2016/06/17

営業報告:「グリーン・ゴーラ」vol.3イラストカット担当


 前号に引き続き、ゴルフ雑誌「グリーン・ゴーラ」vol.3(「ゲーテ」8月号増刊)でもイラストカットを多数描かせていただきました。前回は入門編でしたが、今回はもう少し踏み込んだ、ゴルフ練習法についての特集です。あまり構えなくても取り組める手軽な「コソ練」が紹介されています。






2016/06/14

営業報告:「FRAPBOIS×MIZMARU」コラボ企画

 このたび「FRAPBOIS×MIZMARU」と題して、アパレルブランド「FRAPBOIS」とコラボレーションすることになり、プロローグとしてZOZOTOWNにてTシャツ四種の先行予約が始まりました。このあと7月から数ヶ月にわたって続々とコラボ商品が登場するのでお楽しみに!



 ハシビロコウ、フクロウ、ブロントサウルス、犬の四種となっています。
 「FRAPBOIS」といえば、モノトーンで描かれたクマ(ベアチャン)やパンダ(パンサン)をはじめとする動物たちによる「FRAPBOIS ZOO」が印象的。今回のコラボではベアチャンやパンサンをアレンジして、さらにぼくの好きな動物を加えて描いたりしました。





 今後の展開をお楽しみに!

営業報告:「MEN’S NON-NO」7月号、「集めたくなる栞」第三弾



・「MEN’S NON-NO」最新7月号にて、「女子がジャッジ! 男のOK水着、NG水着」という特集に、残念な方の「NG水着」イラストを描いています。ぜひご覧ください。男子は必見!
 ぼくも今年こそは水泳をやりたい(水着選びに一年かかっている)。
http://www.mensnonno.jp/thismonth/


 ***


・ブックユニオン各店の書籍購入特典「集めたくなる栞」。今月配布されている第三弾のテーマは「SF」です。フィリップ・K・ディックや星新一に挟みましょう。もちろん『スター・ウォーズ』小説に使うのもアリ!
http://diskunion.net/book/ct/news/article/2/59410


2016/06/09

『X-MEN』シリーズ時系列まとめ


 デッドプールが劇中で触れていたややこしいシリーズ時系列おさらい。ちょっとごちゃごちゃしたけど、実際ごちゃごちゃしたことが起こっているので仕方ない。劇中でタイムスリップを利用して歴史改変をし、整合性を保ったままリブートをしてしまうというのは、うまいもんだなあと思う(「リブート」というのは普通これまでのシリーズはとりあえずそのままに、別の新しいシリーズとしてやり直すパターンを言う)。新しい『スター・トレック』のシリーズも確かそういう感じだった。
 図の中では便宜上わかりやすく「タイムスリップ」としたけれど、厳密に言うと2023年のウルヴァリンの意識を、1973年のウルヴァリンに転移させて過去に干渉するというギミック。不死身でいつの時代も同じ姿であるウルヴァリンならではの役割であった。
 紫色のライン上の旧シリーズがなかったことになった、白紙化されたと解釈するのがいちばん簡単なのだが、より正確に言うなら「書き換えられた」。シリーズスタート時から大前提としてあった「ミュータントと人間の対立構造」に改変がもたらされたことで、情勢や環境の変化によって登場人物たちの身の上が多少変わったというところが重要。『フューチャー&パスト』のラスト、歴史改変後の「現代」に戻ったウルヴァリンの前に『ファイナル ディシジョン』で死んだジーンやサイクロップスが現れることからも、別ルートに切り替わったということがわかる。1973年以降の書き換えられた「世界線」が、新たに下に伸びたブルーのラインで、73年からウルヴァリンが目の当たりにした「新しい結末」までの空白を埋めるのが、最新作『アポカリプス』というわけ。
 歴史改変を説明するとき、やはり『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』(’89)でドクが黒板に描いた図が一番わかりやすいと思う。実際子供の頃観たときは若干こんがらがっていたのが一瞬で解決した。なのでここでもあの図を参考にした。
 一応デッドプールの疑問に答えるなら、彼がコロッサスから会えと言われたプロフェッサーはパトリック・スチュワートの方(現代の老いた方)。新作映画で進んでいる軸はまだ過去編(と言ってしまっていいのか微妙なところだが)なので、ジェームズ・マカヴォイ演じる若きプロフェッサーである。

