とあって、帝国軍もおいそれと手出しできないようだ)闊歩するあたり、人間に対してなにか恨みでもあるのかもしれない。頭部を覆うこの白い蛇腹やマスクが幼虫みたいでいい。


 列車強盗の際に列車を守ろうとする特殊ストームトルーパー、レンジ・トルーパー。分厚い防寒着に毛皮、ごつい磁力ブーツを身につけたごちゃごちゃ感がおもしろい。ストームトルーパーがムートンコートというのもいい。彼らはこんな大げさな装備でやっと列車の上でバランスを取っているのに対し、ハンたちは特別な装備のない軽装でひょいひょいと動き回る。ところでクローン・トルーパーの足の裏にも磁力パッドの設定があったような。まああれは申し訳程度の補助的なもので、これはもっと本格的なものなのだろう。足を接地させたときと、離したときとでランプの点滅が変わるんだけど、ちょっと『ゴースト・プロトコル』を思い出すね。そもそも列車の上でやりあうのも『ミッション・インポッシブル』だ。これ、もっと機動性が高ければスター・デストロイヤーやデス・スターの地表でも活動できそう。宇宙戦の中じゃすぐやられちゃいそうだけど。小惑星の表面で作業するときにも使ってそう。

2018/11/06

『ハン・ソロ』ブルーレイ観てエンフィス・ネストをかなり気に入る


 『ハン・ソロ』のブルーレイを購入。思えば『フォースの覚醒』も『ローグ・ワン』も『最後のジェダイ』もソフトを揃えていないので、かなり本作を気に入っているのかもしれない。出産の時期だったので妻が未見のままだったというのもある。早速観てみたらこれが非常におもしろい。オズワルド・シアターというその名の通り幸せな試写室で観たときも相当楽しかったけれど、家のテレビで観るのもかなり良い。テレビ映えする作品なのかもしれない。確かに映画自体はほかの壮大なSWに比べるとかなりコンパクトだ。それが駆け出しのハン・ソロの物語としてとても合っている。あくまでハンがどうやってハン・ソロになったかという物語であって、銀河内乱やフォースの対立、立派な血統やお姫様は関係ない、とても個人的な物語だ。密輸業者の知られざるバックグラウンドを覗き見るというところに、家のリビングで観るという形式がとても合致している。ブラウン管の小さめのテレビだったらさらに最高だったろうなと思う。VHSで観たい。夜中にテレビデオで観たい。そういう映画だ。

 列車強盗という西部劇お決まりの舞台で襲いかかってくるエンフィス・ネストは、どことなく先住民風の衣装に身を包み、骨のような質感のヘルメット(実際になにかの頭骨かもしれない)をかぶった戦士。最初は盗賊と呼ばれ、風貌も手伝って恐ろしげではあるが、あとで義賊だとわかる。それどころか、どうも反乱軍の初期の資源を確保する役割を果たしたようだ(『ローグ・ワン』に登場したパルチザンと同じ風貌のメンバーがネストの傍にいた)。主人公と対立させながらも悪人にはしない。往年の西部劇の様式を取りながらも、そこでの先住民描写への反省・カバーを入れ、新しいSWキャラクターが誕生したわけだ。規格的でない装備や民族衣装的なヴィジュアルは、ボバ・フェットとはまた違った具合でおもしろい。テクノロジーと毛皮や骨の組み合わせ。思えばボバもああいう機械的な鎧の中に、編んだ毛皮がぶら下がっていたり、動物の頭蓋骨の絵が肩に描いてあったり、革のポーチが腰に並んでいたり、マントがかかっていたり、そういう組み合わせが特徴でもある。装備や衣装にメリハリがあると、キャラクターの造形は魅力的になるのかもしれない。キャプテン・ファズマ同様、エンフィス・ネストもまたボバ・フェット的なキャラクターと見ていいだろう。ひどい目に合わないけどね。のちのシリーズに登場しない以上ネストはどこかで命を落とすのだろうか?

2018/10/18

SWドラマ『マンダロリアン』


 『アイアンマン』の運転手、じゃなくて監督でお馴染みのジョン・ファブローが製作と脚本を担当する、『スター・ウォーズ』のTVドラマシリーズ『マンダロリアン』。マンダロリアンというのは、映画では賞金稼ぎボバ・フェットとその父親(クローン・テンプレート)ジャンゴ・フェットが着ている印象的な装甲服が代表する、銀河におけるヴァイキング的戦士部族である。ちなみにフェットがマンダロリアンと直接的に関係あるのかどうかは微妙で、特に関係ないのに勝手に装甲服を着ているという大方の解釈らしい。個人的にはそのほうがさすらいの傭兵っぽくはある。ただ、そうなるとジャンゴの遺伝子を元に量産されたクローン・トルーパーや後のストームトルーパーが、マンダロリアン戦士の系譜であるという感じが薄れたりもする。
 
 ジョン・ファブローがインスタグラムにアップした黒字に黄色い文字で書かれたSW的なあらすじによると、『マンダロリアン』はEP6よりも後の帝国崩壊後、新共和国の時代、そしてファースト・オーダーの台頭よりも前、という空白の30年間の比較的自由に創作できる範囲を舞台にするらしい。当然その時代にはジャンゴもボバも死んで久しいので主人公はどうやら新キャラ。ファブローのあらすじによると「A Lone Gunfighter」、すなわち孤独なガンマンだそうで、宇宙西部劇を体現するハン・ソロの宿敵として登場したボバ・フェットの原初的イメージとも重なる。二丁拳銃をくるくるまわしてホルスターにしまうジャンゴ・フェットも言うまでもない(まず名前がジャンゴだもんね)。由緒正しいマンダロリアンキャラというわけだ。

 公開されたファースト・ルックの印象は、個人的には中世ファンタジーのさすらいの戦士といった感じ。茶色い防具がなんとなくああいう世界観の革の防具に見える。キャプテン・ファズマほどテカテカじゃないにせよクローム的なヘルメットも甲冑っぽいし。こいつがフェット親子と違ってマンダロリアンのちゃんとした子孫なのか、それともやはり寄せ集めの装備(右肩当てがスカリフ・トルーパーのものに見える)を身にまとったやつなのかはまだわからないけれど、タイトルから察するに少しはマンダロリアンそのものを掘り下げたり、象徴的に扱ったりはするんじゃないかな。

 ところどころに『ホリデー・スペシャル』や、企画が凍結された幻のゲーム『1313』のボバのイメージが入っている。それはこのイラストの通り。恣意的に色は揃えているけれど、それを差し引いても意識しているのは確かだろう。特に『1313』のコンセプト・アートにおけるボバのルックスに非常に近い。背中に背負っている武器は『ホリデー・スペシャル』で怪獣をひっぱたいていた謎の槍と近い形をしているようだ。そもそもEP4よりも前を描くはずだった『1313』のボバが、EP4後を描いた『ホリデー・スペシャル』のヴィジュアルに少し寄せて描かれた印象があるんだけどね。二つのイメージが今回の新キャラに結実したわけだ。いやあ、それにしてもやっぱりホリスペ版ボバはいいなあ。結局そこか。

 全身に武器やガジェット満載のパワードスーツで空を飛び回るアイアンマンを撮ったファブローが、マンダロリアンのお話をやるっていうのは、結構ぴったりなんじゃないかな。願望を言えば、ボバ・フェットの装備作りに関わって最初に自分で試作品を着用し、後にロケットパックで飛び回るWW2のヒーロー『ロケッティア』を撮ったジョー・ジョンストンにもうにか絡んでほしいところでもある。

2018/09/28

皇帝がデス・スターにこだわった理由

 かの偉大なる銀河皇帝パルパティーンがこだわったバカでかい灰色のボールは、そもそもなんのために造られたのか。いくら万雷の拍手で認められた皇帝と言えど、広大な銀河に散らばる無数の惑星を元老院抜きで統治する(おさえつける)のは至難の技だった。たとえ直接操れる総督たちを各惑星に置いているとしても、元老院を黙らせておかなければ、ただでさえ反乱分子があちこちにいるので内乱が本格化する恐れがある(実際激化したわけだが)。今度戦いが起これば、それはクローン大戦のような途方もない内乱であると同時に、クローン大戦とは違ってシスがコントロールできる戦争ではない、本物の戦争になる。それに帝国元老院は名前を変えただけで結局中身は共和国元老院と変わらず、共和国晩年の堕落ぶりは健在だった。そういうわけで、共和国の代名詞とも言うべき元老院が残っている限りは、まだまだ皇帝の支配は完全ではない。彼の思い描く新生シス帝国にそんなものは必要ないのだ。

 ということで各惑星を一様に沈黙させられる究極兵器にして最終兵器が必要だった。それがデス・スターというわけだ。一撃で惑星を宙図から消し去ってしまうその火力は、たとえそこにかかる資金や資材を使って増強した艦隊でも敵うものではない。艦隊も強力なことには変わりないが、皇帝にとってはそれもまた脅威だった。配下であるはずの提督たちがいつ自分に歯向かうか知れたものではないから、彼らに対抗できる力を個人的に持っておきたかったんじゃないかな。皇帝は誰も信用しない。信じるのは自分の計画と力だけ。だからこそ同じような役職や地位をたくさん用意して、高官たちの競争を煽って不満の矛先が自分に向かわないように常に気を配っていたという。狡猾であると同時に悲しい老人でもある。そもそも彼がシス・マスターになれたのも、由緒正しいシスの手順に従って自分の師を殺したからだ。疑いや裏切りがシスの道なんだよ。

