2018/04/23

営業報告




 「飛ぶ教室」2018年春号(光村図書)では、
 ひこ・田中さんの短編への挿絵を描かせていただきました。
 教室の絵は大変ということがわかりました。



 これはまだ少し先ですが、6月に立東舎より刊行される「村上春樹の100曲」の装画を描かせていただきました。
 小説に登場する音楽について読み解く解説書です。
 お楽しみに!



 犬向けノミ・マダニ駆除薬「クレデリオ錠」(Elanco)の広告イラストを描かせていただきました。
 ペット関連の仕事ができるのはうれしいです。
 モンスター風のダニが怖すぎる気もしますが、犬の耳の内側にびっしりダニが食らいついた写真を見たときの恐ろしさと不快感を考えると、これでも足りないくらいでしょう……。




 「SPUR」2018年6月号(集英社)「銀幕リポート」第27回では、ルカ・グァダニーノ監督、ティモシー・シャラメ&アーミー・ハマー主演作『君の名前で僕を呼んで』を紹介しています。




 「婦人公論」2018/5/8号(中央公論社)のジェーン・スーさん連載「スーダラ外伝」第26回挿絵を描かせていただいております。




 「小説NON」2018年5月号(祥伝社)では、原宏一さんの連作への挿絵を描かせていただいております。


2018/04/16

『スリー・ビルボード』(2017)


 どこか行き詰まってしまったような田舎町、それでも生きるしかないのだということを見せつけてくる登場人物たちは、みんな熱い。主役の三人は言うまでもないけど、脇をかためるピーター・ディンクレイジやルーカス・ヘッジズ、窓から落とされてとんでもない目にあってしまうケイレブ・ランドリー・ジョーンズまでもがどこか清々しい感じがする。

 ルーカス・ヘッジズの役どころに既視感があるのはもちろん『マンチェスター・バイ・ザ・シー』。難儀な長男役のイメージがついてきたけど、メジャー・デビュー作は『ムーンライズ・キングダム』で、バイクにまたがって主人公を執拗に追い回していたあの意地悪な少年である。サムとスージーのロマンチックな逃避行を邪魔するもスージーのハサミで傷つけられ、後半は松葉杖ついてまで憎まれ役を続けるあいつだ。
 『マンチェスター〜』ではそのスージー役だったカーラ・ヘイワードがルーカスの彼女役なのだからおもしろい。そして、『ムーンライズ〜』でそのスージーの母親役だったのが、本作『スリー・ビルボード』の主役フランシス・マクドーマンドなのである。『ムーンライズ〜』で刺され、『マンチェスター〜』では刺された女の子と恋仲に、本作で今度はその子の母親と親子になっているというわけ。難儀である。

 それにしても小さい町というのは本当に誰も彼も知り合いで、噂などが広まっていくのが本当に早いなあ。警察署長が癌である、という全く公言されていないことでもみんな知っているくらいだから、大きな看板3枚に貼り出された言葉はさぞ強烈だろう。そこに書かれている内容以上に、その情報の強さもまた住人たちにショックを与えたんじゃないかな。不満や批判を具体的な言葉で目に見えるところに貼り出す、というのは、目に見えない形で情報が行き交い、周知の事実を口には出すことが憚られている小さな町では、かなりの暴挙なのかもしれない。

 ショックと言えば、歯医者のシーンが地味に怖い。このあいだから歯医者に通っているので、どうしてもあのシーンを思い出してしまう。まあ、被害を受けるのは歯医者の方なのだが。

2018/04/06

4月になってひとやすみ

 ようやく4月である。怒涛の3月だった。とにかくすごかった。平日がほとんど全部締め切りのような感じだった。
 忙しいと、余計なことを考えずに済むし(とは言えなにかしら思い悩んだりはするのだが)、好きなことやりたいことも、限られた時間の中でかえって集中して取り組めたりするので、いい。ただ、もう少しやり方を変えたほうがいいかもしれない、と思ったところがいくつか出てきた。仕事の進め方というのは人それぞれ、必要に迫られて出来上がっていくものだなあ。



 春に向けて買ったもの。マリメッコのショルダーバッグ、ベルトが磁石でくっつく「2015年」みたいなナイキ。ここ何年かはスニーカーはナイキかヴァンズである。久しぶりにコンバースも履きたいが、犬の散歩が習慣になったため脱ぎ履きが楽な靴を選ぶようになってしまった。


 留め金のマグネットがかちゃりとくっつく音もいいし、黄色いところも最高だ。ただ、生地が薄めなのですれて破れてしまわないかが心配。犬の散歩には使わないな。
 バッグの方は、これくらいの大きさのものが無かったから助かる。これまで仕事向けの鞄が数種あるだけで、遊び用のものがなかった。ぼくは財布が大きめだし、出かけるときはなにかしら本や筆記具が欲しいので、手ぶらで遊びに行くということができない。仕事の荷物以下、手ぶら以上の鞄が欲しかったのだ。たとえば、ディズニーランドに行くときにこういうのが必要になる。アトラクションに乗るとき、いちいちバックパックを下ろして前に抱えて乗るのは非常に億劫だ。ましてやポップコーンの容れ物とかも持っているのだから、鞄は小さい方がいい。以前、リュックを背負った上にポップコーンバケツも下げてタワー・オブ・テラーに乗ったときはとても邪魔くさかった。邪魔っけすぎてうまく手すりをつかめないほどで、あのアトラクションはなんと身体が座席に固定されたりしないので(!)手すりにつかまっていないともう魂がタワーの上の方に取り残されてしまいそうになる。だから小さめのバッグが必要。



 恥をしのんで言うけど、ぼくは今まで『スター・ウォーズ』のソフトを全作揃えたことがなかった。子供の頃、シリーズにはまり出したときはテレビ放映の録画VHSを観ていて、『クローンの攻撃』や『シスの復讐』などリアルタイムで公開された作品だけDVDを買っていた。残りの4作は全て放映版の録画を観ていたというのも、今思えばすごい。

 このたび6部作ブルーレイボックスを買って、とりあえず全作流してみて思ったのは、やはり全部手元にあるといいな、ということと、6作で完結しているのもちょうどよかったなというところ。綺麗に環が出来ている。もちろん新シリーズも好きだけど。

 それにしてもジャケットの絵がいまひとつ。ディスクにもキャラの顔が刷ってあるんだけど、それもなんだか変な組み合わせで、アートそのものもあまりよくない。思えばDVDのジャケットもなんか変だったよね。公式なのに何故かコラ画像みたいな。劇場用ポスターとも違う微妙なグラフィックだった。

 普通の映画みたいに、劇場用ポスターで通せばいいんじゃないかとも思うけど、このポスターというのも実はあんまり統一感がない。プリクエル3部作と旧3部作特別篇は同じひとが同じように描いているのでまだ一貫性があるけど、旧3部作を劇場用ポスターで合わせると結構バラバラな印象。旧3部作はそれぞれタイトルのロゴも結構違うのも気になる(昔は1本ずつの映画として確立されている感じだったのだろうし、ロゴ自体はかっこいいんだけど)。いや、そんなこと言うと今やってるシリーズも含め全シリーズでロゴはバラバラなんだけど。エピソード9が公開されたら、また9部作ボックスが出るだろうから、そのときはジャケットやロゴのデザインを綺麗に統一してほしいなあ。もっと言うとエピソードの番号もつけるのかつけないのかはっきりさせたい。まあ、バラバラでゴチャゴチャなところもSWらしいと言えばらしいのだが。あまりなんでも統一感、一貫性を持たせても、かえってつまらなくなるかもしれないし。
 
 春からは、もう少し真面目にSWのことを考えていきたい。今まで不真面目だったのかというとそういうわけでもないのだが。というか真面目も不真面目もないんだけど。とりあえず邪念を捨てて、初心に帰ってもっとフラットに、ピュアにSWを楽しみたいと思った。
 たとえば知識のリセット。って、一度知ってしまっている以上難しいけれど、知識を重視しないことで、自分は別にそこまで知らない、という気分にはなれる。自分には結構知識がある、そう思うだけでいろいろな不満が出てきてしまう。知識をそこまで重視しない。そもそもそれが知識なのかどうかも怪しい。そういうふうに切り替えた途端に視界がひらけたような気がしたのだった。
 とりあえず、映画を観て、絵を描いて、おもちゃで遊びたい。


 半蔵門で試写があったあと、なんとなくそのまま神保町に行ってみた。しばらく行ってなかったけど、別に大して変わりはなかった。ただ、たぶんここは本屋だったよなという場所が飲食店に変わってた。うちの近所でも古本屋が潰れて、跡地に店員の野太い大声が飛び交う感じの居酒屋が出来たときも、結構ショックだったけど、神保町でさえも同じようなことが起こるとは。
 それにしてもあの手の居酒屋というのは全部同じに見えておもしろくない。もうちょっと違いがあればいいんだけど。あと、あまりにも飲食店だらけだと歩いているだけで胸がいっぱいになったりする。
 初めて訪れた商店街などで、ここにはなんでもあるな、と思っても、よく見たら書店が一軒もない、なんてことも結構ある。本屋が減っている、ひとが本を読まない、などとイメージだけでやたらと悲観的になるのも嫌だけどね。今度住むところにはちゃんと書店があるといいな。

2018/04/05

Pen+『みんなのスヌーピー』


 2016年のスヌーピー特集号が増補決定版として登場。
 当時描いたイラスト記事も再掲載されています。
 この機会に改めてご覧いただければ。




 それまでキャラクターの名前とアニメで観たストーリーくらいしか知らなかった「ピーナッツ」に興味を持つきっかけとなった仕事でもありました。
 また自分でなにか描いてみようかな。
 増補版なので、新しい記事も満載で非常に読み応えがあります。
 手元に置きたい一冊です。

営業報告




 アエラムック「HAKUTO」(朝日新聞出版・非売品)にイラストカット描かせていただいております。月面探査レース「Google Lunar XPRIZE」に参加予定だった日本代表HAKUTOのミッション内容がイラストで解説されています。珍しくリアル宇宙の仕事でした。
 『スター・ウォーズ』の劇場パンフレットのような雰囲気でかっこいい本です。



 「映画ナタリー」3周年記念ページのヘッダー・イラストを描かせていただきました。この3年間で印象的な映画のイメージを詰め込みました。あなたの印象的な作品はなんでしょう。





 「SPUR」(集英社)2018年5月号の「銀幕リポート」第26回ではトッド・ヘインズ監督最新作『ワンダーストラック』を紹介させていただきました。前号の『シェイプ・オブ・ウォーター』に続き手話への興味がわく作品。声高な世の中、物言わぬヒロインの魅力が際立つのかもしれない。




 「婦人公論」(中央公論社)2018/4/10号ではジェーン・スーさん連載「スーダラ外伝」第25回の挿絵。3コマ風。




 「小説NON」(祥伝社)2018年4月号では先月に引き続き原宏一さんの連作に挿絵を描いています。

2018/03/18

大人になる前の最後の抵抗

 どうやらぼくは父親になるらしい。生まれるまで書かなくてもいいかなとも思っていたんだけど、さすがにそろそろ日常について記す上で触れないではいられなくなってきた。もはや妻の体調や膨らんだお腹が生活の中心となっているので、それに触れないということはブログに書くことがいよいよなくなる。それに、せっかくなら今くらいの時期のことを書き記しておくのも悪くないだろうというわけ。

