2016/05/04

Happy STARWARS DAY !!


 5月4日は「スター・ウォーズの日」。理由にはもう触れないとして、まあぼくにとっては普段と何ら変わらない日。毎日がそうなんだからね。
 特にイベントにも出かけず、記念イラストを描いたりもしていないので(SWのイラストなら年がら年中描いてるわけで)、昨年「美術手帖」12月号に寄稿したイラストコラムの内容を改めてこの機会に。スカイウォーカー家の血筋がたどった道のりをイラストで追っていく内容。


 アナキン坊やのシルエットの演出は『ファントム・メナス』公開当時のポスターからの引用。お母さんとアナキンの構図がなかなか気に入っている。そういえば少年アナキンを演じたジェイク・ロイド、いろいろ大変らしい。


 銀河いちのお騒がせカップル。銀河にも週刊文春があったらふたりの関係はとっくに皆の知るところだったんじゃないだろうか。ちなみに初めて劇場で観たSWは『クローンの攻撃』なのでいろいろ思い入れも強い。このふたりの衣装も好き。


 かなり詰め込んだカット。ダース・ヴェイダーはアニメ「反乱者たち」のデザインを参考にした。ラルフ・マクォーリーがコンセプト・アートに描いたようなつり上がった眼や高い頰が特徴のスタイリッシュさが好き。赤ちゃん双子は本作公開後にハズブロから発売されたアクション・フィギュア(オビ=ワンがルークを、ベイル・オーガナがレイアを抱いているもの)を参考にした。今見ると棺の中のパドメはミレーの絵画『オフィーリア』に近いものを感じるのだけれど、影響があるんだろうか?


 旧三部作パートはもうアイコン化されているので非常に描きやすかった。いかに普遍的なSWのイメージに立ち返って表現するかを考えたつもり。レイアを抱いてターザンするルークはやっぱり勇気の象徴だよね(実際撮影現場でも命がけのシーンだったとか)。このあと三作目の『ジェダイの帰還』でも同じようにレイアを抱いてターザンするシーンがあるけれど、そのときのルークは自信と余裕に満ち溢れていて、彼の成長の度合いがわかる。ひとつのアクションでひとりの人間の成長が演出されているのがおもしろい。
 『帝国の逆襲』での対決はもはや説明不要だろう。ヴェイダーくらいアイコンと化したキャラクターはどこまで崩すのか、どういうデフォルメができるだろうか、ということを考えるのが非常に楽しい。おそらくかなり崩してもダース・ヴェイダーに見えるのだろうけれど、崩した上でも本来の暗黒卿の特徴が備わっていないといけないのが悩みどころ。長身の巨漢であり圧倒的な威圧感とパワーを持つ、絶対的な悪(少なくともこの時点では)。ぼくは大抵の場合ヴェイダーを、細部を省略したシルエット主体で描いている。大きな影のように見えるところが個人的にいちばんの特徴だと思うからだ。
 

 マスクを取ったヴェイダーというのは子供ながらに恐ろしくもあったし、怖いもの見たさのような感覚を呼び起こす不思議な魅力があった。DVDから最新ブルーレイではこの素顔を演じたセバスチャン・ショウの眉毛が削除されている(『シスの復讐』でアナキンの眉は頭髪もろとも焼けてしまう)。ぼくはあの眉毛がちょっと好きだったのでこっそり復活させてみた。『特別篇』やソフト化で加えられた修正は、良いものもあれば余計なものもある。まあ、個人の思い入れによるのだけれどね。

 というように、シリーズを一本の線でつないでみた次第。細部はともかく、おおまかなシリーズのあらすじとしても機能しているのではないかと思う。絵もとても気に入っていて、SWを描く仕事ができてとても楽しかった。
 個人的にはオリジナル三部作、プリクエル三部作といった区分けをせずにひとまとめにひとつのサーガと捉えるのが好きかな。プリクエルも完結から10年、『ファントム・メナス』に関してはもう17年前の作品である。もう十分SWの一部として板についてきたと思うし(古典になりつつある)、時間の経過によりまた違った魅力も見えてくることだろう。今後新たに生まれるエピソードも含めて、あとでまたシリーズを振り返って一望したらなにが見えてくるだろうか?

