「もう引き返せませんぞ」みたいなこと言われるだけで、なにか取り返しのつかないことになってしまった感じがして子ども心にはとても恐い。「タワー・オブ・テラー」にも確かウェイティング列の途中に離脱口があって、やめるなら今、みたいな感じがおっかなさを倍増させる。アトラクションの特性上、実際的に必要なものだろうけれど、離脱口があるだけでひとつの演出になっていて、普通に乗る気でいるひとの気持ちは盛り上がるわけだ。こういう考察をするのはなんだか野暮な気もするが、あそこは何度行ってもまだまだ知らないことだらけで、行くたびに様子も変わっているので、永久に知り尽くすことができない。
で、「ホーンテッド・マンション」の話。どうもぼくが長らくアトラクションのバックストーリーだと思っていた設定みたいなものは、有志のキャストが独自に考えたものだったらしい。道理で取ってつけたような話が多いわけだ。この伸びる肖像画にしても、強盗に脅されてダイナマイトの上に立たされたとか、騙されて流砂に沈む使用人とか、婦人が特技である綱渡り(?)を披露していたところを呪いで綱が切れるとか、どれも魔女のマダム・レオタ(水晶球に頭が入っているあのひと)が絡んだ事件とされていたが、これからしてどうも後付け臭かった。この絵はただ単に不吉な予感をさせる絵、という感じで、あまり物語を意識して描かれたものには見えなかったのだ。屋敷の周りに流砂や湖があるというのも違和感があったし。女主人の特技が綱渡りってなんだ。元サーカスメンバーとか、バレエダンサーみたいな話だったような気もするが。いずれにせよマダム・レオタが企んだ陰謀ともたらした呪いが屋敷全体をあのような状態にしている、というのが通説だったが、これらは全てキャストとして働いていたひとたちの二次創作。とは言えそれなりに考え抜かれてひとつの物語として成立させていたので、公式と混同されるくらいの出来ではあったわけだ。なるほど、確かにダンス・ホールで踊ってる男女のゴーストたちはマダムの呪いによって永久に踊り続けている、みたいなところはそこで働いているひとが考えそうなことだ。永久にくるくる踊ってるというのはアトラクションとして見たときの話で、ゲストであるぼくたちにはあくまでそのときだけ踊っている様子に過ぎない。
舞台裏の事情が設定に絡んでいるところといえば、アトラクションの最後に登場するリトル・レオタ。頭上のところにいて、「ホ〜リ〜・バ〜ア〜ック」と言ってるあのひと。あれはマダム・レオタが川に落ちて縮んだ姿、ということでリトル・レオタと呼ばれていたが、正しくは全く別のキャラクター。なんで同じレオタとされていたかというと、水晶球の方でレオタを演じたレオタ・トゥームスが、最後の女のひとのほうも演じていたから。言動が全然違うもんね。あのひとは本当はゴースト・ホステスという名前がついているらしく、そこからもわかるように全体でナレーションをしているゴースト・ホストと対の存在。そもそも小さい小さいっていうけど、あれは遠近感を演出しているために人形サイズで頭上に置かれている。つまり屋敷の高いところにいるわけ。塔の周囲にぼんやり浮かぶ幽霊、みたいな典型的なイメージだね。それを額面通り人形サイズの女のひと、というふうに呼んでいるあたり非常に後付けっぽいし、野暮な感じがする。そういうわけで、水晶球の魔女はただ単にあそこで降霊術をやっているだけで別に黒幕的キャラクターというわけでは全然ない。黒幕もなにも明確な物語はあそこにはないのだ。なにかとストーリーや意味、設定が求められているような気がするが、「なんとなくそういうところ」程度のものでもなにも問題はない。
「スター・ツアーズ」にしても、設定が気になってしょうがないSWファンは、登場するキャラクターや時代設定の矛盾を指摘し続けているが、あんなものは「『スター・ウォーズ』の世界観を体験する旅行会社」程度の認識でいい。確かにあの旅行会社そのものがSW銀河にある、という体ではあるが、一貫したストーリーや時系列とはまた別のものと捉えたほうが素直に楽しい。そもそもアトラクションであって映画ではない。様々な世界観がひとつの領土にごちゃまぜにおさまったディズニーランドそのものがそうであるように。