7月20日はアポロ11号の月面着陸の日だった。7月20日なんて今までは旧海の日か、夏休みが始まる時期くらいとしか覚えていなかったけれど、50周年ということで去年あたりから話題だったので、初めて月面着陸の日として意識した。10年前はそこまで話題になっていなかったような気がするけれど、そこはやはり今年は半世紀という節目だからかな。10年前と言えばぼくは初めて「エヴァンゲリオン」を観て、そのエンディング・テーマである「Fly Me to the Moon」を気に入った頃だったので、そこからアポロ計画へ関心が向かってもよさそうだったけれど(同年に出たビデオ・ゲーム「ベヨネッタ」でもこの曲がテーマソングで、こちらのアレンジも好きだった)、ぼくが現実の宇宙開発にあまり関心がなかったというのもある。今更という感じだけれど、最近は俄然興味が出てきた。こういうものに遅いということはないだろう。新しい発見についての話も楽しいし、スペース・レース時代も当然おもしろい。昔の宇宙開発のディテールは、そのまま当時のSF観に繋がっている感じがまたいい。ロケットや金魚鉢型のヘルメット、レトロ・フューチャーである。宇宙船ではなくロケットというのがいい。
上の絵をTumblrにアップしたところ、ひとつコメントが来ていた。そのひとは子どもだった当時、月面着陸の様子を流すテレビの前で月面地図を広げ、アームストロングやオルドリンが降り立った地点を鉛筆で書き込んだりして彼らの動きを必死に追いかけていたという。その紙の上に、そのひとは一体どんな世界を見ただろうか。月から送られてきたあの有名な映像と同じ灰色の世界か、あるいはどこかに怪物がひそんでいそうなミステリアスな黄金の砂漠か。現在の月と地球との通信速度は、詳しいことはわからないので置いておくとして(昔より速いに決まっているが)、少なくとも地球上では場所を越えた同時性というのは行くところまで行っており、どこにいようとなんでもすぐに伝わってくる。そのせいで実際に見てもいないことを体験したかのような錯覚さえ覚えてしまうこともあるのだが、とにかくあらゆる情報が素早く送られてくる。一方、さっきのコメントをしてくれたそのひとは50年前、テレビの前で地図を広げて鉛筆で印をつけることで月との同時性をつかもうとした。地図と鉛筆、それからおそらくは想像力。そのひとは当時のことを今でも鮮明に覚えているらしいが、テレビの前で地図を広げ、ブラウン管と紙との間で両眼をせわしなく行き来させる子どもの姿が、ぼくの目の前にも思い浮かぶようだ。あれくらいの年代のアメリカを舞台にした映画でよく見るような居間の風景。ごついテレビが床からほんの少しの高さのところにあって、子どもたちはうつ伏せになるやら、あぐらをかくやらしてその前に集まり、大人たちはそれを一歩後ろから、ソファか、あるいは食事を載せるためのボードがついた椅子(家族全員がテレビに向いて食事をするという発想がまずすごい)に着いて、子どもたちほど手放しではないにせよ、やはりある程度興奮しながら見ている。情報はのろく限られている。映像もお世辞には綺麗とは言えない。でも、その子には地図と鉛筆があれば十分だった。本当にそれだけで満足だったかはわからないが、満ち足りた時間だったはずだ。
それから半世紀後、そのひとはインターネット(これもまたソ連との宇宙競争から生じた産物のひとつである)で見ず知らずの日本人が描いた月面着陸のイラストを見る。そいつは人類が初めて月面を歩く瞬間を見た世界人口20パーセントにも入っていないし、アメリカ人でもなければ、1969年に生きてさえいない。一切同時性から外れている、にも関わらずそいつは「偉大なる一歩」の様子を知っており、絵に描ける程度には視覚イメージを持っている。これから50年後にもまた、同じように当時となんの繋がりも持たない人間が同じことをするし、できるはずだ。記録がそれを可能にする。そこに生の記憶や体験はないかもしれないが、それを追おうとすることはできる。月で起きていることと自分を同期するために、地図に鉛筆で印を書き込んだ行為がそうだし、自分が知ることのなかった半世紀前のことを、写真と想像で絵にする行為も同じことだと思う。少なくともその行為自体は生の体験となる。月に行っていない、テレビの前で地図を広げていただけの子どもの体験を、ぼくはものすごくかけがえのないものだと感じたのだから。そうして、60歳くらいになったそのひとはぼくの絵を見て、そのときのことを書いてくれた。この事実だけでぼくには十分である。ぼくにも月面着陸にまつわる思い出がひとつ出来たわけだ。