 謀反と言えば、皇帝は最初のデス・スターを野心的で狡猾な人物、ウィルハフ・ターキン総督に任せていた。ターキンのような冷酷な男であればこの恐るべき兵器をうまく監督することだろう。力を持ち過ぎた彼はいずれ自分に歯向かうかもしれないが、だからこそ皇帝は密使ダース・ヴェイダーを送り込み、暗黒卿がつねに総督の傍らについた。ヴェイダーはエリアドゥ出身のグランド・モフにおとなしく仕えている振りをしながらも、彼が妙な真似を起こさないように監視していたんだな。同じような目的で保安局のスタッフたちもデス・スターに乗り込んでいた。EP4の会議室のシーンで確認できる白い制服を着たヒゲの男、ウルフ・ユラーレンがその代表である。彼らは味方の間で皇帝への忠誠心が正しく保たれているかを見張っていたわけだが、その監視対象にはもちろんデス・スターによって皇帝に匹敵するほどの力を持ち始めているターキンも含まれていたはずだ。

 結局、反乱同盟軍の力を見くびった司令部のせいで初代デス・スターは吹き飛んだ。木っ端微塵に。ターキンをはじめ多くの高官たちが死に、有能な人材も多く失われた。ターキンのくだらないプライドは、小さな排熱ダクトと同じくらい重大な敗因だった。そんなわけで、第二デス・スターを造るときにはグランド・モフのような高い位でもなければ、ターキンのように頭が切れる野心家でもない、平凡で扱いやすい男が司令官に選ばれた。ジャジャーロッドである。その大抜擢により佐官でありながらモフの称号を得た彼は、恐ろしいシスの師弟からのプレッシャーと大幅に遅れた建設スケジュール表に日々悩まされることになる。

 扱いやすい男を司令官に任命した皇帝は、完成間近になった第二デス・スターに自ら乗り込み、司令官の背後から命令を出すことにする。なぜなら初代デス・スターのように他人に任せて、自分はコルサントの宮殿でどっかり玉座に座っているなんてことでは、その超兵器がいつ自分の頭上にやってくるか知れたことではないからだ。ジャジャーロッドと言えど自分が持った大きすぎる力を自覚し、いつ「その気」になってしまうかわからない。扱いやすいやつでも信頼はできない。だから自分で乗り込んでコントロールする必要があった。エンドアの戦いというのは皇帝が同盟軍を誘き出して罠にはめることで起こさせたわけだが、最終的に同盟軍の中隊はデス・スターのコアまで入り込み、メイン・リアクターを破壊するので(フォースとかスカイウォーカー親子とは関係ないところで)、結局のところデス・スターにいたのは誤算だったんだな。もちろん初期の構想通り、皇帝がコルサントの宮殿にいたとしても(そもそもこの草稿にはデス・スター自体出てこなかったような気がするが、まあいい)、ヴェイダーがルークをそこに連れて行って一連の戦いが起きるなら、やはり彼は弟子に裏切れて死ぬだろう。そして彼の一番の誤算は、かつて自分が殺した師と同様、弟子の裏切りを察知できなかったことだ。完全な支配の完成、シスの偉大なる計画の成就を前に目が眩んだ(酔っ払っていた)ダース・プレイガスと同じく、ダース・シディアスは無我夢中でビリビリやっているうちに弟子に殺されるのでした。ていうか、一番の誤算はプレイガスの弟子になってシス卿になったことだろ。

 恐怖政治のための兵器としてはそんな感じだろう。さて、デス・スターにはもうひとつの側面があった。ダークサイドの秘技の代替としての兵器である。シディアスの師プレイガスは、ミディ=クロリアンに働きかけて生命の創造に取り組んでいたわけだが、ダークサイドの道を極めれば、惑星の生死さえ操れたという。地上に生きる生命体から命を奪うことも、宇宙を取り巻くフォースによって惑星そのものを破壊することも。なるほど宇宙と万物を結びつけるエネルギーとしてのフォース、究極的なところではそんなこともできるのかもしれない。プレイガスは半ばそのレベルに到達していたようだが、哀れな弟子にはその知識は受け継がれなかった。シディアスが師に疑いを抱いていたのは、全てを教えてはくれなかったせいでもあるようだ。いずれにせよシディアスは惑星を破壊するほどの力を得ることはできなかったし、生き物の生死を操ることもできなかった。せいぜい両手の指先から電撃を出すくらいのレベルってわけさ。デス・スターのような兵器にこだわったのは、到達できなかったダークサイドの力の代わりだったからなんだな。EP4でヴェイダーが高官たちに向かって言った「テクノロジーによる恐怖を過信するな。惑星を破壊できる力とてフォースの前では取るに足らん」というのは、そのことを知った上での言葉だったかもしれない。ダークサイドのフォースを信奉するヴェイダーは、マスターがそういう手段を取ることに反感を覚えていたわけだ。弟子になったときに聞かされた賢者プレイガスの偉業に(ほとんどそれを聞いたからこそヴェイダーはシスになったとさえ言える)、自分のマスターは全く到達できていないのだと、幻滅さえしていたんじゃないかな。

 というわけで、皇帝の野望、シスの計画を具現化したデス・スターはシリーズ全体に渡るひとつのテーマでもあるが、エピソード9にスターキラー2とかが出てきたらさすがのぼくもキレそう。

2018/09/25

ダース・モールの変化を考える

 『クローン・ウォーズ』、『ハン・ソロ』、『反乱者たち』という三つの時代でどう変わったのかを考える。CWを生き延びた後で犯罪組織のトップに君臨できたのは戦時中にそういう連中とつるんでいたりして暗黒街に精通していたから(そりゃ全身刺青入れてるあんなおっかないやつがギャングのボスにならないわけがないよな……)。そもそもEP1以前にシディアスの命令でブラック・サンの要人を抹殺したりしているのでその時点から闇社会にはかなり通じている(レジェンズ設定だが、CW製作陣は少なくともこのことを参考にしている)。シディアスやその師であるプレイガスはジェダイへの復讐と銀河支配のために裏の世界に影響力を持っていたわけで、犯罪組織と手を結ぶのはシスお馴染みの手段。案外CWでのモールも師たちのやり方を参考にどんどん勢力を伸ばしたのかもしれない。
 
 『ソロ』のモールはおよそ20年ぶりにレイ・パークが演じたとあって、だいぶ貫禄があった。ガタイはいいがほっぺにボリュームがある。アニメのモールは顔が面長でスマートで物足りなかったが、下半身を失ったまま半狂乱になってゴミ溜めで生き延びていたのだから痩せていても変ではない。研ぎ澄まされているということ。やたらとしゃべるのはずっと独りだったからだろう。小説「ダース・プレイガス」によればドロイド相手に訓練に明け暮れる日々、時折シディアスが様子を見に訪ねてくると結構うれしかったらしい。かわいいじゃん。

 『ソロ』では犯罪組織のボスなので、食事も栄養もよく取れていることだろう。下半身が丸ごと機械だと普通の食事でいいのかどうかはよくわからないが。その機械の両足もCWとはデザインが違うようだが(なんだかロボコップみたいになっている)CWを経て装備が変わっていても不思議はない。コミックとか読んでないのでわからないが、シディアスに負けた後下手をしたら義足が奪われていたかもしれないし、戦いで破損したのかも。

 『反乱者たち』では主人公エズラにダークサイドを説く闇仙人として登場する。独り。上半身は裸。隠れて暮らさなければならないらしく、ギャングのボスの頃よりも過酷なせいか痩せに戻っている。『ソロ』のあと、彼の犯罪組織は帝国軍に攻撃されたか、ライバル組織との抗争によって壊滅したか、彼自身が裏切れて破滅したのかもしれない。シディアスに裏切られた彼のことだから最終的な目標は皇帝に復讐すること(もちろん生きているとわかればオビ=ワンも)、さらに帝国を乗っ取ることも視野に入れていただろう。帝国との敵対は必須である。クリムゾン・ドーンなる組織の規模はよくわからないが、CW時代にモールが率いた組織シャドウ・コレクティブがある程度元型になっているならそこまで小さくはないだろう。帝国にとって目障りな犯罪組織となれば標的にされる。『ソロ』劇中でケッセルのスパイス鉱山を牛耳っていたパイク・シンジケートという組織はCWでシャドウ・コレクティブに加わってモールに協力していたが、分離主義勢力との戦いで多くの犠牲を出すと同盟関係を終わらせた。間接的とは言えモールの命令で動いていたベケットやソロたちがケッセルで連中と敵対するのはそのため。このようにモールには敵が多いので、『ソロ』から『反乱者たち』までの間に決定的な敗北をして多くを失う。全てを失ったモールにとって、自分と同じく隠遁の身になったオビ=ワンと対峙することは唯一の救いだったのだろう。ここで憎きケノービとの決着さえつけられれば、自分の存在には意味があったとでも考えたのかもしれない。

 まあ顔つきが実写映画とアニメで違うのなんて、そんなのアニメのデフォルメだとしか言いようがないが、見た目が変わっているときとそのときの状況や身の上はそんなにズレてはいない。痩せているときには痩せているなりの背景がある。

 こうして書いてみると散々なやつである。暗殺マシーンのごとく育てられてシスの野望の駒にされ、腰から上下に真っ二つにされながらも生きながらえて戻ってきてみたら居場所がない。シスとジェダイ両方を相手に独力で勢力を広げるも、とうとう父親同然のシディアスに敵視されこれに敗れる。密かに犯罪組織を率いて帝国の時代になんとか座っていられる場所を得るが、そこからもやがて追われる。最後にオビ=ワンとの一騎打ちに人生の全てをかけるが、あっさり敗れる。シスにもなれなければジェダイにも敵わず、暗黒街でも頂点には登れなかったモールは何者だったのか。何者でもなくなったザブラクの男は、オビ=ワンの腕の中で息を引き取る。

