2016/07/30

FRAPBOIS×MIZMARU 9月以降の展開


 洋服の図案でコラボレーションさせていただいているFRAPBOISの新作展示会にお邪魔してきました。すでに先行して販売されたTシャツが大変ご好評いただいてますが、写真のようにずらっと新しいコラボ商品も展開していきます。



 今月発売されたのは、FRAPBOIS ZOOでおなじみのクマのキャラクター「ベアチャン」とぼくが個人的に好きな動物(あと恐竜)たちがコラボしたTシャツでしたが、9月は昆虫の絵柄でトレーナーや長袖Tシャツが登場します。「飛び柄でいろいろなやつを描く」というのはとても楽しいです。


 別バージョンではてんとう虫だけ色がついていますが、よく見ると赤いところはモコモコ生地という凝ったつくりに!

 この昆虫柄トレーナーは、すでにZOZOTOWNにて先行予約受付しています。
http://zozo.jp/shop/frapbois/goods/12822579/?did=28824334&rid=267718


  長袖のTシャツは、胸のポケットの上あたりという絶妙な位置に、刺繍ワンポイントです。蝶はポケットから飛び出してるように見えるし、てんとう虫はポケットに飛び込もうとしてるように見えたりするのがおもしろいですね。


 こちらは10月展開予定の犬柄シャツ。普通のブラウスタイプと、裾が長いシャツワンピタイプの二種。小さいですが、ぼくが描いた柄が全て刺繍で再現されています。黄色いのがコーギー、緑色はシェパード、ピンクがプードルで水色がプーリーです。もはや犬無しでは生きられなくなったぼくですが、今回はかなり犬を描きました。

 ZOZOTOWNにて先行予約受付中です。
 シャツワンピタイプ:


 トレーナーワンピ(左)とニット(右)。どちらもコーギーの柄となっています。


 これも線がニットで再現されていますね。普通のイラストが、こうして布と糸によって置き換えられるのはとてもおもしろいです。


 やはりこういう細かいディティール部分はうれしくなります。
 

 骨タグ付き。


 トレーナーワンピは脇腹にかけて付けられたポケットをコーギーがくぐっています。これは原画がそのままプリントされています。反対側からお尻が出ているのがたまりません。絵柄を描いたときはこんな配置まったく思いもしなかったので、とても新鮮で気に入っています。フードの紐がリボンになってるのも洒落てますね。

 ZOZOTOWNにて先行予約受付中:
http://zozo.jp/shop/frapbois/goods/12824541/?did=28832268&rid=267718

 FRAPBOIS × MIZMARU、ぜひお楽しみください!

2016/07/24

SPUR映画レビュー第6回『ジャングル・ブック』


 「SPUR」9月号の映画レビュー連載では、ディズニーとジョン・ファヴロー監督最新作『ジャングル・ブック』を紹介しています。主人公の少年モーグリ以外全てCGと宣伝されているくらいそのデジタル映像に見応えがありますが、個人的には1967年のアニメ版がどうアップグレードされているかに注目してしまいます。CGがリアルなのはもう当たり前だからね。その本物同然の存在感ある映像でいかに原作小説や旧アニメ版の世界をおさえているかがポイントだと思います。
黒ヒョウのバギーラにベン・キングズレー、クマのバルーにビル・マーレイ、トラのシア・カーンにイドリス・エルバ、大蛇カーにスカーレット・ヨハンソンと、アイコン的な動物キャラクターたちが豪華キャストによって命を吹き込まれているほか、アニメ版では陽気に歌って踊るオランウータンだったキング・ルーイが、クリストファー・ウォーケンの恐ろしげな顔と声で巨大なギガントピテクスに変貌しているのもおもしろいです。

2016/07/17

『ブルックリン』感想


 家を出て上京したひとなら「実家に帰省したら食卓でお客さん用の箸を出された」ことやそれに似たような経験はあると思う。都会の忙しい日々に疲れて帰省し、最初の二日くらいは楽しいのだけれど、何日か滞在しているうちに飽きてきて(自転車を20分くらい漕がないと最寄りのコンビニにも行けない)そうこうするうちになににうんざりして地元を飛び出すに至ったのかを改めて思い知り、やがてはまた東京に"帰る"ことに……。本作の物語をそんな経験と比べてしまうとさすがににべもない上にだいぶスケールダウンするのだけれど、その根底には同じものようなものがあると思う。故郷に戻れば確かに安心する。けれど、一度旅立ってしまった身としては、また出ていかなければならないのだ。別の場所に帰るところをつくってしまったのだから。
 アイルランドとニューヨークで、まったく同じ時代に見えないほどの差があり、アイルランドでの描写はややカメラが揺れているようにも感じられたりして、言い知れぬ閉塞感や不安を覚えたりするのだけれど、緑色の調度品ばかりなところは普通にかわいい。雑貨屋のいじわるばあさん(ブリッド・ブレナン)の部屋も緑が多くてかわいいのだ。けれど、シアーシャ・ローナン演じる主人公にとって緑色は懐かしさであると同時に呪いでもあるんだろうな。初めてニューヨークに渡る際に着ていた少々野暮ったく重たそうなグリーンのコートも、都会に染まるにつれて脱皮するかのように脱いでしまう。着ている服の色がキャラクターやそのバックグラウンドを象徴しているという効果は好きだ。『アデル、ブルーは熱い色』('13)を取り上げたときにも登場人物たちの服の色の変化について触れたと思う(該当記事)。
 ドーナル・グリーソンがまた出ている。観るもの観るものに出ている気がする。ジュリー・ウォルターズも出ているのだけれど、『ハリー・ポッター』シリーズのウィーズリー親子が揃ったね。劇中でふたりが顔を合わせることはないけれど。ハリポタで言えばジム・ブロードベントも(スラグホーン先生)。ハリポタ世代なためかアイルランド&イギリス組は見ていて安心する。
 アイルランドものということで、公開中の映画『シング・ストリート』と合わせて観たい。どちらも不況の閉塞感に満ちた故郷から飛び出す話と言えるし(かたや50年代、かたや80年代なのにどちらも同じ時代に見えてしまうのは、それだけ不況が時間を停滞させてしまうということなのだろうか……)。『シング・ストリート』については「SPUR」8月号で紹介中。

