今週、角川文庫から復刊された遠藤周作著「おバカさん」の装画を担当しました。遠藤周作と言えば「沈黙」くらいしか読んだことありませんでしたが、本作は元々新聞連載だったこともあり、軽快な運びで展開が気になる娯楽作。こういう話もあったんだと恥ずかしながら驚くと同時に、そういう軽快な調子の中にも時折深い愛が垣間見え、「沈黙」に通じるものも感じられます。
商社マンの兄とタイピストの妹の家に、兄のペンパルだったフランス人がやってくるところから、物語は、というか騒動は始まる。そのフランス人がかのナポレオン・ボナパルトの末裔だというのだから、迎える方は大騒ぎ。高貴な外国人がやってくると勝手に決め込んで支度するも、いざ横浜に着いた船まで迎えに行くと、薄汚いちんちくりんな格好の、とても美形とは言えない馬面の男が現れる……。なんだかんだ期待していた妹のほうはがっかり。ガストンというその男は、現代もなんとなく続いている外国人(特に白人)に対する幻想みたいなものをことごとく裏切っていき、行く先々で騒ぎを起こしていく。面倒なやつだけど、どうも憎めないガストン。そんな彼には日本に来た目的があるらしく……。というお話。
当然昔書かれたお話なので、時代特有の表現や聞き慣れない言葉が多いんだけど、それでも人々の生活にそこまでの変化はないし、昔の東京のアングラな部分がちらほら覗くのもおもしろい。どんどん発展していく大東京の片隅で、ガストンが触れ合うのは世捨て人や娼婦、労働者にヤクザものと、華やかな街の中心からはみ出た人々。街の裏側へ裏側へと行こうとするガストン、全然自分とは関係ない弱き者、傷ついた者に不器用ながらも手を差しのべようとする彼の行動に、なんとなく彼がなにを体現しているのか、来日の目的が浮かび上がってくるような気がする。というのは、巻末の解説とか、すでに世に出回っているこの作品の感想を見たりするとわかっちゃうことなんだけど、ガストンが何者なのかはぜひ読んで想像してください。
大使館や駐留軍、あるいは映画俳優でしか外国人を見ることのなかった時代。どうしたって「ガイジン」はかっこいいというイメージが人々の頭にあって、ガストンを迎える兄妹の、特に妹の方はまさにそのイメージのためにガストンに幻滅するんだけど、そんなのは勝手に幻想を押し付けて勝手にがっかりしているわけで、よくよく考えれば失礼な話。外国から本当にいろいろなひとがやってくるようになった今でも、ぼくらはまだまだハリウッド俳優や綺麗なモデルとかのイメージを持っちゃないだろうか?ガストンの風体やそれに対する妹の反応というのは、そういう意識になにかを打ち込んでくるようで、改めないとなあと思ったりもする。ガストンの人となりを間近で見ているうちに、妹は彼の中身の魅力を理解し始めるんだけど、そういうのは随分月日の経った今でも、重要なことであることには変わりないんだな。