いやはや、この年末は妙に忙しく12月15日もその日締め切りの仕事に前の晩から取り組んでおり、早朝にそれらを送り出してから一旦眠り、午後になって飛び起きて映画館に向かったわけで、非常に頭がぼんやりとくたびれていたのだけれど、そんなところにこんなとんでもないレーザー・ビームのような映画を見せつけられては、もはやぼくの脳みそは処理が追いつかない。
だから、鑑賞間もない今はまだ自然と感想もとりとめのないものになってしまうかもしれない。実際、観た直後にノートにめちゃくちゃに書き散らしたものを今参考にしようとしても、ほとんどなにを言いたいのかわからない感じである。ただ、すごい興奮していることが伝わってくる。
とにかく胸がいっぱいだった。これまでで最もフラットな気持ちで観ることができたSWでもある。事前の考察を全くしなかったわけではないけれど、それでも積極的に予告編でわかる以上のことを調べようとはしなかった。と言うのも、前作の『フォースの覚醒』の際にあまりにも調べ、考えすぎたからである。
そのおかげか、全く予想のつかないストーリーを大いに堪能できた。金曜日に観て、帰宅してから前述のようにノートをとり、あまりインターネットを見ることもせず、自分の中だけで感動を増幅させていった。土曜、日曜もまだ余韻が残っており、思い返してはうれしくなってため息をつき、始終ニヤついていたので妻から大変気味悪がられた。
未知のSWを観ることがこれほどまでに楽しいのかと、驚き、感動した。これもことあるごとに言っていることだけれど、オリジナル三部作の前日譚であるプリクエル三部作世代のぼくにとって、先のわからないSWを観られることはこの上なくうれしい。だって、先がわからないのだから。
なにより情報量が多い。キャラクターが多い。展開がめまぐるしい。スピードがある。それでいて全く収拾がつかなくなるということはない。
新しい『帝国の逆襲』として観ることはできるし(もっと言えば『ジェダイの帰還』要素も強い)、同じシリーズとして他エピソードと通じる部分も少なくないけれど、そこまでテンプレートに沿うこともなく、全く新しいストーリーを見せてくれたと思う。SWにおいては新しい演出、美しい画作り、シリアスの中にほどよく挟まれるユーモア、ダークさとポップさ……物語として非常にバランスが取られている。
バランス。それは本作のテーマでもある。光と闇、善と悪の境界が曖昧になり、絶対的な正義として信じられてきたジェダイさえ過去の遺物であることが示される。光があたるぶん闇も深くなるというルークの言葉はとても印象的だ。まるでその言葉が言い表すように、レイとカイロ・レンは拮抗する。そうしてレイは闇に、カイロ・レンは光への誘いに心を揺さぶられ、いつしかふたりの間に奇妙な絆が出来上がる。
ふたりが交信をするときの演出もおもしろい。その場に互いの姿が見え、互いの感触が伝わり、互いがいる環境さえ伝わってくる(雨が降る中にいたレイと交信した際に、宇宙船の中にいたカイロ・レンの顔が濡れるのだ)。表裏一体のふたり。ふたりの関係は非常に興味深い。
山場である共闘もとても熱いけれど、最終的にカイロ・レンはファースト・オーダーの新たなリーダーになることを選ぶ。かつてダース・ヴェイダーが皇帝を倒して自分が支配者になろうとしていたことを考えると、ようやく祖父に代わってそれを成し遂げたかのように見える。その点では彼はかの暗黒卿を超えたわけだ。もちろん、レイはそんな彼にもう手を差し伸べることはなく、拒絶する。カイロ・レンからの交信を遮断するレイの心境が、ミレニアム・ファルコンのタラップが閉じられることで表現されているのもとてもよかった。それは父親の船からの拒絶でもあるのだ。
