20120801

カポーティ「遠い声 遠い部屋」

 トルーマン・カポーティの「遠い声 遠い部屋」を読み終えました。
 去年の夏に「ティファニーで朝食を」を読んで以来の人生二冊目のカポーティです。「遠い声 遠い部屋」は彼が23歳(今のぼくと大して変わらない!)のときに書いた初の長編で、この作品により彼は若き天才として脚光を浴びることになります。





 母親の死によって、離婚していた父親の家に住むことになったジョエル・ノックス少年は、独りで父の住む屋敷に向かって旅発つ。アメリカ南部の小さな街”ヌーン・シティ”にたどり着いた彼は、不気味な老人の馬車で父の待つ屋敷に連れられるが、屋敷には奇妙な住人達―父の後妻エイミー、召使いの黒人少女ミズーリ、エイミーのいとこランドルフが暮らしていた。エイミーは南部黄金時代の思い出にだけ生きており、女装癖のある中性的なランドルフは立ち去ってしまった恋人に宛てて届くことのない手紙を書き続けている。召使いミズーリはただひたすら都会―ワシントンに行って雪を見ることだけを夢見ていた。彼らは最初のうちなかなかジョエルを父親に会わせてくれないが、やがて少年は廃人となってベッドの上で動けずにいる父親の姿を見せられることになる・・・。
 少年ジョエルは奇妙な大人達に囲まれながら、やがてやってくる大人の世界に戸惑う。彼らの住む屋敷は、寂しげな西日を浴びているイメージ。これがとっても悲しげではあるけれど綺麗。町に住む双子のかたわれ、黄色いサングラスをかけた少女アイダベルが犬を連れて夏の日差しの中あぜ道を歩いて来る光景も、ノスタルジィな感じで好き。屋敷でのシーンは、住人達は確かに魅力的ではあるけれど、どこか息苦しいところがある。だから双子のアイダベルとフローラベルが登場する屋敷の外のシーンはすごく開放的で、気分転換になる。読んでいるこちらは多分ジョエルと同じ気分。双子と遊ぶジョエルは元気に見える。
 お気に入りのキャラクターはこのアイダベル(フローラベルも可愛いけれど)と、ランドルフ。アイダベルとフローラベルの双子は、前者が乱暴なわんぱく少女であるのに対して後者がお澄ましお嬢様気取りと個性が正反対。アイダベルの服装がなんだか可愛い。とにかく黄色いサングラスが良い。
 ランドルフは中性的で女装癖 と、そのゲイっぽさが素敵。日本の着物を着たりとお洒落なところも可愛い。悲しい過去を持つランドルフ自身も魅力的だけど、彼の部屋にある物というか、コレクションの描写が良い。普段からほとんど意味の無いガラクタやガジェットが好きでもあるのでああいうシーンはすごく良い。ジョエルがランドルフになつくのも無理は無い。

 ぼくも今年で21歳になるし、これから本格的に嫌でも大人の世界に踏み込まなければいけない。最近は純粋にそれに怯えています。大人になりたくないというか、見たくも知りたくもないことがたくさん。”大人”と呼ぶことで自分はまだ違うと必死に区別してはいるけれどだんだんと自分も知らないうちに染まって行くんじゃないかという恐怖。去年20歳の誕生日を迎えたときよりもかなり如実にそれを感じます(あのときはまだ”なんとなくそんな気分”程度だった)。いろいろなものに縛られるし、なんに対しても価値を計ろうとし、やたら見栄を張るようになる。大人なりの自由もあるし未来への展望もあるように思えるけれど、最近では去年の誕生日に古いブログで書いていたような明日へのワクワク感が少し苛立ちに変わっているような気がする。とにかく寂しい思いさえしないで済めばいいのだけれど。この小説に登場する大人達と同様、世間の大人達が奇妙に見える。そうして自分もそうなっていくと思うとやりきれない。「なんらもなあ」という感じ。けれどなにが奇妙でなにが奇妙じゃないかもわからないし。もしかすると他人というものにひたすら違和感を抱きがちなだけかも。
 というような不安を抱いているときに、この本を読めてよかった。いびつな鏡がとても恐かったし、アイダベルに恋したし、ランドルフになついた。向こうで確かに手招きしているのが見えるから、ジョエルのように恐れず踏み込んでいくしかないのかもしれない。そうしてジョエルのようにもう一度後ろを振り返っておこうと思う。