2018/11/01

それがハロウィン


 毎年のようにハロウィンなにかしようと思うも結局時間と気力が足りず、仮装もしなければなにか力作をアップするようなこともできないで半端なことになっている。今年はなんだか妙にいつもよりなにか作りたいという気持ちが強く、変に焦った。ハロウィンに強迫観念のようなものがある。前よりもいろいろなものが描けるようになったから、自分の原初的イメージであるお化けや骸骨といったモチーフに戻ったらどれくらいおもしろくなるだろうかという気持ちと、世の中の少なくとも一部でハロウィンがひたすら堕落の一途を辿っている中で、自分にとっての、自分の思うハロウィンとはこうだというイメージをしっかり作っておきたいという思いが強いのかもしれない。別にあれは間違っていてこれが正しいみたいなことはない。原理主義を追えば自分の首も締めることになる。本当のハロウィンとはなにか、ライナス・ヴァン・ペルトの言うところの理念を突き詰めれば、『スター・ウォーズ』のキャラクターの仮装も外道ということになるはずだ。だからひとのやっていることは否定しなくていい。その代わりに、自分の思うのはこうだとはっきり表現すればいいのだ。そう思うからこそ、毎年10月に入ってから焦り始めるわけだが、果たして今までの人生で「よくやったハロウィン」を思い返したとき、10月に入ってからの準備で出来上がったものなどあっただろうか?11歳のハロウィンでジャンゴ・フェットの仮装をしたとき、夏休みに『クローンの攻撃』を観てからすぐに衣装作りを始めたはずだ。我ながらまだプールが開いているうちからなにをやっているのだと思ったものだが、出来上がった衣装は傑作だった。あんな、全身を好きなキャラクターの衣装で覆った仮装などそのあと一度もできていない。その10年後、専門学校を出たものの仕事が全然ない時期、ハロウィンくらいはなにかしようと思って作ったウェブお化け屋敷はどうだろうか。あれも膨大な時間を持て余し、しかし遊ぶお金もないので夏のうちから作っていたはずだ。力作をやりたければ時間をかけるしかないのだ。今は仕事をしているから時間が足りないなんて言い訳はできない。なら夏よりもっと前から着手すればいいだけのこと。仕事でもそうだが、どうも期限までが長いとなかなかやる気にならず、目先にある急ぎのものにかかりきりになってしまう。もう少し長いスパンでものを作れるようになった方がいい。興味の持続性をもう少し鍛えたい。また、別に仕事でなければ義務感を持って焦る必要はないということも覚えておきたい。ハロウィンのことで頭を抱えるなんていちばん不幸でナンセンスだ。やる気にならなければ、なにも思いつかなければ、別にやらなくたっていいのだ。幽霊屋敷やお化けの絵なんて年がら年中描けるわけだし。季節に振り回される必要はない。もしなにかやりたいのであれば、気を楽にして、普段からハロウィンのこともなんとなく考えていれば、10月という一年でいちばん体調を崩しやすい季節の変わり目に、急に焦り出すこともなくなるだろう。なにか大掛かりなことをしようというのでもないけれど、来年楽しくやるために、今から少し意識しておこう。『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の町長じゃないが、終わってすぐに来年のことを考えるのもまた愉快なことだ。