2016/04/28

結婚指輪はドロイド




  ぼくの提案、というわけでもない。どちらから言うでもなく自然と決まった。「シスの復讐」ノベライズ版ではほとんど自分自身の所有物がない禁欲的なジェダイであるアナキンが、それでもパドメと結婚した際になにか贈り物がしたいと考え、自分が造った唯一の友人C-3POを彼女に贈った。R2-D2はもともとパドメが女王のときから王室の宇宙船に配属されていたので自然と彼女と行動をともにしていたが、それを機にパドメからアナキンに贈られ、ふたりはドロイドを交換したのだった。指輪の代わりと言える。ぼくはこの、映画では触れられない小説オリジナルのエピソードが中学のときから気に入っていて印象に残っていたので、いつだったか妻に話して聞かせたのだと思う。
 この刻印にぴったりだ。お互いの名前や恥ずかしい言葉を入れるよりずっと良い。"自分たちらしい"と言える。もちろんアナキンとパドメ夫妻の暗い未来については考えないものとするけれど。
 なんにせよ金の指輪にC-3POと彫られているのは我ながらかなり良い。ぼくは子供のころから3POが好きで、このドロイドの色とフォルムがぼくをSWに引き寄せたようなものなのだ。

台湾旅行記(2)




 お菓子の包装がとにかくどれも凝ったデザインで、憎いくらい可愛らしいものばかりだったのが印象的。お茶っ葉の缶も洒落たものばかり。植物や蝶をあしらった、派手だがくどくない鮮やかさはいかにも「フォルモサ(美しい島)」という名にふさわしい。
 ぼそぼそしたお菓子が多いのは湿度が高いからだろうか?アイスクリームのトッピング(むしろアイスクリームの方がトッピングでは?)には本当に驚いた。


 大人になるとある程度の味の好みが決まってしまって大人と特権として好きなものしか食べないというのがあるので、なかなか馴染みのない味に出会うことが少なくなってしまう(ぼくはわりとなんでも食べるほうだけれど)。しかし、国によってよく使う香辛料が違い、香辛料が違うということは料理も別物で、人々の味の好みだって全然違う。これだけ世界的にチェーン店が台頭していても、やっぱり外国というのは味やそれに対する考え方まで違うのだ。ひとは「知らない味」に出会うために外国に行くのかもしれない。それは子供の頃散々経験したと思いきや(大抵のひとは自分の家庭の味付けしか知らないものだから、実はそんなにたくさんの味付けを舌が覚えてはいないのではないかとも思うけれど)、大人になってもまだ未知の風味を味わえるのはとてもエキサイティングなことだと思う。
 書店で人々が床に座って静かに本を読んでいる光景を見たときは、自分の国ではそれが行儀の悪い行為だとされているにも関わらず、言い知れぬ安心感を覚えた。とても不思議な感覚だった。誰も互いのふるまいに目くじらを立てたりせず、そこにはただ本を読みたいひとにとって居心地の良い空気が満ちている。ぼくが本が好きなのに書店で一種の苦痛を覚えるのは、ずっと立ってなければならないというところ。あまりゆっくり本を選ぶ気になれないのだ。誠品書店ではどこか邪魔にならない端のところに座ってその本が自分の欲しいものかどうかゆっくり考えられる。
 こういったルーズでゆったりとした空気は、お店もお客さんも信頼しあっているからなんじゃないだろうか。信頼というのが大げさなら、「任せている」といった感じか。街を歩いていても感じたけれど、全体的になにに関しても「自己責任」という空気があって、だから皆自分で判断して行動しているように感じる。東京がそうじゃないっていうわけじゃないけれど、ぼくらのほうは少し余裕がないかもしれない。相互監視と言うとまた大げさだけれど、自分で考えて行動しているというよりは、許されていることしかしていないというか。外国からは自分の暮らしているところがよく見渡せるんだなということがわかる。

2016/04/27

【営業報告】「スクープのたまご」発売


 装画と挿絵を担当した大崎梢さんの「スクープのたまご」(文藝春秋)が発売となりました。たまごらしい黄色いカバーがかわいい本になっています。


 カバーを広げるとこんな具合です。週刊誌を構成するあれやこれや、それが世の中を動かすいち要因となっている、というようなイメージをちりばめました。個人的には電車の中吊りが気に入っています。


 カバー下のイラストも描きました。実際に「週刊文春」編集部を見学させてもらったので、物語の舞台である週刊誌編集部の景色をモノトーンで。とにかく紙がたくさん、いたるところに積まれているのが印象的でした(当たり前だけれど)。


2016/04/25

営業報告:SPUR映画レビュー第3回


 「SPUR」6月号の「銀幕リポート」では本年度アカデミー作品賞・脚本賞を受賞したトム・マッカーシー監督、マイケル・キートン主演「スポットライト 世紀のスクープ」(公開中)を取り上げました。
 マイケル・キートンとマーク・ラファロだけでなく、ジョン・スラッテリーやスタンリー・トゥッチも実はアメコミ映画の仲間で、彼らが実在する英雄的人物たちを演じているところに注目しています。

台湾旅行記(1)


 描こう描こうと思いつつも帰国してからなかなか落ち着かずにいたら、もう半年以上経っていた。「落ち着いたときに」と思っていても落ち着いたときって一体いつなんだ?ということに思い至りようやく着手したというわけなのだけれど、写真をいっぱい撮ったりメモをしたりしてあったので結構覚えていることもあり、作業をしながらいろいろ思い出してきてまた行きたくなっている。飛行機で外国に向かって飛んでいるんだという感覚、雲の上の光景、見知らぬ街に漂う知らない匂い。でも別に異世界に行っているわけではなく、自分が暮らしていたところから地続きの先にある、同じ世界なのだという感じは残っていて、初めての外国は大変過ごしやすかった。
 

