2019/03/30

『キャプテン・マーベル』(2019)


 90年代のサミュエル・L・ジャクソンということで『パルプ・フィクション』、宇宙人と接触するエージェントということで『メン・イン・ブラック』。あと、戦闘機ものとして『トップ・ガン』に通じるところもあるらしいんだけど、ぼくは観ていないのでとりあえず触れないでおこう。話の展開がおもしろく、どんでん返しというほどではないにせよ、物語の仕掛けにどうしても触れないと感想にならないので、以下、そのあたり詳しく書いてしまうことを予め断っておきます。

 クリー帝国とスクラル人は戦争状態にあり、物語はクリー視点から始まる。地球人と見た目が変わらない人々や、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』でお馴染みの青い肌のヒューマノイドたちから成るクリー帝国と、緑色の肌で尖った耳をした古典的な醜いエイリアンであるスクラル人は対照的に描かれる。前者は感情移入しやすい外見で、スタイリッシュな武器で戦い、見るからにヒーロー的だ。ブリー・ラーソン扮する主人公ヴァースもクリー側だが、彼女は6年前にクリーに拾われる以前の記憶がない。見知らぬ場所、知らない女性の姿を度々夢に見ては、それらが意味するところや自分の正体がわからず苦悩していた。

 そういうわけでスクラルとの戦いの最中、地球に迷い込むヴァースだが、そこで出会うのはまだアベンジャーズを創設する前、政府機関S.H.I.E.L.D.のいちエージェントでしかないニック・フューリー。サミュエル・L・ジャクソンの顔がデジタルの力で25歳若返る(エージェント・コールソン役のクラーク・グレッグも同様)。若返り合成はこれまでも『アントマン』のマイケル・ダグラス、『キャプテン・アメリカ:シビル・ウォー』のロバート・ダウニー・Jr.などでも披露されてきたが、いずれもちょっとした回想シーン程度だった。本作ではサミュエルの顔が全編に渡って若いまま。なんだけど、これが全然違和感ないんだな。例によってスター・ウォーズ脳のぼくは、メイス・ウィンドウの外伝映画なんかの可能性を考えちゃったりする。

 若きフューリーの助けを借りながら、ヴァースは記憶の断片と地球で得た手がかりから自分の正体を探る。フラッシュバックで少しずつ浮かび上がってくるイメージには、つねに逆境に立ち向かう若い彼女の姿がある。自分自身が何者なのかわからない状態で主人公が冒険を始めたり、時系列がバラバラの断片的なイメージの挿入などは、謎が謎を呼ぶ感じで引き込まれる。どうなっていくんだろう、と考えながら観る映画は楽しい。それでいて展開の調子もマーベルらしい軽快な感じなので、全然疲れたりもせず、おもしろい。

 いろいろあって、ついにヴァースは自分がキャロル・ダンヴァースという地球人だったことを知るが、それは、自分がどうしてクリーに拾われたのかという真相や、今自分が身を投じている戦いの別の側面を知ることにも繋がっていく。クリー帝国にとってスクラルは野蛮な攻撃者だったが、スクラルにとってもクリーは残忍な侵略者だったことがわかるのだ。スクラルのリーダー、タロスを演じるのはベン・メンデルソーン。バットマン映画の『ダークナイト・ライジング』、SW外伝『ローグ・ワン』、『レディ・プレイヤー1』などでの小悪党役が印象的で、最近ではすっかりそのイメージが着いているひと。少なくともぼくはそう思ってる。だから、メンデルソーンが扮する緑色で耳の尖ったエイリアンなんて、すごく悪役らしいんだけど、その先入観もまたこの映画の仕掛けのひとつだった。前述したクリー人たちのヒーロー的な容貌も同じことで、その見た目の対比自体ミスリードだった。戦争の違う角度を知ったキャロルは、戦いを避けて新しい居住地を探したいと願うスクラルに手を貸すことにする。

 とは言え、クリーとスクラルがやっているのは戦争であって、本当ならそこに客観的な善悪なんてものは決められない。スクラルが一切悪いことをしていないわけでは全然ないだろう。重要なのは、キャロルが自分自身の意志でどちらの味方をするか選択したことだ。本当のことを教えてくれず、自分を戦いの武器として利用しようとするクリーと、攻撃的なところもあるが難民と化して疲弊し、平和を求めるスクラル。少なくとも、キャロルの中でどちらを助け、どちらと蹴りをつけるべきかはっきりしている。こうして彼女は記憶とパワーだけでなく、主体的な自分自身を手に入れるのだ。ここがいちばん熱い。

 ところで、キャロルの夢に現れた女性はローソン博士といって、演じるのはアネット・ベニング。彼女の正体はクリー人だった(正体が地球人だったキャロルとは逆だね)。博士は『キャプテン・アメリカ:ファースト・アベンジャー』でキーアイテムだった四次元キューブを、戦争を終わらせるために使おうとしていたらしく、また難民となったスクラルたちを助けてもいた。四次元キューブは空間を司るインフィニティ・ストーンのひとつ。どうしてローソン博士が持っていたかというと、おそらくは『キャプテン・アメリカ』のラストでキューブを回収したハワード・スタークが渡したのだろう。これまではてっきりスタークがそのままシールドに渡したのかと思ったが、90年代のフューリーはじめシールドがキューブの存在を知らない様子なので、スタークが個人的に保持し続け、ローソン博士となんらかの協力関係を築いて提供したと考えられる。あくまで個人的な穴埋めだが。とにかく、絶大な信頼を置いていたローソン博士が、危険をおかしてスクラルたちを助け、戦争を終わらせようとしていたというのは、キャロルがスクラルを助ける理由として十分だった。

 本作は超人たちの存在を知る前のニック・フューリーのプリクエルとして見ることもできる。あの強面の眼帯司令官の知られざる過去。なんて言ったらかっこいいかもしれないが、それほど壮絶な経験をしているわけでもなく、かなりとぼけた野郎だったことがわかる。そのギャップは、もちろん笑える。片目を無くした理由も、さぞ血なまぐさい戦いがあったのだろうなと思っていたら……。まあ、これは見てのお楽しみ。クリーやスクラルの逆転、キャロルやローソンの正体よりも、実はこれが一番重要な真相じゃないかと思える。

 どうして今90年代に時計を戻し、フューリーとキャロルことキャプテン・マーベルの出会いを描いたかと言えば、もちろん『アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー』のラストシーンで、絶望的な状況で最後の力を振り絞ってフューリーが古ぼけたポケベルでキャプテン・マーベルを呼び出して終わったから(このポケベルはキャロルが改造して渡したもので、通信範囲はなんと銀河二つ分)。絶体絶命のときにフューリーが呼び出したのはどんなひとなのか。そいつはどれだけ強いのか、全宇宙の生命体の半数を消し去ったサノスに太刀打ちできるほどなのか、という好奇心が『キャプテン・マーベル』には寄せられていたというわけだ。しかし、単に過去編や次回へのブリッジとしてだけでなく、そこにちゃんとひとつの物語としてのおもしろさがあるのが、すごいと思う。レゴが欲しい。