レイの出自が明らかになることで、このふたりの間にはもうひとつの構図が生まれる。特別でない者と特別な者だ。一方は名もない貧しい人々から生まれた孤児であり、もう一方は空を歩む選ばれし血筋を引く。前者は愛されず、後者はきっと多くの期待を背負って育ったはず。しかし、今では逆だ。どこの馬の骨とも知れないレイが愛と期待を受け、伝説のスカイウォーカーの血を引くベン・ソロ——カイロ・レンは深い闇に落ちた。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』で、主人公の父親が実はとんでもない化け物で、育ての親の方が本物よりも親らしかった、という展開が非常に魅力的だった。SWに代表される血統主義的な物語に対するカウンターのようでとても今っぽく感じられた。これを先にやられては、もうレイの出自が結局ルークの子供だとか、そんなんじゃ絶対ダメだと思った。他の物語がどんどん新しさを得ていく中で、まだSWは血統の物語にこだわってしまうのかと。確かにSWのサーガは同時にスカイウォーカーのサーガでもある。しかし、それだけではない。それだけではいけない。もっともっと物語に広がって欲しい。
そもそもぼく個人はあまりSWを血筋の物語というふうには捉えていない。そこにあまり還元したくない。まずルーク・スカイウォーカーという主人公がいて、それからその父親の物語を明らかにしていった、というだけであって、別に家系図を追っているわけではなかろう。正直、たった親子二代で血筋もくそもあるかと思う。
果たして、新しいSWは血統の呪縛から離れた。もちろんスカイウォーカーの物語もまだ続いている。今回のスカイウォーカーは闇に落ちたベン・ソロだ。そして彼に対抗するのが、特別でない人々、名もなき人々代表、レイ。もしかすると今後、レイがベン・ソロを救うという展開があるのではないだろうか。だって、そうすれば特別でない人々がスカイウォーカーを救ったことになる。これまでのお返しのように。そうだったらとても優しく、美しいと思う。
フォースはジェダイのものではない、というルークの言葉は同時に、フォースはスカイウォーカーのものではないと言っているようにも思える。それに呼応するかのように、本作のラストではリゾート都市で働かされていた少年が、なんとフォース感知者であることが示される。ルークの「最後のジェダイは私ではない」という言葉は、まだレイがいるということを指しているのと同時に、まだ銀河のいたるところにフォースに目覚め、可能性を秘めた人々が大勢いるであろうことを示唆しているようにも思えてならない。スカイウォーカーだけがフォースの申し子でないのだ。
だからこそ、全ての人々がフォースとともにあると言える。そう思うと、本作に登場する大勢のキャラクターたちがより魅力的に思えてくる。フォースやジェダイとはなんら関係のない人々。ときに悪の側につき、ときに正しい道を歩んでいる勇気ある人々。
前作から登場したキャラクターたちの拾い方が見事だった。特にマズ・カナタ。ここぞというところで登場し、しかもそれなりに戦闘スキルがあることがわかって熱い。あのゴーグルにはあんなスキャン機能があったのか。そしてジェットパック。ジェットパックだよ?前作ではヨーダとジャバ・ザ・ハットの要素を兼ね備えているように思えたが、なんとボバ・フェット要素まで持っていたとは。急に気に入ってしまった。
もちろんキャプテン・ファズマが大好きなぼくとしては、彼女のリベンジが実現したのもとてもうれしい。憎きFN-2187への執念が伝わってくる。それはもう一筋縄ではいかない複雑な感情のはずだ。かつて自分が訓練した部下の脱走は彼女にとって大変な屈辱であろう。フィンを倒すことは自分の失敗の後始末をすることでもある。だからこそより一層執念深くなる。
フィンの攻撃で片目のレンズが砕け、演じるグウェンドリン・クリスティーの左目が覗くシーン。食いしばった歯の隙間から押し出したかのような声で「やはりお前はクズだ」と言い放つ。悔しさと憎しみが溢れる。彼女は確かに悪党だけれど、冷酷で残虐な悪党だけれど、信じていた部下に裏切られ、対決するも破れてしまった悔しさや苛立ちに全く共鳴できないわけではない。常にそのクローム・ドームに顔を隠し、およそ人間のように見えなかった彼女が、最後に一瞬だけ片目を覗かせて人間らしい苛立ちを見せ、奈落へと落下し炎に包まれる。最高である。キャプテン・ファズマよ、永遠なれ。
それにしてもレーザーを弾いてしまうあの装甲、かっこよすぎる。あの立ち姿が素晴らしい。前から好きだったキャラクターを、より好きになれるのはとても幸せなことだ。というか、レーザーでも傷ひとつつけられない装甲服、炎の中でも耐久性があるのではないだろうか。もちろんそれなりに火傷を負うことにはなりそうだけれど(むき出しになった左目はもうダメだろう)、それでも一命は取りとめられるのではないか。大火傷からの生還だなんて、ほとんどダース・ヴェイダーじゃないか。まさか、あのクローム・ボディに機械の呼吸音を加えて復活するのでは、などという妄想が捗る。