 

2016/07/06

『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』ノート:1


 CGアニメによる劇場版『クローン・ウォーズ』('08)を除けば、初のスピンオフ映画となる。ぼくがこれほどまでに『スター・ウォーズ』にのめりこんだのも、もとはと言えば小説やコミックからなるスピンオフ群が、大変奥行きのある拡張世界を形成していたからだ。そこには映画には描かれていない、けれど映画の世界観を補完するたくさんの「背景」があった。映画劇中では通行人に過ぎないエイリアンにも名前と物語があった。それは現実世界と同じだ。道行くひと全てに人生がある。膨大なスピンオフによって築かれたこの小宇宙はそれを再現しているかのようだった。だから、スピンオフを映像で、実写で観せてくれる『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』は個人的にとても楽しみだ。
 基本的な情報は図に書かれている通り。さらに最新の情報を加えるとすれば、この7月から大掛かりな「撮り直し」が始められたという。ギャレス・エドワーズ監督が今作を「本格的な戦争映画として仕上げたい」と公言していたことから、あまりにも戦争映画過ぎたのでSWらしいユーモアを追加するための再撮影だという噂も。ぼくとしては、せっかくのスピンオフなのだから普段のSWにはないものを観たいので、戦争映画的側面を強くしていても全然構わないのだけれど、バランスとは難しいよな。。。
 今作は『エピソード3:シスの復讐』にてジェダイたちのほとんどが皇帝によって粛清されてしまった後、『エピソード4:新たなる希望』の少し前の時代が舞台。オビ=ワンもヨーダも隠居中だし、新たなる希望であるルークもまだ自分が何者かに気づいてはいないので、ジェダイ不在の世界だ。ジェダイが登場しない初めてのSW映画ということになる。
 ぼくはジェダイの騎士にそこまで魅力を感じられないタイプなので(SWのアイコンとしての存在はもちろん認められる)、普通の人間たちがジェダイ抜きで戦うというコンセプトにはめちゃくちゃ惹かれてしまう。というか、本来銀河系の大半の人々はそうやって生きているわけで、彼らの物語がやっと観られるかと思うとうれしくなる。それにそういう物語があったほうが、シリーズ全体としてジェダイの存在がより神話性を帯びるのではないかなあ。
 メイン・キャラクターや新しいストームトルーパーについてもいろいろ情報が出ているのでまたちょくちょくまとめます。

『ヤング・アダルトU.S.A.』オリジナル・サウンドトラック発売!


 7月4日のアメリカ独立記念日はいかがお過ごしでしたでしょうか。
 昨年DU BOOKSより発売された長谷川町蔵さんと山崎まどかさんの共著『ヤング・アダルト U.S.A.』のオリジナル・サウンドトラックが、本日ユニバーサルミュージックからリリースとなりました。


 書籍のサントラとは、どういうことかと言えば、本書に登場する楽曲が20曲が収録されているのです。本書と同じく著者おふたりの対談形式ライナーもあり、ぼくのイラストもジャケットはじめあちこちに使われております。ちなみにCDのジャケットに絵が使われたのは初めてです。


 なんと盤面にも使われています。黄色いディスク、めちゃくちゃ良いですね。


 この夏のBGMはYAUSAサントラで決まり!


2016/07/01

『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』監督&キャスト来日会見


 とても緊張したけれどちゃんと質問できました。ジェフ博士、みんなをおもしろがらせようとずっとおどけていて、良い人そうだった(リアムの太もも触ってた)。今作のエイリアンについて説明してくれたけれど、彼自身クリーチャーに縁があるよね。クリーチャー博士だね。
 ちなみにハエ男ハエ男書いたけれど、彼の役で一番好きなのは『グランド・ブダペスト・ホテル』の弁護士コヴァックスだな。愛猫を目の前で殺された上に手の指もがれちゃう不憫なキャラクター。コヴァックスの事務所の机の上の書類の山はたまらん。
もともとエメリッヒ監督は『インデペンデンス・デイ』('96)の続編については、ひとから、作らないの?と聞かれるたびに作らん作らんと言ってたらしいのだけれど、『2012』('09)を撮ったときに映像技術の進歩を目の当たりして、これなら作ってもいいかも。。。と思ったのだそう。今回の『〜リサージェンス』の着想は「今度はエイリアンたちの巨大な母船が直にやってきたらどうなるだろう、それだけ巨大なら船自体にも重力があるのでは?」という考えにあるそう。アジア大陸を吸い上げてヨーロッパに落っことしたら、というとんでもなくデストロイヤーなことを思いついたとか。。。
 それにしても男性陣みんな同じような茶色い靴だったけれど、流行ってるのかな。監督とマイカ、後ろ姿でごめんなさい。


