2018年6月8日

役所、黄色いあざ、子どもの名前

子どもの出生届けや引っ越しに関しての手続きで役所に行く。役所に行くときというのはつい身構えてしまうけれど、案外すんなり済むことも多い。出直さなければ駄目かと思って冷や汗をかいたときも、なんだかんだ手を打ってもらえる。役所のひとだって人間なのだ。

 単純な手続きを人工知能がやるようになれば、今のような融通はきかなくなるかもしれない。機械のお役人など、考えただけでゾッとするが、管理という仕事にはもってこいだし、ぼくが知らないだけですでに使われているかも。

 ぼくたちはディストピア的未来を想像するとき、20世紀的な独裁者が支配する世界を思い浮かべるけれど、実際は誰か個人や特定の組織がその意志を持って支配するというよりは、人工知能が管理するゆえに融通がきかなくなった世界というのが、現実的なところじゃないかな。決して人工知能が意志を持って劇的に変わるとかそういうのではなく、もっと自然に、人工知能を使っていたらいつの間にかそうなった、みたいな未来だ。

 なんてことをぼんやり考えていたら、妻がぼくの喉のあたりがやたら黄色いと言った。役所の壁の鏡で見ると確かに喉元から顎の裏あたりまで、戯画化された黄色人種というか、シンプソンズみたいに真っ黄色になっている。これじゃこのブログでも使っているアバターの自画像のようだ。

 黄疸というやつらしいが、黄疸で検索するとガン関連の記事が出てきたりして、額のあたりにさくらももこのキャラクターみたいな縦線がつーっと走って白目になりかけたが、ぼくは先週親知らずを抜いたばかりで、まだ腫れが完全に引いていない状態であることを思い出す。かなり深いところから、砕きながら引っこ抜いたわけだけれど、縫合した跡にはまだ糸が通ったままだ。おそらくはそのあたりに通っていた神経に触れたらしく、はぐきのあたりの感覚が鈍くなった。

 そういう親知らずの抜歯のあとでは、首のあたりに黄疸が出るものらしい。少し喉に違和感があるが、手術したあとが治っている証拠らしい。病気じゃなくてホッとして、なにもかもうまくいきそうなくらい明るい気分になったが、浮き沈みの激しさに妻が呆れた。

 子どもの出生届は受理され、自分で考えた名前の漢字が初めて公的な書類に印字されるのを見て、不思議な気分になった。ジュンパ・ラヒリの小説のように自分の名前が嫌にならなければ、この子は一生をこの名前で過ごすのだ。もちろんゴーゴリのような名前でもなければ、父親のような独特な名前でもないだろうから、別に気にしないと思うが。

『アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー』(2018)


 白状すると2008年当時は『ダークナイト』に夢中でマーベルのキャラクターなどこれっぽっちも興味がなかったし、バットマン映画のインパクトが大きすぎたので、『アイアンマン』や『インクレディブル・ハルク』もそれに便乗した映画に過ぎないと思っていた(なぜかDVDが出た当時はウィル・スミス主演の『ハンコック』が2本のマーベル映画と抱き合わせになっていたように覚えている。世間としてもそれくらいの認識だったのだろう)。

 あれから10年、まさかこんなに巨大なシリーズに、しかもバットマンが代表するDCコミック映画を軽々と凌駕するようになっているなんて。17歳の自分に教えてやりたいよ。

 三度目の大集合にしてもはや何人いるのか数える気にもなれないくらいに膨れ上がったヒーロー軍団と対峙してもまったく引けを取らないサノス。銀河皇帝も思いつかないようなとんでもないジェノサイドを企んでいるやつなのに、なぜか途中から負けて欲しくない(勝って欲しい、ではない)と思うようになっている自分がいる。手段を選ばない悪い奴、というのはよく言われるものだけれど、手段を選ばないことがどれだけ大変なことかをサノスは体現した。

 ハルクが序盤だけ登場してあとは変身できなくなるところ、ハルクがつねに画面で暴れてたらお話として困るから調整されているのだろうけれど、ブルース・バナーの新たなキャラ性が出ていておもしろい。思春期グルートが不愛想で後ろに隠れちゃってるところなんかも、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』の時点で計算してたのかわからないが、そういう作用になっているのかな。うまくできているなあ。
 

2018年6月5日

I am your father !

