2017/03/06

日記:2017/02/16 - 25

2017/02/16 木 〜 21 火

 とりあえず忙しい時期だった、とひとくくりにしておく。忙しい忙しいの一点張りじゃ日記としてもつまらないと思うが。
 気分転換に上映が終わろうとしていた『ローグ・ワン』の見納めをしたのだけれど、やはり回数を重ねるごとに前半のくだりは非常に冗長に感じられてくる。回数といってもぼくはこのときを含めて4回なのだけれど、とてもツイッターで見かけるような10回以上の鑑賞はする気になれないし、そんなことなんの自慢にもならないと思っている。
 また別の機会にじっくり書きたいけれど、あの映画のテンポはどこか本を読んでいるときに似ている。というか、往年のSW小説によくある感じのテンポだと思う。前半から中盤までダルいが、終盤で一気に盛り上げていく感じ。
 電話を受けることが多くなった。電話が多いと、仕事をしているなという気分になるものだけれど、どうも近所の基地局かなにかの移転がされたらしく、部屋の電波が非常に悪い。まだ電波塔が裏の山に建つ前の実家並みに電波が悪く、通話中もわりと先方の声が途切れて困る。固定電話を引いた方がいいんじゃないか。ヴィンテージ玩具店で見かけるようなディズニーの古い電話とか置きたい。コードの繋がった大きな受話器を持って仕事の連絡を交わすという絵図に憧れもある。ドラマの「マッドメン」かなにかの影響だろうな。

2017/02/22 水

 ビデオ・ゲームがもとの映画を試写で観た。モーション・キャプチャーを多用して実際の俳優そのままのモデルにその本人が声を当てているというような「プレイする映画」とも言うべきゲームがたくさん出ている中、果たしてゲームを実写映画化する意味があるのかと疑問を思ったりもしていたが、ゲームにはプレイすることが前提に書かれた物語があり、そういったゲームでしか生まれ得ないタイプのストーリーを映画のネタに持ってくることでおもしろい化学反応が見られることもあるんだなあということがわかった。ゲームと映画は互いに刺激し合って進化していけるものなのかもしれない。

2017/02/24 金

 久しぶりによそのおうちに犬を連れていくことに。少し長い道のりだったが到着したときの犬のはしゃぎようは見ているこちらもうれしいくらい。おうちは素晴らしいところだった。何度も「素敵」を連発した。ひとの家に行くとあちこち真似したくなってしまうのは昔から変わらないが、うまく参考にできたためしはない。それでもやっぱりいろいろなところを見せてもらって、帰ったらぼくも自分の部屋をああしてこうしてと想像を膨らませた。とても楽しい時間だった。犬も楽しかったろうと思う。
 ちなみにこの日は結婚記念日で映画『ラ・ラ・ランド』の公開日だった。

2017/02/25 土

 沈むように寝ていた。夕方妻が仕事をあがるのに合わせて出かけて行き、一緒にビックカメラを覗いた。レゴ・ブロックでも買わせてくれるのかと思ってうきうきしていたが、帰り道のぼくが提げる紙袋にはフィリップス電動シェーバーがあった。生まれて初めて使ったのだけれど、綺麗に剃れる。T字では限界があった。ぼくはヒゲが濃いのだ。でも脱毛しようだなんて思わないな。年取ったらオビ=ワン・ケノービみたいに生やしたくなるかもしれない。シェーバーでヒゲを剃るのは楽しい。

2017/02/28

日記:2017/02/08 - 15

2017/02/08 水

 下手に忙しいなどと口走ると、そんなの忙しい内に入らないだとか、どんなに忙しくってもメールの返事くらい打てるだとか、忙しいなんて言うのは100年早いだとか、まあそんなことを言ってくる大人は多いのだけれど、忙しいもんは忙しいのだから仕方ない。忙しさや疲労に基準はない。ぼくが忙しいと感じていればそれはぼくにとって忙しいということなのである。あと、メールの返事くらい打てるというのに対して言わせてもらえれば、たとえメールを打つくらいの時間的余裕があったとしても、メール一通打つだけの心の余裕がない場合もある。電車に乗ったとき、トイレに入ったときに携帯電話からでも返事が打てるはずだ、と言うひともいるかもしれないが、ぼくはそんな、全ての時間なにかしてなくてはいけないと強迫されながら生きるのはご免である。というわけで今とても忙しい。

2017/02/09 木

 この日は昼と夕方に試写を観ることにした。前日の項で忙しい忙しい言ってるのだけれど、この日に観ておいたほうがスケジュール上都合がいいからである。『レゴバットマン ザ・ムービー』と『ムーンライト』の二本。昼間に前者、夕方から後者だった。極限までデフォルメされたレゴという様式は、実はモチーフのキャラクターについて説明や批評をするのにすごく効果的ということがわかっておもしろかった。『ムーンライト』はアカデミー賞でも『ラ・ラ・ランド』の対抗馬といわれているくらいの作品だけあって、とても味わい深い。簡単に触れるのがためらわれるのでまた別の機会で。
 二つの試写の間の空いた時間は、雪がぱらぱらと降る中ひとり秋葉原を散策した。久しぶりにひとりでやってきた。ひとりということは時間が許す限り好きにまわれて、存分に迷いながら買い物もできるわけ。中古で老オビ=ワン・ケノービの12インチ・フィギュアがあって、1800円だったし、最近はオビ=ワンに気持ちが寄っているので欲しかったのだけれど、結局やめてしまった。非常にみみっちい話なのだが、現金が少し足りなかった。こんなことでやたらとカードを使うのもよくないような気がした。きりがなくなってしまう。かわりに1000円以下で転がっていたカイロ・レンのお面(ボイスチェンジャー機能付き)を買った。最近になってようやくジェダイに惹かれ始めたものの、やっぱりカイロ・レンは放っておけないのである。
 映画を見終えて家に帰ってから、妻にこうこうこういうふうにひとりで迷っていたのだという話をしたら、あっさりと「それくらいカード切ればいいのに」と言われた。なあんだ。ぼくはちょっとした金額でうじうじ悩みすぎなのかもなあ。
 ところで外に出ているときに空いた時間をチェーンのカフェなんかで過ごせるようにとオートチャージ式のICカードを持たされているのだけれど、結局電子マネーが使えるカフェを探して歩き回っているうちに時間が潰れてしまう。この日もそうだった。以前パスモやスイカが使える店舗に入ったことがあったとしても、どの店舗もそうというわけではないので、お店に入る前にiPhoneでわざわざ目の前に構えているお店でICカードを使えるのかどうかをネット検索して調べるようにしている。そうじゃないと怖くて入れない。そして、だいたいそんなことは検索したところで載ってない。ぼくも一応なんとか考えることはできるので、駅前の店舗であれば交通系ICカードが使えるのではないか、前に使えたお店も確か駅のそばだったはずだ、と思い至って意を決して駅前のスターバックスに入るのだけれど、結局そこも使えなくて、うちでは使えません、と優しく言われたにも関わらずひどくショックを受けて落ち込んでしまう。ショックくらいならいいが、ぼくはたまにそれをものすごく拒絶されたように感じてしまってパニックになりかけてしまうことがある。
 スターバックスは好きで、俗に言われているような注文システムの難しさなんでちっとも感じたことはないのだけれど、電子マネーが使えるかどうかを心配すると、どこのコーヒー店だろうと、とっても敷居が高いものに思えてくる。コーヒー店どころではない、お金には変わりないものの、使えるかどうかわからないものを頼りに街を行くのは、とても途方に暮れる感じがする。

2017/02/10 金

 妻もああ言ってくれたので、用事のあとで昨日の秋葉原のお店に行ってみた。オビ=ワン・ケノービに夢中になったのは、多分オビ=ワンとレイの共通点をたくさん見出してその関係性を考えているうちに、オビ=ワンがシリーズの中心人物としての側面のあるということに気づいてからだと思う。いろいろと考えているうちにこの人物の魅力がわかってきた。今まで被り物をしたキャラクターにしか興味がなく、生身の人間キャラは主人公含め基本的に造形がつまらないものと決めつけていたのだが、年を取って初めてわかる魅力が出て来たりして、本当に飽きの来ない作品だなあ。
 ところがである。たった1日で老ケノービの90年代ハズブロ製12インチは姿を消していた。どこを探しても無い。ああなんということだ。昨日買えばよかったのだ。やはり見つけたときに買わないとだめなんだなあ。これでは気がすまないので、同じシリーズのボバ・フェットと、『ファントム・メナス』のときのクワイ=ガン・ジン仕様のライトセイバーを買った。
 こういうふうに買い物するのは楽しいけれど、なんの意味もない玩具を買い続けることに疑問を抱いている自分が背後にいたりもする。中古で、大した額にはなっていないのだけれど、それでも自分はこんなことをいつまで続けるんだろうとも思うのである。もちろん楽しい。ストレスも和らぐ。ただ、ぼくの中にある大人になりかかったもの、死に向かい始めている心、あるいはこんなことではだめだ、もっと高みへ行こうという気持ちが、冷めた視線を投げかけてくるのである。知識や客観性が素直さを殺し始めているのか。玩具を欲しがり続けるのと同じ貪欲さが、現状に甘んじてはいけないと警告してきているのか。なにを大切にすればいいのかわからなくなっている。自分がなにを大事にしたいのかがよくわからなくなっている。絵を描くこと、文章を書くこと、好きな映画やキャラクターを愛すること、品物を、造形を、形のあるものに愛着を持つこと。たぶんどれもぼくには重要なのだけれど、時折そのバランスが崩れてしまいそうで怖いのだ。自分で表現することができずに、買い物だけでしか愛情表現ができなくなるのではないか。物に依存しすぎているのではないかと。
 部屋にある物から圧迫感を覚えることは今もある。しかし、集めて来たものを、ほんの少し部屋を広く感じようとするために衝動的に手放す、なんていうことは、もうしないと思うし、したくもない。それはやっぱり、自分のいろいろなものを否定してしまうような気がする。ミニマリストには憧れる。彼らの生活はいかにすっきりしているだろうか。部屋は汎用的で均整が取れていて、無駄がない中にほんの少しの遊び心を残して趣味の良さを表現する。なんていう、それっぽいインテリアの本に載っているそれっぽい部屋の写真を思い浮かべる。でもさ、ぼくってそんながらんとした部屋に果たして住みたいだろうか?本当は本や品物で溢れかえった小さな図書室、私設博物館のような部屋で過ごしたいのでは?そこに集められているコレクションは、ぼくの気持ちを圧迫するものではなく、ぼくの知識や価値観の記録や記念と言えるんじゃないか。頭の中におさまりきらない、溢れんばかりのイメージや想いを、目に見えて手で触れられる形のあるものに託したからこそのコレクションなんじゃないか。なにより、ぼく自身も本来人間が生きていく上でそこまで重要じゃないものを作って暮らしているじゃないか。ぼくの仕事は装飾的だし、ぼくの作ったものもまた誰かのコレクションになり得る。そんなぼくが、ひとつひとつの物に価値を見出せないでどうする。一気に袋に詰めて捨てれば、そりゃあそのときはすっきりするだろうよ。でもね、あとできっと虚しい気持ちになるんじゃないかな。やっぱり、その必要がない限り、むやみに大事にしてたものを手放すべきではないんだな。持っていられる限り、物は持っていていいし、欲しいと思ったものは、素直に買ってもいいんだよ。忘れてはならないのは、このやや供給過多の世の中で、本当に自分が欲しいものを見極めることかもしれない。
 ボバ・フェットはこの時期のフィギュアにしてはわりとよく出来ているし、少し粗く見えるところは、レトロ・トイの魅力として見ることもできる。そしてクワイ=ガンのライトセイバー!緑色が綺麗で、サウンドや光も楽しい。持ってるだけでSWという感じがする。赤いライトセイバーよりも。そうそう、どうしてぼくが急に王道的なジェダイの騎士に意識が向き始めたか。それはまた改めて書くことにしよう。

2017/02/11 土

 土曜日でもしっかり朝起きられた。このところ熱心なのは部屋の整理で、前日に物を買う自分を肯定しはしたが、部屋がごちゃごちゃ散らかるのはよくないので、なにをしまい、なにを飾るか、そのバランスを見極めたり、本棚の中を調整しているのだけれど、これはわりと楽しい。特に本棚の整理は、これだと思う形が見え始めるととても気持ちが良い。

2017/02/12 日

 月曜までと言われている仕事を昼間に仕上げたので、わりとのんびり過ごした。日曜はなにもせずに完全に休むぞと新年から意気込んでいたのだが、どうも世の中の方がそれを許してくれないというか、逆に金曜までに全て済ませなければならない、というほうが自分を圧迫することがわかり、結局そのあたり適当になってしまった。ぼくは自分で設定したルールに縛られて思い悩んでしまうタイプなのだけれど、まずはそれをどうにかしたい。いろいろな意味でぼくは時間を好きに使える環境下にあるのだから、自由にやればいいんだよね。もちろん、ある程度決めることでメリハリはつくんだろうけれど。乗れないときは本当に乗れないし、やれそうなときはやれるもので。とりあえず締め切りさえ守っていれば大丈夫だろう多分。

2017/02/13 月

 特に書けることはなし。ひたすら描いている。今週はなかなか大変そうだ。

2017/02/14 火

 妻から『スター・ウォーズ』のチョコレートをもらう。棒にカイロ・レンやR2-D2、BB-8の形のチョコレートがついている。お腹も減っていたのでぺろっと三本ともたいらげたら、妻が驚き、一本くらい食べたかったと言った。

2017/02/15 水

 思ったのだが、これ毎日メモしておく必要ある?ないよね。また自分で作ったルールに縛られていたわけだ。一年365日分記録をつけてみよう、とは思ったが、なんにもない日はなんにもないし、事細かに書いていく気力もこう忙しいとねえ。その日の寝る前に書ければいいのだけれど、なかなかその習慣もつかないし、この形式の利点が損なわれる。
 というようなその日の出来事となんの関係もないメモばかり増えている気がする。
 

営業報告


 「SPUR」4月号ではジャン=マルク・ヴァレ監督、ジェイク・ギレンホール主演『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』を紹介しています。西川美和監督作『永い言い訳』とあわせて観たくなる、妻の突然の事故死をきっかけに人生を見直す男の物語です。公開中。


 山内マリコさんの新刊「皿洗いするの、どっち? 目指せ、家庭内男女平等」(マガジンハウス)にて装画と挿絵を描いております。
「anan」で連載されている同棲・結婚生活エッセイをまとめた単行本となります。発売中です。
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  こちらは3月2日発売の「今すぐ! 集中力をつくる技術――いつでもサクッと成果が出る50の行動」(祥伝社)という本。表紙に一点カットのみとなります。中の挿絵は違う方です。

2017/02/15

日記:2017/02/01 - 07

2017/02/01 水

 前日の緊張がまだ続いているかのようで1日中落ち着かなかった。未だティム・バートン監督を目の前にしたという事実に実感がなく、短い時間だったがなにか失礼があったのではないかと急に思えてきて不安に襲われる。何度も何度も自分が質問をしたときのことを思い出して、自分がどんなふうにしゃべり、どんなふうにどぎまぎしたかを頭の中で再現して反芻しては、ああ、やっぱりよくなかったのではと、恥ずかしさとも情けなさともつかない、なんとも言えない気分になるのであった。
 それと、やはり会場で怒鳴り声を上げていたテレビ・マンがおっかなく、別にぼく自身はなにもされちゃいないのだが、なにかいけないものを見聞きしてしまった気がし、とにかく随分と自分が傷ついていたことがわかった。

2017/02/02 木

 スーパーでスターバックスのコーヒー豆を買えたので、久しぶりに朝コーヒーを淹れた。思えばスターバックスでは大抵お菓子のような限定ものか、お気に入りのホワイトモカばかり頼んでいて、普通のコーヒーを飲むことはないので、そこまで味はわからず、言われなければわからん。
 ようやく緊張が解け始め、かわりに「うわー、とうとう本物のティム・バートンを見ちゃったなあ」とじわじわ感動がやってきた。ぼくのこの時間差でやってくるリアクションはなんなのだろう。

2017/02/03 金

 特に節分らしいこともせず。あの太くて具のたくさん入った海苔巻きあまり好きじゃないしね。それにあれが節分の食べ物だっていう感覚まだ馴染まないな。やっぱり豆まきでしょう。それもしなかったが。
 試写を一本観た。ダウン症の少年がディズニー映画のセリフを通じて言葉を取り戻し、周囲とコミュニケーションを取って成長するドキュメンタリー。非常に良かった。ぼくと同い年ってところも来るものがある。

2017/02/04 土

 だいぶ日が経ってから書いているのでなにがあったか思い出せない。土曜日だった。このあたりからようやく午前中に起きられるようになった気がする。少し前にあった緊張のおかげか、何日か続けて日中に用事があったからか。最初に目が覚めたあたりですぐカーテンを開けると、新しい日差しが入ってきてどこか覚醒した気分になる。そうそう、この前の日寝るのが早かったんだよね。22時くらい。そしたらこの日は6時に目が覚めた。

2017/02/05 日

 寝るのが遅くても早めに目が覚めるようになった。これはいいのかよくないのか。専門学校に入りたての頃、課題をたくさん出すことで有名らしい古株の講師が「睡眠時間はたとえ2時間でも1時間でも、それが慣れればそれで平気になるから大丈夫」などというとんでもない持論を展開して、睡眠時間を削ってまで仕事をするべきだという世の中に蔓延するどうしようもない思想を、早くも若者たちに植え付けようとしていたのを思い出す。教えるべきはそういうことではなく、いかに睡眠時間が大切か、それをできるだけ多く確保するにはどういう風に作業をしていったらいいかというようなことだろうに。自分が経験した辛いことを後続のひとたちにもそのまま同じように経験させようとする必要なんかないのに。あいつ、まだ教えてるのかな。いや、そんなことはどうでもいい。その、睡眠時間が短いことに慣れてしまう、というのはわりと危険なことに思えてくるので、そうならないようにしたいところだ。とは言え、やはり決まった時間帯に目が覚める日が続くと、どこか身体の調子も良いような気がする。あとは寝る時間をできるだけ早く、毎日同じくらいにしていくことだなあ。
 ああいう、睡眠を軽んじる大人がひとりでも減りますように。

