2019/08/01

「ペンギンの憂鬱」感想


 そのタイトルと装画から気になっていた本。いざ読んでみたらその可愛らしいイラストからは想像できない展開に冷や汗が出るほどだった。売れない作家と憂鬱症のペンギンによるちょっと不思議な生活、程度では全然ない。不思議というより不穏で、得体の知れない危うさが徐々に迫ってくる感じがとても怖い。
 
 舞台は1990年代、連邦の崩壊による混乱と不安定が続くウクライナの首都キエフ。芽の出ない作家ヴィクトルは旧知の編集長から新聞の死亡記事執筆を依頼されるが、それはまだ存命中の人物の死亡記事を、いざというときのために準備しておくというものだった。短編以上を書いたことのないヴィクトルには、これがなかなか調子よく書ける。調子よくなってきたヴィクトルの傍らには、経営難の動物園からもらってきた皇帝ペンギンがいる。最初のうちはこのペンギンに大した意味はないのだが、だんだんどこか張り詰めた雰囲気の中、数少ない息抜きをもたらすモチーフとなっていく。

 ついにストックしてあった追悼文が必要となったとき、ヴィクトルの物語は動き出す。気のいいお巡りさんと仲良くなったかと思えば、怪しげな男から幼い娘を預かることになるし、その子を見てもらうためにシッターとして雇ったお巡りさんの姪と関係を持つことに。編集長は誰の追悼文を書くのかをどんどん指示してくるものの、状況を説明してくれはしない。ヴィクトルはどんどん書き、人がどんどん死ぬ。死亡記事と人々の死との関係について、嫌な予感がしてくる。

 それはともかく、コーヒーを淹れてひたすら原稿を書き続ける様子は、読んでいて楽しい。こんなふうに仕事ができたらいいなという感じがする。いつか長編を書きたいという夢を持ちながらも、匿名で追悼文を書くという仕事にプロとして取り組む。将来への不安に対し、自分は今回り道をしているのだと言い聞かせたりする。短い追悼文の中に、書かなければならない情報と、文芸性みたいなものを両立させるコツを掴みはするが、恐らくそれほど才能のある人物ではない。そういう地味な造形が好感を抱かせる。

 死亡記事作家は自分の人生が自分の知らないところで動かされ、なにかに利用されていることに苛立ち、不安を覚えるが、目の前にある風変わりだが温かみもある生活と、とりあえずは向き合っていくことになる。どう見てもなんらかの陰謀に巻き込まれているけれど、預かった娘ソーニャと憂鬱なペンギンとの日々のディテールみたいなものが楽しくもある。というか、それがなかったらきっとひたすら怖いだけだし、それがあるから怖さが際立つとも言える。この生活が壊れたらどうしよう、ソーニャに危険が及んだらどうしようという不安がつきまとうようになるのだ。本当に怖いのは、得体の知れないもの、そして抗うことの難しい強い力によって日々を牛耳られることだと思う。ヴィクトルの日常にはその両方が潜み、彼からその全容が見えることはない。そんな不穏さの中、ペンギンというモチーフが効いてくる。やっぱりペンギンが好きだなぼくは。