 東京上空に宇宙船が!
窓に映した映像もよく出来ているのだけれど、音も迫力があって、床が振動していたので高所恐怖症のぼく(監督もそうらしい)としてはかなりおっかなかった。展望デッキフロア350では7月31日まで特別映像が流れているそう。


 というかぼく、これが初スカイツリーだったんだな。東京タワーがめちゃくちゃ怖かったので(江ノ島の展望台ですら怖かったくらいだ)、スカイツリーなんて絶対無理だと思っていたのだけれど、これだけ高いと対抗する高さのものがほかにないので、外の景色が平面に見えてきて、ほら、飛行機乗っているときと同じ感じ?高いところっていうレベルじゃ、ないんだな。だから案外平気だった(夜だったというのもあると思うけれど)。

『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』は7月9日より公開。


2016/06/26

営業報告:SPUR映画レビュー第5回


  「SPUR」8月号の「銀幕リポート」では、「はじまりのうた」('13)のジョン・カーニー監督最新作「シング・ストリート 未来へのうた」を紹介しています。
 80年代の大不況下のダブリンで少年たちが音楽に想いをぶつける、爽快な青春ものです。ヤング・ハン・ソロ候補のひとりだったジャック・レイナーも出ています。

ANT-MAN in Pixar


 マーベル・ヒーローでは特にアントマンが好きなので、アクション・フィギュアも買ったのだけれど、そこでこういう、身体が小さくなるからこそのパロディを思いついたり。。。本当は映画版のデザインがそこまで好きではないので、コミック版のデザインも意識して、もう少し自分好みのアントマンを描いてみたいなあ。
 そういえば、向かって右側の羊飼いのお姉さんボー・ピープは一作目二作目と登場していたのだけれど、三作目には登場せずヒロイン(?)の座が左側のカウガール・ジェシーに奪われてしまった。三作目はおもちゃたちの持ち主アンディが大人になっておもちゃを手放す話で、それまでに他の多くのおもちゃたちもいなくなっているという設定(初期には山ほどいたバケツ入りの小さな緑色の兵隊たちもたったの3体しか残っていないのが時間の経過を思わせる。現実の家庭でもああいうおもちゃは数が減っちゃうものだ)。ボーはおもちゃではなく陶器製のランプで、それもアンディではなく妹モリーのためのランプだったので、モリーの成長に合わせてその役目を終え、仲間たちとは違う道をたどることになったらしい。調度品である彼女、ガレージセールかなにかに出されたのだろうか(かりに陶器のボーがサニーサイド幼稚園にもらわれていったらと思うと彼女の運命を思ってゾッとするが)。
 けれどボーは戻ってくるらしい。シリーズ最新作となる四作目はウッディとボーの恋の物語になるということが、ジョン・ラセターその人によって発表されている。他の家に譲られたボーを、ウッディが探しに行くというような内容であれば、むしろ三作目の一時退場は伏線とも取れるし、ウッディの寂しさも際立ってとても効果的。観客は前二作でメイン・キャラだったボーがどうしてあっさりいなくなっているのか、その行方も気になったに違いない。これは四作目、期待してしまう。
ちなみにボーに声をあてているのはアニー・ポッツ。旧「ゴーストバスターズ」シリーズの秘書役。

2016/06/17

営業報告:「グリーン・ゴーラ」vol.3イラストカット担当


 前号に引き続き、ゴルフ雑誌「グリーン・ゴーラ」vol.3(「ゲーテ」8月号増刊)でもイラストカットを多数描かせていただきました。前回は入門編でしたが、今回はもう少し踏み込んだ、ゴルフ練習法についての特集です。あまり構えなくても取り組める手軽な「コソ練」が紹介されています。






2016/06/14

営業報告:「FRAPBOIS×MIZMARU」コラボ企画

 このたび「FRAPBOIS×MIZMARU」と題して、アパレルブランド「FRAPBOIS」とコラボレーションすることになり、プロローグとしてZOZOTOWNにてTシャツ四種の先行予約が始まりました。このあと7月から数ヶ月にわたって続々とコラボ商品が登場するのでお楽しみに!



 ハシビロコウ、フクロウ、ブロントサウルス、犬の四種となっています。
 「FRAPBOIS」といえば、モノトーンで描かれたクマ(ベアチャン)やパンダ(パンサン)をはじめとする動物たちによる「FRAPBOIS ZOO」が印象的。今回のコラボではベアチャンやパンサンをアレンジして、さらにぼくの好きな動物を加えて描いたりしました。





 今後の展開をお楽しみに!

営業報告:「MEN’S NON-NO」7月号、「集めたくなる栞」第三弾



・「MEN’S NON-NO」最新7月号にて、「女子がジャッジ! 男のOK水着、NG水着」という特集に、残念な方の「NG水着」イラストを描いています。ぜひご覧ください。男子は必見!
 ぼくも今年こそは水泳をやりたい(水着選びに一年かかっている)。
http://www.mensnonno.jp/thismonth/


 ***


・ブックユニオン各店の書籍購入特典「集めたくなる栞」。今月配布されている第三弾のテーマは「SF」です。フィリップ・K・ディックや星新一に挟みましょう。もちろん『スター・ウォーズ』小説に使うのもアリ!
http://diskunion.net/book/ct/news/article/2/59410