『デッドプール』(2016)感想


 あまりにも台詞に含まれるネタが膨大すぎて、『X-MEN』シリーズはもちろんその他アメコミ映画、SF映画、音楽などサブカルについて一定の知識がないとよくわからないのではないか、このあたりの台詞の可笑しさがわからないとただ妙なテンションで無茶なアクションを繰り返す危ないやつ程度にしか見えないのではないかという心配もある。もちろんそれで満足できちゃうひとはいいのだが。このキャラクターは「よくしゃべる」ことが魅力のひとつなので、その台詞によく耳を傾ける(あるいは字幕を注視)のも醍醐味である。
 メタギャグ担当として自分がいる世界を観客と同じ立場で俯瞰しているその性質のためか、他の既存キャラクターのグッズが大好きだという個性も際立っている(登場人物でありながら「いちファン」であるという可笑しさ)。宣伝されていたようにキティちゃんグッズもそうだし、個人的には赤い戦闘スーツの袖をまくると現れた『アドベンチャー・タイム』のかわいい腕時計がとても気になったりした。部屋にたくさんアドベント・カレンダーが飾ってあったことからもそのコレクターでもあるだろう。どういうグッズが登場したか細かくチェックするのも楽しそう。
 で、そういう遊び心満載、ギャグ満載、少々クドい皮肉や揶揄がたくさんという感じでありながら、意外にもしっかりとストーリーが一本通っていて、非常にハートフルであるところも、このキャラクターをただフザケまくるやつに留めていない。運命の女性との出会い、幸せな新婚生活(ずっとアレなプレイのシーンだったような)、癌の宣告、病に寄り添ってくれようとする妻、その妻のために立ち去ろうとという決意、そうして治療のために「実験体」となって超人に……。不死身の代償は醜く焼けただれた顔で、戦う動機はその顔を元に戻して彼女のもとに戻るため。顔は元に戻るのか、変わってしまった彼を彼女は受け入れてくれるのかという、繊細な愛の物語が軸になっているのだ。おフザケと、そのストーリーとのバランスがよく取れているし、綺麗におさまっていたと思う。なんだかんだいって、ちゃんとヒーローしていたし。
 MCU側の『アントマン』(’15)とその仕上がりや立ち位置が似ているのではないだろうか。ただ、同じ「小規模な外伝」でありながら向こうのほうが世界観の広がりをより感じられたような気がする(もちろん『アベンジャーズ』を主軸にした、もう8年も続いている大掛かりなクロスオーバー・シリーズなのだから力の入り方や周到さが違うと思うけれど)。『X-MEN』シリーズを揶揄する台詞や、多岐に渡る話題があったものの、結局は「観客と同じ目線で俯瞰している」ことでしかないので、あまり世界観の広がりは感じられないのだ。まあ、デッドプールの場合は仕方ないよなあ。
 ちなみにデッドプールは『スター・ウォーズ』オリジナル三部作のファンで、プリクエル三部作否定派。彼の前で『ファントム・メナス』を褒めようものならその場で処刑されるらしい。そんな脅しには屈しないぞぼくは!
 

2016/06/07

『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016)感想


 大きなアントマン目当てに観た。昨年初登場した『アントマン』はどこか仮面ライダー的な印象(ポール・ラッドも劇中で「ライダースーツ」という印象を抱いているし、ベルトに仕掛けがあったりする)だったけれど、今回はシルバーでメタリックな顔と、巨大化するということも手伝ってウルトラマンのようである。アントマンのキャラクターはとても好きなんだけれど、このようにどうしても日本の特撮ヒーローを連想するヴィジュアルなので、もう少し原作に近い要素が欲しかったなあ(原作はタイツにヘルメット、触覚など)。アメキャラ的なクドさというか、禍々しさが足りない。もちろんスクリーンで「ジャイアントマン」が観れたのは良かった。個性や世界観の異なるキャラクターをよくもまあここまで自然に共演させられるよなあ。
 「3人目」(トビー・マグワイア、アンドリュー・ガーフィールドに続き)にしてアベンジャーズ入りしたスパイダーマン。彼がいるとやっぱりマーベル・コミック!という感じが増すよね。子供っぽいところも今までのスパイダーマンで一番フレッシュ。彼らはにぎやかしなので、後半は退場しちゃうんだけれど、そのあとも結構余韻が続いてムードメーカーとしてちょうど良かったと思う。どういう原作をベースにするかは知らないけれど、スパイダーマンのソロ新作ではアントマンを絡ませることができないだろうか。アントマン、ワスプ、スパイダーマンという昆虫合戦、昆虫共闘なんかも観てみたい(蜘蛛は昆虫ではないが)。
 キャプテンだけでなく、アイアンマンの個人的事情にも踏み込んでいく物語なので、トニー・スタークの父親ハワード・スタークにもある程度スポットが当てられる。ドラマの『マッドメン』がわりと好きなので、ジョン・スラッテリーの出番が多いのはうれしい(ふわふわ若白髪にふてくされたようなとがった口が良い)。ハワードはアイアンマンの父でありながら、若い頃(戦時中)にキャプテンに盾を与えるなどしてサポートしている。ふたりの超人にとって父であり友人であるハワードは、ふたりを繋ぎ合せていながら、同時に確執の要因のひとつにもなっているわけだ。そこにウィンターソルジャーことバッキーとの関係なんかも入ってきて、こじれていく。
 不満や怒りが爆発して、最後には拳と拳がぶつかりあう対決になるのだけれど、本来戦うはずじゃなかったふたりの決闘というのは、なぜかスカッとするようなところがある。『スター・ウォーズ:エピソード3 シスの復讐』(2005)でアナキンとオビ=ワンがシリーズ最長のライトセイバー戦を繰り広げるところと似た快感を覚えるのだ。いいぞもっとやれと言いたくなる。この台詞はきっとそういう快感から発せられるんだろうな。別に暴力を求めているわけでも、流血を求めるわけでもない。友達同士だったからこそ、互いの不満が爆発している様が、一種のカタルシスに思えるのだ。

 マーティン・フリーマンの小役人キャラも忘れられない。今年の12月公開の『ドクター・ストレンジ』でベネディクト・カンバーバッチがマーベル界に参戦するが、これでBBCドラマ『SHERLOCK』のコンビがふたりともマーベル入りすることに(立場と世界観はまるで違うが)。なおかつシャーロック・ホームズを演じた役者がふたり揃う。

営業報告:大塚製薬「ネイチャーメイド」ガイドブック挿絵





 大塚製薬が輸入しているアメリカ生まれのサプリメント、ネイチャーメイド。そのガイドブック小冊子の挿絵を描かせていただきました。基本的に人物のカットで、表紙にはボトルのイラストを描いています。薬局等で見かけた際はぜひ。

2016/06/06

『ヘイル、シーザー!』(2016)


