2016/11/28

日本テレビ「ZIP!」クリスマス・カード

 日本テレビ系の朝の番組「ZIP!」特製クリスマス・カードをデザインさせていただきました。番組では出演者のみなさんからの直筆メッセージ付きでこのカードを100名さまにプレゼントするそうです。
 また、高解像度のデータをダウンロードして個人で楽しめるようにもなっています。
 詳しくは公式ページにて。


 両面印刷(A4用紙推奨)してふたつ折りして完成です。
 サンタのおもちゃ工場をテーマにしています。工場を開けると、内側が工場内部の様子になっている感じです。内側の、雪に覆われた屋根の部分がメッセージ書き込みスペースです。ぜひお楽しみください!








日記:11/19 - 27

2016/11/19 土

 驚くほど寝ていた。夕食は牡蠣と鱈と海老でお鍋にしてもらった。牡蠣はとても好きだ。たくさん食べた。

2016/11/20 日

 毎年この本格的に寒くなってくる時期に少し憂鬱になる。深夜まで起きていれば尚更。持ち前の冷え性で足先が冷えきって節々が痛い。
 自分のことを正当に評価してくれない人と無理して関わる必要はないよなあと、何度目かわからないが思い至る。ぼくのひどく歪んだ承認欲求はそうした、全く自分を認めてくれない人たちとずいぶん前から無理して接する中で培われたのではないか。いや、自分の性格の欠陥を他人のせいにするのはどうかと思うが、でもそうしてしまうととても楽なんだよね。いずれにせよ「他人」が非常なストレスになっていることは間違いない。認めてくれない人たちを見返してやりたい、などというくだらない動機がつねに奥底にあるような気がする。そんなものを原動力にして良い創作ができるだろうか?負の感情をエネルギーにするやり方ももちろんあるだろうけれど、取るに足らない他人のことを頭のどこかに置いて、そいつに見られることを前提になにかを作るなんて駄目だよね。
 これからはもっと自分の小宇宙を維持することに努めないといけない。

2016/11/21 月

 月曜日になると自分以外の世の中がしっかりと動き出してしまい、置いていかれた気分になる。仕事でまだ本になる前の原稿の束、ゲラを読んでいるのだけれど、その形態上普通の読書のようにははかどらない。
 友達からクリープの存在を教えてもらい、買って来た。この季節になるとココアが飲みたくなる。ココアはお湯で作ることもできるけれど、断然牛乳で作ったほうが美味しい。しかし我が家では妻が常に大量の牛乳と豆乳を飲むため、ぼくも牛乳を決まった量飲むとなると牛乳代がかさんでしまう。妻の牛乳を飲む勢いといったら、キャットウーマンに変貌する直前のミシェル・ファイファーがパックごとミルクをあおって口元から垂らすあのシーンくらいの勢いがある(嘘)。
 クリープは牛乳そのものじゃないし粉ミルクでもないがココアを飲む際の助けとなる。お湯だけで溶かしたココアよりずっと良い。コーヒーにも使える。いいことを聞いた。この手のものにはてんで興味がなかったのでまだまだ知らないことがたくさんある。
 先日の『ファンタスティック・ビースト』鑑賞の影響か、『ハリー・ポッター』をいちから読み返したくなっている。小学生のときよりは時間をかけずに読めるのではないか。実家からハードカバーを取り寄せようか。そのためには本棚のスペースをまた空けなければならない。

2016/11/22 火

 犬のMRI検査をしてから2週間経ったのでまた医療センターに。ホルモン検査の結果も結局異常なしであった。顔の麻痺以外はいたって健康。そうそう、きれいに刈られたお腹の毛はまだ生えず、ピンク色のお腹は妙に暖かくて柔らかく、よく触っている。優しくもむと恍惚とした表情でそのまま寝息を立てたりするからたまらない。
 顔の麻痺についても特発性、突発性であろうと見なされ、様子見ということになり、通院する必要もなくなった。どうやらこの2週間でまぶたも下半分は動くようになったようである。耳もほとんど普通に戻り、口元はまだ反対側に比べると目一杯吊り上がらないようだがだいぶマシになった。改善傾向にあり、これ以上悪化することはまずないだろうと言われた。
 犬のためとはいえ病院に行くというのはどうしても1日仕事になってしまう。帰りに所沢の航空公園に立ち寄り走り回らせた。よく整備され、日当たりもよく、綺麗な公園。うちの近所とは大違いだ。あそこはジメジメした雑木林のようだし、我が物顔のランナーに気を遣って歩かなければならない上、愛犬を過信した身勝手な飼い主がノーリードで犬を放し飼いにさせているかと思えば、公園のど真ん中で思い上がった飼い主たちが一列に並んでいわゆるドイツ式訓練をしたりしていて(中年の女性がヒステリックに叫びながら自分のラブラドールをひっぱたいているのを何度か見かけた)、夜になると子供たちが限られた時間を少しでも楽しもうと不毛な語らいをしている。芝生はろくに手入れされずほとんど野っ原だ。最悪だろう?
 明日は『ファンタスティック・ビースト』の公開なので、感想記事を作ることにした。公開前に観せてもらっているからには、公開のタイミングや上映期間中に作品についてアピールしたいところ。

2016/11/23 水

 実はこのあたりから風邪をひいたり、持ち前の要領の良さで深夜まで仕事をしたりしていたので1日の出来事のメモを付け忘れていた。よく思い出そうとしても特に家で仕事したり本棚の中のフィギュアを並び替えたりしかしていないので特筆することはない。先週いっぱい試写を入れていたから今週はセーブしておいてよかった。寒すぎてとても出かける気になれない。
 本の装画の準備とか、雑誌のカット、ある映画への宣伝用のコメントを書いたりした。この映画への一言コメントというのは初めてだったのだけれどちょっと難しかった。絵無しで純粋に言葉だけとは、ちょっと恥ずかしいところがある。

2016/11/24 木

 朝から雪が降った。完全に風邪を引いた。鼻と喉から来ている。何もする気にならないが描くものはいくつかあった。犬も丸まって寝ているだけで動く気がないらしい。例によって足先が冷えきっている。あとはなんだったかな。寒かった以外のことを覚えてない。
 そう、実家の母に電話をして、部屋に残してある『ハリー・ポッター』のハードカバーを送ってもらうよう頼んだのだった。ついでにティム・バートンの新作についても話してあげた。最近のバートン映画にはテレンス・スタンプが出るんだよと教えたら、まだ生きてるの!と驚いていた。ひどい。わからないでもないが。
 思えばバートン映画には銀河共和国の議長がふたりとも出てるんだなあ。