2017/02/06 月

 妻の誕生日である。何日か前に郵便局限定のドラえもん食器を誕生日に買っていいかと言うので、承諾して、それで一応誕生日プレゼントは済んでしまい、妻も別にこれ以上ケーキやなんやは面倒だろうから要らないと言って、出勤していってしまった。しかしさすがになにもしないわけにもいかないよなあ。どうしようかなあと思いながら、ぼくも打ち合わせのため都心に出て行った。
 帰りにケーキやちょっとしたお菓子を買って行って、帰ってから多少なにか飾りでも作ろうか、と考えていたら、妻から体調が悪いから早退するというメッセージが。ああ、前にもこういうことがあった気がする。あれは確か、そう、同棲を始めた年のクリスマスだった。妻が仕事から帰ってくるまでにチキンを用意して飾り付けをして、くたびれて帰ってきたところを出迎えようと、きゅうに張り切って準備をしていたら、突然昼間に帰ってきたのだ。そのときは帰ってくるなりすぐ布団に入って寝てしまったから、その間に大急ぎでいろいろやったのだが、まあ、帰宅したら部屋が暗くて……みたいなサプライズはできなかったよね。どうもぼくが張り切ってそういうことを計画すると彼女は早退してくるようになっているらしい。案の定この日もケーキやお菓子を選んでぐずぐずやっている間に妻のほうが先に帰宅してしまった。
 ケーキを抱えて帰ってくると、妻はやはり寝ていた。寝床から玄関や台所まわりが見えるようになっているので、ぼくが帰るとふと目を開けた妻が当然ケーキの箱を見ることになった。でも無反応。彼女はどうも寝ている間に突然目を開けて、一瞬目覚めたかのようになるもまた目を閉じて眠る、ということをよくする。目が開いても頭が起きていないのだろうけれど(眠る時に目が閉じ切らず、薄く白目が覗いてしまう体質と関係あるのだろうか)、そのときもそんな感じ。しめた、これは気づいていないかもしれないぞ。ケーキを冷蔵庫に詰めて(こんなの開けたら一発でバレる)、さあ、飾り付けや手紙でも書くのかと思いきや、ぼくもくたびれたので買ってきたパンを食べてだらだら過ごした。
 起きてきた妻が、不思議そうにして、「もしかしてケーキ買ってこなかった?」と聞くので、「いや?だって要らないと言っていたじゃん」とわざとできるだけ素っ気なく答えると、「なんか大きな袋を持ってるのを見た気がしたんだけどなあ」とどうやら寝ぼけ眼で見たものをなんとなく覚えていたらしいので、「買ってきてないよ。夢でも見ていたんじゃ?」と冷たく言ったら、「そうか」ととても寂しそうな顔をする。要らないと言っていたくせに。これでぼくが本当に買ってきてなかったら、どうせ気が利かないやつだと思われるのだろうなあ。でも、気は利くのである。買ってきてあるのだから。
「冷蔵庫を見てみな!」
 ぼくはあまりずっと隠しておくことができないたちなので、言った。妻は顔を輝かせて黒いモノリスのような冷蔵庫を開けて中を覗き、おほうむふふと笑うのだった。

2017/02/07 火

 この日も早起きできたのでふたりでランチを食べに行くことにした。最初は朝食を外で食べようと話していたのだが、話しているうちに昼間になった。途中で古本を漁った。すると、なんと『スター・ウォーズ』第1作の小説版、それも日本公開年の1978年、昭和53年初版の角川文庫版が出てきた。カバーは一作目のポスター、タイトルはまだシリーズ化する前なのでただの「スター・ウォーズ」(ただし、「ルーク・スカイウォーカーの冒険より」という記述がある)、カバーの袖にはスチール写真によるキャラクター紹介、そしてページ内にはモノクロの劇中写真が挿絵として入っている豪華さ。こんな文庫が当時は380円だったとはなあ。
 著者はジョージ・ルーカスとあるが、これはぼくの記憶と通説が正しければ、アラン・ディーン・フォスターというSF作家がゴーストで書いていたはず。フォスターはシリーズ初のスピンオフ小説である「侵略の惑星」の著者で、EP7『フォースの覚醒』のノベライズも彼が書いていた。
 第一作目のノベライズというだけあって、後年のノベライズやスピンオフ小説のように固有名詞がばんばん飛び交うということはなく、初めて銀河世界に触れる観客・読者を前提にしているので言葉や説明が丁寧である。なにより印象的なのは、「ストームトルーパー」や「サンドクローラー」というような用語をカタカナに変換するだけでなく、それぞれ「機動歩兵」「砂上車」というように日本語にあてて訳しているところ。これだけで今読むととても丁寧に思える。機動歩兵の装甲兜。巡航宇宙艦。このほうがどこか古めかしさがあってSWっぽいくらいだ。もちろんなんでもかんでも漢字をあてられているわけではないけれど、ところどころこういう言葉があるのを見ると、とても新鮮。
 物語上も、一作目の当初の世界観、シリーズ化される前でまだ広さや奥行きが描かれず、それゆえに想像力をかき立てられる、ある意味無垢な雰囲気があって楽しい。初めてこの世界に触れたひとの気持ちを追体験できるようだ。まだこの時点では帝国とそれに抵抗する共和主義者の戦争、くらいの世界観でしかないのだ。映画版のEP4そのものにおいてよりも、「共和国」の存在に焦点が当てられていたり、早くも「シスの暗黒卿」や「スカヴェンジャー(掃除屋)」といった言葉が出てくるあたり、一番最初のこの物語に、後のシリーズに登場する要素がたくさん詰まっているかのようだ。一作目にしてシリーズを包括しているとすら言える。そうして、よく知っている物語のはずなのに、細部が少しずつ違うこの小説を読むことで、ちょっと違うSWが見えてくるようで楽しい。お馴染みの映画とどこが異なるか、わずかな設定や用語、訳の違いなどメモにまとめたい。

2017/02/12

映画『ナイスガイズ!』PRイラスト

ラッセル・クロウ&ライアン・ゴズリング主演、シェーン・ブラック監督作『ナイスガイズ!』に応援イラストを寄せています。
https://twitter.com/niceguys_movie/status/829265379100864514

ネオン、アメ車、ポルノに彩られた70年代を舞台に、いまひとつ冴えない探偵コンビが陰謀に巻き込まれるドタバタバディものです。
2月18日土曜日公開。
公式サイト

asta 2017年3月号


 ポプラ社「asta」最新号では山内マリコさんの「あのこは貴族」(集英社)を紹介しています。ローカル少女の物語を書かれてきた山内さんの新作は、東京出身女子が主人公。帝都の上流階級に属し何不自由なく生きてきた彼女が出会ったのは、地方生まれの「都会の女」だった……。東京が地元ってどういうことなのか、都会と地方の境界が曖昧になり、その本質が姿を現します。普段疑問に思ってもなかなか言語化できずもやもやすることに、明快な言葉で答えをくれるのが山内作品の魅力のひとつ。装丁の影響でソフィア・コッポラのあの映画が観たくなる……。

2017/02/05

「通訳者・翻訳者になる本 2018」表紙イラスト


 ここのところ、映画の来日記者会見に行くことが多いですが、そういう場に欠かせないのが通訳のひと。日本人記者の日本語の質問を即座に英語に変えてゲストの耳に届けるすごいひとたちですが、そんな通訳者や翻訳者を目指す人のための本、その名も「通訳者・翻訳者になる本 2018」(イカロス出版)の表紙イラストを担当しています。「2018」ということで一年間通して書店に置かれる本なので、機会があったらご覧ください。
 洋画を観て、翻訳本を読むぼくにとって、トランスレーターの業界に少しでも貢献できるのは光栄なことです。

日記:2017/01/23 - 31

2017/01/23 月

 『ブレード・ランナー』の続編監督の最新作『メッセージ』の試写。おせんべいみたいなシルエットの宇宙船が世界各地に出現して地道に外宇宙の言語を翻訳する物語。とても良かったので原作の短編小説が読みたい。普段『スター・ウォーズ』ばかり吸って生きているぼく、SFというジャンルは本当にいろいろな形が、ほぼ無限の可能性があるんだなあと思い知った。

2017/01/24 火

 日付の上ではクリスマス・イブから一ヶ月しか経ってないのだが、年をまたいでいるせいか遠い昔に感じる。というか、一月がとても長く感じる。ようやく下旬に差し掛かったか。
 もっと文章や創作力を磨きたいということで連日小説っぽいものを書き散らしている。どうも肩に力が入ってしまい、少しは創作をブログやサイトに載せたいのでそれ前提で書こうとすると全くうまくいかない。絵と同じでたくさん落書きをしなきゃだめだよなと思いつく。思えば中学高校の頃は絵の落書きと同様に文章の落書きもしてたよなと。書けた先から当時よくインスタント・メッセンジャーでやり取りをしていた小説家志望の友達に見せたりしてたのだけれど、ああいう、書いた先から見せられる相手がいるっていうのはかなり良い環境だったんだなあ。ふたりともいきなり長編を書き始めようとするので、お互いに長編(になる予定のもの)の冒頭部分ばかり送り合っていた。だから互いの受信フォルダには「プロローグ」とか「第一章」と名付けられたテキスト・ファイルばかり山ほど溜まっていただろうと思う。
 この日記も文章を書く習慣を失わないためにやっているのだけれど、なんでもない話をどんどん書いて練習したい。
 ところで新年に設定した理想の生活、「深夜まで起きない」は全然実現できない。こんなこったろうと思ったよ。いいのいいの、抱負や目標じゃなくて、理想だもん。まあ、だからこそ実現できないのだろうけれど。

2017/01/25 水

 特筆することなし。犬の顔がまた歪んでるように見える。今度は前とは反対側が麻痺しているのかもしれず、耳に力が入っておらず、まぶたの反応がにぶい。だからってまた同じ検査はできないし、たぶんする必要もないだろう。
 
2017/01/26 木

 ツイッターのトレンドの内容など覗くべきじゃなかったんだ。読みたくもない見知らぬ大勢の便所の落書きみたいなものを読んでいる場合じゃないんだ。まったく、本来自分とは絶対に仲良くならなそうなひとの書いたもの読むなんて、この世で最も不毛なことじゃないか。道徳や倫理より株価を大事にするひととか、病的な韓国アレルギーを発症して自家中毒に陥ってひたすら憎悪を増幅しているひととか(前者のほうがマシ)。インターネットは大好きなのだけれど、こういうところには気が滅入る。まあ、車を運転していて事故に遭うようなものだ。

2017/01/27 金
 
 『ラ・ラ・ランド』の記者会見だったので、見聞きしたものをイラスト・レポートにまとめていたが、ライアン・ゴズリングの表情は難しい。まゆげの雰囲気を描くのに何時間もかかって夜中の更新となった。でも、悩みながら時間をかけただけあって、顔の特徴をとらえられている、まゆげが特にいいというようなお褒めの言葉をもらった。伝わってよかった。
 
2017/01/28 土

 犬の体力が有り余っているらしいので、電車でふた駅くらいにある大きい公園に出かける。しかし犬を疲れさせるつもりが帰りにはぼくがへとへとになっていた。
 公園のそばには大きな団地群があったが、八百屋や雑貨店、保育園も揃っているところだった。昔の団地はこれ以上になんでも揃う環境で、完結したところだったと聞いたことがあるけれど、こういうことか。こりゃ外に出る必要がなさそうだ。ぼくの好みではないが。
 そういえばうちのばあばも団地っぽいところに住んでたことがあったな。例の金属の扉はばあばの家って感じ。

2017/01/29 日

 なにがあったか全然覚えてない。サザエさんの内容も覚えてない。

2017/01/30 月

 重要なイベントが翌日に控えていて神経がまいっていた。お腹が痛い。どうしよう。

2017/01/31 火

 『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』のティム・バートン監督来日記者会見だった日。この日に備えて原作も読んでいた(まだ上巻の途中だけれど)。
 子供の頃からの憧れの人物を直に見られたのはうれしかったけれど、この日の会場はずいぶんぴりぴりとしていた。不機嫌なおじさんたちがわざと聞こえるように不平不満を漏らしているかと思ったら怒鳴り声まで上げているおじさんもいた。どうやらテレビ等の映像を撮影するひとたちらしいのだが、撮影は陣取る場所が重要なので、そのことでもめているようだ。主催側の段取りが悪いだの、列に並ばせている意味がないだの、待ち時間が長いだの、席数が足りないだろ馬鹿野郎だのという言葉が、質問内容をまとめているぼくの頭上を飛び越えていく。この時点で緊張と不安でいっぱいだったのでもはやぼくは泣きそうである。どうしてこうも柄が悪いのか。態度が大きいのか。自分たちが撮ってテレビで流さなくてはこういった会見も意味がないと言わんばかりである。バートン監督が来てるんだぜ?頼むからやめてくれよ。
 こんなに緊張したのは去年の結婚式以来だった。もう、本当にあがり症が改善されなくて困る。自分が指されるまでの時間ずっと張り詰めているので、ほかの質問に対するコメントを聞き取るのも難しいくらい。そうして自分の番が来ると、今度は自分がなにをしゃべっているのかだんだんわからなくなってしまう始末。だいたい途中で言うべきことを最初に言ってしまうなど、話す順番が狂ったりして大変いびつな質問になった。よく考えればぼくの日本語は通訳のひとによって翻訳されるので、どれだけつっかえつっかえ、下手くそに話しても監督自身にはそこは伝わらないんだよな。そこまで焦らなくてもよかったのだが、そんなことを考える余裕もなかったってこと、ぼくを知っているひとならわかるよね?「ティム・バートンに向かって質問している」という状況にパンクしちゃってたんだから。
 でもちゃんと丁寧に話してくれてよかったなあ。恐らくは他の個別インタビューで何度も繰り返してきた同じコメントなのだろうけれど、ぼくの質問に答えてくれたことには変わりない。なによりティム・バートンという存在が、ぼくの中でちゃんと生きて実体を持つ人間になったことが大きい。映画のオープニングで流れるテロップの名前や、一生接することのない神様のような存在ではなく、ちゃんとそこにいる人間になったと思う。
 生きていれば、またどこかで同じような機会、あるいはたくさんいる記者のひとりではなく1対1で対面する機会が、あるかもしれない。思い上がっている?でもそう思いながら生きていったほうが楽しいよ。

2017/02/01

『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』ティム・バートン監督来日会見


 ひとと違う、ひとよりも少し弱い、そういう立場のキャラクターたちにスポットをあてて、誰でも受け入れる懐の深さを見せてくれるのがバートン監督作品。『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』の物語はまさにそこに通じるし、子供が題材になった古いトリック写真から着想を得たという世界観そのものも、監督の世界観にぴったりで、相性が抜群だからこそ魔法のような映画が出来上がったと思う。
 原作には実在する古い写真が挿絵のように載っていて、著者ランサム・リグスがいかに写真から想像を膨らませてキャラクターをつくったかが伺えて、映画のキャラクターもその雰囲気をよく再現している。監督によれば、写真という静止画が持つ独特の雰囲気を映像の中で再現するのは簡単なことではなかったそう。それでも、原作者の協力もあって映像による映像なりのアプローチが実現できたそう。映画で大きく変更が加えられたところは多い。たとえば、いちばんはやはりヒロインの設定。映画ではエイサ・バターフィールドが宙に浮くエラ・パーネルをロープでおさえている絶妙なバランスのヴィジュアル(この構図はバートンの絵本『オイスター・ボーイの憂鬱な死』にある「いかりの赤ん坊」の挿絵に似ている。海底に沈んだいかりの赤ちゃんから鎖のへその緒が伸びていて、先に繋がっている母親がぷかぷか上に浮いている絵)が印象的だけれど、原作のヒロインは宙に浮かぶ女の子ではなく、手から火が出る女の子。そう、映画ではローレン・マクロスティが演じている発火少女と立ち位置が入れ替わっているのだ。前述したような女の子が宙に浮かんでいる絵のほうが、詩的なヴィジュアルをつくれると監督は思ったのだそう。その工夫は成功していると思う。あの図はすごく良いし、あれだけで物語の「奇妙さ」がよく伝わってくる。
 座っていて膝が震えるほど緊張した。ほんの4メートルにも満たない距離に彼が座っているから。虫が一度足を踏み入れたら出てこれなさそうな、鳥の巣のような、ゴッホの描く雲みたいな髪の毛の一本一本が見えるようだ。しゃべるたびに落ち着かなげに動き続ける手と、靴とズボンの裾の間に見える白と黒の縞模様。信じられない。目の前にこのひとが座っている。緊張のあまり質問は大変おぼつかなくて、途中で自分でもなにを言っているかわからなくなってしまうほどだったけれど、彼はちゃんとぼくの方を見てくれた。たぶんね。
「奇妙なことは良いことだ」
ほかにも聞きたいことはウーギー・ブギーの袋の蛆虫の数くらいあったけれど、彼の口からこの言葉を聞けただけで十分。それもぼくからの質問によって!もっとうまく言葉を組み立てて、綺麗に質問をすることができたら、すらすらと話すことができたら、ってすごく思い悩みながら家に帰ったけれど、ぼくはまずそんな自分を肯定することから始めたほうがいいのかもしれない。またこういう機会があったら、伝えたいことを伝えられるように。
 『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』は2月3日金曜日より公開。SPUR最新号ではイラストレビューも描いています。

2017/01/27

『ラ・ラ・ランド』デミアン・チャゼル監督&ライアン・ゴズリング会見



 全体的にミュージカルの古典をリスペクトしつつも、カジュアルさや新鮮さがあったのには、共感と共有を重点に置いた配慮があってこそなんだなあと。ライアンは「映画は映画館で観るもので、大勢が同じ体験を共有できるよね。この作品でそれが実現できてうれしいよ」と言っていたけれど、作る側と観客とでの共有だけでなく、観客同士も共有できるということを改めてこの作品が証明したように思える。映画館で観るのは大きなスクリーンのためだけじゃない。大勢と一緒に観て時間すら共有できることこそ素晴らしいことなのかもしれない。ミュージカルという、音楽や歌、ダンスによって語られるところの多い作品なら尚更。
 書き出したら止まらなそうだけれど、詳しい感想は公開後に。ぼくは妻に一緒に観に行こうと一生懸命誘っているところ。
『ラ・ラ・ランド』は2月24日公開!

