劇場パンフレットのデザインがとにかくカッコイイ。パルプ小説のような装丁を意識したようなデザインになっているのだけれど、確かに「インヒアレント・ヴァイス」はパルプ小説的だと思う(パルプ小説を読んだことはないがイメージとして)。やや思い込みが激しくラリラリな探偵ドックは“抜群の”推理力でもって陰謀のコアへと向かっていくが、陰謀に向かっていけばいくほど「それあんたの思い込みじゃ?」とドックに言いたくなるようなところも。本人は一生懸命推理をして点と点を繋ごうとするのだが、どうしても傍目には陰謀説を唱える思い込みの激しい人という感じが否めない(まさにヒッピー)。そのため一体どこからどこまでがドックの推理通りで、どこからが彼の妄想なのかがだんだんわらなくなってくるのだが、そこがまたおもしろい。安っぽい陰謀説に振り回される物語というところがパルプ的なのだと思う。
ところでぼくの大好きなビデオ・ゲーム「グランド・セフト・オート」シリーズは、そもそもこういう世界を描きたかったんじゃなかろうか(「ヴァイス」という言葉から、ぼくのようなガキはどうしたってGTAシリーズの名タイトル「ヴァイス・シティ」を連想してしまうのだ)。独特の色彩を放つ街や不動産王、凶暴な警官にジャンキー達・・・一癖も二癖もあるどころではない漫画的な奇人達のオンパレードは、このギャング・ゲームでも最も魅力的なポイントとなっている。ロックスター・ゲームスのクリエイター達はピンチョンの小説を読んでいるのだろうか?それとも、こうしたキャラクターの組み合わせはパルプの定番なのだろうか。アメリカの暗黒街を描くにあたって使い古されたアイコン達なのか。
画面を通して1970年代(のロサンゼルス)を旅行しているような気分にもなる。実際の空気感なんてものはぼくにはわからないが、それでもぼくのイメージ上の、半ばファンタジー的でもある70年代世界がこれでもかと描かれていて、上の世代の人達が頷いているのであればこの映画の世界は70年代の、少なくともその一面を再現しているのだろう。色彩はもちろん、なんだか匂いも漂って来そうで、全編に渡って画面がなんだか煙いというか、観てる途中でフワフワした気分になってくるのは、この映画そのものが危険な中毒性を帯びている証拠なのだろうか。そしてそれはピンチョン文学に通じる危険な魅力なのかも。