2018/03/18

大人になる前の最後の抵抗

 どうやらぼくは父親になるらしい。生まれるまで書かなくてもいいかなとも思っていたんだけど、さすがにそろそろ日常について記す上で触れないではいられなくなってきた。もはや妻の体調や膨らんだお腹が生活の中心となっているので、それに触れないということはブログに書くことがいよいよなくなる。それに、せっかくなら今くらいの時期のことを書き記しておくのも悪くないだろうというわけ。

 と言っても、子供が生まれる、というそれ以上はあまり書くことがないんだけどね。そもそも初期の頃から妻の体調がよくなく、つわりがひどすぎて入院までしたほどだったので、そういった慌ただしさもあってなかなか能天気な調子になれなかった。この先どうなるかというのもわからないから、おおっぴらにする気にもならなかったというわけだ。なんと言ってもひとの身体のことだから、事細かにそのプロセスを誰でも読めるところに書くのも憚られた。

 しかし、そろそろ秒読み段階に入るので、気をつけながらなら多少のことは書いてもいいだろうという許可を、自分に下したというところである。というか、妻のことはともかく、ぼく自身にある変化(退化と言えなくもないが……)が見られたので、そのことを話しておきたい。

 ぼくが小学生時代以来久しぶりにポケモンのゲームで遊び始めたことは、このブログやツイッターを読んでいるひとなら知っているだろうけど、問題はそこだ。なんで急に小学校の頃遊んでいたものに手を出したのか。『スター・ウォーズ』のように慢性的(?)に夢中なものは別として、子供の頃遊んだもの、好きだったものに妙に惹かれるようになってしまったのはどうしてだろう。しかも、なにを思ったのか『ハリー・ポッター』の古いハードカバーを引っ張り出してきて読み返し始めた。挙句の果てにはアヴリル・ラヴィーンやパラモアの初期の曲など聴いている……。

 平成最後の年に、親になるのを目前にして急にティーンに戻ろうとでも言うのだろうか。みっともないことこの上ないが、一種の防衛本能のようなものだろうか。いよいよ本格的に大人になってしまう前の、最後の抵抗とでも言うような……。

 元号が変わるタイミングというのもなにか巡り合わせを感じずにはいられない。自分が生まれ育った元号が終わるということは、子供時代といよいよお別れするということではないか。今までは子供の頃と地続きの感覚でいたけれど、一つ前の元号の(しかも一桁)生まれとなればそうはいかない。そんなタイミングで親になるというのは、これはもういい加減に大人にならなければならないという通告のような気がする。

 まあ、そこまで恐ろしいわけではないけどね。ぼくはたぶん子供ができようがその子が成人しようが、いつまで経っても人形遊びが好きな、うんこ漢字ドリルで大笑いする人間のままだろうと思う。それはそれで恐ろしいのだが。
 
 子供時代のコンテンツを改めて楽しんでいるのも、懐古に走っていると言われればそれまでだが、なにかこう、初心を思い出すというか、知識が増えるとともに薄らいでしまった、もともと自分はどういったものが好きだったかという感覚を思い出すようで、それはそれで時に必要なことだろうと思う。特にぼくのようなタイプはそういう充電が頻繁に必要なのかもしれない。


 こんなかわいい柄の服があったりする。ぼくが着たいくらいだ。犬の表情が恨めしげ。犬の嫉妬心をどうフォローすればいいかというのがいちばん悩ましいかもしれない。
 ちなみにこの数ヶ月の間、初めて会ったひとから「お子さんは?」と聞かれた際にまだ生まれてはいないので「まだです」と答えていたんだけど、妻が言うにはそれは軽く嘘をついていることになるらしい。嘘ついてすみませんでした。聞かれたことを聞かれた形でしか答えられないのです(「ご予定は?」とか聞かれていれば答えようがあったのだろうなあ)。