 かくして無事子どもが生まれた。いわゆるベビーシェマの容赦のないパワーを思い知っている。

 当然ながら現実の出産は『シスの復讐』とは違う。ますますあのシーンが安っぽく感じられる。そもそもガラスの向こうでおじさんたち(しかもひとりはカエル)が見てるのがありえないし(この場合のありえないとは、現実的でない、というのと同時に神経的にありえない)、なんなら立ち会ってるのも旦那でもなんでもないおじさんである。パドメもそりゃストレスで弱ってしまうわけだ。

 子どもが生まれた感想がそれかよと思われてしまうかもしれないが、心境に整理がつかないのだ。これから少しずつ書いていこうと思う。

 ただ、永久に続くかのように感じられた長い時間、そしてもっと長い時間を体感したであろう妻の強さ、ついに覆いの向こうからにゅっと現れたその赤紫色の顔を見た途端、あ!と思わず声が出たことは忘れないだろうな。


2018年5月24日

金曜ロードSHOW!『ロスト・ワールド』


 日テレ系「金曜ロードSHOW!」番組ウェブサイトにて、5月25日に放映される映画『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』のイラストレビューが掲載されています。


 結構観ているようでわりと細かいところを忘れている映画。ジュリアン・ムーアが若い。今も変わらず綺麗。
 ところで、『最後のジェダイ』にローラ・ダーンが出たじゃないですか。同じジュラシック・ヒロインということで次のエピソード9はジュリアン・ムーアが出るとかどうですかね。なんとか提督で。

2018年5月22日

勉強の時間

 アニメ「キテレツ大百科」にこんなエピソードがある。
 商店街に新しく出来た塾が誰でも受けられる力試しの学力テストを実施するというので、キテレツたちは受けることにするが、ブタゴリラに馬鹿にされてむきになったコロ助まで参加すると言い出す。
 コロ助の知能は幼児レベルで、自分の名前を書くのがやっとだ。案の定テストは全く出来ず、名前だけ書いて白紙で提出するが(氏名欄に書き込むフルネームが「木手コロ助」なのが可笑しい。じゃあドラえもんは「野比ドラえもん」なのか)、後日結果発表でなんとコロ助がいちばんの成績となったことが知らされる。
 この作品特有の少し不穏(SF)でミステリアスな展開となるわけだが、先に真相を言うと、コロ助の白紙の答案用紙に解答を書き込んだのは、塾が入っているビルの清掃員のおばさんだった。
 彼女は子どもの頃病気がちで、大人になるまでにあまり勉強ができなかったので、小学生レベルから自分で勉強し直しているという。
 自分の実力を知りたくなり、コロ助が馬鹿にされているのを見て不憫に思ったのもあって、彼の答案用紙を使ったのだ。
 
 アニメの「キテレツ大百科」はこういう、「ドラえもん」には無さそうな社会感みたいなものがある。大人たちに焦点が当てられることが多いのだ。なにか問題を抱えていたり、特殊な状況下にある大人たちと出会うことで、キテレツの発明品が役立ったり、コロ助がひとの心に触れたりする。
 キテレツたちの冒険は、のび太たちのそれのようにファンタジックな場合もあるけれど、大人の世界の一端を知る現実的なものであることが多い。

 アニメの話はこれくらいに。なんの話かと言うと、ぼくは改めて勉強し直したほうがいいかもしれない。
 基礎的な技術がないまま絵を描き続けて壁にぶち当たるのと同じように、基本的な教養がないまま生きているとなにかと辛いことも多い。なにかしっかりしたコアが作れていないような不安な感覚。自己肯定感の不足がそこにあるかどうかはわからないけれど、なにか重要なものが抜け落ちているのではないかという気が、前からあった。

 コロ助が出会った掃除のおばさんもきっと、子ども時代の重要な時期が丸々抜け落ちていて、人並みに勉強ができなかったばかりに失ったもの、与えられなかった機会というのがあるのだろう。おそらく40代くらいのひとだったと思うけど、小学校の教科書からやり直すことで彼女なりに自分の境遇を受け入れ、前に進もうとしているのだ。

 ぼくは病気で学校を休みがちだったわけではない。ちゃんと通っていたにも関わらず、知らないことや覚えていないことがあまりにも多い。
 学校が好きか嫌いで言えば、結局のところ嫌いだ。小学校の6年間は膨大な長さに感じられたし、中学の3年間は普通に体感する6年間くらいに思えた。常にはやく家に帰りたいと思って過ごしていた。
 
