2019/08/12

気づけば10年

 この8月でツイッターを始めて10年になるらしい。もう具体的な状況は覚えていないけれど、ツイッターのプロフィール欄に2009年8月から利用していると表示されているのでそうなのだろう。確かフィギュアの情報を追いたくてメーカーのアカウントを見るために始めたのだと思う。それが、今ではどちらかといえば自分から見せるために使っている(フィギュアの情報も見てるが)。簡易的な発表の場として十分に機能しているし、いろいろなひととも知り合えたが、じっくりなにかを書くというのは、やはりブログにしておきたいと思う。なにか書きたいことがあったとき、140字の制限に合わせてコンパクトに圧縮して書いてしまうのはもったいない気がするし、見ているとどうもそうした短文ゆえの誤解とズレから言い争うひとも多い。というか、そんな字数制限の中に言いたいことを思ったように伝わるように書くのはかなり難しい(いくつも書き足していったとしてもひとつひとつの幅に限りがある)。書きたいことは書きたい量書いたほうがいいのだ。自分も気をつけなければいけないが、短文を書き続けていると思考まで短文に合わせたものになってしまうような気がして恐ろしい。これは個人的な体感だけれど、携帯デバイスから書くというのも、それに拍車をかけているように感じる。出先で思いつきを書き留める、その手軽さが安易さに繋がって、不用意な言葉になることもあるだろう。まあなんでもいいが、言葉は丁寧にしたい。

 まさかこんなふうに喧嘩の道具になるとは思わなかった、と言えば嘘になるが、少なくとも目に余るものがある。見たくもなければ関わりたくもないが、そう書くとまるで高みから見物しているようにも取られそうなので難しいところだ(すでにだいぶ自分のことを棚に上げて書いているが)。知らないふりをするしかない。そもそもが他人の独白を読むものであって、それがだんだんきつくなってくるのであれば、それは向いていないということになるのかもしれないが(しかし他人の愚痴や不平不満を読み続けるのに向いている人間がいるのだろうか)、使い方はそれぞれなので、できるだけきつくならないよう工夫しておけばいいと思う。自分でもどこかでやらなければいいと思うところもあるけれど、きっぱりやめてしまう必要も特にないというか、なんとなく続けてるうちに10年経ったというわけだ。それに、もはややめるとか続けるとかいう話でもないと思う。ほかに取って代わるものが現れない限りは残しておきたい。