2018/08/02

「CINEMORE」連載第6回「スター・ウォーズ in コンサート」レポート


 映画サイト「CINEMORE」での連載シリーズ、
 「川原瑞丸のCINEMONOLOGUE」の第6回が更新されました。

 https://cinemore.jp/jp/news-feature/372/article_p1.html

 今回は特別篇として、7月29日に東京オペラシティにて開催された「スター・ウォーズ in コンサート Japan Tour 2018」のレポートです。オリジナル三部作をオーケストラの生演奏に合わせて一挙上映するとても豪華なシネマ・コンサートで、三部作それぞれをポスターアート風にまとめました。スクリーンで観なければわからない、生演奏で聞かなければわからないことがたくさんあり、改めてそのディティールの虜になりました。テキストによる詳しいレポートはリンク先よりご覧ください。

 『スター・ウォーズ』について正式に記事を作れたことも、こんな豪華なイベントに関係者席で参加できたこともとてもうれしいです。今後の仕事もフォースとともにありますように。

2018/07/03

オーラ・シングとは誰か


 なにがいいって、やっぱり『ファントム・メナス』全肯定な感じがよかった。ハン・ソロのお話なのに『ファントム・メナス』の世界観が繋がってくるところがおもしろい。

 オーラ・シングは本当に一瞬映るキャラクターでありながら、その独特の風貌が印象的だった。SWは重要でないキャラクターや乗り物のデザインが必要以上に凝っているところが大きな魅力で(個人的にはシークエル以降そのあたりが今ひとつ足りない気がするんだけど)、だからこそ世界観に奥行きが与えられる。ボバ・フェットもその意味では本来雑魚キャラに含まれるのだが、あの通り非常にかっこいい見た目をしている。

 改めてオーラ・シングを見てみると、真っ白の肌に赤いコスチューム、赤い髪というのが切れ味のいい色使いですごい。装備もいかにも賞金稼ぎといった具合。身体のラインが強調されるボディスーツに革のホルスターを二つ提げてブーツを履いたヴィジュアルはまさに宇宙西部劇だ。

 セリフでほんの少し言及される言葉や名前も「何かがあったらしい」といった背景が感じられて楽しい。今回はそんな思わせぶりなセリフの中でオーラ・シングの死が語られ、『ファントム・メナス』が好きなぼくとしてはショックでもありうれしくもあった。

 もしかして、ボバ・フェットがハン・ソロを追いかけてたのって、賞金云々以前にソロが姉御殺しベケットの弟子だったからなのかな?なあんて想像が膨らみ、自分でいろいろと解釈を広げるのも楽しみ方のひとつだろう。

2018/06/29

『ハン・ソロ:スター・ウォーズ・ストーリー』(2018)


■ 重厚で殺伐とした世界を生きたハン・ソロ

 ポスターのイメージとは裏腹に、重厚なクライム調で驚いた。常にどこか薄暗く、モス・アイズリーの酒場以上に得体の知れない連中がうごめいている中で、ひとりの若者がどうやって自由を手に入れて生き延びてきたかが語られていた。

 ハンの故郷コレリアからしてとても暗い。ミレニアム・ファルコンや反乱軍のブラッケードランナーの故郷でもあるこの造船惑星は、もっとハイテクで進んだ未来都市のイメージだったんだけど、曇り空に悪魔的な工業地帯といった感じ。ハンはそこでたくさんの孤児とともにギャングに飼われているわけだけど、そこにはスカイウォーカー親子やレイといったSWの主人公たちが経験してきた「自分はここで一生を終えるのか」という不安や絶望感みたいなものがあって、やっぱり閉ざされた世界からの脱出はSW全編に渡るテーマだなと思った。閉塞感や絶望感は、ひとを冒険に駆り立て、危険だが自由な世界への原動力となる。ハン・ソロも最初は農夫や奴隷だった少年たちと同様、何者でもなかったのだ。

 何者でもないし、独り。まさか「ソロ」という名前が本当にそこから来ているとは思わなかったが、わかりやすくて気に入った。伝説的な名前(のちにスカイウォーカーの末裔となる男にも受け継がれる苗字だ)を名付けたのが、志願兵を受け付ける小役人だったというのも、そっけなくていい。まさに文字通り取るに足らない名前だったのだ。

 ハンが一度は帝国軍に入隊していたという設定は、昔からあった。そのバージョンでのハンは帝国アカデミーで優秀な成績をおさめ、エリートコースを約束されていたが、ウーキーの奴隷が虐待されているのを目の当たりにしてそれを助けてしまう。エイリアンの奴隷は帝国において合法だったので、自身の良心に従ったはずのハンは罰せられ、軍から追い出されてしまい、最後には命の恩人である彼に忠誠を誓ったひとりのウーキーが残っただけだった、という話だった。

 ハンが帝国軍に入っていたこと、その中で生涯の友となるチューバッカと出会ったことは旧設定も今回の映画も共通しているが、おもしろいのはそれを少しずつズラしているところだ。ハンはエリート士官なんかではなく、泥沼化(まさに泥沼だ)した前線に送られるヒラ兵士である。そこで彼は泥まみれになって死と隣り合わせの塹壕で戦うことになる。この泥だらけの塹壕戦、ミンバンの戦いはシリーズでもっとも「戦争」という感じのするシーンだった。『ローグ・ワン』はその意味ではまだまだいつものSWだったのだ。

 ストームトルーパーはいつもの白ではなく、泥で汚れてくたびれきっていて、ハンはじめ一般兵の装備もごちゃごちゃ泥々としていて超汚い。なによりもSWの戦場でありながら「敵」の姿が見えない。これがすごい。そこらじゅうレーザーや爆発による煙で視界が悪く、光弾は飛んでくるがどんなやつが撃ってきているのかは全然見えない。一体誰となんのためにやっている戦いなのかは全然説明されない。そこがすごくリアルな気がした。ハンもつい上官にこう漏らしてしまう。「ここじゃ俺たちが“敵”ですよ」


■ キャラクターたちとミレニアム・ファルコン号

 そんな感じで重々しい調子だんだけど、だからこそハンの軽快さ、チューバッカの動物的魅力、ランド・カルリジアンの小狡さなんかが際立つ。キャラクターが少ないからこそ、それぞれの持ち味がよく表現されているし、話も入り組まずにわかりやすい。重要でないキャラクターはわりとあっけなく死んだりするところも、前述のミンバンの戦いのように、いつ死んでもおかしくない緊張感、みたいなものが漂っていていいな。ハン、チューイ、ランド以外は誰が死んでもおかしくないのだし。

 ミレニアム・ファルコン号との出会いの物語でもあるが、やはりキャラクター、人物の関係へのフォーカスが大きい。ハンがファルコンに乗り込んだだけではまだ画は完成しない。伝説のケッセル・ランを飛んでいく中、EP5『帝国の逆襲』の名曲である「The Asteroid Field」のアレンジが流れながら、ついに副操縦席にチューバッカが腰掛けた瞬間、全てがあるべきところにおさまって、ばっちり出来上がったような感動がある。ファルコンそのもののディティールがそこまで映し出されないから存在感が薄いように感じるひともいるかもしれない。しかし、ハンはまだあの船と出会ったばかりでそのディティールをよく知らないのだから、あれくらいで正しいのだと思う。ぼくたちの知るお馴染みの船は彼らの冒険や築き上げた友情によって出来上がっていったからで、あの時点ではまだ全てが白紙だ。それを象徴するかのように、ファルコンの外装も最初は白い。

 ファルコンと言えば、船の秘密も明かされた。ランドの相棒ドロイド、L3-37のプログラムが船には組み込まれていたのだ。L3はシリーズにおいては初めてドロイドとしての権利を主張するキャラクターだが、そのプログラム上の性別が女性であることも興味深い。寓意性を持った彼女は、権利意識を持つ人々を戯画化しているように見えてしまいそうなところもあるが、それも含めて挑戦的なキャラクターだと思う。

 ファルコンが「彼女」と呼ばれていたのは単に船舶が女性名詞だからというだけではなかったわけだ。EP5でC-3POが「この船のコンピューターはひどい訛りがある」と指摘していたが、あれはL3のことだったのかな。


■ スピンオフっぽさと「映画」とのバランス

 シンプルでテンポよく進んでいく物語でいながら、スピンオフなのでオタクへの目配せも忘れていない。カリダ、ミンバン、オーラ・シング、モー星団、テラス・カシ……。スピンオフっぽい用語が随所に散りばめられていて、このほかにもぼくの知らない言葉も出てきたかもしれない。ほら、ぼくそんなに詳しくないし。でも、テラス・カシはわかる。テラス・カシ知ってますか?初代プレイステーションのSW格闘ゲームで「マスター オブ テラス・カシ」というやつがあったんだけど、テラス・カシというのはSWで格闘ゲームがやりたいがために作り出されたあの世界の武術なのだ。

 とは言えルークはライトセイバー振り回すし、キャラはそれぞれの武器を使うのでどのあたりがテラス・カシなのかはよくわからないんだけど、一見どうしようもないゲームに見えて、実は結構おもしろいらしい。

 ちなみに物語においてはもともとはジェダイに対抗するため、ジェダイを牽制するために編み出された武術だそうで、映画ではダース・モールが使っていたとされている。そう、実はちょっとした伏線だったのだ。

 ハンが恋した彼女は、シスの暗黒卿から落伍しながらもクローン大戦を生き延び、暗黒街でひそかに勢力を伸ばしていたモールの配下だったわけだが、最後に黒幕としてこういうキャラクターを投げ込んでくるあたりも、実にSWスピンオフらしい。飛び交う用語、情報の密度が作り出す世界観の奥行き、そして意外なキャラクターの登場。こういった盛りだくさんなところ、雑多なところにSWスピンオフの魅力があると思う。それでいて本作は一本の宇宙犯罪ものとして(西部劇でもギャング映画でもいい)、一本の映画としてもおもしろいというバランスの良さ。


■ ソロという名前

 彼はいかにして「ハン・ソロ」となったのか。その物語を知った上だと、EP7『フォースの覚醒』でのレイに対する老ハンの態度への印象も変わってくる。レイになにかを見出したハンは彼女の師となるが、それは孤独に生き抜いてきたレイにかつての自分の姿を見たからではないか。若きハン同様、レイもまた初めて乗ったファルコンで、初めて握った操縦桿で神がかりなテクニックを見せる。ソロという名前は、家族は誰もいないという理由でつけられたものだが、それならレイもまたレイ・ソロになり得るのではないか?