 小学校は廃校寸前のようなところで(今もあるので寸前ではなかったわけだが)ぼくの同級生は5人以下、いずれも男子、全校生徒はぼくが通っていた6年間のうち最多で40人前後というところだった。
 だんだん薄れ始めている記憶を探ってみると、なんだか幼稚園みたいな小学校だったような気がする。少人数で先生との距離が近すぎるあまりに緊張感が皆無で、逆に勉強に不向きな環境に感じられた。騒々しかった。
 普通の教科以外のイベントが多すぎたような気もする。ぼくの世代が特定の呼び方をされることと関係しているかどうかはわからないが、やたら身体を動かす時間があったり、土いじりをするだの、近所の老人や同級生の親が授業の真似事をする時間だの、そういうのが多すぎたと思う。
 同じ環境下でしっかり勉強できている子もいたのだから(主に違う学年だが)それは言い訳だ。どの教科も決められた時間だけ授業があったはずだし。自分の無学を世代のせいにするのもよくない。
 
 中学にあがると、環境が大きく変わった。
 クラスメイトの人数が一気に40人になり、教師との距離は12パーセクくらいになった。少人数の牧歌的な小学校から、急に普通の学校に放り込まれて困惑するばかりだった。
 家から遠いのも不安だった。小学校は親が顔を出す機会が少なくなかったし、単純に家が近いからなんとなく安心感があった。それが小さい学校の欠点でもあったのだろうけれど、中学校での心細さと言ったらなかった。

 もちろん授業はついていけなかった。
 小学校のときは目の前に先生がいて、わからないことがあったら聞けたし、先生も全員がわかるまでひとりずつに説明してくれた。40人の教室ではそうはいかない。主張の強いやつが教室の空気を操作するし、先生もそういう子しか相手にしない。少なくとも自分から質問する子しか気にかけない。もちろんそうでなければやっていけない仕事だ。
 ぼくはまずなにを質問すればいいかさえ見当がつかなかった。自分がなにがわからないのかもわからない。教室が小学校のときとは比べ物にならないほど騒がしかったことを言い訳にしたくもなるが、ぼくはあまりに集中力がなかった。大騒ぎをしている子たちが学校とは別に塾に行っていてちゃんと勉強ができているということを知っても、その理不尽な感じを説明する言葉がぼくにはなかった。

 もしこれら諸々の悩みを両親に伝えられたら。伝えたところでなにかが変わったかどうかはわからないけれど、なにかを主張したほうがよかったような気がする。非常に辛く、この現状がとても嫌であることをはっきり、強く訴えるべきだった。
 かりに思っていることや感じていることをちゃんと言葉にして伝えることができたとしても、当時のぼくはそれをためらったことだろう。両親はあの中学に行かないほうがいいと、前もって言っていたのだ。
 どういうことかというと、ぼくの家は学区のいちばんはずれにあり、隣の街の中学のほうが近かった。だからそっちに行けと。
 ぼくにその気があれば両親は学区外に進学できるようになんとかするつもりだった。でも中学校がどんなものかわからず不安でいっぱいの小学生が、知らない子ばかりのところに行きたいと思うだろうか。少なくとも学区内の中学には知っているやつが数人行くのだし、上級生にも知っているひとがいるのだ。
 今思えば同じ小学校のやつなんか全然つるまなくなるのだから、両親の言う通りにしておくべきだった。小学校では明らかに浮いていたのだし、いずれここではないところで話の合うひとたちと一緒になれるはずだ、と思っていたじゃないか。
 そんなわけで、たかだか数人の「知り合い」のためにビフ・タネンが改変した1985年みたいな中学校に進んだのだった。同じ小学校のやつがいるということが、そのあとでなにかプラスに働いたことなんか一度もない。
 こんな学校は嫌だ、どこかよそへ行きたい、と言い出せなかったのはこのためだった。自分でこっちを選んだのだ。
 後に弟は両親の言うことをちゃあんと聞いて、平和な隣町の中学に行くのだった。田舎のひとというのは前例ができると行動しやすくなるらしく、弟の進学で使われた方法を真似て、その後どんどん学区外に進学する子が増えるのであった。

 やや話がそれたが、ぼくはそういうわけで完全に中学の勉強についていけなくなった。もっと悪いことに、勉強するということに興味が抱けなくなり、家に帰ってもインターネットで『スター・ウォーズ』のことばかり調べる日々になってしまった。
 その日々で得られたものもある。それが今の自分の財産になっているのは言うまでもないが、もう少しその時間を自分なりの学習時間にあてられれば、もう少しはましな人間になれたかもしれない。少なくとも奥さんに漢字の読み間違いを呆れられない程度には。
 中学3年間を通して、自分は馬鹿で出来が悪いと強く自覚していくことになる。インターネットで話し相手は得られたけれど、みんな頭がよくて、やっぱり劣等感ばかり強くなるのだった。誰からも馬鹿にされていた。
 