 わかりやすく異国感が感じられてよかった。台北市内に上陸したときから知らない匂いというか空気感には衝撃を受けていたのだけれど、九份はひしめきあっている店から様々な匂いが漂ってきていて(匂う匂うとずいぶん失礼な話なんだけれど……)、そのどれにも馴染みがないから見知らぬ土地にいるのだなという実感があった。もう少し時間があれば何周でもまわってみたかったと思うくらい、どこかテーマパークの箱庭感も。帰りは皆いっぺんに帰ろうとするのでバスになかなか乗れず、客引きにわらわらと湧いてきたタクシーを使うことに。早く帰れたけれど最初に言われていた料金と少し違うし(聞き違いかもしれないけど。もう細かいところをよく覚えてないがなにか釈然としなかったのは覚えてる)そもそも観光客相手のガツガツした客引きに対してあまり良い印象がないので(向こうも仕事だから仕方ない)そこだけモヤっとした。まあでも他の国はもっとすごいんだろうなあ。法外な料金じゃなかっただけずっと親切である。
 続きはまた描き次第アップします。

2016/04/16

営業報告:「GINZA」5月号美容特集イラスト


 「GINZA」5月号の「BEAUTY Q&A LESSON 」という特集ページにイラストカットを23点ほど描きました。いろいろな美容の質問や悩みにプロがこたえてくれる内容です。
 メイクのお手本図などは描いたことなかったので非常に興味深かったです。仕事をしながら知らなかったことを勉強できるのは楽しいですね。



 基本的に線画に一色ずつのさし色程度で、シンプルで気に入っています。どの部位に何色を使おうかというのを考えるのがなかなかおもしろい作業です。

営業報告:SPUR映画レビュー第2回


 「SPUR」4月号からはじまった「川原瑞丸の銀幕リポート」第2回はイアン・マッケランが引退した老シャーロック・ホームズに扮する、ビル・コンドン監督作「Mr.ホームズ 名探偵最後の事件」を取り上げました。引退間際のエレガントな老紳士ホームズ(肌がめちゃ綺麗)と、引退後フツーのおじいさんになっちゃったホームズの対比が切ないと同時に、ホームズを生きた人間として感じられる今までありそうでなかった作品です。

営業報告:「スクープのたまご」装画


 今月も装画のお仕事のお知らせです。大崎梢さんの新刊「スクープのたまご」(文藝春秋)の装画と挿絵を担当しました。
 日々世の中を揺り動かす週刊誌の編集部を舞台に、スクープがどうやって生まれるのか、記者たちの想いが描かれる物語。週刊誌の記事はどんな人々がどんな気持ちでつくっているのか、そんな疑問にこたえてくれる、今読みたい本だと思います。
 4月22日の発売です。




2016/04/09

「寒い国から帰ってきたスパイ」感想


 ペルシャ猫を抱いた悪の首領率いる秘密結社ではなく、対立する外国を相手にした本物の諜報戦。主人公は本当に東側に寝返るつもりなのか、それともこれは作戦なのか、もしや作戦と見せかけて本当は亡命するつもりなのか……と本当に最後まで主人公の思惑や作戦の全容が見えず、真相がわからない。しかも結末はそれらの想定の範囲を大きく越えて、読者はあっと驚かされる。誰が騙し騙されているのか最後までわからないこの感じが、諜報とはどういうものかを表しているように感じられる。
 「ティンカー、テイラー〜」同様に主人公が冴えない中年のオヤジというのがまた良い。風采が上がらないだけではなく暮らしぶりも冴えない。タキシードでカジノに繰り出すなんてとんでもない、サイズの合わないトレンチコートでロンドンの大雨にやられてすぶ濡れになっちゃうんだから。その現実的な役人の風貌で遂行する任務とは、地道に書類を調べたりこそこそと飛行機に乗ったり尋問したりされたりという、本当にロンドンの曇天そのものみたいな仕事ばかり。昔「スパイキッズ」を観て夢中になっていたぼくに祖母は言ったっけ、「本当のスパイなんて嫌な仕事よ」と。祖母が本物のスパイ事情に通じているのかどうかはさておき、ジョン・ル・カレのスパイ小説はその祖母の言葉を裏付けるものだった。現実のスパイは地味でこそこそしていて、なにより堅実なのである。
 克明な描写がありありと光景を映し出してくれるところも読んでいて心地よいと思う。この時代のロンドンでの生活も垣間見えるし、東ドイツの様子なんかもどこまで忠実かは置いておいてもとても興味深い(作者はMI6に所属して西ドイツで活動していた経歴の持ち主なので、ハリウッド的な架空感とは全然違って、そこそこリアルな描き方なのではないかなと、ぼくは思う)。
 ところでどうして諜報員だったひとは小説を書くようになるのだろう?