2017/01/25

SPUR 2017年3月号


 今月号SPURでは2月3日公開のティム・バートン監督、エヴァ・グリーン主演『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』を紹介しております。超かわいく描けたのでぜひ誌面にてご覧ください。何人もの「奇妙なこどもたち」が登場しますが、中でもぼくが誰推しか一目でわかる形になっております。みなさんもぜひお気に入りの子を見つけてください。
 ちなみにバートン映画について仕事で描いたのは初めてなので感慨深いです。寂しい気持ちに寄り添ってくれるところが、やっぱりいいなあ。ティム・バートンの新作と、『スター・ウォーズ』の新作が観られるのだから、まだこの世界は素晴らしいし、ぼくはいつまでもぼく。

2017/01/23

日記:2017/01/15 - 22

2017/01/15 日

 「ハリー・ポッター」原作シリーズの最新作「ハリー・ポッターと呪いの子」をやっと読み始めた。舞台用につくられた物語なので、本も小説ではなくスクリプト形式。読むのに時間がかからない上、テンポも良いので楽しい。
 それにしても相変わらずハリーはクソ野郎である。シリーズも世界観も大好きだがハリー本人はどうしても好きになれない。彼はあれだけ虐げられてきた経験があるのに、あまり弱い人に優しくないんだよね。もちろんそういう不完全さが現代的な英雄としての魅力になっているのかもしれないけれど。とりあえず彼にはイライラする。というか、息子に尊敬するひとの名前つけるのもうやめようぜ。ダンブルドアとかオビ=ワンの名前つけられたらそりゃ辛くてグレるよ。「アルバス・セブルス・ポッター」って、重圧しか感じられない名前でやばい。尊敬する恩師の名前だからって、このふたりの名前はちょっと意味を持ち過ぎちゃってるだろうに。第7巻の最終章にも大人になり子供ができたハリーの様子は描かれるのだけれど、そのときにこの名前見たときもなんて安直なんだと思った。きっとこの子は辛い思いするぞと思ったものだけれど、案の定この「呪いの子」でアルバスはそうとう苦しむらしい。

2017/01/16 月

 映画『沈黙 ーサイレンスー』のマーティン・スコセッシ監督来日会見に行った。監督のみの登壇ということあって質問もそれに対する返答も濃厚な内容で非常に圧倒された。聴いていて勉強になった。ぼくがぼんやり考えていた質問はだいぶスケールが小さかったなあ。

2017/01/17 火

 ラッセル・クロウとライアン・ゴズリング主演『ナイス・ガイズ!』の試写へ。今期のゴズリングは『ラ・ラ・ランド』だけではない。70年代を舞台にへっぽこ探偵が陰謀に巻き込まれるのだけれど、アメ車やポルノに彩られたサイケな色彩が楽しかった。
 書店で「沈黙」を買った。

2017/01/18 水

 「Firewatch」という山火事監視員が主人公のヴィデオ・ゲームの存在を知る。コロラドの山でひと夏のあいだ監視員の仕事についた男が、無線を通じて声しかわからない同僚とコミュニケーションを取りながら、山のあちこちに現れる謎を追うというストーリー。著名なイラストレーターがデザインしたというアメリカの大自然の色彩がとても良い。主人公の声はドラマ「マッドメン」のハリー役のひとらしい。テレビ広報屋の眼鏡の太った蝶ネクタイのあいつね。PCとPS4でできるゲームらしいのだけれど、iMacでも最近できるようになったらしい。やってみようかな。全編英語だけど。

2017/01/19 木

 もう木曜日だ。早いなあ。ぼくはどうも大人になりきれないせいか、体感時間の早さにショックを受けている。子供の頃はあれだけ長かった1週間、1日がこんなに短くなってしまうとは。この変化にまだ気持ちがついていけない。学生でなくなり、バイトもしなくなったので決まった場所に決まった時間に行くということがなく、それがより時間の早さに拍車をかけていると思う。
 
2017/01/20 金

 妻が友達と夕食に行くので夜はひとりだった。久しぶりに友達とオンライン・ゲームで遊ぶ。もちろんへたくそである。ぼくはヴィデオ・ゲームもアナログ・ゲームも得意ではなく、苦手なものには進んで手を出さないタイプだけれど、珍しくゲームに関してはへたくそながらも楽しめる。
 仕事に追われているとこういうこと考える暇がないから、かえって楽なのだけれど、落ち着いた時間が続くとだんだん自分の創作の悩みが頭をもたげてくる。映画のワンシーンを切り取って絵にしたり、既存のものをアレンジして描くのは楽しいし、テーマにも困らないのだけれど、やはり自分自身の創作もしたい。けれどそれを意識すればするほどなにも思いつかないし、なにを描いていいのかわからない。好きな映画や作品に対して自分なりのアプローチはできているとは思うけれど、今のままでは正直ただのファンと変わらないような気もする。ぼくは作る側の人間なのだろうか?評論や批評自体を作品に仕上げられるひとはいる。素晴らしいことだ。発表された作品については誰もが感想を述べる権利があり、その感想自体も新しい作品になれるのだ。ぼくもイラストを描くことで感想を発表してきた。けれど、どうせなら感想ではない作品もつくりたい。ひとの作品に触発されたものも描けば、依頼されたものも描き、自分で考えた世界も、まんべんなく描いていきたい。こんなことわざわざ言葉にするものでもないかもしれない。思うままに描いていけばいいってことはわかっているんだけどねえ。

2017/01/21 土

 海の向こうで金髪の皇帝が誕生したわけだけれど、最近ぼくがちょっとなって思うのは彼自身よりも彼にメロメロになっちゃってるひとなんだよね。こういうこと、もしかするとあと何年かすると非常に言いづらく書きづらくなってしまいそうなので(今日この国でも時の政府にケチつけることが全然流行ってなくて、水を差すようなことだと思われがちなように)こっそりさりげなくメモしておこう。
 生活の苦しいひとほど理想主義なひとよりも乱暴なひとを支持するってのは、最初はすごく不思議だったのだけれど、だいたいわかってきた気がする。それはもしかすると金銭的に貧しいのとともに心もなんとなく貧しくなっているせいじゃないかとね。「心が貧しい」ってのは別にそのひとのこと卑下してるわけじゃない。いろいろ辛いことがあるからこそ気持ち的に疲れてしまっている、という意味。そういうふうにダメージを負ってしまって余裕のないひとなら、美しい言葉で理想を掲げるひとよりも、多少暴力的だがパワーがありそうなひとのほうが、今の状態を変えられるんじゃないかと期待してしまうものなのかもしれない。ぼくだって、どうにか理想に思いを寄せられる暮らしをしているけれど、状況が違えばどんな考えを支持しているかわからない。もし出会う人、影響を受ける相手が少しでも違っていたら、何でもひねくれた見方をして、外国人嫌いで、男性優位を信じてやまず、客観的かつ包括的な世界史における日本史を自虐的だなんて言って、ホロコーストは無かったなんて言い出して、やられる方も悪いみたいなことが平気で言えちゃって、その卑屈さゆえに電車の中でベビーカーに嫌悪感を示すどうしようもない男になっていたかもしれない。ゾッとするね。まあ、ぼくの性格上いくつかは絶対無さそうだが。
 男って言えば、今回のこのことについて身近な男性、あるいは目が届く範囲で世間の男性たちを見渡してみると(ぼくの偏った感想であって統計を取ってるわけじゃないよ)、ああやっぱり男って基本的に綺麗なものより暴力的なもののほうが好きなのかもなあと思った。例のあのひと(この呼び方とてもしっくりする)の演説に勇気付けられたとか、前のひとより良いなんて意見が目について信じられなかったけれど、これがやっぱり男性性とかいうものなのかもしれない。もしそうなら、そんなものからは抜け出したい。男だって本当はもっと思慮深くいられるはずなんだ。硬い棒で相手を殴ったり、ただ精子を放出する以外にもできることはあるんだよ。
 ぼくの考えもぼくの考えで偏っているというのは十分わかっている。でも、こんなことをうーんうーんと唸りながらちょっと足りないところのある頭でなんとか考えているぼくみたいなのがいるってこと、ちょっと知って欲しかった。誰かに。

2017/01/22 日

 雲ひとつないすっきりした天気だった。ドッグ・フードを変えてからポコの体型がずんぐりしてきている。くびれが無くなって寸胴、普通のコーギーの体型。彼は元来コーギーにしては小さめで線が細かったのだけれど、シニア用の餌は異様に栄養価が高いらしい。動物でも人間でも痩せているより太ってる方が健康そう、なんてのはひと昔前の感覚だから、やたらと太っているのは犬のためにもよくないのだけれど、表情は前より満足げなんだよなあ。

2017/01/18

マーティン・スコセッシ監督来日会見


 監督のコメントが濃厚すぎて圧倒されたので、さっそく原作を読み始めた。監督すら最初に読んだときに、どう解釈していいか戸惑ったというのだから、そりゃぼくがすぐにこの作品について思うところをまとめられるわけがないよなあ。けれど、だからこそ映画と原作をこれからじっくり咀嚼していけると思うと楽しい。監督は自身の信仰に疑問を抱き迷っている時期に「沈黙」を読み、より深く掘り下げて答えを見つけなければならないと思ったのだそう。
 幕府の役人が宣教師たちにしたことは言うまでもなく暴力なのだけれど、宣教師も日本に自分たちの宗教を唯一の真理として外部から持ち込んだのであって、これもまた一種の暴力である、というコメントが印象的だった。ふたつの暴力のあいだで、セバスチャン・ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)はそれまで持っていた宗教観を崩され、一度空っぽになったところで真の信仰に目覚める。その姿が美しい。「沈黙」は信じることも疑うことも含めた非常に包括的で、相手を否定するのではなく受け入れる、弱きを抱擁する作品なのだと語っていたところも印象に残った。みんなが強くある必要はなくって、まずは除け者にされているひとをひととして知ろうとすることが重要なのだそう。
 作品をつくり、それと付き合っていく過程、まだ続いているその関係全体を「学びの旅」って呼ぶの、とても素敵だと思う。とても創作意欲が刺激された。
 『沈黙 ーサイレンスー』は21日土曜公開。
 

「エドウィン・マルハウス」感想


 去年の夏に読んだのだけれど、ひと夏の読書にぴったりだった。克明に書かれた他愛もない少年少女の世界に浸っていると、どうしたって自分の中でも子供の頃の感覚が蘇ってくる。エドウィン・マルハウス伝記は子供の頃よく経験するありがちなことに彩られているわけだけれど、興味深かったのはどこの国でも子供って同じなんだなということ。興味は次から次へと移ろっていき、恋の熱に浮かされて、午後の授業中に雷が鳴り出すと妙にわくわくしてしまう。ましてやぼくは落書きをたくさんする子供だったから、エドウィンの漫画熱にも非常に親近感が湧いたし、エドワード・ペンのような子と出会ったらぼくも夢中になり、また嫉妬しただろうと思う。というか、実際自分より絵がうまかったり、自分では思いつかない、新鮮な遊びに熱中している子にはよく関心を持ったのをよく覚えている。時代や環境、国も違うぼくがこれほど共感できるのだから、エドウィンの11年の短い人生は、わりと誰にでも経験があり、誰にでも当てはまる普遍的な少年時代なのではないだろうか。そうして、そんなありふれた短い人生を、ドラマチックな伝記に仕上げているのは(文字通りその人生までも”仕上げる”ことになる)狂気の伝記作家である語り手ジェフリーなのだと思う。
 生まれて間もない赤ん坊のときから隣人エドウィンの観察者となったジェフリー。彼がエドウィンを”失う”まで、彼の人生は常にエドウィンのことばかり考える日々。最初は仲良しなのねと思うも、これがだんだん気持ち悪くなってくる。エドウィンのことが大好きとかそんなレベルではない。執着や呪いの類だ。やがてジェフリーはエドウィンの人生を記録することこそ自分に与えられた使命だと思うようになる。
 とは言えやっぱりジェフリーも子供なので、エドウィン同様の稚拙さはそこかしこに漂っている。エドウィンをまるで偉大な作家であるかのように書き綴る様子は微笑ましいくらいだ。彼がいかに非凡かがややオーバーな言葉で語られているのは可笑しくもあるけれど、書いているジェフリーはいたって真剣だということは伝わってくるから、そこに引き込まれていく。たとえば、生後6ヶ月のエドウィンがあーうーと奇声をあげたことについて、「賢明な読者ならこれが彼の最初の詩だとわかるはずだ」なんて真剣に書いているところには、この伝記の特徴的な雰囲気がよく表れている。エドウィンが生後6ヶ月ならジェフリーもそのはずだ。どうしてそんな時期のことを克明に書けるのだろうか?そこで、ジェフリー自身も物心がついていない幼少期のエドウィンについては、創作である可能性も出てくる。ここだけ創作なのか?ほかにも創作しているところがあるのではないか、と考えていくと、この伝記自体どこまで事実が書かれているのか怪しくなってくる。ジェフリーはエドウィンを、伝記を通して大天才として脚色したのではないか。エドウィンは子供らしい過剰な自意識の持ち主だったから、ジェフリーの伝記計画に乗り気になったけれど、伝記の材料になれば誰でもよかったのかもしれない。彼は誰かちょうどいいひとを題材に伝記を創作したかったのではないか。実際、ジェフリーはエドウィンを天才少年として「完結」(あるいは「保存」かな)させたあと、また新しい題材を見つけて狙いを定めている。おっかない。けれどやっぱりどこか微笑ましくもある。
 特別な子供の話としてとらえることはできる。けれど、ぼくはどちらかというと、作家の方も伝記作家の方も、普遍的な少年たちだと思いたい。奇妙なところ、そら恐ろしいところ、狂気じみたところ、いろいろ変わったところはあれど、やっぱりそれは子供なら誰しも持ち得る熱量ゆえのところだと思う。どこにでもいる普通の少年たちの物語だと思ったほうが、より恐ろしいしね。
 ところで、去年の夏はこの本を読んでいて改めてルート・ビアなる飲み物に興味がわいたのだけれど、ちょうど近所のカフェのメニューにあるのを見つけて、暑さも手伝って思い切って注文してみた。子供の頃脱臼癖のために通っていた接骨院の香りがして、おもしろい味だった。というわけで、ぼくにとってこの本はルート・ビアの味と結びついている。
 

2017/01/16

日記:2017/01/07 - 14

2017/01/07 土

 たくさん寝た。新年に願った通りにたくさん寝れているのだけれど、どうも夢を三種類くらい見ていてあまり休めた気がしない。
 犬のおしっこ漏らしは、ひたすらかわいがって寝るときもがっちり抱きしめて前足などを揉んであげるようにしたら、おさまった。やっぱり拗ねていただけか。

2017/01/08 日

 模様替えでよくなった点はぼくの仕事部屋がテレビを置いているところから遠く奥まったので仕事中に気が散らないことと、逆に寝床からテレビが見えるようになったので(いまいち部屋の構造が全然伝わらないと思うがあえて伝えたいとも思わないので、書いてある通り、字面通りの配置だととりあえず思ってもらえれば)寝ながらテレビが観られること。就寝する際に観るのもいいのだけれど、朝起きたときにそのまま朝の番組を観られるのもいい。子供の頃はそうして寝床から日曜朝の子供番組をひたすら観ていた。寝床から観られる環境でなければとても朝の戦隊ものなど観られなかったろうと思う。それで、久しぶりにそういう見方もできるかなと思ってここのところ日曜の朝を楽しみにしているのだが、まあそんな早い時間に起きられるわけもなく、この日も太陽が高く上がってから起きた(太陽が出てたかどうかもよく覚えてない)。

2017/01/09 月

 やっと月曜が来たから、世の中が動き出したのに合わせてぼくも活動的になれるぞと思ったが、祝日らしいので休みモードが抜けなかった。年末年始はもっとアマゾン・プライムやレンタル映画など心置きなく観たかったなあと思いつつも、いざそういう時間ができてもなにか観たいものが浮かばないし、もともとあまりテレビの前に座って続けざまに何本も映画観るみたいなことができないので(『スター・ウォーズ』六部作一気見とかも何度か挑戦したが、SWですら集中力がもたなかった。EP1のレースのシーンを観ながら、このあとに控えてる5本のことを考えて気が重くなった)そんなに観れなかったなあ。楽しみにしていたドラマの『高い城の男』も全然前半しか観れてないし、借りて来た映画も『フルメタル・ジャケット』というど定番一本だけ。友達から絶対瑞丸は観たほうがいいと毎回推されている『未来世紀ブラジル』もようやく借りて来たが結局観そびれたまま返してしまった。そうなのだ、ぼくは意外と定番の作品や名作を観ていないのだ。勉強中ということで今後にご期待ください。でもさ、映画って新作も過去作も多すぎるよね。供給過多。

2017/01/10 火

 今週は結構試写を入れている。今日は遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督作『沈黙 ーサイレンスー』。江戸時代の百姓たちが英語を話すっていうだけで本来なら日本の観客がリアリティを感じられなくなってしまいそうだけれど、そのたどたどしさや日本訛りがリアルで全然気にならなかった。言語についてどういう配慮をしていったのかが気になる。時間をかけて咀嚼したい作品。長い映画だったけれど、ぼくは全然長く感じなかったなあ。イッセー尾形はやっぱりすごい。
 このところインターネットで見つけたペーパークラフトを作っている。無料公開されているテンプレートで、『スター・ウォーズ』の主要なヘルメットがだいたい作れるのがとてもうれしい。ヴェイダー、カイロ・レン、キャプテン・ファズマ、ストームトルーパー、クローン・トルーパー、ファースト・オーダー版ストームトルーパー。これくらいなら全部作りたいな。とりあえず順番にトルーパーを作って飾りたいのでクローン・トルーパーを作っているんだけれど、手先が不器用だからまた苦戦している。一度コピー用紙でテストしたんだけれど、貼り付ける順番を間違えるととても作りづらくなってしまう。テンプレート作成者のひとに言わせると、貼る順番を番号などであえて書いていないのはその順番を自分で考えるのがペーパークラフトにおける醍醐味だからだそう。なるほど。確かに頭を使うし、楽しい。
 新年のはじめに設定した目標のひとつ、「深夜まで起きない」はなかなか実践するのが難しい。だって気づくと深夜になっているんだもの。

2017/01/11水

 エイミー・シューマー主演、ジャド・アパトー監督作『エイミー、エイミー、エイミー!』の試写へ。原題は『TRAINERECK』で鉄道の脱線事故とかそんな意味。ちなみに邦題の方は『こじらせシングルライフの抜け出し方』というサブタイトルがついている。ぼくは個人的に最近よく見聞きするこの「こじらせ」という言葉、実際なんなのかよくわからない。大人になりきれないとか、成長できないで停滞しているとかそんな意味なのかな。ビル・ヘイダーは見ているだけでおもしろいなあ。彼が声を当てたって思えばBB-8もだいぶ好きになれる。たくさんの犬の散歩をするダニエル・ラドクリフの正体もわかって楽しかった。ぼくもマリサ・トメイの犬の散歩したい。

2017/01/12 木

 この日の試写はグザビエ・ドラン監督作の『たかが世界の終わり』。レア・セドゥが両腕にちょっとダサめのバラのタトゥー入れて「恋のマイアヒ」に合わせて踊る。ヴァンサン・カッセルと兄妹って設定なんだけれど、ずっと観てるとちょっと顔が似てるように思えて来た。目の感じとかちょっと似てるような気がする。そういえば『美女と野獣』では美女と野獣だったふたり。
 夜はSPURの編集の方と、連載でも試写でもお世話になっているライターの萩原さんと新年会の食事をした。とても冷える日が続くのでスパイシーなネパール鍋。試写で観た映画や雑誌のこととか、『ローグ・ワン』の話をした。映画を観るプロとSWの話するのはすごく楽しいし、楽しい会話は自分の考えもまとまっていく。とても温まった。

2017/01/13 金

 この日は少し休んだ。犬の餌が切れたのでデパートの最上階にあるペットショップまで買いにいく。どうも減りが早いと思ったが、少し痩せ気味なのを気にしてぼくが少し多めにあげていたんだった。ペットショップにいくと、ガラス張りの遊びスペースで子犬がじゃれあっているのをいつも眺めるんだけれど、決まって気持ち悪い笑みが顔に張り付いたひと(だいたいおばさん)が突っ立って見入っている。子猫が放たれているときは猫好きだろうし、子犬が放たれている日そこにいるのは犬好きだろうと思うんだけれど、どちらも共通しているのは不自然な笑みとほかになにも見えていなさそうな目つき。前に来たときは遊んでいた猫の一匹がおしっこをその辺にしたとき、おばさんが大声で店員を呼びつけて大変よ大変よあなたあの子おしっこしちゃったみたいなんですよおと騒いでいた。別に大騒ぎすることでもないのに。掃除の時間は決まっているだろうし。この日はやはり子犬が途中でうんちをしてしまって、案の定見入っていたおばさんが他の仕事で忙しそうな店員を呼んで大騒ぎしていた。よかったら私が掃除や世話をしてあげたいくらいなんですが、みたいなことを口走っていてやべえなと思った。いずれにせよああいうひとは自分の家では飼えないからこういうところに来て恋しさを紛らわせているのだろうけれど、都合のいい世話焼きだよね。看板猫や看板犬のいる店なんかでもよく見かける。よそのペットだから都合のいい可愛がり方だけする。野良猫に無責任なやり方で起き餌をするおばさんおじさんと一緒。
 それにしてもペットショップの犬は本当に自分でしたうんちをそのまま食べちゃうんだな。あの子たちに罪はないが、やはりペットショップを通して犬を迎えようとは思わない。ペットショップは餌と用品だけ売ってくれればそれでいいと思う。
 デパートで義母と合流して三人で帰宅するとポコが大喜び。寝転がって久しぶりにドラえもんを観た。義母の前で。今年で26歳になるけれどドラえもんを観て大笑いした。狭い路地をがんばって通り抜けた後のドラえもんがものすごい細長くなってておもしろかった。ドラえもんが細長くなる回は結構あって、シリーズにおける鉄板ギャグのひとつなのだけれど、いつ見てもあの姿はおもしろい。ぼくは小五からなにも変わってない。

