2019/02/23

新しい線の研究


 隔日で締め切りみたいな日々なんだけど、時間の使い方は自分次第なので、隙間のような時間を使ってちょっと落書きをしている。仕事はデジタルメインだけど、そうじゃないところでは紙に描く習慣は、少し残しておきたい。フォトショップのブラシは大好きで、これも立派な画材だと思ってるけど、紙に描くときのペンはやっぱり別に必要になる。フォトショップの自由でダイナミックに描けるブラシに慣れると、どうも今まで使っていたペンでは物足りなくなってくる。落書きだけではなく、たとえば年賀状を描くときにちょっとハガキに絵を描きたいときにも、調子が出ない。なにか工作をするときに、紙細工に直に描き込みたいときも同じ。こうなってくるとまたペン探しをしたくなる。ペン探しは専門学校に入ったときからなんだかんだずっと続いている。フォトショップにしたって、つねに新しいブラシを試している。仕事にせよ自主制作にせよ、そのとき使っているブラシというのは、今のところはこんなものかな、というくらいのもので、完璧ということは全然ないんだな。これは絵の描き方とも同じで、つねに実験という感じ。

 この消防車の絵は、今回新しく触ったペンで線を描いた。色はいつも通りフォトショップ。使ったペンはウィンザー&ニュートンのウォーターカラーマーカー。つまり水彩タッチで描ける筆ペンのようなもので、どうしてこれを使ってみたかというと、少し太い線をやってみたかったから。太いと同時に強弱がつけられて表情を出せるようなものがいい。筆で主線を引くというのにも興味があった。そういうのがうまくできるようになれば、アナログで大きな絵も描きやすいし、空間の使い方もよくなるかもしれない。工作にもちょうどいい。


 同じようなマーカーは結構あって、世界堂の狭い通路で何人も他のお客さんをやり過ごしながら時間をかけて数本選び、家で試していちばんいい感じだったのがこれだった。ボディがちょっと太めなのがかわいい。持ちづらくはない。こういうマーカーのいいところは、強弱がつけられるだけでなく、途中でかすれたり、濃淡が出たりするところ。特に塗りつぶしをやったら結構ムラができて、よかった。全く隙のない完全なベタ塗りというのは、自分でやるにはちょっと味気ない。真っ黒に塗るところにも濃淡がほしい。


 リンダ・カーターのワンダーウーマン。この頭髪のところ、ぼくの思ういい具合のムラができている。スキャンした線画をフォトショップで補正する際にも、少しムラが残るように調整する。これで、画面の中にも少しアナログの雰囲気が残る。それが重要。そういうのがかわいさになると思う。アナログ風のブラシというのを、フォトショップで延々と調合し続けて、このくらいかと思える具合になったところでそれをしばらく使ってみる、というのを繰り返しているのだけれど、今回このマーカーを使ってみてちょっとわかったことがある。アナログの線というのはやっぱり偶発性だ。予期しないところで急に薄くなる、かすれる。そういう不規則さがアナログの線だと思う。今までぼくはフォトショップでアナログ風のブラシを作るとき、線の表面における粒子の「散布」を調節することに重点を置いていた。それをやるとちょっとインクがにじんだような感じになる。ところが、そこはあまり重要じゃなかったんだ。散布も結局は規則的なものでしかなく、線に強弱はつけられるが、散布に変化はつけられない。なによりずっとにじんでいるので絵がいまいち締まらない。鉛筆のような柔らかさがあるので、ゴシゴシ塗ることで微妙な濃淡は出せるが、線を引いていたら急にかすれたり薄くなったりというのとはちょっと違う。というわけで、マーカーで覚えたことを生かして新しいブラシを調合してみよう。

2019/02/14

メール問題一応の解決

 早くも2月中旬だが今月仕事の告知以外全然ブログを書いていないので寝る前に筆を取る。更新する暇がなければ更新しないでいいくらいの気軽さではいたいけれど、書きたいという気持ちは強い。

