2014/12/25

「さみしくなったら名前を呼んで」感想


 「ここは退屈迎えに来て」や「アズミ・ハルコは行方不明」を読んだときにも感じたことですが、とにかく山内さんの描く地方像や別に生まれ育った場所が嫌いなわけじゃないのだけれど、やはりどこか合わない気がして都会へ出て行って自分の可能性を試してみよう、自分の居場所を見つけようとする若者達の物語は、とても他人事とは思えません。生まれ育った地域性やそこで育ったからこそ形成された性格という、大変パーソナルな要素への共感は、真の意味での共感のように思えます。富山(とは明記されていませんが山内さんの出身地であり恐らく作中に登場する地方都市のモチーフ)と千葉の房総では細かいところがいろいろ違うと思いますが(海辺ではありますが港にロシア人が降りてくることはありませんし)、読んでいると「そうなんだよなあ」と思わず口に出して呟きたくなるくらい地方あるあるが盛り込まれています。
 今作では都会への憧れがより浮き彫りにされているように思います。「ケイコは都会の女」や「Mr.and Mrs.Aoki,R.I.P」はものすごく洗練されていて品の良い人達が実は東京生まれというわけではなく、地方の出身だからこそ隙の無い虚飾を身にまとって傍目には優雅に見える生活をしていたという、少し虚しく、なんとなく愛嬌を感じる物語です。実際田舎から出てきた人ほど都会人らしさを意識するというようなことはぼくも身近で目にします。この人、東京の細かい道にやたら詳しいな、いろんなところを歩き回っていろんなお店を知っているな、という人に限って地方出身者です。そもそもぼくも東京生まれの知人が少ないし、東京で生まれ育っている人だって東京の道順に詳しいこともあるでしょう。けれど両者を見比べてみると、前者の方は明らかに必死なのです。まるで東京を吸収しなければ死ぬ!とでも言うかのような必死さで、日々東京の街を勉強しているように見えます。人によっては自分の出身地を小馬鹿にしているなんてことも。これは「人の思い出を盗むな」に登場する語り手の姉ですね。地元を離れた途端故郷を他人事のように嘲笑する。山内さんの書く主人公達は地元地域に対して思うところはあるものの、別に地元が嫌いとか、馬鹿にしているわけではない。だからこそ愛されるキャラクター達なのだと思います。ケイコも川越を誇りに思っています。青木夫妻はどうかわかりませんが、「人の思い出」の姉のような感覚を抱いてはいないでしょう。この二人の場合は地元とも関わらないようにしていたかもしれませんが、同時に孤独故に都会とも対峙していたように思えます。東京を崇拝して田舎を嘲笑するような安易な性格は夫妻を描いた短篇からは読み取れません。
 出身地が謎に包まれ、東京で必要以上に洗練された都会的生活を営むことで逆に地方出身者臭さが出てしまう青木夫妻とは逆に、東京を置いてきて田舎でマイペースな生活をおくる東京出身の人々もわりと多いのではないでしょうか。ぼくの両親もそういうタイプだと思います。都会で生まれ育った人は都会人らしさになどそれほど執着しないのかもしれません。こういった反青木夫妻的な夫妻はぼくの地元にはわりと多かったような気がします。田舎に馴染みながら暮らしながらもあきらかに他の地域住人とは違った趣味の良さを持つ人々。そういった真逆の人々もいることを意識すると、青木夫妻の物語はさらに切なく、二人が愛らしくなります。
 話は戻って、この本の最後に収録されている「遊びの時間はすぐ終わる」もまた共感を呼び起こします。ジャスコに行くことを大冒険のように感じていたぼくにとってここに登場するショッピング・モール「セフレ」にまつわるエピソードは自分の身に起きたことのように思えますし、帰省した際に久しぶりに遊ぶ友達との会話やノリ、温度に明らかな差があり、どこか噛み合ない雰囲気も痛いほどわかります。別に上京して都会人になったつもりもさらさらなく、また上で書いたように「田舎を気に入ってそこで暮らす都会出身の人々」を介して都会を垣間見ていた身としては別に地元を嘲笑したり避けるつもりもないのですが、やはり相手との感覚のズレが大きいことにショックを受けます。18歳まで地元で暮らしてきた中でその感覚のズレはしょっちゅう感じていたのに、一旦上京したことでそれは一層大きくなってしまう。地元の知人の中にはぼくがいずれ戻ってきてこちらで暮らすのだと信じている人もいたりする。もちろん、だからといって「地元うぜえな」という気持ちにはなりません。まとまって休日が出来た際にはまた帰省してタイミングの合う人とは遊ぶでしょう。しかし、もともとの感覚のズレこそが多くの地方出身者を上京させるのです。そして彼らは都会に出ても結局他人とのズレを埋めることができずにやはり孤独になったりします。よく地方から出てきた人が「東京は冷たい」と表現したりするのはそのせいではないでしょうか。それは場所の問題ではなく、自分の性格の問題だったりするのかもしれません。孤独な人が大勢いて皆が曲解した”都会人らしさ”を演じることで、都会は冷たくなるのかもしれません。