2017/01/14 土

 試写通いや原稿作りも始まったのに予定がない日はどうも気だるい。休み気分が抜けていない。もう1月も折り返しになるというのに身体が痛くなるほどの寒さでまだ休んでいていいのではないかと思ってしまう。ペーパークラフトがだいたい出来上がった。
 

2017/01/09

レイア姫




 年末年始にキャリー・フィッシャー=レイアの絵をこれだけ描いた。2枚目の公式おふざけグラビアは確かローリング・ストーン誌かなにかの企画だったような気がする。色が多めに使えて楽しかった。3枚目の舞台裏でうたたねしている写真もお気に入りだったのでそのまま模写した。

2017/01/08

レイの正体 - オビ=ワンとの共通点


 レイがオビ=ワンの子孫である、と断定しようというのではない。ただ、こうして共通点を挙げていくと、その行為はとてもオビ=ワン的であり、スカイウォーカーの血を引く人間であるとは思えなくなってくる。

1.砂漠で独りぼっち
 EP3からEP4までのオビ=ワンの隠遁生活は過酷で孤独なものだったろうと思う。年月もちょうどレイの年齢と同じくらい。
 ブリティッシュ・アクセントに関しては、レイの親分であるアンカー・プラット(演:サイモン・ペグ)がそうだから、という見方もできるけれど、必要以上に強調されているように感じる。

2.マインド・トリック
 フォースの技としては定番かつ象徴的なので、今まではあえてオビ=ワンと結びつけようとは思わなかったけれど、よく考えて見ればこの技はオビ=ワンの得意技と言える。映画でこの技を一度も失敗しないのは六部作通して彼だけなのだ。EP1では師のクワイ=ガンが、EP6では弟子のルークが使うが、ふたりとも二回のうち一回は失敗してしまう。彼らの場合は使う相手が悪かったのだが、それも含めてこの技を使える状況に恵まれていない。クワイ=ガンはオビ=ワンの師だから、ルークはオビ=ワンの弟子だからこの技を使ったということでしかなく、第1作目で最初にこの技を通してフォースの力を観客に見せたオビ=ワンがこの技のオリジンと言えるだろう。
 そもそもレイが相手取ったのがストームトルーパーという時点で、このシーンは同じくトルーパーを相手にしたオビ=ワンのシーンに対応していると思う。

3.ライトセイバーをルークに渡す
 思えばルークに対してだけでなく、オビ=ワンはアナキンにもライトセイバーを渡すシーンがある。つまりスカイウォーカーに剣を渡す役割なのだ。レイもその役割を受け継いでいるとしたら、ケノービと関係のある人物ということではないだろうか。

4.棒を使う
 棒を使いこなすふたりだが、ブラスターに関してはふたりとも同様に不慣れだったりする。不慣れながら仕方なくこのレーザー銃を使って危機を逃れる描写も重なる。
 レイがハン・ソロからブラスターを渡されるのも意味深、というか皮肉だ。ハンはかつてオビ=ワンに向かってフォースやライトセイバーよりもブラスターの方が優位であると断言していたけれど、結局レイのブラスターがカイロ・レンに対してなんの役にも立たなかったことは、ハンよりもオビ=ワンの正しさを強調するかのようである。レイの放つレーザーを難なく弾き返すカイロ・レンの本名が「ベン」であることも忘れてはならない。

5.ハン・ソロとのフォースをめぐる会話
 EP7の予告編で観て以来「ハン・ソロがフォースを説く側になった!」ということにびっくりしてしまいこの会話シーンの本質的なところに気づけずにいたが、レイをオビ=ワンに対応させるとEP4とEP7の会話はそっくりひっくり返ったものになる。ハンの台詞も本当に真反対になっているのがおもしろい。

6.最初から決闘
 三部作の最初から決闘するのはスカイウォーカーの役割ではない。アナキンもルークも1話目ではまだ自ら剣を抜かないのだ。最初から決闘するのはケノービの役割と言える。

 オビ=ワンと大きな共通点を持つキャラクターはレイだけではない。カイロ・レンの本名はベン・ソロ。ベンはオビ=ワンが隠遁中に使っていた名前で、ルークとハンにとってはこちらのほうが馴染み深い名前だ。ハンはEP4で最後までオビ=ワンとわかり合うことができなかった(「化石みてえなじいさんだぜ」)が、後にその偉大さを改めて知り、悔恨や親しみの意味をこめて息子をベンと名付けたのではないか。その息子はその名前をつけられたことに重圧を感じ、名前の由来となったジェダイ・マスターよりも、最強のジェダイにしてシス卿だった祖父の方に憧れるようになったのではいか。彼はダース・ヴェイダーとベン・ケノービ、アナキンとオビ=ワンという究極的な二大人物の間で苦しんでいたのだ。
 そう思うと、EP7『フォースの覚醒』の鍵はオビ=ワンにあるような気がする。同時に、オビ=ワンがシリーズ全体の中心にいるように思えてくる。ダース・ヴェイダーのヘルメットの残骸は、暗黒卿の影響が死してなお後世に遺り続けていることを象徴するようなアイテムだったが、死してなお影響を遺したのは彼だけではないかもしれない。かつてヴェイダーに殺される間際に「死してなお私は強くなる」と言い遺したオビ=ワン。EP7でフォースを覚醒させたレイはライトセイバーを初めて握ったにも関わらず、相当の訓練を積んでいたはずのカイロ・レンを圧倒する。あの強さはどこから来ているのか?ぼくにはオビ=ワンの最後の言葉がヒントのような気がしてならない。
 レイがアナキンのライトセイバーに初めて触れたときに見るフォース・ヴィジョンの中で、フォースと一体となったオビ=ワンがレイの名を呼んで語りかけるという大きな接点も重要だ。フォースがオビ=ワンやヨーダの声を借りてレイに語りかけたのか、オビ=ワンの意志がフォースの中からレイに語りかけたのか。一体化によってオビ=ワンの精神とフォースが同義であること、かつてフォースの意志によって生み出されたアナキンのようなジェダイがいたことを考えれば、レイの出生の秘密に一歩近づけるかもしれない。
 新しい三部作の主人公がケノービ側の人物で、今度はルークがそれを訓練する立場であるなら、バトンは受け継がれ、サイクルが出来上がる。サーガ全体がスカイウォーカーだけの物語ではなく、スカイウォーカーとケノービの物語であるという見方ができるようになるのだ。

2017/01/03

日記:2016/12/31〜2017/01/06

2016/12/31 土

 大晦日は大学生の弟を家に呼んでテレビを観て過ごした。まだ年末年始休みの間にやりたことはあまりやれていない。というか多すぎてどれから手をつけようか考えているうちに仕事が本格化してしまいそうな気がする。
 いつもはどういう一年だったか、一年間の仕事はどうだったかとかを改まってまとめたりするのだけれど、今回はどうも気乗りしなかった。とりあえず事務的な作業を避けてさっさと休みたかったのと、キャリー・フィッシャーの訃報にだいぶ打ちひしがれていたせいだろう。とりあえず2016年は11月の結婚式と、アパレルブランドとのコラボに関連した原画展が重力の中心になっていたように思う。いずれにせよひたすらアナログな制作をしていた。11月が過ぎてからはなんだか気が抜けてしまいがちで、仕事以外でなにかやりたいと思っていたのだけれど、そうこうしているうちに年が暮れたという感じ。
 別に工作していたからといって手先が器用になったわけでもなく、上達したようにはとても思えなかったけれど、少なくともどういうものが作れてどういうものが作れないか、どういうものは描けてどういうものは描けないか、向き不向きを含めた自分の限界はなんとなく察したように思う。
 また、映画レビューの連載開始に伴って本格的に試写会に通うようになったので、スケジュールのやりくりもなんとなく身についたかな。手帳に書くことが多くなった。
 年越しプラモを組み立てるもテレビを観たり途中でそばを食べたりとあまり集中できなかったのでK-2SOの頭と胴体が出来たところで年が明けてしまった。ちなみにこれまで組み立てたキャラクター・キットで一番部品が少なく作りやすい気がした。身体が細いので部品が幅を取らないだけかな?とはいえ別にそこまで難易度を感じずに組み終えた。いつもながら良い出来。

2017/01/01 日

 実は木曜に弟への成人祝いとクリスマスとお年玉を兼ねてポール・スミスの財布なんかを買っていたから、年が明けてからあげた。向こう五年間はなにもあげなくていいくらいの大サービスである。弟が欲しがっていたのはオーソドックスなカラフルストライプだが、いかにもなのでもっとシックなものにした。いいなあ。ぼくが使いたいくらいだ。こんな高価な、中に入れるものが無くなってしまいそうな財布は妻にも買ったことがない。
 妻がはりきって用意してくれたおせち料理とお雑煮で朝からお腹いっぱい。大変久しぶりにお正月という感じ。ここ数年は夕方頃まで寝て風物詩的なものはほとんど無視していた(初詣は行っていたが)ので楽しい。午後から神田明神に出かけた。もう3回目である。古いお札を返して新しいお札をお金と引き換えにどうにか施していただく(買うって言っちゃいけないんだっけ?いやしかし買う以外のなにものでもないだろう。だいたい境内を見渡してみても、場所柄秋葉原方面に媚びたコラボ商品ばかり並んで大変な商売っ気を感じるが)。しかし初詣に行くたびになんだかんだこの国の人々も信心深いなあと思う。げんを担いだり縁起の良し悪しを気にしたり、十分信仰と呼べるのではないだろうか。かく言うぼくもここへのお参りとお札を置くようになってから仕事が増えたように感じるので、毎年詣でているわけだ。途中でやめたらどうなるか知れない。というわけで神田明神さま、どうか今年もひとつ。萌えキャラグッズ売ってても全然いいと思いますよ!
 ところで、2017年というのは『スター・ウォーズ』第1作公開から40周年にあたる。キャリー・フィッシャーが40周年目前に逝ってしまったのは非常に残念だが、今年はEP8もあるし、シリーズにとってまたひとつ大きな節目となるんじゃないかな。最近は毎年なにかしらやっている状態なのでそこまで特別感ないけれど、それでもやはり40年という月日がよりあの作品を古典たらしめるだろう。同時に、その月日の重さは今後もまたやってくるであろう誰かのお別れの際に感じることになるだろうなあ。
 あと、「2017」はもういい加減眼鏡にするには無理があると思う。17年前にもうやめておくべきだったね。

2017/01/02 月

 早くも気だるくなっている。本格的に仕事が始まるまでにライフワークに取り組みたいがもう年が明けて2日経ってしまった。今のところ年越しプラモデルしか作っていない。あとレゴと小説の執筆とウェブサイトの整理と結婚式記録ページの更新などが残っている。なんという忙しさだ。これでは普段と変わらないじゃないか。休みなのだから休もうじゃないか。やりたいことのうち、どれかひとつくらい取りかかりたいな。

2017/01/03 火

 三が日が終わりそうなので昨日は休みだから休めばいいとは思ったものの、焦り始めている。もう終わっちゃうのか?なんだか自分ではじっくり内省の時間を持てる休暇のつもりだったのだが、なんだかんだせわしなかったな。。。
 でもね、普段通りの生活で、仕事の合間にこそ好きなことにも取り組めるというものでは?だいたい今のこのテンションだととてもなにか作る気になれない。ペンタブを触るとなんとなく仕事の気分になるの、どうにかしたいね。そう、今年はこの「仕事」という言葉や感覚についても解釈を変えたいと思ってる。お金をもらっているから仕事、はいいのだけれど、仕事だから少し気が重いという感覚を直したい。
 犬を連れて公園に行ったら、木の枝と電線にひとつずつ凧が引っかかっているという、『ピーナッツ』の漫画の中でしかお目にかかれなさそうな光景を目にした。木の下ではおそらく凧の持ち主であろう子供が父親からひどく怒られて泣いていたが、電線の方は持ち主がとっくに立ち去ったあとらしかった。放置とは信じられない。まあ、こんな古典的な、冬休みのしおりの注意事項に書いてあるようなこと本当にあるのかと、そっちのほうがにわかに信じられないのだけれど。
 公園の奥まで行って、また戻ってくるときに見たら、電線の方の凧が無くなっていて、かわりに木の方の凧が放置されていた。先ほどの親子はいない。そっちが放置組だったか。チャーリー・ブラウンだったら諦めないのにな。

2017/01/04 水

 友達の『ローグ・ワン』鑑賞。お互いに三度目。ようやく全体を俯瞰して観ることができたし、字幕もちゃんと追えるようになった。スカリフの軌道シールド・ゲートのバルコニーをストームトルーパーが歩いていることとか、ゴールド中隊からイオン魚雷で攻撃されてエンジンが停止してしまったスター・デストロイヤーのブリッジでは修理作業をしているエンジニアがいたりという、細かいところも観ることができた。
 キャリー・フィッシャーの死後初めての鑑賞だったけれど、ラストのレイア姫がより一層味わい深かった。結局ターキンもレイアも故人となってしまった。
 映画館のそばにあるトイザらスを覗いたら、SW売り場がとてもやる気のないことになっていた。クリアランスで安価なのはいいけれど、欲しいものが全然無い。というか『ローグ・ワン』の商品がほとんどない。『フォースの覚醒』の売れ残りがずらっと並んでいた。

2017/01/05 木
 
 世間はとっくに動き出しているけれど、ぼくの方はまだ最初の締め切りまで余裕があるし、年末で中断した作業についても先方から再開の連絡が来るまで待機なので、まだまだ休める。とは言え当初計画していたような、子供のころのように充実した冬休みはおくれなかったな。読書をしたりレゴをしたりアニメを観たりはできなかった。まあ、いつでもできるのだけれどね。寝てばかりいるけれど、時間を無駄にしたのではなく、ちゃんと休めているのだと思うことにしよう。睡眠を無駄なものと思わないようにしよう。

2017/01/06 金

 特に印象がない日。なんとかお昼頃には起きられた。お節の残りを平らげた。どんどん寒くなっている気がする。暖冬など嘘じゃないか。芯まで冷え切って辛い。
 お正月から延々と垂れ流されていたお笑い番組とかバラエティ番組をぼうっと観ていて思ったのは、女性コメディアンの扱いの不当さ。ちょうど山内マリコ先生の新刊『あのこは貴族』を年末に読んだばかりだったので、作中に出てきた「女を支配するために女同士を分断する男たち」という構図が、まさに今目の前の画面の中で繰り広げられていてくらっとした。マリコ先生の作品は普段ぼくが疑問に感じたりモヤっとしたりしながらもなかなか説明できる言葉を見つけられずにいることを、わかりやすく書いてくれる。きっと、読む人みんながそう思うんだろうなあ。
 なにがひどかったかというと、その番組では女性芸人たちを何人もひっくるめて「醜女」ってラベリングしてたんだよ。一般的に美人とされているらしいタレントたちと並べられててさ。「醜女」と書かれたテロップを見て思わず声を出したね。こんなひどい言葉を公然と女の人に使うってのはどういう神経なんだろう。当人たちもそれで笑いを取るしかないという状況がちょっと危機的に思える。
 そのとき横にいた妻が「シコメねえ」と言ったので、そうか、これはそう読むのかと思ったが口に出さないでおいた。まさかぼくが醜女をシュウオンナと読んでいたことなど妻が知ったら、いつぞや美人局をビジンキョクと読んだときのように散々馬鹿にされるに決まっている。
 

今年どういう生活を送りたいかメモ


 今年もどうぞよろしくお願いします。
 鳥と言われたらやはりペンギンを描きたくなる。左のは一応コーギーのつもり。来年はいよいよ戌年。
 
 今年どういう生活を送りたいかメモは以下の通り。
・深夜まで起きない。遊びも仕事も深夜まで持っていかない)。
・SNSに振り回されない。実は半年くらい前からもう携帯電話からツイッターやフェイスブックのアプリは消しているし、数年身を置いていたLINEグループからもやっと撤退できた。一時期に比べればだいぶ情報過多ではなくなったが、それでもまだまだ多い。読むもの、目に入るものは最低限にしたい。自分を守るためにね。
・良い意味で内向的になる。上の項目に関連して、誰かの書き込みに一喜一憂するなんてことはやめて、ひたすら自分を見つめようじゃないかと。見知らぬひとにイラつく代わりに一枚でも多く描いて、一文でも多く書きたい。
・絵はもちろんだけれど、文章を上達させる。やけに長ったらしいのはやめだ。
・自分のスタイルをまずは肯定する。お金をもらっている以上一定の自信はあるけれど、どうしてもここ最近は自己肯定感が薄れている。基本的にぼくは贅沢なんだよね。
・趣味を恐れない。なんとなく物を集めることが急に怖くなったり(増えるんだもん)、このままでいいのかと思ったりしながら去年は過ごしていた。でも、やっぱり集めるのは楽しいし、楽しくないと自分の創作もはかどらないんだよね。恐れずに続けよう。これも自己肯定への第一歩だ。
・筆圧を減らす。手が非常に疲れるし、力みすぎても良いものが描けるとは限らない。
・断ることを覚える。これは本当に。
・よく眠る(これは早速実践している)。
 
 思いついたまま書いているので順番に特に意味はないけれど、とにかく気を楽にしたいってことだね。いや、去年はだいぶくたびれてしまった。この猫とコーギーみたいにごまかしながらでも気を楽に生きていきたい。。。

2016/12/31

日記:12/26 - 30

2016/12/26 月

 クリスマスの翌日が月曜日というのも憂鬱な気がするが勤め人じゃないので関係なし。今年最後の試写に出掛けた。グレタ・ガーウィグ、やっぱりかわいい。
 ポコがクリスマス・プレゼントの片方をさっそく壊した。短いロープの先にペンギンの顔のぬいぐるみがついていて、そことロープの結び目の間にはテニスボールくらいのボールが通っていて遊べるものだったけれど、ボールが食い破られていた。どんな力でもってこんなことができるんだろう。こいつに本気で噛みつかれたらぼくなんてひとたまりもないだろうな。ボールの破片を食べる勢いだったので取り外して捨てた。結局そのおもちゃはペンギンの顔からロープが伸びてるだけのものになった。

2016/12/27 火

 年内の最後の仕事を翌日までに仕上げる必要があるので取り組んでいたが結局28日朝までかかってしまった。来年は日をまたぎながら翌朝まで作業をするということのないようにしっかりやりたい。
 で、夜明け頃あるニュースを受け取ることになる。