 ばかにでかい機材やデジタル処理のない時代ならではの巨大なセットや派手な衣装など、きらびやかなかつてのハリウッドの雰囲気がよくできていて、目を見張るのだけれど、だからこそその華やかさが永遠ではないということがうっすらと際立っているように思った。基本的にどんちゃん騒ぎで賑やかなのだけれど、後半での展開や、このあとに50年代のハリウッドがどういう運命をたどることになるかと考えると、まるで嵐の前のお祭り騒ぎに見えなくもないんだよね。40年代の黄金期を経て、皆この時代がまだ続くと思っているし、ティルダ・スウィントンが演じていたような記者たちによってハリウッドそのものが神話化され続けるのだけれど、その影には当然良い思いをしていない人々もいる。物語の主軸である誘拐事件そのものが彼らによって起こされ、ストーリーが進むにつれ彼らの正体やその動機がわかり、彼らとハリウッドの関係や神話化された俳優たちといった構図はこのあとやってくる暗い時代に大きく関わってくる。コメディといえど、この時期のハリウッドについて描く以上このことは避けては通れないし、ユーモアを交えていながら、「この黄金期はもうすぐ終わり、嵐がやってくる」ことへの予兆を見せており、そのあたりの史実と笑いのバランスがなんとも絶妙。時代をネタにしたブラックユーモアと言ってしまうことはできるけれど、終わりを予感させるからこそ、パーティがより幻のように見えてくる。
 ジョシュ・ブローリン演じるマニックスが寝るのも忘れて方々を飛び回り、悪くないヘッドハンティングをもはねつけ、必死にその神話性を守ろうとしたハリウッド(まあ守ろうと努めていたのは雇われているスタジオだったかもしれないが)がどういう道をたどるのかは、7月公開の『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』を観ればよくわかる。趣は違えど同じ時代のハリウッドについて描いたこの2本の映画は続けて観るとおもしろいと思う。
 それで、またぼくの悪い癖(寛大な人は個性と呼んでくれる)で『スター・ウォーズ』関連情報を織り交ぜると、主演のひとりであるアルデン・エーレンライクはシリーズのスピンオフ作品第二弾にて若き日のハン・ソロ役にほぼ確定しているらしい。ジャック・レイナーやタロン・エガートンが候補者に名を連ねる中、最有力候補なのだそうだ。本作ではカウボーイ俳優役で、憎めない粗暴さや田舎臭さを醸し出していたけれど、確かにあれはハン・ソロに通じるものがあるかもしれない。
 それにしても宣伝されている感じではジョナ・ヒルもメイン・キャラクターなのだろうと思っていたのだけれど、ほんの少ししか出番がなくて残念だった。正直彼が出ているコメディということでかなり期待値が上がっていたのだ……。

2016/06/05

『エイリアン』(1979) 感想


 意外にも猫映画である。猫が一切ひどい目に合わない、それでいて最初から最後まで目立つところに居座っているのだ。脅威に晒され、宇宙船を爆破して脱出しようという間際でもシガニー・ウィーバーは片手に火炎放射器、片手に猫を入れたケースを持って大急ぎだし、情け容赦なく人間を殺し続ける生態系の頂点であるエイリアンも、猫には手を出さなかった。恐怖の前触れとして動物を無残に死なせてしまう映画とは大違いである。痛い目にあうのは人間だけに限る。
 エイリアンや宇宙船などのデザインも印象的。夢のあるSFとは言い難い描写ばかりで、雑多で薄汚れた機械ばかり出てくるのだが、だからこそ存在感や説得力があるし、装置を操作するシーンなどは細かく描写されているのも実際的に感じる。たとえば『スター・ウォーズ』シリーズでは意外にも宇宙船や機械の操作のシーンというのが全然映らないんだよね。手元がアップになったりすることがあまりないので、一体どういう手順でどういう操作をしているのかがわからず(別に手元が映ったとしてもわかりゃしないのだが)そのあたりは薄っぺらいファンタジーに見えてしまう。たまに操作している手元が映ったかと思えば、ひとつの同じボタンをぽちっと押すだけで通信機が動いたり地図が現れたりとわりと適当なのだ。エイリアンが倒せないと悟ったシガニーが母船を爆破しようと時限爆弾の操作をする描写なんかは、どのボタンがなんなのかはわからないのに、操作の手順がなんとなく伝わってくるし、爆破を中止しようとしたときにはその操作の逆をやらなければならないので「さっきやったことをまた元に戻すのか!」と観ているこちらにその大変さがよくわかるというものだ。謎の記号が書き込まれた不思議なキーボードもガジェットとして魅力的だった。
 子供の頃は『午後のロードショー』なんかでやっていた『スペースボール』('87)を繰り返し観ていたせいか『エイリアン』はやはり「腹がグロいことになる」というイメージが強く、『エイリアン』と言えばさきに『スペースボール』を連想してしまいがちだったのだが、ダーク・ヘルメット(ダース・ヴェイダーに相当するパロディキャラ)役のリック・モラニスはその3年前の『ゴーストバスターズ』('84)でシガニーと共演(番いのガーゴイルに揃って憑依される)しているので、まあぼくの連想もあながち見当違いではあるまい。エイリアンを独りで倒す航海士と偽ダース・ヴェイダーの組み合わせを久しぶりに観たくなった。今年公開の新『ゴーストバスターズ』ではシガニーがカメオ出演するという話もあるので楽しみ。
 『エイリアン』を観た直後、アマゾン・プライム・ビデオで『スペースボール』を久しぶりに観たのだけれど、リック・モラニスは機材や合成一切なしの地声でダース・ヴェイダー・ヴォイスを再現しているんだよなあ。ものまね芸人のこういうところが非常にかっこいい。つかなんで『スペースボール』の話になってるんだよ。

