2018/09/29

ツイッター9年目にして思うところ

 なんとこの夏で9年目である。よくぞこんなものを9年も続けているものだ。そのうち一体どのくらいの時間をこれに費やしてしまったのか。実際に触っていない時間でもこれのせいで悩んでいたことが多かったように思うし、思考のあり方のようなものを一時期支配されていたような気がする(果たして今はどうだかね)。もちろん、いろいろな出会いがあったし、描いた絵をアップしてひとの目に触れるようにしていたことで、ここまで仕事を広げられたのは確かだ。だから今後もぼくはツイッターはやめはしないだろう。なんだかんだ性には合っているところもある。フェイスブックなんかと違ってね。

 と、それを前提とした上で、やっぱりうんざりすることばかりなんだよな。画面を開けばだいたい誰かしらが何かしらへの文句を垂れている。大抵がなにかへの、誰かへの反論だ。ぼくもついついそういうことを書き込みたくなるし、実際書いちゃってる。だから誰であれあの入力画面やタイムラインを前にするとどうにかなっちゃうんだな。書き込む習慣さえついていればね。だから、とりあえずはなにを読んでもいちいち反論を書くのはやめよう。直接返信して文句を言うのもみっともないし、「こんなこと言ってるやつがいたんだけど」という切り出しでそれへの反論を書くのなんかもっと痛い。ぼくがこれをよくやりがちなんだけどね。極力それが特定の誰かにならないようにかなりぼかすわけだけど。でもそれって、下手をすると架空の敵を設定してそれに言い返してるようなものだよな。それはかなりまずい。実際にそういうひともいるだろう。無益だから本当にやめよう。イラついても反論を書かない。

 まあそれが出来れば苦労はしないけれどね。それができないからみんな大揉めに揉めるわけだ。あるひとはエアリプなんかじゃなく、直接そいつに返信して、真っ当な意見から見当違いなこと、言いがかり、反論、さらには暴言まで書き込む。よくよく考えればすごい神経だ。会ったこともない、ネット上でさえそれまで絡みもないような知らないひとに、挨拶どころかいきなり反論を書くって、相当のことだ。そこにかかってるエネルギーみたいなものを考えると、やっぱり虚しくなる。「ぼくもそう思います!」みたいなコメントじゃない限り返信しなくていいとさえ思えてくる。それで話が盛り上がる方がよっぽど楽しい。インターネットは口喧嘩のツールじゃなく、同好の志を見つけるためのものだし。まあそればっかりで似たようなひとだけの沼にはまっていくのも考えものだけれど。同じ考え方のひとだけで集まってどんどん精鋭化することもあるから、良くも悪くもという感じだ。そのバランスもそいつ次第だろう。

 140字の上限におさめなきゃいけないから、文章の練習になるなどと言われていた頃もあったし、実際ぼくもそう思っていたことがある。いかに少ない言葉で簡潔に、さらには誤解を生まないように書くのに結構頭を使うし、そうやって考えた末に残り何文字書けるかという数字の表示がぴったり「0」になったときは快感さえある。全然ひとつのツイートにおさめられず、何個にも渡ってぐだぐだ続けているのはみっともなく見えることもあった(今でこそぼくは全然気にせず書き散らしているが)。そういう書き方なために途中だけ抜き出されて誤解される場合もあるだろうから、ひとつのツイートにおさめないと誤解されそうなことなど最初から書くなとさえ思ってしまうわけだが、しかし、140字ぴったりにおさめようおさめようとする文章の書き方は、だんだん思考自体をそれに最適化していってしまうんじゃないかな。140字ぴったりで言いたいこと全てを書ききっているツイートというのは、パターンが見えてくる気がする。書き出し、つかみ、オチ、みたいな感じで。詳しい分析は面倒だからしないけど、注意して見るとわかってもらえると思う。君は頭がいいだろうしね。「誰それがいついつどこどこ、こういう状況のときにこれこれこういうことした(言った)って話好き」みたいなやつもそう。「〜って話好き」。これなんなんだろうね。なんかネット全体で使われてる言い回しなんだろうけれど、リツイート稼ぎには最高の表現なんだろうなあ。好きっていうのを表明するのは全然いいんだけど、なんかその裏に「俺はこんなことを知ってる」「お前ら知らないっしょ?」みたいなひけらかしを感じちゃうんだよな。好きである以上になにか自分で思ったこと考えたこと、それがなんで好きなのかみたいなコメンタリーがないのも安っぽい。ただそのまま情報が書かれているだけ。とりあえずリツイートされていいねされればいいみたいな感じ。そんなのばっかりで気が滅入っちゃうよ本当に。

 そんな愚痴も、今までならそれ自体ツイートしていたかもしれないけれど、こうしてブログに書くほうが字数をケチケチせずに思う存分書けるからいい。自分の思考をツイートでブツ切りにして消費したくないんだよな。それはとてももったいない。なにか考えたことや書きたいことがあるなら、やっぱりブログだ。ここはぼくだけのノートで、リツイートもいいねもないから気楽である。それでいて一切ひとの目に触れないわけではないのでそこまで汚い書き散らしにはならない。一方ちょっとした思いつきはツイートでいいし、メモ気分でツイートしたものをあとでブログで詳しく書くというのもありだ。なんにせよブログを楽しむのと同様ツイッターも楽しく使いたいものである。

 イラストレーターとしてのアカウントでもあるのだから、ひたすら描いたものや最近の仕事についてアップし続けるのが正しいのかもしれないが、何度もそれを意識しては失敗してきた。絵日記とか、1日一枚アップみたいなこと、全然できない。どうしてもぼくの根っこのところにはオタクがいる。ファンボーイがいる。好きなものは大いに語りたくなるし、同じようなものが好きなひとともオタク話をしてしまう。はっきり言って同業者よりもSWオタクのほうがフォローしてる人数が多いと思う。同じ仕事をしているひととの仲ももう少し広げたいところなんだけど、やっぱり同好のひと、同好な上で好感の持てる相手とのやり取りは楽しいし、発見も多い。そりゃ趣味のことばかりでもよくないかもしれないが、無難なことしか書かずにイラストだけアップするってのもやっぱりどこか味気ない。ぼくにはね。ぼくが描くものは、ぼくの趣味に基づいているものでもあるだろうから、そこはやっぱり切り離したりしなくていいんだと思う。そこもやっぱりバランスだろう。

 とにかくなにか読んでそれは違うだろと思ったり、イラついたりしても反論は書かない。違うだろ、と思っただけで十分だ。全ての意見を表明する必要はないし、当然ながら本当に思ったことなど書かなくていい。今こうして書いているこのブログでだって思ったこと全てを書いているわけじゃあない。そこは、SNSほどではないにせよ、ほどよくひとの目を気にできる、ということが効いてくるわけだ。ネットに本当に思ったことなんか書かなくていいし書くべきではないんだ。本音を漏らすのは家族とか仲の良いひとの前だけなのと同じなんだな。どんなツールでも使い方をコントロールすればこっちのものだ。楽しくやろう。