 孤独なレイの擬似的な父親になるハンだが、しかし彼には本当の息子がいる。家族が増えることで、ソロは適当な名前からちゃんとした苗字となったはずだが、孤独の名を受け継いだ息子はやがて家族のもとを去りその名を捨ててしまう。さらには最初のソロである父親も殺してしまう。

 ソロという名を与えられることで「自分」を手に入れたハン。そのハンに認められることで冒険へと旅立ったレイ。そしてソロの名を捨てながらも、孤独に転落してしまうベン。果たしてソロは呪われた名なのか?それともアイデンティティや自由への切符なのか?レイとベンがハン・ソロの存在によって結び付けられた擬似的な兄妹であることは確かだ。かつてジェイナとジェイセン・ソロという別バージョンのソロ兄妹がいたように。

 別のエピソードへの理解を深める手助けをしてくれるところも、スピンオフのいいところだ。全体でひとつの歴史を作るのがスピンオフであり、ユニバースなのだ。

2018/06/28

どうして懲りずにまたボバ・フェットを作っているのか


 前買って作ったやつは塗装してぐちゃぐちゃになったからです。どうして塗装したくなってしまうかというと、プラモやレゴというのは作っているときが楽しいのであって、出来上がったあともなにか手を加えたくなってしまうからだ。レゴの場合は何度でも組み立てたりバラしたり、同じ部品で違うものが作れるだろうけれど、プラモの場合はそうはいかないし、プラモでぼくができる改造といえば色を塗るくらいしかないので、塗っちゃうんだなあ。
 
 そして、その色塗りもあまり上手じゃないんだよ。正直言うとこれは立体物だから勝手が違うというわけではなく、平面においても実は絵の具類の塗りは下手。もうずっとデジタル彩色で絵描いてることからもおわかりいただけるでしょう。

 そういうわけでボバも、C-3POとR2-D2(結婚式のときケーキトップに使ったやつだったんだけど)も下手くそな色塗りでどろどろのぐちゃぐちゃになってしまったとさ。なので、ひとつずつ作り直してまたやり直そうかなと思ったわけ。ああ、K-2SOもダメになっちゃったね。ドロイドなんてボバに比べたら塗る必要ないんだけど、コンビは砂の中歩いてるイメージ強いし、K2も結構傷だらけだから、筆を取ってしまったんだなあ。

 プラモ作り直し第一号となったボバ・フェット。同じキットを二回作るなんてことは初めてだったけど(途中ですごく馬鹿々しい気分にもなったけど)、二回作るとより良さがわかりますね。キットの良さも、ボバ・フェットそのものの良さもわかる。いやあ、貴重な体験だった。


 これ、すごくびっくりしたんだけど、実は緑色が二種類使われている。すごく細かい。ストームトルーパーを作ったときも、ヘルメットのバイザーが黒ではなく、プロップ通りに緑色のクリアパーツになってることに感動したなあ。ボバもこういうふうにヘルメットの後頭部が、他の部分とは違う種類の緑色なのだ。

 全体のパーツでは、ヘルメットのてっぺんと顔面、背中に背負うジェットパック、両腕のガントレットが同じ緑色。ヘルメットの後頭部、背中と胸側のプレート、股間のプレートが同じ緑色となっている。二色つかないので、全ての色分けが実物と同じかどうかはわからないけれど、ヘルメットにおいてはこのように後頭部だけが若干違う色となっている。


 完成。うん、塗装なんてしなくてもこの成型色のままでも全然かっこいいし、十分である。ボバだから汚れてなければならない、などとこだわる必要はなかったのだ。おでこの凹みや胸の傷など、特徴的な部分は立体的に表現されているので、それでもういいんじゃないかな。

 申し分ない立ち姿だ。キットを組み立てて作ったのに、ちゃんと人間がこういう衣装を着ている、という感じに見える。かなり広い可動範囲でいろいろポーズがつけられるのに、関節によってプロポーションが損なわれているということはない。

 ボバっぽい体型かと言うとそうでもない。個人的な感覚だけれど、こんなにがっしりとした肩幅ではないし、がたいが良すぎる。立ち姿はリアルかもしれないけれど、姿勢が良すぎる。これはプラモというか、フィギュアの永遠の課題なんだけど。


 ボバってくたびれてるんだよね。装備もボロボロだし、部分ごとに色も違っててすごくホームメイドな雰囲気が漂う。そこが魅力だ。恐らくその装備の重さもある程度姿勢に影響してるだろう。そんなくったびれた感じで、登場シーンといえばほとんど黙って突っ立ってるだけなんだけど、なぜかものすごい存在感を放っている。ただ突っ立ってるだけだからこそ、こいつ何者なんだ、というただならぬ雰囲気があるのだろう。ましてやあのダース・ヴェイダーに向かってタメ口をきくようなやつである。

 ヴェイダーやストームトルーパーのようにヘルメットに表情がないのも大きい。そして、あれだけ色彩によって善悪がはっきり塗り分けられている世界で、緑色や黄色、しかも傷だらけで剥げまくっているごちゃごちゃの装備という出で立ちが異質さを出してもいる。同じような色彩の賞金稼ぎグリードが前作でハン・ソロに撃ち殺されているところも興味深い。

 ヘルメットの表情といえば、恐ろしく視界の悪そうなバイザー。もしかするとあのゆったりとした動きや歩き方は、視界の悪さから慎重に動いていたからではないかとも思うが、演じていたジェレミー・ブロックが参考にしたのは、「ドル箱三部作」でクリント・イーストウッドが演じたキャラクターだそうだ。言われてみればプリプロ版ボバは体の前面をポンチョらしき布で覆っていたりして、イーストウッド扮するキャラクターと重なるところがある。そしてあちらも賞金稼ぎ、バウンティ・ハンターだ。


 さて、これが前回作って色を塗ったやつ。なんでこんな色にしたんだと思われるかもしれないけれど、これにはちゃんとモデルがあるのであって、ぼくがまたトチ狂った色彩感覚で塗ったわけではない。このバージョンの配色について説明するために、時計を1978年に戻そう。

 もともとボバ・フェットはストームトルーパーの上級版、スーパー・ストームトルーパー(スーパー・トルーパーとも)として生み出されたという。ストームトルーパーの指揮官なので、プロトタイプでは全身が真っ白だった。

 上級トルーパーという最初の設定は、後のストームトルーパーの前身となるクローン・トルーパーが、ボバ・フェットと同じ遺伝子を元に作られたという設定にほんの少し生かされている。シークエル三部作におけるストームトルーパーの指揮官、キャプテン・ファズマもボバ・フェットの影響下にあるキャラクターだろう。

 真っ白だったボバはこのあと何度も改良され、色も塗られていく。1978年9月、カリフォルニアはサン・アンセルモでの興行パレードに、その途上にあるボバの姿がお披露目された。ダース・ヴェイダーの横を歩くプリプロ版のボバは、現在知られているのとは少し違う配色で、おでこに目(耳とも言われている)が描かれていたりする(この目の模様はアニメ『クローン・ウォーズ』の主要キャラ、クローン兵キャプテン・レックスのヘルメットに描かれることになる)。

 最初に書いたような、アーマーの部分ごとに緑色の種類が違うというのは、たぶんいろいろなバージョンが作られていく中でひとつ前の色が部分的に残されたりとか、そういう過程で出来た色の違いなんじゃないかなと思う。

 その後、同年11月に放送された『ホリデー・スペシャル』におけるアニメ・パートに、これまた違う色彩のボバ・フェットが登場。映像作品としてはこれが最初で、映画よりも先にアニメでの初登場となる。この『ホリデー・スペシャル』版のボバの魅力については前にも書いたね(→該当記事)。アニメではヘルメットが水色、胸部プレートが薄黄色といった配色だが、アニメのデフォルメに加え、前述したようなプリプロ版で色が未決定だったからではないか。

 そして1979年。おなじみケナー社がボバのフィギュアを出すが、これがプリプロ版の配色をもとにしている(というかまだプリプロ版しかなかったのだろう)。基本的に全身水色で、胸部プレートは緑色、右手のガントレットは赤、左手は黄色。このガントレットが左右で赤と黄色というところがプリプロ版の最大の特徴だろう。79年に発売されたフィギュアはこのボバのみ。→参考画像(Rebelscum.com)

 というわけで、ぼくがどろどろに塗った色はこの「プリプロ版を参考にしたケナーのフィギュア」の配色に従っているのだ。長かった。


 これはこれで気に入っちゃいたんだがね。でも基本の水色があんまりうまくいかなかったし、プリプロとケナー、と二重に映画とは違うバージョンの配色なので、なんだかしっくりこなかった。これならプリプロ版をそのまま再現すればよかったんだろうけれど、ケナーの玩具の再現というところにこだわりすぎた。あれはケナーのレトロな人形だから合う色なのかも。

 このボバを最後にプラモデルやフィギュアを塗っていない。またどっかでやっちゃうのかもしれないが、ぼくは多分買った状態でのおもちゃが好きなんだろうな。製品としてのプレーンな状態がいちばん魅力的なのかもしれない。自分で手を加えた瞬間、よくも悪くも自分のものになってしまうというか。