あの最後はとてもかっこいいので、あれでもういいと思うけれど、もちろん復活したらそれはそれで大歓迎である。ぼくはわりとなんでも大歓迎なのだ。
ファズマとは違うタイプで、やはり同じくらい魅力的なのがハックス将軍である。本作ではよりキャラクターに磨きがかかっていたのではないだろうか(ファズマもピカピカに磨かれてはいたが)。
若くて実戦経験が浅く、それでいて冷酷さや大言壮語は人一倍というキャラクターだからこそのあの憎めなさ。まさに頂点でない悪役、ミドル・ヴィランの魅力である。冒頭から本当におもしろかったなあ。一体ポー・ダメロンの言っていた彼の母親の話とはなんなのだろうか。それをレイアが知っているというのはどういうことだろうか。
本作でかなりの比率でユーモアを受け持っていたのように思えるけれど、しかし、彼はスター・キラーのレーザー砲で共和国の惑星をいくつも滅ぼした張本人である。いかに未熟で小物然としていても、その冷酷さや狡猾さは油断できない。というか、だからこそ恐ろしいところもある。
今回、それまで対等なライバル関係だったカイロ・レンと、ようやく明確な上下が出来たわけだけれど、ハックスが隙あらば新しいリーダーを出しぬこうとしているのはその表情から見て取れる。実際にスノークの謁見室で倒れていたカイロ・レンに対し若き将軍は銃を抜こうとしていたのだ。彼はこのままカイロ・レンの言いなりになるのか、どこかで彼を陥れようとするのか。レイとカイロ・レンの関係だけでなく、カイロ・レンとハックスの関係もまた興味深いものがある。
ハックスの部下たちもまたいい味出している。ドレッドノートの艦長キャナディのふてぶでしさなどとてもいい。投下された爆弾によってドレッドノートが破壊されていく中、ブリッジに炎が達するときの「ふん!」というよう表情がたまらない。短い登場シーンだけれど、常にふてくされたような表情は、どこか未熟で若いハックス坊ちゃんの指揮下にいるのが不満げに見える。キャナディの部下たちもなんだかいい表情のひとたちばかりなんだよなあ。特にスコープを覗いている薄めの顔をしたアジア系のひとがかっこいい。
アジア系といえばペイジとローズのティコ姉妹である。なにを隠そう前述のキャナディ艦長とそのドレッドノートを沈めたのは捨て身で爆弾を投下されたペイジである。演じるのはベトナム人女優のゴー・タイン・バン(英名:ヴェロニカ・グゥ)。そうそう、爆撃機の内部のディティールもよかったな。『博士の異常な愛情』を思い出した。ヴェロニカ・グゥは表情がとても凛々しく、アジア系ならではのエキゾチックさがSWと合っている。そして、その顔つきと薄汚れたフライトスーツなどの装備との組み合わせが、妙に戦争感を増しているように見えるのは、ぼくが同じアジア人だからかもしれない。
ペイジの妹ローズを演じるケリー・マリー・トランも同じくベトナム系。パンフレットによると両親はベトナム戦争時にアメリカに渡った過去を持つらしい。そのバックグラウンドが戦火に巻き込まれたローズと重なる。ローズのキャラクターも素晴らしい。とにかく顔がチャーミングである。姉役のヴェロニカ・グゥとは全然違う顔つきだけれど、ローズはケリー・マリー・トランだったからこそあそこまで魅力的で立ったキャラになったのではないかと思う。
キャラクターと言えば、ヨーダのことも忘れられない。
なんと、『帝国の逆襲』の懐かしのパペットの姿でヨーダの霊体が登場するのだ。ジェダイの書物を燃やそうとするルークの背後に、その特徴的な後頭部が映った際には声を上げそうになったほどだ。ルークを見守る霊体の後ろ姿が映るだけで終わりかと思いきや、ルークとの会話まで始まった。その昔ながらのヨーダの姿に泣いた。
ヨーダはルークに対しジェダイの書物を焼き払うよう促し、躊躇するルークをよそに雷を落として全てを燃やしてしまう。ヨーダはうれしそうに笑う。
「カビ臭い書物のことなど忘れてしまえ!」