2016/06/09

『X-MEN』シリーズ時系列まとめ


 デッドプールが劇中で触れていたややこしいシリーズ時系列おさらい。ちょっとごちゃごちゃしたけど、実際ごちゃごちゃしたことが起こっているので仕方ない。劇中でタイムスリップを利用して歴史改変をし、整合性を保ったままリブートをしてしまうというのは、うまいもんだなあと思う(「リブート」というのは普通これまでのシリーズはとりあえずそのままに、別の新しいシリーズとしてやり直すパターンを言う)。新しい『スター・トレック』のシリーズも確かそういう感じだった。
 図の中では便宜上わかりやすく「タイムスリップ」としたけれど、厳密に言うと2023年のウルヴァリンの意識を、1973年のウルヴァリンに転移させて過去に干渉するというギミック。不死身でいつの時代も同じ姿であるウルヴァリンならではの役割であった。
 紫色のライン上の旧シリーズがなかったことになった、白紙化されたと解釈するのがいちばん簡単なのだが、より正確に言うなら「書き換えられた」。シリーズスタート時から大前提としてあった「ミュータントと人間の対立構造」に改変がもたらされたことで、情勢や環境の変化によって登場人物たちの身の上が多少変わったというところが重要。『フューチャー&パスト』のラスト、歴史改変後の「現代」に戻ったウルヴァリンの前に『ファイナル ディシジョン』で死んだジーンやサイクロップスが現れることからも、別ルートに切り替わったということがわかる。1973年以降の書き換えられた「世界線」が、新たに下に伸びたブルーのラインで、73年からウルヴァリンが目の当たりにした「新しい結末」までの空白を埋めるのが、最新作『アポカリプス』というわけ。
 歴史改変を説明するとき、やはり『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』(’89)でドクが黒板に描いた図が一番わかりやすいと思う。実際子供の頃観たときは若干こんがらがっていたのが一瞬で解決した。なのでここでもあの図を参考にした。
 一応デッドプールの疑問に答えるなら、彼がコロッサスから会えと言われたプロフェッサーはパトリック・スチュワートの方(現代の老いた方)。新作映画で進んでいる軸はまだ過去編(と言ってしまっていいのか微妙なところだが)なので、ジェームズ・マカヴォイ演じる若きプロフェッサーである。

『デッドプール』(2016)感想


 あまりにも台詞に含まれるネタが膨大すぎて、『X-MEN』シリーズはもちろんその他アメコミ映画、SF映画、音楽などサブカルについて一定の知識がないとよくわからないのではないか、このあたりの台詞の可笑しさがわからないとただ妙なテンションで無茶なアクションを繰り返す危ないやつ程度にしか見えないのではないかという心配もある。もちろんそれで満足できちゃうひとはいいのだが。このキャラクターは「よくしゃべる」ことが魅力のひとつなので、その台詞によく耳を傾ける(あるいは字幕を注視)のも醍醐味である。
 メタギャグ担当として自分がいる世界を観客と同じ立場で俯瞰しているその性質のためか、他の既存キャラクターのグッズが大好きだという個性も際立っている(登場人物でありながら「いちファン」であるという可笑しさ)。宣伝されていたようにキティちゃんグッズもそうだし、個人的には赤い戦闘スーツの袖をまくると現れた『アドベンチャー・タイム』のかわいい腕時計がとても気になったりした。部屋にたくさんアドベント・カレンダーが飾ってあったことからもそのコレクターでもあるだろう。どういうグッズが登場したか細かくチェックするのも楽しそう。
 で、そういう遊び心満載、ギャグ満載、少々クドい皮肉や揶揄がたくさんという感じでありながら、意外にもしっかりとストーリーが一本通っていて、非常にハートフルであるところも、このキャラクターをただフザケまくるやつに留めていない。運命の女性との出会い、幸せな新婚生活(ずっとアレなプレイのシーンだったような)、癌の宣告、病に寄り添ってくれようとする妻、その妻のために立ち去ろうとという決意、そうして治療のために「実験体」となって超人に……。不死身の代償は醜く焼けただれた顔で、戦う動機はその顔を元に戻して彼女のもとに戻るため。顔は元に戻るのか、変わってしまった彼を彼女は受け入れてくれるのかという、繊細な愛の物語が軸になっているのだ。おフザケと、そのストーリーとのバランスがよく取れているし、綺麗におさまっていたと思う。なんだかんだいって、ちゃんとヒーローしていたし。
 MCU側の『アントマン』(’15)とその仕上がりや立ち位置が似ているのではないだろうか。ただ、同じ「小規模な外伝」でありながら向こうのほうが世界観の広がりをより感じられたような気がする(もちろん『アベンジャーズ』を主軸にした、もう8年も続いている大掛かりなクロスオーバー・シリーズなのだから力の入り方や周到さが違うと思うけれど)。『X-MEN』シリーズを揶揄する台詞や、多岐に渡る話題があったものの、結局は「観客と同じ目線で俯瞰している」ことでしかないので、あまり世界観の広がりは感じられないのだ。まあ、デッドプールの場合は仕方ないよなあ。
 ちなみにデッドプールは『スター・ウォーズ』オリジナル三部作のファンで、プリクエル三部作否定派。彼の前で『ファントム・メナス』を褒めようものならその場で処刑されるらしい。そんな脅しには屈しないぞぼくは!
 