2016/12/28 水

 キャリー・フィッシャーが亡くなった。心臓発作で倒れてからの容態の続報がなかったのでもしやとは思っていた。思っていたけれど、やはり悲しく、自分で驚くほど空虚を感じる。『スター・ウォーズ』の次回作以降の心配をしている輩が多くてうんざりするし、例によって「(『ローグ・ワン』のように)CGで再現すればいい」などという体温を感じられない発言(うまいこと言ったとでも思っているのだろうか?)が目につき絶望する。そんなふうにコメントすることがぼくにはできない。インターネットでは、特にSNSではひとの死すらも消費される情報と化してしまう。誰もがこぞって右クリックで保存しただけのレイア姫の画像を貼り付けてなにかしたつもりになっている。我慢ならない。いや、それはそのひとたちなりのやり方かもしれないから、否定するのはやめよう。彼女の死に際して他人をやり玉にあげるのもよくない。重要なのは自分自身がどうしたいかを問うことである。ぼくはぼくなりの方法でこの説明しようのない空虚な気持ちと、故人への想いを表現したいと思っている。

2016/12/29 木

 キャリー・フィッシャーの母、デヴィー・レイノルズが亡くなった。なんということだろう。こんなこともあるのかとショックだった。
 1日経って、キャリーの死のショックが思いの外のしかかってきて、異様なほど気だるかった。昨日仕事納めをしたせいもあって疲れがどっと吹き出して、ほとんど一日中寝ていた。驚くほど眠っていた。目が覚める少し前になるといくつか夢を見たような気がする。別に夢はレイア姫とはなんの関係もない、ただの夢っぽい夢だったけれど、日記に夢の内容を書き始めたらおしまいだとどこかで読んだことがあり、確かになと思ったので、書かないでおく。というかどんなだったか忘れた。
 夕方から仕事を納めた妻と合流して買い物をする予定だったが、ひどく寝過ごしたので大慌てで出かけた。新しいバスマットを二枚、大晦日に弟が泊まりにくるので寝具を一式、お正月用のかわいらしい割り箸、それから年越しに組み立てるプラモデル(K-2SO。買うと少しは元気が出た)など。
 とりあえず年越しまでの間レイア姫の絵を描けるだけ描きたい。仕事が終わったこともあって気だるいのかもしれないが、とにかくなにか描けば気は紛れる。今年は本当にたくさん有名なひとが旅立ったが(SWにおいてはR2-D2役のケニー・ベイカーも亡くなった)、ここまで言い知れぬ喪失感を覚えるとは。ひとの死が情報になってしまうのは寂しいけれど、有名なひとの死なら尚更そうなりやすいものだ。ぼくだって実際自分がよく知らない有名人の訃報を単なる情報として聞き流すことは多い。けれど、そのひとたちひとりひとりの訃報に際して、やはり今のぼくのような気持ちになっているひとは確かにいるはずで、有名であろうと身近なひとであろうと、家族であろうと、それはやはり人の死であり、誰かがこの世界から立ち去ってしまうということなのだなあと実感した。当たり前のことなのだけれどね。
 絵を描こうと思ってもどうもぼうっとして時間が過ぎていく。そう簡単にこの空虚は埋まらないかもしれない。

2016/12/30 金

 仕事がないので休めるはずが、何故かまた朝までレイア姫の絵を描いていた。これはもう今までも仕事だからと寝ずに朝までやっていたわけではなく、ぼくがただそうしたいからそうしていただけだということだ。それがわかったなら、改善するのもそこまで難しくないのかもしれない。
 お雑煮やちょっとしたおせち料理のために妻とともに買い物に。食材と新しく食器も買った。これでもう買い物は全部済んだ。あとは越すだけだけれど、やけに慌ただしくて落ち着いて全然一年を振り返ることができない。今年の成果だけでもまとめてみたいのだけれど、ブログをせっせと書いているうちに年が明けてしまいそうな気がする。
 試験的に11月から始めたこの形式の日記は、わりと1日も欠かさずに記録ができるので(後から思い出しながら書くときに何があったか忘れてしまったような日があるにせよ)来年も続けていきたい。まずは来年1年分記録することを目指そう。
 

2016/12/30

May The Force Be With Our Princess


 ぼくはキャリー・フィッシャーがいない世界をまだ生きたことがない。
 強い影響を受けて生きてきたわけではないのだけれど、やっぱりルーク、レイア、ハンを演じたひとたちは同じ世界にいて当たり前だと思っていたので、これから先いくらSWが続いても彼女はいないんだなあと思うと、ちょっと変な気分だ。この先SWがどのような物語になったとしても彼女は銀河系の運命を知り得ない。
 ぼくはキャストとのグリーティングの機会になど出かけたことはないし、会ったこともなければサインも持っていない。彼女との接点はなにひとつないし、彼女については知らないことのほうが多いけれど、彼女が去ってしまったという事実は、確かにぼくに言いようのない喪失感と空虚な気分をもたらしたと思う。胸にぽっかりとカークーンの大穴のようなものが開いている気分。そこはなにもない宇宙のように暗く、気をつけないとボバ・フェットのように落っこちてしまうかもしれない。気をつけないと、暗闇にのみこまれてしまいそうだ。
 『ローグ・ワン』という映画は、ぼくに希望とはなにかを教えてくれたばかりだった。ほんの少しでも、胸に抱くことができさえすれば、大きな原動力となる計り知れないもの。根拠がなにひとつなくとも、信じて心の支えにすれば強くいられるもの。映画のラスト、レイア・オーガナが一言だけ「希望」と口にして優しげに微笑む。劇中の全ての戦い、全ての犠牲がここに集約され、未来への明るい展望すら感じられるようだ。彼女自身もまた銀河を暗闇から救う「新たなる希望」だということを忘れてはならない。あの映画は第1作目が希望を抱き託す物語だったことを思い出させてくれたと同時に、レイア姫がその中心に立つ人物だったことも思い出させてくれた。
 キャリー・フィッシャーという人物の全てを、レイア姫という役に押し込めようというのでは、決してない。しかし、あんなふうに希望に満ちた役を演じた彼女は、やっぱりぼくにとって温かみと優しさと、知性を感じさせる女性なんだ。ぼくは素直に彼女の笑顔がとても好き。
 こんなにも寒く、冷たい夜が続く日々。時代が暗い方へ暗い方へと進んでいる中で、希望を象徴するような女性が立ち去ってしまったということが、どうしても重くのしかかってくる。この冬は暖冬になるなんていう話もあったけれど、ぼくにとっては思っていたよりも寒い日々になるかもしれない。それでも普通に年は明けて、キャリー・フィッシャーのいない最初の年をぼくは迎えなければならない。
 どうかぼくらの永遠の王女キャリー・フィッシャーとそのお母さんにフォースのご加護があらんことを。平和の惑星オルデラーンのように輝く星になりますように。遺された家族と、キャリーの愛犬ゲイリーが元気でいられますように。

2016/12/26

日記:12/17 - 25

2016/12/17 土

 この日はあまり印象にない。モレスキンのスケジュール帳も空欄である。『ローグ・ワン』が公開してからの金土日はどうせそのことしか考えていないから、どうせそのことばかり考えていたのだろう。
 さっそく感想をまとめようと試みるも、近頃は「秘密映画館」のシリーズをもう少し違う形に変えていきたいとも思っていて、その不満と『ローグ・ワン』への想いをぶちまけたいという想いとでうんうんと悩んでいた。シリーズのラベルをつけて記事を作っていく形式というか様式がだんだん煩わしくなってきていて、もう少しラフな形にも作れるようにしたい。雑誌上の連載とも違う形にしていきたいし。
 とは言え『ローグ・ワン』に対して思ったことがA4サイズに、しかもイラストと折半されたスペースにおさまるわけもなく(イラストと文章をいかに両立させるかもぼくにとっては課題だ。どちらかといえばあくまで絵に比重は置きたいが、それでいてちゃんと言いたいこと伝えたいことを文章にもしたい)、今後もことあるごとに個別に絵と文を書いていきたいと思う。

2016/12/18 日

 友達と2度目の『ローグ・ワン』へ。初見が3DIMAXっていうのはどうも情報量が多すぎて全体が俯瞰できないので2Dスクリーンで改めて観るといろいろ細部もわかるかなと思ったがそれでもやっぱりまだ全体を見渡せなかった。SWがそこまで好きじゃなかったら、前半はいまひとつだろうなあ。集中力のないひとなら途中で席を立ってしまうのも無理はないかなと思う。映画館で途中退席したり居眠りしたりってのは個人的には信じられないが。ただ、そんなことにいちいち目くじらを立てるよりは、その程度の気軽さで時間つぶしのために1800円払い、気分が乗らなかったら上映時間の3分の1以下の時間で出ていけるひとがいっぱいいるおかげで劇場が成り立っていると思ったほうが、ましな気分になれるかな。映画オタクだけじゃ世の中持たないもの。それに映画館というのは大勢で同じ作品を一緒に観る場であって、そこには本当にたくさんの種類の人間が集まっているので、自分の気に食わないひとがいて当たり前だ。思い通りにならなくて当たり前なんだ。それでもその見知らぬ人たちと時間と作品を共有するのがシアターであって、それはフェイスブックなんかよりよっぽどソーシャルメディアな場なのだと思う。もちろんだからこそ席を立ったり私語を交わすひとも注意するべきなんだけれど、そのひとたちをわざわざ捕まえてお説教する必要を、ぼくはそこまで感じないってわけ。映画館とはそういう場所であって、無菌状態のホームシアターじゃないのさ。
 
2016/12/19 月

 試写で「ラ・ラ・ランド」を観させていただいた。やっぱりミュージカルは良いなあ、と思えるし、これならミュージカルが苦手なひとも楽しめるのではないだろうか。
 とは言えミュージカルが苦手っていうひとの感覚、全然わからないけれどね。突然歌い出すのがダメなのかな?そういう表現形態なのだということから説明しなきゃいけないのだろうか。ゴジラに対して「なんで着ぐるみに皆怯えるのか」とつっこんでいるようなものなんだけれどそれは。

2016/12/20 火

 いろいろと締め切りが重なっていたので家にいた。妻が休みで家にいると、どこか安心して過ごせるのだけれど、ぼくまで休日の気分になってしまうのがまずい。

2016/12/21 水

 レゴのアドベント・カレンダーも残り少ない。こんなに楽しいなら本当に何年も前から遊べばよかった。24日間で組み立て終えたミニ・モデルをどうするのか、ばらして別のものを作るときの部品に使ってしまうか、完成させたまま並べて飾るか、どちらがいいだろうか。ともかく細かくて小さいものの愛らしさを改めて知った。大は小を兼ねるとも言うけれど、小さいものこそ宇宙があると思う。

2016/12/22 木

 最近朝起きると床に黄色い水たまりができていることが多い。りんごジュースを床にこぼしておく趣味はないし、りんごジュースにしては生臭いので、これは犬のおしっこである。何故かおしっこを部屋でするようになってしまった。散歩し足りないのか、なにか不満なのか、病気なのか。7歳にあがってから急におしっこ漏らしになったような気がする。おじいさんなのだろうか。とは言え場所と時間を選んでいるらしいので我慢できず漏らしているというより、している、というように感じる。

2016/12/23 金

 冬休みに入ったばかりの独特の多幸感っていうのはもう味わえないのだろうか。結局こんな時期までばたばたと追われている。天皇陛下誕生日になってクリスマス・イブになろうとしているのにまるでそんな時期だという気配がない。部屋で唯一そういう気配をくれるのはちかちか光るクリスマス・ツリーだけ。
 模様替えのために発生した大量の粗大ゴミを回収してもらうのがイブの朝なので、せっせと処分の準備をした。木製の大きな家具が減るのでだいぶすっきりすると思うと気持ちが良い。古い犬のバギーも処分。広くなった分犬のケージにトイレスペースを増設して、なんとかここでおしっこしてもらうようにする。

2016/12/24 土

 朝からキャリー・フィッシャーが心臓発作で倒れたとのニュース。キャリーにだけは一度サイン会で会ったことがあるという友人がひどく取り乱していた。『ローグ・ワン』で若き日のキャリー・フィッシャーの顔をしたレイア姫が再現されていたことにひっかけて、万が一のことがあってもCGで作れるから大丈夫でしょ、なんていう例の気持ちの悪い優越感に浸るために心ない言葉を口にする連中のために、彼はより一層ショックを受けたし、ぼくもそんなことを言うひとがいるのかとショックだった。同じ映画を好きなはずなのにどうしてこう考えが違ってしまうのか。映画におけるキャラクターしか頭にないから、感情を持って生きている人間がそれを演じているということを忘れて、EP8やEP9の心配ばかりするようなひとは決して少なくないのだ。残念ながら。
 彼女の容態については、一度安定したと報じられたけれど、すぐにそれが間違っているとも話題になった。悪い状態が悪いまま続いていることも安定というのだろうか。それ以降なにも知らせがないけれど、どうか持ち直してほしい。そうしてぼくの頭に浮かぶのは、彼女の愛犬のゲイリーだ。あの子、きっと主人の帰りを待っているだろうなあ。
 最初に同棲を始めて以来ぼくらはクリスマスにはローストチキンを丸々一羽食べることになっている。とは言えまだ3年目で去年は出遅れてチキンが買えなかったので2度目である。今回はとても大きいのを買った。前回はぼくが焼いたので、今回は妻に調理してもらった。お腹の中にぎっしりとお米が詰まった鶏の丸焼きはとてもふたりで食べきれるものではなく、半分ほど食べて明日に取っておくことに。もしかしたら本場でもクリスマスのご馳走は年末にかけて食べていくものなのかもしれないな。いっそこちらで言うところのお節料理すらも兼ねているのかもしれない。クリスマスの恩恵に預かれる国の人々は日本人なんかよりもずっとゆっくり過ごせるし。この国で「ハッピー・ホリデー」という言葉がなかなか浸透しないのは、そもそも祝日じゃない上全然お休みにならないからだろうな。冬至過ぎても普通に働き続けるってよく考えるとすごいことだ。
 夜中にトイレに入っていると、こつんこつんという奇妙な音が聞こえてきたので、出て見てみると、なんとソファに乗った犬がテーブルに前足をかけてチキンの皿に顔を突っ込んでいるではないか。しっかりかけてあったラップまでわざわざ鼻面でめくりあげている。ぼくがあーっと大声を出すと、妻がむっくと布団から飛び起きてきた。妻が激怒したのは言うまでもなく、犬は朝までケージでひとりで寝ることになった。クリスマスの朝に一緒に布団に入れないのは寂しいが、しょうがない。ケージの中でふてくされて寝ている犬を見るに、折檻に効果があるのか、後悔してもらえるのかは謎だけれど、ともかくびっくりした。鶏肉は前にも食卓に残してあったもの(西武の地下で買った美味しいやつ)をぺろっとやられてしまったことがあったので、もっと警戒しておくべきだった。けれどあんな大きなチキンにどこから手をつけていいか彼もよくわからなかったようで、皿の周りに添えてあったジャガイモやニンジンの類が食べられているだけだった。
 犬にはクリスマス・プレゼントのおもちゃを二つ買ってあり、イブに最初のひとつをあげてあったのだけれど、すぐに飽きたね。チキンのほうが興味津々だったわけだ。
 アドベント・カレンダーは全て開け終えた。終わってしまったがとても楽しかった。クリスマスにこういう楽しみ方があるとはね。

2016/12/25 日
 
 さあチキンの続きだ。妻も仕事帰りにパンとチーズと生ハムとりんごサイダーを買ってきてくれた。青い染みがたくさん浮かんだ美味しいチーズで最高だった。買っておいたソーセージも焼いた。そんなわけでいろいろあったので、またチキンはそこまで食べ進まなかった。また明日食べればいいのだ。
 犬には二つ目のプレゼントをあげた。しばらく遊ぶのだがやっぱり飽きて放置。
 クリスマスと言えどサザエさんは相変わらずだったな。妻と長女がお節料理を作っている間、波平は婿と「わしらの仕事はもうないな!」「そうですねえお義父さん!」などとのんきにくつろいでいるのがまた相変わらずであった。
 月曜までのイラストを仕上げて寝た。終わっちゃったなあクリスマス。

2016/12/23

『ローグ・ワン:スター・ウォーズ・ストーリー』(2016)感想


 昨年のEP7『フォースの覚醒』がニュートラルなSW像を現代的に再解釈して見せた王道的作品だったのに対して、今作『ローグ・ワン』はそのよく知られている英雄譚を裏側から支えるもうひとつの魅力に迫った、まさに根っからの外伝作品と言える。EP7はファンのみならず、SWにそこまで馴染みのないひとも楽しめるようなキャッチーさやポップさが備わった「映画」だったと思うけれど、今作はまるでそれに対するカウンターのごとくこれっぽっちもビギナーに優しいところがなく、徹頭徹尾SWを愛するひとのために作られた「SWユニバース作品」になっている。外伝作品の大前提として本筋を知っている必要はあるだろうから、そのあたりは割り切ってしまっていいと思うし、作る側もある程度割り切っているからこそこれほどまでにおもしろいSW映画になったのだと思う。逆に言えばEP7は多方面に気を使いすぎた作品だったとも言えるが、今作でここまでファン向けに振り切れたのは、EP7で「SWってもともとはこういうものだよね」という普遍的な物語を展開した後だからこそだと思う。

 もちろん世界観の追求だけでなく、外伝としての役割も申し分なく果たしている。時代設定はEP3とEP4の間(正確にはEP4の直前)に位置しており、前日譚であると同時に後日譚でもあるわけだ。EP3に登場した兵器が一線を退いて地味なところで使われていたり、レイア姫の養父であるベイル・オーガナや、モン・モスマがEP3に引き続いて同じ役者が演じているところなど、ところどころにプリクエル世界観の延長が感じられ、新旧三部作の間に本作が挟み込まれることで、両三部作の境界が融和してひとつのシリーズとして繋がってくるようにも感じられる。まさにブリッジとしての役割だね。

 ベイルやモスマ以外にも過去の六部作から何人ものキャラクターが登場するが、その中でももっともアイコニックで有名なのはやはりダース・ヴェイダーだろう(C-3POとR2-D2も一応登場するけれどカメオ出演程度)。そのヴェイダーは今回初めてその住まいがお披露目され、入浴シーンまで見せてくれるのだけれど、そのヴェイダー城はどこか見覚えのある溶岩の川の上に建っている。あの惑星がEP3に登場した、ヴェイダーがあんな身体になった舞台であるムスタファーであるかどうかはまだわからないけれど、新しく登場した惑星には必ずテロップで名前とどういう特色を持つ星なのかの説明がある中、この火山の星には無いので、観客がすでに一度見たことのある星なのだろうと思われる。いずれにせよヴェイダーがわざわざ火山の中に住んでるという事実はなかなか胸にずっしり来る。きっと苦痛を忘れないように、そこから負の感情をたくさん引き出してダークサイドの力を追求するため、そして戒めのためにわざわざ住んでるのだろうなあと、ぼくは思う。その印象的なロケーションと、バクタ・タンクの中でうごめく手足と頭髪の無い痛々しい姿は、EP3で起こったことを思い起こさせるし、アナキン・スカイウォーカーはもういないのだと思い知らされもする。なによりすごいと思ったのは、EP3によって悪の権化から悲劇の男に印象が変わってしまったEP4のダース・ヴェイダーを、再び悪の権化に更新しているというところ。EP3の悲劇を思い出させながらも、この男は完全に悪に染まって久しいのだという事実を強くつきつけてきたクライマックスのシーンはそのままEP4の冒頭へと繋がるので、第1作目で初めて姿を見せた暗黒卿の印象を「当初のもの」に戻したと言え、さらにそこに深みすら与えている。この偉大すぎるキャラクターを再定義したのは本当にすごいことだと思う。
 