ああ、このケタケタと笑うヨーダこそヨーダという感じがするなあ。険しい顔で戦うヨーダも悪くはないが、やはりこれがオリジンだ(時系列ではこちらがあとだけれど)。
ヨーダはジェダイの書物などよりもレイが重要だと諭し、ついにこのジェダイ・マスターまでも古から続いてきた概念を捨てたのには驚いた。ヨーダもフォースとの旅の中で変わったということか。いや、もしかしたらこの霊体のヨーダは、ルークが自分の意識と対話しているにすぎないのかもしれない。いずれにせよふたりの対話は懐かしいものを感じさせ、ヨーダの優しげな眼差しはついつい見ていて顔がほころんでしまう。
なんか、本当にフォースの力とは関係を持たない普通の人々が続々と登場してきて楽しい。その一方でヨーダがジェダイの呪縛を解いたりするのだからおもしろい。
確かに今までの神話感とは変わる。しかし、こうして物語のスタンダードが崩され、作り変えられると思うとわくわくするものがある。今までにない雰囲気に戸惑うひともいるだろうけれど、予想の範疇で作られてもおもしろくないだろうと思う。
これまでのSWの、なんとなくあったルールを壊し、誰も思ってもみなかった形に再構築していくからといって、決して今までの神話が否定されるわけではない。むしろ今までの作品があるからこそ、こうして新しいことができるのだ。そうして、新しいものが古いものを際立たせもする。
いずれにせよぼくは、オリジナル三部作の呪縛から解き放たれ、真の新しさを持ち始めたSWを応援したい。物語は、神話はそうして更新され、続いていくのだと思う。
どのキャラクターも愛おしい。それは人物だけではなく、動物——クリーチャーたちも同様である。レイが目撃したルークの自給自足生活の一部始終ではタラ=サイレンの乳しぼりのほかにも、ルークが長い銛でもって大きな魚を仕留めるくだりもある。ルークがチューバッカと同じディナーを作ったことがあるかどうかはわからないけれど、あの島ではそういう自然の恵み的なものがかなり描かれる。SWではあまり描かれなかったことだ。タトゥーインの露天でなにやら生き物の肉がぶらさがってたりしたこともあるけれど、直接的に狩りや採取といった、命を得るという描写はなかったと思う。そこが新鮮だった。それにしてもチューイ、あそこまで調理したならちゃんと食べなよ。
SWにはとにかくクリーチャーが多く登場するし、中でも騎乗用に使役されているやつはたくさん出てくる。デューバック、バンサ、トーントーン、イオピー、カドゥ、ファンバ、ドラゴン・マウント……本当にたくさん登場する。しかし、それらの動物はほとんど道具か背景くらいにしか使われない。ましてやそれらが虐げられたり、酷使されたりしている描写はない。しかし、描かれていないだけで普通にあり得ることだ。そこで本作ではようやくヒューマノイドの都合で酷使される動物が登場した。
食べて、使役する。ここまでは獲物や家畜との関係である。しかし、酷使されていたファジアーを主人公たちが助け出したところからその関係は変わる。ファジアーを助け出すと同時に、ファジアーに乗って逃げ延びるのだ。助け、助けられたのだ。
そうしてクライマックス。ミネラルの惑星クレイトで窮地に陥ったレジスタンスの戦士たちは、クリスタルの体毛を持つヴァルプテックスの導きによって脱出路を見出す。ここでも動物に助けられたと言える。また、クレイトの戦いに駆けつけたミレニアム・ファルコンの船内にはポーグが何羽も住み着いており、巣まで作っていた。操縦するチューバッカはもうポーグに手は出さない(船を荒らされてかなり頭に来てたようだけれど)。特に巣を作っていたのは印象的だ。だって、それはもう生息域が広がっているということであって、チューイによってローストチキンにされていたシーンとは真逆の意味を持っているのだから。
こうして物語を通して、ひとと動物の関係が変わっていく。一方的に動物から得ていただけだったのが、最後には共生という関係に発展していくのである。共生。非常にフォース的で、SWにおける、いや、世界における理想である。
全体的に暗く、試練の多い物語だけれど、ときにユーモアやポップさがあり、ときにこういう希望の種のようなものが散りばめられているところが、この作品の愛おしいところである。
大好きな『スター・ウォーズ』となった。