 と言っても、子供が生まれる、というそれ以上はあまり書くことがないんだけどね。そもそも初期の頃から妻の体調がよくなく、つわりがひどすぎて入院までしたほどだったので、そういった慌ただしさもあってなかなか能天気な調子になれなかった。この先どうなるかというのもわからないから、おおっぴらにする気にもならなかったというわけだ。なんと言ってもひとの身体のことだから、事細かにそのプロセスを誰でも読めるところに書くのも憚られた。

 しかし、そろそろ秒読み段階に入るので、気をつけながらなら多少のことは書いてもいいだろうという許可を、自分に下したというところである。というか、妻のことはともかく、ぼく自身にある変化(退化と言えなくもないが……)が見られたので、そのことを話しておきたい。

 ぼくが小学生時代以来久しぶりにポケモンのゲームで遊び始めたことは、このブログやツイッターを読んでいるひとなら知っているだろうけど、問題はそこだ。なんで急に小学校の頃遊んでいたものに手を出したのか。『スター・ウォーズ』のように慢性的(?)に夢中なものは別として、子供の頃遊んだもの、好きだったものに妙に惹かれるようになってしまったのはどうしてだろう。しかも、なにを思ったのか『ハリー・ポッター』の古いハードカバーを引っ張り出してきて読み返し始めた。挙句の果てにはアヴリル・ラヴィーンやパラモアの初期の曲など聴いている……。

 平成最後の年に、親になるのを目前にして急にティーンに戻ろうとでも言うのだろうか。みっともないことこの上ないが、一種の防衛本能のようなものだろうか。いよいよ本格的に大人になってしまう前の、最後の抵抗とでも言うような……。

 元号が変わるタイミングというのもなにか巡り合わせを感じずにはいられない。自分が生まれ育った元号が終わるということは、子供時代といよいよお別れするということではないか。今までは子供の頃と地続きの感覚でいたけれど、一つ前の元号の(しかも一桁)生まれとなればそうはいかない。そんなタイミングで親になるというのは、これはもういい加減に大人にならなければならないという通告のような気がする。

 まあ、そこまで恐ろしいわけではないけどね。ぼくはたぶん子供ができようがその子が成人しようが、いつまで経っても人形遊びが好きな、うんこ漢字ドリルで大笑いする人間のままだろうと思う。それはそれで恐ろしいのだが。
 
 子供時代のコンテンツを改めて楽しんでいるのも、懐古に走っていると言われればそれまでだが、なにかこう、初心を思い出すというか、知識が増えるとともに薄らいでしまった、もともと自分はどういったものが好きだったかという感覚を思い出すようで、それはそれで時に必要なことだろうと思う。特にぼくのようなタイプはそういう充電が頻繁に必要なのかもしれない。


 こんなかわいい柄の服があったりする。ぼくが着たいくらいだ。犬の表情が恨めしげ。犬の嫉妬心をどうフォローすればいいかというのがいちばん悩ましいかもしれない。
 ちなみにこの数ヶ月の間、初めて会ったひとから「お子さんは?」と聞かれた際にまだ生まれてはいないので「まだです」と答えていたんだけど、妻が言うにはそれは軽く嘘をついていることになるらしい。嘘ついてすみませんでした。聞かれたことを聞かれた形でしか答えられないのです(「ご予定は?」とか聞かれていれば答えようがあったのだろうなあ)。

2018/03/16

山田詠美さんの新刊エッセイ集「吉祥寺デイズ: うまうま食べもの・うしうしゴシップ」装画を描きました



 「女性セブン」誌上で山田詠美さんが連載中の「日々甘露苦露」から95篇を収録したエッセイ集、「吉祥寺デイズ: うまうま食べもの・うしうしゴシップ」(小学館)の装画・挿絵を担当しています。
 全95篇というボリューム感が伝わるような、にぎやかな絵になっていればと思います。だんだん物がたくさん飛び出しているような構図が上達してきたような気がする。
 お出かけするお話も多いので、旅行用トランクから飛び出しているという絵なんですが、黄色いトランクはぼくの私物で、映画『ムーンライズ・キングダム』でもお馴染みのヴィンテージのアメリカン・ツーリスター。アメリカのお話やイメージもあちこちに散りばめられているので、ちょうどよかった。

2018/03/10

ハリー・ポッターのカバーを考える




 やはり最初の3巻がおもしろい。『ハリー・ポッター』との出会いは10歳の夏休み、父の知り合いのペンションかなにかを訪ねた際(泊まったわけではない)そこの暖炉の上かなにかに紺と赤と深緑の三冊が並んでいるのを見かけたのがはじまりである。8月の終わり頃で外は明るい曇り空だった。あの明るめの曇り空のイメージは今でもこの作品と結びついている。
 3巻までは比較的のんびりしているというか、魔法の世界観を紹介するための日常感が強い。もちろん1作ごとに冒険と対決があるんだけど、まだ宿敵との直接対決には至っていない。4巻でヴォルデモート卿が復活を果たし、それ以降学校での日常をのんびり描くような余裕はどんどん減っていくし、シリアスさの度合いも強くなっていく。最初の3巻は4巻以降の戦いへの序章と言ったところだ。
 ファンタジーとしてのかわいらしさに満ちているのも、最初の3巻まで。そのあとももちろん不思議な世界が描かれるが、つねに暗さや血生臭さはついてまわる。映画版のほうも同じで、3作目まではポップなファンタジーという雰囲気がある。最初の2作はクリス・コロンバスによる温かみのある世界観で、3作目はメキシコ人監督アルフォンソ・キュアロンがポップとダークを両立した色彩で描いて見せた(ちなみに同じくメキシコ人監督のギレルモ・デル・トロも3作目の監督候補だった)。キュアロンの作風は原作者にとってはいただけないものだったようだけれど、ファンからは前の2作よりも原作のイメージに近いとして受け入れられたとか。ぼくも3作目の雰囲気は好きだが、確かに少しクドい部分はあるかも。いずれにせよ、コロンバスによる2作の雰囲気は、まだまだ魔法の世界に不慣れでピュアな1年目と2年目にぴったりだし、キュアロンによるダークな3作目も、思春期を迎えて少し大人びて、両親の死の真相と対峙する3年目にぴったりだったと思う。ちなみにジョン・ウィリアムズが作曲を手がけたのも3作目まで。
 というわけで、原作も映画版も、3年目までとそれ以降とで物語を分けることができる。

2018/03/02

営業報告



 「SPUR」(集英社)2018年4月号の「銀幕リポート」第25回では、ギレルモ・デル・トロ監督作『シェイプ・オブ・ウォーター』を紹介しています。前号『パディントン2』にもサリー・ホーキンスは出演していましたね。今号のために描くのを我慢したからあのようにおじさんとクマだけの画になってしまったというところも……。なので今回は所狭しとサリー・ホーキンスを描いています。もちろん他のキャストもいい感じのひとばかりです。




そして、「婦人公論」(中央公論社)2018/3/13号ではジェーン・スーさん連載「スーダラ外伝」第24回の挿絵。もう2年も描いていることに気づく。だんだんスーさんの絵が安定してきているような気がする。




「小説NON」(祥伝社)2018年3月号では先月に引き続き原宏一さんの連作に挿絵を描いています。

2018/03/01

クレームブリュレだった


 近所に大きめのクレームブリュレを出すお店があって、表面をカンカン叩いているときに思いつく。思いついたものはなんであれ形にするとすっきりする。ジャン=ピエール・ジュネのあの映画はまだ観たことがなく、おそらく今後も観ることはない。

2018/02/15

コーギーのご先祖さま(諸説あり)


 諸説ある、って便利な言葉だな。いずれにせよウェールズ発祥の牧牛犬である。逆に言えばそれ以外のことは判明していないんだけど。
 体型も牧牛犬だからこそのもので、背が低いのは牛の足を噛んで誘導するため(かく言うぼくも散歩中にたまにくるぶしのあたりを甘噛みされるが、遺伝子レベルで刷り込まれている本能なのだ)、生後間も無くしっぽを切ってしまうのは踏んづけられてそのまま殺されたりしないため。ちなみにこの断尾、最近はかわいそうなので禁止になっているところも多いんだけど、元からしっぽが短いやつもいれば、しっぽ自体ないやつもいるらしい。なのでデフォルトで必ずしもしっぽがあるとは限らない。うちの子はどうなのかよくわからない。同じ犬舎の犬でもしっぽのあるやつはあるままなので、元から無いのではないかと思ってるんだけど、どうなんだろう。
 9世紀前後にはウェールズの記録に登場するんだけど、だいたいは大陸か前述のようにスカンジナビア側から持ち込まれたというところに落ち着いているらしく(ウェールズに元からいたとする説もあり、これが多分コーギー先祖説の根拠なのかな)、それらを折衷して、ヴァイキングやフランダースの織物屋(フラマン人)が連れてきた犬が先祖、みたいな紹介をされる。
 まあ、詳しいところはわからないままのほうがロマンを感じたりもする。発祥や先祖がはっきりしなくとも、コーギーは確かに今ここに存在するのだ。女王陛下万歳。