 惑星の名前と役割がテロップで流れたり、そもそもオープニングタイトルがいつものやつじゃなかったり(もちろんあらすじスクロールもない。だってこの作品自体があらすじスクロールの中で語られたことだからね)、本筋のエピソードでは決して見られない禁じ手が多く観られたのも新鮮だけれど、個人的には全然違和感や抵抗はない。むしろ外伝映画だから柔軟にいろいろなスタイルで良いと思うし、一通りプロローグが描かれたあとにタイトルがどーんと出る流れなどは、SWの枠におさまらないイマドキの映画という感じで良かった。惑星のテロップも、数々のロケーションが次々に登場する中で混乱を招かないようにしていたし、テンポの良さにも一役買っていたと思う。EP7が「映画」であり本作は「SWユニバース作品」だと上で書いたけれど、EP7がメイン・エピソードとして従わなければならないルールがたくさんあったのに対し、本作は外伝で自由がきくので、そのあたりは一般的な「映画」に近いものがあったと思う。

 他作品から登場するのは六部作映画の人物ばかりではない。同じく外伝として展開しているアニメ・シリーズ『反乱者たち』のキャラクターたちも本作にこっそり登場している。『反乱者たち』は本作より4年前の時代で、反乱同盟軍が結成される前のまだばらばらだった反乱者たちが帝国相手に戦いを挑むストーリー。ディズニー移行前に展開されていたやはりアニメ・シリーズの『クローン・ウォーズ』の後日譚でもあり、さらに今では旧設定扱いされてしまった昔のスピンオフ作品からのネタの逆輸入、ラルフ・マクォーリーやジョー・ジョンストンのコンセプト・アートを再利用してその絵画のような雰囲気を随所に取り入れるなど、様々なSWユニバースを包括するスピンオフのショウケースと言えるシリーズだ。特に個人的にはマクォーリー画を意識した線や背景などが興味深く、また最近ではレジェンズ(旧設定の世界観)における超人気キャラ、スローン大提督などの逆輸入によって、膨大なユニバースの特におもしろいところをどんどん映像に取り込んでいく様子が楽しい。
 『ローグ・ワン』では、『反乱者たち』でおなじみの人物の名前が秘密基地のアナウンスで呼ばれていたり、マスコット的ドロイドのチョッパーが画面の端を横切ったり、主人公パーティが乗り込む宇宙船が基地の発着場や集結する艦隊の中に確認できる。時代設定は近いので、少しは『反乱者たち』のキャラクターが絡んだりしないだろうかと前から淡い希望を抱いては「まあ作品の趣が違うし無いだろうな」と思っていたので、まさかここまで登場させてくるとは思わなかった。とてもうれしい。スピンオフ群を包括する『反乱者たち』の要素が絡んでくることによって、いよいよ本作は映画世界とスピンオフ世界をも繋ぎ合わせ、ユニバースを統合してきている。
 
 ぼくは映画としてのSWももちろん好きだけれど、ここまでSWに熱中したのはやはり膨大な設定が世界観に奥行きをつくっているからだった。小説、コミック、ビデオ・ゲーム、アニメーションなどによって展開された拡張世界は、映画を補完するだけでなく、ぼく自身の創作意欲をもかき立てた。思えばぼくは自分の創作意欲が刺激した作品をとことん好きになってきたと思う。たくさんある、それでいてわりと穴のあったりする愛らしい設定の数々は、ぼくに創作の楽しさを教えてくれた。自分でSW世界の住人を創作するのも、あったかもしれない戦いを創作するのも好きだった。だから『ローグ・ワン』を観て、映画として、SWとしておもしろい以上に親近感も湧いた。自分が思い描いていたものが映画になった、というのはちょっとオーバーかもしれないけれど、本筋じゃない、ジェダイもヒーローも出て来ない知られざる物語を映像にすると、こんな感じになるのかと感慨深かった。やっぱりSWはぼくを刺激する。ぼくもなにかを描きたいと思わせてくれる。

 「映像の魔法」って言われて正直ぴんとこないことのほうが多かった。物心ついた頃から『トイ・ストーリー』や『ジュラシック・パーク』があった世代にとって、特撮や特殊効果は驚くべきもの、というよりは当たり前のように楽しめるものという感じが強いと思う。新しいプレイステーションが発売されるたびにグラフィックがリアルになったと騒がれるが、そういうのも別にそこまで感動はなかった。そりゃあ時代を経てどんどん綺麗になっていくのは当然だろうと、そんな可愛げのないことを思ったものだ。そう、ぼくにとってCGは魔法というより、年々綺麗になっていくもの、という感じだった。年々本物に近づいているものという感じ。むしろ進歩しないほうがおかしいという頭だから、全然感動がないわけだ。
 しかし、故人が動いて話すのを新作のスクリーンで観られるとなれば別である。死者を蘇らせるという、人類の禁忌が破られたところでようやくぼくは映像の魔法というものがなんなのか理解した。かつてピーター・カッシングはシャーロック・ホームズを演じた際に「生きて呼吸するホームズ」と評されたらしいが、本作のターキン総督はまさに生きて呼吸するピーター・カッシングだった。よく見ればその表情の動きはどこかアニメーション的で、リアルなゲームのキャラという感じは確かにする。けれど、カメラが引いて初めてターキンの全身が映ったとき、思わず涙が出た。ターキンが、カッシングがそこに立っている。その佇まいを見て、大好きなひとと再会できたかのように思えたのだ。
 このターキン総督を描くにあたって、EP4だけではサンプルが少なかったと思う。EP4には全身が映って歩いたりするシーンはないから、他の作品から動きや佇まいを研究する必要があるし(正確にはこのターキンは丸ごとフルCGではなく、ガイ・ヘンリーという『ハリー・ポッター』シリーズへの出演でも知られる俳優が演じており、顔にCGを重ねているらしい)、顔にしてもEP4以外の作品を参照する必要があったろうと思う。自分のイメージするターキンの顔とは若干違って見えたという意見が希にあるのは、おそらくそのせいだと思う。ハマー作品など(それこそホームズもあったかな?)たくさんの他作品から引用して構成したカッシングなので、EP4のターキンとは違って見えてもおかしくない(もちろん実際にどういうプロセスで作られたのかまだわからないけれど)。でも、キャラクターとしてのターキンよりも、俳優としてのカッシングを追求したのなら、やっぱりそれはすごいことなんじゃないかな。CGの俳優に演技をさせるっていうのは、当のジョージ・ルーカスが繰り返しやりたいと言っていたことだ。ほかでもないSWで映像の魔法を体験できたのはとてもうれしい。ようやく「光と魔法の工房」という意味がわかった。

 土壇場になってかなりの部分が撮り直されたという騒動があって、トラブルも多かったみたいだし、最終的に再編集で今の形になったとは言え、画の中のことについてはやはりギャレス・エドワーズのセンスがものを言っているのではないかなと思う。『GODZILLA ゴジラ』のときにすでにミリタリー描写へのこだわりようは伝わってきたから、今度もSWの世界で軍隊描写にマニアックさを出してくるだろうなと思っていたけれど、想像以上だったと思う。武器の持ち方構え方、ディティールなどもそういうのが好きなひとなんだろうなあと思えたし、その趣味がSW世界を描く上で思いの外親和性が高いのだ。それにミリタリー趣味以上に、SWへの愛が強い人なんだなということがとても伝わってくる。センスだとかよりも、愛が一番重要なのかもしれない。
 今作ではシリーズにおけるアイコニックな超兵器デス・スターがテーマなのだけれど、その存在は自然とぼくらの世界における核兵器と重なってくる。マッツ・ミケルセンの演じるゲイレン・アーソは惑星を丸ごと破壊できるデス・スターのレーザーを開発する科学者で、ロバート・オッペンハイマーを意識していると言われているし、劇中でデス・スターが出力を弱めたレーザーで地表を攻撃すると、まるで原爆のような爆風が上空高く昇っていく。EP4のオルデラーンの破壊は一瞬で済んだけれど、これは一瞬では終わらない。本作では惑星はひとつも破壊されないけれど、地表にある都市や地形がじわじわと破壊されていく様はとても生々しくて恐ろしいし、現実の兵器にも通じる。ギャレス・エドワーズは『GODZILLA ゴジラ』で描ききれなかった核兵器の恐ろしさをも、本作に盛り込んだのかもしれない。スカリフという、モルディブで撮影された美しい海と点在する砂浜が特徴的な惑星で、デス・スターの放ったレーザーが炸裂して海の上に眩い光のドームが浮かび上がるシーンが、どこかビキニ環礁での核実験を彷彿とさせるのは偶然ではないと思う。

 お気に入りのキャラクターはたくさんいる。ベン・メンデルソーン演じる悪役クレニック長官、ディエゴ・ルナ扮するキャシアン・アンドー、ドニー・イェンのチアルート・イムウェ。スカリフ専属のスカリフ・トルーパーも、新鮮だがストームトルーパーの一種だとわかるデザインで好き。過去作からの登場はターキンやヴェイダーはもちろんだが、ドクター・エヴァザンとポンダ・バーバの二人組みの登場もうれしかったし、レイア姫の船ブラッケードランナーの船長であるレイマス・アンティリーズの姿も見られて良かった。このあたりはオタクへのサービスという感じかな。改めてお気に入り度が上がったのは、やっぱりブラッケードランナーの反乱軍兵士たち。白くて大きなヘルメットに襟付きシャツと黒いベストという、EP4の冒頭でばったばったと倒されてしまう名もなきヒーローたちが、実はダース・ヴェイダーの行く手を阻むために、「希望」を紡いでいくためにあれだけ犠牲になっていたとは(「犠牲」もまた本作の重要なテーマだろう)。
 
 第一作、EP4『新たなる希望』をよりドラマチックに深みあるものに補完するだけでなく、SWユニバースとはなんなのか、外伝映画になにができるのかを見せつけてくれた作品になっていると思う。今後も広がり、また深まっていくSW世界の行方が楽しみになった。なによりぼくの創作意欲が燃えてきたのがとてもうれしい。
 本筋エピソードの公開と外伝の公開を交互にやっていくいうのは、もしかすると作品を作品で補強してシリーズを掘り下げるだけでなく、誰でも楽しめる作品と、ファン向けの作品という二本の道を用意することでみんなが楽しめるようにするってことでもあるのかもしれないなあ。

2016/12/17

日記:12/06 - 16

2016/12/06 火

 犬のポコの誕生日で、今日で7歳となる。犬としてももう折り返しだし、生まれつき腰を悪くする運命にあるコーギーにおいては残されている時間はより少ないと言っていい。とは言えまったく老い衰えている様子はない。脳腫瘍疑惑騒動以降ぴんぴんしている。散歩のときもリードを引っ張る力は前より強い気がする。誕生日なので公園に連れて行ったが死ぬほど寒いので早めに切り上げた。気が狂うような寒さで、ぼくは身体の冷えのせいで憂鬱になった。ポコが道端におとしたうんちを拾うとき、若干ゆげが立っていてとても暖かそうだった。ふところに入れたくなるが思いとどまった。

2016/12/07 水

 寒い中ポコのお誕生日リクエーションに付き合ったせいで妻が風邪をひき、一緒に病院に行った。平日の午前中の病院、待合室は老婆でいっぱいだった。老婆がより上の老婆に席をゆずったり「家庭画報」を読み聞かせたりしていた。妻は発熱してもアプリゲームの「ポケモンGO」をやめない。メタモンって、あんな適当な落書きみたいな見た目だけど、とても洗練されている気がする。波打った輪郭にも無駄がないし、ただでたらめにスライミーなわけではなくちゃんとメタモンとしての形がある。本当になんにでも変身できそうな、柔軟かつニュートラルな形状で説得力すらある。子供の頃からデザインにおいては一番好きなポケモンだったと思う。
 死ぬほど待たされたがインフルエンザではないとわかった妻と食料を買って家に帰ったら昼過ぎで、ぼくも出かけるのをやめて寝ることにした。妻が熱を出しているのだから出かけない理由は十分にある。眠いのだから寝てもいい理由も十分にある。目が覚めたら夕方だった。

2016/12/08 木

 通信アプリの別々のチャット欄で片や歴史好きの友達が真珠湾真珠湾と連呼して、片や音楽好きの友達がジョン・レノンジョン・レノンと連呼していた。AMラジオとFMラジオみたいなふたりから別々の話題を振られ続けてどちらもどうでもよくなった。でも来年こそはハワイに行ってみたい。
 『七人の侍』や『荒野の七人』の遺伝子を受け継ぐ『マグニフィセント・セブン』の試写に行った。やはり西部劇はおもしろい。娯楽として完成されている。銃声が恐ろしくない。イ・ビョンホンってかっこいいんだなあ。もうちょっと英語のできる日本人俳優がいっぱいいれば、ハリウッド映画の東洋人枠を分けてもらえそうな気がするんだけれど。いや、でもあそこはイ・ビョンホンが良い。
 閉店ぎりぎりだったけれど、六本木のレゴストアに初めて行った。先週末から来年の新作セットが先行発売となっていて、SWのYウィング(もちろん『ローグ・ワン』枠)がとても良かったので購入。これで今年のレゴも最後だろう。レゴおさめである。Yウィングはこれまで何度も発売されているけれど、今作は近頃のSWレゴの例に漏れずディティールが細かく出来が良い。それだけなら琴線には触れないけれど、このセットにはミニフィグが5体もついているから魅力的だ。パイロット、名称不明のアストロメク・ドロイド(ドーム状の頭が透明なのでR3系かな。最近はこのあたりの設定もめちゃくちゃだけれど。いずれにせよモブのドロイドは好き。画面のずっと奥の方で黙々と作業しているようなキャラクター)、新キャラでモン・カラマリのラダス提督(サーモン色のモン・カルのイメージをぶっ壊すような、非常に不健康でキモい色をしているが気になるキャラ)、それから氷獣ワンパをずっと知的にしてウーキーっぽくしたような新キャラのモロフ。さらにストームトルーパーが一体ついているというサービスの良さ。見事に脇役(というかほとんどモブ)しか入ってないセット(Yウィングそのものが脇役戦闘機だしね)。こういう地味なグッズがSWの醍醐味だよ。
 Yウィングって、爆撃機なのにボマーじゃなくてスターファイターなんだよなあ。ちなみにこのセットのYウィングはギアをまわすと爆弾(円筒形でかなり露骨な形状)が腹の穴からぽとりぽとりと落っこちる仕掛けがついている(こういうおもちゃのギミックを、この仕掛けは自分で組み立てたんだ、と思えるところがレゴの良いところ)。それを見た妻がかなり不快感を示していたが、確かにきゅうに戦争っぽい。ギャレス・エドワーズのリアルな軍隊描写にこだわる思想がレゴにまで波及しているのだろうか。SWの魚雷とか爆弾って、なんだかよくわからない光る玉ってイメージがあったけれど。
 子供の頃買えなかった大きなセットを買うのはとても楽しくうれしのだけれど、所持パーツが増えるに従って作れるものの幅が広がりそうなところが、逆に説明書通りに組み立てるくらいのことしか思いつかなくなっている。それはそれでいいのだけれど、限られた少ない部品を工夫していろいろ作っていた頃のことが懐かしいな。それも親の知り合いの家から引き取ったお古のレゴだったから、ブロックの角が欠けたり丸くなってしまっていたり、色が焼けていたり、接合部分がすかすかだったりした。お城を作ろうと思ったらもうお城をひとつ作って終わる。宇宙船を作ろうと思ったら宇宙船を一隻作って終わる、そんなかつかつな感じ。でもそのときは、SNSに載せてさまになるような、お洒落でかっこいいやつを作るぞーというような変な構えはなく、思いつくままに部品を組んで想像を膨らませたものだ。一度作り上げて飽きたらまだ破壊する。この破壊がまた楽しい。ぼくが暴力的な少年にならなかったのはきっとレゴブロックが異様なカタルシスを与えてくれたからだろう。宇宙船が墜落してバラバラになり、城が崩落する。ビルディングは核攻撃を受けたかのように一瞬で霧散し、船は大破してカーペットの海に沈没した。レゴはビルド&スクラップの精神を早い段階で教えてくれた。この地上では何度でも、果てしなく破壊と創造が繰り返されていて、それをめちゃくちゃ小さくした縮図がぼくの手の中にあるような気がした。 
 今は、それなりの値段のするモデルを一度組み立てると、その完成した状態をその値段で買ったんだという意識が強くなってなかなか壊したり前から持っている部品とまぜる気になれない。子供の頃は平気で買ったばかりのモデルもすぐばらして所持パーツに加えてたんだけれど。しかし、それは多分子供の頃はそこまでまとまった大きなセットを買えなかったから、あくまでちまちまと部品を補充するために小さなセットを買ってもらっていたから、ていうところもあるのかもしれない。「この部品があれば、家にあるあれと組み合わせて、ああいうのが作れるなあ」みたいなこと考えてレゴを選んでたのかもしれない。それもまた大きなセットに手が届かない子供なりの工夫だったのだろう。『レゴ・ムービー』に出てきた融通の利かないこだわり親父(お仕事社長、ウィル・フェレル演)みたいにはなりたくないから、できれば説明書やシリーズの区切りなどを完全に無視する「雲の上の楽園」的精神を大切にしたいから、あまり深く考えたりこだわったりしないようにしよう。そもそも新しく迎えたモデルを組み立てた状態で飾っていったらスペースがなくなる。レゴの利点とは、何度でもバラバラにして組み直せるところだ。怖がらずにちょうどよさそうなものはバラしてほかのものと組み合わせて、少しずつ子供の頃の感覚を取り戻したい。
 レゴだけでなく、おもちゃって、部屋にちょっとだけあるのがいちばんかっこいいんだろうなあ。そういうの、憧れるけれど、オタクにはどうしたって難しいよね。とは言え、蒐集趣味とミニマルな生活ってのは本当に相性が悪いものなのだろうか。ミニマルな蒐集というのもあるだろうと思う。で、今からミニマルな蒐集にシフトしていくには、少しずつ物を捨てなければならなくなる。以前、ぼくはたくさんコレクションを手放した。捨てるのは嫌だから、趣味の合う人にあげたり。でも、最近また少しずつ当時ほどの量ではないにせよ、コレクションは増えてきている(少なくとも無闇やたらに集めるって感じではなくなったかな)。なんでもかんでも捨てるってのも妙なものだと思う。それを推奨する、いわゆる片付けのプロなんていう人たちは、どうも物質主義的な考えを見下してる印象があって、ぼくは抵抗を覚えちゃう。参考になるところは実践するけれどね。しばらく着てない服は捨てちゃっていいとかなんとか(服をコレクションしているひとからしたらまた釈然としないところもあるだろうな)。
 なんでもほどほどが良いよね。ミニマルはかっこいいかもしれないけれど、そこまで追求しようとは思わない。最小限を追求していったら最後にはなにもない部屋になっちゃうし、そもそもぼくの生きがいや職業そのものはミニマル思想においては削減の対象なんじゃないだろうか。生きて行く上で本来必要ないものが、ぼくに喜びを与えてくれる。まあ、ミニマリストもなにも洞窟で暮らせと言っているわけではないと思うけれど……。余分なものは減らせってことだよね。ほどほどなコレクションを維持したい。

