子どもの出生届けや引っ越しに関しての手続きで役所に行く。役所に行くときというのはつい身構えてしまうけれど、案外すんなり済むことも多い。出直さなければ駄目かと思って冷や汗をかいたときも、なんだかんだ手を打ってもらえる。役所のひとだって人間なのだ。
単純な手続きを人工知能がやるようになれば、今のような融通はきかなくなるかもしれない。機械のお役人など、考えただけでゾッとするが、管理という仕事にはもってこいだし、ぼくが知らないだけですでに使われているかも。
ぼくたちはディストピア的未来を想像するとき、20世紀的な独裁者が支配する世界を思い浮かべるけれど、実際は誰か個人や特定の組織がその意志を持って支配するというよりは、人工知能が管理するゆえに融通がきかなくなった世界というのが、現実的なところじゃないかな。決して人工知能が意志を持って劇的に変わるとかそういうのではなく、もっと自然に、人工知能を使っていたらいつの間にかそうなった、みたいな未来だ。
なんてことをぼんやり考えていたら、妻がぼくの喉のあたりがやたら黄色いと言った。役所の壁の鏡で見ると確かに喉元から顎の裏あたりまで、戯画化された黄色人種というか、シンプソンズみたいに真っ黄色になっている。これじゃこのブログでも使っているアバターの自画像のようだ。
黄疸というやつらしいが、黄疸で検索するとガン関連の記事が出てきたりして、額のあたりにさくらももこのキャラクターみたいな縦線がつーっと走って白目になりかけたが、ぼくは先週親知らずを抜いたばかりで、まだ腫れが完全に引いていない状態であることを思い出す。かなり深いところから、砕きながら引っこ抜いたわけだけれど、縫合した跡にはまだ糸が通ったままだ。おそらくはそのあたりに通っていた神経に触れたらしく、はぐきのあたりの感覚が鈍くなった。
そういう親知らずの抜歯のあとでは、首のあたりに黄疸が出るものらしい。少し喉に違和感があるが、手術したあとが治っている証拠らしい。病気じゃなくてホッとして、なにもかもうまくいきそうなくらい明るい気分になったが、浮き沈みの激しさに妻が呆れた。
子どもの出生届は受理され、自分で考えた名前の漢字が初めて公的な書類に印字されるのを見て、不思議な気分になった。ジュンパ・ラヒリの小説のように自分の名前が嫌にならなければ、この子は一生をこの名前で過ごすのだ。もちろんゴーゴリのような名前でもなければ、父親のような独特な名前でもないだろうから、別に気にしないと思うが。