2016/06/07

『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016)感想


 大きなアントマン目当てに観た。昨年初登場した『アントマン』はどこか仮面ライダー的な印象(ポール・ラッドも劇中で「ライダースーツ」という印象を抱いているし、ベルトに仕掛けがあったりする)だったけれど、今回はシルバーでメタリックな顔と、巨大化するということも手伝ってウルトラマンのようである。アントマンのキャラクターはとても好きなんだけれど、このようにどうしても日本の特撮ヒーローを連想するヴィジュアルなので、もう少し原作に近い要素が欲しかったなあ(原作はタイツにヘルメット、触覚など)。アメキャラ的なクドさというか、禍々しさが足りない。もちろんスクリーンで「ジャイアントマン」が観れたのは良かった。個性や世界観の異なるキャラクターをよくもまあここまで自然に共演させられるよなあ。
 「3人目」(トビー・マグワイア、アンドリュー・ガーフィールドに続き)にしてアベンジャーズ入りしたスパイダーマン。彼がいるとやっぱりマーベル・コミック!という感じが増すよね。子供っぽいところも今までのスパイダーマンで一番フレッシュ。彼らはにぎやかしなので、後半は退場しちゃうんだけれど、そのあとも結構余韻が続いてムードメーカーとしてちょうど良かったと思う。どういう原作をベースにするかは知らないけれど、スパイダーマンのソロ新作ではアントマンを絡ませることができないだろうか。アントマン、ワスプ、スパイダーマンという昆虫合戦、昆虫共闘なんかも観てみたい(蜘蛛は昆虫ではないが)。
 キャプテンだけでなく、アイアンマンの個人的事情にも踏み込んでいく物語なので、トニー・スタークの父親ハワード・スタークにもある程度スポットが当てられる。ドラマの『マッドメン』がわりと好きなので、ジョン・スラッテリーの出番が多いのはうれしい(ふわふわ若白髪にふてくされたようなとがった口が良い)。ハワードはアイアンマンの父でありながら、若い頃(戦時中)にキャプテンに盾を与えるなどしてサポートしている。ふたりの超人にとって父であり友人であるハワードは、ふたりを繋ぎ合せていながら、同時に確執の要因のひとつにもなっているわけだ。そこにウィンターソルジャーことバッキーとの関係なんかも入ってきて、こじれていく。
 不満や怒りが爆発して、最後には拳と拳がぶつかりあう対決になるのだけれど、本来戦うはずじゃなかったふたりの決闘というのは、なぜかスカッとするようなところがある。『スター・ウォーズ:エピソード3 シスの復讐』(2005)でアナキンとオビ=ワンがシリーズ最長のライトセイバー戦を繰り広げるところと似た快感を覚えるのだ。いいぞもっとやれと言いたくなる。この台詞はきっとそういう快感から発せられるんだろうな。別に暴力を求めているわけでも、流血を求めるわけでもない。友達同士だったからこそ、互いの不満が爆発している様が、一種のカタルシスに思えるのだ。

 マーティン・フリーマンの小役人キャラも忘れられない。今年の12月公開の『ドクター・ストレンジ』でベネディクト・カンバーバッチがマーベル界に参戦するが、これでBBCドラマ『SHERLOCK』のコンビがふたりともマーベル入りすることに(立場と世界観はまるで違うが)。なおかつシャーロック・ホームズを演じた役者がふたり揃う。

営業報告:大塚製薬「ネイチャーメイド」ガイドブック挿絵





 大塚製薬が輸入しているアメリカ生まれのサプリメント、ネイチャーメイド。そのガイドブック小冊子の挿絵を描かせていただきました。基本的に人物のカットで、表紙にはボトルのイラストを描いています。薬局等で見かけた際はぜひ。

2016/06/06

『ヘイル、シーザー!』(2016)


 ばかにでかい機材やデジタル処理のない時代ならではの巨大なセットや派手な衣装など、きらびやかなかつてのハリウッドの雰囲気がよくできていて、目を見張るのだけれど、だからこそその華やかさが永遠ではないということがうっすらと際立っているように思った。基本的にどんちゃん騒ぎで賑やかなのだけれど、後半での展開や、このあとに50年代のハリウッドがどういう運命をたどることになるかと考えると、まるで嵐の前のお祭り騒ぎに見えなくもないんだよね。40年代の黄金期を経て、皆この時代がまだ続くと思っているし、ティルダ・スウィントンが演じていたような記者たちによってハリウッドそのものが神話化され続けるのだけれど、その影には当然良い思いをしていない人々もいる。物語の主軸である誘拐事件そのものが彼らによって起こされ、ストーリーが進むにつれ彼らの正体やその動機がわかり、彼らとハリウッドの関係や神話化された俳優たちといった構図はこのあとやってくる暗い時代に大きく関わってくる。コメディといえど、この時期のハリウッドについて描く以上このことは避けては通れないし、ユーモアを交えていながら、「この黄金期はもうすぐ終わり、嵐がやってくる」ことへの予兆を見せており、そのあたりの史実と笑いのバランスがなんとも絶妙。時代をネタにしたブラックユーモアと言ってしまうことはできるけれど、終わりを予感させるからこそ、パーティがより幻のように見えてくる。
 ジョシュ・ブローリン演じるマニックスが寝るのも忘れて方々を飛び回り、悪くないヘッドハンティングをもはねつけ、必死にその神話性を守ろうとしたハリウッド(まあ守ろうと努めていたのは雇われているスタジオだったかもしれないが)がどういう道をたどるのかは、7月公開の『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』を観ればよくわかる。趣は違えど同じ時代のハリウッドについて描いたこの2本の映画は続けて観るとおもしろいと思う。
 それで、またぼくの悪い癖(寛大な人は個性と呼んでくれる)で『スター・ウォーズ』関連情報を織り交ぜると、主演のひとりであるアルデン・エーレンライクはシリーズのスピンオフ作品第二弾にて若き日のハン・ソロ役にほぼ確定しているらしい。ジャック・レイナーやタロン・エガートンが候補者に名を連ねる中、最有力候補なのだそうだ。本作ではカウボーイ俳優役で、憎めない粗暴さや田舎臭さを醸し出していたけれど、確かにあれはハン・ソロに通じるものがあるかもしれない。
 それにしても宣伝されている感じではジョナ・ヒルもメイン・キャラクターなのだろうと思っていたのだけれど、ほんの少ししか出番がなくて残念だった。正直彼が出ているコメディということでかなり期待値が上がっていたのだ……。