2016/04/08

小説版「シスの復讐」感想


 もうこの本を読んで10年経つらしい。「10年前」というのを振り返れる年齢になったのも感慨深いのだけれど、この本を読んで翻訳特有の文体に魅了されて(しかも謎な固有名詞がばんばん飛び交うSFもの)自分でも創作の真似事などをするようになったので、そういう意味ではひとつのきっかけになる読書体験だったと言える。とにかくひとつひとつの出来事や動作が、すぐにはイメージしづらいまわりくどさで描かれているところが「かっこいい」と思った。実に中学二年生らしい感想なんだけれど、でもあながち的外れな感想ではなかったんじゃないかなと思ったりもする。そこで感じた「かっこよさ」とは文章表現の幅のことだったのだから。起きたことをありのままに書く、それもいいのだけれど、ちがうことに例えてちょっと回り道して説明する。あんまりくどいのも考えものだけれど(くどさが作家性になっている方ももちろんいます)、それが文章による表現というものだったのだなあと。つまりこの本は、「『スター・ウォーズ』を読む」楽しさのほかに、「文章表現」について教えてくれたというわけ。
 実は当時、映画を観に行く前にこの本を読んでしまっていた。当然ノベライズ版のほうが描写が細く、映像では表現しきれない登場人物たちの思惑なども活字で描かれているので、ある意味映画よりもストーリーに関していろいろわかってしまう。そのため実際に映画を観たら物足りなさを感じてしまうという悲惨な結果が待っていた。一概には言えないけれど、ノベライズは映画を観たあとに読むに限ると思った(原作として小説がある映画はまた別だけれど)。映画にはなく小説にはある描写などは、映画を観た後に読むと補完されるところもあって楽しかろう。でも逆となると、小説にあったのに映画にはない描写ということになり結果的に物足りない気分になってしまうのだ。「あ、あれれ、あのシーンは無いの??」みたいな。ああ失敗失敗。
 昨年の「フォースの覚醒」はどうだったかというと、ノベライズの発売は映画公開よりずっと後になった。というかこの4月8日時点でまだ邦訳版は発売に至っていない。さすがに遅すぎませんか……。なので映画で少し説明の欠けていた部分が活字で補完できると思うと読むのが楽しみ。
 「シスの復讐」の物語はアナキン・スカイウォーカーの心の葛藤が軸になっている。この小説版もそれは同じで、ましてや「心の葛藤」を描くのに活字はもってこいなので、映画よりも一層アナキンの心がどのように揺れていたのかがよくわかる。葛藤していたのはアナキンだけではない。妻パドメ、師で親友のオビ=ワン、戦争を通じて姿を変えつつある共和国の未来を憂う人々(後の反乱軍の骨格となる人々だ)、ヨーダをはじめとするジェダイたち(彼らは長引く戦争で存在意義を見失いつつある)。銀河系が姿を変えようとしているときに、唯一苦悩していない人物がいるとすれば、すべての黒幕であるパルパティーン議長(後の皇帝)だろう。彼の邪悪な心理を伺い知れるのもまたこの本の魅力だと思う。

2016/04/06

「マネー・ショート 華麗なる大逆転」(2015)感想


 あとから考えると正確には株の空売りをしたわけではないような……。細かいことは置いておいて、経済のことに興味が沸く。馴染みのないひとにとっては非常に難解な経済用語がばんばん飛び交うが、そのたびにいろいろとおもしろい説明の仕方をギミックとして用意してあって、「説明しよう!」と言わんばかりに有名人が突然出てきてユニークなたとえ話で解説してくれたりするので、飽きずに観ていられる。
 それにしても00年代半ばのアメリカというのはこんなに浮かれていたんだなあ。日本人である上に当時は世の中に対して関心がない子供だったので、なおさら映画で描かれる当時の様子が新鮮に思える。劇中、住宅ローン破綻の可能性について主人公たちから話題を振られた相手が「暗い話はやめろ」と言い返すのが印象的。世の中全体がそういうテンションで、調子が良いときにひとは都合の悪い現実を見ない、考えないものなのだということがよくわかる。そんな彼らが最終的にどんな目に遭うのかはあまりそこまではっきり描かれない(なんとなく示唆はあるのだけれど、ほんのちょっとの描写だからこそゾッとするところがある)。
 この映画は「大逆転」という邦題がついているけれど、スカッとするカタルシスがあるわけではなく、前半で主人公たちを嘲笑していた銀行や、低所得のひとにローンを組ませまくって儲けていたひと、浮かれ放題でその状況が永遠に続くと思い込んでいたひとたちが痛い目にあう、なんていうラストでは全然ない。それどころか主人公のひとりは「大逆転」の是非について苦悩さえする。最終的にもたらされるのは逆転によるカタルシスではなく、問題意識というわけ。ぼくなんかは難しいことはわからないので「お金儲けは大変だなあ」という感想が大きいのだけれど。