 もちろん自分の問題だろうけれど、だからやっぱりその時期の学習というものが抜け落ちているからこそ、なにか自分に芯のようなもの、土台のようなものが見出せないのではないか。なんとなあく絵が描けるというだけでやってきていて、半端で偏った知識でごまかしごまかしやってきているままでは、いずれ行き詰まる。絵の技術を磨けば、それに関しては壁に当たらないで済むかもしれないけれど、基本的な教養が欠けているままでは、人間として行き詰まるのではないかという不安がある。
 
 例の掃除のおばさんが同じような不安を覚えたのかどうかはわからないけれど、ぼくも今からでも全くダメだった時期の勉強をやり直してもいいのではないか。調べれば世の中には大人向けのそういう復習本があるようだ。学校の教科書以外にも勉強を補助する本がたくさんあるということに、中学生のぼくはもっと注目すべきだった。
 あるとき妻がこんなことを言った。
「あなたは本当は頭がいいはずで、それなりに勉強すれば大学などいくらでも行けた」
 少し無責任な言葉にも聞こえたが、同時にぼくの奥底にあるなにかをかき立てもした。本当は頭がいいと言われて舞い上がったわけでは全然ない。永久に失われたように感じていたものを取り戻せるのだという予感だ。彼女が適当なことを言っていなければ。
 そうなると、年を取ってから大学受験するひとの気持ちもわからないでもない。勉強する機会を取り戻したい、そしてその成果を確かめたいのだ。
 別にぼくは今更大学に行く気はない。妻が大学と言ったのはあくまで基準としてだ。だから学歴にこだわっているわけではなく、ただひたすら中学3年間を中心とした無力感を埋め合わせたい。覚えられなかったことを覚えることで、果たして自信がつくのかどうかはわからないけれど、なにが欠けていたのかをまず知る必要がある。
 そうすることで中学時代の問題と向き合うしかない。不遇を嘆くばかりでなく。
 もちろんちゃんとできれば、そのうちに成果を確かめたくなるかもしれない。掃除のおばさんがコロ助の答案用紙を出来心で使ったように。
 とりあえずは子供の勉強を手伝えるくらいになればいい。

2018年5月20日

映画サイト「CINEMORE」連載第3回


 映画サイト「CINEMORE」での連載シリーズ、
 「川原瑞丸のCINEMONOLOGUE」の第3回が更新されました。
 英アードマンとニック・パークの代表作『ウォレスとグルミット』シリーズ、
 主にシリーズ第1作『チーズ・ホリデー』について語っています。
https://cinemore.jp/jp/news-feature/286/article_p1.html