2018/03/16

山田詠美さんの新刊エッセイ集「吉祥寺デイズ: うまうま食べもの・うしうしゴシップ」装画を描きました



 「女性セブン」誌上で山田詠美さんが連載中の「日々甘露苦露」から95篇を収録したエッセイ集、「吉祥寺デイズ: うまうま食べもの・うしうしゴシップ」(小学館)の装画・挿絵を担当しています。
 全95篇というボリューム感が伝わるような、にぎやかな絵になっていればと思います。だんだん物がたくさん飛び出しているような構図が上達してきたような気がする。
 お出かけするお話も多いので、旅行用トランクから飛び出しているという絵なんですが、黄色いトランクはぼくの私物で、映画『ムーンライズ・キングダム』でもお馴染みのヴィンテージのアメリカン・ツーリスター。アメリカのお話やイメージもあちこちに散りばめられているので、ちょうどよかった。

2018/03/10

ハリー・ポッターのカバーを考える




 やはり最初の3巻がおもしろい。『ハリー・ポッター』との出会いは10歳の夏休み、父の知り合いのペンションかなにかを訪ねた際(泊まったわけではない)そこの暖炉の上かなにかに紺と赤と深緑の三冊が並んでいるのを見かけたのがはじまりである。8月の終わり頃で外は明るい曇り空だった。あの明るめの曇り空のイメージは今でもこの作品と結びついている。
 3巻までは比較的のんびりしているというか、魔法の世界観を紹介するための日常感が強い。もちろん1作ごとに冒険と対決があるんだけど、まだ宿敵との直接対決には至っていない。4巻でヴォルデモート卿が復活を果たし、それ以降学校での日常をのんびり描くような余裕はどんどん減っていくし、シリアスさの度合いも強くなっていく。最初の3巻は4巻以降の戦いへの序章と言ったところだ。
 ファンタジーとしてのかわいらしさに満ちているのも、最初の3巻まで。そのあとももちろん不思議な世界が描かれるが、つねに暗さや血生臭さはついてまわる。映画版のほうも同じで、3作目まではポップなファンタジーという雰囲気がある。最初の2作はクリス・コロンバスによる温かみのある世界観で、3作目はメキシコ人監督アルフォンソ・キュアロンがポップとダークを両立した色彩で描いて見せた(ちなみに同じくメキシコ人監督のギレルモ・デル・トロも3作目の監督候補だった)。キュアロンの作風は原作者にとってはいただけないものだったようだけれど、ファンからは前の2作よりも原作のイメージに近いとして受け入れられたとか。ぼくも3作目の雰囲気は好きだが、確かに少しクドい部分はあるかも。いずれにせよ、コロンバスによる2作の雰囲気は、まだまだ魔法の世界に不慣れでピュアな1年目と2年目にぴったりだし、キュアロンによるダークな3作目も、思春期を迎えて少し大人びて、両親の死の真相と対峙する3年目にぴったりだったと思う。ちなみにジョン・ウィリアムズが作曲を手がけたのも3作目まで。
 というわけで、原作も映画版も、3年目までとそれ以降とで物語を分けることができる。

2018/03/02

営業報告



 「SPUR」(集英社)2018年4月号の「銀幕リポート」第25回では、ギレルモ・デル・トロ監督作『シェイプ・オブ・ウォーター』を紹介しています。前号『パディントン2』にもサリー・ホーキンスは出演していましたね。今号のために描くのを我慢したからあのようにおじさんとクマだけの画になってしまったというところも……。なので今回は所狭しとサリー・ホーキンスを描いています。もちろん他のキャストもいい感じのひとばかりです。




そして、「婦人公論」(中央公論社)2018/3/13号ではジェーン・スーさん連載「スーダラ外伝」第24回の挿絵。もう2年も描いていることに気づく。だんだんスーさんの絵が安定してきているような気がする。




「小説NON」(祥伝社)2018年3月号では先月に引き続き原宏一さんの連作に挿絵を描いています。

2018/03/01

クレームブリュレだった


 近所に大きめのクレームブリュレを出すお店があって、表面をカンカン叩いているときに思いつく。思いついたものはなんであれ形にするとすっきりする。ジャン=ピエール・ジュネのあの映画はまだ観たことがなく、おそらく今後も観ることはない。