2016/05/23

営業報告:SPUR映画レビュー第4回


 「SPUR」7月号の「銀幕リポート」は、ドーナル・グリーソン、オスカー・アイザック、アリシア・ヴィキャンデル主演、アレックス・ガーランド監督の人工知能もの『エクス・マキナ』について描いています。
 昨年末『スター・ウォーズ:フォースの覚醒』で新しいヒーロー&ヴィランを演じたオスカー・アイザックとドーナル・グリーソン共演で、それとは全然違うふたりのキャラクターも興味深いですが、人工知能の存在を証明するためのテスト「チューリング・テスト」がテーマでもあるので、『イミテーション・ゲーム』(2014)と合わせて観たい作品。

2016/05/20

かあいそうなブロントサウルス

 最近仕事で恐竜を描く機会があったのでーーというよりぼくが恐竜を描きたかったので描かせてもらったのだけれど、久しぶりに恐竜について少しリサーチした。
 未だになかなか種類を覚えられず、ティラノサウルスとかブラキオサウルスとかトリケラトプスくらいの定番中の定番しか名前が出てこないのだけれど、なにかもっと別に定番のやつがいたような気がしてならなかった。玩具の恐竜には必ずラインナップされているような、わかりやすい形で、大きくて緑色のやつ。そこでひとつ思い出したのが、故郷の運動公園に鎮座していた恐竜像のことだ。ぼくがまだ幼稚園に入ったかどうかというくらいの古い記憶なのだけれど、父とよくその公園に行って恐竜像で遊んだのを印象強く覚えている。ペンキで塗ったような嘘っぽい緑色、お腹は黄色、眼や口の塗りも雑でいかにも遊具といった出来だが、本物らしいという意味でのリアルさとはまた別の迫力を持っていた。確かお腹の中が空洞になっていて入ることができ、そこから滑り台になっている尻尾の上に出られる造りだったはずだ。遊んだといってもそこにはどこか恐怖心のようなものもあって、中に入るのはともかく、外から見たその恐竜は子供にとってはやはり巨大だったし、大きく開いた口の中は真っ赤に塗られ白く細かいギザギザの歯が生えており、ぎょろっとした黄色い眼なんかがうつろに空を見つめているのはとても怖かった。さらに父が「夜になると歩いてどこかに行く」などというお決まりの怖がらせ文句を言ったりするので、"大きな遊具はとても楽しい"けれど、"恐竜はとても怖い"という相反する感情が同時に沸き起こって妙な気持ちになったものだ。今でもぼくには"巨大なオブジェに対して恐怖と興味が同時に沸く妙な気持ち"が残っている。
 その恐竜像との思い出には、巨大で恐ろしい恐竜に対し幼いぼくが勇気と怒りでもって思い切り蹴ったら足をくじいたというアホな漫画みたいな話があるのだけれど、それはともかくとして、重要なのはその恐竜の種類だ。ずんぐりした身体に長い首、象のように大きく太い脚。今もぼくの中で恐竜のイメージとして残っているのはこの恐竜の姿だろう。ティラノサウルスでもトリケラトプスでもない、首が長いといってもブラキオサウルスとは全然違う。あの恐竜はなんなのだろう?公園の遊具ということもあり明確な種類はなく、なんとなくのイメージとしての恐竜に過ぎないのだろうか。玩具にもよくあるデザインだからそうなのかもしれない。けれど、多少のデフォルメがあるにしてもモデルくらいいるはずだ。定番の恐竜の姿としてここまで世の中に溢れているのだから。そうして、ぼくはその地元にある公園の名前をグーグルの検索欄に入力し、後ろに「恐竜」と付け加えて検索したのだった。
 趣味というのは本当にいろいろあって、世の中には日本全国の恐竜型遊具のある公園について記録しているひともいるようだ。各所の名称と所在地、なんの種類のどんな恐竜遊具が設置されているかということが書かれたリストの中に、ぼくの思い出の公園の名前もあり、それによれば幼く純真な瑞丸少年を怖がらせたあの恐竜はアパトサウルスという種類だったらしい。では、そのアパトサウルスというのはどんなやつなのだろうか?このことを調べると意外なことがわかった。
 当然ながら遊具の恐竜はデフォルメされた姿なので、ちゃんとした復元画ではだいぶイメージと違う姿をしていたのだけれど、ともかく首が長く巨体なのが特徴の竜脚類で、ブラキオサウルスなどもこの仲間である。しかし釈然としないなあ。アパトサウルスだなんて、悪いけれどぼくが恐竜の種類に疎いことを差し引いても全然親しみのない名前だ。遊具や玩具のモチーフによく使われているなら、もっと聞き覚えのある名前でもよさそうなのに。この疑問はわりとすぐ解決した。アパトサウルスはかつてブロントサウルスと呼ばれていて、このブロントサウルスという名称にはぼくもピンときた。頭の奥の奥の方でパチンとなにかスイッチが入るような感覚。ブロントサウルス。確かにこの名前には覚えがある。『ドラえもん』などでよく耳にしたんじゃなかったっけ。
 19世紀の終わり頃、アメリカ人古生物学者オスニエル・チャールズ・マーシュは発見した化石を新しくブロントサウルスと名づけたが、後になってそれよりも前に見つけて命名していたアパトサウルスの骨と同種だということがわかり、先に発表されていたアパトサウルスに名称が統一された。それでもその後長い間ブロントサウルスという名前とイメージはポップ・カルチャーに根強い人気を持ち続けることになる。1925年に公開された映画『ロスト・ワールド』ではウィリス・オブライエンによるストップモーションによるブロントサウルスが暴れまわり、1933年のシカゴ万博では石油会社シンクレアによる恐竜庭園に巨大なブロントサウルス像が展示されて人々を圧倒した(シンクレア社のロゴマークにも小さくブロントサウルスがあしらわれている)。とっくに学問の上ではブロントサウルスの名は無効化されてアパトサウルスの名前しか残っていないはずなのにも関わらずだ。日本でも昭和時代にかけてブロントサウルスはそのヴィジュアルと「雷竜」というかっけえ名前によって定番の人気恐竜の地位を得た。しかし、70年代になってからは新しい研究結果等によりブロントサウルスとアパトサウルスの完全な統一化と、ブロントサウルスの存在抹消がなされ、図鑑や博物館、その他メディアから姿を消すことになってしまう(とは言えぼくも名前に覚えがあるくらいなので、完全に抹消が済んだのは最近なんじゃないかなあ)。『ドラえもん』の大長編第一作『のび太の恐竜』にもブロントサウルスという名が出てくるシーンがあるが、新しい版ではアパトサウルスに修正されてしまっているらしい(我が家にある藤子・F・不二雄全集では"あえて"一切修正をせず昔のまま収録しているのでブロントのままだった)。昭和の恐竜好きのひとりとして、F先生もブロントサウルスには思い入れがあったのではないだろうか。ともかく、こうしてかの恐竜は姿を消してしまった。かあいそうなブロントサウルス。
しかし、またここでどんでん返しが起こる。去る2015年、やっぱりブロントサウルスはアパトサウルスとは別種らしい、という最新の研究結果が発表されたのだ。「ブロントサウルスはいなかった」とされていたことすら知らなかったぼくには二重に驚きである。なんでもブロントサウルスとアパトサウルスの間には別種であると言える違いが多くあったとか。正式にブロントサウルスが復帰したわけではないけれど、復活する日が期待されているらしい。ぼくは人気者だったにも関わらずその存在を否定されて消されてしまったこの恐竜が、その不遇さゆえに好きになった。図鑑に帰ってくるのがまだまだ先になっても構わないし、それが残念ながら実現せずとも、「幻の恐竜」「かあいそうな恐竜」としてのブロントサウルスに想いを馳せたいと思った。

