2019/06/07

「婦人公論」6/11号



 「婦人公論」6/11号、ジェーン・スーさん連載の挿絵。お父様が文鳥を飼い始めたというお話。文鳥というとグレーと黒の模様が印象的だけれど、小さい頃はもっとぼんやりした茶色らしい。よくよく思えば雛というのは成体とは全然違うのでそりゃそうか。特に鳥類は鶏のひよこ、ペンギンの雛などを見ても全然違う。

 鳥の飼育といえばぼくの実家では鳩や鶏を飼っていたことがあって、特に鶏がいる頃は結構楽しかった記憶がある。鳩は怪我をして迷い込んだレース鳩で、足缶を取らせてくれるようになるまでうちで世話をしていた。主に父が。足缶を取ればすぐに連絡先がわかるはずだったのだが、鳥好きの父はまだ怪我をしているからとか、慣れていないからとか言い訳をして足缶を調べるのを遅らせていた。飼い主に連絡がついたらあとはあっという間に迎えがきて、随分お礼をされたようにも覚えている。大切なレース鳩だったのだ。鳩のために父が作った小屋(巣箱どころではない、学校のうさぎ小屋ほどの大きさ)は空っぽになったが、間も無く鶏の一団がやってきた。真っ白な羽毛に真っ赤なとさかのオスが一羽と、オレンジ色のような茶色のメスが三羽。小屋は拡張されてかなりの大きさになり、大人ひとりがかがんで入れる広さになった。鳩は見てても大しておもしろくなかったけれど、鶏は歩き回るし、鳴き声はおもしろいし(本当に毎朝例の鳴き声を放つので驚いた)、なにより大きな卵を毎朝産んだのでそれを取りに行くのが楽しかった。朝行って覗くと藁の上に三つほど茶色い卵がかたまって置いてあって、手に取ると温かいのである。まるで農場の生活だ。学校で嫌な行事(陸上大会だの体操大会だの)があると、前の日に鶏を見ながら、ああ、次に鶏を見るときには嫌なことは全部終わっているんだろうなあ、ぼくが嫌な思いしている間もこの鳥たちはここでずっとコッココッコと過ごしているんだろうなあ、いいなあ、などと思っていた。

 鶏のいる日々はわりとあっけなく終わる。狸かなにか、獣の類が網を破って四羽全部食い荒らしてしまったのだ。狸に食べられるくらいならぼくが食べたのになあと今でも思う(具体的になんという種類の鶏だったのかはわからないが)。鳥を飼うのは確かに楽しい。