「超一流ビジネスマン」

 昼寝をしているとセールスの電話がかかってきた。
 最近引っ越しを検討していて、不動産屋さんとやりとりしているところだったので、「不動産会社」という言葉に反射的に対応してしまったのが間違いで、話を聞いているとどうやら全然関係がないマンション投資の話で、それどころかぼくの名前も呼ばれていないのでセールスに違いなかった。
 セールスの電話で毎回びっくりするのは、よくもまあこんな要領を得ない話し方をするなあというところだが、今回は特にすごくて、相槌を打つ暇もなく延々話し続けるので圧倒された。電話を耳から離して放置してもいいのではないかとさえ思えた。
 そうしようかと思ったところで、なにかを問いかけられる。なにを聞かれたのか全然わからないが、辞退するタイミングのようなので、今はちょっと時間が、みたいなことを口走ると、
「ではご都合のよろしい時間帯はいつ頃でしょうか?」
 そうか、こういう断り方はこう返されてしまうのでよくないのだった。
 ぼくは普段から電話があまり得意でなく、というかむしろ大嫌いだ。
 仕事の連絡もできるだけメールでやらせてもらっているし、知らない番号からかかってきた場合にはすぐ取らず、どこの番号か調べてから応答するなり、かけ直すなりしているほどである。
 いち社会人としてよくないことはわかっているが、全く心の準備ができていないときに誰かと話さなくてはならないというのが、怖くてしょうがないのだ。
 相手の顔が見えなくてうまく話せないというひとも結構いるらしいけれど、ぼくの場合は顔が見えていても難しい。むしろ顔の見える電話のほうがもっと嫌なくらいだ。一時期はなんの断りもなくフェイスタイムで電話をかけてくるひともいて困ったものだった(片付いていない部屋で、だらしのない格好でいることもあるのだからああいうのは本当にやめてほしい。みんながみんな見せられる生活をしているわけではないのだ)。
 都合のいい時間はいつかと聞かれて、さあどうしたものか、そのあとなんて言ったのかは忘れたけど、とにかくやんわりやんわりと(はっきり言えないので)話を終わらせる方向に持っていこうとしたと思う。しかし、向こうがなにかと話し続けるのでなかなか出口が見えない。
 さすがにぼくも少し語調を強めて、あまり興味がないということを伝えると、
「いえ、興味があるとかないとかではなくてですね、これは非常にお役に立つので云々」
 と言われてしまった。
 興味があるとかないとかではない。
 そんなことを言われてはこちらはなにも言えない。ものすごい言葉だ。興味がないということが辞退する理由にならないとは。
 そんな売り込み方が通用するのならぼくだって道行く人々に絵を売りつけ、全く縁のない出版社に「興味があるとかないとかではないのです」と言って頼まれてもいないイラストを押し付けて原稿料をもらっているところである。
 もうこの電話をどうやって切ればいいのかわからなくなってしまい泣きたくなった。ぼくはすぐ泣きたくなる。
 そもそもどうしてこういう電話がかかってきてしまうのだろう。
 一体この番号をどこで知ったんですか?
 と聞いてみると、
「あっ、うちはですね、お客様のお電話番号を、しっかりした業者さんから買い取ってご連絡しております。今、個人情報とかうるさいじゃないですか?なので、うちはちゃんとしたところからリストを買っております。このお話は超一流ビジネスマンの方にしかご案内していないんですが、お客様は超一流ビジネスマンのリストに入っているのです」
 なんてこった。
 言いたいことが山ほど思いつくが、少なくとも「今個人情報とかうるさいじゃないですか?」みたいなことを言う人は個人情報を扱うべきではないと思う。
 そして一流ビジネスマン。
 自分の電話番号が売り物にされていることなど吹っ飛んでしまうすごい言葉だ。
 なんであれ仕事をしているのであればビジネスマンと言えなくはないが、そうか、一流どころか超一流のビジネスマンのリストに入っているのかぼくは。なんということだ。
 ちなみに今はビジネスパーソンと言うのだよ。
 もう限界だ。頭がくらくらする。
 もうこれ、終わらせたいんですが。
 と、はっきり(でもないが)伝えると、ようやく相手も引き始めた。
 どうせ泣きそうな声だったのだろう。
 実際泣きそうだった。ぼくはすぐ泣きたくなる。
 相手はまだなにか続けていたが最後まで聞かずに電話を切る。
 本当に切りたいときは、興味がないではなく、切りたいと言えばよかったのか。
 こんなに電話で話せないやつが超一流ビジネスマンなわけあるか。

2018年5月12日

ジャバ・ザ・ハットのあれこれ


・宇宙ギャングスター

 『ジェダイの帰還』は本当にいろいろなエイリアンやクリーチャーが登場する。特に前半で登場するジャバ・ザ・ハットの宮殿のシーンでは独特の造形の連中がうじゃうじゃ出てきて、まさに宇宙のお化け屋敷といった感じ。

 後半で活躍するイウォーク族も手伝って、『ジェダイの帰還』は結構着ぐるみ映画だとかパペット映画だとか揶揄されたりもするんだけど、ぼくはむしろそういう「ちょっと気持ち悪いセサミストリート」みたいな感じが好きで、シリーズが好きになったのもこのエピソード6が入り口だった。メカや戦闘もかっこいいし楽しいけれど、やっぱりぼくの入り口はロボットやバケモノとかだったんだろうな。

 ジャバ・ザ・ハットは宇宙マフィアの親玉である。その影響力は強く、銀河の暗黒街を牛耳るだけでなく、帝国とも取引しているほどだ。
 彼はあらゆる犯罪に手を染めており、そのうちのひとつが密輸である。SWの主人公のひとり、ハン・ソロはもともとジャバの下で働く密輸業者であり、彼がルーク・スカイウォーカーの旅に加わるのも実はこのことが関係する。

