2016年12月30日

May The Force Be With Our Princess


 ぼくはキャリー・フィッシャーがいない世界をまだ生きたことがない。
 強い影響を受けて生きてきたわけではないのだけれど、やっぱりルーク、レイア、ハンを演じたひとたちは同じ世界にいて当たり前だと思っていたので、これから先いくらSWが続いても彼女はいないんだなあと思うと、ちょっと変な気分だ。この先SWがどのような物語になったとしても彼女は銀河系の運命を知り得ない。
 ぼくはキャストとのグリーティングの機会になど出かけたことはないし、会ったこともなければサインも持っていない。彼女との接点はなにひとつないし、彼女については知らないことのほうが多いけれど、彼女が去ってしまったという事実は、確かにぼくに言いようのない喪失感と空虚な気分をもたらしたと思う。胸にぽっかりとカークーンの大穴のようなものが開いている気分。そこはなにもない宇宙のように暗く、気をつけないとボバ・フェットのように落っこちてしまうかもしれない。気をつけないと、暗闇にのみこまれてしまいそうだ。
 『ローグ・ワン』という映画は、ぼくに希望とはなにかを教えてくれたばかりだった。ほんの少しでも、胸に抱くことができさえすれば、大きな原動力となる計り知れないもの。根拠がなにひとつなくとも、信じて心の支えにすれば強くいられるもの。映画のラスト、レイア・オーガナが一言だけ「希望」と口にして優しげに微笑む。劇中の全ての戦い、全ての犠牲がここに集約され、未来への明るい展望すら感じられるようだ。彼女自身もまた銀河を暗闇から救う「新たなる希望」だということを忘れてはならない。あの映画は第1作目が希望を抱き託す物語だったことを思い出させてくれたと同時に、レイア姫がその中心に立つ人物だったことも思い出させてくれた。
 キャリー・フィッシャーという人物の全てを、レイア姫という役に押し込めようというのでは、決してない。しかし、あんなふうに希望に満ちた役を演じた彼女は、やっぱりぼくにとって温かみと優しさと、知性を感じさせる女性なんだ。ぼくは素直に彼女の笑顔がとても好き。
 こんなにも寒く、冷たい夜が続く日々。時代が暗い方へ暗い方へと進んでいる中で、希望を象徴するような女性が立ち去ってしまったということが、どうしても重くのしかかってくる。この冬は暖冬になるなんていう話もあったけれど、ぼくにとっては思っていたよりも寒い日々になるかもしれない。それでも普通に年は明けて、キャリー・フィッシャーのいない最初の年をぼくは迎えなければならない。
 どうかぼくらの永遠の王女キャリー・フィッシャーとそのお母さんにフォースのご加護があらんことを。平和の惑星オルデラーンのように輝く星になりますように。遺された家族と、キャリーの愛犬ゲイリーが元気でいられますように。