2019/08/31

ZINEを作る


 なんとか8月が終わるまでにZINEらしきものを作ることができた。前からなにか作りたいと思っていて、今年の目標のひとつにもなっていたけれど、なかなか取り組まないので見かねた妻に背を押される形で夏の工作課題ということになっていた。なんとなくハードル高く感じていたけれど、とりあえずと思って作ってみると、普段画面の中で完結してしまいがちなデジタル描画のイラストでさえ、紙に印刷されることで一気にモノとしての存在感を帯びてとても新鮮な感じ。大したものでなくとも物体にしておくこと自体が大切らしい。








 最近ものから以前のものまで、ファンアート含めてお気に入りを脈絡なく貼り付けてイラスト集的にまとめた。よく考えたら両面印刷用紙がなかったので普通のコピー用紙に両面印刷したのだが、裏移りしてよれよれになった感じがかえってラフなZINEの雰囲気を出している、かも。とりあえずこれはプロトタイプということで、用紙ともう少し大きめのホチキスで作り直すつもり。

 漫画はやっぱりこうして形にすると本当に漫画らしく見えてくる。いずれは漫画だけで一冊作りたいし、ファンアートはファンアートだけでまとめて、SWのZINEなんかを別で作ってもいいだろう。オリジナル、あるいはあまり版権に触れない内容であれば販売してもいいと思うけれど、まずは作って見せるものとしてやっていきたい。慣れたら記事とかコーナーみたいなものを設けて、少しずつ内容を詰めていきたいけど、あまり形式ばるとZINE特有の手軽さがなくなってしまいそうなので、まあそこまで凝らずにやっていこう。

2019/08/29

「SPUR」10月号



 「SPUR」10月号の映画レビュー連載では、明日(30日)公開の映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を紹介しています。クエンティン・タランティーノ監督、レオナルド・ディカプリオ&ブラッド・ピット主演で描くハリウッドの黄金時代。贅沢な2時間40分、作り込まれた背景に様々な実在の人物、つねに流れているカーラジオ、何度も見直したくなるボリュームです。いずれは部屋で流しっぱなしにしたくなる作品になるはず。全ての物語が運命の1969年8月9日(シャロン・テート殺害事件)に向かっていくわけだけれど、事件について知っている気で観たら……。詳しいことはまた公開後に感想を書くとして、まるでカーラジオをそのまま録音して突っ込んだかのようなサントラがとてもよさそうで、欲しい。

「婦人公論」9/10号



 「婦人公論」9/10号でのジェーン・スーさん連載挿絵。「ムズムズまでの距離」ということで、どういうポイントで「そういう気分」になれるのかというお話。イラストは途中で登場する「消防士カレンダー」の消防士。海の向こうでは半裸でムキムキの消防士のカレンダーが人気らしく、男同士で体に泥を塗りあったり、動物と戯れていたり(山火事から助け出したていらしい)するのだが、決しておもしろというわけではなく大真面目なセクシー系のカレンダーである。

2019/08/21

必要に応じて

 絵のタッチは急に作れるものではない。仕事をやっていく過程で、必要に迫られて形成されていくものだと思う。自然に出来上がっていくものだとも言えるが、やはり必要に応じて、というほうが的確だと感じる。ストレスなく進められる方法、時間内にできるやり方、あとで修正しやすい作り方など、そういうものは作業手順だけではなく描く内容にもそのまま活きてくる。ぼくはひとの影響を受けやすいので、ちょっとしたことで新しいやり方に憧れたりするのだが、これまでの積み重ねの上に絵柄が出来上がるのだとすれば、急に流れをぶった切ってしまうのは好ましくないかもしれない。新しいことを始めるのはいいけれど、急には形にならないので、やはりやってきたことを活かしながらの方がよさそうだ。つまり、昨日までのやり方をとりあえずそのまま続けるしかない。それが今のところの自分のタッチだから。変な意識はせず、自然に描けばなんでも自分の絵になるはず。どんなものでも描けば自分のもの、というのはひとから言われた言葉で、ひとの言うことをとにかく聞かないぼくにしては珍しく(それにしてはひとの言われたことを気にするのだが)覚えている言葉である。誰に言われたかは忘れた。