2016/11/25 金

 妻に『ファンタスティック・ビースト』を観て欲しかったから、一緒に映画館に行こうと思っていた。あわよくば映画館のそばにあるトイザらスでのブラックフライデーのセールでSWのトイを見ようとも思っていたが、結局家にいることにした。ぼくは風邪がひどくなってきたし、毎週のようにおもちゃを買ってもいられない。どこかで止めなければきりがない。もともとは特に好きなキャラクターだけ、特に昔のものをどこかで見つけたら、という方針だった。投げ売り目当てに出かけてもいられない。SNSの普及は外国人の風習を隣人のそれのように感じるほど身近なものにしたかもしれない。去年もこの季節にアメリカのオタクのにいちゃんたちが特価のフィギュアをインスラグラムで自慢するのを羨ましがったものだ。以前はこの国でもあったらいいのにと思ったものだが、いざ身近なところでそのセールが始まってみると、そもそもの感謝祭もすっ飛ばして軽薄すぎるという感想を抱くばかりだった。商売のためによその祝日をも盗んでくるのはぼくらの得意とするところだ。そのくせホリデーであるはずの期間も働き続けるのだから奇妙だね。
 出かけないかわりに、予ねてから考えていた大幅な模様替えをやってみた。寝室とぼくの書斎(書斎だってさ。アトリエよりはマシだな)をそっくり入れ替えるのだ。妻曰く、ぼくはもっと奥まった部屋で仕事するべきなんだとか。要するにテレビから離れた部屋がいいというわけ。ぼくもそう思う。
 この小さい部屋の中で引っ越し作業をして実感したのは、ぼくが部屋に大してかなり大きい家具を持っているということ。部屋が古いのだからしょうがない。まだ日本人が土手の斜面に掘った穴みたいなところで生活していた時代において、最先端だったような部屋と言えばいいだろうか。とにかく狭い。ぼくの持つ二大家具、仕事に使っているカリモクの学習机と、本棚やコレクション陳列用に使っているカリモクの食器棚は、この部屋においてまるでイウォーク族のツリーハウスに宇宙船を運び込んだかのような異彩を放っている。特に本棚として使っている食器棚の方は上部と下部に分解できるとは言え上に乗っている棚のほうはガラス戸が三枚ついて背も高いのでぼくひとりで下に降ろすは無理で、妻と一緒に降ろしても今度は運んで移動先の部屋で持ち上げて再度組み立てるということができなかった。なので今新しくぼくの仕事部屋となったこの部屋でそれは二つに分解されたまま置かれている。これはこれでも良いがやはりアンバランスな印象。友達か弟を呼ぶ必要がある。
 そのほかは特に問題なし。せっかくなので机を窓辺に置いたが、外の冷気がひんやりと入ってきてとても寒い。だが頭上にエアコンがある。

2016/11/26 土

 この日は妻とどこかへ出かけようと思っていたのだけれど、ぼくの風邪の具合からにぎやかなところにわざわざ出ずに近場に兼ねてから必要だったものを買い行くことにしようということになり、池袋へ(十分にぎやかなんだけれどね)。
 来年の手帳と欲しかったバックパックをチェックして、犬の散歩用にヴァンズのスニーカーを買った。昨日の模様替えにともなって必要になったラグも買った。少し前から切れてしまった蛍光灯も4本買った。ダイニングの灯りはしばらくたった一本の、それも弱々しくなった蛍光灯で照らされていたのだから、気分も暗くなるというものだ。取り替えて見たら恐ろしいほど明るくなった。目がつぶれそうだ。
 夜はレゴ・ブロックを組み立てた。友人に不要になったレゴを大量にもらって一年以上経つが、いくつも製品モデルを組めるはずがなかなか暇がなくてまだまだ組み立てられるものが残っている。だから最近は説明書を見ながら製品モデルを組むので精一杯で、子供の頃のように衝動と思いつきで組み立てたりして遊ぶことはなくなった。映画『レゴ・ムービー』はそんな、つまらない大人的行為をも肯定してくれたからうれしかった。けれど、たまには製品モデルをばらしてなにか思うものを作りたい。ほんとはなんでも作れそうなのに、気力が湧かない、技術が追いつかないというのはもどかしい。

2016/11/27 日

 風邪の具合はと言えば発熱がないのが救い。今がピークかもしれない。雨で余計に冷える。だが新しい仕事部屋はラグも敷いてあって暖房も効くから助かる。週明けに必要なラフを描きあげた。J・K・ローリング本人が書いた魔法界の設定を読む。ファンタビの舞台である北アメリカ魔法界の歴史から、その魔法学校イルヴァーモーニーの創立についてまで本当に丁寧に書かれている。やはりローリング女史は設定好きだ。創作のもっとも楽しい部分を思いのままって感じ。楽しそうだ。彼女のようなひとがひとりでせっせとこれを書いていると思うと、それだけで素敵だ。
 ぼくの思った通り、非魔法族の戦争に魔法族も参戦しているらしい。第一次大戦ではアメリカの魔法使いたちも参戦し、同盟国民を救い、敵国の魔法使いを倒したようだ。あくまで現実世界の中に魔法の世界がある。これが魅力。

