2019/12/17

SW来日イベント


 ちょうどワールドプレミアをやっていたようだけれど、先週参加させていただいた来日イベントについて。レッドカーペット・イベント自体初めてな上にやってくるのがSWキャストたちとあっては舞い上がらずにはいられない。会場内はもちろん一歩外に出た場外にも見物客がたくさんいて、さすがはSW。最初に入ってきた車から真っ白な衣装に身を包んだデイジー・リドリーが現れたときの興奮と言ったらいちいち説明してなどいられない。だけどあえて書くなら、ああ、やっぱり本当にいたんだなという感じ。いや、いることはわかってる。映画だということは百も承知、キャストにしたって他の出演作を観てはいる。しかし、SWという衣をまとって現れると、途端に現実感が揺らいでしまう。おそらくは今回の『スカイウォーカーの夜明け』での白い衣装をイメージしたようなお召し物だとは思うけれど、ぼくはどこか『新たなる希望』のラスト、英雄たちに金メダルを渡すときのレイア姫を連想した。セレブレートにぴったりな衣装。ただならぬ輝きを放っていた。

 レッドカーペットというのはなんとなく一直線にずっと敷いてあるようなイメージだったけれど(本場ハリウッドでのイベントではそうなのかもしれないが)、今回は会場内でぐるりと回ったコースになっていて、一見大した距離には見えないけれど、それでもメディアのカメラの前に立ち止まっては丁寧にコメントし、一歩歩けばファンの声に応え、また別のメディアにコメントする、というのを繰り返しているとなかなか前には進まず、なるほどレッドカーペットというのは結構時間のかかる道なんだなと知る。アンソニー・ダニエルズ、ジョン・ボイエガ、オスカー・アイザック、と次々キャストがやってくると、もうデイジーが今どこを歩いているのかよく見えなくなる。おそらくあの一際人だかりの大きいところがそうだろう、といった感じ。

 そういうわけで最初にデイジー・リドリーがコースの一番最後にあるマスコミブースにたどり着いたのは結構な時間が経ってからだけれど、不思議と長くは感じなかった。待ち遠しかったことは確かだが、待っている間の一瞬一瞬まで楽しい時間だった。それに長い道のりを歩き終えたスターたちの顔に全然疲れた様子がないのがすごい。さらにそのあとステージにあがって全員揃っての挨拶。ひとりずつでもフォースが強かったが全員並ぶと結構な迫力である。なによりこんな豪華な面々が揃ってやってきてくれたことに感激する。映画でもようやくレイ、フィン、ポーの主人公たちが揃って画面に並んでくれるわけだが、それがぼくの目の前でも実現しているのだ。『フォースの覚醒』公開からまだ4年しか経っていないが、この3人はもう立派なSWのヒーローたちである。

 そして初めてレッドカーペットを見物してわかったのは、柵の中でスターたちを待っているファンも相当タフということ。というかぼくも含め会場内ほとんど全員立ちっぱなしである。最初に書いたように場外から熱い視線を送っている大勢も同じで(途中で雨が降り出しても人が減る様子はなかった)、ああいうパワーを目の当たりにすると、こういうイベントはみんなによって出来ているんだなと思う。カーペットの両側で微動だにせず立ち続けていたトルーパーのひとも本当にお疲れさま。


 続いて翌日の記者会見。印象的だったのはやはりみんな口を揃えて「終わるのがさみしい」ということ。ぼくだってさみしいよ。しかし作っている側のさみしさというのは単にシリーズが終わるというだけではなく、毎日通っていた現場にもう行けないこと、そこで会っていた人々との仕事が終わってしまうということを意味し、それを聞かされるとSWと言えど仕事なんだなあと思った。それからアンソニー・ダニエルズの「あと数日で映画の内容を秘密にしなくていいと思うとほっとする」という発言も、なるほどと思った。そういうプレッシャーももちろんあるのだろう。そしてそれを聞いて、そうか、あと数日なんだと自分でもわくわくした。2年間、いや、『フォースの覚醒』公開の時点、もしかするとシークエル三部作制作発表の2012年からずっと待っていた結末が、あとほんの少しで明らかになるのだ。

 でもそのあとは?オスカー・アイザックの言うように公開されたら本当に終わりが来てしまうのでは?ドラマや次の三部作の話はあるけれど、このシークエル三部作は確かに終わってしまう。しかし、少なくともぼくは完結しただけでは本当には終わらないと思う。今と当時とでは感覚も状況も違うかもしれないが、2005年の夏、『シスの復讐』を観たあとのほうが熱を強く感じていたような気がする。知りたかった物語の全容がわかった上で想像が膨らむという面があった。映画館で観てきたものを頭の中で反芻し、さらに大きくしていた。子どもの頃のような想像の遊びは今ではしづらいかもしれないけれど、それでも大人になってから追い続けたこの三部作のこともずっと思い返し続けるだろうと思う。ぼくにとってSWのシリーズで断絶のようなものはない。全ては糸で繋がって、この先にも続いている。

 出演者や作っている人たちを間近で見て、当たり前のことだけれど生きた人間を実感した。彼らの姿、話していることを見聞きして、改めて自分はシークエルが好きなんだなとわかった。シークエルはとにかくいろいろなことを言われるが、作っている側も大変だろうということは言うまでもない。ぼくの思い込みかもしれないが、監督や社長の顔にはどこか大変な仕事を経験してきた疲れや、それが終わったことによる安堵のようなものがあったような気がする。楽しいことばかりではないだろう。むしろ大変なことばかりだと思う。ハットのように重い責任がのしかかっていることは当人たちが一番よく知っている。共同脚本のクリス・テリオがふと漏らした「喧嘩をしながら脚本を作った」という一言はずっしりと来た。一体どんな「喧嘩」を経て物語が完成したのだろうか?それを目の当たりにするのも、もう今週中のことである。終わるのはさみしい。しかし、これで9部作のサーガがついに完成し、「宿命の環が閉じる」と思うと、ずっと好きでいてよかったなと思える。














 あとは夜明けを待つばかり。