 長々と書いてきたように、ボバ・フェットというキャラクターはカスタムによって成り立っている。制作過程もそうだし、設定中でもそう。ましてや、プリプロだけでなく、映画に登場してからもEP5『帝国の逆襲』とEP6『ジェダイの帰還』とで色や細部が変わっているのだ。つねに姿を変え続けている、様々な色を持ったキャラクターでもある。だからこそ汚したくなるし、塗りたくなるし、いじりたくなる。

 絵が描けるからなのか、どこかに工作願望やアレンジ願望みたいなものがあるし、最初にも書いたようにプラモはいつまで作る作業を続けたくなってしまうから、手を加えたくなる。でも、ぼくがおもちゃを集めるのは、おもちゃが他人の作品だからなんだよね。ひとが作ったものだからお金を払って買いたくなる。そこに自分で手を加えてより良くなる場合も多少はあるかもしれないけれど(ちょっとした修理とか)、基本的にはそのままにしておくほうが、ぼく個人にとってはいいのかもしれない。

2018/05/12

ジャバ・ザ・ハットのあれこれ


・宇宙ギャングスター

 『ジェダイの帰還』は本当にいろいろなエイリアンやクリーチャーが登場する。特に前半で登場するジャバ・ザ・ハットの宮殿のシーンでは独特の造形の連中がうじゃうじゃ出てきて、まさに宇宙のお化け屋敷といった感じ。

 後半で活躍するイウォーク族も手伝って、『ジェダイの帰還』は結構着ぐるみ映画だとかパペット映画だとか揶揄されたりもするんだけど、ぼくはむしろそういう「ちょっと気持ち悪いセサミストリート」みたいな感じが好きで、シリーズが好きになったのもこのエピソード6が入り口だった。メカや戦闘もかっこいいし楽しいけれど、やっぱりぼくの入り口はロボットやバケモノとかだったんだろうな。

 ジャバ・ザ・ハットは宇宙マフィアの親玉である。その影響力は強く、銀河の暗黒街を牛耳るだけでなく、帝国とも取引しているほどだ。
 彼はあらゆる犯罪に手を染めており、そのうちのひとつが密輸である。SWの主人公のひとり、ハン・ソロはもともとジャバの下で働く密輸業者であり、彼がルーク・スカイウォーカーの旅に加わるのも実はこのことが関係する。

 ルークと出会う前、つまり第1作『新たなる希望』よりも前の時点で、ハンはとある密輸品を運んでいる最中に帝国軍の検問に遭遇する。
 この検問がどういうものだったかは具体的に説明されない。今度のスピンオフ映画『ハン・ソロ』でそこまで描かれるのかはわからないけれど、一応帝国軍の軍艦を前にしたハンが、ミレニアム・ファルコンで運んでいた積荷を宇宙空間に捨てて逃げた、という出来事であるらしい。
 ちなみに積荷はケッセル産のスパイス。スパイスというのは幻覚作用のあるドラッグのようなもので、たぶん「デューン/砂の惑星」からの引用。

 ハン・ソロみたいなやつが検問に遭ったからって積荷を捨ててしまうだろうかとよく思ったものである。もちろん密輸業者と言えど帝国軍の軍艦を前にすれば当然逃げるしかないのだろうけれど、どうせ逃げるなら積荷を持ったまま逃げ切れたんじゃないかと思ったりする。『新たなる希望』で現に二隻ものスター・デストロイヤーから逃げ切ってるわけだし。
 
 とにかくそういうわけで、ハンは捨てた積荷の分だけジャバに借金をつくってしまう。このお金を返すために怪しげな老人からのチャーター依頼を引き受け、長い冒険に巻き込まれてしまうのだ。

 『新たなる希望』ではハンのところにしびれを切らしたジャバが直々にやってくる。
 ハンはその直前に、借金を取り立てにきた賞金稼ぎを撃ち殺しており、ジャバは余計におかんむりだ。
「ちょろいチャーターの仕事が入ったから金はすぐに返せる」
 ハンはそう言ってハットを説得し、その場をなんとかやり過ごすが、結局この約束が果たせなかったがために賞金稼ぎに追われ、『帝国の逆襲』で冷凍された後、ジャバの宮殿に囚われてしまうことになる。


・おじさんからナメクジに

 この第1作のジャバ登場のシーンは、もともと撮影だけされて本編からは削除されていた。
 ジャバ役は太った普通のおじさん(デクラン・マルホランドという俳優)で、今のようなキャラクター・デザインは完成していなかった。このおじさんに、あとでアニメーションのクリーチャーを合成する予定だったが、お金や時間の問題で結局お蔵行きになる。

 このシーンが陽の目を見たのはそれから20年後、1997年の特別篇でのこと。『ジェダイの帰還』での造形に合わせたジャバをCGで合成させることで晴れて本編に復活を果たすのだった。

 ただしこのジャバ、『ジェダイの帰還』の姿に比べるとだいぶ奇妙。
 元となるおじさんの大きさや会話の相手であるハリソン・フォードの目線の関係などで、なんだか小さく見えるのだ。
 さらに元のおじさんが結構演技をしているためか、CGの方も表情が豊かなのだ。本当にお金返してくれないと困るんだよお、みたいな表情で可笑しい。
 そのせいで『ジェダイの帰還』のあまり顔の動かない着ぐるみとはまた違う印象になってしまっている。よく出来ているんだけどね。
 ハン・ソロがジャバのしっぽを踏んづける動きなどがおもしろい。もともとハンがおじさんジャバの背後にまわりこむのだが、完成版ジャバのデザイン上しっぽが邪魔になる。そこでハン・ソロの姿が編集されてジャバのしっぽを乗り上げているかのように合成されたのだ。
 上下に動くハンの姿が若干切り取られた静止画のように見えたものだけれど、よく出来ている。
 
 その後、1999年の『ファントム・メナス』にフルCGのジャバが登場し、こちらはもう完全に『ジェダイの帰還』のデザインをそのままCGにした形になっている。顔も色もそのままだ。
 さらに着ぐるみには出来なかった細かい挙動が、着ぐるみのときの印象を損なわない程度に付け加えられていて、個人的にはこのエピソード1版ジャバが決定版だと思う。

 2004年のオリジナル3部作DVD化でさらに編集がなされるわけだけれど、『新たなる希望』のジャバも大幅に手直しされた。
 しかし、デザインは申し分なくジャバらしく(つまり『ジェダイの帰還』らしく)なったものの、なぜか色彩の雰囲気が違う。ぼくなどはここで普通に『ファントム・メナス』のときと同じようなものを持ってくればいいと思うのだけれど、エピソード1とも6とも違う独特の雰囲気になっているのだ

 もしかすると、ジョージ・ルーカスが本当に思う姿というのが(キャラクターのデザインはもっと大勢が関わっているとは言え)DVD版『新たなる希望』のあのヴィジュアルなのかもしれない。
 こちらとしては映画に登場する着ぐるみが完成された姿なのだけれど、ルーカスにとってはそうではないのだ。とりあえずそのときの技術で可能な方法でキャラクターを作っているに過ぎないのだろう。本来の目的は実在しない生き物をスクリーンに生み出すことであって、キャラクターを味のある着ぐるみで表現することではないのだから。


・親方ジャバと犯罪王ジャバの違い

 ところでCGを被せられる前の元のおじさん、結構いい演技をしていると思う。
 ただ密輸品の弁償代を取り立てにきたのではない。商売仲間として敬意を表しつつ、勘弁してほしい、というような態度が見受けられる。
 ハン・ソロが腕のいい密輸屋だということは認めつつも、彼だけ特別扱いはできない。雇っている連中みんなが以後同じ状況下で密輸品を捨ててしまえば商売にならないからだ。
 怒っているだけでなく、こっちも困ってるんだよというような感じ。

 完成版ジャバとなったあともその名残はある。
 おじさんの演技がそのままCGジャバにも生かされているからこそ、後のシリーズで知られるジャバの表情やキャラ性とは、若干違う雰囲気があるのだろう。
 まだこのときは『ジェダイの帰還』で見られるような冷酷な犯罪王ではなく、もう少し距離の近い仕事の上司、親方のような感じだ。

 そういうわけで『新たなる希望』と『ジェダイの帰還』とではまるっきりキャラが違って見えるわけだが、この違和感を埋めるにはハン・ソロとの関係に注目してはどうだろう。

 『新たなる希望』でのハンはジャバにとって貴重な人材であり、それなりに目をかけてやっている。ハンのほうも雇い主からの信頼や評価を自覚していて、なによりああいうやつなので、他の取り巻きとはだいぶ違う距離感でジャバと渡り合えていた。
 だからこそ平気でしっぽも踏んづけられる。ジャバはあの暴挙にほとんど怒りを見せない。もしこれが『ジェダイの帰還』に出てくる犯罪王なら処刑ものである。しかし、あそこでのハンはジャバにとってかわいがってる小僧なのだ。

 しかし、そんな一見良好な関係も、ハンが約束を守らず借金を返さなかったことで一変する。ジャバはハンに懸賞金をたんまりかけ、最終的に冷凍されたハンを手中におさめる。
 レイアの救出により解凍されたハンは、再びジャバをうまく丸め込もうとするが、もうハットは彼の言葉に耳を貸さなくなっていた。そこにいたのは以前のような親方としてのジャバではなく、無慈悲な犯罪王ジャバだった。

 必死に弁明しようとするハンに対し、ジャバは言う。
「もう遅い。昔はいい密輸屋だったが、今じゃバンサの餌だ」
 ジャバにとってもはやハンは用済みだった。
 つまり、自分に役に立つ相手ならジャバはそれなりに敬意を示したり、友好的でいてくれたりするわけだ。
 役に立ってくれる密輸屋なら、しっぽを踏んづけられるくらいのじゃれあいもしてくれる。
 少々無理やりな辻褄合わせな感が否めないけれど、これはこれでわりとマフィアらしくていいのではないだろうか。
 親父的な顔を見せていたかと思えば、冷酷なボスの顔も見せる。
 ちなみにジャバが最終的に絞殺されてしまうのは、『ゴッドファーザー』でのルカ粛清のシーンに影響されているらしい(ルカもジャバほどではないが太めのおじさん)。
 
