2019/04/04

若干感覚過敏かもしれない

 いわゆるチック症である。これはもう子どものときからぼくのこと知っているひとは嫌というほどぼくの顔が歪んだりぐしゃぐしゃ動いたり瞬きがやばかったりするのを、見たことあると思う。これのせいで随分生きづらさも感じたし、これさえなければ毎日はもう少し楽しかろうと思っていたが、さして努力をするタイプでもないので親になった今でも治ってない(治るものなのかどうか謎だ)。

 この先も恐らくは付き合っていかなければならないものだろうと思うけれど、しかしどうして自分が無意味な動作を繰り返すのかというのはいつも考えている。原因がわかればそれを取り除くことができるかもしれない。これまでなんとなくわかっているのは、その動作が「どんな感じか」をもう一度確認したくてやっているらしいということ。それが延々繰り返されるわけだ。今の感覚をもう一度確認してみよう。それがもう一度では終わらない。一度繰り返したら、またもう一度確認したくなるから。要するに気になるのだ。顔が。顔のいたるところが気になる。

 チックは気にしないことが肝心、というのを聞いたことがある。でも気になってしまうのがチック(だんだんなにを言っているのか自分でもわからなくなってきた)。シンプルなことだが、実行するのはなかなか難しい。

 どうして顔が気になるのかはわからない。とにかく気になる。ムズムズする、とでも言えばわかりやすいのかもしれないけれど、ムズムズという擬音がこの感覚をうまく言い表せてるとも思えない。今思いついた表現を使うなら、モワモワというような感じだ。モヤモヤとは違う、モワモワ。顔の中心から放射状にモワモワが広がっている。なに言ってるんでしょうねこいつは。

 ところで、花粉症がひどいのでマスクをして出かけたら、なんだか妙に顔が楽だった。顔が楽ってちょっと意味がわからないけれど、なんとなくモワモワが軽くなる。なにかが顔に触れているといいのだろうか。確かに、手で顔をおさえていると楽だ。頬杖をつく癖がついたのも恐らくそのせいだし、夏目漱石が写真でやっているような具合に頭おさえる癖もそう。だから、小学校の卒業式の練習で、黙って両膝の上に両手を置いているのが苦痛だった。そういうときは眉間がモワモワする。もちろん顔に触れたりすると先生が怒る。「我慢が足りない!」

 前にも書いたように花粉症用のメガネもするようになったんだけど、それもやっぱり着けていると楽だ。花粉症が楽ていうのももちろんあるが、顔が守られている感じがする。思えば、サングラスかけているときもそうだった。サングラスは他人と目を合わせないで済むから好きだったんだけど、守られている感じもよかったんだ。

 と、いうようなことを妻に話すと、あんたそれは感覚過敏かもしれないよと言う。音や光、感触に過敏というやつで、そういうひとはマスクやサングラス、ヘッドフォンをして過ごすととても快適らしい。おお、確かにそれ全部着けていたらぼくは完璧に守られる。ぼくは大きな音も大変苦手で、生活音もそうだけれど、音楽ガンガンのところにいくと具合が悪くなる。人生で一度だけ行ったビーチフェスは音楽を楽しむどころではなかった。まあ、ああいう場所が純粋に音楽を楽しむところなのかは甚だ疑問なのだけれど(言うな)。

 近頃はなんでも分類されていて、なんにでも名前がついている。それぞれの認知度が上がったいうのもあるし、症状を抱えるひとが以前よりもそのことを発信しやすくなったというのもあるだろう。実際にどうかは置いておいて、今ぼくが書いているこれもそうだ。そして、ぼくは症状に名前がつくと、よりそのことを意識してしまうタイプ。暗示にかかりやすいわけだ。だから、妻から感覚過敏の話を聞いてから、やけに感覚が過敏になった気がした。とは言え、その言葉を知るよりも前から顔がモワモワしていたのは事実だし、そこに名前がつき、同じひとが大勢いるということがわかるだけでも、言い知れぬ不安が少しは軽くなるというものだ。もしかすると、顔のモワモワはもっと違う名前で呼ぶことができるのかもしれないが、とりあえず感覚過敏というラベルをつけるだけでも、その正体がわかったようで気が楽になる。

 結局のところ、ストームトルーパーのヘルメットをかぶって過ごすのが理想だとは思うけれど、なかなかそうもいかないので、ぼくの大きな頭に合うヘッドフォン、こめかみを締め付けないサングラスを見つけよう。近すぎる世界に対してできることはそれくらいだ。