2016/12/09 金

 ここのところせわしなさすぎてちっとも日記のメモができなかった。これを書いている現在はなんと20日である。いや大変な日々だった。というわけでこの9日の日になにしてたかなんてもはや覚えていない。試写に行って、前日買ったレゴを組み立てたくらいだろうか。12月に入ってからは毎日レゴSWアドベント・カレンダーを開けている。もっと前から毎年やっていればよかった。こんなに楽しいとは思わなかった。とは言えアドベント・カレンダーって別に曜日がついていたりする本物のカレンダーではない、ただ12月に入ってから24日分カウントダウンしていくだけのものなので、過去に発売されたものをいつの年に使ってもいいんだよね。

2016/12/10 土
 
 この日のことも書けるほど覚えていない。おそらく翌週前半までにやらなければならない仕事に取り組んでいたことだろう。金曜日に月曜日までの期限で依頼がくることもたまにあるのだ。そのかわり平日の好きな時間に寝られるけれどね。

2016/12/11 日

 同様に書くこと無し。作業して、サザエさんでも観ていただろう。

2016/12/12 月〜14 水

 かなりハードな日々だった。とてもまともに寝られなかったけれど、唯一の原動力は木曜の深夜に『ローグ・ワン』を観ること。それだけでなんとかがんばれた。来年はあまり真夜中まで仕事をしないでやっていきたい。夜中に送られてきたEメールにまず返事をしないようにしたい。。。正直言って命を削ってまで絵を描きたいとは思わないし、相手が昼もなく夜もなく働き通しなのは立派だけれど、それに合わせてぼくも生活するのはちょっときついものがある。来年はもう一人暮らしみたいな生活リズムをやめたい。
 なんにせよ徹夜明けでそのまま出かけてひとと話すと、ものすごくぼんやりしてしまって本当にいけない。こんなのは人間の生活じゃない。

2016/12/15 木

 『ローグ・ワン』公開は翌日なのだけれど、この日の深夜、日付が変わるときにはもう観られる。前に書いたように電車がなくても歩いて帰れるシアターで観た。非常に出来の悪いコスプレをしたひとが何人かいたが全然お祭りムードではなかったので、静かに観ることができた(映画館が手配したわけでもない、完全な有志なのに場所をとって撮影会を始めちゃう感じ、なんなんだろうね?)。妻いわく、ぼくは途中で何度も何度も身を乗り出して画面に見入っていたらしい。IMAXの大きなスクリーンだから、身を乗り出せばよりよく見えるかのような、景色でも見入るような感覚だった。いやあ良かった良かった。

2016/12/16 金
  
 明け方眠りについて、昼間までよく眠った。『ローグ・ワン』は本当に良かった。良かった良かったと友達と通信アプリでやり取りできてより楽しい。正式な公開日であるこの日は観に行かなかったけれど、ずっとローグ・ワンのことばかり考えていた。なによりも創作意欲が刺激されたのが良かった。創作がしたい。

2016/12/15

「山と渓谷」2017年1月号



 「山と渓谷」2017年1月号にて、特集「山の新常識2017」の中で登山の安全対策についてのページでカットを複数担当しました。ぼく自身山登りはしませんが、その服装やギアには興味があります。バックパックなど。いろいろ描きたい装備、使いたい色でやらせていただきました。救助活動中のヘリコプターは長野県警仕様。

2016/12/14

ディスクユニオンのフリーペーパー



 ディスクユニオンのメンバーズ限定フリーペーパー「いますぐ聴いてほしい2016年オールジャンル700」に、4月から毎月絵柄を担当している「集めたくなる栞」の出ている分がずらっと掲載されています。並べてみると綺麗ですね。この8枚に加え、残り4枚(今月分はもう出ているのであと3枚)が揃うとコンプリートです。
 毎月紹介していくべきだったのだけれど、載せそびれているのでまた今度まとめて紹介します。若干順番を忘れかけていたのでこのページ助かりました。
 「オールジャンル700」なので、それはもうたくさんのLP、CD、DVD等が紹介されています。見ているとだんだんCDとか、集めたくなるなあ。デジタル時代だからこそ、形のあるメディアの持つ魅力が際立つと思う。もちろんぼくは蒐集するものを限定したほうがよさそうだけれど。でも、欲しいものはやっぱり欲しい。それでいいと思う。 
 栞12枚のコレクションは、かさばらず場所も取らないからおすすめですよ。

2016/12/08

日記:11/28 - 12/05

2016/11/28 月

 早朝の番組でデザインを担当したクリスマス・カードがお披露目される。テレビで自分の名前が読まれて音になるのにはまだ慣れないな。
 風邪はこの日がピークだった。幸いにも発熱まで行かなくてよかった。メディケイテッド・ドロップとポカリスエットだけで直した、というとなんだか根性馬鹿っぽいけれど。
 どうしようもなくだるいからかなり寝てしまった。取り掛かっている仕事についてはどれもラフ画を送ってオーケーが出ているので今週は清書版を描き上げるだけ。ところでイラストでも清書という言い方で合っているんだろうか。

2016/11/29 火

 風邪がだいぶマシになったので具合が悪そうな振る舞いで妻の気を引けなくなった。
 『ローグ・ワン』のチケットは木曜の正午から発売されるらしい。しかも最寄りの映画館で深夜にカウントダウン上映をするらしい。チケット争奪みたいなものが苦手なので競争を避けてフツーにのんびりと観たいとは思うものの、やはり気になるし「せっかくなら」という思いが湧いて来たりもする。「みんな」が「にぎやか」そうにしているのが見えてしまい胸をかき乱されるところは、SNSの苦手なところだ。ぼくもついていかなければ、なんてことをまだこの歳になっても思ってしまう。結局のところ自分抜きで人が集まって楽しんでいるということを知るのが嫌なのだ。
 とはいえ、イベントなんかに行ったって別にそこにオタク仲間がいるわけでもなし、基本ひとりで過ごすのだけれど。で、知っているひとと会うわけでもないのなら、自分自身の素直な部分に本当のところを問うと、やはりイベントは行かなくてもいいかなということになる。家で、今頃「みんな」は騒いでるんだろうなあとぼんやりと寂しい思いをするのか、現地に行って「みんな」が楽しんでいる中にいながらもなんとなく寂しい思いをするのか。どちらがいいだろうね。そうして、「みんな」ってなんなのだろう。わりと誰でもある経験だと思うんだけれど、友達がみんな持っているからと理由で玩具を買ってくれと親にせがんだ際に母から「みんなってだれとだれとだれよ!」と言われ、はて、だれとだれとだれなんだろう、と思うあの感じである。なんとなくの疎外感から来る「みんな」なのだ。ましてや今ではその「みんな」はとんでもなく不特定多数である。一体ぼくは誰達から疎外感を覚えているのだろう。楽しそうにやっているところに加わりたくて仕方がないのだ。けれど、実際にその場に行っても結局寂しさを感じてしまうことはわかってる。わかっているけれど、また楽しそうなのを羨ましがる。
 SNSで眺めている範囲がまるで全体のムーブメントであるように見えてしまうのも辛い。なぜだかそう見えてしまう。だから、SWが好きな人たちが盛り上がっているコミュニティの存在を知って、彼らがまるでファンの中心であるかのように感じて、まずい、あそこにいなきゃファンとしてダメでは?とか思っちゃう。あるいは、イラストレーターのひとが仲良くやっているコミュニティがあると知ると、やばい、あそこにいないってことはぼくイラストレーターじゃないんでは、とか思っちゃうわけ。馬鹿らしいことだというのは自分でもよくわかっている。ぼくはちゃんとSWのファンだし、イラストレーターである。文章だって書いている。創作もしている。ぼくは圧倒的に絶対的にぼくを構成しているのだけれど、人が集まっているのを見るとなにかが揺らぐ。ぼくが「個人性」を追求しすぎた結果、「集団」に対してコンプレックスがあるのか。そんなことで悩む暇があるなら自分の世界をもっと深めろと妻は言うし、このことを相談した友達はだいたいみんな呆れた感じで知らんわという具合だから、本当にはたから見たらくだらないことなんだろうなとは思う。こうなってくるとぼくも自分がなにに引っかかってるのかわからなくなる。単にSNSを使う上でよくある感覚なのだろうか。自分が通じてる分野において自分抜きでワイワイやっているひとたちへの嫉妬に尽きるのだろうか。
 他人のことはともかく、夜中の上映に行きたいか行きたくないか、で言えばやっぱりどこかに行きたいというのがある。というか、行かなかったらきっと行きゃよかったなあってなるよね。チケット購入、挑戦だけしてみよう。

2016/11/30 水

 試写で『ネオン・デーモン』を観る。『ドライブ』の監督作で注目されているらしい。真っ暗闇にネオン・カラーというコントラストが好きなひとなのかもしれない。ぼくはキャリー・マリガンもエル・ファニングもあまりタイプじゃないけれど、観終わったらなんとなくエル・ファニング好きのひとが、どこが好きなのかわかったような気がする。なんとなくだけれどね。でもまあ、オーロラ姫って感じではないと思う。

2016/12/01 木

 仕事の打ち合わせに行く前に大急ぎでシネコンのサイトからチケットを買った。普通に買えた。余裕であった。ぼく以外誰もいなかったらどうしよう。
 用事のあとで前から狙っていたモレスキンのバックパックと、来年用の手帳を買った。手帳はいろいろ見て行くうちにどれにしたらいいかわからなくなったので、今年使ってきたモレスキンのウィークリーに決めた。紙の質感やインクの乗り具合は全く気に入らないが、ドラえもんのデザインに負けた。いろいろな手帳を試したいとも思うが、スケジュール管理がメインなので、今使っているもので不便がなければとりあえず同じものでいいかと思った。バックパックとお揃いになるからいいだろう。アイデアや落書き用には、いろいろなノートを使ってみよう。なかなか使い切れずに、新品のノートばかり増えて行くが。
 またしても持ち前の要領の良さでもってウィークデーの後半に作業が詰まってきている。それでも、結婚式の準備でだいぶキャパシティは増えたように思う。ひとつひとつの出来や精度を落とさないようにしなくてはならない。

2016/12/02 金

 結婚式からあっという間に一ヶ月経った。あっという間に感じると同時に、もっと前のような気もしてくる。今月は異様に長く感じたりもした。寒いときは感覚も鈍くなるし時間もゆっくりのような気がする。まるで時計の針が凍りついてしまったように。ぼくの身体にとって冷えは脅威かもしれない。
 試写で観た映画は『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』。ジェイク・ギレンホール主演。西川美和監督作『永い言い訳』に共通する作品で良かった。
 観ている最中から、家族の死が恐ろしくなった。災厄や悲劇はいろいろあるが家族の死は遠くない将来確実に自分に訪れるものだ。ぼくが誰よりも先に逝っちゃわない限り、両親の死に立ち会うのは確実だし、年上の妻も先に発ってしまうことになるかも。恐ろしい。ぼくは残されることに耐えられるだろうか?そうしてそんな家族の誰よりもまず確実に先にいなくなってしまうのは犬だ。このあと10年以内、いや5年から7年くらいの間に彼は寿命を迎える。そんなに先のことではない。彼は来週には7歳になる。確実にその日は近づいている。「もしかしたら」「いつか」ではない。絶対にそのときが来るのだ。次なる大震災や世界大戦よりも先に、確かに間違いなく絶対やってくる。考えるだけでも寂しい。そんなことを考えながら犬の顔をみると、「まだここにいるんだが?」というような目をしている。周囲にも犬や猫を失ったひとが少なくない。みんなどうやって向き合うんだろうか?
 この恐怖と関係しているのか、未来のことを考えるとクラッとする。2020年なんていう西暦を聞くたびにおっかなくなる。その年までぼくは元気だろうか?どうしても今日と変わらず暮らしていると確信できようか。それでいながら、ぼくは将来の自分の仕事について想像を巡らせたりもする(そこに正確な時期や日付は絡んでこないが)。未来は怖くもあり待ち遠しくもある。

2016/12/03 土

 模様替えは本棚として使っている食器棚を分解して運んだが、男性ひとりではもとに戻せない重量だったので弟に来てもらって全て完了させた。これで万事オーケー。部屋もすっきりした。
 弟は大学生なのだけれど、先日ファッション・スナップを撮られるも、全身ユニクロだったのでブランド記入用紙にそう書くほかなかったという話をしてくれて可笑しかった。可笑しい話だと思って笑い流したが後から思えば、すごいと言って欲しかったんだろうか。言ってあげればよかったな。でもそれ以上に同じページに載る子たちが可哀想だなと思ってね。
 12月に入ってからはレゴ・ブロックのアドベントカレンダーを1日ひとマスずつ開けられるので楽しい。三日間SWのなにかしらを組み立てている。あと21日分もある。こんなことなら毎年買えばよかった。来年もやろう。以前は小さい細々としたものがいっぱい入っているだけだと思って興味をひかれなかったんだよなあ。このかわいらしさがわかるまで数年かかったんだ。

2016/12/04 日
 
 この土日は仕事し通しで、特に月曜までに 作るものもあったのでだいぶがんばった。
 描きすぎてちょっと手が痛くなったけれど、そこでふと思ったのは、今の筆圧のままで描き続けていいものだろうかということ。このままこの筆圧で描き続ければ年を取ったときにとんでもない目にあうのでは。できれば生涯現役で描いていきたいのだけれど。ジブリの監督などはほとんど手に力を込めないで描いていると聞く。せっかくなら一生にできるだけたくさん描きたいよね。でも、自然と筆圧かかっちゃうし、それくらい力を入れないと思うように描けないというのもある。それからぼくの場合はやけに肩に力が入っていけない。描きながらも悩んでしまうくらい。
 そういえば結婚式直前に骨格矯正に行って以来、もともとは式に向けて姿勢を良くするために通っていたので、ひと区切りつけてしまっている。夏から二週に一度行っていたが、これで丸1ヶ月行ってない。どうりで身体の調子が悪いと思った。はやく骨を動かしてもらわないといけない。「皆さん式が終わると来なくなるんですよ。。。」とお姉さんが寂しそうに言っていた。ぼくはそんな連中とは違います、ちゃんとこれからは月1ペースで来ますよ!!と言っちゃったものの、いつ行こうか特に思いつかない。

2016/12/05 月

 午前中でとりあえず送るものは送った。徹夜したときは時間の流れが早い。さっきまで早朝だったのが正午となり午後になっている。新しく移った部屋はテレビから遠いのでまたラジオを聴く習慣がつきはじめている。朝昼のラジオっていろいろな話をしているなあ。
 今日は結婚式のアフター・パーティでも弾き語りをしてもらったアニー・ザ・クラムジーも出るクリスマスライブがあるので夜までに少し休んでおかないと、と思ったものの犬の散歩をしたりなんとなくなにかを食べたり、思いついたものを紙に描いて仕事中のフラストレーションを解消しているうちに日も傾き始めてしまった。さらにアニーちゃんへの差し入れにカードを描こうと思って筆を取っていたらもう出かける時間だった。本当はもっと遅くてよかったんだけれど、仕事あがりの妻と早めに渋谷で待ち合わせる予定だった。ロフトでお雑煮用のお椀とニワトリ(酉)の張り子を買った。張り子は破魔矢を加えているアホヅラのやつと、首が赤べこ構造でゆらゆら揺れるアホヅラのやつでとても迷ったが後者は動きがかわいいものの、大きさと色がかわいくないので破魔矢のやつにした。矢をくわえて焦点の合わない目で宙を見つめている。今思ったけれど、これ12年に一度しか飾らないんだよね。
 アニーちゃんのライブはとても楽しかった。こういうのんびり観て聴いてられるのは良いなあ。クリスマス・アルバムは結婚式のときにプレゼントでもらったのでずっと聴いていてお気に入りだったけれど、ライブはより良い。アニーちゃんは、その名の通り堂々とした不器用さがかっこいい。ぼくもうまく描けないところはうまく描けないなりに堂々としよう。
 長谷川町蔵先生と山崎まどか先生にも会えた。まどか先生に、レナ・ダナムの『ありがちな女じゃない』にサインをお願いすればよかった。新しいバックパックに入っていたのに。せっかく会えたけれど、いよいよ眠気で頭がぼうっとしていたからお見苦しいところを見せてしまったかもしれない。ありがちな失敗。
 もちろん帰宅してすぐ寝た。アドベントカレンダーも開けずに。でも、あんなに素敵なクリスマス・ソングを聴いて、毎日アドベントカレンダーを開けられるって、良いクリスマスだなあ。

2016/11/28

日本テレビ「ZIP!」クリスマス・カード

 日本テレビ系の朝の番組「ZIP!」特製クリスマス・カードをデザインさせていただきました。番組では出演者のみなさんからの直筆メッセージ付きでこのカードを100名さまにプレゼントするそうです。
 また、高解像度のデータをダウンロードして個人で楽しめるようにもなっています。
 詳しくは公式ページにて。


 両面印刷(A4用紙推奨)してふたつ折りして完成です。
 サンタのおもちゃ工場をテーマにしています。工場を開けると、内側が工場内部の様子になっている感じです。内側の、雪に覆われた屋根の部分がメッセージ書き込みスペースです。ぜひお楽しみください!








