2018/10/29

『search/サーチ』(2018)


 パソコンの画面だけでこんなに緊迫感が出るのかと驚く。大きなスクリーンで観るPC画面というのもなかなか新鮮だけれど、ずっと観ているとそんなことは忘れて、気付けば主人公と一緒に画面の中に手がかりを探している。車で移動するシーンをグーグル・マップで表現したりするのがおもしろい。エンジン音とともに矢印が黄色い線の上で動いていくだけの画なんだけど、早く、早く行かないと、という焦りが伝わってくるからすごい。PC画面だけなので、人物の表情や会話は内臓カメラによるフェイスタイムや配信動画で演出されるわけだけれど、実際も皆あんなにフェイスタイム使うのかな。ぼくはどうもあれが苦手で、なんで嫌になったかというと、なんの断りもなく一方的にあれで通話をかけてくるひとが多かったから。この映画の中のように普及・浸透していれば問題ないだろうけれど、全員が全員同じように使ってないものはもうちょっと考えて欲しいものだ。別に部屋が見られるのが嫌とかはないんだけど(見られるつったって、パソコンに向かっている自分の背後しか映らないし、背後は壁だ)、なんとなく部屋で気抜いてる顔を見られたくないというか。いや、外でだってわりと抜けた顔しているんだけど、なんかこうね。多分当たり前のようにあれで電話してくるひとが気に食わなかったんだろうな。顔にチックが出るから、相手に顔を注視されたくないんだろう。同じ理由で自分を映す動画配信とかも、興味なくはないが自分でやるには抵抗がある(話すことがあるかどうかは置いておいて)。でも、ティーンズには当たり前の発信方法なんだろうなあ。とは言え、主人公の娘マーゴットが初めてパソコンのアカウントを作る2000年代半ばというのは、ぼく自身がインターネットに触り始めた時期でもあったので、マーゴットの成長とともに移り変わっていくパソコン画面の変化とかは、親近感があった。ポケモンが好きなところも良いですね。そういえば、あるところで出てくる「好きなポケモンはカクレオン」ていう台詞(台詞というよりチャットのコメントか)は若干伏線だったような気がする。詳しくは書かないでおくけれど、気にしてみて。なにはともあれ、この映画を観たら、パソコンの操作や目にする画面ひとつひとつに大きな意味があるような気がしてきて、楽しい。物語上の展開ではあるけれど、個人的な範囲でのインターネット検索だけでいろいろなことが突き止められるんだなあと改めて思う。というか、PC画面だけで物語が成り立つというのは、それだけ生活の中でPCや端末の画面を見ている時間が長く、生活の一部(ひとによっては一部どころではないだろう)が画面の中に移されているということなんだろうなあ。