2016/06/05

『エイリアン』(1979) 感想


 意外にも猫映画である。猫が一切ひどい目に合わない、それでいて最初から最後まで目立つところに居座っているのだ。脅威に晒され、宇宙船を爆破して脱出しようという間際でもシガニー・ウィーバーは片手に火炎放射器、片手に猫を入れたケースを持って大急ぎだし、情け容赦なく人間を殺し続ける生態系の頂点であるエイリアンも、猫には手を出さなかった。恐怖の前触れとして動物を無残に死なせてしまう映画とは大違いである。痛い目にあうのは人間だけに限る。
 エイリアンや宇宙船などのデザインも印象的。夢のあるSFとは言い難い描写ばかりで、雑多で薄汚れた機械ばかり出てくるのだが、だからこそ存在感や説得力があるし、装置を操作するシーンなどは細かく描写されているのも実際的に感じる。たとえば『スター・ウォーズ』シリーズでは意外にも宇宙船や機械の操作のシーンというのが全然映らないんだよね。手元がアップになったりすることがあまりないので、一体どういう手順でどういう操作をしているのかがわからず(別に手元が映ったとしてもわかりゃしないのだが)そのあたりは薄っぺらいファンタジーに見えてしまう。たまに操作している手元が映ったかと思えば、ひとつの同じボタンをぽちっと押すだけで通信機が動いたり地図が現れたりとわりと適当なのだ。エイリアンが倒せないと悟ったシガニーが母船を爆破しようと時限爆弾の操作をする描写なんかは、どのボタンがなんなのかはわからないのに、操作の手順がなんとなく伝わってくるし、爆破を中止しようとしたときにはその操作の逆をやらなければならないので「さっきやったことをまた元に戻すのか!」と観ているこちらにその大変さがよくわかるというものだ。謎の記号が書き込まれた不思議なキーボードもガジェットとして魅力的だった。
 子供の頃は『午後のロードショー』なんかでやっていた『スペースボール』('87)を繰り返し観ていたせいか『エイリアン』はやはり「腹がグロいことになる」というイメージが強く、『エイリアン』と言えばさきに『スペースボール』を連想してしまいがちだったのだが、ダーク・ヘルメット(ダース・ヴェイダーに相当するパロディキャラ)役のリック・モラニスはその3年前の『ゴーストバスターズ』('84)でシガニーと共演(番いのガーゴイルに揃って憑依される)しているので、まあぼくの連想もあながち見当違いではあるまい。エイリアンを独りで倒す航海士と偽ダース・ヴェイダーの組み合わせを久しぶりに観たくなった。今年公開の新『ゴーストバスターズ』ではシガニーがカメオ出演するという話もあるので楽しみ。
 『エイリアン』を観た直後、アマゾン・プライム・ビデオで『スペースボール』を久しぶりに観たのだけれど、リック・モラニスは機材や合成一切なしの地声でダース・ヴェイダー・ヴォイスを再現しているんだよなあ。ものまね芸人のこういうところが非常にかっこいい。つかなんで『スペースボール』の話になってるんだよ。

2016/05/23

営業報告:SPUR映画レビュー第4回


 「SPUR」7月号の「銀幕リポート」は、ドーナル・グリーソン、オスカー・アイザック、アリシア・ヴィキャンデル主演、アレックス・ガーランド監督の人工知能もの『エクス・マキナ』について描いています。
 昨年末『スター・ウォーズ:フォースの覚醒』で新しいヒーロー&ヴィランを演じたオスカー・アイザックとドーナル・グリーソン共演で、それとは全然違うふたりのキャラクターも興味深いですが、人工知能の存在を証明するためのテスト「チューリング・テスト」がテーマでもあるので、『イミテーション・ゲーム』(2014)と合わせて観たい作品。