2018/02/12

砂に墜ちた飛行士



 彼を取り囲んでいるのは乾燥と死の世界だった。
 外部との連絡手段はない。囚われていた敵の宇宙戦艦から逃げ出してきたままの格好だったので、武器などの装備も持っていなかった。ただ、脱走に使った敵の宇宙戦闘機の操縦席に備え付けられていた発煙筒や申し訳程度のサバイバル・キットは持っていた。これは座席ごと機体から放り出された彼にとって不幸中の幸いだった。座席から伸びたパラシュートと発煙筒を使って起こした焚き火で、なんとか夜の砂漠をやり過ごすことができたからだ。
 しかし、日が昇ってから役に立つものはほとんどなかった。パラシュートの残りでなんとか身体を覆って強い日差しを防げはしたが、サバイバル・キットはこんなもので本当に兵士が生き延びられるのかと疑問を抱きたくなる代物だった。あちらの指導者たちは、兵士には興奮剤さえ与えておけばいいと思っているらしい。
 この惑星に来たのはこれが初めてではない。もっとも、今もまだ最初の訪問の一部と言えるかもしれないが。彼が訪れていた集落が襲撃され、そこで捕まり、軌道上の敵艦に連行され、そこから逃げ出して今また地上に戻ってきただけなのだ。ともかく、この土地について丸っ切り知識がないわけではなかった。
 この星に送り出される前に上官からある程度の説明は受けていたし、到着したあとも例の集落の長老からいろいろ聞かされていた。あの温かい眼差しをした老人が自分の目の前で無残に殺されてからまだそう長くは経っていなかったが、老人のことはすでに懐かしく思えた。彼は急に苛立ち、拳で腿のあたりを叩いた。自分がついておきながら、老人だけでなく村人たちもみな殺されてしまった。
 理想的な正義に燃える彼の性格からして、それを必要な犠牲などという言葉で片付けることはできなかったが、しかしそのことで悲しみに暮れてばかりもいられない。彼らの死を無駄にしないためにも、自分は任務を全うして銀河を救わなければならない。
 その任務のために、彼は相棒と再会しなければならなかった。集落で捕まる間際、彼は機械の相棒に記録装置を託していた。それを将軍に届けることこそ、今回の任務である。そこには伝説の人物の居所が記されている。その人物はこの暗雲立ち込める銀河を、光へと導いてくれるはずだった。
 しかし、本当に人間ひとりの存在にそのようなことができるのだろうか。彼は時折この疑問と対峙しなければならなかった。ひとりきりで(正確には機械の相棒も一緒だったが)宇宙戦闘機の操縦席におさまって宇宙の暗闇を旅している間にも、何度かこの疑問と向き合うことになった。
 絶えない争いや憎しみの連鎖を、たったひとりの人間が断ち切れるのだろうか。この広い銀河全体に覆いかぶさっている分厚い黒い雲を、たったひとりで晴らすことができるのだろうか。
 それができるからこそ、その人物は伝説そのものとされているのかもしれない。実際に、その人物はかつて銀河を一度闇から救い出しているはずだ。少なくとも彼はそう聞かされて育った。ほかでもない彼の母親はその人物を間近で見てきたのだ。一緒に戦ったという話も聞いた。多くの子供たちにとってほとんど神話上の人物のようだったが、母親の体験談が彼にその実在を確信させていた。その数々の武勇伝も。
 大人になってからも尾ひれのついた話をいくらでも聞いたが、彼はその全てを本当だと信じている。実際はどうだったかなどこの際あまり重要ではない。全てが本当だったところでなんの不都合もない。どれだけ大げさで嘘くさい、現実離れした話であっても、その人物のエピソードとしては十分にあり得ることだ。それに、そう信じることで希望を抱けるような気がした。おそらく、そういったことを信じなくなったとき、希望は失われるのだろう。
 余計な疑問が浮かんできても、だいたいこうやって結論に達する。無理にでも前向きになれるのは彼の長所のひとつだった。前を向きすぎて足元に気づかないことは多々あるが。
 今もちょうど足を砂にすくわれてバランスを崩し、砂の上にうつ伏せに倒れこんだ。柔らかい砂の上をずっと歩いてきたからひどい疲労を覚えた。彼は倒れたままの格好で目を閉じたい気分になった。そのままじっとしているだけで、風で運ばれてきた砂がどんどん身体の上に積もっていく。
 てっきり自分は宇宙空間で死ぬのだとばかり思っていた。向こう見ずな飛行士として宇宙戦闘機を飛ばしに飛ばしまくってきた人生。もはや飛ばせない乗り物などないと断言できるほどの操縦技術を身につけ、仲間たちからも「銀河一のパイロット」などと、半ば冷やかしながらも尊敬を込めて呼ばれていた。
 もちろん彼はそんなことで鼻を高くしたいから飛んでいるわけではない。仲間たちからの信頼はうれしいが、彼はただ飛びたいから飛んでいるだけだった。才能や能力に恵まれた者の多くがそうであるように、彼もまた自分にとって至極当たり前のことをしているに過ぎなかった。飛ぶことも、自分が正義と信じているものに尽くすことも。
 そんなふうに、常日頃から宙を飛んで冒険を繰り広げてきたからこそ、自分が死ぬのはきっと、とうとう敵の光弾に追いつかれて機体が焼かれたときか、あるいは単に調子に乗りすぎてなにか誤操作をしたときだろうと思っていた。どちらにせよ、死に場所は宙だと思っていた。
 それが、こんな砂に埋もれて死ぬことになるとは。宙とは正反対の、地面で死ぬことになるとは。銀河一の飛行士が砂の上で死んだとなれば、大変な笑い話になるのではないだろうか。人からの評価などほとんど気にしたことはなかったが、しかし、自分がここで死ねば、人々がこの無様な死を笑うことのできる平和さえも脅かされてしまう。そう思うと、こんなところで、こんなことでは死ねないという気持ちが強くなった。
 あの伝説の人物のように、空を自由に駆け巡りそうな名前は、自分にはない。しかし、それでも彼は、伝説に負けないくらい精一杯生きてきたつもりだった。そして、その日々を今日ここで終わらせるつもりはなかった。
 そもそも、敵のミサイルが機体を吹き飛ばしても、自分はこうして砂漠に落っこちて生き延びたのだ。宙では死ななかった。だから彼はまだ死なない。
 拳を握りしめて、砂の地面を叩く。ずぶり、と拳は柔らかい砂に沈む。
 力を奮い起こす。もう一度飛ぶんだ、そう思うだけで自然と身体中にまだ残っていた力が行き渡っていく。
 がばっ、と上体を起こす。それまでに身体に積もっていた砂が一気に流れ落ちる。膝を曲げて地面に突き立てると、飛行士は再び完全に立ち上がった。優雅な離陸とまでは行かないが、立ち上がらなければリフトオフもできない。
 案外。
 彼はふと思う。
 案外、あの不気味な装甲服をまとった敵の兵士たちも、こうやって自分に暗示をかけて強くあろうとしているのかもしれない。
 結局兵士であることは同じか。
 そこで思い至るのは、やはりあの兵士だ。
 囚われの身だった彼を解放し、ともに脱走した敵の兵士。元敵の兵士。
 機体がやられて地表に墜落する際に、ふたりとも座席ごと放り出されたのだろう。きっと彼もこの砂漠のどこかに落ちたに違いない。
 彼にはあの兵士がいいやつだということが瞬時にわかった。終始緊張した表情で、顔はとても汗ばんでいた。緊張によって眼は少しおどおどしていたが、その瞳は澄んでいて、とても残虐な行為になど手は染められそうにない。あの兵士が例の集落への襲撃に参加したのかどうかは定かではないが、きっと村人たちの虐殺には加担できなかったはずだ。もしかすると、それが原因で離反を決意したのかもしれない。
 とにかく、あいつはいいやつだった。短い間だったが、すぐにふたりは意気投合した。狭い操縦席で背中合わせになり、ふたりは一緒にひとつの戦闘機を飛ばした。あの感覚を彼はまだ如実に覚えていた。自分が飛ばし、彼が撃つ。彼が命中させ歓声をあげると、自分もそれを褒め称えた。あんなに喜んでいるやつは久しぶりに見た。まるでふたりとも子供のようにはしゃいだ。意地悪な大人たちから宇宙船を盗み出した子供だ。
 あんなやつが敵の兵士の中にいるとは想像もしなかった。
 もっと完全に個性が抑圧され、ただひたすら命令を遂行するだけの殺人マシーンばかりだと思っていた。しかし、それもまた相手が自分たちに抱いているのと同じ種類の偏見でしかなかったのだろうか。
 あの白いヘルメットをひとつひとつ外していけば、多種多様な人間の顔があるはずだ。そして、彼らは決してマシーンではなく、人間だ。きっかけさえあれば、あの陽気な脱走兵のように、心を取り戻せるはずだ。
 そう。あの男は彼によって心を手に入れたも同然だ。名前が無く、無意味な識別番号しか持っていなかった男に、彼は素朴なものではあったが名前を与えたのだ。彼が新たな人生を与えたと言ってもよかった。そんなことで得意がったり、恩着せがましく思う彼ではなかったが、ひとりの人間を救い出せたのだと思うと、純粋にうれしかった。
 機械の相棒はもちろん、あの新しい相棒とも再会しなければならない。どうか無事であってほしい。