2016/05/08

ブックユニオン限定「集めたくなる栞」第二弾


 ブックユニオン各店で新刊書籍1000円以上購入毎にもらえる「集めたくなる栞」。ぼくは先月から本のジャンルをテーマに描いてますが、第二弾となる5月分テーマは「MAGAZINE」です。雑誌読書も小説とはちがう楽しさがありますね。



 先月の第一弾は「MYSTERY」でした。小説とそのほかのジャンルを取り混ぜることでできるだけバラエティに富んだシリーズにしたつもりです。
 栞として使っていただくのはもちろん、カードのような感覚で集めてもらってもうれしいです。
 目指せ12種コンプリート!

2016/05/04

Happy STARWARS DAY !!


 5月4日は「スター・ウォーズの日」。理由にはもう触れないとして、まあぼくにとっては普段と何ら変わらない日。毎日がそうなんだからね。
 特にイベントにも出かけず、記念イラストを描いたりもしていないので(SWのイラストなら年がら年中描いてるわけで)、昨年「美術手帖」12月号に寄稿したイラストコラムの内容を改めてこの機会に。スカイウォーカー家の血筋がたどった道のりをイラストで追っていく内容。


 アナキン坊やのシルエットの演出は『ファントム・メナス』公開当時のポスターからの引用。お母さんとアナキンの構図がなかなか気に入っている。そういえば少年アナキンを演じたジェイク・ロイド、いろいろ大変らしい。


 銀河いちのお騒がせカップル。銀河にも週刊文春があったらふたりの関係はとっくに皆の知るところだったんじゃないだろうか。ちなみに初めて劇場で観たSWは『クローンの攻撃』なのでいろいろ思い入れも強い。このふたりの衣装も好き。


 かなり詰め込んだカット。ダース・ヴェイダーはアニメ「反乱者たち」のデザインを参考にした。ラルフ・マクォーリーがコンセプト・アートに描いたようなつり上がった眼や高い頰が特徴のスタイリッシュさが好き。赤ちゃん双子は本作公開後にハズブロから発売されたアクション・フィギュア(オビ=ワンがルークを、ベイル・オーガナがレイアを抱いているもの)を参考にした。今見ると棺の中のパドメはミレーの絵画『オフィーリア』に近いものを感じるのだけれど、影響があるんだろうか?


 旧三部作パートはもうアイコン化されているので非常に描きやすかった。いかに普遍的なSWのイメージに立ち返って表現するかを考えたつもり。レイアを抱いてターザンするルークはやっぱり勇気の象徴だよね(実際撮影現場でも命がけのシーンだったとか)。このあと三作目の『ジェダイの帰還』でも同じようにレイアを抱いてターザンするシーンがあるけれど、そのときのルークは自信と余裕に満ち溢れていて、彼の成長の度合いがわかる。ひとつのアクションでひとりの人間の成長が演出されているのがおもしろい。
 『帝国の逆襲』での対決はもはや説明不要だろう。ヴェイダーくらいアイコンと化したキャラクターはどこまで崩すのか、どういうデフォルメができるだろうか、ということを考えるのが非常に楽しい。おそらくかなり崩してもダース・ヴェイダーに見えるのだろうけれど、崩した上でも本来の暗黒卿の特徴が備わっていないといけないのが悩みどころ。長身の巨漢であり圧倒的な威圧感とパワーを持つ、絶対的な悪(少なくともこの時点では)。ぼくは大抵の場合ヴェイダーを、細部を省略したシルエット主体で描いている。大きな影のように見えるところが個人的にいちばんの特徴だと思うからだ。
 