 DVD版以降の『新たなる希望』版ジャバというのは、ルーカスの思う完成されたジャバの姿というよりも、ハンにとっての親方としての姿だったのかもしれない。
 逆に、『ファントム・メナス』でレース会場に主賓として現れたジャバは、地元を支配する犯罪王としての姿だから、『ジェダイの帰還』と同じイメージなのだ。


・ジャバの血筋

 『ジェダイの帰還』のジャバの姿が完成するまで考案されたデザインは本当にいろいろなものがあるんだけど、その中には巨体を反重力装置で浮遊させて支えているスケッチもある。イメージとしては、完成版と変わらないナメクジ型のジャバのしっぽの部分が、円錐状の装置の中にすっぽりおさまり、巨体が縦に浮いている形である。ちょうどジャバの体がアイスクリームコーンにおさまっているような感じ。

 この「とてつもない巨体を機械で浮かせて支えている」というイメージも、「デューン」からの引用だと思う。「デューン」に登場する悪役ハルコンネン男爵もぶくぶくと太った巨漢なのだが、反重力パッドで身体のあちこちを支えて立ち歩くキャラクター。パッドが支えていない部分からは肉が溢れかえっているほどで、人間でありながらその奇怪さはジャバ以上である。
 さらにハルコンネンも砂漠でスパイスの採掘を行っており、スパイスの密輸をする犯罪王とも重なる。タトゥーインは砂の惑星というだけあってやはり「デューン」の影響が強いと思う。

 逆にジャバの影響が感じられるキャラクターもいる。『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのデイヴィ・ジョーンズなんか、ジャバと銀河皇帝の立ち位置を一緒にしたようなキャラクターだし、最近では『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のヨンドゥなどもジャバ的と言えるだろう。
 まあ、ヨンドゥはジャバの仲間にするにはちょっといい男すぎるけど、少なくとも1作目では主人公を追い回す昔の仲間として重なるところがあると思う。

 そういえば前にギレルモ・デル・トロがジャバ・ザ・ハットを主役にクリーチャー版『ゴッドファーザー』的なスピンオフを撮れたらなあ、なんて意欲を見せていたが、ぜひとも実現して欲しいところだ。どれだけのひとが観たいかわからないけど(人間のキャラクターを中心に添えないとちょっときつそう)。
 ジャバでスピンオフと言えば、『ジェダイの帰還』でのジャバの死を受けて起きたであろう権力闘争なんかを描いた方が、シークエル3部作の世界とも繋げられそうでおもしろい気はする。
 もちろんその場合は新しいハットのキャラクターに出てきて欲しいものである。
 

2018/05/05

そんなシーンは無い


 複数のひとが実際の出来事とは違う記憶を共通して持っている現象。
 それをマンデラエフェクトと呼ぶらしい。 
 ネルソン・マンデラが逝去した際に、
 もっと前に亡くなってなかったっけ?と首をかしげたひとが続出したとか。
 マンデラさんに限らずそういう著名人は結構多いらしい。かなり失礼な話だけど。
 『天空の城ラピュタ』のエンディングのバリエーションの話とかもそういうやつだね。

 『スター・ウォーズ』における主なマンデラエフェクトと言えば、
 『帝国の逆襲』の名セリフ「I am your father.」が、
 「No. I am your father.」なのか「Luke, I am your father.」なのかという話。
 正解は前者なんだけど、おそらくこのセリフの少し前にダース・ヴェイダーが、
 「Luke, you do not yet realize your importance.」と語りかけるので、それと混同したのだろう。

 ぼくが観た覚えのあるシーンは、いまのところ同じような記憶を持っているひとが見当たらないので、正確にはマンデラエフェクトとは違う。ぼくひとりのただの記憶違いに過ぎない。
 ちなみに友人たちに聞いてみると、

 「DVDより前のバージョンのEP6ラストにナブーのシーンがあった」
 「EP4でルークとレイアのターザンが一度失敗する」
 「EP5のホスの戦いで、AT-ATの上空をミレニアム・ファルコンが飛び去るシーンがあった」

 などという話が出た。
 どれも「ハン・ソロがイウォークに囲まれて冷凍された」というのに比べれば全然ありそうな記憶違いである。
 ナブーはDVDで追加されるので記憶が前後したのだろうし、
 ターザンについてはメイキングでかなり大変だったという話が語られている。
 ホスでは確かにファルコンが飛び去るシーンがあるし、
 同じ雪景色の中をAT-ATが歩いているおなじみのイメージが混同されても無理はない。
 いずれにせよSWはカットされたシーンや、
 後のバージョンで変更されてしまうシーン、
 さらには映画とそんなに変わらない写実性を持ったビデオゲーム独自のシーン、
 リアルなタッチのファンアートなど、
 とにかくそういう視覚的なバリエーションがたくさんあるので、
 こういった記憶違いがあるのも仕方がない。

 ぼくの記憶にある「C-3POを撃ってバラバラにするストームトルーパー」も、
 調べてみるとぼくのイメージ通りの構図のファンアートがあった。
 子供の頃によくわからないままいろいろな画像や映像を目にするうちに、
 ごっちゃになって記憶に残ったのかもしれない。
 もっといろんな人のSWに関する記憶違いを聞いてみたい。
 