 惑星の主な地域や集落の位置関係は、事前に頭に入れていたものの、墜落したのが一体どのあたりなのかまるで見当がつかなかったので、途方に暮れかかっていたが、すぐに天は彼に道を示した。文字通り天が示したのだ。
 真っ青の広大な空に、一筋の軌跡が浮かび上がっていた。彼の鋭い動体視力は、軌跡の先端、ずっと上方に殺人的な太陽光を受けて銀色に輝く物体を捉えたのだった。
 地上から宇宙船が飛び立ったのだ。
 それもあの大きさと軌跡のわかりやすさからして、そう遠くない場所から。
 銀河一の飛行士である彼は、宙から愛されているようだ。そう実感して砂を踏む足に少し力が加わる。この方向で間違いない。
 果たして、一体いくつ目になるかわからない砂丘をやっとのことで越えると、視界の先には平地が広がり、ずっと前方に人工物らしいものの影がいくつか見えた。近づいていくと予感は確信へと変わった。
 あれは集落に違いない。いや、あの規模は彼が訪れた村よりもずっと大きい。巨大な建造物も見受けられる。先ほど宇宙船が飛び立ったことを考えれば、ここはこの星で唯一の宇宙港だった。
 気づけば、周囲のいろいろな方角から人影がやってきていた。みな宇宙港を目指しているらしく、よく見るとなにやら大荷物を抱えたりひきずったりしている者ばかりだった。金属板の上に荷物を載せて砂の上を引いている者もいれば、単純な動力に網や袋や板をつけて物を運んでいる者もいた。入植地が近づいてくるにつれ、方々から集まっているその荷物や、それを運んでいる者の風貌がよく見えた。ボロをまとった者ばかりで、荷物は汚らしい機械の部品ばかりだった。
 廃品漁りについても、もちろん話に聞いていた。この惑星で唯一と言っていい生業。ここで生きていくには、砂漠にある戦場跡に埋もれている宇宙船や兵器の残骸から部品を集めるしかない。昔ここで繰り広げられた壮絶な戦いはその後の銀河の運命を決定づけたが、戦場となった惑星は忘れ去られたのだった。今も巨大な宇宙戦艦の残骸が砂に埋もれ、おびただしい兵士たちの骨が故郷を夢見て眠っていることだろう。
 飛行士たちも、大勢眠っているはずだ。彼らの脚となり翼となった、今や伝説的な機体として思い返される戦闘機の残骸がその墓標となって。
 いち飛行士として、彼もその戦場跡を一目見てみたいと思ったが、今はまず相棒たちと合流し、ここから脱出する手段を確保しなければならない。
 露店や廃品の集積所のようなものがもうすぐ目と鼻の先まで迫ってくると、久しぶりの人工物に妙な感動さえ覚えた。すれ違う廃品漁りたちは彼の持つ優しさを持ってしても少し不快に感じるほど汚く、悪臭を放っていたが、それでもひとであることに変わりはない。殺風景な砂漠を実際の時間よりも長く歩いてきたように感じていた彼は、どんなものであれ人工物や知的生命体の存在にありがたみを覚えた。
 そうしてあちこち物珍しげに見回していると、人工的に作られた池のようなものが目に入った。そこには巨大な豚のような動物がいて、大きな鼻面を池に突っ込んでばしゃばしゃと水を飲んでいた。
 そう、水だ。乾燥と死の世界を彷徨ってきたので、ほとんどその存在を忘れていたが、目にした途端急に身体の乾きを実感した。彼は一目散に池に駆け寄り、豚のような大型動物と並んで顔を突っ込んで飲んだ。急に飲みすぎたせいか、それとも汚水だったせいか、彼はすごい勢いでむせた。
 家畜の飲み水に顔を突っ込んでいる彼を、周囲にした廃品漁りや露天商たちが声を上げて笑う。
「昨日も同じことをしているやつを見たぞ」
 全く聞き慣れない言葉に混じって、銀河標準語が聞こえてきたので彼は顔を上げた。そしてすぐにその声の主を探し出す。
「今なんて?」
 久しぶりに出した声は思った以上にかすれていた。「同じことをしていたって?」
 彼の只ならぬ必死な表情に、標準語を話す廃品漁りは気圧されたが、
「いや、今のあんたと同じように、そこの水をがぶがぶ飲んでむせてるやつがいたってだけだよ」
 と答えた。「あんたの知り合いか?」
 仲間、という言葉に飛行士は考えを巡らせる。きっとあいつだ。
「どんな格好だった?男か?女か?」
 彼は廃品漁りに近づいて詰め寄る。見知らぬ土地で、見知らぬ相手に全く及び腰にならない。
「男だよ。格好なんざ覚えてねえよ。いや、洒落た上着を着てやがったな。それくらいだ。だいたい、あいつのせいでこのあたりは大迷惑したんだよ」
 廃品漁りはそう言って振り返り、背後のあちらこちらを指差した。露店の残骸のようなものがあちこちにあり、焼け焦げた部品のようなものも見られる。
「あいつが来たあと、おっかねえ兵隊も来てめちゃくちゃにしていった。空襲だってあったんだぜ。あの戦闘機、似たようなやつが墓場に埋まってるのを嫌っちゅうほど見てるから、きっとあれが新型なんだろうな。まあ古いやつのほうが俺あ好きだな」
 廃品漁りの話に衝撃を受けた飛行士はしばらく言葉が見つからなかった。
 ということは、ここまで追っ手が来たのだ。
「それで、そいつはどうなった?捕まったのか?」
「いんや、まんまと逃げたよ。それも地元の女と一緒にな。ああ、あの小娘のせいで俺たちの親分もカンカンよ。あいつら、親分の船を盗んで逃げてったんだぜ」
 新しい登場人物が出てきたので飛行士はやや混乱したが、なんとか頭の中で話を整理した。
 新しい相棒、元敵兵の彼はここまでたどり着いたが、追っ手がやってきた。 
 そしてここの女と一緒に船を盗んで逃げた。
 俺が砂漠で寝ている間にそんな大冒険をしていたのか。
 そこで彼は重大なことを思い出す。
「逃げたのはそいつらだけなのか?兵隊が追ってたのは」
「いや」
 廃品漁りは言う。「丸くて転がる機械のやつもいた。というか、兵隊はあれが欲しかったらしいな。いやあ、俺もあんなのが手に入ればもう食い物に困ることはないね」
 飛行士はまたしても言葉をなくす。当たりだ。
 脱走兵の彼は、機械の相棒を見つけて保護してくれたのだ。
 彼の相棒たちは、機械の方も人間の方も無事にこの星を脱出したのだ。
 それがわかっただけでもいくらか気持ちが楽になった。
 彼らだけで大事な地図をおさめた記録媒体を秘密基地に届けてくれるかもしれない。
「わかった、ありがとう」
 彼は感極まって廃品漁りの両肩に両手を置いて、ぽんぽん叩いた。相手はこれ以上ないほど怪訝な顔をして、彼から離れていった。
「おうい、もうひとつだけ」
 こちらに背を向けて立ち去りかけている廃品漁りを、飛行士は呼び止める。「宇宙船にはどうしたら乗れる」
「そんなことできるわきゃねえ」
 廃品漁りは吐き捨てるように言った。「昨日のあいつらみたいに、盗みでもしなきゃここじゃ船には乗れねえよ」
 今度こそボロをまとった背中は遠ざかっていった。
 飛行士はその背中に向かって頷いた。
「もちろん、そのつもりだ」
 とにかく仲間たちは無事だ。無事にこの星から出ていった。自分のことを探してほしかったとも少し思ったが、きっと死んだと思ったのだろう。仕方がない。彼らはもっと重要なものを持っていて、それを届けなければならない。
 ちゃんと届けられるだろうかという不安は残るが、とにかくもうこの星で自分にやるべきことはない。早く仲間たちの後を追い、彼らとの合流を図るか、それができなければ基地に先回りして手を打たなければ。
 彼は周囲を見回し、その場所を宇宙港たらしめている唯一の要素、柵で囲まれた広い空間を見つける。あそこがきっとこの星でただひとつの宇宙船の発着場だ。
 飛行士は露店や廃品漁りたちの間を縫うように駆けていく。
 もとより出入りする船は少ない。ましてや一隻は盗まれ、一隻は先ほど彼が目にしたようにここを飛び立っていった。今、あの柵の向こうに何隻あるかはわからない。一隻だけでもあれば幸運と言えるだろう。
 と、背後に嫌な空気を感じた。飛行士の勘のようなものが、伝説の騎士たちが持っていたような特別な感覚ではないにせよ、危機を警告していた。
 というか、なんだか騒がしかった。
 走りながらも、ちらりと後ろを振り返ると、ずっと後ろの方でさっきの廃品漁りが彼を指差しており、武装した数人の男たちが彼を追いかけて来るところだった。
 彼は砂を蹴る脚を加速させた。
 家畜用の汚い飲み水であっても、飲んだおかげで少し体力が戻ったようだ。
 それとも、迫る危機が彼を走らせたのか。
 発着場の柵はもう目の前だ。見れば、ありがたいことにすぐ近くに一隻の船が見えるではないか。
 そこで彼はなにかに勢いよくぶつかった。
 硬く、大きなものに弾かれて彼は砂の上に仰向けに倒れこむ。見上げると、大柄な異星人が立っており、恐ろしげな形相で彼を見下ろしていた。顔つきからして飛行士の同僚にもいる、よく知る種族のようだったが、大変な大柄で、なによりも黄色い重機のような機械の両腕が目を引いた。その腕はちょうどなにかの大きな部品を掴んで引きずっているところだった。
 後ろから怒号が近づいてくる。
 巨体の廃品漁りにはどうやら敵意はないらしく、黙って彼を見下ろしているだけだ。彼はすぐに自分がその行く手の邪魔になっているだけであることを察し、急いで起き上がると道を譲った。思った通り相手はのっそりのっそりと歩き出した。
 飛行士は再び走り出し、とうとう柵に達した。ワイヤーを何本か横に張っているだけなので、その間をくぐって向こう側に行けた。
 一瞬振り返ると、追っ手たちが先ほどの巨体の廃品漁りに自分と同じようにぶつかっていた。追跡の手が緩んだその隙を彼は逃さなかった。目の前にある船に向かって一気に走る。
 その宇宙船は箱のようなシンプルな形で、操縦席と見られる前方部分は急な傾斜になっていた。彼はいろいろな宇宙船について知識があったが、これはその昔民間の星間旅行会社で使われていた船に似ている気がした。
 昇降路が開いていたので駆け上って中に入ると、思った通り、船内は座席がずらりと並んでいた。旅行用の船だ。前方の操縦席に向かうと、やはり予想した通り機械の飛行士が着いていた。星間旅行会社がよく使っていた、円筒型の身体に機能的な腕、ドーム型の頭部に親しみを持てる二つの丸い眼。
 彼が近寄ると、休止状態と見られた機械が自動的に起き上がった。駆動音から察するに、長い間使われていなかったらしい。
「ごきげんよう!私は当機の船長を務めるキャプテン・レッ――」
「時間がないんだ」
 彼は機械の顔に向かって指を立てて遮った。「俺に操縦を代わってくれ」
「申し訳ありませんがお客様、それはできません。当機は正規の訓練を積み、なおかつ当社が認可したパイロットでなければ――」
「追われてるんだ。やつらがここまで来たら、お前も分解されてしまうぞ」
 不本意ながら、彼は脅すような口調になった。「バラバラにされるだけならまだしも、溶鉱炉で溶かされて他の鉄くずと一緒にされるんだ」
 機械の飛行士は丸い視覚センサーを、まるで目を泳がせるように落ち着かなげに動かすと、頷いた。
「おっしゃりたいことはわかりました。私はこの船と、お客様の安全を確保せねばなりません。もちろん自分の身も守らなければなりません」
 言いながら金属の腕がせわしなく動き、船が振動した。エンジンが始動したのだ。「私が責任を持ってお客様を目的地にお運びしましょう」
 彼がそれに対して抗議する暇はなかった。船はなんの前触れもなく離陸し、あろうことか勢いよく後退した。突然のことで、彼はバランスを崩して倒れそうになった。
 船尾になにかがぶつかる。 
「おっと」
 機械が間の抜けた声を上げる。「いや、今のはなんでもありません、大丈夫大丈夫」
 飛行士が座席の背もたれを掴んで窓の外を見ると、前の方から追っ手たちが金属の棒を振り回しながら走ってくる。船が急に後退したので、急いでこっちに向かっている。
 彼は機械の飛行士に顔を向ける。
「早く発進してくれ、やつらが来る!」
「お待ちを」
 機械の腕がレバーを引く。
 今度は船がその場で滑るように一回転した。生きている方の飛行士は胃がひっくり返るような気分だった。
 このときばかりはしばらくなにも食べていないことに感謝した。
「一体なにをやっているんだ!」
 いち飛行士として、こんな操縦は許せなかった。「やっぱり俺がやる!」
 言って操縦桿を無理やり掴むと、機械の方は抵抗した。
「なにをするのです!お客様は席に着いて安全ベルトをお締めください!保安規約に反する場合は下船していただきますよ!」
 操縦桿を取り合っていると、船体が大きく傾いた。このままでは追っ手に攻撃される。
 騒ぎ立てる機械の飛行士をよそに、生きた飛行士は思い切り操縦桿を引き上げた。
 途端、船は急発進し、周囲を取り囲んでいた追っ手たちは風圧に吹き飛ばされた。一番近いところにあったいくつかの露店の屋根も巻き添えを食らった。
 砂塵が吹き上げられ、箱型の宇宙船は一気に空高く舞い上がった。
 小さな砂嵐が去ると、そこにはもう船の姿はなかった。


 星間旅行会社の旧式宇宙船は高度を上げていき、いよいよ空の終わりまで達そうとしていた。その先には星々の輝く宇宙が広がっている。
 彼は再び宙にやってきたのだ。
「私の経験の中でも、今回はスムーズな発進でした。引き続き快適な旅をお約束しますよ」
 機械の飛行士は調子のいい口調で言った。「ところでお客様、宇宙旅行は初めて?」
 彼は安堵とともにひどい疲れを覚え、くたびれ切っていたが、その言葉を聞いて頰を緩めずにはいられなかった。
「ああ」
 笑って、下唇を噛んで見せる。
「いつも初めての気分で飛んでるよ」
 窓の外に無数の星が煌めく。
 銀河一のパイロットはこうしてまた宇宙に飛び出した。
 自分の操縦ではなかったが。


 おしまい

2018/02/09

雑記(7)

「ポケモンが楽しい」

 任天堂の過去作品をダウンロードして遊べるヴァーチャル・コンソールにゲームボーイ時代の『ポケットモンスター』が続々リリースしていて、懐かしの銀バージョンを遊ぼうと思っていたらクリスタルバージョンが出たので、これをダウンロードした。クリスタルは金銀バージョンに追加でリリースされたバージョンで、基本的なシナリオは同じだが、特定のポケモンの出現有無だったり、独自のイベントがあったりと、ところどころ違う点がある。銀バージョンはすでに遊んだことがあるので(と言っても小学生低学年の頃だが)、せっかくだからクリスタルにしたわけだ。
 今でこそ主人公の性別が選択可能なんて当たり前だけど、実はクリスタルが初だった。幅広く遊ばれている理由はこういう気遣いにあるだろう。戦闘画面でポケモンがアニメーションで動くのもこの作品が初めてだったらしい。その後ゲームボーイアドバンスやニンテンドーDSなど新機種で登場する後続の作品にも受け継がれる基本的なスタイルはだいたいここに原型があるのかもしれない。このあとに出たルビー&サファイアでのグラフィックの一新である程度スタイルが成熟したと思う。
 DSのソフトもそれまで少し遊んでいて、色数が多く奥行きの増した世界ももちろん楽しいんだけど、ゲームボーイカラー時代のレトロなグラフィックも今となっては洒脱さすら感じる。たった56色という少ない色数だが、工夫された配色で描かれたドット絵もかわいいし、なによりUIに無駄がない。別に後続作品に無駄が多いというわけではないし、意図してシンプルにしているというよりそれが当時の限度だったのだろうけれど、とにかく見やすい。操作する部分が少ない。簡潔。あまりにも記号化されている部分は自分で脳内補完する。これが楽しい。ゲームがシンプルだとかえってやり込み甲斐も出てくる。後の作品は戦闘や図鑑集め以外の要素が増えて、「やり込む」ということ自体が難しくなっているような気がする。
 最近のタイトルも含めてまだやっていない作品も多いので、ゆっくり全部遊んでいきたい。結局ぼくはポケモン世代だったか。