 マスクを取ったヴェイダーというのは子供ながらに恐ろしくもあったし、怖いもの見たさのような感覚を呼び起こす不思議な魅力があった。DVDから最新ブルーレイではこの素顔を演じたセバスチャン・ショウの眉毛が削除されている(『シスの復讐』でアナキンの眉は頭髪もろとも焼けてしまう)。ぼくはあの眉毛がちょっと好きだったのでこっそり復活させてみた。『特別篇』やソフト化で加えられた修正は、良いものもあれば余計なものもある。まあ、個人の思い入れによるのだけれどね。

 というように、シリーズを一本の線でつないでみた次第。細部はともかく、おおまかなシリーズのあらすじとしても機能しているのではないかと思う。絵もとても気に入っていて、SWを描く仕事ができてとても楽しかった。
 個人的にはオリジナル三部作、プリクエル三部作といった区分けをせずにひとまとめにひとつのサーガと捉えるのが好きかな。プリクエルも完結から10年、『ファントム・メナス』に関してはもう17年前の作品である。もう十分SWの一部として板についてきたと思うし(古典になりつつある)、時間の経過によりまた違った魅力も見えてくることだろう。今後新たに生まれるエピソードも含めて、あとでまたシリーズを振り返って一望したらなにが見えてくるだろうか?

2016/04/28

結婚指輪はドロイド




  ぼくの提案、というわけでもない。どちらから言うでもなく自然と決まった。「シスの復讐」ノベライズ版ではほとんど自分自身の所有物がない禁欲的なジェダイであるアナキンが、それでもパドメと結婚した際になにか贈り物がしたいと考え、自分が造った唯一の友人C-3POを彼女に贈った。R2-D2はもともとパドメが女王のときから王室の宇宙船に配属されていたので自然と彼女と行動をともにしていたが、それを機にパドメからアナキンに贈られ、ふたりはドロイドを交換したのだった。指輪の代わりと言える。ぼくはこの、映画では触れられない小説オリジナルのエピソードが中学のときから気に入っていて印象に残っていたので、いつだったか妻に話して聞かせたのだと思う。
 この刻印にぴったりだ。お互いの名前や恥ずかしい言葉を入れるよりずっと良い。"自分たちらしい"と言える。もちろんアナキンとパドメ夫妻の暗い未来については考えないものとするけれど。
 なんにせよ金の指輪にC-3POと彫られているのは我ながらかなり良い。ぼくは子供のころから3POが好きで、このドロイドの色とフォルムがぼくをSWに引き寄せたようなものなのだ。

台湾旅行記(2)




 お菓子の包装がとにかくどれも凝ったデザインで、憎いくらい可愛らしいものばかりだったのが印象的。お茶っ葉の缶も洒落たものばかり。植物や蝶をあしらった、派手だがくどくない鮮やかさはいかにも「フォルモサ(美しい島)」という名にふさわしい。
 ぼそぼそしたお菓子が多いのは湿度が高いからだろうか?アイスクリームのトッピング(むしろアイスクリームの方がトッピングでは?)には本当に驚いた。


 大人になるとある程度の味の好みが決まってしまって大人と特権として好きなものしか食べないというのがあるので、なかなか馴染みのない味に出会うことが少なくなってしまう(ぼくはわりとなんでも食べるほうだけれど)。しかし、国によってよく使う香辛料が違い、香辛料が違うということは料理も別物で、人々の味の好みだって全然違う。これだけ世界的にチェーン店が台頭していても、やっぱり外国というのは味やそれに対する考え方まで違うのだ。ひとは「知らない味」に出会うために外国に行くのかもしれない。それは子供の頃散々経験したと思いきや(大抵のひとは自分の家庭の味付けしか知らないものだから、実はそんなにたくさんの味付けを舌が覚えてはいないのではないかとも思うけれど)、大人になってもまだ未知の風味を味わえるのはとてもエキサイティングなことだと思う。
 書店で人々が床に座って静かに本を読んでいる光景を見たときは、自分の国ではそれが行儀の悪い行為だとされているにも関わらず、言い知れぬ安心感を覚えた。とても不思議な感覚だった。誰も互いのふるまいに目くじらを立てたりせず、そこにはただ本を読みたいひとにとって居心地の良い空気が満ちている。ぼくが本が好きなのに書店で一種の苦痛を覚えるのは、ずっと立ってなければならないというところ。あまりゆっくり本を選ぶ気になれないのだ。誠品書店ではどこか邪魔にならない端のところに座ってその本が自分の欲しいものかどうかゆっくり考えられる。
 こういったルーズでゆったりとした空気は、お店もお客さんも信頼しあっているからなんじゃないだろうか。信頼というのが大げさなら、「任せている」といった感じか。街を歩いていても感じたけれど、全体的になにに関しても「自己責任」という空気があって、だから皆自分で判断して行動しているように感じる。東京がそうじゃないっていうわけじゃないけれど、ぼくらのほうは少し余裕がないかもしれない。相互監視と言うとまた大げさだけれど、自分で考えて行動しているというよりは、許されていることしかしていないというか。外国からは自分の暮らしているところがよく見渡せるんだなということがわかる。

2016/04/27

【営業報告】「スクープのたまご」発売


 装画と挿絵を担当した大崎梢さんの「スクープのたまご」(文藝春秋)が発売となりました。たまごらしい黄色いカバーがかわいい本になっています。


 カバーを広げるとこんな具合です。週刊誌を構成するあれやこれや、それが世の中を動かすいち要因となっている、というようなイメージをちりばめました。個人的には電車の中吊りが気に入っています。


 カバー下のイラストも描きました。実際に「週刊文春」編集部を見学させてもらったので、物語の舞台である週刊誌編集部の景色をモノトーンで。とにかく紙がたくさん、いたるところに積まれているのが印象的でした(当たり前だけれど)。