 ルークと出会う前、つまり第1作『新たなる希望』よりも前の時点で、ハンはとある密輸品を運んでいる最中に帝国軍の検問に遭遇する。
 この検問がどういうものだったかは具体的に説明されない。今度のスピンオフ映画『ハン・ソロ』でそこまで描かれるのかはわからないけれど、一応帝国軍の軍艦を前にしたハンが、ミレニアム・ファルコンで運んでいた積荷を宇宙空間に捨てて逃げた、という出来事であるらしい。
 ちなみに積荷はケッセル産のスパイス。スパイスというのは幻覚作用のあるドラッグのようなもので、たぶん「デューン/砂の惑星」からの引用。

 ハン・ソロみたいなやつが検問に遭ったからって積荷を捨ててしまうだろうかとよく思ったものである。もちろん密輸業者と言えど帝国軍の軍艦を前にすれば当然逃げるしかないのだろうけれど、どうせ逃げるなら積荷を持ったまま逃げ切れたんじゃないかと思ったりする。『新たなる希望』で現に二隻ものスター・デストロイヤーから逃げ切ってるわけだし。
 
 とにかくそういうわけで、ハンは捨てた積荷の分だけジャバに借金をつくってしまう。このお金を返すために怪しげな老人からのチャーター依頼を引き受け、長い冒険に巻き込まれてしまうのだ。

 『新たなる希望』ではハンのところにしびれを切らしたジャバが直々にやってくる。
 ハンはその直前に、借金を取り立てにきた賞金稼ぎを撃ち殺しており、ジャバは余計におかんむりだ。
「ちょろいチャーターの仕事が入ったから金はすぐに返せる」
 ハンはそう言ってハットを説得し、その場をなんとかやり過ごすが、結局この約束が果たせなかったがために賞金稼ぎに追われ、『帝国の逆襲』で冷凍された後、ジャバの宮殿に囚われてしまうことになる。


・おじさんからナメクジに

 この第1作のジャバ登場のシーンは、もともと撮影だけされて本編からは削除されていた。
 ジャバ役は太った普通のおじさん(デクラン・マルホランドという俳優)で、今のようなキャラクター・デザインは完成していなかった。このおじさんに、あとでアニメーションのクリーチャーを合成する予定だったが、お金や時間の問題で結局お蔵行きになる。

 このシーンが陽の目を見たのはそれから20年後、1997年の特別篇でのこと。『ジェダイの帰還』での造形に合わせたジャバをCGで合成させることで晴れて本編に復活を果たすのだった。

 ただしこのジャバ、『ジェダイの帰還』の姿に比べるとだいぶ奇妙。
 元となるおじさんの大きさや会話の相手であるハリソン・フォードの目線の関係などで、なんだか小さく見えるのだ。
 さらに元のおじさんが結構演技をしているためか、CGの方も表情が豊かなのだ。本当にお金返してくれないと困るんだよお、みたいな表情で可笑しい。
 そのせいで『ジェダイの帰還』のあまり顔の動かない着ぐるみとはまた違う印象になってしまっている。よく出来ているんだけどね。
 ハン・ソロがジャバのしっぽを踏んづける動きなどがおもしろい。もともとハンがおじさんジャバの背後にまわりこむのだが、完成版ジャバのデザイン上しっぽが邪魔になる。そこでハン・ソロの姿が編集されてジャバのしっぽを乗り上げているかのように合成されたのだ。
 上下に動くハンの姿が若干切り取られた静止画のように見えたものだけれど、よく出来ている。
 
 その後、1999年の『ファントム・メナス』にフルCGのジャバが登場し、こちらはもう完全に『ジェダイの帰還』のデザインをそのままCGにした形になっている。顔も色もそのままだ。
 さらに着ぐるみには出来なかった細かい挙動が、着ぐるみのときの印象を損なわない程度に付け加えられていて、個人的にはこのエピソード1版ジャバが決定版だと思う。

 2004年のオリジナル3部作DVD化でさらに編集がなされるわけだけれど、『新たなる希望』のジャバも大幅に手直しされた。
 しかし、デザインは申し分なくジャバらしく(つまり『ジェダイの帰還』らしく)なったものの、なぜか色彩の雰囲気が違う。ぼくなどはここで普通に『ファントム・メナス』のときと同じようなものを持ってくればいいと思うのだけれど、エピソード1とも6とも違う独特の雰囲気になっているのだ