 しばらく悩みの種だったEメール問題が一応解決の兆しを見た。と言うのも、ずっと連絡が通じないひとが何人かあって、こちらから送信はできているようだが、一切先方からの反応が見られないというのが続いていたのだ。ぼくの性格上こういうときはなにか怒らせてしまったのではないかと焦るのだけれど、複数の相手がそうであること、メールの内容に質問のニュアンスが含まれていようとなかろうと関係がなさそうなことから、なにか技術的な問題らしい。しかし、メールの送信に失敗すればその旨が通知されてくるはずである。それがないということは、送信に成功しながらもどこかで停滞しているのか。このあたりのことはとても疎いので(サーバーというものがなんなのか、説明しろと言われても十分にできるか怪しい)、あとはもうこの症状について思いつくワードを打ち込んで検索するしかないのだが、これが全然あてにならない。どうも最近の検索エンジンというものはアクセスの多い記事ばかり上位にあげ、なおかつこちらの入力した言葉を打ち消して違う候補を引っ張ってきたりするものだから、こういう特殊な現象について調べづらくなっているような気がする。それらしいものがヒットしたとしても、質問サイトに数年前寄せられた質問くらいしか見当たらず、技術的な問題について調べると絶対そういうのに行き当たるのだが、大抵の場合質問者の言葉足らずを冷たい感じに諭す回答ばかりで嫌になる。OSとバージョンを書いてくれなきゃわかりませんとかなんとか。そうして質問者がOSとバージョンを書き込むと、さっきそれを聞いた回答者はその後一切なにも書かなくなる、なんてことがよく見られる。OSとバージョンってそんなに重要なのかな。それがわからないと全然なにもアドバイスのしようがないほど?

 そういうわけでいくら調べても進展はなし。でもいろいろ調べてわかったことは、もう相手のメール受信の設定次第なので相手に対処してもらうしかないらしいということ。それじゃあぼくが打つ手はとりあえずないなあ、ということでしばらく落ち着いていたのだが、先日連絡の途絶えていたひとと電話で話す機会があって、聞けばぼくのメールは全て届いていたらしい。お返事もくれたと。ゾッとする。つまりぼくが向こうのメールを受信できていなかったということだ。しかも、先方は数ヶ月前からぼくにあることを問い合わせていたらしい。さらにゾッとする。なんということだ。大事には至らなかったけれど、ますます解決しなければならなくなった。それも早急に。一体ぼくはほかにどれだけのメールを無視してしまっているのだろう。

 普段使っているメーラー、サーバーのメーラー、さらにサブのGメールと、それぞれの設定を嫌というほど調べたが、いまいちわからない。ゾッとする事件以降、とりあえずの措置として一部のひとたちとGメールでやりとりするようになったので、前よりもGメールの方を頻繁に覗くようにしていたのだが、そこであることに気づいた。Gメールに届き、メインアドレスのメーラーに届かないものがある。独自ドメインのアドレスを使い始める前はGメールを長らく使っていたものだから、前のアドレスに届くものもチェックできるようにと、Gメールアドレスに届いたメールをメインアドレスに転送する設定にしていたのだが、Gメールにしか届かないメールがあるのはどういうことだろう。よくよく確認すると理由は単純だった。Gメールに問題なく届くメールが、メインアドレスの方では迷惑メールに振り分けられていたのだ。なにが相手の受信設定だ、完全にぼくの方の問題である。迷惑メールは開けば開くだけまた届く、みたいなことを聞いていたので、中身を確認せずにフォルダごと削除し続けていたから、その中に普通のメールが一通混じっていてもわからない。まあ、都度中身を覗いたとしても、迷惑メールは膨大な数来るので見つけられたかどうか怪しいが。