「うちの犬がお利口かどうか」

 諸事情で昨年の秋頃から妻の実家に預けていた犬。年明けからまたこちらに戻ってきていて、例の大雪の日も含めて毎日散歩に行く日々なんだけど、もう元気が有り余っていてすごい。綱を引く力がすごく手のひらが痛い。帰ってきてからは甘え方も凄まじく、寒いのもあってか家の中では人間にべったりだ。
 初めてのことだったけれど、その日散歩の途中で向こうから黒ラブラドールの盲導犬が主人を先導しているところに遭遇した。うちの犬は行き遭う犬のほとんどにテンションが上がってしまい、怒ってるんだか喜んでいるんだかわからないが、とにかく短い四肢を振り回してほえ声を上げるものだから、盲導犬の任務の妨げにならないものかと思って少し緊張した。
 道はちょうど一本道、住宅の塀が包んでいるだけで途中によけられる分かれ道もない。いっそのこと引き返そうとも思ったんだけど、なんだかそれも失礼な感じだなと思い、まあいざとなればこいつを小脇に抱きかかえればいいかとそのまま前に進んだ。さすがに真っ正面から向かっているわけではなく、お互いに道の中央を挟んだ両側を歩いていた。
 するとどうだろう。珍しいこともあるもので、普段なら感極まって飛びつこうとするラブラドールがすぐそばを歩いていたのに、ちっとも関心を示さずにコーギーは黙々と歩き続けた。こんなことがあるのか。相手がただの散歩ではなく、重要な任務を遂行している最中だということを察したのだろうか。
 と、普段は道ゆくひとからかわいいかわいいと声をかけられては、その声の主の方に愛想笑いを浮かべて、前を見て歩いていないからそのまま標識の支柱に顔をぶつけてしまうようなオトボケ犬なのに、お利口なこともあるものだ。いや、本当はとても頭のいい、優しい犬なのだと思っていたのもつかの間、すぐに別の可能性が思い浮かんだ。高度に訓練された盲導犬の方が、「面倒な絡み方をしてくる厄介な犬から自分の気配を消す技術」というのを身につけているのではないかと。
 まあ、たぶんそうだろうなあ。
 以前、専門施設で犬のMRIを撮ってもらったとき、彼の脳みそを見たことがある(その検査自体は具合が悪そうだったからしたんだけど、なんの異常も見られなかった)。映し出された頭蓋骨の中には、二つの眼球を合わせたのよりも小さな丸いものがあった。


「読む速度が上がった」

 単純に本を読む速度や集中力が増した気がする。
 おもしろい本、読みやすい本、肌に合う本を選べているということだろうか。しかし、それだとなかなか興味の範疇を超えたものに手を出せなくなるのだけれど。結局のところ「読み慣れているもの」を読んでいるというだけか。
 しかし乗れない本は本当に乗れないし。無理に読むことはできるだろうけど、それは好みに合わない映画を見続けるのよりもハードルが高い。映画はせいぜい2時間くらい我慢して座っていれば一応終わる。その作品からどれだけのものを読み取れるか、感じ取れるかはまた別の問題になって来るが、それでも一応2時間くらいじっとしていれば終わるのだ。それでも見たことになる。しかし、本は自分の目で追おうとしなければ読めない。黙って座っているだけでは読み終えたことにならない。全く興味を抱けない、言葉遣いが合わない、読んでいて全く自分の中でリズムが生まれてこない本を読み続けるのは辛い。まったく意思疎通が測れない相手との付き合いをだらだら続けるのと似たような疲労を感じる。
 少しずつ自分のペースで、見知らぬ本に手を伸ばしていけばいいと思う。偏ったジャンルであっても、とりあえずは読む習慣が大切だ。読むのをやめてしまうのが最も不幸なことだろう。


2018/02/05

『アドベンチャー・タイム』について思うこと


 カートゥーン ネットワークのアニメーション作品『アドベンチャー・タイム』を観ていていろいろ思うこと気づいたことがあるのでメモ。初期から視聴していたひとや、最新シーズン含めて全部追っているひとに比べればまだまだ浅いぼくだけれど、一応自分なりの考察を記しておく。
 ああいったデフォルメの度合いや自由度が高い作品についてあんまり考察するのもナンセンスかもしれないけれど、とにかく言葉にしておきたいくらい熱がたまっているので。語り合える相手がいたらいいんだけど、それが身近にいないのでこうして書くしかない。


どういう作品でどこがおもしろいのか
 
 不思議なウー大陸で人間の少年フィンと犬のジェイクの二人組が冒険をしたり、遊んだりするお話。基本的には剣と魔法の世界で、悪党や怪物と戦ってお姫様を助けるというRPG風。なんだけど、ただ単に剣と魔法の世界というだけではなく、ほとんどあらゆるものが擬人化されていたり、ロボットやコンピューターといったハイテクが登場したりして、ほとんどなんでもありの世界観である。もちろん一見かわいらしい絵柄の中で見せられる毒も魅力のひとつだ。

 だいたいその舞台からして実は核戦争で荒廃して1000年が経った地球なのである。あんなかわいらしい世界観の設定としてはかなりインパクトがある。ちょくちょく登場する現代文明の名残とも言うべき道具や、背景で地面に埋もれている戦闘機や自動車といった要素が、カラフルなファンタジーにスパイスを効かせているのだ。

 そういう、なんでもありのようでいてちゃんと設定がある、というのがポイントだろうと思う。ただ単にカオスというわけではない。ただ単にかわいらしいだけで、全くストーリーが進行しない1話完結ものというわけではない。確実に一本の軸があり、確実に主人公は成長していて、確実にその世界にはなにか謎がある。子供のような素敵で自由な発想が溢れる世界観と、そういった一筋の旅路のような面がバランスを取っているからこそ、ここまでおもしろいのだと思う。

 それからなんといっても絵柄がおもしろい。ここ最近のCNの作品は、『スティーブン・ユニバーズ』や『ぼくらベアベアーズ』などもそうなんだけど、それまでのアメリカのいわゆるカートゥーンっぽさとは一線を画しはじめている気がする。『パワーパフガールズ』や『デクスターラボ』といった、ハンナ・バーベラの雰囲気がまだ強く残っていた初期の作品(CNはもともと『原始家族フリントストーン』や『宇宙家族ジェットソン』などのハンナ・バーベラの子会社として設立され、その流れを継いでいる)に比べると、だいぶCNとしての独自性が確立されてきたというか。それで、その中でも『アドベンチャー・タイム』のタッチはおもしろい。美しいとさえ言える。

 デフォルメされているからこその線の自由さや、綺麗な色使い。絵を描く人間、それもデフォルメが好きな人間としては注視せずにはいられないセンスである。そしてそんなふうにじっくり見ていると、背景の描き込み具合も際立ってくる。隅から隅まで楽しい絵でいっぱいだ。


懐かしさと親しみやすさ

 最初に観たときからどこか懐かしい感じがした。絵柄はかなり新鮮なものなのに、そこかしこに懐かしさがあった。
 作者のペンデルトン・ウォードによればRPGゲーム、特にその元祖である『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の影響が強いらしく、だからこそゲームの郷愁みたいなものがあるのだと思う。それはずっと後続であるゲームボーイ世代のぼくですら感じられるもので(ゲームボーイの影響もかなり強いと思う)、限られた空間に没入して遊ぶ楽しさや、部屋で友達たちと寝転がって遊ぶ楽しさみたいなものが、作品のあちこちに込められているのだろう。

 そのほかにもウォードはインスピレーション元として、ポール・ルーベンス扮するキャラクター「ピーウィー・ハーマン」による子供番組『ピーウィーのプレイハウス』を挙げているのだが、そこもぼくが懐かしく感じるところだろう。アメリカ人でもなければ全然世代でもないのに、ぼくは子供の頃あれのVHSを死ぬほど見返していた。あのカオスで毒々しい、子供らしい暴走感や狂気は確かにATに通じるものがある。絵柄こそ従来のカートゥーンものとは違うが、しっかりアメリカ的な毒と明るさのカラーを受け継いでいるのである。思えばピーウィーのあの番組も、家具でもなんでもあらゆるものに目と口がついているもんなあ。冷蔵庫の中の食品まで擬人化されている発想には子供ながらに感動した。その冷蔵庫をはじめ、ストップモーション・アニメがふだんに盛り込まれているのがまたいいのだ。

 世代は限定されるものの、アメリカの子供たちがどういう世界を見ているのかというのを、あの番組を通して感じ取っていた気がする。実際はもっといろいろな側面があるのだろうけれど、紛れもなく『ピーウィーのプレイハウス』はぼくにとって合衆国を覗くひとつの窓だった(ちなみにプレイハウスでは窓枠もしゃべっていた)。『セサミ・ストリート』も好きだったが、かわいらしく綺麗に整えられたセサミの世界よりもピーウィーの素直な狂気の方が親しみを持てたものだ。少なくともピーウィーは子供たちにABCを教えたりはしない。

 あとは、ジャパ二メーション的演出が目立つ。これはもう製作側のコメンタリーを参照しなくとも、見ているだけでわかる。異様にキラキラ輝く瞳やレーザー光線が通り過ぎたあとに遅れて起こる爆発(マップ兵器)などは、国産アニメにあまり通じてないぼくでもわかりやすい。有名作品のわかりやすいパロディもあるけれど、きっと目の肥えたひとならもっとその特徴を見つけることができるだろう。日本アニメに限らず、他にもあらゆる作品のパロディやリスペクトが見られるわけだけれど、そういう作り手の好きなものの要素を遠慮なくどんどん取り入れている姿勢が、親しみやすさを生んでいるのだと思う。いろいろなカルチャーがごちゃごちゃになっているところもまたアメリカ的なんだよね。どこの国の影響が強いとかそういうことではなく、とにかくいろいろなもの、楽しいもの、好きなものが詰め込まれた世界観が作品を豊かにしているのだ。


