2016/11/28 月
早朝の番組でデザインを担当したクリスマス・カードがお披露目される。テレビで自分の名前が読まれて音になるのにはまだ慣れないな。
風邪はこの日がピークだった。幸いにも発熱まで行かなくてよかった。メディケイテッド・ドロップとポカリスエットだけで直した、というとなんだか根性馬鹿っぽいけれど。
どうしようもなくだるいからかなり寝てしまった。取り掛かっている仕事についてはどれもラフ画を送ってオーケーが出ているので今週は清書版を描き上げるだけ。ところでイラストでも清書という言い方で合っているんだろうか。
2016/11/29 火
風邪がだいぶマシになったので具合が悪そうな振る舞いで妻の気を引けなくなった。
『ローグ・ワン』のチケットは木曜の正午から発売されるらしい。しかも最寄りの映画館で深夜にカウントダウン上映をするらしい。チケット争奪みたいなものが苦手なので競争を避けてフツーにのんびりと観たいとは思うものの、やはり気になるし「せっかくなら」という思いが湧いて来たりもする。「みんな」が「にぎやか」そうにしているのが見えてしまい胸をかき乱されるところは、SNSの苦手なところだ。ぼくもついていかなければ、なんてことをまだこの歳になっても思ってしまう。結局のところ自分抜きで人が集まって楽しんでいるということを知るのが嫌なのだ。
とはいえ、イベントなんかに行ったって別にそこにオタク仲間がいるわけでもなし、基本ひとりで過ごすのだけれど。で、知っているひとと会うわけでもないのなら、自分自身の素直な部分に本当のところを問うと、やはりイベントは行かなくてもいいかなということになる。家で、今頃「みんな」は騒いでるんだろうなあとぼんやりと寂しい思いをするのか、現地に行って「みんな」が楽しんでいる中にいながらもなんとなく寂しい思いをするのか。どちらがいいだろうね。そうして、「みんな」ってなんなのだろう。わりと誰でもある経験だと思うんだけれど、友達がみんな持っているからと理由で玩具を買ってくれと親にせがんだ際に母から「みんなってだれとだれとだれよ!」と言われ、はて、だれとだれとだれなんだろう、と思うあの感じである。なんとなくの疎外感から来る「みんな」なのだ。ましてや今ではその「みんな」はとんでもなく不特定多数である。一体ぼくは誰達から疎外感を覚えているのだろう。楽しそうにやっているところに加わりたくて仕方がないのだ。けれど、実際にその場に行っても結局寂しさを感じてしまうことはわかってる。わかっているけれど、また楽しそうなのを羨ましがる。
SNSで眺めている範囲がまるで全体のムーブメントであるように見えてしまうのも辛い。なぜだかそう見えてしまう。だから、SWが好きな人たちが盛り上がっているコミュニティの存在を知って、彼らがまるでファンの中心であるかのように感じて、まずい、あそこにいなきゃファンとしてダメでは?とか思っちゃう。あるいは、イラストレーターのひとが仲良くやっているコミュニティがあると知ると、やばい、あそこにいないってことはぼくイラストレーターじゃないんでは、とか思っちゃうわけ。馬鹿らしいことだというのは自分でもよくわかっている。ぼくはちゃんとSWのファンだし、イラストレーターである。文章だって書いている。創作もしている。ぼくは圧倒的に絶対的にぼくを構成しているのだけれど、人が集まっているのを見るとなにかが揺らぐ。ぼくが「個人性」を追求しすぎた結果、「集団」に対してコンプレックスがあるのか。そんなことで悩む暇があるなら自分の世界をもっと深めろと妻は言うし、このことを相談した友達はだいたいみんな呆れた感じで知らんわという具合だから、本当にはたから見たらくだらないことなんだろうなとは思う。こうなってくるとぼくも自分がなにに引っかかってるのかわからなくなる。単にSNSを使う上でよくある感覚なのだろうか。自分が通じてる分野において自分抜きでワイワイやっているひとたちへの嫉妬に尽きるのだろうか。
