2016年4月28日

台湾旅行記(2)




 お菓子の包装がとにかくどれも凝ったデザインで、憎いくらい可愛らしいものばかりだったのが印象的。お茶っ葉の缶も洒落たものばかり。植物や蝶をあしらった、派手だがくどくない鮮やかさはいかにも「フォルモサ(美しい島)」という名にふさわしい。
 ぼそぼそしたお菓子が多いのは湿度が高いからだろうか?アイスクリームのトッピング(むしろアイスクリームの方がトッピングでは?)には本当に驚いた。


 大人になるとある程度の味の好みが決まってしまって大人と特権として好きなものしか食べないというのがあるので、なかなか馴染みのない味に出会うことが少なくなってしまう(ぼくはわりとなんでも食べるほうだけれど)。しかし、国によってよく使う香辛料が違い、香辛料が違うということは料理も別物で、人々の味の好みだって全然違う。これだけ世界的にチェーン店が台頭していても、やっぱり外国というのは味やそれに対する考え方まで違うのだ。ひとは「知らない味」に出会うために外国に行くのかもしれない。それは子供の頃散々経験したと思いきや(大抵のひとは自分の家庭の味付けしか知らないものだから、実はそんなにたくさんの味付けを舌が覚えてはいないのではないかとも思うけれど)、大人になってもまだ未知の風味を味わえるのはとてもエキサイティングなことだと思う。
 書店で人々が床に座って静かに本を読んでいる光景を見たときは、自分の国ではそれが行儀の悪い行為だとされているにも関わらず、言い知れぬ安心感を覚えた。とても不思議な感覚だった。誰も互いのふるまいに目くじらを立てたりせず、そこにはただ本を読みたいひとにとって居心地の良い空気が満ちている。ぼくが本が好きなのに書店で一種の苦痛を覚えるのは、ずっと立ってなければならないというところ。あまりゆっくり本を選ぶ気になれないのだ。誠品書店ではどこか邪魔にならない端のところに座ってその本が自分の欲しいものかどうかゆっくり考えられる。
 こういったルーズでゆったりとした空気は、お店もお客さんも信頼しあっているからなんじゃないだろうか。信頼というのが大げさなら、「任せている」といった感じか。街を歩いていても感じたけれど、全体的になにに関しても「自己責任」という空気があって、だから皆自分で判断して行動しているように感じる。東京がそうじゃないっていうわけじゃないけれど、ぼくらのほうは少し余裕がないかもしれない。相互監視と言うとまた大げさだけれど、自分で考えて行動しているというよりは、許されていることしかしていないというか。外国からは自分の暮らしているところがよく見渡せるんだなということがわかる。