と言っても、子供が生まれる、というそれ以上はあまり書くことがないんだけどね。そもそも初期の頃から妻の体調がよくなく、つわりがひどすぎて入院までしたほどだったので、そういった慌ただしさもあってなかなか能天気な調子になれなかった。この先どうなるかというのもわからないから、おおっぴらにする気にもならなかったというわけだ。なんと言ってもひとの身体のことだから、事細かにそのプロセスを誰でも読めるところに書くのも憚られた。
しかし、そろそろ秒読み段階に入るので、気をつけながらなら多少のことは書いてもいいだろうという許可を、自分に下したというところである。というか、妻のことはともかく、ぼく自身にある変化(退化と言えなくもないが……)が見られたので、そのことを話しておきたい。
ぼくが小学生時代以来久しぶりにポケモンのゲームで遊び始めたことは、このブログやツイッターを読んでいるひとなら知っているだろうけど、問題はそこだ。なんで急に小学校の頃遊んでいたものに手を出したのか。『スター・ウォーズ』のように慢性的(?)に夢中なものは別として、子供の頃遊んだもの、好きだったものに妙に惹かれるようになってしまったのはどうしてだろう。しかも、なにを思ったのか『ハリー・ポッター』の古いハードカバーを引っ張り出してきて読み返し始めた。挙句の果てにはアヴリル・ラヴィーンやパラモアの初期の曲など聴いている……。
平成最後の年に、親になるのを目前にして急にティーンに戻ろうとでも言うのだろうか。みっともないことこの上ないが、一種の防衛本能のようなものだろうか。いよいよ本格的に大人になってしまう前の、最後の抵抗とでも言うような……。
元号が変わるタイミングというのもなにか巡り合わせを感じずにはいられない。自分が生まれ育った元号が終わるということは、子供時代といよいよお別れするということではないか。今までは子供の頃と地続きの感覚でいたけれど、一つ前の元号の(しかも一桁)生まれとなればそうはいかない。そんなタイミングで親になるというのは、これはもういい加減に大人にならなければならないという通告のような気がする。
まあ、そこまで恐ろしいわけではないけどね。ぼくはたぶん子供ができようがその子が成人しようが、いつまで経っても人形遊びが好きな、うんこ漢字ドリルで大笑いする人間のままだろうと思う。それはそれで恐ろしいのだが。
子供時代のコンテンツを改めて楽しんでいるのも、懐古に走っていると言われればそれまでだが、なにかこう、初心を思い出すというか、知識が増えるとともに薄らいでしまった、もともと自分はどういったものが好きだったかという感覚を思い出すようで、それはそれで時に必要なことだろうと思う。特にぼくのようなタイプはそういう充電が頻繁に必要なのかもしれない。
こんなかわいい柄の服があったりする。ぼくが着たいくらいだ。犬の表情が恨めしげ。犬の嫉妬心をどうフォローすればいいかというのがいちばん悩ましいかもしれない。
ちなみにこの数ヶ月の間、初めて会ったひとから「お子さんは?」と聞かれた際にまだ生まれてはいないので「まだです」と答えていたんだけど、妻が言うにはそれは軽く嘘をついていることになるらしい。嘘ついてすみませんでした。聞かれたことを聞かれた形でしか答えられないのです(「ご予定は?」とか聞かれていれば答えようがあったのだろうなあ)。