2016/04/01

営業報告:ディスクユニオン「集めたくなる栞」


 ブックユニオン各店で書籍・雑誌を1000円以上買うと一枚もらえる「集めたくなる栞」。一年の間、毎月イラストレーターが描き下ろした絵柄等で展開される企画ですが、この4月から参加させていただくことになりました。ぼくは毎月「本のジャンル」をテーマに描かせていただきます。初回は「ミステリー」(左から2番目参照)。毎月数量限定となっております。今後もお楽しみに!


2016/03/31

営業報告:ゴルフ誌「グリーンゴーラ」イラストカット担当


 幻冬舎のゴルフ雑誌「グリーンゴーラ」最新号(Vol.2、「ゲーテ」5月号増刊)にてイラストカットを担当しました。13ページにわたって27点ほどとかなりたくさん描かせていただきましたので、ぜひご覧ください。
ちょっと敷居の高そうなスポーツであるゴルフを、そんなに気張らなくて大丈夫、ゴルフをやると身だしなみが整って知識が身につき、トークが盛り上がってみんなからもモテますよ、ということを紹介している特集に親しみやすいイラストを添えています。



 という具合です。まだまだたくさんありますが、きりがないのでこのくらいで。クラシカルなゴルフウェアはちょっと「ダウントン・アビー」っぽくて素敵だなあと思います。

「グリーンゴーラ」最新号(Fujisan.co.jpの雑誌・定期購読):http://www.fujisan.co.jp/product/1281696906/new/

2016/03/25

営業報告:KDDI特設サイト「おもいでタイムライン」



 携帯電話誕生30周年を記念して、KDDIの情報マガジン「TIME&SPACE (タイムアンドスペース)」にて公開された新コンテンツ、「おもいでタイムライン」のイラストカットを担当させていただきました。中央のメインイラストはイラストレーター・Noritakeさんです。
 携帯電話が歴史に登場してから30年の間にどのような進化をたどったのか、当時起こった印象的な出来事とともに振り返る内容になっております。自分がかつて使っていた機種は一体どんな時代に発売されたものか、一目でわかるつくりになっているので楽しいです。

・「おもいでタイムライン」:http://time-space.kddi.com/omoide/

「スティーブ・ジョブズ」(2015)感想


 基本的に「娘との関係」を軸にシンプルな展開なのだけれど、ウォルター・アイザックソンによる伝記で特に大事なところもちゃんと拾われていて、うまくまとめられているのが良い。実の父親とひそかに会っていたり(父親はジョブズが息子だとは知らないというのがまたすごい話なのだが)、共同創業者ウォズニアック(セス・ローゲンがすごくはまってる)との確執といったおなじみのネタがバランスよく盛り込まれている。自身がペプシから引き抜いて社長に雇ったジョン・スカリーからアップルを追われてしまうといったエピソードも印象的なのだけれど、とにかくそういったいろいろな出来事が綺麗に包括されていて、「娘」という線で一本につながっているように見える。いろいろな要素が盛り込まれながらも、視点のばらけというか、詰め込み過ぎな印象は全然無いのだ。点と点がやがて線でつながるという話もジョブズが生前繰り返して語ったことで(いろいろな経験が線でつながっていずれ役に立つとか確かそんな話だったと思う)、彼の人生もまた複雑そうで波乱に満ちているように見えながらも、実はシンプルな線でつながっていたわけだ。
 実はジョブズよりジョン・スカリーという人物のほうが興味があったのだけれど、この役は「オデッセイ」でNASA長官役だったジェフ・ダニエルズが演じている。「オデッセイ」と「ジョブズ」は続けて観たのだけれど、どちらの役も堅実そうな中年のおじさんという感じで好き。スカリーはジョブズから「一生砂糖水を売って生きるのか?」というまたおなじみの挑発的な言葉でアップルに誘われたらしいのだけれど、大きなお世話だよね。砂糖水に人生捧げたって、ぼくは良いと思うけれど。美味しいし。