2016/11/24

『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(2016)感想


  スクリーンの上ではどんな生き物でも生み出せる時代になって久しいので、今更摩訶不思議な幻獣(ファンタスティック・ビースト)たちの姿に新鮮さはあまりないのだけれど、そのぶん人物のディティールや人間模様が魅力的だったと思う。狂騒の20年代と魔法ワールドの融合も、『ハリー・ポッター』シリーズと言えばイギリス、というイメージが良い意味で壊されて視野やイメージがぐんと広がった。
 これまでの映画シリーズは原作の少なくない場面や人物が省略されてしまっているので、映画だけでハリポタ世界を観てきた人にとって世界観を理解するのがやや難しいのではないかという懸念がある。でも本作はそんなひとにも超おすすめ。むしろこちらのほうが魔法界のルールを理解する上で入門向けではないかとさえ思う。ストーリーに原作が無く、脚本を原作者J・K・ローリング女史が書いていることを考えれば、これはシリーズで初の映画が原典である作品と言える。
とにかくユニバースの広がりを感じられたのがうれしいのでストーリーよりもその方面について書くと、イギリス魔法界とアメリカ魔法界の違いがおもしろかった。まず断っておくと、「魔法界」と言っても別次元の世界があるわけではない。魔法を使う魔法族が、そうではないぼくらのような普通の人間から隠れて社会を築いているというのが、このシリーズの世界の基盤となる。だから全ては現実世界のことであり、魔法族と普通の人間が、後者が前者の存在を知らないとは言え、一応は同じこの現実世界で共存していると言える。この、決して現実逃避的な別世界を舞台にしているわけではないところが、ハリポタ世界のいちばんの魅力だとぼくは思っている。
ぼくらの世界ではイギリスは階級社会とされていて、アメリカ社会はそれに比べればずっと開放的というのが一般的なイメージだけれど、おもしろいのは、魔法社会側ではこれが逆転していること。アメリカ魔法社会はイギリスのそれに比べてはるかに遅れていて、排他的であることが劇中でも語られる。魔法の中心地がイギリスであることを考えれば自然かもしれない。ハリポタで描かれたイギリス魔法界では魔法族とマグルが結婚してその子供が魔法学校に通ったり、魔法大臣がマグルの英国首相とコンタクトを取っていたりと(まあ首相をやめる際にその人の記憶は消されちゃうみたいだが)干渉を避けながらもある程度マグルとの距離は近かったのだけれど、アメリカではずいぶん勝手が違うらしい。イギリスで非魔法族に対して使われていたマグルという呼び名に対し、アメリカではそれを「ノー・マジ」とかなり否定を含んだ調子で呼んでいて、イギリスのように両者の結婚などはもちろん接触も許されていないようだ。そんなアメリカ式の魔法界に、イギリスから来た魔法使いニュートと、ハリポタを通してイギリス魔法界しか知らなかった観客が同じ目線で驚くという構図。
 途中で同じ連盟に加盟している魔法文明の代表者たちが世界中から集まるシーンがあるのだけれど、お馴染みのイギリスはもちろん、アジア方面の魔法界代表者たちがいるのも印象的。今後、中国や日本の魔法界が断片的にも描かれることがあるだろうか、と考えるととても楽しみ。ちなみに日本の魔法学校は硫黄島にあるらしい(戦時中も通常授業だろうか)。
 魔法社会が世界中の国や地域に存在するという世界観の広がりを考えたとき、やはりこのシリーズにおける魔法界はマグルの世界に含まれたいち要素のように感じられる(場合によっては両者は表裏一体のようにも捉えられるけれど)。イギリスやアメリカ、日本といった国やその名前はマグル由来だし、他にもマグル側の世界からの影響はいろいろなところにある。上で書いたことに戻るけれど、魔法の世界がある、というよりは魔法が使える一部の人たちが集まって、独自の社会を形成しているというニュアンスのほうが近いような気がする。だからぼくはマグル側の世界を単に「人間界」と呼称するのは適切じゃないと思っている。もちろんわかりやすさを優先すればそうなるんだけれどね。
 で、なにに思い至ったかというと、子供の頃は思いもしなかったことだけれど、魔法社会側とマグル世界における史実上の関わりだね。魔女狩りの時代にマグルによって火あぶりにされた魔女がいたりと(本作ではマグル側で起こった反魔法族の運動が鍵のひとつとなっている。初期のダーズリー一家から愛嬌を取り去ってより暴力的にした感じかな)一応はマグル側の歴史に魔法界側の片鱗が見られることもあるのだけれど、ではマグル側の歴史的なイベントが魔法界に影響したことはあったのだろうか?たとえば、そう、二回あった世界大戦とか。世界中の国が巻き込まれてどちらかの陣営に加わって戦っていた時代、ではそれぞれの国の魔法社会はどうなっていたのか。20年代という時代設定上、本作では最初の世界大戦のことが話題にあがる。マグル(ノー・マジ)として初めて主人公のひとりとなったジェイコブ・コワルフスキー(ダン・フォグラー)は第一次世界大戦帰りという設定だが、彼の「戦争には行ったか?」という問いにニュートは「東欧でドラゴンと戦った」と答える。これは単にマグルの戦争とは関係なく、ニュートが個人的にその頃ドラゴンと戦っていたということだと捉えることもできるけれど、もし、イギリスの敵国の魔法使いがそのドラゴンを放っていたとしたら?魔法社会がマグル社会に呼応して戦争をするとはちょっと考えづらいところがあるけれど、マグル側の世界が時代の流れや文化的な面等で少なからず魔法界に影響を与えることを思うと、魔法界側でも外国の魔法社会と揉めて、やはり裏側で魔法文明による世界大戦をやっていたのではないか、という解釈もできる。世界観の可能性の広がりはぼくような設定マニア(当のJ・K・ローリングも設定好きだと思う)にとんでもない餌を与えてしまった。まさかハリポタ・ワールドがここまで広がるとはね。SWも目じゃないくらいの拡張世界が期待できるし、なにより自分でこうして考察できることがうれしい。
 ハリーがホグワーツ校で使っていた教科書というインワールドな設定で出版された『幻の動物とその生息地』という本は子供の頃買ってもらって持っていた。これは魔法動物の図鑑のような本で、ハリポタ本編にも登場する動物をはじめたくさんの生き物について解説しているもの。ハリー、ロン、ハーマイオニーによるメモという設定で手書きのメモがページのあちこちに書き込まれているという芸の細かさには驚いたものだ。隅々まであの世界のアイテムのように感じられて子供の頃はとてもうれしかった。で、その著者が今回の映画の主人公ニュート・スキャマンダー(という設定。書いているのは原作者ローリングである)なのだが、この名前が妙にかっこよく感じられてハリポタのメインキャラクターたちと同じくらい強い印象とともにぼくの頭に残っていたものだ。名前の著作だけで、どんな人物なのかは全然わからないのにね。インターネットに触れる前の子供時代は、だいぶ情報が少なかったから本棚に並ぶ背表紙の中で一際異彩を放つニュートの名前からいろいろなイメージを湧かせていたのを覚えている。そうして、このたびそのニュートの姿をスクリーンで観ることになったから変に感慨深い。そもそもあの教科書とその著者の設定だけで映画を一本作ったということに驚いたけれどね。
 エディ・レッドメイン扮するニュート・スキャマンダーは、スマートで洒落っ気があり、あの教科書の堅い文章を書いた人物とは思えないほど少年っぽさがあった。グリフィンドール寮やスリザリン寮に比べたらだいぶ平凡な寮ハッフルパフ(ひどい話だが映画版でしか触れていないうちの妻は寮がグリフィンドールとスリザリンとレイブンクローの三つだと思っていたらしい)出身の人物が主人公であることに加えて、そのサイドキックが魔法使いではない、魔法界の存在すら知らなかった平凡なノー・マジであるジェイコブというのが新しい。しかもとても良いキャラ。ハリポタ本編は魔法学校を舞台にして魔法界側を主に描いてきたが、本作ではニューヨークというノー・マジの都市を舞台に、ノー・マジの相棒を迎えて冒険することで、魔法族とマグルの共存というテーマが強調されているように思う。ハリーの物語が、意地悪な叔母一家に代表されるマグルの世界から逃れて理想的な世界に旅立つ話であったのに対し、ニュートの旅はマグルの世界を含めた文字通りの世界中を巡る話なんだね。これはどこか、ハリポタ世代だった読者や観客の成長に合わせているようにすら感じられる。ぼくは好きな作品とすぐ個人的な結びつきを考えてしまう方だから、余計にそう思う。
 ハリポタでは、魔法族のみの家系からなる「純血」と、両親のどちらかがマグルだったり、家系のどこかでマグルと交わっている「マグル生まれ」(蔑称「穢れた血」)なんていう生まれを巡った争いが描かれたりした。魔法省を牛耳った闇の魔法使いヴォルデモートとその配下が職員や市民たちの生まれを調べて純血かマグル生まれかに分類して恐怖政治を敷く様子は、さながら歪んだ優生学に基づいた人種政策を進めるファシストのようだった。
 自分とは異なった者を恐れ、憎み、軽蔑するといった人間の暗黒面はハリポタにおいて実は重要なテーマと言える。ハリーは魔法学校に入学するまでマグルの叔母一家から自分たちとは違うという理由でひどい仕打ちを受けてきた。ヴォルデモートもまた同じ憎しみに晒されながら成長し、ついには闇の帝王となってマグルに復讐しようとする。「純血」、「穢れた血」、それから魔法族の血筋でありながら魔力を持たずに生まれた「スクイブ」といった魔法界に横たわる血統問題は物語の重要な要素として繰り返し登場してきた。そしてその血統問題の源流には魔法族とマグルの隔たりがある。新シリーズの第1章となる本作ファンタビは、魔法使いとただの平凡な人間という決定的に違うふたりを引き合わせることで、永久のテーマである魔法族とマグルの関係について、ルーモスの呪文のごとく光で照らし出しているように思った。今後の作品でどれだけこのことが掘り下げられるだろうか、楽しみである。
 ところで、やっぱりいちばんの魔法は夕食を準備する魔法だと思う。空中でシュトゥルーデルが作られて食卓に着地するときに焼きあがった状態になり、ロウソクに火が灯って夕食の支度が整った光景はアリソン・スドルのキュートな笑みも手伝って、実に多幸感溢れるシーンだった。思えばホグワーツも料理が並ぶ大広間のシーンは幸せいっぱいだったなあ。これこそ魔法って感じしない?
 そうそう、あまり情報を入れずに観たものだから、悪役の正体(正体というより役者)にびっくらこいたんだけれど、あれは知らずに観て正解だった。このご時世どこまで情報を入れずにいるかはむしろ難しいのだけれど、ああいうことで純粋に驚けるのは幸福なことだね。公式側が一切宣伝していないところもおもしろい。この感想文は基本的に核心部分を避けるので、これについてはまた今度書こうかな。それまでは彼のことを「例の俳優」とか「出演していたと言ってはいけないあの人」と呼ぶことにしましょう。