他人のことはともかく、夜中の上映に行きたいか行きたくないか、で言えばやっぱりどこかに行きたいというのがある。というか、行かなかったらきっと行きゃよかったなあってなるよね。チケット購入、挑戦だけしてみよう。
2016/11/30 水
試写で『ネオン・デーモン』を観る。『ドライブ』の監督作で注目されているらしい。真っ暗闇にネオン・カラーというコントラストが好きなひとなのかもしれない。ぼくはキャリー・マリガンもエル・ファニングもあまりタイプじゃないけれど、観終わったらなんとなくエル・ファニング好きのひとが、どこが好きなのかわかったような気がする。なんとなくだけれどね。でもまあ、オーロラ姫って感じではないと思う。
2016/12/01 木
仕事の打ち合わせに行く前に大急ぎでシネコンのサイトからチケットを買った。普通に買えた。余裕であった。ぼく以外誰もいなかったらどうしよう。
用事のあとで前から狙っていたモレスキンのバックパックと、来年用の手帳を買った。手帳はいろいろ見て行くうちにどれにしたらいいかわからなくなったので、今年使ってきたモレスキンのウィークリーに決めた。紙の質感やインクの乗り具合は全く気に入らないが、ドラえもんのデザインに負けた。いろいろな手帳を試したいとも思うが、スケジュール管理がメインなので、今使っているもので不便がなければとりあえず同じものでいいかと思った。バックパックとお揃いになるからいいだろう。アイデアや落書き用には、いろいろなノートを使ってみよう。なかなか使い切れずに、新品のノートばかり増えて行くが。
またしても持ち前の要領の良さでもってウィークデーの後半に作業が詰まってきている。それでも、結婚式の準備でだいぶキャパシティは増えたように思う。ひとつひとつの出来や精度を落とさないようにしなくてはならない。
2016/12/02 金
結婚式からあっという間に一ヶ月経った。あっという間に感じると同時に、もっと前のような気もしてくる。今月は異様に長く感じたりもした。寒いときは感覚も鈍くなるし時間もゆっくりのような気がする。まるで時計の針が凍りついてしまったように。ぼくの身体にとって冷えは脅威かもしれない。
試写で観た映画は『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』。ジェイク・ギレンホール主演。西川美和監督作『永い言い訳』に共通する作品で良かった。
観ている最中から、家族の死が恐ろしくなった。災厄や悲劇はいろいろあるが家族の死は遠くない将来確実に自分に訪れるものだ。ぼくが誰よりも先に逝っちゃわない限り、両親の死に立ち会うのは確実だし、年上の妻も先に発ってしまうことになるかも。恐ろしい。ぼくは残されることに耐えられるだろうか?そうしてそんな家族の誰よりもまず確実に先にいなくなってしまうのは犬だ。このあと10年以内、いや5年から7年くらいの間に彼は寿命を迎える。そんなに先のことではない。彼は来週には7歳になる。確実にその日は近づいている。「もしかしたら」「いつか」ではない。絶対にそのときが来るのだ。次なる大震災や世界大戦よりも先に、確かに間違いなく絶対やってくる。考えるだけでも寂しい。そんなことを考えながら犬の顔をみると、「まだここにいるんだが?」というような目をしている。周囲にも犬や猫を失ったひとが少なくない。みんなどうやって向き合うんだろうか?