 もしかすると、ジョージ・ルーカスが本当に思う姿というのが(キャラクターのデザインはもっと大勢が関わっているとは言え)DVD版『新たなる希望』のあのヴィジュアルなのかもしれない。
 こちらとしては映画に登場する着ぐるみが完成された姿なのだけれど、ルーカスにとってはそうではないのだ。とりあえずそのときの技術で可能な方法でキャラクターを作っているに過ぎないのだろう。本来の目的は実在しない生き物をスクリーンに生み出すことであって、キャラクターを味のある着ぐるみで表現することではないのだから。


・親方ジャバと犯罪王ジャバの違い

 ところでCGを被せられる前の元のおじさん、結構いい演技をしていると思う。
 ただ密輸品の弁償代を取り立てにきたのではない。商売仲間として敬意を表しつつ、勘弁してほしい、というような態度が見受けられる。
 ハン・ソロが腕のいい密輸屋だということは認めつつも、彼だけ特別扱いはできない。雇っている連中みんなが以後同じ状況下で密輸品を捨ててしまえば商売にならないからだ。
 怒っているだけでなく、こっちも困ってるんだよというような感じ。

 完成版ジャバとなったあともその名残はある。
 おじさんの演技がそのままCGジャバにも生かされているからこそ、後のシリーズで知られるジャバの表情やキャラ性とは、若干違う雰囲気があるのだろう。
 まだこのときは『ジェダイの帰還』で見られるような冷酷な犯罪王ではなく、もう少し距離の近い仕事の上司、親方のような感じだ。

 そういうわけで『新たなる希望』と『ジェダイの帰還』とではまるっきりキャラが違って見えるわけだが、この違和感を埋めるにはハン・ソロとの関係に注目してはどうだろう。

 『新たなる希望』でのハンはジャバにとって貴重な人材であり、それなりに目をかけてやっている。ハンのほうも雇い主からの信頼や評価を自覚していて、なによりああいうやつなので、他の取り巻きとはだいぶ違う距離感でジャバと渡り合えていた。
 だからこそ平気でしっぽも踏んづけられる。ジャバはあの暴挙にほとんど怒りを見せない。もしこれが『ジェダイの帰還』に出てくる犯罪王なら処刑ものである。しかし、あそこでのハンはジャバにとってかわいがってる小僧なのだ。

 しかし、そんな一見良好な関係も、ハンが約束を守らず借金を返さなかったことで一変する。ジャバはハンに懸賞金をたんまりかけ、最終的に冷凍されたハンを手中におさめる。
 レイアの救出により解凍されたハンは、再びジャバをうまく丸め込もうとするが、もうハットは彼の言葉に耳を貸さなくなっていた。そこにいたのは以前のような親方としてのジャバではなく、無慈悲な犯罪王ジャバだった。

 必死に弁明しようとするハンに対し、ジャバは言う。
「もう遅い。昔はいい密輸屋だったが、今じゃバンサの餌だ」
 ジャバにとってもはやハンは用済みだった。
 つまり、自分に役に立つ相手ならジャバはそれなりに敬意を示したり、友好的でいてくれたりするわけだ。
 役に立ってくれる密輸屋なら、しっぽを踏んづけられるくらいのじゃれあいもしてくれる。
 少々無理やりな辻褄合わせな感が否めないけれど、これはこれでわりとマフィアらしくていいのではないだろうか。
 親父的な顔を見せていたかと思えば、冷酷なボスの顔も見せる。
 ちなみにジャバが最終的に絞殺されてしまうのは、『ゴッドファーザー』でのルカ粛清のシーンに影響されているらしい(ルカもジャバほどではないが太めのおじさん)。
 
 DVD版以降の『新たなる希望』版ジャバというのは、ルーカスの思う完成されたジャバの姿というよりも、ハンにとっての親方としての姿だったのかもしれない。
 逆に、『ファントム・メナス』でレース会場に主賓として現れたジャバは、地元を支配する犯罪王としての姿だから、『ジェダイの帰還』と同じイメージなのだ。


・ジャバの血筋

 『ジェダイの帰還』のジャバの姿が完成するまで考案されたデザインは本当にいろいろなものがあるんだけど、その中には巨体を反重力装置で浮遊させて支えているスケッチもある。イメージとしては、完成版と変わらないナメクジ型のジャバのしっぽの部分が、円錐状の装置の中にすっぽりおさまり、巨体が縦に浮いている形である。ちょうどジャバの体がアイスクリームコーンにおさまっているような感じ。