2016/11/22

SPUR 2017年1月号


 本日発売のSPUR 2017年1月号(集英社)の連載「銀幕リポート」ではマッテオ・ガローネ監督、サルマ・ハエック、ヴァンサン・カッセルら主演の『五日物語 - 3つの王国と3人の女 - 』を紹介しています。
 とにかく美術が素晴らしい作品で、基本的に中世の世界観でありながら衣装や小道具が新鮮で、不思議な動物の造形も楽しい(そういう意味ではこちらも「ファンタスティック・ビースト(幻獣)」ものと言える)。特に17世紀なのに20世紀初頭風の潜水服が出てくるところはセンス・オブ・ワンダーって感じ。
 ヨーロッパでの最初の民話集、おとぎ話の元祖である「ペンタメロン(五日物語)」をベースにしているだけあって、そのストーリーには妙な説得力と普遍性があって、やっぱりフェアリー・テイルは偉大だなあと改めて思った。散々見て来た気がするようでいて、新鮮さを感じるようなもの、ぼくも描けるようになりたい。
 11月25日(金)公開!

2016/11/21

怪獣コーギラ現る


 出現したシーンなのか、破壊の限りを尽くして帰るところなのか。まあ、現れたところだろうな。最初のゴジラも日が暮れてから来たし(着ぐるみや模型のディティールとかをごまかすためなのかな)。夜の闇と一緒にやってくるところが怖いんだな。
 なにをやりたいかというと風景を描けるようになりたいのだ。ぼくのより大きな野望のためにはロケーションを描く力は欠かせない。

GINZA 12月号



 GINZA最新12月号の特集「ニッポンコスメの底力!」の扉に、日本製コスメを20個ほど描いています。単色(和的なモスグリーン)で統一。単色で彩色するときはどの部分を塗りどこを塗らないかを考えるのが楽しいです。
 周囲にまわりこんでいるブランド名もぼくの手書きです。
 これも日本製だったのか!と改めて知るものもあり、ためになりました。この手のアイテムは描いていて楽しいから個人的にも描こう。

2016/11/20

帝国宇宙軍兵士


  旧三部作でおなじみの黒い制服に黒い大きな傘状ヘルメットをかぶった宇宙軍兵士の姿が『ローグ・ワン』予告編にも登場。なかなかかっこいい構図だったので絵にした。後ろからよく見るとヘルメットのラインがかなりカーブしてるなあと思った。
 スクリーンに映ってるのは新たに登場するジェダという惑星(ジェダイとゆかりがあるとか)の荒涼とした地表と思われる。ここに映ってるということは標的にされてるってことだから(EP4でレイア姫の故郷オルデランが破壊されるとき、同じスクリーンにオルデランが映されていた)試験的に破壊されちゃうんだろうか。
 実際に惑星を破壊するスーパーレーザーを発射するのは、より特殊な装備に身を包んだデス・スター・ガンナーたちなんだけれど、一応攻撃のプロセスに関与しているこの兵士、なにを思っているだろうな。EP6の削除されたシーンに、皇帝から戦いが行われている惑星エンドアを破壊しろと命じられた指揮官のモフ・ジャジャーロッドが、地上にはまだ味方がいるからいくらなんでも無茶だと渋るというのがある。あのシーンがあると無いとでは、ジャジャーロッドというキャラクターへの評価ががらっと変わるし、旧三部作では一切同情の余地がない、完全な悪として描かれる帝国軍側の心境も垣間見得て良いと思うんだけれど、まあテンポがあるからね。そんな削除シーンがあったことを知ってから、EP6を観てみたら皇帝が件の命令を下した次の瞬間には誰一人躊躇せずスーパーレーザーをぶっ放していてちょっと寂しかった(そのシーンでの標的はエンドアではなく反乱軍の宇宙船なのだけれど)。
 だから、ギャレス・エドワーズ監督が善悪の存在しない現実的な戦争の実情を描くことに意欲を見せていたのを見て、『ローグ・ワン』では帝国軍側の葛藤なども描かれるんじゃないかなあと思う。というか是非描いて欲しい。惑星をひとつ、住んでいる大勢のひともろとも吹き飛ばしてしまう、というのはとんでもないストレスを覚えることだろう。邪悪な思想の中心にいるヴェイダーやターキン、クレニックといった高官たちには一切良心の呵責がないにしても、いち兵士、いち砲手たちにはなにか思うところがあってもいいんじゃないだろうか。予告編からもジェダの地上に帝国軍が多少駐留しているっぽいことはわかるので、当然破壊するのであれば地上の味方も犠牲になる。そんなことを思うとこの宇宙軍兵士の後ろ姿も違って見える、かも。
 本編を見たら、フツーに冷酷なやつかもしんない。