2018/02/12

砂に墜ちた飛行士



 彼を取り囲んでいるのは乾燥と死の世界だった。
 外部との連絡手段はない。囚われていた敵の宇宙戦艦から逃げ出してきたままの格好だったので、武器などの装備も持っていなかった。ただ、脱走に使った敵の宇宙戦闘機の操縦席に備え付けられていた発煙筒や申し訳程度のサバイバル・キットは持っていた。これは座席ごと機体から放り出された彼にとって不幸中の幸いだった。座席から伸びたパラシュートと発煙筒を使って起こした焚き火で、なんとか夜の砂漠をやり過ごすことができたからだ。
 しかし、日が昇ってから役に立つものはほとんどなかった。パラシュートの残りでなんとか身体を覆って強い日差しを防げはしたが、サバイバル・キットはこんなもので本当に兵士が生き延びられるのかと疑問を抱きたくなる代物だった。あちらの指導者たちは、兵士には興奮剤さえ与えておけばいいと思っているらしい。
 この惑星に来たのはこれが初めてではない。もっとも、今もまだ最初の訪問の一部と言えるかもしれないが。彼が訪れていた集落が襲撃され、そこで捕まり、軌道上の敵艦に連行され、そこから逃げ出して今また地上に戻ってきただけなのだ。ともかく、この土地について丸っ切り知識がないわけではなかった。
 この星に送り出される前に上官からある程度の説明は受けていたし、到着したあとも例の集落の長老からいろいろ聞かされていた。あの温かい眼差しをした老人が自分の目の前で無残に殺されてからまだそう長くは経っていなかったが、老人のことはすでに懐かしく思えた。彼は急に苛立ち、拳で腿のあたりを叩いた。自分がついておきながら、老人だけでなく村人たちもみな殺されてしまった。
 理想的な正義に燃える彼の性格からして、それを必要な犠牲などという言葉で片付けることはできなかったが、しかしそのことで悲しみに暮れてばかりもいられない。彼らの死を無駄にしないためにも、自分は任務を全うして銀河を救わなければならない。
 その任務のために、彼は相棒と再会しなければならなかった。集落で捕まる間際、彼は機械の相棒に記録装置を託していた。それを将軍に届けることこそ、今回の任務である。そこには伝説の人物の居所が記されている。その人物はこの暗雲立ち込める銀河を、光へと導いてくれるはずだった。
 しかし、本当に人間ひとりの存在にそのようなことができるのだろうか。彼は時折この疑問と対峙しなければならなかった。ひとりきりで(正確には機械の相棒も一緒だったが)宇宙戦闘機の操縦席におさまって宇宙の暗闇を旅している間にも、何度かこの疑問と向き合うことになった。
 絶えない争いや憎しみの連鎖を、たったひとりの人間が断ち切れるのだろうか。この広い銀河全体に覆いかぶさっている分厚い黒い雲を、たったひとりで晴らすことができるのだろうか。
 それができるからこそ、その人物は伝説そのものとされているのかもしれない。実際に、その人物はかつて銀河を一度闇から救い出しているはずだ。少なくとも彼はそう聞かされて育った。ほかでもない彼の母親はその人物を間近で見てきたのだ。一緒に戦ったという話も聞いた。多くの子供たちにとってほとんど神話上の人物のようだったが、母親の体験談が彼にその実在を確信させていた。その数々の武勇伝も。
 大人になってからも尾ひれのついた話をいくらでも聞いたが、彼はその全てを本当だと信じている。実際はどうだったかなどこの際あまり重要ではない。全てが本当だったところでなんの不都合もない。どれだけ大げさで嘘くさい、現実離れした話であっても、その人物のエピソードとしては十分にあり得ることだ。それに、そう信じることで希望を抱けるような気がした。おそらく、そういったことを信じなくなったとき、希望は失われるのだろう。
 余計な疑問が浮かんできても、だいたいこうやって結論に達する。無理にでも前向きになれるのは彼の長所のひとつだった。前を向きすぎて足元に気づかないことは多々あるが。
 今もちょうど足を砂にすくわれてバランスを崩し、砂の上にうつ伏せに倒れこんだ。柔らかい砂の上をずっと歩いてきたからひどい疲労を覚えた。彼は倒れたままの格好で目を閉じたい気分になった。そのままじっとしているだけで、風で運ばれてきた砂がどんどん身体の上に積もっていく。
 てっきり自分は宇宙空間で死ぬのだとばかり思っていた。向こう見ずな飛行士として宇宙戦闘機を飛ばしに飛ばしまくってきた人生。もはや飛ばせない乗り物などないと断言できるほどの操縦技術を身につけ、仲間たちからも「銀河一のパイロット」などと、半ば冷やかしながらも尊敬を込めて呼ばれていた。
 もちろん彼はそんなことで鼻を高くしたいから飛んでいるわけではない。仲間たちからの信頼はうれしいが、彼はただ飛びたいから飛んでいるだけだった。才能や能力に恵まれた者の多くがそうであるように、彼もまた自分にとって至極当たり前のことをしているに過ぎなかった。飛ぶことも、自分が正義と信じているものに尽くすことも。
 そんなふうに、常日頃から宙を飛んで冒険を繰り広げてきたからこそ、自分が死ぬのはきっと、とうとう敵の光弾に追いつかれて機体が焼かれたときか、あるいは単に調子に乗りすぎてなにか誤操作をしたときだろうと思っていた。どちらにせよ、死に場所は宙だと思っていた。
 それが、こんな砂に埋もれて死ぬことになるとは。宙とは正反対の、地面で死ぬことになるとは。銀河一の飛行士が砂の上で死んだとなれば、大変な笑い話になるのではないだろうか。人からの評価などほとんど気にしたことはなかったが、しかし、自分がここで死ねば、人々がこの無様な死を笑うことのできる平和さえも脅かされてしまう。そう思うと、こんなところで、こんなことでは死ねないという気持ちが強くなった。
 あの伝説の人物のように、空を自由に駆け巡りそうな名前は、自分にはない。しかし、それでも彼は、伝説に負けないくらい精一杯生きてきたつもりだった。そして、その日々を今日ここで終わらせるつもりはなかった。
 そもそも、敵のミサイルが機体を吹き飛ばしても、自分はこうして砂漠に落っこちて生き延びたのだ。宙では死ななかった。だから彼はまだ死なない。
 拳を握りしめて、砂の地面を叩く。ずぶり、と拳は柔らかい砂に沈む。
 力を奮い起こす。もう一度飛ぶんだ、そう思うだけで自然と身体中にまだ残っていた力が行き渡っていく。
 がばっ、と上体を起こす。それまでに身体に積もっていた砂が一気に流れ落ちる。膝を曲げて地面に突き立てると、飛行士は再び完全に立ち上がった。優雅な離陸とまでは行かないが、立ち上がらなければリフトオフもできない。
 案外。
 彼はふと思う。
 案外、あの不気味な装甲服をまとった敵の兵士たちも、こうやって自分に暗示をかけて強くあろうとしているのかもしれない。
 結局兵士であることは同じか。
 そこで思い至るのは、やはりあの兵士だ。
 囚われの身だった彼を解放し、ともに脱走した敵の兵士。元敵の兵士。
 機体がやられて地表に墜落する際に、ふたりとも座席ごと放り出されたのだろう。きっと彼もこの砂漠のどこかに落ちたに違いない。
 彼にはあの兵士がいいやつだということが瞬時にわかった。終始緊張した表情で、顔はとても汗ばんでいた。緊張によって眼は少しおどおどしていたが、その瞳は澄んでいて、とても残虐な行為になど手は染められそうにない。あの兵士が例の集落への襲撃に参加したのかどうかは定かではないが、きっと村人たちの虐殺には加担できなかったはずだ。もしかすると、それが原因で離反を決意したのかもしれない。
 とにかく、あいつはいいやつだった。短い間だったが、すぐにふたりは意気投合した。狭い操縦席で背中合わせになり、ふたりは一緒にひとつの戦闘機を飛ばした。あの感覚を彼はまだ如実に覚えていた。自分が飛ばし、彼が撃つ。彼が命中させ歓声をあげると、自分もそれを褒め称えた。あんなに喜んでいるやつは久しぶりに見た。まるでふたりとも子供のようにはしゃいだ。意地悪な大人たちから宇宙船を盗み出した子供だ。
 あんなやつが敵の兵士の中にいるとは想像もしなかった。
 もっと完全に個性が抑圧され、ただひたすら命令を遂行するだけの殺人マシーンばかりだと思っていた。しかし、それもまた相手が自分たちに抱いているのと同じ種類の偏見でしかなかったのだろうか。
 あの白いヘルメットをひとつひとつ外していけば、多種多様な人間の顔があるはずだ。そして、彼らは決してマシーンではなく、人間だ。きっかけさえあれば、あの陽気な脱走兵のように、心を取り戻せるはずだ。
 そう。あの男は彼によって心を手に入れたも同然だ。名前が無く、無意味な識別番号しか持っていなかった男に、彼は素朴なものではあったが名前を与えたのだ。彼が新たな人生を与えたと言ってもよかった。そんなことで得意がったり、恩着せがましく思う彼ではなかったが、ひとりの人間を救い出せたのだと思うと、純粋にうれしかった。
 機械の相棒はもちろん、あの新しい相棒とも再会しなければならない。どうか無事であってほしい。


