20120801

モーム「月と六ペンス」

 人に勧められて読んだサマセット・モームの「月と六ペンス」。




 ロンドンの至って平凡な会社員であるチャールズ・ストリックランドはある日突然妻子を家に残したまま姿を消してしまう。語り手である作家の主人公は友人であるストリックランドの奥さんにお願いされて彼を追ってパリに向かうが、主人公に妻子を捨てて出て行った理由を尋ねられたストリックランドはただ「絵を描きたかったから」とだけ答えた。それまで無趣味でなんの変哲もない、退屈なサラリーマンだった男が、芸術の呪いにかかってしまったのだ。ストリックランドというキャラクターはまるまるポール・ゴーギャンをモデルにしており、この物語はゴーギャンの伝記をもとにしている。

 ただひたすらストリックランドは嫌なやつで、とにかくストイックな生き方をしている。絵を描くこと以外には興味がなく、家族を失おうが友人を失おうが一向に構わないといった具合だ。主人公は途中で悲惨な事件が起きるまではストリックランドの近くで暮らすが、そのうち彼を見失う。作家として成功していた主人公はやがて、ストリックランドが移り住んだといわれるタヒチ島を訪れる。しかしストリックランドはすでに死んだ後で、島の住人達の語りで少しずつストリックランドの最期が浮かび上がって来る。
島の女と結婚したストリックランドはやがて島の人々とも交流しなくなり、山奥の家にこもって作品作りに没頭する。妻のアタは夫の世話をしたり町に降りて来て画材を買ったりと夫に協力する。その壮大な壁画が完成する頃には、すでにストリックランドの眼は見えなくなっているが、彼はその命と引き換えに作品を仕上げる。その最期の傑作を見たのは、アタと、それからストリックランドの様子を見に来た島の医師だけ。アタはストリックランドから完成した壁画は焼くようにと言われており、医師の制止もむなしく遺言通りに火は放たれる。

 生前はまるで誰の相手にもされなかった画家ストリックランドだが、死後になって絶大な人気を得ることになる。今まで彼を馬鹿にしていた人までもがころりと態度を変えるし、彼に捨てられ彼を蔑んでいたはずの元ストリックランド夫人すら偉大な画家の元妻であることを誇りに思い、出版社の取材に対して”夫”のことを得意げに語るのだ(「チャーリーのことを世間に伝えてやるのが、私の義務だというふうに思いますの」)。ストリックランドの作品を壁に飾った彼女は久しぶりに訪ねて来た主人公に対して「まあ、私のあの絵をごらんになってらっしゃるの?」なんて言う。もちろん彼女は”チャーリー”のこと、彼の生き様や最期なんてこれっぽっちも知らない。
 
 この本を読んで思ったのは、絵に対する評価っていうのは結局のところなんなのだろうということ。好みの問題か、それとも誰かが高く評価したから大勢もそれに流されるに過ぎないのか、ほとんどの人は自分なりの評価なんて下したりはしないのか。流行やファッションと同じようなものなのか。どうして生きている間まともに評価されないなんてことがあり得るのだろう。人は生きている人よりすでに死んでいる人間に敬意を払うのだろうか。同じ絵でも、作者が生きているか死んでいるかで違うのだろうか。生死も含めて表現なのか、作品なのだろうか。芸術というものに世間がこうも”冷たい”反応を示すのは何故だろう。ストリックランドの死後の名声によって、彼の元夫人が取るこの態度は本当に愛情だろうか。この女はストリックランドに対する冷たい世間の態度を象徴しているのかもしれない。
 なんにせよ、どうして友人がこの本をぼくに勧めてくれたのかはなんとなくわかった。どうもありがとう。

 絵描きとか、芸術を志す人には是非お勧めしたい本。