2016/11/19

日記:11/14 - 11/18

2016/11/14 月

 ダックスフンドが様々な飼い主の元を巡っていく映画『トッド・ソロンズの子犬物語』の試写に。観ているあいだ中早く帰って犬に会いたくなる内容。夜は雨がしとしと降って非常に寒い。大きな満月だったようだが見る余裕もなかった。新しい依頼がきたのでひと安心。気づいたら今週は平日五日間試写に行く予定になっていたので、仕事は主に夜に。だいたいいつもそうだけどね。日が昇ってる間はどうも集中できないらしい。明るい間に活動するのは気持ちがいいけれど。
 間違えてポテトチップスのコンソメ味を買ってしまった。どうもコンソメは舌が痛くなる。

2016/11/15 火

 『スター・ウォーズ』シリーズの出演者の人生に迫るドキュメンタリー映画『エルストリー1976』の試写へ。基本的に一作目(1977)の出演者についてだけれど、二作目『帝国の逆襲』(1980)からはボバ・フェット役のジェレミー・ブロックも登場。マサッシ・テンプル・ガードのフィギュアが欲しくなった。
 歩行喫煙者には本当にうんざりする。犬の散歩をしていたらすれ違いざまに火のついたままの煙草を投げ捨てられ(投げる先を見もしない)危うく犬に当たるところだった。その場で暴力にうったえたくなるレベルだけれど、咄嗟に殴りかからないかわりに十分注意して歩かなければならない。十分に距離を取って、警戒して歩かなければならない。悲しいことだが自分や犬を守るためには仕方がない。ぼくは大人になって間もない身だが、こうも世の中の大人たちがルールを守っていないとは思わなかった。子供の頃、大人とは無条件で尊敬できる対象だったのに。煙草を捨てた彼も、あのまま家に変えれば誰かの息子であり夫であり父親であるということを考えると余計にやり切れない。自分となんら変わらない普通の人間であり、火のついた煙草を路上に捨てるという行為が彼らにとって日常的な習慣でなんら不自然なところはないのだ。まあ、なんにせよ彼らがぼくと一切関係ないところで苦しんで生きることを願う。
 家に帰れば今度はテレビだ。近頃テレビの音が耳について仕方がない。夜は番組もCMもキンキンとやかましくて参る。国産TVドラマの「ユーモラスなシーン」は寒くてこちらが恥ずかしくなる。どうもいろいろなことに対して神経質というか過敏になっている。妻や友人からも指摘される。なぜだろうか?

2016/11/16 水

 『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』の試写に。大きな映画館で行われる試写は特別感があってわくわくする。10年以上前に買ったホグワーツ校指定教科書(という設定の本)『幻の動物とその生息地』をバッグに入れておいた(映画のタイトルは原題はこの本と同じ。邦題も本と同じにしてほしかったな)。インワールドな小道具としてこの本はお気に入りだったが、子供の頃本棚を眺めるたびにそこで異彩を放っていた「ニュート・スキャマンダー」という名前から、どんな人物だろうかと想像を巡らせていただけあって今回の映画化は興味深い。この本が直接の原作というわけではないが、映画で描かれる冒険を通してスキャマンダーが魔法動物のデータを収集してまとめたのがこの本ということになる。ハグリッドがこの本を読んでいるとは思えない。
 家では仕事をしているのだけれど、どうもぼうっと座っていることが多い気がする。冷えるのでココアの粉を買ってきてホットミルクに溶かして飲んだ。ますますぼうっとした。
 妻が言うにはぼくの留守中にマンションを不審な男がうろついていたらしい。越してたときから玄関扉に二つも鍵がついていたから治安にはもともと期待していないが、心配。昨日書いた歩行喫煙者たちもそうだけれど、近所の住民は別としても家の周りを歩く連中のガラが悪すぎる。彼らを一掃できるほどの独裁者になるか、別のところに引っ越すかしたい。

2016/11/17 木

 09年頃にピクシヴでメッセージのやりとりをして以来2度ほど展示会を訪ねたことがあるくまおり純さんの個展の初日なので、マーベルの新作『ドクター・ストレンジ』の試写の前に中野ブロードウェイに行った。会うのは5年ぶりで、前回も同じ場所。時期もほとんど同じ。久しぶりだったし、何度も会っているわけではなかったけれどすぐにわかってもらえてうれしい。初日と最終日くらい在廊されないのではと勝手に思い込んでいたのだけれど、明日も在廊ということだったので、それでは妻とまた来ようと思った。アクリル画なのに発光しているように見えるくらい、光の使い方が素晴らしい。メイクイーンもいちご大福も驚くほど光っているし、木漏れ日の具合もデジタル画のように鮮やか。やはり実在の作品としての原画、絵画の力は圧倒的である。目の前の仕事で精一杯だとつい忘れがちだけれど、ぼくもやはり原画としての完成度をどこかで維持しないとなあと思う。
 中野ブロードウェイには旧ケナー社のSWフィギュアが比較的安価で売られているので興奮する。しかし持ち合わせがないので明日来たときに買ってみよう。
 『ドクター・ストレンジ』はアメコミやバンドデシネを読んでいると時折遭遇する「きもい画」をこれでもかと詰め込んだようなところが印象的だった。アメコミ映画は不思議と直接の原作本を読んでいなくとも、ああ、ここはきっとコミックに同じ画があるんだなと思うくらい、コミック本を読んでいる気分になるシーンが登場する。アメコミにありがちな画っていうのもどこかで頭に残っているんだろうな。とても楽しめた。
 今週はずっと試写続きで、帰ってくると疲れてしばらくぼうっとしがちだったけれど、さすがに週も終わりなので終わらずに残っているものを仕上げる。結局朝までかかってしまった。結婚式が終わってからというもの寝っぱなしだからこのあたりで調整しなければならないと思っていたんだよ。
 