 惑星の主な地域や集落の位置関係は、事前に頭に入れていたものの、墜落したのが一体どのあたりなのかまるで見当がつかなかったので、途方に暮れかかっていたが、すぐに天は彼に道を示した。文字通り天が示したのだ。
 真っ青の広大な空に、一筋の軌跡が浮かび上がっていた。彼の鋭い動体視力は、軌跡の先端、ずっと上方に殺人的な太陽光を受けて銀色に輝く物体を捉えたのだった。
 地上から宇宙船が飛び立ったのだ。
 それもあの大きさと軌跡のわかりやすさからして、そう遠くない場所から。
 銀河一の飛行士である彼は、宙から愛されているようだ。そう実感して砂を踏む足に少し力が加わる。この方向で間違いない。
 果たして、一体いくつ目になるかわからない砂丘をやっとのことで越えると、視界の先には平地が広がり、ずっと前方に人工物らしいものの影がいくつか見えた。近づいていくと予感は確信へと変わった。
 あれは集落に違いない。いや、あの規模は彼が訪れた村よりもずっと大きい。巨大な建造物も見受けられる。先ほど宇宙船が飛び立ったことを考えれば、ここはこの星で唯一の宇宙港だった。
 気づけば、周囲のいろいろな方角から人影がやってきていた。みな宇宙港を目指しているらしく、よく見るとなにやら大荷物を抱えたりひきずったりしている者ばかりだった。金属板の上に荷物を載せて砂の上を引いている者もいれば、単純な動力に網や袋や板をつけて物を運んでいる者もいた。入植地が近づいてくるにつれ、方々から集まっているその荷物や、それを運んでいる者の風貌がよく見えた。ボロをまとった者ばかりで、荷物は汚らしい機械の部品ばかりだった。
 廃品漁りについても、もちろん話に聞いていた。この惑星で唯一と言っていい生業。ここで生きていくには、砂漠にある戦場跡に埋もれている宇宙船や兵器の残骸から部品を集めるしかない。昔ここで繰り広げられた壮絶な戦いはその後の銀河の運命を決定づけたが、戦場となった惑星は忘れ去られたのだった。今も巨大な宇宙戦艦の残骸が砂に埋もれ、おびただしい兵士たちの骨が故郷を夢見て眠っていることだろう。
 飛行士たちも、大勢眠っているはずだ。彼らの脚となり翼となった、今や伝説的な機体として思い返される戦闘機の残骸がその墓標となって。
 いち飛行士として、彼もその戦場跡を一目見てみたいと思ったが、今はまず相棒たちと合流し、ここから脱出する手段を確保しなければならない。
 露店や廃品の集積所のようなものがもうすぐ目と鼻の先まで迫ってくると、久しぶりの人工物に妙な感動さえ覚えた。すれ違う廃品漁りたちは彼の持つ優しさを持ってしても少し不快に感じるほど汚く、悪臭を放っていたが、それでもひとであることに変わりはない。殺風景な砂漠を実際の時間よりも長く歩いてきたように感じていた彼は、どんなものであれ人工物や知的生命体の存在にありがたみを覚えた。
 そうしてあちこち物珍しげに見回していると、人工的に作られた池のようなものが目に入った。そこには巨大な豚のような動物がいて、大きな鼻面を池に突っ込んでばしゃばしゃと水を飲んでいた。
 そう、水だ。乾燥と死の世界を彷徨ってきたので、ほとんどその存在を忘れていたが、目にした途端急に身体の乾きを実感した。彼は一目散に池に駆け寄り、豚のような大型動物と並んで顔を突っ込んで飲んだ。急に飲みすぎたせいか、それとも汚水だったせいか、彼はすごい勢いでむせた。
 家畜の飲み水に顔を突っ込んでいる彼を、周囲にした廃品漁りや露天商たちが声を上げて笑う。
「昨日も同じことをしているやつを見たぞ」
 全く聞き慣れない言葉に混じって、銀河標準語が聞こえてきたので彼は顔を上げた。そしてすぐにその声の主を探し出す。
「今なんて?」
 久しぶりに出した声は思った以上にかすれていた。「同じことをしていたって?」
 彼の只ならぬ必死な表情に、標準語を話す廃品漁りは気圧されたが、
「いや、今のあんたと同じように、そこの水をがぶがぶ飲んでむせてるやつがいたってだけだよ」
 と答えた。「あんたの知り合いか?」
 仲間、という言葉に飛行士は考えを巡らせる。きっとあいつだ。
「どんな格好だった?男か?女か?」
 彼は廃品漁りに近づいて詰め寄る。見知らぬ土地で、見知らぬ相手に全く及び腰にならない。
「男だよ。格好なんざ覚えてねえよ。いや、洒落た上着を着てやがったな。それくらいだ。だいたい、あいつのせいでこのあたりは大迷惑したんだよ」
 廃品漁りはそう言って振り返り、背後のあちらこちらを指差した。露店の残骸のようなものがあちこちにあり、焼け焦げた部品のようなものも見られる。
「あいつが来たあと、おっかねえ兵隊も来てめちゃくちゃにしていった。空襲だってあったんだぜ。あの戦闘機、似たようなやつが墓場に埋まってるのを嫌っちゅうほど見てるから、きっとあれが新型なんだろうな。まあ古いやつのほうが俺あ好きだな」
 廃品漁りの話に衝撃を受けた飛行士はしばらく言葉が見つからなかった。
 ということは、ここまで追っ手が来たのだ。
「それで、そいつはどうなった?捕まったのか?」
「いんや、まんまと逃げたよ。それも地元の女と一緒にな。ああ、あの小娘のせいで俺たちの親分もカンカンよ。あいつら、親分の船を盗んで逃げてったんだぜ」
 新しい登場人物が出てきたので飛行士はやや混乱したが、なんとか頭の中で話を整理した。
 新しい相棒、元敵兵の彼はここまでたどり着いたが、追っ手がやってきた。 
 そしてここの女と一緒に船を盗んで逃げた。
 俺が砂漠で寝ている間にそんな大冒険をしていたのか。
 そこで彼は重大なことを思い出す。
「逃げたのはそいつらだけなのか?兵隊が追ってたのは」
「いや」
 廃品漁りは言う。「丸くて転がる機械のやつもいた。というか、兵隊はあれが欲しかったらしいな。いやあ、俺もあんなのが手に入ればもう食い物に困ることはないね」
 飛行士はまたしても言葉をなくす。当たりだ。
 脱走兵の彼は、機械の相棒を見つけて保護してくれたのだ。
 彼の相棒たちは、機械の方も人間の方も無事にこの星を脱出したのだ。
 それがわかっただけでもいくらか気持ちが楽になった。
 彼らだけで大事な地図をおさめた記録媒体を秘密基地に届けてくれるかもしれない。
「わかった、ありがとう」
 彼は感極まって廃品漁りの両肩に両手を置いて、ぽんぽん叩いた。相手はこれ以上ないほど怪訝な顔をして、彼から離れていった。
「おうい、もうひとつだけ」
 こちらに背を向けて立ち去りかけている廃品漁りを、飛行士は呼び止める。「宇宙船にはどうしたら乗れる」
「そんなことできるわきゃねえ」
 廃品漁りは吐き捨てるように言った。「昨日のあいつらみたいに、盗みでもしなきゃここじゃ船には乗れねえよ」
 今度こそボロをまとった背中は遠ざかっていった。
 飛行士はその背中に向かって頷いた。
「もちろん、そのつもりだ」
 とにかく仲間たちは無事だ。無事にこの星から出ていった。自分のことを探してほしかったとも少し思ったが、きっと死んだと思ったのだろう。仕方がない。彼らはもっと重要なものを持っていて、それを届けなければならない。
 ちゃんと届けられるだろうかという不安は残るが、とにかくもうこの星で自分にやるべきことはない。早く仲間たちの後を追い、彼らとの合流を図るか、それができなければ基地に先回りして手を打たなければ。
 彼は周囲を見回し、その場所を宇宙港たらしめている唯一の要素、柵で囲まれた広い空間を見つける。あそこがきっとこの星でただひとつの宇宙船の発着場だ。
 飛行士は露店や廃品漁りたちの間を縫うように駆けていく。
 もとより出入りする船は少ない。ましてや一隻は盗まれ、一隻は先ほど彼が目にしたようにここを飛び立っていった。今、あの柵の向こうに何隻あるかはわからない。一隻だけでもあれば幸運と言えるだろう。
 と、背後に嫌な空気を感じた。飛行士の勘のようなものが、伝説の騎士たちが持っていたような特別な感覚ではないにせよ、危機を警告していた。
 というか、なんだか騒がしかった。
 走りながらも、ちらりと後ろを振り返ると、ずっと後ろの方でさっきの廃品漁りが彼を指差しており、武装した数人の男たちが彼を追いかけて来るところだった。
 彼は砂を蹴る脚を加速させた。
 家畜用の汚い飲み水であっても、飲んだおかげで少し体力が戻ったようだ。
 それとも、迫る危機が彼を走らせたのか。
 発着場の柵はもう目の前だ。見れば、ありがたいことにすぐ近くに一隻の船が見えるではないか。
 そこで彼はなにかに勢いよくぶつかった。
 硬く、大きなものに弾かれて彼は砂の上に仰向けに倒れこむ。見上げると、大柄な異星人が立っており、恐ろしげな形相で彼を見下ろしていた。顔つきからして飛行士の同僚にもいる、よく知る種族のようだったが、大変な大柄で、なによりも黄色い重機のような機械の両腕が目を引いた。その腕はちょうどなにかの大きな部品を掴んで引きずっているところだった。
 後ろから怒号が近づいてくる。
 巨体の廃品漁りにはどうやら敵意はないらしく、黙って彼を見下ろしているだけだ。彼はすぐに自分がその行く手の邪魔になっているだけであることを察し、急いで起き上がると道を譲った。思った通り相手はのっそりのっそりと歩き出した。
 飛行士は再び走り出し、とうとう柵に達した。ワイヤーを何本か横に張っているだけなので、その間をくぐって向こう側に行けた。
 一瞬振り返ると、追っ手たちが先ほどの巨体の廃品漁りに自分と同じようにぶつかっていた。追跡の手が緩んだその隙を彼は逃さなかった。目の前にある船に向かって一気に走る。
 その宇宙船は箱のようなシンプルな形で、操縦席と見られる前方部分は急な傾斜になっていた。彼はいろいろな宇宙船について知識があったが、これはその昔民間の星間旅行会社で使われていた船に似ている気がした。
 昇降路が開いていたので駆け上って中に入ると、思った通り、船内は座席がずらりと並んでいた。旅行用の船だ。前方の操縦席に向かうと、やはり予想した通り機械の飛行士が着いていた。星間旅行会社がよく使っていた、円筒型の身体に機能的な腕、ドーム型の頭部に親しみを持てる二つの丸い眼。
 彼が近寄ると、休止状態と見られた機械が自動的に起き上がった。駆動音から察するに、長い間使われていなかったらしい。
「ごきげんよう!私は当機の船長を務めるキャプテン・レッ――」
「時間がないんだ」
 彼は機械の顔に向かって指を立てて遮った。「俺に操縦を代わってくれ」
「申し訳ありませんがお客様、それはできません。当機は正規の訓練を積み、なおかつ当社が認可したパイロットでなければ――」
「追われてるんだ。やつらがここまで来たら、お前も分解されてしまうぞ」
 不本意ながら、彼は脅すような口調になった。「バラバラにされるだけならまだしも、溶鉱炉で溶かされて他の鉄くずと一緒にされるんだ」
 機械の飛行士は丸い視覚センサーを、まるで目を泳がせるように落ち着かなげに動かすと、頷いた。
「おっしゃりたいことはわかりました。私はこの船と、お客様の安全を確保せねばなりません。もちろん自分の身も守らなければなりません」
 言いながら金属の腕がせわしなく動き、船が振動した。エンジンが始動したのだ。「私が責任を持ってお客様を目的地にお運びしましょう」
 彼がそれに対して抗議する暇はなかった。船はなんの前触れもなく離陸し、あろうことか勢いよく後退した。突然のことで、彼はバランスを崩して倒れそうになった。
 船尾になにかがぶつかる。 
「おっと」
 機械が間の抜けた声を上げる。「いや、今のはなんでもありません、大丈夫大丈夫」
 飛行士が座席の背もたれを掴んで窓の外を見ると、前の方から追っ手たちが金属の棒を振り回しながら走ってくる。船が急に後退したので、急いでこっちに向かっている。
 彼は機械の飛行士に顔を向ける。
「早く発進してくれ、やつらが来る!」
「お待ちを」
 機械の腕がレバーを引く。
 今度は船がその場で滑るように一回転した。生きている方の飛行士は胃がひっくり返るような気分だった。
 このときばかりはしばらくなにも食べていないことに感謝した。
「一体なにをやっているんだ!」
 いち飛行士として、こんな操縦は許せなかった。「やっぱり俺がやる!」
 言って操縦桿を無理やり掴むと、機械の方は抵抗した。
「なにをするのです!お客様は席に着いて安全ベルトをお締めください!保安規約に反する場合は下船していただきますよ!」
 操縦桿を取り合っていると、船体が大きく傾いた。このままでは追っ手に攻撃される。
 騒ぎ立てる機械の飛行士をよそに、生きた飛行士は思い切り操縦桿を引き上げた。
 途端、船は急発進し、周囲を取り囲んでいた追っ手たちは風圧に吹き飛ばされた。一番近いところにあったいくつかの露店の屋根も巻き添えを食らった。
 砂塵が吹き上げられ、箱型の宇宙船は一気に空高く舞い上がった。
 小さな砂嵐が去ると、そこにはもう船の姿はなかった。


 星間旅行会社の旧式宇宙船は高度を上げていき、いよいよ空の終わりまで達そうとしていた。その先には星々の輝く宇宙が広がっている。
 彼は再び宙にやってきたのだ。
「私の経験の中でも、今回はスムーズな発進でした。引き続き快適な旅をお約束しますよ」
 機械の飛行士は調子のいい口調で言った。「ところでお客様、宇宙旅行は初めて?」
 彼は安堵とともにひどい疲れを覚え、くたびれ切っていたが、その言葉を聞いて頰を緩めずにはいられなかった。
「ああ」
 笑って、下唇を噛んで見せる。
「いつも初めての気分で飛んでるよ」
 窓の外に無数の星が煌めく。
 銀河一のパイロットはこうしてまた宇宙に飛び出した。
 自分の操縦ではなかったが。


 おしまい