『フォースの覚醒』ボトルキャップ


 なにかが足りないと思えば、おそらくはこれだと思う。スター・ウォーズと言えば夏で、ペプシだった。冬興行はクリスマスと合わさるから、それもいいけれど、やはり夏のほうが楽しいと思う。惑星タトゥイーンの灼熱の二重太陽が夏の日差しと結びつき、銀河の映像はコーラの味を思い出させる。そういうわけで、架空のSWペプシキャンペーンを想いながら夏を過ごしている。一度のキャンペーンにしてはキャラが少なすぎるので(恐らく60種以上あったはずだ)もう少し描いてもいいし、『ローグ・ワン』やEP8の分も作りたいな。無いなら作るか描くかすればいい。青いキャップの上にちょこんとキャラクターを載せただけで、あの夏の雰囲気が出るのだからおもしろい。

 当時のラインナップを見返して思ったけれど、とにかく細かいキャラまでカバーしている。あまりにも端役すぎるものはいないが、お馴染みのキャラクターばかりというわけでもない。脇役のジェダイ、議長の補佐官、主人公を乗せただけのリキショー・ドロイド……。でもどれも画面の中で印象的だしなんらかの役割がある。良いラインナップだ。まだ描けていないものを加えて、当時のキャンペーンポスター風のものにしてみてもいいかも。

2019/08/13

映画『永遠に僕のもの』コメント


 8月16日公開の映画『永遠に僕のもの』にコメントを寄稿しています。1970年代に実在したアルゼンチンの連続殺人犯のカルロス・ロブレド・プッチの凶行を描いた作品で、その美しい造形から逮捕後に「死の天使」だ「黒い天使」だと世間を騒がせた青年がいかにダークサイドに堕ちていったのかが掘り下げられています。終身刑で本人は存命中なので、現在どんなふうなのかは検索するとすぐ出てきます。本人がこの映画をどう受け取ったかという記事なども出てきますが、それはともかく。

 逮捕後に人々が驚いたのはその美貌だけでなく、彼に一切罪悪感がなかったことでもあるらしく、劇中でもとんでもないことをし続けながらも澄ました顔。作品全体にもその雰囲気があって、恐ろしいはずなのだが何故か笑えてきたりもする。その欲望の暴走はひとから物をくすねたり借りパクしたりするところから始まるのだけれど、そのせいかレコードにしろ拳銃にしろ、物の雰囲気や存在感がよかった。画面から物欲が伝わってくるような感じ。

「ヘアモード」9月号



 「ヘアモード」9月号のTシャツコーナー、今月のテーマは「80-90年代ロック」で、シチュエーションはフェス会場。思えばフェスらしいものは一度しか行ったことがなく、なかなか嫌な思いをした一回きりなので、またどこかで挑戦はしてみたいんだけど、毎年にこの時期になると雑誌上に現れるかわいらしいキャンプギアを見ているのが楽しいな。というのは毎年書いてる気がする。

2019/08/12

尋ね人





 漫画を描きたいと思っていて、描かなければ始まらないので細かい話など考えていない。墜落したロケットを背景にとぼとぼ歩いている絵と、宇宙人酒場のカウンターでバーテンに聞き込みをしている絵だけが最初にイメージとしてあって、間を埋めて繋げただけ。モス・アイズリーのカンティーナみたいなのを描きたかっただけでもある。そんなテンションだったけれど、しかし描いてみると自分でも続きを見たくなってきた。火星の魔法学校をやめてどこかへ消えたひとを探しにきたのだから、ここはたぶん火星ではないのだろう。

気づけば10年

 この8月でツイッターを始めて10年になるらしい。もう具体的な状況は覚えていないけれど、ツイッターのプロフィール欄に2009年8月から利用していると表示されているのでそうなのだろう。確かフィギュアの情報を追いたくてメーカーのアカウントを見るために始めたのだと思う。それが、今ではどちらかといえば自分から見せるために使っている(フィギュアの情報も見てるが)。簡易的な発表の場として十分に機能しているし、いろいろなひととも知り合えたが、じっくりなにかを書くというのは、やはりブログにしておきたいと思う。なにか書きたいことがあったとき、140字の制限に合わせてコンパクトに圧縮して書いてしまうのはもったいない気がするし、見ているとどうもそうした短文ゆえの誤解とズレから言い争うひとも多い。というか、そんな字数制限の中に言いたいことを思ったように伝わるように書くのはかなり難しい(いくつも書き足していったとしてもひとつひとつの幅に限りがある)。書きたいことは書きたい量書いたほうがいいのだ。自分も気をつけなければいけないが、短文を書き続けていると思考まで短文に合わせたものになってしまうような気がして恐ろしい。これは個人的な体感だけれど、携帯デバイスから書くというのも、それに拍車をかけているように感じる。出先で思いつきを書き留める、その手軽さが安易さに繋がって、不用意な言葉になることもあるだろう。まあなんでもいいが、言葉は丁寧にしたい。