2016/04/25

営業報告:SPUR映画レビュー第3回


 「SPUR」6月号の「銀幕リポート」では本年度アカデミー作品賞・脚本賞を受賞したトム・マッカーシー監督、マイケル・キートン主演「スポットライト 世紀のスクープ」(公開中)を取り上げました。
 マイケル・キートンとマーク・ラファロだけでなく、ジョン・スラッテリーやスタンリー・トゥッチも実はアメコミ映画の仲間で、彼らが実在する英雄的人物たちを演じているところに注目しています。

台湾旅行記(1)


 描こう描こうと思いつつも帰国してからなかなか落ち着かずにいたら、もう半年以上経っていた。「落ち着いたときに」と思っていても落ち着いたときって一体いつなんだ?ということに思い至りようやく着手したというわけなのだけれど、写真をいっぱい撮ったりメモをしたりしてあったので結構覚えていることもあり、作業をしながらいろいろ思い出してきてまた行きたくなっている。飛行機で外国に向かって飛んでいるんだという感覚、雲の上の光景、見知らぬ街に漂う知らない匂い。でも別に異世界に行っているわけではなく、自分が暮らしていたところから地続きの先にある、同じ世界なのだという感じは残っていて、初めての外国は大変過ごしやすかった。
 

 わかりやすく異国感が感じられてよかった。台北市内に上陸したときから知らない匂いというか空気感には衝撃を受けていたのだけれど、九份はひしめきあっている店から様々な匂いが漂ってきていて(匂う匂うとずいぶん失礼な話なんだけれど……)、そのどれにも馴染みがないから見知らぬ土地にいるのだなという実感があった。もう少し時間があれば何周でもまわってみたかったと思うくらい、どこかテーマパークの箱庭感も。帰りは皆いっぺんに帰ろうとするのでバスになかなか乗れず、客引きにわらわらと湧いてきたタクシーを使うことに。早く帰れたけれど最初に言われていた料金と少し違うし(聞き違いかもしれないけど。もう細かいところをよく覚えてないがなにか釈然としなかったのは覚えてる)そもそも観光客相手のガツガツした客引きに対してあまり良い印象がないので(向こうも仕事だから仕方ない)そこだけモヤっとした。まあでも他の国はもっとすごいんだろうなあ。法外な料金じゃなかっただけずっと親切である。
 続きはまた描き次第アップします。

2016/04/16

営業報告:「GINZA」5月号美容特集イラスト


 「GINZA」5月号の「BEAUTY Q&A LESSON 」という特集ページにイラストカットを23点ほど描きました。いろいろな美容の質問や悩みにプロがこたえてくれる内容です。
 メイクのお手本図などは描いたことなかったので非常に興味深かったです。仕事をしながら知らなかったことを勉強できるのは楽しいですね。



 基本的に線画に一色ずつのさし色程度で、シンプルで気に入っています。どの部位に何色を使おうかというのを考えるのがなかなかおもしろい作業です。

営業報告:SPUR映画レビュー第2回


 「SPUR」4月号からはじまった「川原瑞丸の銀幕リポート」第2回はイアン・マッケランが引退した老シャーロック・ホームズに扮する、ビル・コンドン監督作「Mr.ホームズ 名探偵最後の事件」を取り上げました。引退間際のエレガントな老紳士ホームズ(肌がめちゃ綺麗)と、引退後フツーのおじいさんになっちゃったホームズの対比が切ないと同時に、ホームズを生きた人間として感じられる今までありそうでなかった作品です。

営業報告:「スクープのたまご」装画


 今月も装画のお仕事のお知らせです。大崎梢さんの新刊「スクープのたまご」(文藝春秋)の装画と挿絵を担当しました。
 日々世の中を揺り動かす週刊誌の編集部を舞台に、スクープがどうやって生まれるのか、記者たちの想いが描かれる物語。週刊誌の記事はどんな人々がどんな気持ちでつくっているのか、そんな疑問にこたえてくれる、今読みたい本だと思います。
 4月22日の発売です。




2016/04/09

「寒い国から帰ってきたスパイ」感想


 ペルシャ猫を抱いた悪の首領率いる秘密結社ではなく、対立する外国を相手にした本物の諜報戦。主人公は本当に東側に寝返るつもりなのか、それともこれは作戦なのか、もしや作戦と見せかけて本当は亡命するつもりなのか……と本当に最後まで主人公の思惑や作戦の全容が見えず、真相がわからない。しかも結末はそれらの想定の範囲を大きく越えて、読者はあっと驚かされる。誰が騙し騙されているのか最後までわからないこの感じが、諜報とはどういうものかを表しているように感じられる。
 「ティンカー、テイラー〜」同様に主人公が冴えない中年のオヤジというのがまた良い。風采が上がらないだけではなく暮らしぶりも冴えない。タキシードでカジノに繰り出すなんてとんでもない、サイズの合わないトレンチコートでロンドンの大雨にやられてすぶ濡れになっちゃうんだから。その現実的な役人の風貌で遂行する任務とは、地道に書類を調べたりこそこそと飛行機に乗ったり尋問したりされたりという、本当にロンドンの曇天そのものみたいな仕事ばかり。昔「スパイキッズ」を観て夢中になっていたぼくに祖母は言ったっけ、「本当のスパイなんて嫌な仕事よ」と。祖母が本物のスパイ事情に通じているのかどうかはさておき、ジョン・ル・カレのスパイ小説はその祖母の言葉を裏付けるものだった。現実のスパイは地味でこそこそしていて、なにより堅実なのである。
 克明な描写がありありと光景を映し出してくれるところも読んでいて心地よいと思う。この時代のロンドンでの生活も垣間見えるし、東ドイツの様子なんかもどこまで忠実かは置いておいてもとても興味深い(作者はMI6に所属して西ドイツで活動していた経歴の持ち主なので、ハリウッド的な架空感とは全然違って、そこそこリアルな描き方なのではないかなと、ぼくは思う)。
 ところでどうして諜報員だったひとは小説を書くようになるのだろう?

