2018/10/26

おじさん化対策

 27歳などまだまだ小僧に過ぎないがだんだんおじさんに向かっている気がしなくもないので、なんとなくおじさん化を防ぐ方法を考える。いや、世の中良いおじさんもいるので、というかほとんどはさ、良いおじさんなんだけどさ、なりたくないおじさんというのはあるので、理想の大人になるために考えてみましょう。ざっと思いついたのは以下の通り。

 まず年齢をかさに着ないようにする。すでにぼくの同世代のやつらが「今の若い子は〜」などと口走っているのを見かけるので、ゾッとする。どうしてそうも年寄りぶりたいのか理解できない。恐らく先輩にされたことを後輩にしたがるあの馬鹿な習性から来ているのだろう。だいたい「今の若い子は初代ニンテンドーDSを知らないんだよなあ」ってなんだよ。ギャグなのか。「今」の捉え方がぼくとはだいぶ違うようだ。ぼくなんか、80年代あたりまでは「現代」だぜ(それもどうなんだ)。あと、当然同い年で活躍しているひともたくさんいるんだけど、早くもその半生を振り返る番組などがあってビビる。え、もうそんな年齢なのか。波乱万丈があってしかるべき年齢なのか。まあ、そういうのはだいたい中学高校を振り返る程度だけれどね。だよな。安心した。

 それにちょっと近いところで、主語が世代になるやつ。これも避けたい。「我々」とか言い出すんだよな。我々と呼べるような集団に属したことがないから全くわからない。そりゃタレントが同い年か一個下一個上とかだと知ると、それだけなんとなく親近感が湧いたりはするから、ぼくもなんだかんだ言ってもルーツに世代が絡んでいるなと思うんだけれど、我々と呼べるほどの連帯感とか帰属意識みたいなものはないなあ。我々ってあんた。宇宙人か(この連想がすでにおじさん)。

 あとダジャレを言うのとか。ギャグでもなんでも思いついたことをすぐ言うのはまずい。そもそもギャグを言おうというのがまずい。おじさんはギャグを言いたがるものだ。そしておじさんが言うギャグなどおもしろかった試しがない。

 うろ覚えで話す。これもいけませんね。とは言え仕事でなにか書く際に資料を確かめるのも面倒なのに、日常会話のためにものを調べるのもだいぶ怠い。ぼくもだんだん映画のタイトルを覚えなくなっている気がする。説明文的な邦題が多いせいもあるんだけど、しかしそれも覚える気が起きないのは、いけない。それくらいは覚えてなきゃまずい。おじさんのうろ覚えというのはどうしてああも近いようで遠い言葉になるんだろうなあ。ぼくは元来イメージが先に浮かぶタイプなので、これに陥る可能性は十分ある。

 映画と言えば俳優の名前がだんだん怪しい。同時に登場人物の名前も怪しい。作品や俳優にもよるんだけれど、たとえば俳優がそんなに有名じゃなかったりよく知らない場合には、役名とか、単に主人公、ヒロイン、みたいに呼ぶ。俳優が有名で思い入れがあったりする場合にはキャラ名なんて全然覚えずにたとえば「悪役のポール・ベタニー」みたいに言う。「ローラ・ダーンの提督」とか。やばいな、SWのキャラクターさえ覚えられなくなっている。最近の新キャラが名前含めて全然印象的でないせいもあるが。俳優の名前で通すのもなんだかストーリーの世界観に集中していないようだし、気取っている調子が癪なんだけど、同時にキャラ名で通すにはあまりにも強烈なひとはいるし、作品によっちゃ名前なんかあってないような登場人物ばかりの場合もある。アルファベットの頭文字しか与えられていないことも少なくない。だからあまりそこは統一しなくていいんだけど、しかしそのときどきでスタンスを変えるとこっちも混乱するんだよな。そして最終的に役者も役名も覚えられないポンコツに成り果てるのではないかという恐怖。どうする。

 とは言えひとの顔と名前は覚えたほうがいい。覚えることを諦めたときからひとは老いるのだ。ただし、ぼくみたいなのはひとの顔を覚えると、あいつだあいつだとなって、物語に集中できなくなったり、なんだかどこを歩いていても知った顔に会っているような気がして疲れたりするから、難しい。バランスと集中次第だろうか。

 ものを覚えることも重要だが、それはやっぱりものごとに関心を持つということだ。なんでもかんでも気にし出したらまたそれはそれで疲れるが、少なくとも若いうちに関心のあったものについてはアップグレードしていくべきだし、そこから関連付けて別のものに広げたり、新しい分野を開拓することはやめないほうがいい。なんだかおじさん化よりも老化そのものの話になってきたが、とりあえず肉体的なことはここでは置いておこう。とにかく感性を鈍らせないように。良いおじさんになろう。