ちょうどいい設定

 支離滅裂なようでいて、ちゃんと設定がある。それもかなり細かいというか、よく出来ている。同時に適度にゆるいのもすごい。創作とはかくありたいと思う。

 1話完結もののように見えてちゃんとストーリーを前回から引き継いでいる(主人公フィンがちゃんと年を取る)。それでいながら1話だけ見ても楽しめるように出来ているのがすごい(人物の相関図はある程度知っておく必要があるかもしれないけど、それも見ていればなんとなくわかるし、以前のエピソードと関連があるときはちゃんと登場人物が以前起きたことに言及してくれるからわかりやすい)。
 そもそもシーズン1の第1話からしていきなり途中から始まるからね。途中というか、とにかくなんの説明もなしに始まる。しかも、その世界独自の日常が描かれるならまだしも、ゾンビが大量発生してしまったという、まだデフォルトの日常を描いてもいないのにそれが壊される話で、とんでもない初回だったりする。
 それが前編で、後編では犬のジェイクがコブコブ星人のランピーに足を噛まれて(?)、コブコブ星人化してしまうというお話。コブコブってなんだよ。そもそもまだジェイクの紹介さえきちんとできていないのにそいつがいきなり異星人化してしまう話って。
 しかし、それがまさにあの世界独自の、普段の日常なのだ。なにも起こらない日常などウー大陸にはない。これがウー大陸のデフォルトなのだと有無を言わさずにどんどん展開していくので、こちらもそういう世界なのだとすんなり受け入れてしまう。
 『スター・ウォーズ』だっていきなり途中から始まって、有無を言わさず固有の世界が展開して、途中で終わるけど、見知らぬ世界の一部を切り取って見せられている感じが楽しいのだ。

 回を追うごとに付け足されていくバックグラウンドも、作品に厚みを出している。付け足し付け足しの設定なんだけど、それまでのものと矛盾しないよううまく付け足している感じもうまい。
 アイスキングがもともと人間で、吸血鬼マーセリンとともに1000年前の戦争直後の廃墟をサバイバルしていたとか(おじさんと少女の終末世界の旅てのはやっぱりトレンドなんだね)、プリンセス・バブルガムは明らかに見かけ以上に年を取っていて、ウー大陸の起源を知っているらしいとか、主人公フィンの出生の秘密と、彼の家族や他の人間たちがどこにいるのかとか、はちゃめちゃに見えていた世界観が、どうしてあの形になったのかがちゃんと解明していく。

 そういう掘り下げ方をすると、大抵は最初の楽しいイメージよりやや深刻なトーンに変わってしまいがちなのだけれど、ATのいいところはそこまでシリアスになりすぎないところで、秘密が明かされてこういう悲しいことがあったんだということがわかったとしても、それでも前向きさやナンセンスを忘れない。ATらしさをちゃんと保っているのである。
 

音楽

 絵柄やお話だけでなく、音楽もATの重要な要素で、魅力のひとつだと思う。キャラクターたちは本当に歌うことが好きで、ことあるごとに歌い出す。この歌がまた本当に即興っぽくて、それでいてちょっといい感じ。適当なんだけどエモい。アニメーターが作詞作曲していることが多いらしいんだけど、声優のひとも上手に歌おうとしない、即興っぽく自然に歌っていてとてもいい。上手でなくていい、そのときの気分で適当に口ずさんでいいんだ。歌ったり踊ったりすることの本来の楽しさを教えてくれる。
 音楽のくだりはカセットテープやウォークマンといったローテクが登場するのも楽しい。
 どの曲も好きだけれど、ジェイクとマーセリンの曲は特にどれも好きかな。特にジェイクの「ベーコンパンケーキの歌」が好き。ジェイクの歌は本当に思いつきで口ずさんだみたいな感じのものが多いんだけど(「ベーコンパンケーキの歌」なんて、フライパンでベーコン焼きながら一瞬歌うだけ)その短さがちょうどいい。それくらいでいい。
 マーセリンの曲はとにかくどれもエモい。ヴァンパイアというだけあってゴスパンクのスタイルなんだけど、曲は全然暗くてなくて、切なさとパワーを感じさせる。パパが自分のポテトフライを勝手に食べちゃって本当にありえないという歌や、バブルガムへの複雑な感情を歌ったものは特にテーマソングと言える。1000歳のヴァンパイア・クイーンだけど、いつまでも年頃のゴスなのだ。


英雄は右腕を失う

 勇者や英雄の典型がモチーフになっている主人公のフィンだが、基本的に彼は右腕を失う運命にあるらしい。
 並行世界のフィンや、夢の中で年を取ったフィン、さらには前世であるショウコなど、フィンの別パターンに当たるキャラクターは皆右腕が義手である。前世から義手というのはもはや宿命だろう。フィン自身は父親との出会いによって右腕を失うことになる。父親との出会いによってだ。
 ルーク・スカイウォーカーを連想するなという方が難しい。もしかすると古くから英雄の典型像として、隻腕というのがあるかもしれない。それについてはまた調べたいけれど、とにかく間接的にとは言えほとんどお父さんのせいで右腕が取れちゃう(本当に取れちゃう感じ)というのはルーク的である。その後取っ替え引っ替えいろいろな義手を試すものの、うまく日常生活を送れず「パパのせいなんだからなあ!」と怒ったりするのがかわいい。
 ちなみに吹き替え版で声を当てている声優さんと関連して『鋼の錬金術師』の主人公を連想したりもする。あちらも義手でブロンドだ。
 
 ぼくは元来英雄や勇者といったキャラクター像があまり好きじゃないというか、興味ないのだけれど、このフィンに関してはかなり好き。根がゲーム好きの少年みたいな感じで親しみが持てるからかもしれないけど、全然ハンサムじゃなくて、結構コンプレックスがありそうなところもいいのかな。ちょっとおデブなところと、動物の被り物をしているのもいい。
 それでいながら中身は本当に非の打ち所がないほど勇気と正義感でいっぱいである。そして基本的にめちゃくちゃ強い。このあたりはやはり勝ち続けることが前提のビデオゲームの主人公要素が強い気がする。たまに負けたり失敗するんだけど、大した努力もなしにすぐリベンジを果たしてしまう。この無敵感と、たまにうじうじ悩んだりするところのバランスが非常に魅力的な造形になっていると思う。
 フィンのような友達が欲しい。


わけありプリンセス

 プリンセス・バブルガムもまた、一見典型的なお姫様のようでいて、そうではない。前述の初回エピソードの時点からすでに科学者であることが示され、非常にオタク気質である。そのことが関係しているかわからないが、統治者としても管理欲が強く、自分の王国と国民を守るため強硬手段に出ることも多い。というか実質的にほとんど独裁者である。
 というのも、どうも王国の成り立ちからしてバブルガムは本当にひとりで全てを築き上げたらしい。国民であるキャンディ・ピープルたちもバブルガムの手によって生み出された、言わば彼女の子供たちである。それを守りたいという気持ちが強いのも頷けるというものだ。

 物語を追っていればわかる通り、ボニベル・バブルガムは19歳などではなく、実際にはマッシュルーム戦争後のおよそ1000年前(マーセリンと後のアイスキング、サイモンの冒険よりは少し後か)からウー大陸で活動している。最近の、ぼくがまだ見ていないエピソードの断片的な情報によれば、どうやら核戦争後の廃墟の中を『フォースの覚醒』のレイよろしく終末的装備でサバイバルしていたらしく、そこでキャンディ・ピープルを作り出し、王国の原型を築いたと見られる。
 フィンの前世であるショウコの冒険が描かれるエピソードでは、ショウコが王国建設中のバブルガムと出会っている。悪者に雇われていたショウコは不本意にも親しくなったバブルガムのお守りを盗むが、緑色のいかにも有害そうな川に転落して死んでしまう(跡形もなく溶ける)。バブルガムは城を建設しながらもこの、恐らくは核戦争によって出来た川を、ピンク色のキャンディの川へと浄化していた。彼女は荒廃した土地を自らの手でキャンディ王国に作り変えたのだ。
 「わたくしの王国ではもう誰も飢えたりしない」というセリフ(厳密には少し違ったかもしれないけど)も印象的だ。戦争後の廃墟を生き抜いてきた彼女にとってキャンディ王国はようやく手に入れた我が家であり、家族であり、二度と過酷な世界に戻すものかという強い意志があるのだろう。

 
バブルガムとマーセリン

 なんでもカップリングするひとはいるもので、当然ながらこのふたりの組み合わせも「バブリン」などと呼ばれていたりする。
 バブルガムが戦後からずっと生きてきたことがわかると、1000歳であるマーセリンとの関係もぐっと近いものになる。ほとんどふたりは年が変わらなかったのだ。
 ピンクと黒、光と闇というようにまるで対照的なふたりだけれど、バブルガムは一見明るくも実は暗い一面があり、マーセリンも実は見た目とは裏腹の優しさを持っている。とてもいいコンビだと思う。
 マーセリンのあげたバンドTを寝巻きにしているバブルガム、バブルガムのかわいいセーターをいつの間にか着こなしているマーセリンなど、服を交換しているバブリンはめちゃくちゃかわいい。


 とりあえずこんなところかな。なんとこの作品、今年終わってしまうらしい。なんでも続き続ける昨今、潔いにもほどがある。クライマックスを迎えていろいろなことが明らかになるかもしれないが、しかしやはりATらしい雰囲気は健在だろう。プライム・ビデオで見られる範囲しか見てないけど、応援していきたい。

2018/01/29

雪が降って一週間



 千葉県南部の生まれなのでやはり大雪はテンションがあがる。あっちでは雪なんか積もるとして数ミリ地面に膜を貼る程度でしかない。
 東京の大雪もこれが初めてではないので、もうそんなに新鮮味はなく、どこにも行かず(こういう仕事で本当によかった)家にこもって3DSにダウンロード版として復刻された「ポケットモンスター クリスタル」などやって過ごしていた。一気に小学生の頃の冬休み感が出る。

 結局この一週間、積もった雪は溶けきらなかった。先週は本当に、道の両側に残った雪の間を吹く風が冷たくて辛かった。道も雪かきをしてあるところのほうが少なく、積もった雪の上を大勢が踏み固めてしまい完全に凍結していた。犬も雪が降っていた夜や翌日の朝ははしゃいでいたが、そのあとはもう冷たい氷の地面を避けるように歩いていた。車通りの多い道路脇の雪も真っ黒になるだけだった。

 住宅街、それも大きめの立派な家が建ち並ぶ通りほど雪かきは手付かずな印象だった。そんなことで立派な家に住んでいるひとたちのイメーイを決めつける気にはならないが、それでも歩くところ歩くところそういう感じだった。というか家の出入り口の前すらもなにもされていない。
 どうしてだろうと思ったけれど、雪が降ったのが月曜日だったから、週末になるまで雪かきをする余裕などなかったのだ。週末になるとようやくガシガシとスコップで地面を削るひとたちが現れたけれど、もはや雪というより氷なのでそれはもう大変そうだった。雪かきではなく掘削だった。これが木曜日とか金曜日に降って積もっていたら、ここまで放置はされないですんだのになあ。要するに立派な家に住んでるひとたちは平日懸命に仕事をしているのだった。犬の散歩してポケモンで遊んでるぼくとは違うのだ。
 
 道はどんどん元どおりになっていて、乾いた地面がいかに歩きやすいかを実感しているわけだけれど、植え込みとかはまだ積もったままの綺麗な状態で雪が残っていてかわいらしい。並んだ木のてっぺんに少し雪が残っている様子は、みんなで帽子をかぶっているようだった。

2018/01/27

iPhoneケース


 FRAPBOISコラボのシリコンiPhoneケース(8/7/6s/6対応)がギズモビーズより発売となりました。全6種。コレクト・ゼム・オール!
 大きなキャラもののシリコンカバーが好きなので非常にうれしいです。


 特にコーギーのフォルムをそのままiPhoneケースにしたものがあればいいのになとずっと思っていたので、自分の絵で実現してよかった。フォルムありきなのでこれだけダイカット。