2016/03/24

「オデッセイ」(2015)感想


 マーベル的なノリの良さが感じられると思う。「キャプテン・アメリカ:ウィンター・ソルジャー」(14)のセバスチャン・スタンや「アントマン」(15)のマイケル・ペーニャ、「ファンタスティック・フォー」(15)のケイト・マーラといったマーベル映画組の出演もどこかコミック感を補強しているのかもしれない(マット・デイモンも顔が漫画っぽいし)。
 キャラクターが登場するたびにそのひとの名前や肩書きなどのテロップが登場したり、その人物がなにかを話す構図などもまるでドキュメンタリー番組を観ているかのようで、ワトニーが火星で動画日誌を記録する際の「観客に語りかけている」ような演出もそこを強く意識しているように感じる。コミック感とドキュメンタリー感がうまくマッチして、ワクワク楽しいリアリティ番組のように仕上がっていると思う。
 往年のヒット曲が挿入されているところも、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」(14)のときに感じたようなテンションで元気が出る。ぼくは元来音楽のことが全然わからないので、こうやって映画のVAサントラを通して楽曲について知るということが多い。今回はデヴィッド・ボウイの「Starman」やグローリア・ゲイナーの「I Will Survive」など、改めて良いなあと思った。

2016/03/23

レオナルド・ディカプリオ来日記者会見


 昨日はアカデミー主演女優賞を獲ったブリー・ラーソンを見に行ったけれど、今日は主演男優賞のディカプリオの会見に行きました。本物のグレート・ギャツビーが見れてうれしいです(今作で彼を陥れるトム・ハーディ演じる悪役の名前が「フィッツジェラルド」なのがちょっとおもしろい)。

2016/03/22

ブリー・ラーソン&ジェイコブ・トレンブレイ来日記者会見


 4月8日公開の映画「ルーム」の主演ふたりによる来日記者会見にお誘いいただいたので、行ってきました。こういう催しに行くのは初めてで、とても楽しかったです。映画もとても良い作品だったので、間近でふたりを見られて感激でした。
 ジェイコブくんといえば、アカデミー賞授賞式で「スター・ウォーズ」のドロイドたちが現れたとき子供らしく身を乗り出して見入っていた姿が印象的でした。
 やっぱり目にした光景を思い出して絵にするのは楽しい。

2016/03/10

営業報告:「買い物とわたし」発売


 文春文庫より、山内マリコさんの「買い物とわたし 〜お伊勢丹より愛をこめて〜」が発売されました。いざ書店で新刊として平積みされているのを見ると感慨深かったです。毎度のことですが、ぼくが部屋の机の上でせっせと描いていたものが、こうしてたくさん印刷されてたくさんの人の手に渡ると思うと、なんだか不思議な気持ちです。
 文庫本でフルカラーイラストを収録した買い物エッセイ集というのも珍しいそうなので、ぜひお手に取っていただければと思います。


2016/03/06

都会生活4年目を迎えて

 東京で暮らして丸4年が経った。実家を出てからは6年となる。
 同調圧力によって押し潰されそうになる閉塞的な田舎から飛び出して、魅力的な都会で暮らすことを望んでいた地方ティーンエイジャーは、実際に上京してみてあることに気づいた。確かに都会は魅力的な人間と物に溢れ、はちきれんばかりの情報量で異様な輝きを放っているが、それはただ単に人数と物量が膨大だというだけの話で、そこには良識あるひととずいぶん心ないひとと、少し変なひとがごった返していて、物にしたって安物から高級品、まったく無駄なものから有意義なものまで掃いて捨てるほど溢れ、日々代謝を繰り返している。だから都会にはおもしろいひとやおもしろい物がたくさんあるのは確かだろうけれど、同時に不快なものも同じくらい、もしかしたらそれ以上溢れていると思う。
 結局のところ膨大な物量を除けば田舎とそんなに変わらない。都会とはデカい田舎のことだ。前述した同調圧力とか、閉塞感みたいなものは地方特有のものではなく、都会の根底にもあって、むしろ地方のそれよりもずっと強いと思う。ただ、ひとが多いので、いろいろなひとがいろいろなスタイルを選択できる余地があるというわけ。はっきり言って、ここは変なひとが多すぎる。どんなひとが変かというのはあえて書かないけれど、まあなんとなくわかってもらえるんじゃないかな。魅力的なひとがたくさん集まってくるということは、わけのわからないひともたくさん集まってくるというわけさ。都会の特徴とはひとの多さに尽きる。
 別に東京がどうのこうの言っているわけではない。我々地方出身者はしばしば忘れがちになってしまうけれど、当然ながら東京が故郷であるひともいるのだ。だから別にひとの生まれ育った街についてどうのこうのケチをつけるつもりは全然ない。よく安直な田舎者が「東京は冷たい」などと言うのも一体なにを期待しているんだかと思う。この街で自分は部外者なのだ、余所者なのだということをちゃんと自覚できておらず、訪ねれば無条件で歓迎されるとでも思っているのかもしれない。少なくとも他人さまの住んでいる領域に自分の意思で外からやってきたのだということを自覚していれば、自分がうまくやれないのを東京のせいにはできないと思う。まあ、そうしたくなる気持ちは確かにあるけれどね。でもそれをやっちゃうともう負けを認めることになっちゃうというか(なにと闘ってるんだかわからないが)、「ぼくさきに帰るね」という宣言になっちゃうので、気をつけないといけない。なんにせよぼくはここで暮らしたいと思った。
 ぼくは外からやってきた身で良かったなとも思う。両親はふたりとも東京出身だが、子どもの頃からしきりに「なんでこのひとたちはぼくをわざわざこんな田舎で産んだのだろう、都会にいてくれればきっともっと楽しいのにな」と思っていた。けれど、実際に上京したら、両親の選択に感謝しなければならなくなった。ぼくはこうして部外者の目で都会を観ることができたし、その魅力や特徴をじっくり観察することができた。さらにそれと自分の生まれ育った土地を比較してとらえなおすこともできた。両親があんな山と海と畑しかない土地を選んだ理由は今になればわかるような気がする。ましてや80年代の終わり、奇妙な90年代を迎えようしていたあの時期の都会には、今とはまた別の不穏な空気がたちこめていたはずだ。
 都会には、地方からやってきた部外者によって輝きを増すという側面もある。むしろ都会を魅力的に描くのが田舎者の使命のようなものだ。そして、それには都会で育ったひとの案内が必要となる。ぼくにはその条件が揃っている。
 まだまだぼくの都会生活は続くだろう。大勢の人間が同じ方向に早足で歩いている中に、奇妙な気持ちで加わったり、素面でありながら大声で熱唱しながら歩いているひとを見かけて笑いそうになったり(実際笑う。ぼくはちょっと変だと思うとすぐ笑う)、心ないことを言うひとを見て「こんなひともいるのか」と思ったり、それでもそんなことどうでもよくなるくらい、ぼくは楽しい日々をおくっている。

