2017年10月22日

日記:10月16日〜20日

10月16日(月)

 レゴ・ブロックでなにか実用的かつ見た目もかわいいものを作ろうと思い、ペン立てを組み立ててみた。市販のセットで家の形をしたペン立て——屋根の半分が吹き抜けていてそこにペンが立てられるようになっている。内部のディティールは無いが、基礎プレートの余白部分の庭にミニフィグ等を飾れる——があるのだけれど、そう複雑な作りではないし、特殊なパーツも無く基本パーツだけで作れるものだったので、手持ちで再現してみた。ウェブで説明書を見つけたし、パーツはほぼ同じものがあったので、色はともかく形はほとんどそっくりに作ることができた。この調子で部屋を彩れるものがいくつか作れればいいのだけれど。

10月17日(火)

 90年代に起り2000年に裁判となった「アーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット事件」を描く映画『否定と肯定』の試写に行った。ティモシー・スポール演じるホロコースト否認論者と、レイチェル・ワイズ演じるユダヤ人学者の対決。ぼくが知らない間にスポールはどうやら大幅な減量をしたらしく、なんだかげっそりと削げていた。ふっくらしているときには気づかなかったがかなりギラついた眼光を持っていることがわかる。役のせいかもしれないが。
 今週は選挙カーが騒々しいけれど、近所のピアノの音のほうがぼく的にはヤバい。このピアノの音、今年の春頃からやたら聞こえるようになり、その距離感からして恐らくはすぐ隣のマンション(窓を開けるとすぐその外壁になっているほどの距離)か真上の階の部屋から聞こえているようなのだが、未だによくわからない。微妙。隣のような気もするが、窓を開けるとこちらに面しているのは部屋ではなく通路であるらしく、音も反響しているので上の階っぽく聞こえる。でも部屋の中にいるとやたら窓の方から聞こえる。跳ね返っているんだろうな。同じ建物なら苦情も出しやすいのだが、朝の9時から夜の9時までという一般的なルール(妻から聞いて知った。世の中細かいルールがあるものだ)は律儀に守っているらしく、夜9時になった途端に止む。しかしそれにしたって朝の9時になった途端もうポロンポロンと聞こえてくるし、夜の8時50分だろうが59分だろうが9時と変わらないと思う。あとどうもオペラ・ナンバーを練習することが多く(このあいだまでは『トゥーランドット』の「誰も寝てはならぬ」を弾きまくっていたが、最近は『カルメン』「闘牛士の歌」をやっているらしい)ピアノだけでなく歌唱も聞こえてくる。これが録音なのか実際にそこで歌っているのかはわからないが、それはもうよく通る歌声でピアノよりも大きい。ヤバい。どちらも好きな曲だが嫌いになりそうだ。そしてピアノがあまり上手くないのが致命的にキツい。そりゃ上手くないから練習するのだろうけれど。
 とはいえ選挙カーもピアノもそれぞれの仕事をしているまでである。いや、ピアノは仕事なのか学業なのか趣味なのかわからないが。ともかく各々やることをやっているのに過ぎない、と考えるとだんだん気にならなくなっている。大人になったな、ぼく。26歳だもんな。
 そもそも選挙があってピアノが弾けるだけ幸せな世の中ではないか。

10月18日(水)

 教習所に行った。今月の始めは風邪をひいて寝込んでしまっていたので、9月末以来の教習である。教官がジョージ・タケイみたいなおじさんで、複数人教習ということで男子大学生との乗り合いである。この男子、なにを言われても相槌がだいたい「マジっすか」「初めて知ったっす!」といった感じでタケイも呆れていた。「マジっすか」という相槌はぼくもかねてより耳にするフレーズだったが、なにか教わったり指摘されるたびに「初めて知ったっす!」と返すのは初めて聞いた。おそらく「そうなんですか、ためになります」みたいな手垢にまみれた媚びフレーズと同じ用途で、先輩とかに気に入られるための相槌なのだろうけれど、さすがに連呼されると相手も馬鹿にされているとしか思えないだろう。タケイもむっとしていた。しかし、彼は悪気があって言っているのではないのだ。彼の置かれているコミュニティでは恐らく普通の台詞なのだ。彼はこの先もその相槌でもって先輩に気に入られ可愛がられ、要領よく生きていくのだろう。ムカつく。
 帰宅後は夜中まで原稿を描いていたが、このところなんだかすぐ眠くなり全く作業にならなくなったので、思い切って途中で寝た。朝早めに起きて仕上げれば大丈夫だ。

10月19日(木)

