2019/01/15

とりあえずポケモンを描く




 なんだかんだポケモンを描くのは楽しい。やはりぼくはポケモン・キッズだったか。ゲームは、DSになってからのものもちょっとはやったんだけど、未だに名前がわかるのは第3世代くらいまでなので、もう少しいろいろやり込んでいきたい。最新作はもちろん、未プレイのものはかなり溜まっているはずだ。興味はあれどまだ手に取っていない本同様、これからの楽しみである。だいたいポケモンの名前が言えないなんてダサい。

 いずれにせよ、今も昔も最初の三匹というのは進化するとかわいくなくなるという様式らしい。進化してもかわいいままのやつだっているのにな。特にぼくは真ん中の段階のやつが一番かわいくないように思う。最初はかわいいし、最後もかわいくはないにせよインパクトや完成さがあるんだけど、真ん中は真ん中だけあってどうも中途半端な見た目だ。これが三部作映画だったら真ん中の作品は名作になることも多いのに。リザードとか全然好きじゃなかったなあ。思えばこれまでプレイしたタイトルでは一度も最初に炎タイプを選んだことがないと思う。絶対に草か水を選んでいる。モチーフの動物がそっちのほうが毎回好きなやつ、ということもあるだろうけれど、なんとなく炎は敬遠している。真上に向かって炎を吹いて、翼と両腕を広げた堂々たるリザードンのイラストを初めて観たときは、子どもながらに魅力を感じはしたが、どうもその熱いイメージが、これから冒険をしようっていうときのお供に選びづらいのだ。今度未プレイのものをやるとき、試しに選んでみようか。
 
 ふとプライム・ビデオでアニメの第1シリーズを見返し始めたら、なんとも言い難い感情の波のようなものが押し寄せてめまいがするようだった。単純な懐かしさだけではない。あの無限とも思えた時間の感覚や、毎日少しずつ違うことが起こることの楽しさや未知への恐怖、色の洪水、嫌だったこと、夕食の時間、13インチくらいのブラウン管の光、大嫌いなあいつら、好きなひとたち、ソフトビニールの匂いとか、そういうものが一気にやってきて強烈なものを感じた。子どもの頃夢中だったもの(今でもだいたい全部好きなんだけど)はほかにもたくさんあるが、こういう感覚がやってくるものはポケモンのアニメくらいからしかない。ほかのものは大人になってからもちょくちょく摂取しているせいかもしれないし、ポケモン第1シリーズは放送当時以来観ていないからかもしれないが、とにかく強烈だった。芋づる式に記憶が蘇ってきてそれはもちろん嫌なことも含まれているけれど、なにか逆に新鮮なものを感じた。感覚の中でも特に匂いは記憶を呼び起こすというが、なんだろう、この場合は単に視覚が記憶と繋がっているだけではないような気がする。毎週欠かさず観ていたわけではないので、途中観たことがない話も多いのだが(そもそも第1話からも観ていない。ゲームで炎タイプを避けてきたのに対し、アニメ版で最初に観たエピソードはヒトカゲと出会う回だった)、はっきりと見覚えのあるエピソードはこれを観たとき自分は部屋のどのあたりに座ってテレビを観ていたのかとか、空間の感覚が一気に戻ってくるようだった。さすがに晩御飯までは覚えていないが、その時期の自分がどういう暮らしをしていたのか、日々の楽しみはなんだったのか、そういうものが思い出された。大抵の場合懐古に走るのはみっともないことだとされがちだが、もともと自分がなにを好きだったのかは忘れたくない。そうしてそれは今の情報の多さの中にいると簡単に忘れてしまう。迷ったらスター・ウォーズかポケモンを描けばいいのだ。

 ちなみに問題の第38話はプライムの一覧にも当然無い。視聴不可能にして永久欠番。でも最近ポリゴンのぬいぐるみとか見るようになったね。あいつに罪はないもの。