2016/05/20

かあいそうなブロントサウルス

 最近仕事で恐竜を描く機会があったのでーーというよりぼくが恐竜を描きたかったので描かせてもらったのだけれど、久しぶりに恐竜について少しリサーチした。
 未だになかなか種類を覚えられず、ティラノサウルスとかブラキオサウルスとかトリケラトプスくらいの定番中の定番しか名前が出てこないのだけれど、なにかもっと別に定番のやつがいたような気がしてならなかった。玩具の恐竜には必ずラインナップされているような、わかりやすい形で、大きくて緑色のやつ。そこでひとつ思い出したのが、故郷の運動公園に鎮座していた恐竜像のことだ。ぼくがまだ幼稚園に入ったかどうかというくらいの古い記憶なのだけれど、父とよくその公園に行って恐竜像で遊んだのを印象強く覚えている。ペンキで塗ったような嘘っぽい緑色、お腹は黄色、眼や口の塗りも雑でいかにも遊具といった出来だが、本物らしいという意味でのリアルさとはまた別の迫力を持っていた。確かお腹の中が空洞になっていて入ることができ、そこから滑り台になっている尻尾の上に出られる造りだったはずだ。遊んだといってもそこにはどこか恐怖心のようなものもあって、中に入るのはともかく、外から見たその恐竜は子供にとってはやはり巨大だったし、大きく開いた口の中は真っ赤に塗られ白く細かいギザギザの歯が生えており、ぎょろっとした黄色い眼なんかがうつろに空を見つめているのはとても怖かった。さらに父が「夜になると歩いてどこかに行く」などというお決まりの怖がらせ文句を言ったりするので、"大きな遊具はとても楽しい"けれど、"恐竜はとても怖い"という相反する感情が同時に沸き起こって妙な気持ちになったものだ。今でもぼくには"巨大なオブジェに対して恐怖と興味が同時に沸く妙な気持ち"が残っている。
 その恐竜像との思い出には、巨大で恐ろしい恐竜に対し幼いぼくが勇気と怒りでもって思い切り蹴ったら足をくじいたというアホな漫画みたいな話があるのだけれど、それはともかくとして、重要なのはその恐竜の種類だ。ずんぐりした身体に長い首、象のように大きく太い脚。今もぼくの中で恐竜のイメージとして残っているのはこの恐竜の姿だろう。ティラノサウルスでもトリケラトプスでもない、首が長いといってもブラキオサウルスとは全然違う。あの恐竜はなんなのだろう?公園の遊具ということもあり明確な種類はなく、なんとなくのイメージとしての恐竜に過ぎないのだろうか。玩具にもよくあるデザインだからそうなのかもしれない。けれど、多少のデフォルメがあるにしてもモデルくらいいるはずだ。定番の恐竜の姿としてここまで世の中に溢れているのだから。そうして、ぼくはその地元にある公園の名前をグーグルの検索欄に入力し、後ろに「恐竜」と付け加えて検索したのだった。
 趣味というのは本当にいろいろあって、世の中には日本全国の恐竜型遊具のある公園について記録しているひともいるようだ。各所の名称と所在地、なんの種類のどんな恐竜遊具が設置されているかということが書かれたリストの中に、ぼくの思い出の公園の名前もあり、それによれば幼く純真な瑞丸少年を怖がらせたあの恐竜はアパトサウルスという種類だったらしい。では、そのアパトサウルスというのはどんなやつなのだろうか?このことを調べると意外なことがわかった。
 当然ながら遊具の恐竜はデフォルメされた姿なので、ちゃんとした復元画ではだいぶイメージと違う姿をしていたのだけれど、ともかく首が長く巨体なのが特徴の竜脚類で、ブラキオサウルスなどもこの仲間である。しかし釈然としないなあ。アパトサウルスだなんて、悪いけれどぼくが恐竜の種類に疎いことを差し引いても全然親しみのない名前だ。遊具や玩具のモチーフによく使われているなら、もっと聞き覚えのある名前でもよさそうなのに。この疑問はわりとすぐ解決した。アパトサウルスはかつてブロントサウルスと呼ばれていて、このブロントサウルスという名称にはぼくもピンときた。頭の奥の奥の方でパチンとなにかスイッチが入るような感覚。ブロントサウルス。確かにこの名前には覚えがある。『ドラえもん』などでよく耳にしたんじゃなかったっけ。
 19世紀の終わり頃、アメリカ人古生物学者オスニエル・チャールズ・マーシュは発見した化石を新しくブロントサウルスと名づけたが、後になってそれよりも前に見つけて命名していたアパトサウルスの骨と同種だということがわかり、先に発表されていたアパトサウルスに名称が統一された。それでもその後長い間ブロントサウルスという名前とイメージはポップ・カルチャーに根強い人気を持ち続けることになる。1925年に公開された映画『ロスト・ワールド』ではウィリス・オブライエンによるストップモーションによるブロントサウルスが暴れまわり、1933年のシカゴ万博では石油会社シンクレアによる恐竜庭園に巨大なブロントサウルス像が展示されて人々を圧倒した(シンクレア社のロゴマークにも小さくブロントサウルスがあしらわれている)。とっくに学問の上ではブロントサウルスの名は無効化されてアパトサウルスの名前しか残っていないはずなのにも関わらずだ。日本でも昭和時代にかけてブロントサウルスはそのヴィジュアルと「雷竜」というかっけえ名前によって定番の人気恐竜の地位を得た。しかし、70年代になってからは新しい研究結果等によりブロントサウルスとアパトサウルスの完全な統一化と、ブロントサウルスの存在抹消がなされ、図鑑や博物館、その他メディアから姿を消すことになってしまう(とは言えぼくも名前に覚えがあるくらいなので、完全に抹消が済んだのは最近なんじゃないかなあ)。『ドラえもん』の大長編第一作『のび太の恐竜』にもブロントサウルスという名が出てくるシーンがあるが、新しい版ではアパトサウルスに修正されてしまっているらしい(我が家にある藤子・F・不二雄全集では"あえて"一切修正をせず昔のまま収録しているのでブロントのままだった)。昭和の恐竜好きのひとりとして、F先生もブロントサウルスには思い入れがあったのではないだろうか。ともかく、こうしてかの恐竜は姿を消してしまった。かあいそうなブロントサウルス。
しかし、またここでどんでん返しが起こる。去る2015年、やっぱりブロントサウルスはアパトサウルスとは別種らしい、という最新の研究結果が発表されたのだ。「ブロントサウルスはいなかった」とされていたことすら知らなかったぼくには二重に驚きである。なんでもブロントサウルスとアパトサウルスの間には別種であると言える違いが多くあったとか。正式にブロントサウルスが復帰したわけではないけれど、復活する日が期待されているらしい。ぼくは人気者だったにも関わらずその存在を否定されて消されてしまったこの恐竜が、その不遇さゆえに好きになった。図鑑に帰ってくるのがまだまだ先になっても構わないし、それが残念ながら実現せずとも、「幻の恐竜」「かあいそうな恐竜」としてのブロントサウルスに想いを馳せたいと思った。