日記:11/19 - 27

2016/11/19 土

 驚くほど寝ていた。夕食は牡蠣と鱈と海老でお鍋にしてもらった。牡蠣はとても好きだ。たくさん食べた。

2016/11/20 日

 毎年この本格的に寒くなってくる時期に少し憂鬱になる。深夜まで起きていれば尚更。持ち前の冷え性で足先が冷えきって節々が痛い。
 自分のことを正当に評価してくれない人と無理して関わる必要はないよなあと、何度目かわからないが思い至る。ぼくのひどく歪んだ承認欲求はそうした、全く自分を認めてくれない人たちとずいぶん前から無理して接する中で培われたのではないか。いや、自分の性格の欠陥を他人のせいにするのはどうかと思うが、でもそうしてしまうととても楽なんだよね。いずれにせよ「他人」が非常なストレスになっていることは間違いない。認めてくれない人たちを見返してやりたい、などというくだらない動機がつねに奥底にあるような気がする。そんなものを原動力にして良い創作ができるだろうか?負の感情をエネルギーにするやり方ももちろんあるだろうけれど、取るに足らない他人のことを頭のどこかに置いて、そいつに見られることを前提になにかを作るなんて駄目だよね。
 これからはもっと自分の小宇宙を維持することに努めないといけない。

2016/11/21 月

 月曜日になると自分以外の世の中がしっかりと動き出してしまい、置いていかれた気分になる。仕事でまだ本になる前の原稿の束、ゲラを読んでいるのだけれど、その形態上普通の読書のようにははかどらない。
 友達からクリープの存在を教えてもらい、買って来た。この季節になるとココアが飲みたくなる。ココアはお湯で作ることもできるけれど、断然牛乳で作ったほうが美味しい。しかし我が家では妻が常に大量の牛乳と豆乳を飲むため、ぼくも牛乳を決まった量飲むとなると牛乳代がかさんでしまう。妻の牛乳を飲む勢いといったら、キャットウーマンに変貌する直前のミシェル・ファイファーがパックごとミルクをあおって口元から垂らすあのシーンくらいの勢いがある(嘘)。
 クリープは牛乳そのものじゃないし粉ミルクでもないがココアを飲む際の助けとなる。お湯だけで溶かしたココアよりずっと良い。コーヒーにも使える。いいことを聞いた。この手のものにはてんで興味がなかったのでまだまだ知らないことがたくさんある。
 先日の『ファンタスティック・ビースト』鑑賞の影響か、『ハリー・ポッター』をいちから読み返したくなっている。小学生のときよりは時間をかけずに読めるのではないか。実家からハードカバーを取り寄せようか。そのためには本棚のスペースをまた空けなければならない。

2016/11/22 火

 犬のMRI検査をしてから2週間経ったのでまた医療センターに。ホルモン検査の結果も結局異常なしであった。顔の麻痺以外はいたって健康。そうそう、きれいに刈られたお腹の毛はまだ生えず、ピンク色のお腹は妙に暖かくて柔らかく、よく触っている。優しくもむと恍惚とした表情でそのまま寝息を立てたりするからたまらない。
 顔の麻痺についても特発性、突発性であろうと見なされ、様子見ということになり、通院する必要もなくなった。どうやらこの2週間でまぶたも下半分は動くようになったようである。耳もほとんど普通に戻り、口元はまだ反対側に比べると目一杯吊り上がらないようだがだいぶマシになった。改善傾向にあり、これ以上悪化することはまずないだろうと言われた。
 犬のためとはいえ病院に行くというのはどうしても1日仕事になってしまう。帰りに所沢の航空公園に立ち寄り走り回らせた。よく整備され、日当たりもよく、綺麗な公園。うちの近所とは大違いだ。あそこはジメジメした雑木林のようだし、我が物顔のランナーに気を遣って歩かなければならない上、愛犬を過信した身勝手な飼い主がノーリードで犬を放し飼いにさせているかと思えば、公園のど真ん中で思い上がった飼い主たちが一列に並んでいわゆるドイツ式訓練をしたりしていて(中年の女性がヒステリックに叫びながら自分のラブラドールをひっぱたいているのを何度か見かけた)、夜になると子供たちが限られた時間を少しでも楽しもうと不毛な語らいをしている。芝生はろくに手入れされずほとんど野っ原だ。最悪だろう?
 明日は『ファンタスティック・ビースト』の公開なので、感想記事を作ることにした。公開前に観せてもらっているからには、公開のタイミングや上映期間中に作品についてアピールしたいところ。

2016/11/23 水

 実はこのあたりから風邪をひいたり、持ち前の要領の良さで深夜まで仕事をしたりしていたので1日の出来事のメモを付け忘れていた。よく思い出そうとしても特に家で仕事したり本棚の中のフィギュアを並び替えたりしかしていないので特筆することはない。先週いっぱい試写を入れていたから今週はセーブしておいてよかった。寒すぎてとても出かける気になれない。
 本の装画の準備とか、雑誌のカット、ある映画への宣伝用のコメントを書いたりした。この映画への一言コメントというのは初めてだったのだけれどちょっと難しかった。絵無しで純粋に言葉だけとは、ちょっと恥ずかしいところがある。

2016/11/24 木

 朝から雪が降った。完全に風邪を引いた。鼻と喉から来ている。何もする気にならないが描くものはいくつかあった。犬も丸まって寝ているだけで動く気がないらしい。例によって足先が冷えきっている。あとはなんだったかな。寒かった以外のことを覚えてない。
 そう、実家の母に電話をして、部屋に残してある『ハリー・ポッター』のハードカバーを送ってもらうよう頼んだのだった。ついでにティム・バートンの新作についても話してあげた。最近のバートン映画にはテレンス・スタンプが出るんだよと教えたら、まだ生きてるの!と驚いていた。ひどい。わからないでもないが。
 思えばバートン映画には銀河共和国の議長がふたりとも出てるんだなあ。

2016/11/25 金

 妻に『ファンタスティック・ビースト』を観て欲しかったから、一緒に映画館に行こうと思っていた。あわよくば映画館のそばにあるトイザらスでのブラックフライデーのセールでSWのトイを見ようとも思っていたが、結局家にいることにした。ぼくは風邪がひどくなってきたし、毎週のようにおもちゃを買ってもいられない。どこかで止めなければきりがない。もともとは特に好きなキャラクターだけ、特に昔のものをどこかで見つけたら、という方針だった。投げ売り目当てに出かけてもいられない。SNSの普及は外国人の風習を隣人のそれのように感じるほど身近なものにしたかもしれない。去年もこの季節にアメリカのオタクのにいちゃんたちが特価のフィギュアをインスラグラムで自慢するのを羨ましがったものだ。以前はこの国でもあったらいいのにと思ったものだが、いざ身近なところでそのセールが始まってみると、そもそもの感謝祭もすっ飛ばして軽薄すぎるという感想を抱くばかりだった。商売のためによその祝日をも盗んでくるのはぼくらの得意とするところだ。そのくせホリデーであるはずの期間も働き続けるのだから奇妙だね。
 出かけないかわりに、予ねてから考えていた大幅な模様替えをやってみた。寝室とぼくの書斎(書斎だってさ。アトリエよりはマシだな)をそっくり入れ替えるのだ。妻曰く、ぼくはもっと奥まった部屋で仕事するべきなんだとか。要するにテレビから離れた部屋がいいというわけ。ぼくもそう思う。
 この小さい部屋の中で引っ越し作業をして実感したのは、ぼくが部屋に大してかなり大きい家具を持っているということ。部屋が古いのだからしょうがない。まだ日本人が土手の斜面に掘った穴みたいなところで生活していた時代において、最先端だったような部屋と言えばいいだろうか。とにかく狭い。ぼくの持つ二大家具、仕事に使っているカリモクの学習机と、本棚やコレクション陳列用に使っているカリモクの食器棚は、この部屋においてまるでイウォーク族のツリーハウスに宇宙船を運び込んだかのような異彩を放っている。特に本棚として使っている食器棚の方は上部と下部に分解できるとは言え上に乗っている棚のほうはガラス戸が三枚ついて背も高いのでぼくひとりで下に降ろすは無理で、妻と一緒に降ろしても今度は運んで移動先の部屋で持ち上げて再度組み立てるということができなかった。なので今新しくぼくの仕事部屋となったこの部屋でそれは二つに分解されたまま置かれている。これはこれでも良いがやはりアンバランスな印象。友達か弟を呼ぶ必要がある。
 そのほかは特に問題なし。せっかくなので机を窓辺に置いたが、外の冷気がひんやりと入ってきてとても寒い。だが頭上にエアコンがある。

2016/11/26 土

 この日は妻とどこかへ出かけようと思っていたのだけれど、ぼくの風邪の具合からにぎやかなところにわざわざ出ずに近場に兼ねてから必要だったものを買い行くことにしようということになり、池袋へ(十分にぎやかなんだけれどね)。
 来年の手帳と欲しかったバックパックをチェックして、犬の散歩用にヴァンズのスニーカーを買った。昨日の模様替えにともなって必要になったラグも買った。少し前から切れてしまった蛍光灯も4本買った。ダイニングの灯りはしばらくたった一本の、それも弱々しくなった蛍光灯で照らされていたのだから、気分も暗くなるというものだ。取り替えて見たら恐ろしいほど明るくなった。目がつぶれそうだ。
 夜はレゴ・ブロックを組み立てた。友人に不要になったレゴを大量にもらって一年以上経つが、いくつも製品モデルを組めるはずがなかなか暇がなくてまだまだ組み立てられるものが残っている。だから最近は説明書を見ながら製品モデルを組むので精一杯で、子供の頃のように衝動と思いつきで組み立てたりして遊ぶことはなくなった。映画『レゴ・ムービー』はそんな、つまらない大人的行為をも肯定してくれたからうれしかった。けれど、たまには製品モデルをばらしてなにか思うものを作りたい。ほんとはなんでも作れそうなのに、気力が湧かない、技術が追いつかないというのはもどかしい。

2016/11/27 日

 風邪の具合はと言えば発熱がないのが救い。今がピークかもしれない。雨で余計に冷える。だが新しい仕事部屋はラグも敷いてあって暖房も効くから助かる。週明けに必要なラフを描きあげた。J・K・ローリング本人が書いた魔法界の設定を読む。ファンタビの舞台である北アメリカ魔法界の歴史から、その魔法学校イルヴァーモーニーの創立についてまで本当に丁寧に書かれている。やはりローリング女史は設定好きだ。創作のもっとも楽しい部分を思いのままって感じ。楽しそうだ。彼女のようなひとがひとりでせっせとこれを書いていると思うと、それだけで素敵だ。
 ぼくの思った通り、非魔法族の戦争に魔法族も参戦しているらしい。第一次大戦ではアメリカの魔法使いたちも参戦し、同盟国民を救い、敵国の魔法使いを倒したようだ。あくまで現実世界の中に魔法の世界がある。これが魅力。

2016/11/24

『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』(2016)感想


  スクリーンの上ではどんな生き物でも生み出せる時代になって久しいので、今更摩訶不思議な幻獣(ファンタスティック・ビースト)たちの姿に新鮮さはあまりないのだけれど、そのぶん人物のディティールや人間模様が魅力的だったと思う。狂騒の20年代と魔法ワールドの融合も、『ハリー・ポッター』シリーズと言えばイギリス、というイメージが良い意味で壊されて視野やイメージがぐんと広がった。
 これまでの映画シリーズは原作の少なくない場面や人物が省略されてしまっているので、映画だけでハリポタ世界を観てきた人にとって世界観を理解するのがやや難しいのではないかという懸念がある。でも本作はそんなひとにも超おすすめ。むしろこちらのほうが魔法界のルールを理解する上で入門向けではないかとさえ思う。ストーリーに原作が無く、脚本を原作者J・K・ローリング女史が書いていることを考えれば、これはシリーズで初の映画が原典である作品と言える。
とにかくユニバースの広がりを感じられたのがうれしいのでストーリーよりもその方面について書くと、イギリス魔法界とアメリカ魔法界の違いがおもしろかった。まず断っておくと、「魔法界」と言っても別次元の世界があるわけではない。魔法を使う魔法族が、そうではないぼくらのような普通の人間から隠れて社会を築いているというのが、このシリーズの世界の基盤となる。だから全ては現実世界のことであり、魔法族と普通の人間が、後者が前者の存在を知らないとは言え、一応は同じこの現実世界で共存していると言える。この、決して現実逃避的な別世界を舞台にしているわけではないところが、ハリポタ世界のいちばんの魅力だとぼくは思っている。
ぼくらの世界ではイギリスは階級社会とされていて、アメリカ社会はそれに比べればずっと開放的というのが一般的なイメージだけれど、おもしろいのは、魔法社会側ではこれが逆転していること。アメリカ魔法社会はイギリスのそれに比べてはるかに遅れていて、排他的であることが劇中でも語られる。魔法の中心地がイギリスであることを考えれば自然かもしれない。ハリポタで描かれたイギリス魔法界では魔法族とマグルが結婚してその子供が魔法学校に通ったり、魔法大臣がマグルの英国首相とコンタクトを取っていたりと(まあ首相をやめる際にその人の記憶は消されちゃうみたいだが)干渉を避けながらもある程度マグルとの距離は近かったのだけれど、アメリカではずいぶん勝手が違うらしい。イギリスで非魔法族に対して使われていたマグルという呼び名に対し、アメリカではそれを「ノー・マジ」とかなり否定を含んだ調子で呼んでいて、イギリスのように両者の結婚などはもちろん接触も許されていないようだ。そんなアメリカ式の魔法界に、イギリスから来た魔法使いニュートと、ハリポタを通してイギリス魔法界しか知らなかった観客が同じ目線で驚くという構図。
 途中で同じ連盟に加盟している魔法文明の代表者たちが世界中から集まるシーンがあるのだけれど、お馴染みのイギリスはもちろん、アジア方面の魔法界代表者たちがいるのも印象的。今後、中国や日本の魔法界が断片的にも描かれることがあるだろうか、と考えるととても楽しみ。ちなみに日本の魔法学校は硫黄島にあるらしい(戦時中も通常授業だろうか)。
 魔法社会が世界中の国や地域に存在するという世界観の広がりを考えたとき、やはりこのシリーズにおける魔法界はマグルの世界に含まれたいち要素のように感じられる(場合によっては両者は表裏一体のようにも捉えられるけれど)。イギリスやアメリカ、日本といった国やその名前はマグル由来だし、他にもマグル側の世界からの影響はいろいろなところにある。上で書いたことに戻るけれど、魔法の世界がある、というよりは魔法が使える一部の人たちが集まって、独自の社会を形成しているというニュアンスのほうが近いような気がする。だからぼくはマグル側の世界を単に「人間界」と呼称するのは適切じゃないと思っている。もちろんわかりやすさを優先すればそうなるんだけれどね。
 で、なにに思い至ったかというと、子供の頃は思いもしなかったことだけれど、魔法社会側とマグル世界における史実上の関わりだね。魔女狩りの時代にマグルによって火あぶりにされた魔女がいたりと(本作ではマグル側で起こった反魔法族の運動が鍵のひとつとなっている。初期のダーズリー一家から愛嬌を取り去ってより暴力的にした感じかな)一応はマグル側の歴史に魔法界側の片鱗が見られることもあるのだけれど、ではマグル側の歴史的なイベントが魔法界に影響したことはあったのだろうか?たとえば、そう、二回あった世界大戦とか。世界中の国が巻き込まれてどちらかの陣営に加わって戦っていた時代、ではそれぞれの国の魔法社会はどうなっていたのか。20年代という時代設定上、本作では最初の世界大戦のことが話題にあがる。マグル(ノー・マジ)として初めて主人公のひとりとなったジェイコブ・コワルフスキー(ダン・フォグラー)は第一次世界大戦帰りという設定だが、彼の「戦争には行ったか?」という問いにニュートは「東欧でドラゴンと戦った」と答える。これは単にマグルの戦争とは関係なく、ニュートが個人的にその頃ドラゴンと戦っていたということだと捉えることもできるけれど、もし、イギリスの敵国の魔法使いがそのドラゴンを放っていたとしたら?魔法社会がマグル社会に呼応して戦争をするとはちょっと考えづらいところがあるけれど、マグル側の世界が時代の流れや文化的な面等で少なからず魔法界に影響を与えることを思うと、魔法界側でも外国の魔法社会と揉めて、やはり裏側で魔法文明による世界大戦をやっていたのではないか、という解釈もできる。世界観の可能性の広がりはぼくような設定マニア(当のJ・K・ローリングも設定好きだと思う)にとんでもない餌を与えてしまった。まさかハリポタ・ワールドがここまで広がるとはね。SWも目じゃないくらいの拡張世界が期待できるし、なにより自分でこうして考察できることがうれしい。
 ハリーがホグワーツ校で使っていた教科書というインワールドな設定で出版された『幻の動物とその生息地』という本は子供の頃買ってもらって持っていた。これは魔法動物の図鑑のような本で、ハリポタ本編にも登場する動物をはじめたくさんの生き物について解説しているもの。ハリー、ロン、ハーマイオニーによるメモという設定で手書きのメモがページのあちこちに書き込まれているという芸の細かさには驚いたものだ。隅々まであの世界のアイテムのように感じられて子供の頃はとてもうれしかった。で、その著者が今回の映画の主人公ニュート・スキャマンダー(という設定。書いているのは原作者ローリングである)なのだが、この名前が妙にかっこよく感じられてハリポタのメインキャラクターたちと同じくらい強い印象とともにぼくの頭に残っていたものだ。名前の著作だけで、どんな人物なのかは全然わからないのにね。インターネットに触れる前の子供時代は、だいぶ情報が少なかったから本棚に並ぶ背表紙の中で一際異彩を放つニュートの名前からいろいろなイメージを湧かせていたのを覚えている。そうして、このたびそのニュートの姿をスクリーンで観ることになったから変に感慨深い。そもそもあの教科書とその著者の設定だけで映画を一本作ったということに驚いたけれどね。
 エディ・レッドメイン扮するニュート・スキャマンダーは、スマートで洒落っ気があり、あの教科書の堅い文章を書いた人物とは思えないほど少年っぽさがあった。グリフィンドール寮やスリザリン寮に比べたらだいぶ平凡な寮ハッフルパフ(ひどい話だが映画版でしか触れていないうちの妻は寮がグリフィンドールとスリザリンとレイブンクローの三つだと思っていたらしい)出身の人物が主人公であることに加えて、そのサイドキックが魔法使いではない、魔法界の存在すら知らなかった平凡なノー・マジであるジェイコブというのが新しい。しかもとても良いキャラ。ハリポタ本編は魔法学校を舞台にして魔法界側を主に描いてきたが、本作ではニューヨークというノー・マジの都市を舞台に、ノー・マジの相棒を迎えて冒険することで、魔法族とマグルの共存というテーマが強調されているように思う。ハリーの物語が、意地悪な叔母一家に代表されるマグルの世界から逃れて理想的な世界に旅立つ話であったのに対し、ニュートの旅はマグルの世界を含めた文字通りの世界中を巡る話なんだね。これはどこか、ハリポタ世代だった読者や観客の成長に合わせているようにすら感じられる。ぼくは好きな作品とすぐ個人的な結びつきを考えてしまう方だから、余計にそう思う。
 ハリポタでは、魔法族のみの家系からなる「純血」と、両親のどちらかがマグルだったり、家系のどこかでマグルと交わっている「マグル生まれ」(蔑称「穢れた血」)なんていう生まれを巡った争いが描かれたりした。魔法省を牛耳った闇の魔法使いヴォルデモートとその配下が職員や市民たちの生まれを調べて純血かマグル生まれかに分類して恐怖政治を敷く様子は、さながら歪んだ優生学に基づいた人種政策を進めるファシストのようだった。
 自分とは異なった者を恐れ、憎み、軽蔑するといった人間の暗黒面はハリポタにおいて実は重要なテーマと言える。ハリーは魔法学校に入学するまでマグルの叔母一家から自分たちとは違うという理由でひどい仕打ちを受けてきた。ヴォルデモートもまた同じ憎しみに晒されながら成長し、ついには闇の帝王となってマグルに復讐しようとする。「純血」、「穢れた血」、それから魔法族の血筋でありながら魔力を持たずに生まれた「スクイブ」といった魔法界に横たわる血統問題は物語の重要な要素として繰り返し登場してきた。そしてその血統問題の源流には魔法族とマグルの隔たりがある。新シリーズの第1章となる本作ファンタビは、魔法使いとただの平凡な人間という決定的に違うふたりを引き合わせることで、永久のテーマである魔法族とマグルの関係について、ルーモスの呪文のごとく光で照らし出しているように思った。今後の作品でどれだけこのことが掘り下げられるだろうか、楽しみである。
 ところで、やっぱりいちばんの魔法は夕食を準備する魔法だと思う。空中でシュトゥルーデルが作られて食卓に着地するときに焼きあがった状態になり、ロウソクに火が灯って夕食の支度が整った光景はアリソン・スドルのキュートな笑みも手伝って、実に多幸感溢れるシーンだった。思えばホグワーツも料理が並ぶ大広間のシーンは幸せいっぱいだったなあ。これこそ魔法って感じしない?
 そうそう、あまり情報を入れずに観たものだから、悪役の正体(正体というより役者)にびっくらこいたんだけれど、あれは知らずに観て正解だった。このご時世どこまで情報を入れずにいるかはむしろ難しいのだけれど、ああいうことで純粋に驚けるのは幸福なことだね。公式側が一切宣伝していないところもおもしろい。この感想文は基本的に核心部分を避けるので、これについてはまた今度書こうかな。それまでは彼のことを「例の俳優」とか「出演していたと言ってはいけないあの人」と呼ぶことにしましょう。