2016/04/08

小説版「シスの復讐」感想


 もうこの本を読んで10年経つらしい。「10年前」というのを振り返れる年齢になったのも感慨深いのだけれど、この本を読んで翻訳特有の文体に魅了されて(しかも謎な固有名詞がばんばん飛び交うSFもの)自分でも創作の真似事などをするようになったので、そういう意味ではひとつのきっかけになる読書体験だったと言える。とにかくひとつひとつの出来事や動作が、すぐにはイメージしづらいまわりくどさで描かれているところが「かっこいい」と思った。実に中学二年生らしい感想なんだけれど、でもあながち的外れな感想ではなかったんじゃないかなと思ったりもする。そこで感じた「かっこよさ」とは文章表現の幅のことだったのだから。起きたことをありのままに書く、それもいいのだけれど、ちがうことに例えてちょっと回り道して説明する。あんまりくどいのも考えものだけれど(くどさが作家性になっている方ももちろんいます)、それが文章による表現というものだったのだなあと。つまりこの本は、「『スター・ウォーズ』を読む」楽しさのほかに、「文章表現」について教えてくれたというわけ。
 実は当時、映画を観に行く前にこの本を読んでしまっていた。当然ノベライズ版のほうが描写が細く、映像では表現しきれない登場人物たちの思惑なども活字で描かれているので、ある意味映画よりもストーリーに関していろいろわかってしまう。そのため実際に映画を観たら物足りなさを感じてしまうという悲惨な結果が待っていた。一概には言えないけれど、ノベライズは映画を観たあとに読むに限ると思った(原作として小説がある映画はまた別だけれど)。映画にはなく小説にはある描写などは、映画を観た後に読むと補完されるところもあって楽しかろう。でも逆となると、小説にあったのに映画にはない描写ということになり結果的に物足りない気分になってしまうのだ。「あ、あれれ、あのシーンは無いの??」みたいな。ああ失敗失敗。
 昨年の「フォースの覚醒」はどうだったかというと、ノベライズの発売は映画公開よりずっと後になった。というかこの4月8日時点でまだ邦訳版は発売に至っていない。さすがに遅すぎませんか……。なので映画で少し説明の欠けていた部分が活字で補完できると思うと読むのが楽しみ。
 「シスの復讐」の物語はアナキン・スカイウォーカーの心の葛藤が軸になっている。この小説版もそれは同じで、ましてや「心の葛藤」を描くのに活字はもってこいなので、映画よりも一層アナキンの心がどのように揺れていたのかがよくわかる。葛藤していたのはアナキンだけではない。妻パドメ、師で親友のオビ=ワン、戦争を通じて姿を変えつつある共和国の未来を憂う人々(後の反乱軍の骨格となる人々だ)、ヨーダをはじめとするジェダイたち(彼らは長引く戦争で存在意義を見失いつつある)。銀河系が姿を変えようとしているときに、唯一苦悩していない人物がいるとすれば、すべての黒幕であるパルパティーン議長(後の皇帝)だろう。彼の邪悪な心理を伺い知れるのもまたこの本の魅力だと思う。

2016/04/06

「マネー・ショート 華麗なる大逆転」(2015)感想


 あとから考えると正確には株の空売りをしたわけではないような……。細かいことは置いておいて、経済のことに興味が沸く。馴染みのないひとにとっては非常に難解な経済用語がばんばん飛び交うが、そのたびにいろいろとおもしろい説明の仕方をギミックとして用意してあって、「説明しよう!」と言わんばかりに有名人が突然出てきてユニークなたとえ話で解説してくれたりするので、飽きずに観ていられる。
 それにしても00年代半ばのアメリカというのはこんなに浮かれていたんだなあ。日本人である上に当時は世の中に対して関心がない子供だったので、なおさら映画で描かれる当時の様子が新鮮に思える。劇中、住宅ローン破綻の可能性について主人公たちから話題を振られた相手が「暗い話はやめろ」と言い返すのが印象的。世の中全体がそういうテンションで、調子が良いときにひとは都合の悪い現実を見ない、考えないものなのだということがよくわかる。そんな彼らが最終的にどんな目に遭うのかはあまりそこまではっきり描かれない(なんとなく示唆はあるのだけれど、ほんのちょっとの描写だからこそゾッとするところがある)。
 この映画は「大逆転」という邦題がついているけれど、スカッとするカタルシスがあるわけではなく、前半で主人公たちを嘲笑していた銀行や、低所得のひとにローンを組ませまくって儲けていたひと、浮かれ放題でその状況が永遠に続くと思い込んでいたひとたちが痛い目にあう、なんていうラストでは全然ない。それどころか主人公のひとりは「大逆転」の是非について苦悩さえする。最終的にもたらされるのは逆転によるカタルシスではなく、問題意識というわけ。ぼくなんかは難しいことはわからないので「お金儲けは大変だなあ」という感想が大きいのだけれど。

2016/04/01

営業報告:ディスクユニオン「集めたくなる栞」


 ブックユニオン各店で書籍・雑誌を1000円以上買うと一枚もらえる「集めたくなる栞」。一年の間、毎月イラストレーターが描き下ろした絵柄等で展開される企画ですが、この4月から参加させていただくことになりました。ぼくは毎月「本のジャンル」をテーマに描かせていただきます。初回は「ミステリー」(左から2番目参照)。毎月数量限定となっております。今後もお楽しみに!