この恐怖と関係しているのか、未来のことを考えるとクラッとする。2020年なんていう西暦を聞くたびにおっかなくなる。その年までぼくは元気だろうか?どうしても今日と変わらず暮らしていると確信できようか。それでいながら、ぼくは将来の自分の仕事について想像を巡らせたりもする(そこに正確な時期や日付は絡んでこないが)。未来は怖くもあり待ち遠しくもある。
2016/12/03 土
模様替えは本棚として使っている食器棚を分解して運んだが、男性ひとりではもとに戻せない重量だったので弟に来てもらって全て完了させた。これで万事オーケー。部屋もすっきりした。
弟は大学生なのだけれど、先日ファッション・スナップを撮られるも、全身ユニクロだったのでブランド記入用紙にそう書くほかなかったという話をしてくれて可笑しかった。可笑しい話だと思って笑い流したが後から思えば、すごいと言って欲しかったんだろうか。言ってあげればよかったな。でもそれ以上に同じページに載る子たちが可哀想だなと思ってね。
12月に入ってからはレゴ・ブロックのアドベントカレンダーを1日ひとマスずつ開けられるので楽しい。三日間SWのなにかしらを組み立てている。あと21日分もある。こんなことなら毎年買えばよかった。来年もやろう。以前は小さい細々としたものがいっぱい入っているだけだと思って興味をひかれなかったんだよなあ。このかわいらしさがわかるまで数年かかったんだ。
2016/12/04 日
この土日は仕事し通しで、特に月曜までに 作るものもあったのでだいぶがんばった。
描きすぎてちょっと手が痛くなったけれど、そこでふと思ったのは、今の筆圧のままで描き続けていいものだろうかということ。このままこの筆圧で描き続ければ年を取ったときにとんでもない目にあうのでは。できれば生涯現役で描いていきたいのだけれど。ジブリの監督などはほとんど手に力を込めないで描いていると聞く。せっかくなら一生にできるだけたくさん描きたいよね。でも、自然と筆圧かかっちゃうし、それくらい力を入れないと思うように描けないというのもある。それからぼくの場合はやけに肩に力が入っていけない。描きながらも悩んでしまうくらい。
そういえば結婚式直前に骨格矯正に行って以来、もともとは式に向けて姿勢を良くするために通っていたので、ひと区切りつけてしまっている。夏から二週に一度行っていたが、これで丸1ヶ月行ってない。どうりで身体の調子が悪いと思った。はやく骨を動かしてもらわないといけない。「皆さん式が終わると来なくなるんですよ。。。」とお姉さんが寂しそうに言っていた。ぼくはそんな連中とは違います、ちゃんとこれからは月1ペースで来ますよ!!と言っちゃったものの、いつ行こうか特に思いつかない。
2016/12/05 月
午前中でとりあえず送るものは送った。徹夜したときは時間の流れが早い。さっきまで早朝だったのが正午となり午後になっている。新しく移った部屋はテレビから遠いのでまたラジオを聴く習慣がつきはじめている。朝昼のラジオっていろいろな話をしているなあ。
今日は結婚式のアフター・パーティでも弾き語りをしてもらったアニー・ザ・クラムジーも出るクリスマスライブがあるので夜までに少し休んでおかないと、と思ったものの犬の散歩をしたりなんとなくなにかを食べたり、思いついたものを紙に描いて仕事中のフラストレーションを解消しているうちに日も傾き始めてしまった。さらにアニーちゃんへの差し入れにカードを描こうと思って筆を取っていたらもう出かける時間だった。本当はもっと遅くてよかったんだけれど、仕事あがりの妻と早めに渋谷で待ち合わせる予定だった。ロフトでお雑煮用のお椀とニワトリ(酉)の張り子を買った。張り子は破魔矢を加えているアホヅラのやつと、首が赤べこ構造でゆらゆら揺れるアホヅラのやつでとても迷ったが後者は動きがかわいいものの、大きさと色がかわいくないので破魔矢のやつにした。矢をくわえて焦点の合わない目で宙を見つめている。今思ったけれど、これ12年に一度しか飾らないんだよね。
アニーちゃんのライブはとても楽しかった。こういうのんびり観て聴いてられるのは良いなあ。クリスマス・アルバムは結婚式のときにプレゼントでもらったのでずっと聴いていてお気に入りだったけれど、ライブはより良い。アニーちゃんは、その名の通り堂々とした不器用さがかっこいい。ぼくもうまく描けないところはうまく描けないなりに堂々としよう。
長谷川町蔵先生と山崎まどか先生にも会えた。まどか先生に、レナ・ダナムの『ありがちな女じゃない』にサインをお願いすればよかった。新しいバックパックに入っていたのに。せっかく会えたけれど、いよいよ眠気で頭がぼうっとしていたからお見苦しいところを見せてしまったかもしれない。ありがちな失敗。
もちろん帰宅してすぐ寝た。アドベントカレンダーも開けずに。でも、あんなに素敵なクリスマス・ソングを聴いて、毎日アドベントカレンダーを開けられるって、良いクリスマスだなあ。