 まさかこんなふうに喧嘩の道具になるとは思わなかった、と言えば嘘になるが、少なくとも目に余るものがある。見たくもなければ関わりたくもないが、そう書くとまるで高みから見物しているようにも取られそうなので難しいところだ(すでにだいぶ自分のことを棚に上げて書いているが)。知らないふりをするしかない。そもそもが他人の独白を読むものであって、それがだんだんきつくなってくるのであれば、それは向いていないということになるのかもしれないが(しかし他人の愚痴や不平不満を読み続けるのに向いている人間がいるのだろうか)、使い方はそれぞれなので、できるだけきつくならないよう工夫しておけばいいと思う。自分でもどこかでやらなければいいと思うところもあるけれど、きっぱりやめてしまう必要も特にないというか、なんとなく続けてるうちに10年経ったというわけだ。それに、もはややめるとか続けるとかいう話でもないと思う。ほかに取って代わるものが現れない限りは残しておきたい。

2019/08/01

「ペンギンの憂鬱」感想


 そのタイトルと装画から気になっていた本。いざ読んでみたらその可愛らしいイラストからは想像できない展開に冷や汗が出るほどだった。売れない作家と憂鬱症のペンギンによるちょっと不思議な生活、程度では全然ない。不思議というより不穏で、得体の知れない危うさが徐々に迫ってくる感じがとても怖い。
 
 舞台は1990年代、連邦の崩壊による混乱と不安定が続くウクライナの首都キエフ。芽の出ない作家ヴィクトルは旧知の編集長から新聞の死亡記事執筆を依頼されるが、それはまだ存命中の人物の死亡記事を、いざというときのために準備しておくというものだった。短編以上を書いたことのないヴィクトルには、これがなかなか調子よく書ける。調子よくなってきたヴィクトルの傍らには、経営難の動物園からもらってきた皇帝ペンギンがいる。最初のうちはこのペンギンに大した意味はないのだが、だんだんどこか張り詰めた雰囲気の中、数少ない息抜きをもたらすモチーフとなっていく。

 ついにストックしてあった追悼文が必要となったとき、ヴィクトルの物語は動き出す。気のいいお巡りさんと仲良くなったかと思えば、怪しげな男から幼い娘を預かることになるし、その子を見てもらうためにシッターとして雇ったお巡りさんの姪と関係を持つことに。編集長は誰の追悼文を書くのかをどんどん指示してくるものの、状況を説明してくれはしない。ヴィクトルはどんどん書き、人がどんどん死ぬ。死亡記事と人々の死との関係について、嫌な予感がしてくる。

 それはともかく、コーヒーを淹れてひたすら原稿を書き続ける様子は、読んでいて楽しい。こんなふうに仕事ができたらいいなという感じがする。いつか長編を書きたいという夢を持ちながらも、匿名で追悼文を書くという仕事にプロとして取り組む。将来への不安に対し、自分は今回り道をしているのだと言い聞かせたりする。短い追悼文の中に、書かなければならない情報と、文芸性みたいなものを両立させるコツを掴みはするが、恐らくそれほど才能のある人物ではない。そういう地味な造形が好感を抱かせる。

 死亡記事作家は自分の人生が自分の知らないところで動かされ、なにかに利用されていることに苛立ち、不安を覚えるが、目の前にある風変わりだが温かみもある生活と、とりあえずは向き合っていくことになる。どう見てもなんらかの陰謀に巻き込まれているけれど、預かった娘ソーニャと憂鬱なペンギンとの日々のディテールみたいなものが楽しくもある。というか、それがなかったらきっとひたすら怖いだけだし、それがあるから怖さが際立つとも言える。この生活が壊れたらどうしよう、ソーニャに危険が及んだらどうしようという不安がつきまとうようになるのだ。本当に怖いのは、得体の知れないもの、そして抗うことの難しい強い力によって日々を牛耳られることだと思う。ヴィクトルの日常にはその両方が潜み、彼からその全容が見えることはない。そんな不穏さの中、ペンギンというモチーフが効いてくる。やっぱりペンギンが好きだなぼくは。