 原因はこれしか考えられない。それまでやりとりをしていたアドレスを、一体どの時点で迷惑メールに指定してしまったのかは全然わからないが、ともかくこれで原因らしい原因はわかった。すぐに迷惑メールのフィルター機能をオフにして、全てのメールを一度受信トレイで受け取るようにする。あっというまにスパムが溜まっていくが、Gメールでしか受信していなかったメールがこちらでも問題なく受け取れるようになった。こんな単純なことだったとはね。いくら調べてもわからないわけだ。最初からこんな単純な原因は考えになかったのだから。

 ついでにもうひとつ解決したことが。これも非常に単純、というかかなりおバカなことだったんだけど、どうやらGメールに届いたメールをメインアドレスに転送するという設定の上に、さらにメインアドレスに届いたメールもGメールに転送するよう設定していたらしい。どうしてそんなことになっていたのか全然覚えがないが、とにかくそれも全て解除したら、届くスパムメールの数が激減した。つまりだね、ふたつのアドレスの間で迷惑メールの転送が延々と繰り返されていたのだ。さすがに昔のように永久にループするような事態にはならず、途中でせき止められていたようだけれど。Gメールの方にやたら「Mail Delivery Subsystem」からのリターンが届いていたのも、別に乗っ取られてスパム発信に使われていたとかいうわけではなく(それらのリターンは普通のメールについて届いていた)、単に転送の問題で出たエラーだったらしい。

 不通だった連絡もつき、迷惑メールも激減してひと安心。メールが届いたか届いていないかわからない状態というのはなんとも落ち着かないし苛立つことで、半年以上そんな感じだったんだけど、どうしても確認したいことがあればやはり電話したり、なにか挨拶することがあれば葉書を書くのがいいようだ。だからやっぱりアナログな方法も残しておかないといけないんだろうなあ。もちろんメールは常に万全の状態にしたい。どうも大変ご迷惑をおかけしました。

2019/02/03

営業報告


 「5歳からの哲学 考える力をぐんぐんのばす親子会話」(ベリーズ・ゴート、モラグ・ゴート/高月園子 訳/晶文社)で、カバーイラストと中の挿絵を描きました。タイトルの通り、親子で楽しめる哲学の本です。イギリスの現役小学校教師と大学哲学教授による共同執筆で書かれた本の、翻訳版。大人と子どもが一緒に考えることのできる内容です。難しいことを簡単に柔らかく、わかりやすく説明することのほうが大変なことですが、そのほうが本質に近いこともあります。余分な情報が少ない分、コアが見えてくる。というわけで大人がひとりで読んでも非常に興味深いです。


 黄色いカバーがいいですね。イラストを引き立ててもらっています。黄色い本をどんどん作りたいですね。





 挿絵も多いのでぜひ。動物やロボットなど、子どもが馴染みやすいキャラクターがモチーフになって、ちょっとした出来事、シチュエーションのお話に沿って、こんなときどう考えたらいいだろう?というような問答が用意されています。
 それにしてもぼくはロボットを描こうとするとだいたい2-1Bとかアイアン・ジャイアントっぽくなる。




 「SPUR」3月号(集英社)の映画レビュー連載では、ニコラス・ホルトがJ・D・サリンジャーに扮した『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』。サリンジャー生誕100周年にあてた映画で、人々の前から姿を隠してしまった伝説的小説家の半生を描きます。一切のノイズを遮断して創作に打ち込みたいという願いは、サリンジャーでなくとも作品を作るひとならわかるんじゃないかなあ。本の装丁にこだわり、イラストレーションによる説明を一切拒否しようとしたり、人付き合いを最小限にしたり、なにもない小屋に閉じこもったり、どこかこう、ミニマリスト的なものを感じる。極端だけれどね。




 「婦人公論」2/12号(中央公論新社)でのジェーン・スーさん連載の挿絵。人生のところどころで生活が一変していく女性たち。全然別々のライフステージを歩んでいながらも、どこかで点と点が結ばれて協力し合えることもある。というところが伝わる挿絵になっていればうれしい。