2016/03/03

営業報告:「買い物とわたし 〜お伊勢丹より愛をこめて〜」文庫装画


 2014年の春から「週刊文春」(文藝春秋)で連載していた山内マリコさんの「お伊勢丹より愛をこめて」がこのたび文庫化されました。連載時にはモノクロだったぼくの挿絵も全てカラーで掲載される上、装画も描き下ろさせていただきました。タイトルや著者名、下部の「文春文庫」も手描きとなっております。装画の描き下ろしは初めてで、イラストレーターとしての目標でもあったので、とてもうれしいです。


 週刊連載の際はモノクロの掲載でしたが、実際は全てカラーで描いていました。不慣れな始めの頃は、着彩したものがモノクロ誌面ではどのような具合になるかが、いまひとつつかめず(もちろんモノクロ変換の作業も自分でしていましたが、実際に紙に刷られた感じは想像するしかなかったわけで)、誌面で見ると思ったよりぼんやりしていた、なんていうこともあったのですが、途中からは「黒ベタがこれくらいあって、なにも塗らないところがこれくらいあるとメリハリがつく」、というようなことがわかってきてました。


 装画以外では目次のちょっとしたアクセントを描きました。買い物エッセイに登場する数々のアイテムとともに、山内さんの愛猫チチモがいます。


 帯がつくとこんな感じ。文庫本という非常に慣れ親しんだ媒体に自分の絵がついている、という実感がじわじわとやってきます。
 帯がついていると、一見リッチなハイブランドの袋や箱ばかりが並んでいるように見えますが、


 帯を取ると、その下には現代日常生活ではおなじみのお店の袋や箱が現れるギミックとなっています。ちなみに一番右端にあるのは、山内さんの地元・富山で唯一の百貨店、大和(ダイワ)の紙袋。

 山内さんの著作が好きで、最初はいち読者でしかなかったのが、新連載の挿絵を描かせていただくことになったときは夢のようでした。文庫化で装画も描かせていただき、とうとう大好きだった作家さんの著作群の中に自分の絵が加わったと思うと、うれしくてたまりません。
 雑誌連載の仕事は初めてでしたし、「週刊文春」という大御所となると自然緊張しました。毎週描くというのも初めての経験で、一週間の仕事ペースみたいなものがだんだん形作られたと思います。前述したような、「印刷された形をイメージして計算する」ということの必要性も学ばせていただき、連載がはじまったときと終わったときでは随分自分の描くものも変わり、技術面でも発展したところがあったと思います。これからもあの連載での挿絵の仕事はぼくのキャリアの基盤的なものとしていろいろな面で生きてくると思います。

 「買い物とわたし 〜お伊勢丹より愛をこめて」は文春文庫より3月10日発売です。


2016/02/22

営業報告:「SPUR」映画レビュー連載開始


「SPUR」4月号から、新連載「川原瑞丸の銀幕リポート」がはじまります。新作映画のイラストレビューの連載となります。第一回はクエンティン・タランティーノ監督作、サミュエル・L・ジャクソン主演「ヘイトフル・エイト」を紹介しています。
 憧れの雑誌で大好きな映画のレビュー連載。。。とてもうれしいです。