2016/11/18 金

 最近犬が散歩中にするウンチの量が大変である。一度の散歩で5回ほどする。袋がいっぱいである。これだけたくさんのウンチを持ち歩いているという事実、可笑しくてたまらない。犬と暮らし始めた頃はまだまだぼくもペットはペットであって家族というほどではないだろうと思っていたのだけれど、どうだろうか。家族じゃないやつのウンチをこんなにたくさん毎日毎日丁寧に拾うか?結論、犬は家族である。このことは先日MRI検査を大金払って受けたときにも書いたね。お金の問題じゃないけれど、それだけ世話をしている以上家族の構成員以外の何者でもないってことさ。
 何通かメールを済ませてから(例によってメール一通書き上げるのに時間がかかりすぎている。丁寧なのはいいことだろうけれど、ちょっとしたメールを神経質に推敲し続けることにもはや疲れた)妻とともにバスで中野に向かう。子供の頃は平気だったがどうも最近バス酔いしやすいような気がする。
 くまおり純さんと、妻と3人でやはり犬の話で盛り上がる。展示されている作品の中でも犬が描かれた絵は際立っている(ように感じる。ぼくが犬に夢中だから)。ちょっとしたら帰るつもりだったけれど、純さんも早めに帰るとのことだったので、思い切ってお茶に誘ってみると快諾してくれた。場所をカフェに移してやはり3人で犬の話をした。もちろん絵の話も。年々変化して上達しているらしいぼくの絵を褒めてくれてとてもうれしい。絵に関する悩みについても、初めてメールの返事をもらったときと同様に苦しむ必要はないのだと気づかせてくれる。いや、ぼくも心の底ではわかっていたのかもしれない。ひとから言われて(それも憧れの)、やっぱりそうだよなと思い少し勇気が出た。自信を持つ勇気だ。自信を持たないことは周りに対しても不誠実と言えよう。なによりとにかく描いてみようという気持ちになれた。どこか懐かしい感じもする。やっぱりひとと絵の話をしないとダメだ。特に尊敬する相手とは話さなければならない。
 それで、なぜぼくはその会話の中で「足の指の爪は怖くて触れない」という話を熱弁したんだろうな。ぼくがひどい冷え性で足の指と指がまったく開かないほど足先が冷えきっているという話からそうなった。足に限らずぼくは手の爪も嫌いだ。少しでも伸ばしたらひっくりかえってしまいそうな、なにかの拍子にはがれてしまいそうな感じがして半ば強迫的に深爪をする。奇妙なチップが体の末端にたくさん貼り付いているのが気持ち悪いのだろう、足の指の爪は手に比べると小さいので、危なっかしく、今にも取れてしまいそうで怖い、という話をした。もちろんふたりともぽかんである。我ながら頭のおかしい話をしたものだ。少しでもユニークに、変わっていると思われたいがために奇妙な癖や体質を少し大げさに、自慢げに話すデザイン学生みたいだ。忘れてください。
 ところでブロードウェイで目当てのフィギュアはちゃんと手に入れた。思い描いたこと全部実現した日になった。夜は帰って来てから家の近所でバーガーを食べた。お気に入りの店で普段バーガーはないが、この日曜まで限定でバーガーを食べさせてくれるらしい。ルートビアが飲めるお店で、ぼくはここで初めてこの飲み物を飲んだ。ルートビアを頼むのはいつも妻で、ぼくは決まってドクターペッパーを注文する。
 

2016/11/15

毎度お馴染みの変装して潜入


 いやあ、予告編で観たときにマヌケでとても良い画だと思った。予告編は最近も新しいものが出たけれど(さらに少しずつ違ったインターナショナル版があるのでとても追いきれない)、どうも良いところを見せすぎな感じがする。この作品に限ったことではないが、だんだん予告編が本編ダイジェストになってきている。公式MAD動画とでも言おうか。ふたを開けたら予告編以上のものが無かったという不幸な結末も少なくない。思えばEP1の予告編でダース・モールの双刃のライトセイバーがいきなりお披露目されていたときも見せすぎであったような気がする。もちろん話題を呼んだり期待値を高めたりしたのだろうけれど、予告編が派手なほど本編でのサプライズは薄れる。昨年のEP7も最初のティーザーでもうカイロ・レンの十字型ライトセイバーが出ていたし。『ローグ・ワン』の最新予告編にはデス・スターのスーパーレーザーに関する映像が出てくるんだけれど、ああいうのは本編で初めて観たかったなあ。
 ところで左側の人物、メキシコ出身のディエゴ・ルナ演じるキャシアン・アンドアがかっこいい。SWのモブキャラ的雰囲気いっぱいの彼がメイン・キャラクターであることが、本作がそもそも今まではモブキャラだったような人物が活躍する作品であることを思い出させる。ディエゴ・ルナもかっこいいが、ボーディー・ルックというキャラクターを演じるリズ・アーメッドというひともかっこいい(どちらもヒゲのひと)。アーメッドはロンドン郊外の生まれでオックスフォード大出身。このふたりは渋いヴィジュアルも良いのだが、その名前がそのままSW世界に登場しそうな感じがする。ディエゴ・ルナ、リズ・アーメッド。最初にそう思っちゃうと役名と役者名がごっちゃになる。

2016/11/14

日記:11/9 - 13

2016/11/9 水

 若い女性が野生の狼に恋して欲情してしまうドイツ映画『WILD ワイルド わたしの中の獣』の試写へ。映画を観ている間にアメリカ大統領選の結果が出る。悪い冗談みたいなことになって気が滅入る。嫌な世の中。良い世の中がいつかといえば、わからないけれど。こういうときは『スター・ウォーズ』を観るに限る。
 映画の狼は、大きな犬のようで可愛かったな。特に女性と生活をし始めるともう我が家での犬の仕草と比べずにいられなかった。
 犬は検査のあとあのまま妻の実家に預けたままだったので、寒い夜だが犬は不在。散歩に行かなくていいので机に向かってじっくり仕事した。

2016/11/10 木

 今週は月、水、木、金と試写を入れていていっぱい観るぞと思っていたのだが、今朝はまんまと寝過ごしてしまった。要予約ではないので別の日に行けばいいのだけれど、あらかじめ立てていた予定が狂うのはやはりショック。それにしても朝は寒すぎて身体が動かなかった。
 Eメールが不具合を起こしていて受信はするのに送信はできない状況が半日続く。返信が滞ったが決して無視を決め込んでいたわけではありません。動作状況は送信中のままストップし送信ボタンを押し直してもその分送信中の容量が増えていくだけ。いろいろ調べたが検索結果に出るのは震災よりも前の頃に書かれた、今のバージョンではない環境での対応策ばかり(バージョンが違うと画面のレイアウトも違うから非常にわかりづらい)。できることはしたが改善されずお手上げなのでアカウントを一度メーラーから削除してサインインし直した。直った。
 こういうときに身近に頼れるひとがいないのは辛い。コンピューターに詳しいギーク連中は LINEグループに何人かいるけれど、往々にしてコンピューターに詳しいひとはPCユーザーでMacなど使わない。思えば実家で初めてコンピューターを迎えて触りだした頃から頼れる相手などほとんどいなかった。ぼくの両親はデジタルに縁がなかったし、その時点で我が家でいちばんコンピューターに対する知識を持っていたのは12歳のぼくだった。多少聞けるひとに聞いていたこともあったけれど、ほとんどの場合不具合が起こるたびにひとりで苦しんでいた。そういうときだけはパソコンと向き合う仕事をしている父親を持つ子たちが羨ましかったものだ。さぞ頼りになっただろうな。自転車のパンクとかは直せなさそうだけれど。
 妻が実家まで犬を引き取りに向かったのだが、雨がひどくなったのでそのまま泊まってくることに。だから夜はひとり。寒い中散歩に行かなくていいかわりにもふもふの毛並にも触れない。

2016/11/11 金

 雨のせいもあって一段と冷えてきた。送った請求書にミスがあったので書き直して送り直す。すでに消費税を足した額にさらに消費税を足すという欲深く思われそうな間違い。
 夜はティム・バートン監督の新作『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』に。一時に比べればバートン熱はかなり冷めていたんだけれど、これが最高だった。また感想を書くので詳しくは触れないけれど、とにかく良かった。KKKに支持された男が大統領になる世の中でも(自分の国が彼にすり寄ろうとしていても)、バートンの新作と『スター・ウォーズ』の新作が観られるだけで希望は感じられる。
 犬が家に戻ってきたのでベッドの上でじゃれ合う。あまりにもぼくが犬になりきって唸りながら暴れると、犬の方がひく。週末までの仕事は済んだからのんびりした週末がおくれそう。