 この「とてつもない巨体を機械で浮かせて支えている」というイメージも、「デューン」からの引用だと思う。「デューン」に登場する悪役ハルコンネン男爵もぶくぶくと太った巨漢なのだが、反重力パッドで身体のあちこちを支えて立ち歩くキャラクター。パッドが支えていない部分からは肉が溢れかえっているほどで、人間でありながらその奇怪さはジャバ以上である。
 さらにハルコンネンも砂漠でスパイスの採掘を行っており、スパイスの密輸をする犯罪王とも重なる。タトゥーインは砂の惑星というだけあってやはり「デューン」の影響が強いと思う。

 逆にジャバの影響が感じられるキャラクターもいる。『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのデイヴィ・ジョーンズなんか、ジャバと銀河皇帝の立ち位置を一緒にしたようなキャラクターだし、最近では『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のヨンドゥなどもジャバ的と言えるだろう。
 まあ、ヨンドゥはジャバの仲間にするにはちょっといい男すぎるけど、少なくとも1作目では主人公を追い回す昔の仲間として重なるところがあると思う。

 そういえば前にギレルモ・デル・トロがジャバ・ザ・ハットを主役にクリーチャー版『ゴッドファーザー』的なスピンオフを撮れたらなあ、なんて意欲を見せていたが、ぜひとも実現して欲しいところだ。どれだけのひとが観たいかわからないけど(人間のキャラクターを中心に添えないとちょっときつそう)。
 ジャバでスピンオフと言えば、『ジェダイの帰還』でのジャバの死を受けて起きたであろう権力闘争なんかを描いた方が、シークエル3部作の世界とも繋げられそうでおもしろい気はする。
 もちろんその場合は新しいハットのキャラクターに出てきて欲しいものである。
 

2018年5月11日

金曜ロードSHOW!にて


 日テレ系「金曜ロードSHOW!」番組ウェブサイトにて、本日放映される映画『パシフィック・リム』のイラストレビューを掲載していただいております。鑑賞前にぜひご覧ください。

https://kinro.jointv.jp/illust/20180511.html

2018年5月5日

そんなシーンは無い


 複数のひとが実際の出来事とは違う記憶を共通して持っている現象。
 それをマンデラエフェクトと呼ぶらしい。 
 ネルソン・マンデラが逝去した際に、
 もっと前に亡くなってなかったっけ?と首をかしげたひとが続出したとか。
 マンデラさんに限らずそういう著名人は結構多いらしい。かなり失礼な話だけど。
 『天空の城ラピュタ』のエンディングのバリエーションの話とかもそういうやつだね。

 『スター・ウォーズ』における主なマンデラエフェクトと言えば、
 『帝国の逆襲』の名セリフ「I am your father.」が、
 「No. I am your father.」なのか「Luke, I am your father.」なのかという話。
 正解は前者なんだけど、おそらくこのセリフの少し前にダース・ヴェイダーが、
 「Luke, you do not yet realize your importance.」と語りかけるので、それと混同したのだろう。

 ぼくが観た覚えのあるシーンは、いまのところ同じような記憶を持っているひとが見当たらないので、正確にはマンデラエフェクトとは違う。ぼくひとりのただの記憶違いに過ぎない。
 ちなみに友人たちに聞いてみると、

 「DVDより前のバージョンのEP6ラストにナブーのシーンがあった」
 「EP4でルークとレイアのターザンが一度失敗する」
 「EP5のホスの戦いで、AT-ATの上空をミレニアム・ファルコンが飛び去るシーンがあった」

 などという話が出た。
 どれも「ハン・ソロがイウォークに囲まれて冷凍された」というのに比べれば全然ありそうな記憶違いである。
 ナブーはDVDで追加されるので記憶が前後したのだろうし、
 ターザンについてはメイキングでかなり大変だったという話が語られている。
 ホスでは確かにファルコンが飛び去るシーンがあるし、
 同じ雪景色の中をAT-ATが歩いているおなじみのイメージが混同されても無理はない。
 いずれにせよSWはカットされたシーンや、
 後のバージョンで変更されてしまうシーン、
 さらには映画とそんなに変わらない写実性を持ったビデオゲーム独自のシーン、
 リアルなタッチのファンアートなど、
 とにかくそういう視覚的なバリエーションがたくさんあるので、
 こういった記憶違いがあるのも仕方がない。

 ぼくの記憶にある「C-3POを撃ってバラバラにするストームトルーパー」も、
 調べてみるとぼくのイメージ通りの構図のファンアートがあった。
 子供の頃によくわからないままいろいろな画像や映像を目にするうちに、
 ごっちゃになって記憶に残ったのかもしれない。
 もっといろんな人のSWに関する記憶違いを聞いてみたい。