営業報告:「ZIP!」アカデミー賞コーナー用イラスト


・23日から、日テレ系の朝の番組「ZIP!」(5:50〜)において一週間のあいだアカデミー賞特集がありますが、その特集コーナーのメイン・イラストを制作しました。時間帯はその日によって違うようですが、タイミングが合ったらご覧ください。
 授賞式翌日、3月1日の放送では授賞式の結果をうけて新たに描き下ろしたコメント付きイラストが紹介されます。

2016/02/01

営業報告:「pen」 スヌーピー特集にイラスト・コラム



「Pen」2月15日号のスヌーピー特集にて、スヌーピーの犬小屋の秘密にせまるイラスト記事を見開きで描かせていただきました。作中で内部が仄めかされながらも実際に描かれなかった謎の空間を、ピーナッツ風の瑞丸が案内しています。

2016/01/26

営業報告:「婦人公論」 ジェーン・スーさん連載挿絵


「婦人公論」2月9日号より、作詞家・コラムニストのジェーン・スーさんの新連載「スーダラ外伝」の挿絵を担当させていただくことになりました。「婦人公論」は月二回の刊行で、スーさんの「スーダラ外伝」は瀬戸内寂聴さんの連載と交互の掲載になるので、月一回(後半号)の掲載です。ちなみに創刊100周年だそうです。

2016/01/24

「スター・ウォーズ:フォースの覚醒」感想


 公開直後に書いた草稿は思いの丈をこれでもかというくらいに詰め込みずいぶん長ったらしいものになってしまったのだけれど、あのボリューム感はイラスト記事には不向きだということがわかったので、一枚におさめることで落ち着いた。長ければいいというものでもないんだね、反省反省。
 公開から1ヶ月、ぼくはまだ3度しか劇場に足を運んでいないので、もっと観ているひとに比べると細いところを観られていないのかもしれないけれど、ぼくのテンションにとってはわりと丁度良い回数。一回一回を大事にしたいしね。やはり1度目、2度目、3度目で気づいたことや見方が変わったところもいくつかあるし、時間が経てば経つほど別の感想や考えが湧いてくるのが大変厄介なのだけれど、何度観ても変わらないのはぼくはこの作品好きだなあということ。これに尽きる。
 観れば観るほどその造形に惹かれていくのはやはり新キャラクター。これを書いている今のぼくは初回のときに比べてかなり主人公レイの人物造形が好きになっていて、これほどSWの主人公が好きになるのは初めてかも。特にぼくは廃品漁りのときの覆面にゴーグルを着けてボロボロのバッグを提げた姿がお気に入り。これは奴隷姿のアナキンや農夫姿のルークにはなかった魅力だと思う。独りで、自分の力で生き抜いているんだなということが伝わって来るサバイバル的スタイルだ。
 悪役カイロ・レンは初見ですでにその新しさにやられていたわけだけれど、やはり回数を重ねるごとにどんどん好きになっていく。というより彼のことが他人事に思えないんだよ。別にぼくはあんな伝説的な血統の生まれじゃないんだけれど、ただ彼のメンタル面の不安定さには非常に共感するところがある。頭に来ると物に当たるところとか、ぼくにもある。大事なものを壊しちゃうこともあったから、最近はようやく抑えが効いてきているんだけれど。ヒステリー起こすのは子供の頃からだったから、カイロ・レンの子供じみた苛立ちはぼくの中にある深いところに結びついてくる。だから他人事ではないし、「なんだこのしょぼい悪役は」などと馬鹿にして片付けることもできない。ひとによっては(特に男子は)彼の姿を見て自分の欠点を見せられているかのような気がして居心地が悪くなるかもしれない。ぼくもそうなってもおかしくないのだけれど、ぼくの場合はこんなにイカした悪役と共通点があって超うれしいってなるわけだ。
 劇場での鑑賞を終えるごとに増していく新キャラクターへの想い。これは意外にも作品全体のつくりを理解する手伝いをしてくれた。「フォースの覚醒」はこの新しいキャラクターたちを見せるための作品なのだと思う。初見のときにやや不満だったメカニックやエイリアンのデザイン、あれらが無難なところに落ち着いている印象を受けたのも、新キャラを際立たせるためではないだろうかと思える。もっと言えば、デザインでの実験や、誰も見たことがない景色をつくることよりも、誰も見たことがないSWをつくることに徹した結果ではないだろうか。ミレニアム・ファルコンが砂漠の地面に船体をこすりながら、砂埃を巻き上げて飛ぶ姿や、湖の上を水しぶきを上げなら飛んでいくXウィングなど、ぼくたちのよく知るメカがそれまで見たことのない動きをするというところに、今作の試みが見られるのだ。倒れた仲間に駆け寄るストームトルーパーの姿などもそう。もはやひとつのアイコンであるからこそ、そのアイコンが今まで見せたことのない動きをしているのが「新鮮」なのだ。よく見慣れたおなじみの世界の中でおなじみのアイテムを使って、新しいキャラクターたちが思う存分動き回っている印象だ。