2018/09/22

才能は必要ないと言うひとには才能がある

 たとえば「絵を描くのに才能は必要ありません!」みたいなこと言うひとがいるけど、大抵の場合そのひとには才能があって、そのことにあまり自覚がないんじゃないかと思う。誰だって自分が当たり前にできることを特殊な能力だとは思わない。手塚治虫の名言(もしくは暴言)に「僕にもできるからあなたにもできます!」みたいのがあったと思うけど、あれなんかはいい例だと思う。天才というのはなかなか冷酷だ。恐らくそういう発言に傷つけられたひとは少なくないだろう。そりゃ、ただ単に「絵を描く」というだけなら技術もセンスも必要ないかもしれないけど、それを続けたり、他人に見せたり(不特定多数に向けて発表したり)、ましてやそれで金銭を得ようというのは、どんな場合でもやはり一定の才能があるはずだと思う。そんなことを言うと、ぼくにも才能はあるぜと言ってるようなものだが、別に否定はしない。才能というとなんだか掴みどころのない、いわゆるギフト的なものや霊的な壮大なものを連想しがちなので、ここはスキルとかやる気くらいの言葉に言い換えてもいいと思う。それともあれかね、ぼくは自分にそういうのがあると思っているからこそ、必要ないと言ってのけてしまうひとに反感があるのかな。そうではないと思いたいが。「必要ないって言えるのはあんたにそれがすでに備わっているからだよ……」と言いたくなるのは、やはりぼく自身の劣等感の裏返しなのか。あるいは、「いやいや、あんたには才能あるよ!」と敬意を込めて言いたいのかもしれない。それだけのものを描いてきて、才能が無いとは言わせないよ。

 いや待てよ。そもそも「絵を描くのに才能は必要ありません」は、別にそのひとが自分に当てはめて言ってることではないんだよな。この言葉の直前には恐らく「あなたが」というのがきっと入る。「あなたが絵を描くのに才能は必要ありません」つまり「オレみたいに長く仕事で続けるわけじゃないなら才能なくてもできるよ」ということか。なんだか腹が立ってきた。そう考えると「僕にもできるからあなたにもできます」というのとはまた意味が違ってくる。「僕にもできるから」というのはまさに自分の力を自覚していないが、「あなたがやる分には」は自分の能力を自覚している。やっぱり手塚治虫が一番怖い。