 目論見通り朝早めに起きられたので作業を再開した。一度寝たので頭がすっきりである。いや本当にあのまま続けてもしょうがなかった。思い切って一旦寝ちゃうっていうのがこんなに効果的とは。今度から思い切って寝よう。いい感じに描けたのでご機嫌である。
 ずっと懸念事項だったレゴ・ブロックの収納方法をいい加減固定したくて大いに悩む。子供の頃はそれほどたくさん持っていなかったので普通の衣装ケースひとつで済んだものが(しかもちょうど部品を探しやすい量だった)、今は当時とは比べ物にならない量を保有しているので、どうもまとめにくい。しまうことはいくらでもできるが、ただしまうだけではいざ遊ぼうとしても目当ての部品をすぐ探し当てられない。全てをひとつの容器におさめるとそうなる。なので、いくつかの容器に、手で探りやすい量を分けるのがいい。そこで部品を大まかな種類に分けて収納するのもより探りやすくなっていいだろう。しかし、それだと遊び終わって片付けるときにも、部品の仕分けをしながら片付けることになり非常に面倒だ。さらに、子供の頃同じレゴで遊んだ仲である弟が言うには、仕分けられていない雑多な部品をかき混ぜる中で起こる、目当てではない部品との偶然の出会いがまたおもしろいとか。なるほどね。あまり綺麗に仕分けられていてもおもしろくないというわけだ。
 ということで細かく仕分けたり容器を増やしたりするのはやめた。容器が増えると、遊ぶたびにそれらを部屋に広げなければならず、あまり気軽でない。ひとまず主要なブロックは一番大きな容器におさまり、細かいテクニカル系のパーツをそれよりも小さい容器に、そうしてミニフィグやそのアクセサリーはもっと小さなケースにおさめた。これでとりあえずはいいでしょう。
 外はずっと雨である。しとしとであったりざあざあであったり。犬の散歩もなんだかおざなりになってしまい、犬も不機嫌である。しかし、傘をさしながら犬を連れて、時折しゃがんでうんちを拾うというのはなかなか大変なのである。しかも犬のやつ、道の端のいちばん水がたまるあたりにうんちをするので最悪である。
 ずっと雨らしいので投票に行くのが億劫である。いや、もっと権利意識を高く持たなければ。雨なのと、いろいろときな臭いのとでなんだか非常にげんなりするが、選挙があるだけマシである。いや本当に。

10月20日(金)

 教習所に。なんとまたジョージ・タケイ教官であった。なんなんだ、ここは訓練艦エンタープライズなのか。ちなみに以前当たった教官がまた当たるのは初めてだった。しかも連続とは。
 スールー教官はぼくの顔をまじまじと見て、
「ああ、一昨日の。どうりで見たことある顔だと思った」
 こっちの台詞である。もっともぼくは初回ですでに「見たことある顔だと思った」のだが。
「いやね、君はセオリー通りやっていてよかったんだけれど、一緒だった彼。あれはしょうがないねえ」
 などと聞いてもいないのに一昨日の例の「初めて知ったっす」男子のことを愚痴り出した。まあ、愚痴を聞かせてくれるということはそれだけぼくが優秀だということだろう。あははは。
「では発進しましょうか」
 だから発進させるのはあんただってミスタ・スールー。
 ぼくもそれほどなんとかトレックを観ているほうではないのだが、なんだかこの人を助手席に乗せてギアを動かしているとそのままワープしそうな気がしなくもない。
 技能教習のあとに応急救護の講習があった。心臓マッサージの説明で例によって胸のあたりがむずむずした。ぼくはどうもある部位についての医学的な説明なり描写なりを見るとそこがむずむずしてしまう。ただの気のせいなのだが、気分は気分である。というか、「しんぞう」という語感がすでにむずむずする。さらに、心臓マッサージの際に相手の胸の骨を折ることがあるかもしれないが気にせず続けよというレクチャーでなんだか怖くなった。しかし、なんであれ心臓が動かなければその痛みさえも感じられないのだから動かすためにマッサージをしなければならない。頭では理解できるのだが。後で気になって調べると心臓マッサージの際に骨折させてしまうのは稀なことだとかなんとかいろいろ出てきたが、まあ調べても仕方がない。そのときはやるしかねえのだ。
 教習所の二階の休憩所、窓に面したカウンターに座っていると所内のコースが一望できる。同じ車種、同じ色の車がいくつもあちこちうごめいているのを見ているとなんだかおもちゃみたいである。ところで、コースのすぐ隣の敷地がいつのまにかローラースケート場になっていた。そういえば夏のあいだ工事していたなあ。垢抜けた様子の、恐らく小学校でもっとも楽しそうな時期にありそうな子供たちが3人、コースをぐるぐると滑ってまわっている。羨ましい。ぼくもローラースケートは好きだった。小学生のときフリーマーケットで偶然見つけたサイズぴったりのローラーブレード(なんと一足500円)で遊んでいた時期は楽しかった。育ち盛りなのであっという間に履けなくなり、新しいものが買えるわけもなくそのまま遊ぶ機会を失ってしまっていた。またやりたいなあ。
 
 * * * *

 と、懲りずにまた箇条書きの日記をつけようと考えた次第である。前もやったが初期設定で自分に課したルールに負けて挫折してしまっていた。もうやめるといった旨のことまで書いて中断したわけだけれど、またやってみようという気になった。というのも妻があれはおもしろかったなどと言ったからだ。
 前回は1日も欠かさず、毎週書こうとして失敗したので、今回はもっと不定期でオーケー、書けるときは書いて書かないときは別に書かなくていい、そんなスタンスでいいだろう。どんなルールを設けたところで、自分が作った自分にだけ適用される自分のルールなのだから、別に途中でいくらでも曲げたり破ったりしていいじゃないかとも思うのだが、どうしても最初に設定したものに縛られてしまうのがぼくだ。なにを始めるにしても、できるだけ最初になにも設定しないようにしよう。