2016/05/08

ブックユニオン限定「集めたくなる栞」第二弾


 ブックユニオン各店で新刊書籍1000円以上購入毎にもらえる「集めたくなる栞」。ぼくは先月から本のジャンルをテーマに描いてますが、第二弾となる5月分テーマは「MAGAZINE」です。雑誌読書も小説とはちがう楽しさがありますね。



 先月の第一弾は「MYSTERY」でした。小説とそのほかのジャンルを取り混ぜることでできるだけバラエティに富んだシリーズにしたつもりです。
 栞として使っていただくのはもちろん、カードのような感覚で集めてもらってもうれしいです。
 目指せ12種コンプリート!

2016/05/04

Happy STARWARS DAY !!


 5月4日は「スター・ウォーズの日」。理由にはもう触れないとして、まあぼくにとっては普段と何ら変わらない日。毎日がそうなんだからね。
 特にイベントにも出かけず、記念イラストを描いたりもしていないので(SWのイラストなら年がら年中描いてるわけで)、昨年「美術手帖」12月号に寄稿したイラストコラムの内容を改めてこの機会に。スカイウォーカー家の血筋がたどった道のりをイラストで追っていく内容。


 アナキン坊やのシルエットの演出は『ファントム・メナス』公開当時のポスターからの引用。お母さんとアナキンの構図がなかなか気に入っている。そういえば少年アナキンを演じたジェイク・ロイド、いろいろ大変らしい。


 銀河いちのお騒がせカップル。銀河にも週刊文春があったらふたりの関係はとっくに皆の知るところだったんじゃないだろうか。ちなみに初めて劇場で観たSWは『クローンの攻撃』なのでいろいろ思い入れも強い。このふたりの衣装も好き。


 かなり詰め込んだカット。ダース・ヴェイダーはアニメ「反乱者たち」のデザインを参考にした。ラルフ・マクォーリーがコンセプト・アートに描いたようなつり上がった眼や高い頰が特徴のスタイリッシュさが好き。赤ちゃん双子は本作公開後にハズブロから発売されたアクション・フィギュア(オビ=ワンがルークを、ベイル・オーガナがレイアを抱いているもの)を参考にした。今見ると棺の中のパドメはミレーの絵画『オフィーリア』に近いものを感じるのだけれど、影響があるんだろうか?


 旧三部作パートはもうアイコン化されているので非常に描きやすかった。いかに普遍的なSWのイメージに立ち返って表現するかを考えたつもり。レイアを抱いてターザンするルークはやっぱり勇気の象徴だよね(実際撮影現場でも命がけのシーンだったとか)。このあと三作目の『ジェダイの帰還』でも同じようにレイアを抱いてターザンするシーンがあるけれど、そのときのルークは自信と余裕に満ち溢れていて、彼の成長の度合いがわかる。ひとつのアクションでひとりの人間の成長が演出されているのがおもしろい。
 『帝国の逆襲』での対決はもはや説明不要だろう。ヴェイダーくらいアイコンと化したキャラクターはどこまで崩すのか、どういうデフォルメができるだろうか、ということを考えるのが非常に楽しい。おそらくかなり崩してもダース・ヴェイダーに見えるのだろうけれど、崩した上でも本来の暗黒卿の特徴が備わっていないといけないのが悩みどころ。長身の巨漢であり圧倒的な威圧感とパワーを持つ、絶対的な悪(少なくともこの時点では)。ぼくは大抵の場合ヴェイダーを、細部を省略したシルエット主体で描いている。大きな影のように見えるところが個人的にいちばんの特徴だと思うからだ。
 

 マスクを取ったヴェイダーというのは子供ながらに恐ろしくもあったし、怖いもの見たさのような感覚を呼び起こす不思議な魅力があった。DVDから最新ブルーレイではこの素顔を演じたセバスチャン・ショウの眉毛が削除されている(『シスの復讐』でアナキンの眉は頭髪もろとも焼けてしまう)。ぼくはあの眉毛がちょっと好きだったのでこっそり復活させてみた。『特別篇』やソフト化で加えられた修正は、良いものもあれば余計なものもある。まあ、個人の思い入れによるのだけれどね。

 というように、シリーズを一本の線でつないでみた次第。細部はともかく、おおまかなシリーズのあらすじとしても機能しているのではないかと思う。絵もとても気に入っていて、SWを描く仕事ができてとても楽しかった。
 個人的にはオリジナル三部作、プリクエル三部作といった区分けをせずにひとまとめにひとつのサーガと捉えるのが好きかな。プリクエルも完結から10年、『ファントム・メナス』に関してはもう17年前の作品である。もう十分SWの一部として板についてきたと思うし(古典になりつつある)、時間の経過によりまた違った魅力も見えてくることだろう。今後新たに生まれるエピソードも含めて、あとでまたシリーズを振り返って一望したらなにが見えてくるだろうか?