 6種の中でペンギンが2種類あるのもいいですね。翼の部分など飛び出した部分は結構厚みがあるので、使っているうちにちぎれる心配はないと思う。


 いちばんFRAPBOISらしいのはこれでしょう。なにげに珍しく人間キャラがいるのもポイント。本当に細かい線の具合までそのまま再現されていてすごい。あんな真っ平らな絵がこんなにちゃんと立体になるとは。

ギズモビーズ、SAC'S BARの店舗で購入できます。

2018/01/26

営業報告



「SPUR」(集英社)2018年3月号の「銀幕リポート」第24回では、ポール・キング監督の『パディントン2』を紹介しています。 前作よりさらにかわいくなってクマのパディントンが帰ってきた!悪役のヒュー・グラントが最高です(前作はニコール・キッドマンだったので尚更)。サリー・ホーキンスもお美しい。公開中。



「婦人公論」(中央公論社)2018/2/13号ではジェーン・スーさん連載「スーダラ外伝」第23回の挿絵を描いています。



「小説NON」(祥伝社)では、2018年2月号から新スタートした原宏一さんの連作に挿絵を描くことになりました。 挿絵、大きいです。

2018/01/18

雑記(6)

「SWサイト」

 思いつきで土台を作ったものの、なにも作らず放置しているSWサイト。超新星のような『最後のジェダイ』公開でぼくの中のなにかが一気に弾けたのか、最近なんとなく熱が安定していた(決して冷めたわけではない、そんなわけなかろうが)。爆発のあとで、改めて自分のSW観を整理するのもいいかもしれない。『最後のジェダイ』という作品によってSW神話そのものも一度壊され、再構築されたように思える。
 リセット、というほどではないが、原点に立ち戻って最初からもう一度考えたいなどと思っている。SWサイトをいちから作るのはそのいい機会だと思う。
 整合性とか見栄えとか体裁とか、そういうものを一切気にせず、とりあえず基本的な目的であるところの、このブログで書き散らしているものや、描いてきたイラストのアーカイブから着手することにしよう。まずはすでにある素材をまとめていく。それからそれぞれを関連づけたり、体系的に整理していけばいい。
 ビギナーに知識を授ける上からオタクにはなりたくないが、それでも基礎的な案内は欲しい。SWの入門ものは当然ながら世の中にたくさんあるが、ぼくなりの見方みたいなものは示したい。教える、なんて偉そうなものではなく、あくまで紹介というようなニュアンス、ぼくはSWをこういうふうに観ているというエッセイ。
 

「2時間制になっています」

 近所のケーキ屋さんの前を通りかかるたびにガラス戸に大きくカメラに赤い斜線の走ったピクトグラムが貼り付けられているのが見える。ピクトグラムというのはその図形だけで意味がわかるというものだったと思うけれど、その図形の下にはさらに「撮影禁止」という文字が走っている。こういう二重の表示をなんと言うのかは忘れちゃったけれど、とりあえずそれがものすごく大きく貼り付けられているのでケーキ屋さんの店構えを台無しにしている。
 撮影を禁止しているという表示そのものが、うちはそれだけ写真に撮りたくなるかわいいケーキを作っているのですというアピールに感じられて、はっきり言ってとてもダサい。言うまでもなくそもそも野暮ったいお店なのだけれど、さらにひどいことになっている。ここに越してきたばかりの頃、試しに一度ケーキを買った記憶もあるけれど、どういうケーキでどういう味がしたかはもう忘れた。そして別に店内も、ケーキそのものも写真に撮りたくなるようなものではなかったと思う。禁止されるまでもない。
 同じような話で、なんとなく適当に入ったお店で席に着くなり「2時間制になっています」と言われることもあるのだけれど、そういうお店に限って別に2時間いたくなるような店でもなんでもない。食べ終えて一息ついたらもう十分です。1時間もかからない。もちろん食事が出てくるまでにどのくらいかかるかわからないけれど。もしそれが1時間かかるのであれば、まあちょうどいい時間なのか。
 写真に撮りたくなる、2時間以上長居したくなるようなお店をつくってから言って欲しい。


「紙の質感」

 学生の頃はなんとなくその手触りと、水彩絵の具の乗り方からマーメイド紙が好きでずっと使っていた。硬さもいいので切り取ったりして遊ぶのにも向いている。色はナチュラル。真っ白でもなく、そこまで黄ばんでもいない色で、描いたものに温かみが感じられる。
 ところが、美術学校を卒業して2年くらいはあまりお金が無かったので(この頃の話をいい思い出として書けるようになるのはいつ頃かまだわからない)だんだん画材も安いものに切り替えたりするようになり、凹凸のある紙はどうしても線に癖が出たりもするので、もっと平坦な線が描け、安価で普遍的なケント紙を使うようになった。絵を描いたりしないひとでも聞いたことがあるであろうこの紙もやはり汎用性が高い。絵も描けて工作にも使える。安い。大抵どこでも売っている。
 というわけで、これまでウェブにアップし続けた絵のほとんどがケント紙に描いたものだった。
 ぼくは基本的に紙に線画を描いて、それをスキャンしてコンピューターに取り込み、フォトショップで線画だけを抽出し、線画のレイヤーを一番上にして下に敷いたレイヤーに色を塗るという、非常に単純でなんの工夫もない方式で描いている。
 結局デジタル上で線画だけにしてしまうので均一かつ平らな線が描けるケント紙で十分だったのだけれど、ふと真っさらなまましまってあったマーメイドが数枚出て来たので、試しにいくつかちょっとしたものを描いてみると、これがとてもいい感じの線になった。凹凸のある紙の表面でインクが独特の震え方をする。決してペン先がコントロールできないというわけではなく、思い通りに引いた線が、さらにいい強弱がつくのだ。それはデジタルに取り込んで線画だけ抽出したあとでも、紙の質感を伝えていた。その線の走り方は、紙の凹凸に従ったものなので、線画だけになってもそこには紙の表情が残っているのである。考えてみれば当然のことだけれど、自分では驚きの発見だった。実感として知れたのも大きい。
 デジタルに取り込んだあとでもどれだけアナログな絵の雰囲気を残せるか、出せるかというのをずっと考えていたから、このように線が紙の質感を伝えられるというのがわかったのはうれしい。ケント紙で描いた線画には、いまひとつどこか質感が欠けている気がしていたのだ。質感の少ない紙だから当たり前で、それはそれで利点はあるのだけれど、このたびの発見で絵としての存在感がもっと出せそうな気がする。
 問題は凹凸のある紙は繰り返し消しゴムをかけていると汚くなること。書き直すことの多い、映画の感想とかはケント紙のままのほうがいいかも。


「木で出来てると思った」

 ぼくは結構地黒なので、それはもう中学高校でそのことを揶揄されたものだ。今でも友達がたまにふざけてそのことを指摘するし、生まれたばかりのぼくの姿を見た父親は「あまりに茶色いので木で出来てると思った」らしく(失礼極まりない)、本人がそれをまだ覚えているかどうかは知らないが(多分覚えてない)、それを聞かせたら妻は大笑いしてそれを気に入った。木で出来た赤ん坊って、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』か。
 今では自分の容姿に対しては自信と愛着しかないが、思春期ではなんでも気になるものだ。今じゃ自分の身体で気になるところといえば肩こりと腰痛くらいで、パーツの全ては自分を構成するものとしてなにひとつ不満がない。これが自分である。これだから自分である。
 とかくこの世の中は色白をもてはやして色黒や地黒を悪く言う傾向にあると思う。悪く言うというか、残念なものとしているというか。試しにグーグルの検索欄に「地黒」と打ち込むと、地黒のひとが色白になる方法とかがずらっと出てくる。まったく、一体地黒のなにがいけないんだろうと思う。どうしてそこまで白い肌にこだわるのだろう。漂白願望が強い。
 浮世絵とか、昔の日本画でひとの顔が全部白いのと関係があるのだろうか。ぼくが思うにあれは「わざわざ塗るまでもないから」白いのだと思うのだけれど。日本の絵というのは結構そういう、なにもないところは描かない塗らないみたいな傾向が強いよね。そういうのは今日のイラストレーションの世界にも根付いていて、特に流行りのイラストレーションにも肌の色が省略されているものは多いと思う。それはもしかしたらある意味フラットかつニュートラルなのかもしれない。
 ちなみにチャーリー・ブラウンはあれで実は髪が生えていて、作者のシュルツ曰く「わざわざ塗るまでもないほど透けるように綺麗なブロンドだから」あのような造形になっているのだとか。妹もブロンドだもんね。
 「美白」という言葉に結構罪深いところがあるような気がする。あんまり言葉のせいにはしたくないが、白い肌こそ美しいというような前提が出来てしまっているのがどうしても気になってしまう。
 そして、そういうのは他の国のひとへのスタンスにも表れていると思う。ちょっと色の濃いクラスメイトに対する、「自分たちより色が濃い」という感覚を、それがスタンダードである人種のひとに対しても適用しちゃいがちというか。地黒を残念がったり笑いの種にしたりするのは、結局そういう無神経さを生んでしまうのかもなあと少し思った。
 ところで昨年末に件の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のキャラクター、ベビー・グルートの等身大フィギュアが届いた。等身大と言ったって30センチくらいの大きさ。劇中通りの大きさなので、これでもライフサイズである。かつて木で出来た赤ん坊と言われた身からすると、非常に親近感の湧くキャラクターである。

2018/01/08

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」


 生きた動物への憧れや、電気仕掛けの模造動物の描写のほかにも、映画にはなかったマーサー教という要素がおもしろかった。人間とアンドロイドの区別に用いられる共感能力が、この未来の宗教によって強調されて興味深いのだけれど、非常に精神的な描写なので映画では割愛されてよかったと思う。
 動物の描写で虚しくなるのは、なんといってもイジドア君(映画におけるセバスチャン)が衰弱して死にそうな電気猫を修理しようとするシーン。電池ボックスだか機構部だかの蓋を開けようと毛皮の中を探るもなかなか見つからず、ぐずぐずしているうちに猫は絶命してしまう。そう、猫は本物だったのだ。それでもイジドアはそれをよく出来ている高級の模造品だと思い込む。イジドアの少し抜けた感じももどかしいのだけれど、それでも彼に少し同情を覚え、とにかく猫がかわいそう。
 人間とアンドロイドの違い、境界が曖昧になり、自分たちの存在に自信が持てなくなるというのがこのお話の肝なのだけれど、動物と模造動物の境目もここまで来るとあやふやになってくる。本物そっくりで、その必要もないのにリアルさのためにわざわざ病気で苦しんだりして見せる電気動物を、本物同様にかわいがったり、ご近所に本物を飼っているように見せかけたり、あるいはそもそも模造だと知らずに、本物の動物だと思って飼っていたり。その一方でイジドアみたいにどうせ全部模造だろうという前提で動物と接している者もいたりする。
 人間とは何か、なにをもって人間なのかという疑問の前に、生き物とは、生命とは何か、みたいな問いもあるように思える。

2018/01/06

雑記(5)