2016/11/12 土

 友達とケバブ祭りとかいうのに出かけようと話していたが、仕事になったらしいので昼まで寝る。少しレゴを組み立てる(少し?)。いっそ夕方から夜の分の犬の散歩に出かけたらあとが楽だということで(最近とても寒い)犬が存分に走れる大きな公園まで行く。写真を撮ろうと思ったけれど、あっという間に真っ暗になってしまった。夕食の際にアマゾン・プライムでティム・バートンの前作『ビッグ・アイズ』を観る。昨夜の『ミス・ペレグリン』が相当気に入ったんだろうな、あの新鮮さへの伏線みたいなものを前作に求めたんだ。見逃していたから良い機会でもあった。『ビッグ・アイズ』は新鮮どころの話ではなく、この調子で非ファンタジー映画もどんどん撮ってほしいと思った。新境地だって言ってるひともいたような気がするけれど、でも、そこに「到達した」というよりも、今まで撮ってなかったってだけのようにも思う(『エド・ウッド』は近い作品だね)。だって彼は天才だもの。なんでも撮れちゃうんだよ。

2016/11/13 日

 結婚式が終わってからというもの本当によく眠っている。日曜だから別に後ろめたくない。夕方から明け方まで仕事していた友達と、昨日行く予定だったケバブ祭りに行く。久しぶりに新宿の歩行者天国を歩く。連日の寒さを考えて厚着したらこれが今日は少し暖かい。大久保病院の前の広場にケバブの屋台が並んでいるが、購入は現金ではなくチケット制。100円単位の券をスタッフから買って使う。とりあえず10枚買う。ケバブはだいたい700円くらい。思っていたより高い。上京したての頃、秋葉原のトラック屋台で食べたのは500円だったからそのイメージしかなかった。ましてやこういうイベントなんだからもう少し安くてもいいのにな。もちろんボリュームもあって美味しかった。美味しかったというか、ケバブの味だった。ひとつ食べて終わりじゃ味気ないので、もうひとつ食べようということになって、追加で券を買って今度はバゲットサンドのケバブを食べた。友達はビーフにしたけど、ぼくは一つ目同様チキンにした。チキンだけど、ダチョウの肉だとか言ってたな。よくわからない。さすがに続けて二つ食べたらお腹いっぱいになった。二つで十分ですよ!

2016/11/13

宇宙兵士なのにチョッキ


 『ローグ・ワン』の影響か、この反乱軍フリート兵士が最近お気に入り。ヘルメットも印象的だが宇宙兵士なのにチョッキというところがかわいい。一作目の撮影時にはこの独特のヘルメットはとても頭の上には乗らず、ズレたりぽろんと脱げ落ちてしまったらしい。今回旧三部作以来の久しぶりの登場なので、そのあたり改善されていそう。
 初めてEP4を観たときに、このポールの先についた見張り台が印象的だった。まず思ったのは、どうやって降りるの?後で知ったところによると、ポールが地中に収納されていってゴンドラが地面に降りるという設定らしい。この中で地上を見下ろしながら1日中ぼうっとしていてもいいかもな。読書したっていい。高いところは苦手だし、平和なときに限るけれど。

2016/11/12

『ハドソン川の奇跡』(2016)


 事故の直後から物語は始まり、聴取に対する機長の証言や回想を通して事故の経緯が描かれていく、その時系列の並び替えの工夫がとても効果的で、この有名すぎる上にまだ記憶に新しい、結果の知れている出来事が違う側面から浮かび上がってくる。
 事故時の刻一刻と変化していく緊迫とした状況を味わっていない人々からの追及に普通なら苛立ちを覚えてしまうかもしれないけれど、その厳しい追及をしてくる彼らも、サリー機長同様に自分たちの仕事に忠実なだけ。そのことをよく理解している機長は相手の立場もよく尊重した上で、自分の決断が正しいということを証明しようとする。その様子も気持ちが良いんだけれど、飛行機が不時着水した際の人々の行動の速さにも心打たれる。機長はじめ乗務員の行動も迅速だし(乗務員は機長と副機長のほかに客室乗務員3名のみ)、近くにいた通勤フェリーもすぐに駆けつけた(なんと着水の4分後!)。みんなが懸命に他人を助けるために動いているあの感じ。生きたパイロットが飛行機を操縦することの価値すらも感じられた。ほかのあらゆる仕事についても。だからなのかな、事故の緊迫感は恐ろしかったけれど、なぜか観終えたあとには飛行機に乗りたくなっていたんだよね。
 前作『アメリカン・スナイパー』(2014)に続くノンフィクションものなのだけれど、この調子でノンフィクション・シリーズが続くのかな。『アメリカン〜』の後だから余計に今作の希望に満ちた感じが際立つ。もちろんあちらも良い作品だったと思う。
 それにしても映画を撮るペースがはやい。あとトム・ハンクスの顔がとても卵みたいだった。

2016/11/11

「不機嫌な長男・長女 無責任な末っ子たち」挿絵



 ディスカヴァー・トゥエンティワン刊「不機嫌な長男・長女 無責任な末っ子たち」(五百田達成著)に表紙含め挿絵を描きました。およそ40点近く描いたのでぜひご覧ください。主なカットはひとコマ漫画調となっています。
 長子、中間子、末っ子、一人っ子と四種類のきょうだい型による性格診断、きょうだい型の取扱説明書のような内容となっています。

2016/11/08

日記:11/3 - 8

2016/11/3 木

 2日の結婚式は19時のアフターパーティお開きをもって終了。一年前に式場を予約して以来つねに「準備をしないとまずいぞ」という声が頭上から降ってくる日々だったけれど、それももう終わり。一年ぶりにそのプレッシャーのない日々が戻るというわけ。19時半くらいに最後まで粘っていた友人たち(壁にプロジェクターで映し出していた『ジェダイの帰還』をクライマックスまでみんなで観た)を見送って、さっそく片付けに入る。途中披露宴のあいだ中座のために食べていなかった魚料理を改めて用意してもらう。みんなから好評だったというだけあってとても美味しい。持ち込んだ飾り等は半分を配送、半分をそのまま持ち帰りにした。ぼくらの帰りに合わせたかのように雨が降り始める。雨の中荷物をくくりつけた台車を引きながら地下鉄で帰った。その様子はとても数時間前までパーティの主役だったふたりとは思えないほどくたびれていたはずだ。
 翌日3日はほとんど寝て過ごした。ベッドの位置を、枕が窓際にくるように動かしたので昼のあいだ入ってくる日差しは気持ちがよい。

2016/11/4 金

 式にも来てくれた友人ふたりと、新宿までVR体験に行った。彼ら同士は式の日が初対面だったけれど、共通の話題が結構あったので意気投合したらしい。同じテーブルにして良かった。『スター・ウォーズ』が好きならそれだけで十分だ。もちろん同じものが好きだからといって必ずしも仲良くなれるとは限らないが、この場合うまくいったみたい。
 初めてVRのヘッドセットをつけたが思っていたよりも外の光が入ってきて画面への没入感が今ひとつ削がれる。でもおもしろかった。瓦礫にはさまれたままゴジラが東京駅を破壊するのを見ていることしかできないプレイヤーという、救いようのないシチュエーション。だんだんゴジラがこちらに近寄って来てその巨大さが際立ち、踏み潰されるか、口からの放射熱線で焼かれるかして終わるのだろうか、と思っていたら、なんとゴジラが歩くことで宙にまきあげられた岩のひとつに潰されて終わった。救いがない。
 それからは特に目的がなかったので三人で御苑へ行った。思えば妻と最初に出かけたときも御苑に来た。今くらいの時期に。御苑にはペットだったのが逃げ出して野生化したインコが受け入れられた上で生息していることを知った。「カミツキガメと違ってインコはかわいいからオッケー」ってことではないと思うが、実害が少ないからこういう扱いになるのだろうか。
 散策を終えてからは久しぶりに秋葉原に行って、それから上野まで歩いた。適当にお店を覗いて、歩くだけだったけれど、話題がたくさんあるので楽しい時間だった。

2016/11/5 土・6 日

 とりあえず家の片付けをしなければ通常の生活には戻れない。もとから狭い部屋だ、工作をしたりして材料や道具を広げるともはや足の踏み場もない。夏以降ずっとこんな感じだったので、一気に一通り処分。式の準備のためだけにあったような物は、もはや他に使い道も見当たらないので捨てる。物置と化していたテーブルの天板が久しぶりに現れる。
 家で改めて片付けをしていてふと思ったが、非常にお祭りの後のような寂しさがあった。

2016/11/7 月

 メリル・ストリープがうそみたいに音痴な演技をする映画『マダム・フローレンス!』の試写に行く。思い切り外した歌がたくさん流れるのだけれど、音感の良いひとってこういうの聴いてられるのだろうか。『ブルックリン』でシアーシャ・ローナンに意地悪する雑貨屋のおばさん、ブリッド・ブレナンが優しいお手伝いさん役だった。大きな眼で頬骨の高い、綺麗なひとである。もっと出演作観たいな。

2016/11/8 火

 実は9月の終わりあたりから犬が顔面神経麻痺っぽくて、獣医からは脳腫瘍の可能性も否定できないと言われていた。それを聞かされた日は結婚式の準備も大詰めにさしかかろうというのに、妻とふたりでお通夜のようなテンションであった。当の犬はもちろんそんなことも知らずけろっとしていた。それよりも前から気になるところがあったので最初は近所の獣医に診てもらっていたが、そのお医者はどうも触診も適当だし犬をまじまじと見つめては首をかしげるだけで全然頼りにならないから、前住んでいたところでかかっていた獣医に診てもらって、ようやく顔面神経麻痺だということがわかったという次第。適当な診察よりはちょっと大げさなことを言われるくらいの方がいいので(だいたい後で診てもらった方の獣医さんは触診の手つきや観察の眼差しが違うのだ)、顔が麻痺していて脳腫瘍かもしれないというならMRI検査などをして前進させようということになり、この8日の火曜の朝から設備のある専門の病院までよいしょよいしょと連れて行った。
 いろいろな犬がいて、皆優しそうな顔をしていた。診察室の方からは苛立った猫の唸り声がずっと聞こえていた。獣医さんの診察がはじまり、退屈そうなコーギーのあちこちを触る。やはり触診の手つきが違うぜ。全身くまなくなにかを探すように触っていく。MRI等の検査のためには全身麻酔をかけなければいけないので、そのリスクについてご了承ください。あとお金。結構かかります。大丈夫、ペット保険があるから大した額にはならないはず、とぼくと妻はたかをくくった。お金についてたかをくくるのがぼくらの悪い癖だ。出された見積書を見てぎょっとする。保険負担額は1万とちょっと。請求額は15万くらい。ふぁっ? 実は1日の保険負担額の限度がそのくらいなんだって。じゃあもっと高額な手術なんかをするときはどうするんだろう。そういうときも一回につき一万いくらしか引かれないの?ふぁあ。しかし、じゃあやめておきますというわけにもいかない。原因やどういう症状なのかがよくわからないまま不安な日々をおくるくらいならはっきりさせたほうがいいに決まっている。結婚式終わったばかりで財布がだいぶ軽くなっているところにこの出費はだいぶ厳しいのだけれど、もし自分の親きょうだい、あるいは子供が同じようなことになったら、迷っている暇はないはずで、それは一緒に暮らしている以上犬に対しても同じ姿勢を取るべきである。ぼくがこんなふうに考えるようになるとはね。さあ、先生、お金は払うから存分に調べてくれ!
 犬を預け(去勢手術のときもそうだったが、獣医が犬をかかえてそのまま奥の方へ姿を消してしまうときはちょっと恐ろしくなるものだ。もし麻酔から覚めなかったら?これが最後になってしまう)、夕方頃また引き取りにくることにして、近いのでいったん妻の実家へ向かう。本は持って来ていたけれど、こんなことなら多少絵を描く道具があってもよかったな。しばらく読書していたが飽きたので昼寝に切り替えた。途中で新しい仕事のことで電話がくる。式の準備のため半月くらいは連載以外に新規の依頼を受けないようにしていたので、そのまま仕事が減っていったらまずいなと不安だったのだけれど、こうやってまた仕事がもらえるのはうれしい。いずれにせよ作業は家に戻らないとできないので、犬を迎えに行く時間まで眠る。
 病院から電話を受けた妻が嬉々として起こしにくる。犬は普通に目覚めているので迎えに来るようにという電話だった。エアバギーを押して徒歩で病院に向かう。とても冷え込んでいた。冬の夕方である。スタッフが抱きかかえて連れて来た犬は、もうすっかり目も覚めて本調子のようだ。検査のために首の後ろの毛がきれいに四角く刈り取られて格好悪くなっていて、抱きかかえてお腹を見たら、お腹もそっくりごっそりと毛が刈られている。超音波検査のためである。お前はこんなに乳首があったのかい。犬の毛の生えてない皮膚の奇妙な感触といったら。寒そうだから帰ったら服を着せてやりたい。
 検査の結果、特になにも異常がなかった。安心を買ったというやつ。でも顔が半分麻痺しているのは事実。こういうのは原因がわからず、だんだん治ってしまうものも多いとか。とりあえず血液検査をするので2週間後また来るようとのことだった。
 帰り道、麻酔でぐっすり寝ていたからか(?)犬はぴんぴんしていてどこまでも前のめりでずんずんと歩いていく勢いだった。
 最初の適当な診察をした獣医に負担させたいくらいである。