「初詣」

 この4年ほど、初詣は神田明神にお参りしている。初めてお参りして商売繁盛のお札を部屋に置いてからというもの、それ以降どんどん仕事が増えているので、サボるわけにはいかない。いや、そんな動機でお参りするのもどうなのかと思うけれど。それに将来どこか遠くへ引っ越してからも、ずっと正月のたびに神田明神に来なければならないのか。
 今年はひとりで行ったのだけれど、ひとりであの参拝の行列に並ぶのって結構きついものがあるとわかった。妻が一緒ならふたりであれやこれやとりとめのない話をして過ごしたりできるが、ひとりだと話す相手もいないので、ひたすら周りの人々の聞きたくもない会話が耳に入ってくるばかりで、いやでも周囲が気になる。これで4度目の初詣になるが、来ている時間帯がいつもばらばらなので混み具合は比較できないが、それでもどこかガラの悪いひとたちが増えた気がする。犬連れも多かった。別にいいけど。
 寒空の中、5時前にはもう真っ暗になる。とにかく脚が、足先が冷える。寒さとストレスでだんだんなんのために並んでいるのかわからなくなる。いや、本当になんのためなんだ。縁起のためか。でも縁起ってなんだ。どうしてこうも毎年毎年盲目的に、思考停止して自動的に通っているのだ。だいたい普段から神社も寺も教会も墓場にも寄り付かない人間が、元旦にだけこうやって調子よくお参りして意味があるのか。むしろずるいのではないか。毎日毎日お参りしているひとに悪いじゃないか。日頃から熱心なファンをさしおいて、『スター・ウォーズ』の公開初日のチケットを買い占めてしまうミーハーのようで悪いではないか。それが超うざいことはぼくにはよくわかる。
 なあんてことを思っていては縁起もなにもないのだけれど、とにかく列が進んでぼくの番がまわってきた。小銭を投げて礼をしたり手をたたいたりして、また礼をしたりしてプロトコル完了。ひとが多すぎてそのあとどこへどいていけばいいのかわからないが、なんとか群れから離れてお札やお守りの授与所へまわる。しかしこちらもひとが多すぎてぐちゃぐちゃである。前の方に来てみると並べられていたお札がいくつも地面に落ちていて、気づいていない参拝者たちに踏みつけられているではないか。おばちゃん、一生懸命お守りを選んでいるようだが知らぬ間にとんでもないことをしている。教えるべきなのだろうか。しかし教えたところで、このひとはすごい罪悪感にとらわれて元旦から気分が台無しになってしまうかもしれない。知らぬが仏である。神社だけれど。おばちゃんが立ち去ってから急いで落ちているものを拾って陳列台に置く。


「リボルテック」

 お参りが済むと、毎年恒例の秋葉原散策である。もちろんお参りが一番大事だけれど、そのあとで秋葉原でいろいろ見て回れるからこそあの行列も耐えられる。電気街は元旦から物を売りまくっていた。物、物、物。生きる上でなんら必要ない物で溢れかえっている。でもその意味の無い物の中がなんとなく落ち着いたりもする。目にするだけで不快な物も多いが。
 なんであれ『スター・ウォーズ』の中古フィギュアを漁るのは楽しい。新製品が並んでいる光景より胸がわくわくする。いろいろな時期のものがごちゃごちゃになっているし、欲しいもの、なおかつ安価でおもしろいものを探し出すのが楽しい。ただの買い物よりも宝探しのような感じさえする。
 元旦から早速見つけたのは1995年製のR2-D2の3.75インチ・フィギュア。ハズブロ傘下のケナー製品である。幼少の頃に買ってもらったもののひとつで、紛失していたので取り戻した。これでC-3POもR2-D2も最初のコレクションが再現されたわけだ。最初のものをそのまま持ち続けられたらよかったのだが、どっちみち状態はひどかった。
 数百円でそれを買った以外は特にいいものは見当たらなかったけれど、もう少しまわってみようとあちこち歩き、上下移動を繰り返した末にガラスケースの中で前から気になり手頃な値段で探していた海洋堂リボルテックのC-3POを見つけた。粘ってみるものだ。リボルテックとはこのメーカー独自の関節部品を使ったフィギュアのシリーズで、フィギュアの関節というのは大抵動かしているうちに劣化してゆるゆるのぐらぐらになってしまうのだが、このリボルテックの関節は歯車のギザギザのようなものを噛みながら曲がっていくので、ゆるくなりづらい、というかならないのだ。
 遠慮なくたくさん動かせるSWフィギュア、それだけで最高なのだけれど、どうやら評判が芳しくなかったようで、C-3POとR2-D2、ダース・ヴェイダーにストームトルーパー、ボバ・フェットあたりが出ただけでその後の展開はない。今では同スケールの、よりリアルなフィギュアをバンダイやメディコム・トイが熱心に展開しているので、完全にそっちに持っていかれてしまった。まあでも、日本製のSWフィギュアがこんなにたくさん出るとは思わなかったなあ。ねんどろいどまであるのだから驚きだ(フィグマにもなればいいのに)。
 たくさん歩いて探していたものが見つけられたときはとてもうれしい。しかもそれが、思い通りの値段だったりするとなおさらだった。ちょっとくたびれるけれど、新品をビックカメラやトイザらスで買うのとは違う楽しさがある。
 そういうわけで新年早々に手に入れたのは、新作映画ではほとんど見せ場の無くなってしまったドロイド・コンビとなった。ドロイドまで世代交代させる徹底ぶりは清々しくもあるのだが、このコンビだけはシリーズ全体で一貫して狂言回しになって欲しかったと思う。


「全ては口呼吸のせい」

 朝目覚めると口の中がカラカラに乾ききっていて辛い。妻が言うにはいびきもうるさく口臭もひどいらしい。それで、たぶんその原因は口で息しているから。思えば子供の頃から口で息をしていた。と言うのも、嫌な匂いがするときは口で息をすればいいなんてことを誰かに言われてそれ以来、口のほうが穴が大きくていっぱい吸えるじゃんという勘違いをしてずっと口で息してきたように思う。そうして鼻の穴がひどく狭く、鼻では思うように息ができないというような勘違いまで身体に染み付いてこの年になってしまった。当然口は開きっぱなしで、だから顎が変なのだと思う。
 試しに寝る前に口を手近にあったマスキングテープで閉じてみる。すると、翌朝から口臭が消えていた。いびきも聞こえなかったらしい。歯ぎしりも無し。そしてなにより鼻がすごく通る。こんなに鼻で空気を吸えたのはいつぶりだろうか。鼻ってこんなに奥のほうまで空気が吸えるのか。気持ち頭もすっきりしている。口呼吸では脳に送り込む酸素も足りなかったのだ。だから慢性的に、顔の奥のほうでなにかが詰まっているような嫌な感じの頭痛がずっと続いていたのだ。口を閉じて寝て以来あの頭痛もすっかり消えてしまった。鼻づまりもなくなった。
 驚いたのは、顎の形もよくなったのではないかということ。さすがにこれは何日か続けてから出てきた変化だけれど、少なくとも頰のあたりの骨が音を鳴らさなくなった。『シークレット・ウィンドウ』という映画を観たことあるひとなら、主演のジョニー・デップがしきりに顎を動かして頰のあたりの骨をこきりと鳴らすあの動作だと言えばわかるだろう。あそこまで強迫的な動作には、ぼくの場合ならなかったけれど、それでも動かすと音が鳴っていたので、それがすっかり無くなったということは顎がちゃんとまっすぐになったに違いない。
 鼻で呼吸するとこんなにいいことばかりとは。口で息をしていたこれまでの人生はなんだったのか。誰かが教えてくれればよかったのに。誰かに教えてもらわないとぼくはなんにも気付けない。自分は呼吸するのが下手なのだとどこかの時点で気付けていればと本当に思う。


「今ってなんの時間?」

 今ってなんの時間?アドベンチャー・ターイム!ということでアマゾン・プライムで延々とカートゥーン・ネットワークのアニメ『アドベンチャー・タイム』を観続けている。配信されている91話分を二周した。たぶん三周目もいく。いける。何度でも観られる。色が綺麗。かわいい。楽しい。挿入歌がいい。ただ、流していると他に何も手がつかなくなる。そして自分もこんな楽しい世界を描きたい、描かなければというような謎のストレスを感じたりする。
 お気に入りのキャラクターはルートビア。ルートビアの入ったグラスが顔になっていて、グラスの口から盛り上がった泡の部分が髪。探偵志望(ミステリー作家志望?)だが普段は冴えないサプリメント販売の電話オペレーター。奥さんはチェリークリームソーダでキャラデザは同じ感じ。毎晩タイプライターに向かってミステリーを書いていて夫婦仲はいまいち。そんな彼がある日誘拐事件を目撃してしまうお話。
 この回以外にも探偵もののパロディというと、ゲーム機型ロボットのBMOが探偵を演じる、モノクロなフィルムノワール調の回があってそちらも大変おもしろいのだけれど、今回はフィルムノワールのパロディというより、パルプものの小説といった雰囲気。
 おもしろかった回をあげていてはきりがない。どこかで何話かピックアップしてレビューできたらいいのだが。
 我が家は配信ものはプライム・ビデオしか加入しておらず(それもアマゾンで買い物をするついでに入っているに過ぎない)、そのほかはなにも入っていない。なのでネットフリックスで話題の作品などは一切観てない。しかしとにかく世の中ネットフリックスである。ネットフリックスばかりおもしろそうなものをやりやがる。ひとに会っても当たり前のように『ストレンジャー・シングス』の話題を振られる。観ればいいのに、観たらいいのに、きっと気に入るのにとか言われる。そりゃ観たいのは山々だけれど、プライムですら思うように観れていないので(90話あるアニメを二周しているのは置いといて)ちゃんと観られるかどうかわからない。プライムは通販のついでなので、はじめから視聴だけを目的に加入する勇気もいまいち出ない。
 そしてなんと言ってもやはり、話題になっている全てを観ていてはきりがない。無理。あまりにも新しい作品が多すぎる。恐らくぼくが『ストレンジャー・シングス』を見始めたら今度はほかのものが話題になるのが目に見える。全ては追いかけられない。
 家で好きな時間に観られるとしても、好きな時間に観られるからこそ観る時間がない。いつでも観られるなら今日でなくていい、と思って時が流れる。
 果たして視聴の敷居が低いのか高いのかわからない。いっそレンタルや劇場で上映されたほうが観る機会がありそうな気がする。ぼくのような人間には加入っていうのがハードル高いんだよな。
 娯楽作品が溢れ返っている世界では、どれだけ観たかより、どれだけ観ないで済ますかも重要になってくるような気もする。自分にとって最良を見つけたいものだ。いや、まあ、羨ましいだけなんだけれどね。
 これはまあ、あれが観たいこれが観たいと妻にネットフリックス加入を持ちかけるも、依然として拒否されているからで、諦めたというか、無理して観なくてもいいかなと納得した結果なのだけれど。
 と、妻の合意が必要みたいな話になってくると、男友達などは「だから結婚なんかしなければいいのに」みたいなことを平気で言うので辟易する。別になにもかも妻に支配されているというようなニュアンスで言っているわけではないのに。むしろ放っておいたら、好きにさせたら無闇にお金を使ってしまうぼくには彼女のようにところどころおさえてくれるひとがいないと駄目なわけで。
 プライムで観られる範囲で、楽しめれば今のところはいいかな。だいたい映画の試写だっていっぱいっぱいなのだし。

2018/01/01

謹賀新年


 今年もどうぞよろしく。
 今年はもっと文章を書いたり、創作をしたりしよう。そろそろ空想がしまっておけなくなっている。絵の方では、もっとちゃんと人間をたくさん描けるようにしよう。